ユニークシリーズ

サカナ丸

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ユニーク:魔物死体処理係の娘

第二章 死体の処理と危険性と殺す場所

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 なんとか初任務を終わらせて、私はすごいぐっすりと眠ることができた。まだぜんぜん始めたばっかりだけども、でも足手まといにはなりたくない。
 今日もまた死体処理の任務があるとか言ってたっけ。早く行かないと。
 次の任務は、この近くの草むらで目撃情報があったという魔物の死体だった。
 ……で、私はリヴァロさんの後ろをただついていって、今は例の死体がある現場の前に来た。あまり魔物について説明されてないけど、どんな魔物なんだろう。
「リヴァロさん、私、なにも説明されてないんですけど」
「あぁ分かってる。あえて説明してないからな」
「え? あえて?」
 私は依頼文すら読ませてもらってないし、何がなんでも秘密すぎる。
「私こういうとき、こう思うんですけど、一緒に任務を遂行するなら、少しくらい教えてくれてもいいじゃないですか」
「いやダメだ。だからちょっと聞きたいことがある」
「あ、はい」
「シャウルス、お前は魔物の死体を気持ち悪いとか、不潔とか、そういう風に思うか?」
 これ慎重に答えないとダメなやつだよね。でも大丈夫。いくら魔物の死体でも、私はそんなふうには思わない。
「そんなの思ってないです。私は任務をしっかり頑張りますから」
「そうか、ならそのままでいい」
 なんか好感触かも。正解の答えだったのかな。
「そのままでいいって、どういうことですか」
「お前は現実を知ることになる。そのときの衝撃は大きいほうが教訓とトラウマになる」
「教訓は分かりますけどトラウマになっちゃマズくないですか?」
「それくらい強烈なほうが、油断しなくなる」
 トラウマなんて、そんな大げさな。あ、そうか、リヴァロさんはそうやって私を脅して試してるんだ。そんなことじゃ私はめげないし。
「私は油断なんてしませんよ。魔物死体処理係のみなさんの期待に答えたいですし」
「期待だと?」
 私の些細な一言で、一時的に冒険が中断される。
「シャウルス、お前まさか自分が優秀で期待されて魔物死体処理係に入れたと思ってるのか」
「されて、ないんですか?」
「お前を雇ったのは優秀だからじゃない。ただ人がいないから雇っただけだ」
「そ、そんな」
「この魔物死体処理係はな、死体を処理するのが気持ち悪いとか不潔とか言われて、係ごと嫌ってる連中もいる」
「それは知ってます」
「だから、やりたがらないやつは多い。つまり人手不足」
「私は死体を見てもなんともないです」
「あぁ分かってる。その心意気も合格した理由だ。だからお前を雇った、それだけの理由だ」
「でも、筆記試験だって通りましたし」
「筆記試験は十分に合格だ。でも特別に優秀だったわけじゃないし、多少点数が低くても雇うつもりだった」
「じゃあ、私はいらないってことですか」
「いらないわけないだろ。人手不足なんだから」
 私は、単なる人数合わせで雇われた。初任務なのに、そんな過酷なこと言われても頭に浸透していかない。いやそれよりも、こう言われると悔しい。あまり言い返すのは良くないけど、黙っていられない。
「雇われた理由が人数合わせなのは、分かりました。でも私は適当じゃないですし、ちゃんとやる気もあります」
「あぁ、今のお前にはそれだけで十分だ。……あのな、勘違いしてほしくないが、別にバカにしているわけじゃない。ただお前には、しっかりと現実を見てほしいんだ」
「もちろん、それは伝わりましたけど」
「いや、まだだ。ちょっとここで待ってろ」
 今は森の中。正面は茂みに覆われていて、奥がさっぱり見えない。
 リヴァロさんは茂みをかき分けて奥へ進んでいった。私も続きたいところだったけど、待ってろって言われちゃったし。
 ややあって、リヴァロさんは戻ってきた。
「ここに魔物の死体がある。こいつを処理する」
「はい、準備できてますよ」
「本当に死体を見てもいいんだな」
「大丈夫ですって、任せてください」
「頼もしいな、じゃあ一緒に見ようか」
 なんでそんなに念を押すかなぁ。私なら大丈夫なのに。
 でも、冷静に考えたら魔物の死体はあんまり見たことがない。けど弱音なんか吐いてちゃ任務にならないから、そんなこと言わないけどね。
 茂みを抜けて魔物の死体を確認する。即座に、しっかりと両の目で見たことを後悔してしまった。
「こ、これっ……」
 生命力を感じない肉塊を見た瞬間、急激な吐き気と頭痛に襲われる。この錆びつくような血の臭い。はみ出た内蔵と、水たまりのような血液。死んでまだ大して時間が経過してなさそうなこの魔物は、私を現実へ叩き落とした。
 口と鼻を手で閉じて現実逃避する。けど手の隙間から侵入する激臭が現実に引き戻す。
「これだシャウルス。これが本物の魔物の死体だ」
「う……」
「埋葬される人間の死体とはわけが違う。綺麗に整えるわけじゃなく、野生の魔物は無惨な殺され方をしている場合だってある」
「でも、どうしてこんな死に方なんて……」
「人間のせいだろう。勝手に殺す連中だっているからな」
「勝手に殺す連中?」
「今はそいつらのことはいい。それより目を背けるな、まず汚い物をかき集めて、全て片付ける。それが、まず第一歩」
 その連中とやらがちょっと気になるけど、話を遮ったのなら聞かないでおこう。
 呼吸をする度に強い激臭が体に入ってくる。早く片付けたいけど、近づくだけでも体がひりつくような感覚に陥る。
「タオルで口元を隠せ」
「はい」
 タオルで口元を覆えばいくらか呼吸はできる。なのにリヴァロさんはタオルなしでも大丈夫みたいで顔色一つ変えない。
 タオルは顔を一周させて結んで、これでマスク代わりになった。あとはカバンから道具を出して、掃除開始。でも水や空気で吹き飛ばせるわけじゃないから、けっきょく手作業で掃除することになるんだけど。
 落ちている内蔵は土と混ざっていたし、腐っていたら原型もほぼない。内蔵らしさを感じないのは幸いだったけど、そのぶん臭いは酷いものだった。
「大丈夫かシャウルス、吐き気とかないか?」
「大丈夫です。私の内蔵は強いので、心臓も胃袋も鉄なんですよ」
「え、鉄で出来てるのか?」
「良かったら見ます? びっくりするくらい鉄ですよ」
「お前、何かの改造でも受けてるのか?」
「いや例えなので、真に受けなくてもいいですよ」
「なんだ、そうなのか」
 自分の気を紛らわすための冗談だったけど、まさか信じるとは。口を動かしつつも手を止めたりはしない。ちゃんと全てを専用の袋に入れて、キツい臭いが出るものは全て取り除いた。
 はず。
「あのリヴァロさん、ちょっと聞きたいことが」
「ん?」
「どうしてリヴァロさんは、私にあれを見せつけたんですか? さっき言ってましたよね、教訓とトラウマになるって」
「まぁな。俺も最初は、同じような体験をしたんだ」
「そうだったんですね」
 これって、魔物死体処理係の試練みたいなものかな。まず一発目の難関として通る道だったら、私も必然だったのかも。
「お前は、なかなか強い」
「え、強いんですか」
「俺が最初に見た死体は、あそこまで酷くなかった。でも俺は、お前と違ってその場で吐いたからな、合格だよ」
「吐いた、んですか」
「あぁ、その日に食べたものを全部吐いた。その後に食べたものも無理だったんだ」
 リヴァロさんは完全無欠の佇まいだから、あんなものもへっちゃらだと思ってた。
「意外って顔してるな。俺だってダメな部分もある。だからあれを見ても吐かなかったお前はけっこう凄いよ」
 私的には、けっこう衝撃でショックだったから、てっきり見透かされて不合格みたいなこと言われると思ったけど、そっか、私って意外と良い方だったんだ。
「ちなみになんですけど、他にも吐いた人っているんですか?」
「俺の同期なら、他に何人もいる。あとは吐かないけど具合悪くしたやつもいたし、精神的に参ってしまってその日に辞めたやつもいた」
「そんなにいたんですね」
「だからお前は強い」
