システマティックな少女と一般サラリーマンな俺

伊駒辰葉

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三章

走り出す

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 昨日までの天気はどうしたんだってくらい、その日は朝から酷い雨になった。一本きりしかない傘をさして睦月と一緒にマンションを出る。

 結局、睦月は俺の問いには答えなかった。だが俺はもう一度同じ質問を繰り返す気にはならなかった。前の日と同じように他愛ない話をしながらチェスをしていても、俺の頭からあの睦月の悲しそうな微笑みは消えなかった。

 で、朝起きて俺は何事もなかったような態度を通し続けた。んで、朝飯もろくに食う暇がなくて俺は慌ただしくスーツを着た。睦月は昨日のワンピースだ。あ、ちゃんと洗ったんだからな。洗濯しても平気な生地で助かったよ、ほんと。

 最寄駅まで歩いただけで俺たちは半身が濡れちまった。さすがに一本の傘に二人はきつかったな。でもまあ、俺は上着を脱げば済むことだしな。睦月は可哀想だったが仕方ないだろう。

 俺は開発部長に言われた通りに会社について真っ先に四十二階に向かった。指定された時間は始業時間より大分早い。睦月を人の目に晒さないようにっていう開発部長の配慮なんだろ。おかげで朝飯は食いはぐれたが。

 エレベーターの扉が開く。そこで俺は目を見張った。扉の向こうに何故か時雨が立っていたのだ。俺は慌てて持ってた紙袋を探って時雨の分の服を出した。時雨の奴、何で裸のまんまで突っ立ってんだよ! ほら、ちゃんと着ろよと俺が差し出した服を時雨は受け取らない。苛立ちにも似た物を覚えて俺は顔をしかめた。

「服は必要ないだろう」

 不意に横から声が聞こえてくる。ぎくりと肩を竦めた俺は声のした方を向いた。左に大きく折れた廊下の向こうから開発部長が歩いてくる。驚きに言葉を失ってた俺は慌てて挨拶した。おはよう、と笑顔で答えた開発部長が俺の横に立つ睦月をまじまじと見つめる。

 開発部長に促されて俺は睦月と時雨と共に調整室に向かった。俺も一応はカードを譲り受けたけどな。今日は開発部長のカードで俺を通してくれているらしい。俺の少し先を進む開発部長が時折、左右に軽く手を振る。その手に握られているのは名刺ホルダーだ。何度も勝亦にここに連れてきてもらったおかげで、俺もすっかりポイントの位置を覚えちまったな。右、左、左、と俺は無意識に廊下の壁を見た。おお、俺の記憶力もなかなか。俺が視線を動かすのとぴったり同じタイミングで開発部長はカードの入った名刺ホルダーを壁にかざしてる。

 調整室に入って真っ先に開発部長は二人を並べて椅子に座らせた。何をするんだろう。俺は緊張しながら二人の様子を見守った。だが睦月も時雨も特に何かをする訳でもない。じっと座ってるだけだ。

 ゆらりと時雨が立ち上がったのは二人が腰掛けて五分も経たない頃だった。ケースに戻すのだろう。時雨と一緒に開発部長がドアの向こうへと消える。俺は声をかけられず黙って二人が出て行くのを見送った。

 多分、俺は賭けに負けたのだろう。それは結果を聞く前から判っていた。椅子に一人残った睦月を俺はしばし見つめた。人になりたくないのか。もう一度睦月に訊ねてみたかった。

「あのさ。今の、何だったんだ?」

 だがあの悲しそうな笑みを思い出すとどうしても訊けない。俺の口から出たのは全く違う話だった。睦月が真っ直ぐに俺を見つめて言う。

「TypeBにデータをコピーしました」
「え? インターフェイスなしで?」

 驚いた俺は目を見張って睦月を見つめ、次いで硝子窓に駆け寄って青い液体の満ちたフロアを見た。開発部長に連れられた時雨がケースに足を踏み入れる。ケース内に満ちた青い液体の中に沈んでいく時雨の様を俺は呆然と見ていた。

 2wayタイプのシステマは、互いでデータのやり取りをする際にはインターフェイスを用いる必要はないのだという。それがこのRC1の利点なのだと睦月は淡々と語った。確かにリリースされた方のRC2は二台の間でデータ送信する際にもインターフェイスが必要になる。だがインターフェイス自体を外すことの方が稀なため、客に意識させるようなことはないだろう。

