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緑静けき鐘は鳴る【下】
1.展示
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冷湿布はすでに温かった。
七月。太陽の高い時刻。湿布を取る。
染ヶ山という山が高低差を作っているからか、気温は丁度良い。だが夏は暑い。
冷たい緑茶を改めて購入した。
既に生祈は、駅で円山から手渡された飲み物を飲み干してしまったから。
大学病院を出て、生祈と麗慈、采と円山は博物館に向かっている。
楓大からも連絡が来た。生祈はしばしばスマホに向かう。
ただ、慈満寺の巫女のバイトのシフトが分からないということにも気付く。
シフトが大丈夫であれば、明後日会おうということになった。
幸いなことに、日曜日だ。
生祈にとっては目まぐるしい状態。
朝比にも連絡を入れておいた。
堂賀さんは『一緒になればいい』と言ったけれど、そして実際楓大に会えたけれど、日曜日に会うとすれば、どうすればいい?
今は『付き合いはじめ』ではない。別れた直後だ。
楓大は普通に会ってくれた。どうなのだろう。
次に会うとすれば……。
生祈には、そのへんが悩ましかった。
スマホに向かいながら、いつの間にか博物館前に来ていた。
「生祈ちゃん、顔赤いよ」
麗慈が言った。
『生祈ちゃんの部屋に香炉を置いたままでしたね。日曜日の件、分かりました。いろいろ話しましょうか』
朝比からも返信がくる。
三葉虫、デボン紀、アノマロカリス。
なんだか白くて真っ直ぐした生き物の模型がある。
海、陸、樹木が多くなってくる。始祖鳥。
麗慈は興奮している、特に恐竜の骨に。
食堂もあり、親子連れにはうってつけの博物館だ。
というのが、生祈の見た印象だ。
なんだか、私の抱いていたイメージとは全然違うなあ。
大学併設だからかな? 『楽しい』がはみ出している感じがする。
なら、麗慈くんとカナさんが待つ間、とても良いはず。
と、生祈は思った。
麗慈がそのエリアから動かなかったので、采と麗慈は残った。
生祈と円山は奥へ向かう。
土偶などがあるエリアが目的だ。
大航海時代を思わせるような船の模型。
黄金だったであろうベルトや首飾り、バックルなど。
陶磁器の神々しい壺。
移動するにつれ、生祈は居心地悪く感じた。
歴史を時系列で憶えていれば、こうした展示物に想いを馳せることが出来たかもしれない。だが、それよりもどんどん自分が『曰くつき』に近づいて行っている気がする。
生祈とは対照的に、円山は眼を輝かせている。
「慈満寺のエリアはここですか? ああ、そ、染ヶ山ですよね」
「染ヶ山で取れたものではないですからね、ここは。あっちに行ってみましょう」
銅貨、硬貨、甲冑、宝石。日本刀の鈍色が明るく光る展示。
突き当りを曲がると、数体の巨大な土偶が眼に入った。どれも壁に並行に飾られている。
愛染明王を写真で初めて見た時に感じた怖さを、生祈は感じていた。
実物も更に怖かった。
土偶には表情がない。あまり。だが、デフォルメされた顔と体のパーツが、威圧感と凄みを際立たせている気がした。
大きいなあ、怖いなあ。
生祈は呆気に取られて眺めた。
「染ヶ山の出土品のエリアは、ここですね」
にこやかに円山は言った。
土偶だけでなく、貴金属の類が多い。
今ここにある出土品は、慈満寺が博物館側に売ったものなのだろうか。
と、円山さんに訊くわけにもいかないし……。
生祈は歩き回る。
出土の年代がものすごく古いものもある。
もしかしたら、全て売買に関係しているわけではないのかもしれない。
どれも、出土したのは染ヶ山で間違いないようだけれど、慈満寺がこれらを全て所有していたのかどうかまでは、歴史とともに語られてはいない。
生祈は心細くなった。
僧侶もトイレにいくのか。と。要するに、円山が席を外したのである。
入館してから、二時間くらい経っている気がする。と生祈は思う。
始祖鳥エリアの楽しさと、土偶の不気味さが共存する場所。
そのどれにも当てはまらない、受付のあるホールで、生祈はちょこんと座って待っていた。
采と麗慈は、大人同伴でも可能かどうか、キッズスペースに確認へ行っている。
麗慈は采を『親戚の人』で押し通すことにしたらしい。
大月住職と深記子さんにも、『友達とカード大会の観戦に行く』と言って出てきたらしいからな、と生祈は思う。
夏休みの間、今までの経験上、両親は帰ってこない可能性が大。
となると、楓大を家に呼んでも、大丈夫かな……。
隣にどっかと座られる。突然。朝比だった。
「ただいま」
「い、家じゃないです!」
と生祈は言ったものの、堂賀さんは遺体を見てきたばかりなんだ。
と思って、一応
「おかえりなさい」
と返す。
「ど、どうでしたか、その」
たどたどしく尋ねる。
「葬儀を僕が担当するかどうかは、まだ分かりません。あと、ご遺族と連絡が取れるかということと、引き渡しはどうするかですね」