「じゃあじゃあ、私ってなんか特別賞とか貰えたりします?」
「そんなもんあるか。せめてすっごい捻れたパンだろうよ」
 それくらい貰ってもバチは当たらないと思うけど。でも捻れたパンってなに。
「なんですか捻れたパンって」
「気にするな、ひたすら捻れたパンってだけだ」
「だからこそ凄い気になるんですけど」
 なんかよく分からないけど、お互いに冗談で笑っていた。まだまだリヴァロさんは掴みどころがないけど、でもやっぱり良い人かも。
「ところでシャウルス、魔物の死体の活用法は知っているか?」
「そんなのあるんですか?」
「さぁどうかな、知識があるんならここで言ってみてくれ」
 それならこの五年間で勉強した。いざ知識をひけらかすときだ。
「牛とかだったら皮を剥いだりすれば服の素材として使えますけど、魔物の死体は同じようにはできないんですよね。魔物の皮や骨はたしかに丈夫ですけど、今の技術では臭みや含まれている毒を取ることができないと」
「あぁ、合ってる」
「熱湯や薬をいくら使っても臭みが取れない。そして丈夫すぎて加工も難しい。だから魔物の体は素材に向かない。ただでさえ臭いや毒がキツい魔物の死体は、いくらバラしても処理に困る。かといって素材としても使えない。だから魔物の死体処理は大事な任務。でも谷底とかに捨てたら、別の魔物が死体を餌にして繁殖する可能性がある。言うなれば、これは環境問題であり災害みたいなもので、火が巻き起こす煙や、動物の糞尿の始末も環境に悪影響を及ぼしますけど、魔物の死体処理は問題になっている。だから大きな魔物は、存在するだけで迷惑になって、素材としても食料としても使えない死体は、人間たちにとっては単なるゴミよりも問題になる。そこが動物との大きな違いで、ハチやクマや毒ヘビだって危険だけど、それでもまだ食べることは不可能じゃないし、ちゃんと管理すれば飼育することもできる。魔物と違って死んでいても大きな環境問題にもならないですし」
「うん、もう少し簡潔にしてほしかったが、概ね良い回答だな」
「それと、魔物の死体処理係は予め薬を飲んでおくことで毒や感染症の防御はできる。けど大量生産できないから、魔物死体処理係や駆除係しか支給できない。ですよね?」
「あぁ合ってる」
 やった。我ながらちょっと長い説明だったけど、大丈夫だったみたい。
「素晴らしい回答でけっこう。ついでだから、次の任務もすぐ行こうか」
「はい! え、もう?」
「さっきの魔物は簡単だったからな、あっちの中継地点にいる他のメンバーと合流して、さっさと片付けてしまおう。やっかいな魔物だから、ちょっと見てほしくてな」
「厄介といいますと?」
「バジロンだ。知ってるだろ?」
 もちろん知識だけなら知っている。バジロンは成長すると体に金を生成する大型の魔物だ。そのせいで、魔物駆除係でもない人たちが殺して金を奪い取るなんてことも、あるらしい。
「初めて見ますけど知ってます。でも大型のバジロンはどこから出てきたんですか?」
「さぁな。まぁ大方、どっかの地面でじっくり寝てたのが目覚めたんだろう」
 魔物は、基本的にどこにいるのか分かりづらい。どこから生まれて、どこに潜んでいて、なんのために存在するのか不明な点が多い。けどあくまで私たちの任務は死体を処理することだから、生態とかは別に関係ない。
「もちろん体からは金が奪い取られていた。ったく、よくたまたま出てきた魔物のことを見つけられるもんだな」
 リヴァロさんの文句を聞きながら、少し返答に困った。人間同士の争いには発展しないでほしい。私は戦力にはならない。むしろ仲間にとって足枷同然の貧弱だから。
「とにかく、今からそっちに行く。いいな?」
「えぇもちろんです」
「意気込みは結構だが、今日の晩飯に肉を食べられると思うなよ?」
「え、なんでですか?」
「さぁ、なんでだろうな」
 晩御飯に、肉が出ない? ……そんな突飛な話するわけないし。
 あ、そうか、魔物の死体を処理したあとだからだ。……溢れた臓物や肉を想像したら、うんなるほど、ちょっとお肉は口に入らないかもしれない。
 具合が悪くなりそうな気持ちを抑えながら、次の現場へ歩く。途中、リヴァロさんは気の利いたジョークも、昔の小話も、はたまた近所の噂話も、なにもしない。私は、無言がちょっと厳しい体質だから話題を振ってみる。
「リヴァロさんは、今日の晩御飯にお肉食べられます?」
「あぁ、肉なら普通に食べられる。慣れた今じゃなにを見たって関係ないさ」
 精神が強いのか、それとも気にしない体質なのか、どちらにせよ羨ましい。私はきっと高級ステーキが出てきても目を背けるかも。
「難儀なもんだよな。魔物は動物じゃないんだから、もっと生物らしさのない体になっててくれればいいのにな」
「そうですね、それ私も思います」
「俺には妹と姉がいるんだが、妹は魔物とか動物の死体が苦手でな。姉はその程度じゃなんともない」
「へぇー、リヴァロさんって妹とお姉さんがいるんですね。でも妹さんが苦手だったら、お姉さんは魔物死体処理係に入れてもいいんじゃないですか?」
「いや……それは」
 リヴァロさんは口ごもってしまった。何か言いたくなさそうにしている。あまり聞いちゃいけない話題だったのかな。亡くなったようには、思えないけど。
「さてお喋りはここまでだ。あれが例のやつだな」
「あ、あれですか」
 ほとんど草の生えない大地に、バジロンの死体が転がっている。四本脚で鱗を持つ体は爬虫類を彷彿とさせるけど、首が長く、甲羅のない亀と例えるのが適切かな。大きさはけっこうなもので、軽く十メートルくらいはある。私が知っている個体より少し大きい。
 死体は川の上に接していて、水の流れを塞き止めるほどではないけど、流れを衰えさせている。浅いけど広い川だから枯渇したりはしないはず。
 この近くには中継地点があって、死体処理係の人たちが長旅で休憩できる。今回は処理するための道具とかが置いてあったり、私たち以外のメンバーが待機している。とリヴァロさんが言っていた。
 バジロンは体に金を有しているはずだけど、やっぱり既に剥ぎ取られているのかどこにも金らしきものはない。魔物駆除係でもないのに金を目当てにしてこんなところで殺して……環境のことは何も頭にないみたい。
 まだ倒れたバジロンのお尻からしか見えてないけど、正面はどうなっているんだろう。
「よし行くぞ。今回は大型だから大変だぞ」
「は、はい!」
 大変か……察してはいたけど、やっぱりね。
「シャウルス、この場所を見ろ。浅いとはいえ川の上に魔物が死んでいる。どうなると思う」
 バジロンの死体の前に来ると、さっそくリヴァロさんは地面を指さした。バジロンの死体は川に触れているから、そのことを危惧しているのかもしれない。
「えーと、汚染のことですか?」
「あぁ、バジロンはそこまで有毒ではないが、川の下の植物はほぼダメだろうな」
 浅くても川そのものに流れはある。魔物の毒が水で薄まるほどならまだ幸いだけど、もし水と混ざっても効果がしつこく残るほど強ければ、環境汚染や動物にも悪影響になる。
「じゃ、じゃあ! 早く川をなんとかしないと!」
 私は水しぶきのことなど考えず大股で走り出した。でも全速力は一歩目が着地しただけで終了する。走り出すのを予測され片腕を掴まれたみたいで、危うく転びそうになるけど全力でふんばって留まった。
「おい、どうせ下に降りる気だったんだろ」
「お、惜しいですね。ちょっと家の馬小屋の管理をしようかと」
「ぜんぜん惜しくないだろ」
「だ、だって……早く下の人たちに報せないと」
「そんなもの、先に到着している仲間のおかげで既に終わっている。有害な物質を防げる網もかけたし、水を使わないように通達してるんだよ」
「あ、あ、そうですよね」
「だから、水のことは別に心配しなくていい。それよりも、重労働が待ってるからな」
「やはり来ましたね、重労働」
 体力ナシの細腕である私に何ができるんだろう。でも頼まれるからにはやるしかないけど。
「それと、もう一つ見せてやるよ」
 リヴァロさんに連れられて、今度はバジロンの正面へやってきた。こっちにも人はいないようだけど、目をつむり既に生気を感じないバジロンの口からは何かの体液が溢れ出ていた。どうやらリヴァロさんが見せたいのはバジロンの頭部らしく、無言で指をさしている。