 二台で一台の意味が初めて判った気がした。俺は力なく笑って窓の外を見つめた。時雨はもうケースに戻ってしまっている。ケースの蓋を閉じた開発部長が歩き出す。

「さて、ではスキャンしてみよう。賭けの勝敗を確かめねばな」

 戻ってきた開発部長が呑気に言う。俺は一対のインターフェイスを取り上げた開発部長に軽く頭を下げた。

「いえ、俺の負けだって判ってますから。それじゃ、失礼します」

 早口でまくし立てて俺は開発部長の顔も見ずに歩き出した。

 賭けの内容は酷く単純だった。睦月を人にすること。それだけだ。だが俺はどうしても賭けに勝った気がしなかった。俺がもしも賭けに勝ったら開発部長は睦月をくれると約束していたのだ。睦月だけじゃない。時雨も一緒にだ。だが多分、このおっさんは俺が賭けに負けると最初から判っていたに違いない。そして俺はこの通り、負けた屈辱を味わってるって訳だ。畜生。

 苛々しながらカードの入った財布をガードのポイントにかざす。廊下を足早に過ぎた俺は一人でエレベーターに乗ってオフィスに向かった。ばかばかしい話だよな。最初から負けるって判ってりゃ、俺だって賭けなんぞに乗らなかったのに。そこまで考えてから俺は自分の考えに首を捻った。本当にそうかな。そんな疑念がわく。

 負けると判ってたら最初から勝負なんてするはずがない。そうに決まってる。心の中を行過ぎた妙な疑問を払って俺は頷いた。そう、きっとどうかしてたんだな、俺は。そう心の中で言いつつ俺はオフィスに入った。机についてため息をついたところで誰かが俺を鋭い声で呼ぶ。

「能戸! ちょっと来い!」

 俺は剣幕に仰天して慌てて立ち上がった。そろそろ始業時間ということもあってオフィスには続々と人が入ってくる。その中の一人、長根所長が呼んでいるのだ。俺は嫌な気分になりつつも大人しく所長に言われるままにフロアの奥に向かった。所長が乱暴に応接室のドアを開ける。どうやら本格的に俺を絞るつもりらしい。

「荒れてるなあ、所長。何をやったんだ?」

 通りかかった中條先輩が呆れたように俺を見る。俺はため息をついて首を横に振った。

「知らないっすよ」

 俺だって訊きたいくらいだ。その意味をこめて機嫌悪く答えてから俺は所長が待ち構えている応接室に入った。一応、秘密保持のためにこの部屋の声は外には漏れない設計にはなってる……んだが、さすがに全力で怒鳴ると聞こえるんじゃないかな。だが俺のそんな心配を余所に所長がいきなり俺を怒鳴りつけた。

「この馬鹿め! お前、自分が一体なにをしたか判っているのか!?」

 判らんすよ。思わず俺は素でそう答えそうになった。おっと我慢、我慢。ここで言い返したところでろくなことにならないからな。

 所長の怒鳴り声を聞いているうちに俺の顔は強張った。どうも所長は俺が睦月を会社から連れ出したことについて怒っているらしい。こいつ、どこからそんなことを聞きやがった。怒りに近いものを覚えた俺の耳にそれ以降の所長の言葉は全く入らなかった。はいはい、すみませんね。要するに全部俺が悪いって結論にしちまうんだろうが。何でもかんでもこっちに押し付けやがってよ。八つ当たりじゃねえって保証、あんのかよ。

 そもそも、睦月を賭けの対象にして俺に連れ出させたのは開発部長だろうが。そう俺が思ったところでタイミングよく所長が喚いた。

「よりにもよって営業の人間が開発の人間と癒着してどうする!」
「はあ?」

 癒着ってなんだよ。俺は思わず相手が上司ということも忘れて荒い声を返した。しまったと口を押さえた俺を所長が呆れたように見る。所長は俺が言い返すとは思ってなかったんだろう。しばらくばかにしたように俺を見てから鼻で笑いやがった。……このやろう。