「その、降旗さんって、ご家族は」
朝比はかぶりを振る。
「独身だったようです。ただ、ご遺族と連絡が取れない以上、詳しいことは何も」
「大丈夫だったんですか」
朝比は眼をぱちくりやった。
「あとは任せてきました。大丈夫ですよ。体調は?」
「大丈夫です。あの、中を見て回ってきました。染ヶ山からの出土品も見て来て、でも手掛かりは何も……。田上さんとか不動産に繋がるような感じが全然なくって。田上さんのことは、書いていないの、当然なんですけれど……」
生祈は赤くなった。
「何か、出土品から、ヒントは見つかりますか? 堂賀さんはどこまで分かっているんですか」
朝比は苦笑する。
「休みながらじっくり考えるほうが、生祈ちゃんには合っている気がします。材料集めも少しずつですよ。ところで、手を加えましたか?」
「手を加えたか」と訊かれて生祈はびっくりした。
そう、確かに手を加えたのだ、髪のポイントに。今さっき。
誰にも気付かれない程度に、飾りのピンを少々。
生祈はしおしおとなった。
何か考えよう考えようとしているのに、何も大事なことが見えない。
調査もそうだが、楓大のことでは考えすぎかもしれない。大事なのはどう繋がっていくか。
『一緒になればいい』と堂賀さんも、言ってくれている。
朝比はペットボトルを出した。生祈もつられて、緑茶を出す。
飲んだ。
何故か、周りに音がなくなるような感覚になる。
土偶の不気味さも、麗慈の興奮を一身に受け止めたであろう展示、アノマロカリスや恐竜の骨も、全て通り越して、静かになる。
生祈はそんな気がした。
実際、静かだった。
静かな空間が広がる。そこに円山は戻って来ない。
朝比と生祈の二人だ。
朝比は生祈の髪のポイントに触れた。
「あたし、いろいろ考えすぎてて、やりにくいなあって思いましたか」
「所見の話をしましょうか」
生祈は苦笑する。
「いいですよ。たぶん、分からないから眠くなっちゃうかもしれません」
朝比は生祈の髪から手を放す。
「少し前に戻ります。昨年十月、慈満寺地下で溜幸雄という方が亡くなりました。彼は心臓が悪かった。そして今回、友葉さんも倒れ、生祈ちゃんが気絶した」
遺体の解剖の話をするのかと思っていたから、話題をぐっと引き戻されたように感じて、生祈の眠気のようなものは吹っ飛んだ。
「そ、そうです」
素っ頓狂な声になる。
「ええと、でも溜先生のときは、彩舞音も聴取を受けたって聞きました。そのあと普通にキャンペーンが再開されて……。ということは、その、自然死っていうことで処理されたってことですよね」
「その可能性は高いでしょうね。最初から解剖も、行わなかったのかもしれません。寺で人が死んだとしても、寺という場で故意に人を殺めようと考える人間は、そう多くないと判断したのかもしれません」
生祈は頷いた。
「昨年三月、そして昨年十月と今回、恋愛成就キャンペーンで鐘が鳴らされました。鳴らしたのは僕ではなく、慈満寺の方々。僕も打ってみましたがね。亡くなった降旗さんですが、特に心臓が悪いわけではありませんでした。臓器もそんな感じがしましたね」
「分かるんですか」
「色などで。ただ心臓からの出血は激しかった。特に心筋内です。気道、肺にも出血、眼球の結膜にも溢血点。外側から見れば、外傷はほとんど見受けられませんでした。火傷くらいでしょうか。いずれにせよ、臓器に著しい損傷があったのは間違いありません」
「じゃ、じゃあ」
「事故や自然死で処理することも出来るでしょう。ただ、所見から何らかの原因を考えたくなってしまうもので」
生祈は頷いた。
「あ、あの、もしかして薬物による何かとか……、それで臓器に損傷が」
「出血は循環器系に集中していました」
生祈はドラマで観た知識を必死に思い出す。
「や、薬物だったら、消化器系が損傷するってことになります?」
かぶりを振る。
「死因は何だったんですか?」
慌てて戻って来た円山に遮られ、話が途切れる。
慈満寺会館裏の扉、そこのセキュリティのことで呼び出しがあったらしい。
思いっきり、麗慈くんと私のせいだ。
そう生祈は思った。
朝比と生祈は采と麗慈に声を掛け、円山抜きで、外に出る。
七月。太陽の高い時刻。湿布を取る。
染ヶ山という山が高低差を作っているからか、気温は丁度良い。だが夏は暑い。
冷たい緑茶を改めて購入した。
既に生祈は、駅で円山から手渡された飲み物を飲み干してしまったから。
大学病院を出て、生祈と麗慈、采と円山は博物館に向かっている。
楓大からも連絡が来た。生祈はしばしばスマホに向かう。
ただ、慈満寺の巫女のバイトのシフトが分からないということにも気付く。
シフトが大丈夫であれば、明後日会おうということになった。
幸いなことに、日曜日だ。
生祈にとっては目まぐるしい状態。
朝比にも連絡を入れておいた。
堂賀さんは『一緒になればいい』と言ったけれど、そして実際楓大に会えたけれど、日曜日に会うとすれば、どうすればいい?