「あの、この長い管というか、なんですかこれ」
 太い管のようなものがバジロンの頭に突き刺さっている。管の向こうには木の小屋があるみたいだけど、なんのための小屋か分からない。
「これは、二酸化炭素を注入してるんだ」
「あ、なるほど、生物は酸素がないと死んじゃうのは魔物にだって当てはまりますよね。完全に脳を殺すために二酸化炭素を注入しておくんですね」
「そうだ」
 いくら物理的な干渉で殺せても、いくら血が流れても、それで完全に死んだとは言い切れない。念のために完全に殺さなければ万が一生きていたときに危険が伴う。中型以下ならともかく、大型の魔物は必要なことだ。
「いいか、その管には触れるなよ。外れたら面倒だからな」
「さ、触りませんよ」
「この魔物は大型だから、死体の中で調査しているメンバーもいる。内蔵とかも全部掻き出すのは相当大変だったみたいだが」
「死体の中ですか、それは勉強だけならしたことありますけど」
「バジロンは体の中に金を有しているときもあるからな、それだって見過ごすわけにはいかん。まぁ見つけたところで俺らの給料には加算されないがな」
「んー大変ですね、死体の中を調査だなんて」
「でも、いい機会だからお前に一つ仕事をやろう。ここで待っててくれ」
 待てと言われた以上は、私はじっくり黙って待つ。ややあって、リヴァロさんは死体処理係の人を三人連れてきた。みんなリヴァロさんとそう歳が変わらないくらいの人だけど、ここに所属する前に軽く顔を合わせたくらいでほぼ初対面。
「こいつらと一緒に、この魔物の半分を処理する。いいな?」
「はい! よろしくお願いします!」
 みなさん、ニコっとしてくれた。良い人そうでなにより。
「で、作業内容だが、とりあえず下半身部分だけでもいいから解体していくぞ」
「上半身はどうするんですか?」
「今は中に入って調査してるやつらがいる。それに全身をやるなら、丸一日はかかるだろうな」
 そんなに……大変なんだ。そこまでは筆記試験で出なかったなぁ。魔物の処理において大変な要素は体の大きさ。下半身だけとはいえ、全て処理するには以降の流れが必要になる。
 まずは足の部分を切る。それから肉の部分を削ぎ落とし、全て袋に詰めて、ここに来る輸送用の馬車に積み込む。リヴァロさんの予測では、たぶん馬車が十往復は必要になるらしい。それからは別の業者の担当になるけど、燃やしたときに有害なものが出ないよう薬につけて火をつけて処理しちゃう。
 それに、そもそも解体自体が難しい。一口に下半身と言っても、足は二本あるし人間よりも遥かに頑丈な骨も有している。全体の肉を剥いで、骨をバラさなくちゃいけないし、それに骨もそれぞれ切ったりして別々に処理しないといけない。
  人間には、ニ百本の骨があると聞いたことがある。内蔵とかはもう掻き出されているらしいけど、もしかしたらこの魔物も相当な数の骨があるかもしれない。体が大きいということは、そのぶん骨も硬く切る作業は厳しいはず。
 後は血について。 人間の場合、だいたい体重の十三分の一ほどあるらしいから、もしも魔物も同じ計算が当てはまるのなら相当な量があるはず。幸いなのは、内蔵と同じくこれは私たちの担当じゃないっていうこと。正直、内蔵とか血液とかを相手にするのは精神的に来る。たぶん、これから一生お肉は食べたくなくなるはず。
 内蔵と血液が抜かれてあるからか、臭いはさほど酷くないのが不幸中の幸い。
「よし、まずは肉を削ぐ。例の物を頼む」
 リヴァロさんが後からやってきた一人に指示をすると、その人は背中に背負っていたそれを全員に配った。
 これ、勉強したことある。魔物の骨を切断する大型のカッター、通称シェイブブレード。非常に硬質な石であるガンメルオストで作られている。普段はナイフみたいに折りたたんでおくことができるけど、ブレードを起こせば持つ部分と合わせて一メートル弱の長さになる。
 持つ部分はオレンジ色で、両手で持ちながらボタンを押せば頂点からブレードが飛び出す仕組み。もしこれ人に向けてやったら、確実に刺さる……。
 大きさからは推測し辛いけど、意外と重さはない。なぜなら貧弱小柄な私でさえ扱えるんだから、この技術は凄い。
 あとはもう、魚を捌くような感じで肉を削ぎ落とし、細かいのはナイフでやる。骨は木を切る時の要領でギコギコするだけ。それしかない。
「よーし、やるぞ」
 気合を入れてみるけど、結局これからは気が遠くなる作業が待っている。みなさんはそれを理解しているのか、ちょっとテンションが低い。
「あの、そういえば素朴な疑問なんですけど、服ってこれでいいんですかね」
「まぁ廃棄だな」
 当然、魔物の死体に触れているわけだから服は汚れる。泥や砂とはわけが違う、洗って再利用するのは難しい。
「最近じゃ、防護服の案も出ているんだが、技術的に難しいそうでな」
「防護服? 聞いたことがあります」
「特殊繊維で、服に付着する血液とか毒を防ぐんだ」
「私たちの体は薬で防御できますけど、服はどうにもならないですもんね……」
 ここまで見越してもっと適当な服にしておくんだった……後悔。
「お前は理解していると思って言わなかったが、慣れているやつは汚れてもいい適当な安い服を着る。今日は諦めるしかないな」
「ううう……」
 今度はもっとどうでもいい服にしよう。でも外に出る以上はオシャレに気を使わないと、魔物死体処理係の評判が落ちてしまうかもしれないし……うーん。
「気持ちは分かるが服のことは考えるな。俺だって昔はお気に入りの服を血まみれにしたぞ」
「それって、色は?」
「白かったがな、仲間からは赤い服だと思われた」
 じゃあ、私の今日の服は完全にダメになったこと確定なんだね。とほほ……それはもう開き直るとして、今は処理に集中しないと。
 今まで練習したことのなかったシェイブブレードで、大まかにバジロンの肉を削いでいく。いちいち感触がゾワリと背中をヒヤッとさせる。
 リヴァロさん曰く、そんなものはそのうち慣れるらしい。慣れたときは魔物死体処理係として上級だし、慣れたときはある意味で人間として終わる瞬間でもあるらしい。あー私はどんどん人間として終わっていく。でもこれが成長への一歩なら、人間やめてもいい。
 シェイブブレードを上から触ると骨に当たる。だから骨に沿って水平に、少しづつ。ときどき肉片が飛び散るけど口にさえ入らなければ大丈夫。
 削ぎ落とした肉は専用の袋に入れて、とりあえず積んでおく。回収用の馬車が来たら全て積み、あとは馬車の人に任せる。
 あぁ……気が遠くなる。というより、既に気は遠い。遠くなっていく気の首根っこを掴んで強引に引き戻す。我ながら力づくなやり方だと思うけど、こうでもしないとホントに気絶する。
 肉を削いだら、今度はノコギリのように骨を切る。肉を切らせて骨を断つなんて言葉があるけど、まさか違った意味で実行するなんて。
 骨は相当な強度がある。普通のノコギリじゃ刃こぼれ間違いなしだけど、シェイブブレードがあればせいぜい硬めの木材くらいになる。それでも私の細腕じゃ途方もない。
 私以外の人はシェイブブレードの扱いがホントに上手い。当然といえば当然なんだけど、自分の素人さが露呈して恥ずかしい。
「私、こういうときにこう思うんですけど、せめてシェイブブレードの研修したかったです……」
「俺も研修制度は設けたいんだがな、人員不足で」
 やっぱり人員のせいなんだ……私みたいな貧弱がこの作業をしてる意味がよく分かる。
「リヴァロさんは自宅で練習してるんですか?」
 私は骨を切りながら、気が遠くならないよう会話する。
「俺は、任務以外で必要なとき以外は木を切ったりしない」
「へぇー、でも大工とかしないんですか?」
「しない。俺はノコギリやハンマーを破壊するからだ。俺は……任務以外でノコギリやハンマーを触るとすぐ壊してしまう。よく不器用とか言われるんだよ」
「へぇー、意外ですね」
「練習しようと任務以外でノコギリを触り、折った本数は二十本以上、ハンマーは十五本。うち持つ部分がへし折れたのが五回で硬い部分が割れたのが十回」
 単純に道具自体も欠陥品な気がするけど、どう扱ったらそうなるの……?