「まさか気付いとらんのか、お前は」
「だから何がっすか」

 このおっさんの性格もいいかげんどうにかなんないかな。変なところでもったいぶる癖をどうにかしろよ。むかつく上に苛々するんだよっ。

「開発部の部長は人事部長と繋がっとるんだ」
「は?」

 俺の口から飛び出した声は今度はえらく間が抜けていた。座れ、と仏頂面で言ってから所長がどかん、とソファに腰掛ける。俺は恐る恐る所長の前に回ってソファに腰を下ろした。喉が痛いと文句を言いながら所長がネクタイを緩める。そんなもん、俺が知ったことかよ。好き放題怒鳴ってたのはあんただろが。

 俺を怒ることにも飽きたのか所長はさっきまでとは違い、ごく普通の口調で説明した。どうやら開発部長と人事部長が繋がってるってのは、本社では割と有名な話らしい。知らないのはお前くらいだ、なんて嫌な言葉まで所長の口から飛び出す。くそ、あんたは説明してるのか、厭味を言ってるのかどっちなんだ。

 営業たる者、情報収集も仕事のうちと思え。苦い顔で言って所長がため息をつく。つまり何か。知らなかった俺の方がおかしいと言いたいのか。無意識のうちに顔に出てたんだろうな。黙ってた俺を見ながら所長が、この程度のことは知ってて当然なんだと言いやがる。くそ、人の表情を読むのだけは上手いんだよ、このおっさんは。だから俺への説教もいつも長引くわけで。

 いや、今はそんなことはいいんだ。開発部長の奴、どうやら俺を最初から嵌める気でいたらしい。所長はそう説明してやれやれとため息をついた。

「だから中條に言ったのに」
「中條先輩?」

 何でここで中條先輩の名前が出てくるんだよ。俺は表情を作るのをやめて訝りに眉を寄せた。顔をしかめた俺を見ながら所長がまたため息をつく。

「能戸。中條がボランティアでお前に忠告しとったと思うのか」

 こら待て、おっさん。俺は本気で不快感に顔を歪めた。てめえ、中條先輩は関係ねえだろうが。……って、ちょっと待てよ。忠告?

 少しの間、俺の頭の中は完全に真っ白になっちまった。その間も所長は容赦なく喋り続けやがった。所長曰く、中條先輩は忙しいのにわざわざ時間を空けて俺に合わせていたんだそうだ。

「お前は私の言うことを本当に聞かんだろ? だからお前のことは中條に頼んである」
「待て……いや、ちょっと待ってください」

 混乱する頭を押さえて俺は呻き混じりに所長に制止の声をかけた。つまり何か? 中條先輩は仕事仲間として俺に声をかけた訳じゃないってのか。要するに所長に言われたから忠告したりだの、俺を飲みに誘ったりだのしてたってんだな。ふざけんなよ。

「そんな訳ないだろ。あの人は本当にいい人で」

 思わず素に戻って言った俺を所長が睨む。

「……いいかげんにしろ。能戸、ここは学校じゃない。仲のいい友達とつるんで遊んどるんじゃないんだぞ」

 仕事だ、仕事。そう言って所長が腕組みをする。

「中條がどうして成績がいいか、能戸は知らんだろう」
「いい人だからでしょ」

 ため息混じりに問い掛けられて俺はそう即答した。すると所長が疲れたように肩を落とす。怒りに煮えた俺の頭はゆっくりとだが落ち着きを取り戻しつつあった。考えれば単純な話なんだよ。中條先輩のいい人加減に客はほだされて増えるって訳だ。だがそんな俺の考えを読んだのか、所長は力なく首を横に振った。

「違う。奴はうちの所内で一番のプロだからだ。仕事に対する考え方がお前とは全く違う。私らの仕事は平然と他社を踏みにじることが出来る強さがなけりゃやっとれんのだ」

 そうでないとあんな風にトップにはなれん。所長はしかめっ面でそう説明した。……おい、ちょっと待てよ。じゃあ何か。中條先輩は冷徹だって言いたいのか。そんなもん、信じられるはずがねえだろうが!

