天樹全能院宝稀の平々凡々

仲條迎

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1、いつも通りの日々。けれど、十六歳の誕生日に私は食べられる。

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 ――一方その頃、取り巻きから無事逃れられた天樹全能院宝稀はエントランスロビーのロッカーの前で小さな溜め息を零した。

「……どうしてこう皆が皆回りくどい言葉遣いなのかしら。もっとストレートに言ってくれないと、意図が全然わからないわ……」

 周囲に誰もいないことを念入りに確認したあとで小さく愚痴を零した宝稀は、ロッカーからベージュのコートを出して袖を通した。

 去年母に連れて行かれてテーラーで仕立てたウールのダッフルコートは、今年少しだけ肩がきつくなっている。本来なら着用する前に一度お直しに出すところを仕方なく着用している状態だ。

 名門名家育ちの令嬢たちが今の宝稀の着姿を見れば、少し肩が合っていないとすぐに気が付くことだろうが、今は仕方ないと諦めている。

 しかし宝稀は母が生地を選んでくれたこのコートをとても気に入っていた。

「……誕生日か」

 気が付けば、あと十日に迫っていた。

「あと十日で私は……」

 堪えていた暗い感情が心に影を落として、宝稀はさっと気持ちを切り替えた。

 ブラックウォッチカラーのタータンチェックのマフラーを首に巻き、ロッカーの鍵を掛けるとエントランスを出た。

 生徒たちの送迎車はロータリー脇の駐車場で待機している。

 ずらりと並んだ高級車にはそれぞれ運転手が待機していて、下校する生徒たちはそれぞれの車に乗り込んでいく。

 宝稀にも天樹全能院家専属の送迎車があり、エントランスから出てくるのと同時に、運転手の絢辻が外に出て車の脇で待機した。

「お帰りなさい、宝稀様」

 運転手の絢辻あやつじは三十過ぎの男性だ。常に漆黒のスーツを着込み、ぴしりと背筋を正すこの男を宝稀は密かに人形ではないかと疑っている。

 それほどに絢辻という男は常にぴちっと無駄のない動きをし、更に表情がなく、声にも抑揚がない。

 心が死んでいるようだ――と、常々思うほど不可思議な雰囲気のある薄気味悪い男だが、宝稀に対する態度は幼少期から一切変わることがなく無関心で、かえってそれが心地よいすら感じるのだった。

「ただいま、絢辻」

 宝稀の言葉を合図に絢辻がドアを開け、乗り込んだ。

 すぐにドアが閉まるかと思えば、数秒の間。正確には五秒の間があったのち、ドアが静かに閉められる。

 この間が宝稀には特に謎で、車内の暖気が逃げてしまうのに、なぜ宝稀が乗り込んで尚五秒待たなくてはならないのか。その間に不審者が乗り込んできたらどうするのだろうか。――そんな疑問と怖い妄想を掻き立てる。

 以前、この間について絢辻に問いかけたことがあるが、彼は「そのように指導されておりますので」と答えるだけで、宝稀の満足を満たすものではなかった。時を開けて度々訊ねても同じ台詞を繰り返すので、人形ではないかという疑いは年々増すばかり。そんな男だ。

 絢辻が運転席に乗り込み、車が動きだした。

 後部座席に座る宝稀に気が付いた生徒たちが、一同に礼をしてくれる。中には黄色い声を上げる生徒もいるが、その意図が宝稀にはわからず、いつも反応に困った。

 宝稀の父、時司ときつかさは世界的大ベストセラー作家だ。

 先程クラスメイトにも言われたとおり処女作が聖書の次に売れ、映像化された国の数はギネスに公式認定され、二十年以上経った今でもその記録は破られていない。それどころか年々記録を伸ばし続けて、現在では映像化されていない国のほうが少ないほどだ。

 あらゆる国で賞を獲得し、教科書には必ずといって聖書と共に名を連ねており、タイトルを聞いただけでも皆が頷く程度には有名である。

 その一粒種として生まれたのが宝稀で、あと十日で十六歳になる少女だ。

「あと、少し……」

 呟くと、自然と溜め息が零れた。

 見るからに訳アリな空気を醸し出しているはずだが、感情をどこかに置いてきたのか預けているのかわからない運転手は振り返ることもなく、無言で運転し続ける。

「ねえ、絢辻」

「はい、なんでしょう」

 気には掛けてくれないが、返事はする。それが絢辻という男だ。

「絢辻は私の誕生会に出るのかしら?」

「そのような命令は受けておりません」

「そう……、そうなのね」

 きっぱりと言われ、少し安心した。

「では……誕生会はお父様とお母様だけなのね」

 宝稀のその言葉に絢辻は返事をすることなく、緩やかなカーブを曲がっていく。

 ほんの少しばかり躰が傾ぐと、緩やかなウェイブの掛かった蜂蜜色の髪が胸を滑り、宝稀はいつの間にか俯いていた。

「あと十日で誕生日よ。……そうなったら、あなたともお別れかしら」

 無口で無愛想の極みのような男だったが、仕事には忠実で信頼の置ける男だ。

 それも十日経てば、会うこともなくなるのだろう。

 すん、と宝稀は小さく鼻を啜り、落ち込む気持ちに負けまいとして唇を噛み締めた。
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