推測と繋ぎし黒は

貳方オロア

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  緑静けき鐘は鳴る【上】

6.朝比

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スーツの彼は眼をぱちくりしてばかりいられないとばかり、苦笑する。

「はじめまして」

にこやかに言った。

朝比あさひと言います。ああ、詳しくはこちらに」



小さい紙片を取り出して、彼はテーブルへ載せた。
紙片ってことは、名刺? と生祈うぶきは思った。
何故か裏を上にして置いている。
彩舞音あまねがそれを取って、眺めているのだが眉をしかめていることからして、漢字が難しいのかもしれない。
だが紙片を眺める前に一言、

「そ、葬儀屋さん?」

と彩舞音は言っていたので、彼はまた眼をぱちくりやっていた。
一度、視線を落とす。

「分かりますか?」

「お、大月住職と一緒にいたから……」

そう言ってから、彩舞音は名刺を眺めたのだ。



生祈は我に返って言った。

「なんで勝手に見ているんですか、ぱ、パンフレット!」

朝比は生祈を見て眼をぱちくりやった。

慈満寺じみつじのこと、お好きなんですね。特に、レジの方がお詳しいようでしたから」





どうやら、友葉ともは先輩の声は、どこかの席に座っていたであろうこの朝比氏、その彼の耳にも届いていたらしい。と生祈は思った。
彩舞音は葬儀屋と言ったけれど、確かに彼は僧侶という感じがしない。
浅黒い肌。そして、眼の色が灰色、黒灰色?
頭を刈っている。僧侶の丸刈りとは違う。人工的な肌の色でもない。それは生祈にも分かった。

友葉先輩の眼の色は不思議な色だが、この人のもそうだ。と生祈は思った。
大月住職のように厳つい感じはしないが、かといって弱々しい感じもしない。





「あの、どこかでお会いしましたっけ……」

生祈は言った。朝比はかぶりを振る。

「はじめましてと言ったでしょう」

生祈は赤くなった。だが、見覚えがあった気がしたのだ。
彩舞音は漢字を諦めたのか、名刺をテーブルに置いた、かぶりを振って。

「大月住職と、どういうご関係なんですか」

彩舞音はぎこちなく、敬語を使う。

「出張葬儀ですか」

「正解です。いろいろ、御存知のようですね」

「そりゃあ、だってこのパンフレットみたら分かるでしょう!」

いや、分からない!
と生祈は突っ込んだ、心の中で。

「大月住職と円山まるやまさんと出張葬儀に行った、帰りでしてね。慈満寺のキャンペーンのことは、御存知ですか?」

「知っています、も、もちろん!」

すかさず生祈が言った。

「では、人が亡くなっていることも?」

言われて生祈と彩舞音は顔を見合わせる。

「僕も、気になっているんですよ。では」

言うなり朝比は立ち上がって、会釈した。

「地下全体が映っていれば、見所があったかもしれません」

「ちょ、ちょっと待って」

と生祈は言ったが、朝比は去っていった。
レインコートは黒だった。











いきなり来て、いきなり去る。
生と死のようだ、まるで。とか詩的なことを考えているのは自分らしくないなあと生祈は思う。
葬儀屋か……。



あれ、私、ウトウトしている?
外が妙に明るい。六時。午前!? 生祈は跳ねた。次の日になっている。
慈満寺に行くのだ、今日は。寝すぎた。
何も食べずに十二時間睡眠。新記録だったが、きっと沢山連絡が入っているに違いない。



「のひる駅前、ゴマ像のところ、午後二時。遅れたら罰金」

友葉ともはからだ。
時間はたっぷりあるので、生祈は少し呼吸を整えた。




楓大そうたは大学生で、生祈は高校生だ。
お互いに好きではあった。楓大は恋愛に奥手のタイプだし、気の多い方でもない。

しかし、好きだけでも。
『将来』のことを考えたときに、どうなのだろうという考えが、楓大にはあったらしい。
生祈は否定できなかった、家庭不和のことを楓大は気になっていたのだろうと。
それは仕方のないことだと、生祈も思っていた。
恋愛は、なるべく懸念の少ない方がいいのだ。



『しっかりしたい』と彩舞音に打ち明けた生祈の気持ちは本心だった。
一緒にいたいと思ったのも本心。

『恋愛成就』へひた走る彩舞音にあやかりたいという気持ちも、なくはなかった。
別れた今、どうすれば良いのかも、よく分からないけれど。





さて、何か食べよう。
ドアを開けた、誰の気配もない。
生祈は冷蔵庫を開けたが、何か作れる量ではない。
慌てて靴を履いた。





友葉から連絡のあった、ゴマ像というのは『ゴマフアザラシ』の像のことである。
のひる駅にあるアイドル的マスコット、成分は花崗岩、おそらく子供のゴマフアザラシ、白くて丸々しているやつである。
のひる駅の正確な読みは、『野昼やちゅう』。



生祈はコンビニまで自転車を走らせたあと、停留所からバスに乗った。
といっても、午後に、だ。
自転車を走らせたのは飛び起きてすぐで、前日の雨が随分と残っていた。



寺へ向かうとは言っても、最低限身だしなみは整えたかったので、シャワーを浴びて、食べたり着替えたりしてから、家を出た。

彩舞音に一報を入れた、バスの中で。
『楓大と別れた』と。
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