「中條は上に行くだろうな。私をすぐに追い越すだろう。春の異動で昇進しなかったのが不思議なくらいだ」

 俺の憤りは所長の少し小さな声で紡がれた言葉にかき消された。反射的に言い返そうとしていた俺の言葉が喉の奥で凍りつく。もしかして俺はこれまで随分と勘違いをしてきたんじゃないのか。そんな不安が胸を過ぎる。

「能戸。この仕事が本当に好きじゃないなら辞めた方がいい。クライアントはお前のことを気に入っとるようだが」
「ちょっと待ってください。クライアントが……何っすか」

 聞き逃しそうになった単語を微かに耳で捉えて俺は慌てて聞き返した。所長は自分の言葉を遮られたことには大して腹も立てなかったらしい。改めて説明し始める。

「気付いとらんだろうが、能戸はシステマを見る目が優れとるんだよ。自社他社問わず、お前はシステマを客の目から評価しとるんだ」

 それは営業としてだけではなく、システマに関わる仕事につく者なら誰もが欲しがるスキルだ。そう所長は付け足した。今度はおべっかかよ。そう疑った俺を所長がしかめ面で見る。あ、顔に出てたのか。疑り深い奴めって所長に先に言われちまった。

 なまじシステマに深く関わるとその目は失われるのだという。いや、そんなこと言われても困るんだが。それにあんた、その前に俺に仕事辞めろとか言わなかったか?

 一度に色んな情報を与えられたことで俺の頭は混乱していた。人間関係はきっちり把握しておけ。確か勝亦の奴にも言われたことがあるな。そうか。俺はこれまで随分と勘違いしてたってことか。あれ? それじゃあ。

「……所長は憎たらしいから俺のこと怒ってたんじゃねえの?」

 思わず敬語使うのも忘れて俺はそう訊ねた。すると所長がしかめ面でばかもん、と言う。

「営業成績がふるわんのはいかんな。業務態度がなっとらんのもまずいな。だが私怨で怒ったことはない。私はそういうのが大嫌いなんだ」

 えらい早口で所長が言う。もしかして……俺の勘違いじゃなかったらこのおっさん、照れてないか? いや、俺だって所長にこんなことを言われるのは不気味だと思う。だって聞きようによっては俺のことを心配して怒った風に取れるんだもんよ。これまで一ミリたりとも誉めたことがないこの所長がだぞ? 俺を誉めてるっていうか、庇うっていうか、そういう発言するってだけで気恥ずかしいだろが。一番恥ずかしいのは気付いてなかった俺だがな。畜生っ。

 ああ、くそ。要するに俺の勘違いってことか。そう納得して俺は深々とため息をついた。確かに社内の人間関係なんて調べたことなかったし、気にしたこともなかった。となると、だ。所長の言葉を信じるならあの開発部長ってのが俺を嵌めたってことだよな。でも俺は単に賭けに負けたってことに……あ。

 まさかと思うが……。

「俺、もしかして泥棒扱いされてたり?」

 嫌な予感を覚えながら俺は恐る恐る所長に訊ねた。大体、この手の予感ってのは嫌な時しか当たらないもんなんだよな。所長が重いため息をついて言う。

「今ごろ気付いたか、ばかもん。本当に能戸は私の話を聞いとらんな」

 やっぱりですか。そうですか。半ば諦め気分で俺は納得した。だが俺を泥棒に仕立てたところで得することなんてあるか? 個人的な恨みでもあるならともかく、俺は開発部長に何かした覚えはないし、第一あのおっさんとまともに顔を合わせたのは会議の時が最初で。

 考え続けていた俺は不意に胸ポケットの中で振動した電話にびくりとなった。うわ、焦った。いきなり電話が入ると思わなかった。何気なく携帯電話を取り出したところで俺は硬直した。電話機の表面にある小さな液晶画面には勝亦の名前が表示されている。……タイムリーなやつ。

 ちょっといいっすか、と所長に断って俺は通話ボタンを押した。耳にあてがうとすぐに勝亦の声がする。

『一度しか言わないからよく聞いてくれ。例のシステマの処分が急遽決まった』

 いつもより随分と低い声で勝亦が言う。俺は息を飲んで目を見張った。何で、という俺の言葉にだが勝亦は答えない。

『部長の足止めはした。だがもって十五分ほどだ』

 おいおい、ちょっと待てよ! どいつもこいつも、何で俺を無視して勝手なことしてやがるんだよ! っていうか、勝亦! てめえ、どういうつもりだ! ……そんな俺の文句は悉く勝亦に無視された。このやろう。喧嘩売ってんのか?