「だが任務中にシェイブブレードを折ったことはない。そして俺は過去は振り返らない主義だ」
「それは振り返らないとマズい過去だと思いますけど」
「薄々、俺もそう思ってきた」
 雑談をしながらも作業は進む。でも真っ二つに切るだけで数分かかるし、私の肩も腰もなにもかも激痛が襲う。
「あ……あぁ……い、痛い」
「明日は筋肉痛確定だなシャウルス」
「私、こういうときこう思うんです……これって人力でやるものじゃないんじゃ?」
「残念だが人力しかない」
「ちなみにもっと太い骨にはどう対処するんですか?」
「都会の方では、シェイブブレードのブレードに熱を帯びさせる機能があるらしい」
「じゃあ、この骨も火で炙っちゃえばどうでしょう?
「ただの火じゃビクともしないし、速攻で切らないと逆に硬くなるぞ」
「私こういうときにこう思うんです。都会の技術は恐ろしいと」
「俺もそう思う」
 こういう新技術は都会ばっかり最優先で発展して、こっちは蔑ろにされてばっかり。あぁ理不尽すぎて、ちょっとため息。
 都会の新機能に思いを馳せつつ、とにかく骨を切る。足の一本をようやく三分割したときには既に夕日が沈みかけ、私は魔物から離れた地面に突っ伏していた。
 体全体が、重い。間違いなく明日の筋肉痛は確定……。
「お疲れだなシャウルス。初のシェイブブレードにしては上出来じゃないか」
「……骨が折れる作業でした」
「骨を切ってるのにな」
 後から来た三人の先輩たちは既に自分たちの作業を終えて帰ってしまった。けっきょく私は一人分の作業を達成できず、リヴァロさんに手伝ってもらう面目ないハメに。
「ダメです……今日はもう動けません」
「気にするな。体重がニ倍になったと思えばいいだろう」
「それ余計に辛いです」
「今日はもう帰って晩飯でも食べて休め」
「あれ、今日の食堂の晩御飯って」
「確か、ステーキだったかな」
「ううう、お肉はいま見たくないです……」
 リヴァロさんは慣れればなんでも平気って言ってたけど、私はたぶん、ずっとお肉は食べられない気がする。
 というかそもそも、歩いて帰れる気がしない。あと服も血だらけってわけじゃないけど汚れちゃったし、もう着られないから捨てないといけないし。
「しょうがない、俺が連れてってやる」
「え? いや、大丈夫ですよ」
「鉄みたいに倒れて何言ってやがる。いいから俺に掴まれ」
 捕まれって、まさかこれ、私が背中に乗るってこと? え、それはそれは、つまり私が、リヴァロさんの背中に乗るってこと? そ、そんな、私は男の人に触れたことすらあんまりないのに、背中になんてそんな。
 でもテコでも動かなさそうな私の体は自然とリヴァロさんの背中に捕まっていた。仕方ない、こればかりは、仕方ない。だって動かないし。
「あ、なんかごめんなさい……先輩の背中に乗るなんて」
「気にするな。先輩ってのは先に立つ輩だからな」
「は、はい」
 先輩とは先に立つ輩、か。私もいつか胸を張ってそう言えるときがあるのかな。
「あの、さっきのバジロンはまだ半分ですけど」
「あとは別の仲間に任せる。いまお前がすることは休むことだ」
「わ、私も明日またやります。少しでも貢献したいんです」
「バカ言うな、今は黙って休め」
「でも、新人の私がこんなことで休むわけには……」
「言い方が悪かったな、明日またここに来られても迷惑だから黙って休め」
「はい……」
 でも、こればかりはリヴァロさんの言う通りだ。きっと足を引っ張るだけになっちゃうし、何も作業できずに終わっちゃう可能性が高い。
「お前、なんでそんなに頑張るんだ」
「えーと……ちゃんと意味ならありますよ」
「まだ眠くないなら教えてくれないか」
 私が頑張る理由、そんなものは一つしかない。出世でもお金でもない。ただ、あのときのことだけが私を支え突き動かしている。
「五年前、村の地面の中に巨大魔物の死体があってその影響で親友は具合を悪くしたんです」
「なるほど、そういうことか」
「そのせいで、ボーフォールが取り憑いてしまったんです」
 そして私が、ボーフォールが取り憑いたリコッタを、私の手で殺した――。
「ボーフォールは弱った人間に取り憑くが、殺しはしないはずだ」
「えっと、それが、覚えてないですけど、親友は死んじゃいました」
「……そうか、すまないな、思い出させてしまって」
「いえ、忘れるつもりもないので大丈夫です」
「お前の心意気は素晴らしいよ。さっきは言い聞かせるために来られても迷惑と言ったが、今日はお前一人がいてくれただけでも助かったんだ。だから明日は無茶するな」
「私、こういうときにこう思うんです。休めるときに休め。って」
「そういうこった」
 そっか、私はただ迷惑になっただけだと思ったけど、私みたいなのでも一人いてくれただけで助かってたんだ。
 今の任務は、休むこと。私にできることはそれしかない。
 そう思うと、途端に眠気が襲ってきた。温かい背中で涼しい風を浴び、歩くことで生じる心地よい揺れはまるでゆりかごのようで、すぐに寝てしまった。寝ちゃったら、明日リヴァロさん怒るかな……そんなことを考えながら、気づいたら私は自室のベッドで朝を迎えていた。

「あ、あれ……いつの間に」
 もちろん側にリヴァロさんの姿はない。半分くらい気を失いながら眠ったし、昨日はここまで運んでくれたのかな。
 体中がバッキバキに軋んでいる……鉛を詰め込まれた体は頭から命令を受け付けてくれない。けど今日は休みじゃないし、早く行かないと。
 体を強引に叩き起こし、起き抜けの頭を力づくで動かす。でも体は言うことを聞かなくて、どうにもならない。ベッドから起きたはいいものの、昨日はお風呂も入ってないし、けっきょく晩ごはんも食べてない。このままじゃ、普通に倒れる五秒前。
 あれ、そういえば服が昨日と違う。あの死体の破片で汚れた服じゃなくて、清潔で無難な服になっている。いつの間に……。
 私を起こすかのように、ノックが聞こえる。きっとリヴァロさんだ。返事をするとドアが開かれる。入ってきたリヴァロさんは心配そうな面持ちで膝をつく私を見下ろしていた。
「そろそろ起きると思ったが、起きたか」
「はい、一応は」
「見たところ、まだ疲れた顔してるな」
「ついでに死にそうな顔もしてますよ」
「今日も任務だが、どうする、休むか? 今日は昨日とは違って重労働はさせないが」
 休む? 休日でもないのに休むなんて、そんなの私の理性が許さない。
「行きます! 休みません!」
「そうか、でもまだ風呂も入ってないし晩飯も抜いてるだろ、そのへんを済ませたら行くぞ」
 良かった、体臭がキツくてキツくて、夢の中でも悪臭がしそうだったし、お腹の虫も文句つけるし、その後でよかった。
「そ、そういえば服が違うんですけど……あの、これは」
「あぁ、お前は寝ていたからな、着替えさせたんだ」
「え! えっと、それはその、どちらさまが……」
「決まってるだろ」
「ま、まさかそこまでリヴァロさんが? それはその、なんというか感謝しますけど、でも私も、仮にも年頃の乙女なわけで、あ、でも自分で自分のことを乙女っていうのもなんか違いますけど、でも私こういうときこう思うんです、それはそれでハレンチと言いますか、でも見られたくないところもあり、あの、あまり触られたりすると取り扱い注意といいますか、その」
「何を言ってる、魔物死体処理係にだっていちおう女性はいる。そっちに頼んだんだ」
 う、まさかそんな単純な理由だったとは……ありもしない罪をなすりつけるところだった。
「あのなぁ、俺が寝ている隙にそんなことすると思うか」
「思いま」
