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黒い月が白くなるまで #15
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第十五話 ― 影の端を掬う ―
窓の外で、雨がしとしとと降り続いていた。
カーテンの隙間から、街灯のぼんやりとした光が部屋に染み込む。冷たい光。けれど、部屋の中はほんのわずかにあたたかい。
仁は窓辺に背を預け、黙って煙草を指に挟んだまま火を点けなかった。
優はソファの端に座り、仁の背中をただ見つめていた。
「……吸わないの?」
小さく、優が言った。
「吸ったら、お前に嫌がられるだろ」
仁の声は低く、けれど少しだけ柔らかさを含んでいた。
優は微笑んだ。「嫌じゃないよ。あなたがそれで落ち着くなら、いいと思う」
仁は振り返らなかった。代わりに、火を点けずに煙草を指でくるくる回す。
「……なあ」
仁の声が、不意に深く沈んだ。
「もし俺が……誰かを殺したことがあるって言ったら、どうする?」
優は少しだけ息を飲んだ。でも、目は逸らさなかった。
「それでも、私はあなたを知りたいって思う」
静かに、はっきりと。
仁の肩がかすかに揺れる。まるで、今の言葉が胸に直接刺さったみたいに。
「……変な女だよ、お前」
「そうかもね。でも、自分で選んでここにいる」
沈黙がまた、ふたりの間に落ちる。
仁は煙草をそっとテーブルに置いた。そしてようやく、ゆっくりと、振り返った。
「俺の母親は、早くに死んだ。病気だった」
「父親は……口を開けば暴力と命令だった。言い返したら殴られて、黙ってても睨まれて……」
仁は目を伏せる。
「小学生の頃にはもう、“どうやって自分を消すか”しか考えてなかった」
「誰にも甘えられなかった。強くならなきゃって思ってた。でも……強くなれなかった」
優は立ち上がり、ゆっくり仁の前に立った。
「それでも、あなたは生きてきた」
「壊れてもいいと思いながら、ちゃんとここまで来た。私には、あなたが弱いなんて思えない」
仁は優の瞳を見つめた。そこには一切の恐れも、拒絶もなかった。
代わりに――どこまでも澄んだ、まっすぐな受容だけがあった。
「……怖いんだよ」
仁の声が低く、かすれていた。
「また誰かに期待して、失って、捨てられるのが」
優は仁の頬にそっと手を添える。
「私、捨てないよ」
「口だけじゃ、誰も信じられなかった。これまでは、ずっと」
「なら、これから信じてもらえるようにする。時間がかかっても、あなたが心のドアを少しでも開けてくれるなら、それでいい」
仁は目を閉じた。涙は出ない。
でも、その顔は確かに、泣きたくなるような静かな痛みを滲ませていた。
「……俺、お前に手出したら終わりな気がしてる」
「何かが崩れて、もう戻れなくなる気がするんだ」
優は彼の手を握った。しっかりと、強く。
「壊すんじゃなくて、変えていくんだよ。ふたりで」
その言葉に、仁の指がほんの少し震えた。
「……お前がいると、俺、知らない感情に振り回される」
「今までの俺じゃいられなくなる。こんな俺、俺じゃない」
「だったら、私が知ってる“今のあなた”が本当のあなたかもしれない」
優は、笑わなかった。ただまっすぐに、真剣に言った。
「私はその人を、ちゃんと愛せる」
言葉の重さに、仁は息を止めた。
静かな夜の中で、何かが確かに変わっていく音がした。
やがて仁は、ゆっくりと優を抱き寄せた。
ただ、それだけだった。キスも、触れる以上のこともなかった。
けれど、心と心の距離はもう、何もなかった。
過去の痛みも、今の不安も、未来への恐れさえも――
ふたりの間にある静かな“信頼”が、ゆっくりと包み込んでいた。
窓の外で、雨がしとしとと降り続いていた。
カーテンの隙間から、街灯のぼんやりとした光が部屋に染み込む。冷たい光。けれど、部屋の中はほんのわずかにあたたかい。
仁は窓辺に背を預け、黙って煙草を指に挟んだまま火を点けなかった。
優はソファの端に座り、仁の背中をただ見つめていた。
「……吸わないの?」
小さく、優が言った。
「吸ったら、お前に嫌がられるだろ」
仁の声は低く、けれど少しだけ柔らかさを含んでいた。
優は微笑んだ。「嫌じゃないよ。あなたがそれで落ち着くなら、いいと思う」
仁は振り返らなかった。代わりに、火を点けずに煙草を指でくるくる回す。
「……なあ」
仁の声が、不意に深く沈んだ。
「もし俺が……誰かを殺したことがあるって言ったら、どうする?」
優は少しだけ息を飲んだ。でも、目は逸らさなかった。
「それでも、私はあなたを知りたいって思う」
静かに、はっきりと。
仁の肩がかすかに揺れる。まるで、今の言葉が胸に直接刺さったみたいに。
「……変な女だよ、お前」
「そうかもね。でも、自分で選んでここにいる」
沈黙がまた、ふたりの間に落ちる。
仁は煙草をそっとテーブルに置いた。そしてようやく、ゆっくりと、振り返った。
「俺の母親は、早くに死んだ。病気だった」
「父親は……口を開けば暴力と命令だった。言い返したら殴られて、黙ってても睨まれて……」
仁は目を伏せる。
「小学生の頃にはもう、“どうやって自分を消すか”しか考えてなかった」
「誰にも甘えられなかった。強くならなきゃって思ってた。でも……強くなれなかった」
優は立ち上がり、ゆっくり仁の前に立った。
「それでも、あなたは生きてきた」
「壊れてもいいと思いながら、ちゃんとここまで来た。私には、あなたが弱いなんて思えない」
仁は優の瞳を見つめた。そこには一切の恐れも、拒絶もなかった。
代わりに――どこまでも澄んだ、まっすぐな受容だけがあった。
「……怖いんだよ」
仁の声が低く、かすれていた。
「また誰かに期待して、失って、捨てられるのが」
優は仁の頬にそっと手を添える。
「私、捨てないよ」
「口だけじゃ、誰も信じられなかった。これまでは、ずっと」
「なら、これから信じてもらえるようにする。時間がかかっても、あなたが心のドアを少しでも開けてくれるなら、それでいい」
仁は目を閉じた。涙は出ない。
でも、その顔は確かに、泣きたくなるような静かな痛みを滲ませていた。
「……俺、お前に手出したら終わりな気がしてる」
「何かが崩れて、もう戻れなくなる気がするんだ」
優は彼の手を握った。しっかりと、強く。
「壊すんじゃなくて、変えていくんだよ。ふたりで」
その言葉に、仁の指がほんの少し震えた。
「……お前がいると、俺、知らない感情に振り回される」
「今までの俺じゃいられなくなる。こんな俺、俺じゃない」
「だったら、私が知ってる“今のあなた”が本当のあなたかもしれない」
優は、笑わなかった。ただまっすぐに、真剣に言った。
「私はその人を、ちゃんと愛せる」
言葉の重さに、仁は息を止めた。
静かな夜の中で、何かが確かに変わっていく音がした。
やがて仁は、ゆっくりと優を抱き寄せた。
ただ、それだけだった。キスも、触れる以上のこともなかった。
けれど、心と心の距離はもう、何もなかった。
過去の痛みも、今の不安も、未来への恐れさえも――
ふたりの間にある静かな“信頼”が、ゆっくりと包み込んでいた。
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