冥府への案内人

伊駒辰葉

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四章

うだるような暑さ

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「……けっ。ばかくせー。なんでオレがそんなこといちいち指図されなきゃなんねえんだよ」

 遠くで和也の声がする。順はのろのろと身体を起こして焦点の定まらない目で周囲を見回した。いつもと変わらない自分の部屋だ。が、見える範囲に和也はいない。順は首を傾げて瞼をこすった。

 あれから大学は夏休みに入った。和也は飽きもせず毎日のように順を抱く。順は最初は和也を止めようとした。どうやら和也は順が危惧した通り、交わった後で体調を崩しているようなのだ。しかも順に悟らせないようにという気遣いからなのか、行為の最中に大抵は激しく嬲って失神させるのだから始末に負えない。

「あー? ……だからそんなこたあオレが一番判って……うっせえな。小姑かよ、てめえは」

 剣呑なせりふはまだ聞こえてくる。電話をしているらしいということはすぐに判ったが、それにしてもかなり嫌そうだ。やれやれと息を吐いて順はベッドを滑るようにして降りた。和也の柄の悪さは電話でも発揮されるらしい。

 とりあえず着替えよう。順は床に放り出されていた服を一枚ずつ取り上げた。何で和也はいつもわざわざ服を着ている時に襲い掛かってくるのだろう。どうせなら風呂上りとかなら服をいちいち脱がなくても済むのに。そんなことを思いながら順は手にした衣服を部屋の隅のかごに放り込んだ。

 汗だくでするのがいいんだよ。いつだったか和也がそう言って笑っていたことがある。夏なら夏らしく、汗をかきながら交わるのが通らしいのだが、和也のそんな趣味を未だ順は理解出来ずにいた。

「仕事仕事ってうるせえんだよ、てめえはいつも!」

 一際大きな怒鳴り声を聞きつけて順は顔をしかめた。仕事。そう呟いてため息をつく。和也は監視者の仕事に関わる誰かと電話をしているのだろうか。だがそれにしては言葉遣いが乱暴すぎる。

 衣装ケースから下着と服を取り出して身に着ける。のろのろと着替えながら順はぼんやりと思い出した。

 ホテルから戻って痛めつけられたあの日、和也はこれまでに聞いたことのない話をしてくれた。都子の愛液と同じく、順の精液には特殊な効果があるのだという。それをそのまま人の身体に入れてしまうと対象は精神を破壊されてしまうほどに危険なのだそうだ。順は初めて聞くその話に驚いたと同時に妙に納得した。

 だから女とやる時には絶対にコンドームを使え。和也はそう言った後、親切なのかお節介なのか、わざわざ真新しいコンドームを一ケースほど順に寄越した。だが生憎とこれまでそのコンドームに世話になったことはない。女性と知り合って親密になるような機会が順には全くないからだ。美恵と朝を迎えたあの日のことを思い出して順は憂鬱になった。あの時のことは未だに思い出せない。だからだろう。今もやっぱり実感はわかない。だがコンドームを使ったのなら安心なのだろう。少なくとも美恵の様子がおかしくなったという話は聞いていない。

 順は和也の話を聞いた後、資料室でそのデータを探ろうとした。自分の精液にそんな力があるのかどうか調べたかったのだ。が、どうやらそういった情報は最重要機密に指定されているらしく、引き出すことは出来なかった。もしかしたらメインフレームにすら入っていない情報なのかも知れない。

 ちなみに和也が持っている都子の愛液入りジェルは研究施設から黙って失敬したものらしい。その話を思い出した順はため息をつきながら着替えの手を止めた。何気なく傍にあった姿見を覗く。

 一見しただけでも判るほど、以前と比べると顔色は良くなっている。和也が出す食事をきっちり三食分とっているからなのか、身体の調子も前よりはずっといい。順はしばし鏡を見つめてから耳に手をやった。

 耳朶にはあの日以来、黒い小さなピアスが嵌っている。順は指先で確かめるようにピアスに触れた。金色の台に嵌る、黒い小さな石のように見えるものは真珠だろうか。外してみたことがないため、順にはその黒いピアスの正体が判らないままだった。何度か外そうとはしてみたのだが、どうしても外れないのだ。

 外すなよ、という和也の言葉を思い出す。それと共に順はあの日の痛みを思い出して身震いした。

「うるっせえ! もうかけてくんな!」

 和也の怒鳴り声が聞こえたかと思うと、けたたましい音が響く。どうやら憤りに任せて受話器を電話の本体に叩きつけたようだ。壊れてなきゃいいけど。そう呟きながら順は中途半端になっていたシャツのボタンをきっちりと留めた。

 静かにドアを開けて部屋を出る。順が思った通り、和也は廊下で電話を睨んでふて腐れていた。

「……ほら。用意しなくていいのか? 今日は大学に行くんだろう?」

 何の用かは知らないが。そう付け足して順は腕組みをして和也を睨んだ。

「あー。そうだった。わりい」

 それまでの怒りが嘘のように和也がころりと態度を変える。にやにやと笑って部屋に引っ込む和也に順は呆れた眼差しを向けた。また何か企んでるな。そう内心で呟く。

 週に三度ほど和也は夕方から夜にかけて家を空ける。どこに行っているのか訊ねても和也は曖昧に言葉を濁すだけで答えたことがないのだ。答えないことに腹を立ててさらに問い詰めようとすると、和也は順を必ず抱きにかかる。おかげで今日までずっと家を空ける理由も聞けないままだ。

 が、今日は珍しく和也が自分からその場所に連れて行ってくれるという。順は廊下で和也を待ちながら妙に心が躍るのを感じていた。

「おまたへー。……ん? 何だ、その顔は」
「何だ、それは」

 順は呆れ顔で和也が担いでいるものを指差した。和也が順の指差したものを見てにやりと嗤う。

「ギターだよ。見りゃ判るだろ」

 そう言って和也が立ち止まっていた順の肩を強く押す。順は仕方なく廊下を進んだ。
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