「思いま?」
「すん」
「すん?」
「思いますん。いえ思いません」
「思いますんってなんだ? まぁいい、ゆっくりでいいから準備したら出るぞ」
「は、はい!」
 それからゆっくりお風呂に入り、晩ごはんを――ただしお肉は避けて、野菜や果物やパンを食べて準備完了。
 今日の服は、支給された長袖の黒いシャツをニ枚重ね着、その上に薄手の茶色いジャケット。ただ、けっきょく汚すことになるから全て使い捨てだし、コストも抑えられているものだけど。
 じっくり寝たおかげで疲労困憊とまで行かなくても、完全回復には至らずまだちょっと体が重い。でも昨日と違う作業ならたぶん大丈夫。
 リヴァロさんに連れてこられたのは、昨日のバジロンの近くにある大きめの小屋。こっちは中継地点になっているから人が休憩できるほど広いはず。
 中に入ってみると、私たちと同じ組織のメンバーが二人いた。新人の私が何か気の利いたあいさつくらいすべきと思ったけど、その暇もなくリヴァロさんは他のメンバーに何かを伝えた。
「……ということだシャウルス、テーブルの上のこれをよく見ておけ」
「えっと、これは?」
 テーブルの上には白い布を被せられた何かが置いてあった。布の感じから箱に見えるけど。
「ま、布を開けて見てみな」
 言われた通りに布を開け、それを畳んで端に置く。布の下に隠された箱には、あまり見たことのない姿の魔物が、木の箱に収められている。
 大きさは手のひらサイズ。カニに似たシルエットだけど色は白く、鉤爪状の足は土くらいならかき分けて掘り進めそうなほど鋭利なうえ、ヌルっとした質感は少し不気味さを覚える。胎動もしていないからおそらくもう死んでいるはず。
「これ、なんですか? これも魔物ですよね?」
「あぁこいつも魔物だ。厳密に言えば魔物の体内に巣食う寄生虫だがな。しかもこいつは妊娠している魔物限定で襲う狡猾なやつで、子供しか食べない」
「あ、確か体の内側に入り込んで中から食べるんですよね」
「あぁそうだ。特にこいつは大型だからな。金を奪った連中がいなくても、きっとこいつに体内へ侵入されて子供だけ殺されていただろうな」
「人が干渉しなくても死ぬ運命だなんて」
「そうだな。それでも俺たちは処理するだけだ」
 なかなかにドライな対応をされたけど言っていることはもっともだと思う。死ぬ運命に任せて死ぬか、人間が口を挟んで命を断つか、どちらにしても人間がやることは同じだし。
「それで、この寄生虫はどうするんですか」
「こいつを処理するのは俺たちの役目じゃない。ただ勉強のために見せただけだし」
 さっきそこにいる人に何か伝えていたのはそういうことだったんだ。
 ――でも、私がやることは本当にない?
 なにか違和感がある。この寄生虫、以前何かの資料で見たときと微妙に違う。なんだろう、この感じ。違和感を見つけないと――。
「この寄生虫、なんか変だと思います」
 まだ予感は根拠にも確信にも至ってないけど、手始めに口に出しておく。
「魔物に寄生する魔物だぞ。変に決まってる」
「そうじゃないです。なんか、資料にあった魔物と違うんですよ」
「なんだと? どう違うんだ」
「あの、その前に確認したいんですけど、この寄生虫って子供しか食べないんですよね?」
「ん? そうだが」
「今回は、どうなんですか? バジロンの中の子供はどうなりましたか?」
「え? それは……」
 珍しくリヴァロさんが押し黙る。そしてさっきの人に何かを聞いている。神妙な顔になり、私のほうへ振り返る。
「まだバジロンの子供は調査してないらしい」
「え? でも昨日は下半身をほとんど処理しましたけど」
「バジロンは上半身に子供を宿すんだ」
「あ、そういえばそうでしたね」
「だから昨日は俺らがまだ触ってない部分だが……ったく、上半身の担当と内蔵を出す担当の連中め、胎児は優先的に片付けておけって言ったのによ」
「なるほど……じゃあ、私の予測は多分当たってます」
「えーと、なにを予測しているんだ」
「私が資料で見た寄生虫のお腹はもう少し膨らんでいました」
「膨らんでいる?」
 改めて資料で見た寄生虫のことを思い出す。僅かな変化ではあるけど、たしかに今回の寄生虫のほうがお腹の膨らみがない気がする。
「それは資料によっては多少の差があることだが」
「この寄生虫は、胎内の子供だけを食べるんですよね」
「そうだな」
「そして、あの魔物の子供はまだ処理してないんですよね?」
「あぁ」
 お腹に膨らみがない寄生虫。未調査の子供。この僅かな変化から導き出した結論は一つ。
「もしかしたら……バジロンのお腹の中にはまだ子供がいるんじゃないですか」
「なっ――」
「だとしたら、あの体内で調査している人は……」
「かなり危険だ。シャウルス、お前も来てくれ!」
「え、は、はい!」
 護身用のナイフを腰から抜き、もしものときに備える。子供が残っているのならば、すなわち子供が出現し攻撃してくる可能性がある。どうして寄生虫が内側まで侵入したのに子供を食べなかったのか分からないけど、寄生虫だって生物だから気が変わることくらいあるはず。
「気をつけろシャウルス、子魔物の大きさはかなりのものだと思う」
 舌を噛まないよう走りながらリヴァロさんから注意される。走りながら話すのは少々辛い。
「は、はい! 警戒します!」
「バジロンは約十メートル。なら子魔物の大きさは産まれたてでも十分の一より少し大きいはず。おそらくシャウルス、お前と同じくらいだ」
「わ、私と同じですか!? じゃ、じゃあ食べられたりとかしますかね!?」
「ありえんとは言えないな。だからもし目の前に来たら容赦なく殺せ」
 すなわち、産まれた瞬間の相手を殺すことになる。産まれた意味も分からず、親の顔も知らず、生後一日も経過することなく、ただ殺されるためだけに産まれる命。
 でも、少しも可愛そうとは思わない。だって魔物は有害な存在でしかないから。
「迷いません。産まれたからと言って幸せとは限らないんですし、それは人間も魔物も同じことですし、だからすぐに殺せるうちに殺すほうが相手のためですよね」
「あぁ。だがよくそこまで考えられるな、良いことだ」
 一切の躊躇もなく魔物の目の前に到着した。まだ調査班は体内に入って調査をしているようだった。リヴァロさんは大声で調査班に呼びかける。
「おーい! 調査班! いったん調査は中止だ!」
 リヴァロさんが叫んでも返事はない。聞こえない距離ではないはずだけど。
「寄生虫の腹が膨らんでいない! 子供もまだ処理できてない! まだ子供が生きている可能性がある! 戻れ!」
 繰り返し呼びかけるけどやっぱり返事はない。
「……どうしたんでしょう。私たちも行ったほうがいいですかね」
「あぁ、シャウルスは来ないほうがいい」
「は、はい……」
 私も行きます。自分の身は自分で守りますから――。
 喉まで出かかった言葉は喉で留まり、残らざるをえない状況になった。自分が力不足なのは理解している。産まれたてとはいえ魔物が目の前に来れば、おそらく自分では無惨に殺されるのがオチ。無意味な結末を想像すれば、じっとしているのが周囲のためだと結論付けた。
 固唾を呑んで見守るとは、このことなのかもしれない。ただ動かず、ただリヴァロさんが戻ってくるのを待つだけ。祈れば神が振り向きはするだろうけど、祈っても神に見放される人間が存在するのも事実。だから、ただ私は待った。
「大丈夫かな……」
 ぽつりと呟くも、聞いてくれる人などどこにもいない。だから呟くことすらも忘れていると、今度は静寂により聴覚が研ぎ澄まされる。
 これは、振動? いや、音?
