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1、いつも通りの日々。けれど、十六歳の誕生日に私は食べられる。
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しおりを挟む部屋にはトイレもバスルームもあり、食べる物さえあれば困ることはなかった。
そもそも家は平屋造りで、その気になれば家出もできてしまうだろう。ただ広大な庭には防犯カメラもあり、守衛も数人いる。うっかり見つかってまた両親を失望させるのもつらくて、休日はほぼ自室に引き籠もりだった。
鞄をデスクに置き、漸くコートを脱ぎ、制服から私服に着替えた。
制服は後ほど夕食を持って着たメイドにクリーニングを頼む。私服は白いブラウスに紺色のウールのカーディガン。膝丈のプリーツスカートを穿いた。
スカートはお気に入りのグレンチェックのブラウンだ。白いソックスはそのままで裏ボア素材で温かなルームシューズを穿くと、ひと心地着いた気がした。
電気ポットで湯を沸かしている間に、紅茶の準備をする。
部屋に鍵を掛けているせいか、メイドを呼ぶのが面倒なのでティーカップではなくマグカップで飲むことにする。
この世には便利な物があるもので、茶こし付きのマグカップなのだ。
まるでビールジョッキのように深めのマグカップには。別で茶こしが付いていて、そこに茶葉を入れ、少しの時間蓋をして蒸らしたのち、茶こしを外して飲むことができる。
蒸らす用の蓋をひっくり返せば茶こし置きになり、何から何まで至れり尽くせりで宝稀のお気に入りだ。
茶葉は夜中キッチンからこっそり保存瓶に入っていたのを瓶ごと拝借してきたものなので正確な銘柄はわからない。
味もアールグレイとはいえないし、ダージリンともアッサムとも違うし、日本茶でも中国茶ともいえず、とりあえず渋くないのでいいか…と大らかな気持ちで飲んでいる。
茶こしの中へざっくり目分量で茶葉を入れている間に、電気ポットがピーッと沸騰の合図をくれた。スイッチを切り、茶こしをセットしたマグカップに湯を注いでいく。
ふわあ…と、白湯気とともになんとも不思議な香りが広がると、肩の強張りが解けていくのがわかった。
シロツメクサのような春の香りがするこの茶葉は、どうやら不安を和らげる効果があるようだ。
その味も蜂蜜のようなのに甘すぎることはなく、スパイシーさもある。そう言えばハニージンジャーのようだが、しかしどこか違うのだ。
母に聞いてみたいのだが、食事が忙しいようで答えてくれそうにもない。
「……会話しているようで、していないのよね」
期末テストが終われば保護者面談もあるというのに、あんな状態で両親は学校へ来られるのだろうか。そんな心配をしたあとで、十日を過ぎれば自分はこの世から消えてなくなるのだと思い出して、哀しくなった。
「せめてこの茶葉の名前くらい知りたい人生だったわね」
嘆きながらマグカップの蓋を閉じ、宝稀はデスクチェアに腰掛けた。
机の隅の本立てから日記帳を出して、ページを開いた。
幼い頃誕生日プレゼントで日記帳をもらって以来、よほどのことがない限り毎日付けているこの作業も、あと十回で終わってしまうらしい。
死ぬ――なんて、未だ実感はないが、じわじわと忍び寄ってくる例えようもない恐怖が、これは夢ではなく現実だと伝えている。宝稀がどんなに現実逃避を試みても、背後から覆い被さってくるような寒々しい怯えは払拭できたためしがなかった。
「こういうときは、家出とか考えたほうがいいのかしら……でもどこへ? お友達もいないし」
ううん……と、悩ましく声を零して頬杖を突いた。
困ったことに、宝稀は生まれてこの方、頗る良い子であった。
両親の与えてくれるものに素直に喜び、悲しみ、時には腹を立て、嘆きもした。
どこへ行くにも両親がいて、それ以外の誰とも交流を持つことはなく、それを寂しいと感じることもましてや孤独だと思ったこともない。
「宝稀は私たちの宝だよ。この世界の主人公だ」
それが父の口癖だ。
宝稀の世界は両親であり、両親がすべてだと断言できる。
それほど両親は宝稀を大事に育ててくれたし、宝稀はそんな両親に感謝しながらただただ幸せに暮らしてきた。
――そう、春の、あの日までは。
「あちっ」
蒸気で熱くなった蓋をおそるおそる取り、マグカップから茶こしを取り出した。
以前のティータイムと比べて随分と質素になってしまったが、初めの一口はほっとする。
ここに焼きたてのクッキーやケーキがあればティータイムが尚も素晴らしくなるのだが、メイドに頼んだところで聞いてくれるかわからないし、この家では息を潜めて暮らそうと宝稀は決めていた。
そんな宝稀にもささやかな楽しみがある。
紅茶で一息付いたあと、引き出しの中から手の平サイズのラジオを取り出した。
ボロボロで傷だらけのラジオだが、実はこれテレビでもあるのだ。
ポータブルテレビというものらしいが、父の書斎で見つけたものをこっそりと隠し持っている。
家には昔からテレビがなく、それを不便と思ったことは一度もなかったが、急に孤独さを覚えるようになり、そんなときに偶然書斎で見つけた父の私物のテレビラジオは、今の宝稀にとって寂しさを癒やしてくれるものであり、外界と交わるための巨大なツールになっていた。
けれどこれがメイドに見つかったら両親に密告されるかもしれず、気付かれないように音声は小さくしてこっそりと観ている。
元々ボロボロなのでいつ壊れるかわからないこともあり、長時間観られないのも難点だ。
なので、テレビは夕食前に一日一時間! と、決めて、紅茶を飲みながら観るのが毎日のささやかな楽しみになっていた。
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