今は『付き合いはじめ』ではない。別れた直後だ。
楓大は普通に会ってくれた。どうなのだろう。
次に会うとすれば……。
生祈には、そのへんが悩ましかった。
スマホに向かいながら、いつの間にか博物館前に来ていた。
「生祈ちゃん、顔赤いよ」
麗慈が言った。
『生祈ちゃんの部屋に香炉を置いたままでしたね。日曜日の件、分かりました。いろいろ話しましょうか』
朝比からも返信がくる。
三葉虫、デボン紀、アノマロカリス。
なんだか白くて真っ直ぐした生き物の模型がある。
海、陸、樹木が多くなってくる。始祖鳥。
麗慈は興奮している、特に恐竜の骨に。
食堂もあり、親子連れにはうってつけの博物館だ。
というのが、生祈の見た印象だ。
なんだか、私の抱いていたイメージとは全然違うなあ。
大学併設だからかな? 『楽しい』がはみ出している感じがする。
なら、麗慈くんとカナさんが待つ間、とても良いはず。
と、生祈は思った。
麗慈がそのエリアから動かなかったので、采と麗慈は残った。
生祈と円山は奥へ向かう。
土偶などがあるエリアが目的だ。
大航海時代を思わせるような船の模型。
黄金だったであろうベルトや首飾り、バックルなど。
陶磁器の神々しい壺。
移動するにつれ、生祈は居心地悪く感じた。
歴史を時系列で憶えていれば、こうした展示物に想いを馳せることが出来たかもしれない。だが、それよりもどんどん自分が『曰くつき』に近づいて行っている気がする。
生祈とは対照的に、円山は眼を輝かせている。
「慈満寺のエリアはここですか? ああ、そ、染ヶ山ですよね」
「染ヶ山で取れたものではないですからね、ここは。あっちに行ってみましょう」
銅貨、硬貨、甲冑、宝石。日本刀の鈍色が明るく光る展示。
突き当りを曲がると、数体の巨大な土偶が眼に入った。どれも壁に並行に飾られている。
愛染明王を写真で初めて見た時に感じた怖さを、生祈は感じていた。
実物も更に怖かった。
土偶には表情がない。あまり。だが、デフォルメされた顔と体のパーツが、威圧感と凄みを際立たせている気がした。
大きいなあ、怖いなあ。
生祈は呆気に取られて眺めた。
「染ヶ山の出土品のエリアは、ここですね」
にこやかに円山は言った。
土偶だけでなく、貴金属の類が多い。
今ここにある出土品は、慈満寺が博物館側に売ったものなのだろうか。
と、円山さんに訊くわけにもいかないし……。
生祈は歩き回る。
出土の年代がものすごく古いものもある。
もしかしたら、全て売買に関係しているわけではないのかもしれない。
どれも、出土したのは染ヶ山で間違いないようだけれど、慈満寺がこれらを全て所有していたのかどうかまでは、歴史とともに語られてはいない。
生祈は心細くなった。
僧侶もトイレにいくのか。と。要するに、円山が席を外したのである。
入館してから、二時間くらい経っている気がする。と生祈は思う。
始祖鳥エリアの楽しさと、土偶の不気味さが共存する場所。
そのどれにも当てはまらない、受付のあるホールで、生祈はちょこんと座って待っていた。
采と麗慈は、大人同伴でも可能かどうか、キッズスペースに確認へ行っている。
麗慈は采を『親戚の人』で押し通すことにしたらしい。
大月住職と深記子さんにも、『友達とカード大会の観戦に行く』と言って出てきたらしいからな、と生祈は思う。
夏休みの間、今までの経験上、両親は帰ってこない可能性が大。
となると、楓大を家に呼んでも、大丈夫かな……。
隣にどっかと座られる。突然。朝比だった。
「ただいま」
「い、家じゃないです!」
と生祈は言ったものの、堂賀さんは遺体を見てきたばかりなんだ。
と思って、一応
「おかえりなさい」
と返す。
「ど、どうでしたか、その」
たどたどしく尋ねる。
「葬儀を僕が担当するかどうかは、まだ分かりません。あと、ご遺族と連絡が取れるかということと、引き渡しはどうするかですね」
「その、降旗さんって、ご家族は」
朝比はかぶりを振る。
「独身だったようです。ただ、ご遺族と連絡が取れない以上、詳しいことは何も」
「大丈夫だったんですか」