 何かを感じ取ったけど、助言してくれる人はいない。でも確かに振動と音は危険信号として伝わる。
 何か、マズいことになった。漠然とした予感だったけど、良くないことは間違いない。
 さらに振動、そして音。地面から足を伝わるこの感じは、誰にでも分かるほど明らかな警告のシグナルだった。周囲を見回すも、振動を起こすようなものは視界に入らない。目の前の魔物の死体以外には。
 不意に、振動が止む。
「どうしたの……?」
 誰に言うでもなく呟くと、魔物の死体に動きがあった。
 そんなわけはない。あの魔物は既に死亡している。動きがあるならば、おそらく胎内の子供。
「これは、危ない……!」
 勘で危険を察知し、ナイフを構えて後退。
 予感が的中するなら、死体から子供が這い出てきて、目の前のものを手当たり次第に攻撃するかもしれない。厳密には本能的に噛みついたりひっかくのだけど、魔物の子供からすれば人間など一噛みでも簡単に殺せる。
 魔物に背を向けてひた走る。背後から大きな足音と生物の気配を感じた。
 ――振り返る。
 私から見て六時の方向からニメートル級の魔物が大きな口を開けて迫ってきていた。親魔物をそのまま小さくしたような外見だけど既に肉食動物に似た歯がずらりと並び、触れただけで出血するのはほぼ間違いない。
 リヴァロさんは私と同じくらいかもって言ってたけど、とんでもない、あれは私より五十センチ以上は大きい。私の走力よりも早い速度で迫るそれは、徐々に距離を詰めていく。
 私は叫びたい衝動に駆られていた。でももし叫べば無駄に体力を消耗するだけなのは明白で、きっと体力は尽き足はもつれ、餌食になるのは分かりきっている。
 私、死ぬの――?
 まだ十五歳にも満たない齢で魔物に食べられて死ぬなんて、見る人が見れば名誉の戦死だけど、あいにくと私はそんなもの求めていない。
 何メートル走っただろうか。次第に背後の足音が遠ざかり、弱くなっていった。
 息も限界に達しそうなとき、背後へ振り返る。
 魔物の子供は、倒れていた。
「し、死んだ……のかな?」
 呼吸による胎動は確認できないけど確実に死んでいるとも確定していない。あくまで警戒の姿勢は維持しつつ、魔物の子供を観察する。
 魔物の子供はへその緒を繋げたままの状態で走っていたようだった。へその緒の長さが限界に達して動きを止めたらしい。となると、へその緒の長さだけでもかなりのものになる。
 突いて死亡確認をしてみたいけど、ひっくり返っている虫に触ると急に動くときもある。そんな苦い経験を思い出し、触ることすら躊躇った。
 かと言って親魔物のところまで戻りリヴァロさんたちの様子を伺いに行けば、今度は子魔物が引き返してくる可能性もある。
「どうしよう……ちょっと触ってみようかな」
 確認するのは嫌だけど、確認せずに死亡を確定させるのも危ない。
 噛みつかれないようなるべく背後に周り、腰のあたりをナイフで触れてみる。死んでいる可能性があるとはいえ刺すのは躊躇われたからあくまで側面で触れるだけ。
「動かない、よね?」
 うんともすんとも言わないとはこのことだ。子魔物はびくともしない。
「はぁ……良かった……もう死んじゃってるみたい」
 安堵のため息を吐くと、腰から力が抜けてへたりこむ。でも安心するのはまだ早い。リヴァロさんたちは親魔物の中にいるはず。
 と、親魔物の方向へ振り返ると、
「シャウルス! 無事か!」
 肩で息をしたリヴァロさんがすぐ目の前にまで来ていた。
「り、リヴァロさん! てっきり食べられたかと思って……」
「食べられてない。食べられかけたけどな」
「うう……私もですよ。ところで親魔物の中にいた方々は?」
「大丈夫だ。でも、子魔物がお前のほうに走らなかったら俺たちは逃げる隙がなかった。感謝するよシャウルス」
「か、感謝ですか? え? あ、あら、いや、はい」
 珍しく褒められて、唐突なリアクションに困り言葉に詰まる。
「そういうときは、素直に喜んどけ」
「や、やったー」
「まぁいい。じゃあ、とりあえず子魔物を完全に仕留めておくぞ」
「え、でももう死んでいると思いますけど」
「思います、から確実に死んでいますにするんだ」
 懐からナイフを取り出し、子魔物に接近する。緊張の一瞬に冷や汗すら流れない。いやもう一日分の汗を出し切ったとも言えるだろうか。
「シャウルス、刺すんならアゴの下を刺せ。こいつの親魔物を見る限り、どうやらアゴの下に太い血管がある。確実に殺すならそこだ」
「はい」
 子魔物はアゴを地につけ伏せている。アゴの下を刺すのならば一度アゴを刺せる位置まで上げなければならない。私の力だけで上げるのはキツいけど不可能ではない。
「おい、できるかシャウルス」
「やります。大丈夫です」
 片手でアゴを持ち上げ、片腕が入るほどの隙間を作る。ナイフを手にして腕を入れ、刃先を子魔物へつける。
「念のため血はつかないようにしておけ。腕はしょうがないから後で洗っておけ」
「はい」
 なるべく骨に触れなさそうなところに刺しこみ、ナイフを手前に引く。ヌルっとした感触が心地悪いけど、怒られそうなので特にリアクションせず続ける。
 地面に血が滴り落ちる。血溜まりが広がり、鮮血が足元まで広がりそうになる。ナイフを引く数秒の間、私にはほとんど記憶がなかった。赤を見たくなくて視覚を遮断し、鉄くさい血の臭いを感じたくなくて嗅覚を遮断し、無我夢中でナイフを引くことに集中した。
 最後まで引き終わったあと、何かが吹っ切れたような不思議な感覚に陥る。
「どうだ、シャウルス」
「は、はい……なんとか上手くいきました」
「そうじゃない。お前の気分はどうだ?」
「あ、はい。平気です」
 若干の空元気も混ざってはいたけど、失神するほどではない。でもこれくらい平静を装った顔をしておかないと、情けないやつと思われかねない。
「ならいい。こいつはこっちで処理するから、ちゃんと手を洗ってこい」
「しっかり洗っておきます」
「あっちに設置してある場所で洗えるからな」
 リヴァロさんが指さしたのは親魔物を処理するのに使っている場所だった。血を洗える薬も用意されているから、洗うならそこしかない。まさか血だらけの腕で街に戻るのもマズいし。
「じゃあ行ってきますよ」
「あぁ」
 ようやくリヴァロさんから離れて、平静を装った顔を解除し、顔全体でげんなりする。
「はぁ……やっぱり慣れないかもこれ」
「待てシャウルス」
「へっ!?」
 不意に呼ばれて振り返る。ため息がバレたかと身構えたけど、どうもリヴァロさんは子魔物を見ながら険しい顔をしている。
「……お前、こいつの他に子魔物は見てないよな?」
「え、見てないですけど」
「臭いがするんだ」
 リヴァロさんは小動物のように鼻を小刻みに動かしながら周囲の臭いを探る。私には分からないけど、リヴァロさんは何かを感じ取ったようだ。
「臭いって、血の臭いならしますけど」
「そうじゃない。そんなことじゃないんだ」
「え?」
「まさか、この子魔物……」
 血の臭いに混じり何かを感じているみたいだった。もしリヴァロさんの勘が的中するのならば、もう一体ここに存在する。
「シャウルス、逃げろ」
「なにから、逃げるんですか?」
「親魔物の方向でいい! 走れ!」
 何がなにやら分からず、走り出せずに立ち尽くす私に向かってリヴァロさんは短距離の全速力を繰り出す。
 直後、子魔物の懐から別の魔物が出現。血まみれになりながら私目掛けて飛びかかる。さっきの子魔物をそのまま小さくしたような見た目だけど、強靭な歯は変わらず健在していた。