『他の社に引き渡すくらいなら能戸にやった方がましだ。欲しければくれてやる』

「くれてやるったってお前」

 それっきり電話は切れてしまった。いきなり切られた電話を見つめ、俺は呆然となった。な、何が起こってるんだ? よく判らんが、なんかとんでもないことになってないか? 上司の足止めって何だよそれ。他社に引渡しって何なんだよ。

「友達か?」

 うわ、全部お見通しかよ。所長に言われて俺は思わず素直に頷いちまった。やれやれ、と所長が呟いて立ち上がる。何をするのかと思ったら、所長はドアを開けてオフィスに声を飛ばした。げ! 何だってここで中條先輩を呼びつけるかな、おっさん!

「何ですか?」

 いつものように人好きのする笑みを浮かべて中條先輩が応接室に入ってくる。それから中條先輩はちらっと俺を見た。そこで困ったように笑ってため息をつく。

「もしかしてオレが性悪なの、ばれた?」

 あけすけに言って笑う中條先輩を俺はばかみたいに唖然と口を開けて見つめた。いいから、と所長が中條先輩に手招きをする。ドアのところに突っ立ってた中條先輩は所長の言う通り応接セットに寄り、俺を見て笑って言った。

「あんまり人を見かけで判断しない方がいいぞ。そんなだから能戸はオレみたいのに利用されるんだよ」
「利用って」

 言われている意味が判らない。力なく言い返した俺に中條先輩はまあまあ、と手を振って所長に向き直った。

「それで? 用件は何です?」
「ちょっと能戸に手を貸してやってくれんか。どのみち、私の力だけでは事態は収拾出来んだろう」

 ……あの。話がいきなり深刻になってないですか。というか、俺、くび確定なのか!? 俺は断じて盗みなんぞしてねえ!

 憤る俺とは対照的に中條先輩はあっさりと言った。

「オレにメリットないじゃないですか、それ」
「だから私が頭を下げとる」
「所長も甘いですよねえ。まあ、貸しにしておきますか」

 余りにも意外なやり取りをする二人を俺は交互に見つめた。感じていた怒りが鎮まってしまうほど驚いた。うわ。所長、本当に中條先輩に頭下げてるし。立場が逆じゃないのかそれは。というか、所長が人に頭を下げてるの、初めて見たぞ。

「状況を端的に説明しろ。オレも暇じゃないんだ」

 今度は一転して冷ややかに中條先輩が俺に言う。うわ、性格がいつもと違わないか? でももしかしたらこっちが地なんじゃあ……。

「早くしろ」
「あっ、は、はい!」

 反射的にそう返答して俺は自分が置かれた状況と、勝亦に知らされたことを中條先輩に告げた。

「ふうん。RC1を他社との取引材料にするつもりか。あの人もなかなか」

 とっちらかった俺の説明で全てを理解したらしい中條先輩がそう言って笑う。俺は焦って所長を見た。だが所長はしかめ面で俺に首を振ってみせる。つまりこれが中條先輩の地ってことかよ。

「ところで能戸。お前、辞めるんだよな?」

 そんなあっさり言わないでくれるかな。俺だって辞めたかねえよ。再就職するあてもねえのに放り出されてたまるかよ。そうは思ったが、残念ながら仕事を続けるのは無理だろう。事態をこのままにしておいてもどのみち俺はくびになる。内部の犯行ということで会社を追い出されるのは間違いない。事実、俺はあのカードを持っているのだ。

「事態をかき混ぜてる間に逃げるのがベストかな。あの人も警察沙汰には出来ないだろうし」

 そんなことになったらオレも困るしな。そう笑って中條先輩は自分の電話を取り出してどこかにかけ始めた。そうしながら俺に手をぞんざいに振る。い、行けってことか? ちょっと待ってくれよ。何で俺が。

「後のことは私が責任を持つ! いいから行け!」

 この時の所長の怒鳴り声は俺が聞いた中では一番迫力があった。俺は声に押されるようにして慌てて応接室を駆け出した。
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