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緑静けき鐘は鳴る【上】
1.桃ノ染
しおりを挟む【緑静けき鐘は鳴る】
カフカの『変身』は、ミステリではない。
でも、文芸かと言われると、そうでもないと根耒生祈は思っている。
どこか、自分自身の記録のような気がしていた。
この映像。
やり方をどうすればいいのかと、二人で「見る」ために見ている。
ある種の勉強かもしれない。
実際には、映像のようにはならない。
生祈はぎゅっと眼を閉じている。大抵。
そして、今回は眼を開けてみた。
彼氏の楓大の顔が眼の前にあって、その顔は、生祈にとっては「印象に残る」表情だった。
*
体目的とは、よく言ったもので。
その言葉が出ると、生祈の周りの子はあからさまに嫌悪を示す。
女子校だから、だろうか。
メディアでは、その『体』の『暗い面』ばかりが取沙汰されるため、だろうか。
ステレオタイプな『嫌悪』が、男性という記号に対して作られていって、それを信じる周りの子が男性不信になる。
何かを得る前に、ステレオタイプに身を委ねていく。
男性は、女性も、記号ではないし、楓大も記号ではない。
肉体がある。生身の人間だ。
汚れを嫌悪する子もいる。実際、汚れないでいられることなど、あるのか。
新聞記事は随分黄ばんでしまった。切り抜き。
廃墟研究会で紹介した記事を、貼り付けているノート。
特に生祈の気になった記事が、一番黄ばみが激しい。
日当たりの問題か。
生祈の通う桃ノ染学院高等学校には、棟がいくつかある。
体育館へ向かうことの出来る、渡り廊下が貫いているのは三棟。
そのうちの二棟目に、図書館へ続く階段がある。だが、今は図書館が問題なのではなくて、図書館へ続く階段下のトイレ脇、その十五畳ほどのスペース。それが生祈の脚の向く場所である。
各部活が適当に押し込められているような、『部活専用スペース』と称される場所。いくつかある部活のうち、『廃墟研究会』は、ボードと本棚に仕切られ、窓際に陣取っている。
日当たりはとても良い。夏はカンカン、冬はまあ、それなりに。
窓から見える景色も楽しい。
その分、保管している本棚の本は、傷むのが早い。
中高一貫の桃ノ染では、生徒内序列というのは派手か地味かの二極化状態だ。
校則があっても守らない生徒は『派手』の部類。だが大抵は『派手』でも、校則の範囲内で馴らしている場合が多い。
校則をはみ出る『派手』はごく一部。
しかし彼氏の存在というのは、序列の有無を関係なくしてしまう、いわばステータスだった。
校則をはみ出る『派手』かつ、何故か恋愛経験に長ける沢田彩舞音と、生祈はこれまた、何故か親友だ。
楓大と別れた生祈は、何か物足りない上に、どちらかというと地味なのだが。
黄ばんだ新聞記事の写真。
荒野に佇む廃墟のビル。まさに廃墟研究会にはうってつけの写真と言える。
廃墟マニア向けに、いろんな風変りな品物を取り揃えている雑貨店では、所謂『廃墟本』、世界各地の廃墟の写真を収めた写真集なんかが売っているので、それに魅せられる女子たちが集まるのが、廃墟研究会入部動機のテンプレだ。
生祈は、テンプレではなく『なんとなく』で入部した。
荒野と言っても実際には荒野ではない。
開発途中か、あるいは放棄されて剥き出しになった赤土が延々続く土地。
美野川という金持ちが所有する土地らしい。
写真のビルは大きく撓み、鉄骨が剥き出しになっている。
中央から折れ曲がったビルが、もう一つのビルへ寄りかかるようになっている。災害後のような。そのもう一つのビルの屋上に、二人の人影。
人影は、生祈たちの間で話題になっていた。
崩壊寸前のビルの屋上。彼らはどうなったのだろう?
ということで研究会は、野次馬会になった。
桃ノ染では何かの鬱屈とした感情、思春期ゆえのフラストレーションか、それを『死』に繋げてみて面白がるのが横行していた。
生祈自身はそこまででもないが、影響を受けてしまうことにはなるのだろう。
彩舞音は「死んだんじゃない?」と言った。他の部員も同調する。
ビルと言えば爆破。
ハリウッド映画の見過ぎか、屋上の二人はビルを爆破するために送り込まれた突破要員だ! なんていう部員もいた。
言い方は悪いけれど、特攻隊だ、という意見も。
いずれにしてもこのビル、二つのビルは今、もうない。
生祈が思ったのは、「写真を撮る前に誰か、なんとか、二人に手を貸せなかったのか」ということ。
屋上から降りる。それが第一。
彩舞音は廃墟研究会ではないが、生祈が部員だからか、彼女も部員のように部室に入り浸っている。
中学三年生の時は黒髪だったが、高校生になった途端、髪にものすごく拘り始めた。
カラーリングも髪型もころころ変わる。バイトもしている。
新聞記事の写真の二人を巡って議論が展開した時は、内側の髪の毛が緑色の『インナーカラー』だった。
生祈は髪を染めていない。
染めなくても別に困らない。ただ、外側が黒で内側が緑という彩舞音の髪の毛を見ると、「かっこいいな~」なんて思うのだった。
*
そんな彩舞音のインナーカラーが、退色して外側が黒、内側がグレーになった頃。昨年十月。
廃墟研究会が野次馬会に変貌したきっかけの新聞記事が出て、少し経った、あたり。と、生祈は記憶している。
スマホ片手にバタバタと彩舞音は生祈の席へやって来て、画面を生祈の顔へ押し付けた。
「ちょ、ちょっとなに……!?」
「まただって。慈満寺。人が、人がね!」
怯えるような、それでいて好奇心に満ち溢れているような、光を取り入れて茶色く色づいた瞳を生祈に向ける彩舞音。
まただ。そう、死にネタ。
桃ノ染に巣食った病巣のような。
彩舞音はもちろん、それに侵されているわけではないだろう。
ただ、慈満寺とやらに興味があるのは間違いなかったし、人が死んでしまったことへの興味という、悪意のない興味を持っているのも間違いはなかった。
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