 私が噛み砕かれる寸前のところでリヴァロさんがかばい、餌食になる最悪の展開は免れた。
「この野郎!」
 リヴァロさんが自身のナイフを魔物の目に向かい突き立てる。どの獣にも該当しない咆哮を撒き散らすと、魔物の生涯は一日も経過せず終えた。
「シャウルス……大丈夫か?」
「わ、私は……大丈夫です」
「そうか……お前が大丈夫なら……まぁいい」
「リヴァロさん……? なんか、妙に元気がないですけど」
 それに、リヴァロさんから力を感じない。今は私に寄りかかっている状態だけど、成人男性にしては妙に軽い。成人男性の平均体重なんて把握しているわけじゃないけど、それにしても力が入っていないように感じる。
 ――リヴァロさんの左腕が、ない。
「り、リヴァロさん……腕が……」
「あぁ……一本持っていかれた。たぶん死ぬ……俺はいいから、ここは離れろ……」
「ダメです! 死んじゃダメです!」
 リヴァロさんをそっと寝かせて、親魔物の調査をしている方向へひた走る。今すぐにでも救護すればまだ助かる見込みはある……かどうかはあくまで私の希望でしかないけど、いま走らなければリヴァロさんは確実に死ぬ。
 体力の限界などかなぐり捨てて、賢明に足を動かし走り続ける。転びそうになるのを気合で修正し、それでもまだ走る。
 調査班の下へたどり着いた頃には、すでにシャウルスは満身創痍。でもそんなものはお構いなし。息を整える余裕もなくリヴァロさんの惨事を報告する。
「どうしたんだいったい!? きみは大丈夫なのか!?」
 調査班の一人に心配されるけど、もはや自分のことなど消し炭のような問題に過ぎない。
「それより! すぐにあっちの方向に向かってください! リヴァロさんが……!」
 血だらけ、片腕がない、死にそう。
 思いついたキーワードを並べとにかく危機を報せる。動物が命の危険を仲間に伝えるのに遠吠えやデタラメな鳴き声を上げることがあるけど、今の私はそれに似ている。
 必死の訴えが通じたのか、調査班から医療班に伝わり、すぐに駆けつけた。でもその後に私にできることはなく、そもそも放心状態の私は医療班や調査班にとっては足手まといになりかねない。
 周囲の空気や自分の状態を鑑みた結果、寮に戻ることにした。食事も喉を通る気がせず、ただ自室のベッドと壁の間に挟まっていた。その間、私はただ壁に背を預けて膝を抱え、ただ信じてもいない神に祈るのみ。
 どれくらい泣いたのだろう。きっと、一週間分の涙を流したに違いない。もう枯れ果てたからか、夜になった頃には一滴も出ることはなかった。
 神を否定する私だけど、もし神がいるとすればそれは非情で冷酷で、無慈悲な存在であると今なら確信できる。さっきは無我夢中で信じてもいない神に祈ったけど、なんでそんなものに祈ったのか、今ではもう理解できない。
「リヴァロさん……大丈夫かな。私を助けるためにあんなこと……」
 手のひらを見れば、じっとりと生暖かい血液の感触が残っている。いくら手を洗っても、永遠に取れることはないだろう。
「でも、リヴァロさんならこう言うかも……これも経験だって」
 嫌な経験が良い経験に繋がるのか。
 それとも、良い経験というものは嫌な経験のことなのか。
 トラウマばかりが積もりに積もりそうだけど、糧になるかは未来にならないと分からない。
 すっかり太陽は顔を隠し、曇り空から見守るのは月のみ。ネガティブ気分の私からすれば、見守ってくれているではなく、見下されている気分でしかない。
「ねぇ、私はどうしたらいいの」
 亡き友人であるリコッタの顔が、月に映し出されている。――ように見える。これは幻覚か、それとも現実逃避のせいか。
 当然だけど、リコッタは何も答えない。
 助言まで幻聴で聞こえればどれだけ助けになったことか。幻聴にすら頼りたくなる自分に限界を感じてしまう。
「もう、ため息も出てこなくなってきた」
 消え入りそうな声で独り呟く。酷いネガティブ思考のせいかリコッタの幻影すらも姿を消した。
 すると直後に、廊下から足音。神様が直に殴り込みをかけてきて、神罰の雷で償わせるのかと覚悟する。ついでにこれからの人生で訪れる幸福を誰かに分けてくれればもう悔いはないかなと膝に顔を埋めたところでドアが開かれる。
「シャウルスさん、こっちいいかな」
 医療班の男の人が比較的穏やかな声で呼びかける。神様がバチを与えるために来たわけではなくて心底ガッカリだったけど返事はする。
「は、はい」
「リヴァロさんが呼んでいる」
 ああ、ならばリヴァロさんから直々に雷かな。それもまた運命。私は一生恨まれ、そしてこの仕事を失うのだろう。
 世の中の罪悪感を全て詰め込んだ顔で立ち上がると、重りをつけたような足取りで部屋を出る。
「大丈夫?」
 医療班の人につい心配されるほど酷い顔だった。きっとここに鏡があれば自分の顔を叩きたくて鏡にヒビを入れかねない。
「あ、はい……大丈夫じゃないです」
「え?」
「いえ、行きます……」
 どんなお叱りを食らうのか。根本的な話、リヴァロさんは言葉を返すほどの生命力を保っているのか。どのみち良い報告のために呼ばれることはないだろうと確信できる。
 反省と後悔を噛み締めつつ後ろからついて歩くと、病室に到達した。
「では、これで」
 空気を読んで気を使ったのか、案内を終えると医療班は去っていった。
 私には引き返す選択肢などない。お叱りでも罰でも受ける他ない。
 ノックを二つ。ベッドに寝ているのか気絶しているのか、当然だけど応答はなかった。
「入りますよ」
 念のため一つ声をかけドアを開く。私より背の高いガス灯に照らされながら横になるリヴァロさんの顔は弱々しかった。胸から下に布団を被り、消えた左腕を隠すかのようにしている。ガス灯の明かりは決して心強いとは言えないけど、リヴァロさんの悲しむ顔をしっかり見たいとも思えない。
「シャウルス、か……」
 とても弱い声だった。消え入りそうな声だ。
「リヴァロさん、大丈夫ですか」
「あぁ……死んではいないよ」
「……良かったです」
 でも。と付け加えた私に対してすぐ待ったをかける。その先の言葉が見えたからこそ先手を取ったのかも。
「お前、自分のせいだとか言うつもりだろ」
「だって、実際にそうじゃないですか。私がいたからリヴァロさんが庇って、そのせいで……」
「なに言ってやがる。お前がいようといまいと、いつかはこうなってたさ」
「そう、なんですか?」
「この仕事してればな、魔物に殺される仲間なんて極稀にいる。そいつらは誰にも守りきれず死んでいったんだ。でもそれは誰のせいでもない。そういう運命なだけだったんだ」
「じゃあリヴァロさんがケガしたのも、運命なんですか」
「そうだろうな」
「運命……その悪い運命になったのは、私のせいです」
「私のせいだと? ずいぶんと存在感ある口ぶりだな」
「でも……でも、だって私が、私が……」
「もういいだろ。自分を悪く言ったってなにも好転しない……それよりシャウルス、お前に話したいのはそんなことじゃなかった」
「なにかあるんですか?」
「俺はこの通り、しばらくまともに動けそうもない。だから、お前に俺の仕事の一部を託したいんだ」
「託すって、私にそんな大役が務まりますか?」
「お前は経験不足だし、そそっかしい部分もある。でも魔物について詳しいし、観察眼に優れている。だからお前に任せる」
「わ、私にですか……まだ組織に入ったばっかりですけど」
「なにも全てを任せようってんじゃない。あくまで一部だし、入って間もないからこそ見える部分だってあるかもしれない」