朝比は眼をぱちくりやった。
「あとは任せてきました。大丈夫ですよ。体調は?」
「大丈夫です。あの、中を見て回ってきました。染ヶ山からの出土品も見て来て、でも手掛かりは何も……。田上さんとか不動産に繋がるような感じが全然なくって。田上さんのことは、書いていないの、当然なんですけれど……」
生祈は赤くなった。
「何か、出土品から、ヒントは見つかりますか? 堂賀さんはどこまで分かっているんですか」
朝比は苦笑する。
「休みながらじっくり考えるほうが、生祈ちゃんには合っている気がします。材料集めも少しずつですよ。ところで、手を加えましたか?」
「手を加えたか」と訊かれて生祈はびっくりした。
そう、確かに手を加えたのだ、髪のポイントに。今さっき。
誰にも気付かれない程度に、飾りのピンを少々。
生祈はしおしおとなった。
何か考えよう考えようとしているのに、何も大事なことが見えない。
調査もそうだが、楓大のことでは考えすぎかもしれない。大事なのはどう繋がっていくか。
『一緒になればいい』と堂賀さんも、言ってくれている。
朝比はペットボトルを出した。生祈もつられて、緑茶を出す。
飲んだ。
何故か、周りに音がなくなるような感覚になる。
土偶の不気味さも、麗慈の興奮を一身に受け止めたであろう展示、アノマロカリスや恐竜の骨も、全て通り越して、静かになる。
生祈はそんな気がした。
実際、静かだった。
静かな空間が広がる。そこに円山は戻って来ない。
朝比と生祈の二人だ。
朝比は生祈の髪のポイントに触れた。
「あたし、いろいろ考えすぎてて、やりにくいなあって思いましたか」
「所見の話をしましょうか」
生祈は苦笑する。
「いいですよ。たぶん、分からないから眠くなっちゃうかもしれません」
朝比は生祈の髪から手を放す。
「少し前に戻ります。昨年十月、慈満寺地下で溜幸雄という方が亡くなりました。彼は心臓が悪かった。そして今回、友葉さんも倒れ、生祈ちゃんが気絶した」
遺体の解剖の話をするのかと思っていたから、話題をぐっと引き戻されたように感じて、生祈の眠気のようなものは吹っ飛んだ。
「そ、そうです」
素っ頓狂な声になる。
「ええと、でも溜先生のときは、彩舞音も聴取を受けたって聞きました。そのあと普通にキャンペーンが再開されて……。ということは、その、自然死っていうことで処理されたってことですよね」
「その可能性は高いでしょうね。最初から解剖も、行わなかったのかもしれません。寺で人が死んだとしても、寺という場で故意に人を殺めようと考える人間は、そう多くないと判断したのかもしれません」
生祈は頷いた。
「昨年三月、そして昨年十月と今回、恋愛成就キャンペーンで鐘が鳴らされました。鳴らしたのは僕ではなく、慈満寺の方々。僕も打ってみましたがね。亡くなった降旗さんですが、特に心臓が悪いわけではありませんでした。臓器もそんな感じがしましたね」
「分かるんですか」
「色などで。ただ心臓からの出血は激しかった。特に心筋内です。気道、肺にも出血、眼球の結膜にも溢血点。外側から見れば、外傷はほとんど見受けられませんでした。火傷くらいでしょうか。いずれにせよ、臓器に著しい損傷があったのは間違いありません」
「じゃ、じゃあ」
「事故や自然死で処理することも出来るでしょう。ただ、所見から何らかの原因を考えたくなってしまうもので」
生祈は頷いた。
「あ、あの、もしかして薬物による何かとか……、それで臓器に損傷が」
「出血は循環器系に集中していました」
生祈はドラマで観た知識を必死に思い出す。
「や、薬物だったら、消化器系が損傷するってことになります?」
かぶりを振る。
「死因は何だったんですか?」
慌てて戻って来た円山に遮られ、話が途切れる。
慈満寺会館裏の扉、そこのセキュリティのことで呼び出しがあったらしい。
思いっきり、麗慈くんと私のせいだ。
そう生祈は思った。
朝比と生祈は采と麗慈に声を掛け、円山抜きで、外に出る。
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