「な、なるほど」
「それに、なによりお前には魔物や人に分け隔てない優しさがある。そんな気持ちが、いつか大事になるときが来ると思うんだよ」
「魔物の死体を片付けるのに、優しさが必要になるんですかね?」
「なると思う。争いばかり考えるよりはいいだろうよ」
 そうだ……争いばかりの運命なんて私は望みたくない。例え人間同士で仲違いすることになっても、私は人間に武器を向けたくない。
「あの、リヴァロさんはどうしてそんなに苦しい思いをしてまで魔物死体処理係になんてなったんですか」
「ハハ……どうして、か。そんなこと思い出すのは久々だな」
「久々って、覚えてないんですか?」
「まぁな。夢中で仕事していると、すっかり大事なことまで忘れてしまうからな」
「教えてもらっても、いいですか」
「俺がちょうどお前くらいの年の頃、魔物に友達を殺されたことがあってな」
「仲間を、魔物に……」
 私と同じならば十四歳。同じく魔物が原因で仲間を失った身としては他人事ではない内容だった。
「友達と山に登っていたときのことだ。ただの遊びだったし、あのときの俺たちは魔物に対する警戒心なんて微塵もなかった。ホントにただの遊び感覚で、魔物に食われたら嫌だなとか冗談半分で語ってて、でも小さい魔物くらいなら俺たちで対処できるくらい弱かったんだ。日も沈んできてそろそろ帰ろうかと思ったそのとき、仲間の一人が提案した。「今日は帰らない」ってな」
「えっと、どうしてそんな提案を?」
「理由は聞いたさ。単純に山登りが好きだったのと、思い出づくりがしたかったんだとよ」
「でも、魔物がいる山なんて危ないですよね」
「まぁ、そのへんは俺たちの認識が甘かったんだな。バカで常識もなかったんだよ」
「じゃあもしかして、山を降りなかったから仲間を失ったんですか」
「いや、その逆だ。俺は反対して山を降りようと提案した。それでけっきょく、下山中に魔物に襲われたんだ」
 自分の提案のせいで、大事な仲間を失った。
 事実は事実として受け止められず、けれども魔物に対する復讐心として燃えるわけでもなく、ただの悲しい結末として終止符を打った。
「俺だけ生き残ってしまい、罪悪感がある。今は思ってないが、俺も一緒に死にたくてしょうがなかったよ」
「私も、同じ気持ちになったと思います」
「それで、どうしても仲間を失ったことを忘れたくなくて俺は魔物の死体処理係に志願した。今でもあのときのことを忘れた瞬間なんてない」
 リヴァロさんがそこまで大きな悲しみを背負っていたことなど、初めて知ったことだった。互いに仲間を失ったことを知れて共感する部分もあったけど、今まで話したくなかったことを打ち明けられて複雑な気分でもある。
 ただ、ある一点だけは納得いかない。
「リヴァロさん、一つ間違ってますよ」
「一つ?」
「仲間を失った辛さは分かります。でも、それは別にリヴァロさんのせいなんかじゃないです」
「……お前に、ちゃんとしたことを教えられるとはな」
「もし下山しなかったら、もしかしたらリヴァロさんだって死んじゃってた可能性があるんですよ。リヴァロさんが下山を提案したからこそ、リヴァロさんはこうして活躍できたんじゃないですか」
 こんな言葉が慰めにならないことくらい、私だって分かっている。でも自分が似たような経験をしているからこそ、同じ苦しみを味わってほしくない。
「……やっぱりシャウルス、お前は強いな」
「そうですか? 思ったことを言っただけですよ」
「率直に正しい意見を言えるなら強い証だ。あくまで俺の考えではあるが、強い人間ってのは二種類いるもんだ」
「二種類?」
「一つは、間違ったことを間違っていると言えて正しいことを言葉にできる人間。もう一つは、自分の弱さを知り人の弱さを理解できる人間だ」
「その場合、私はどっちのタイプなんですかね」
「しいて言うのならば、まぁ両方だな」
「え、ホントですか」
「お前に自覚がなくとも、俺は合格と認めている。だから俺にとっては両方満たしているんだよ」
 軽い発言をしているようだけど、リヴァロさんの意志は硬く実直だ。後を任せるのだって何も適当に任命しているわけではないだろうし。
「だから、任せる。そして俺は今から寝る」
「わ、分かりました。任されます」
「心配なのは分かる。けどお前ならできるし、これは適当な発言じゃないし、お前にしかできないことだって必ずあるんだ」
「私にしか、できないこと?」
「そこから先は俺にも未知数だ。あとは自分で導き出せ。そして俺は本当に寝る」
 手術したばかりのリヴァロさんは目を閉じすぐに眠りに入った。私は退室しようとドアノブに手をかける。
「……あ、それとシャウルス、一つ言い忘れていた」
「えっ」
「ニーザには気をつけろ」
 それだけ言い残し今度こそリヴァロさんは眠る。聞き覚えのないニーザという単語に首を傾げながら退室した。
「はぁ……私にしかできないこと、か……ニーザってなんだろう」
 リヴァロさんの発言が、直後に課題としてのしかかる。
 いざ大層なことを頼まれたところで、別段なにをしていいのかは分からない。現場に赴いても活躍できるのか――それは愚か、足手まといにならずに動けるかすら心配だし。
「大きなため息ですね」
「え、だれ?」
 聞き慣れない男の子? いや、女の子の声が真横から聞こえ向きを変える。やはり知らない女の子が立っている。
「えーと、あなたは誰?」
「ハイ! リヴァロの妹です。ラングルと申します! 十四才です!」
 私よりも年下っぽい未熟な印象の上には精悍な顔つき。凛々しい眉と意志の硬そうな瞳は真っ直ぐに私を捉えている。ボーイッシュな顔立ちなせいか、男の子にも見える。
「え? リヴァロさんの妹?」
「ハイ! 未熟ながら尽力させていただきます、シャウルス先輩!」
「せっ、せんぱい……!?」
 その響き、その語呂、その立場。
 初めての先輩呼びに甚く感激する。
「僕は年齢も性別も同じですが、若干経験はシャウルス先輩より下なので。もし不服ならば言い換えますが」
「ぼ、僕?」
「あ、僕は女ですが、女っぽいと周りからナメられるので自分のことを僕と呼びます」
「いや、そのままでいいけど」
「シャウルス先輩、次の仕事はどこでありますか?」
「えーと、それは、まだ分からないかなぁ」
「待機でありますね。了解いたしました」
 ビシっと頭を下げ、先輩に対して最大限の敬意を表す。いくらなんでも固すぎる動きにさすがのシャウルス先輩も萎縮してしまう。
「あのさ、そんなに固くならなくてもいいよ。歳も一緒なんだし」
「ですが、先輩であるからして」
「えーと……そう畏まられると、逆にやり辛いんだけどな」
 けれども先輩に対してこれ以外の接し方を知らないラングルちゃんは、やはり言動を変えられない。
「僕はリヴァロの意志を継いでいます。ですので、リヴァロが任命したシャウルス先輩には頭が上がりません」
「あの……さ、そういうふうに接するのはいいけど、ラングルちゃんは悲しくないの?」
「なにがでありますか?」
「だって、お兄さんであるリヴァロさんが……あんな風になってさ、悲しくない?」
「悲しいという感情はあまり意味がありません。任務に支障が出るだけです」
「それ、本気で言ってる?」
「本気であります」
「そ、そうなんだ」
 ラングルちゃんはドライなわけでも冷酷なわけじゃないかもしれない。ただ任務に忠実すぎるが故にストレートな思考しかできないだけなのかも。
「とにかく僕は、シャウルス先輩の指示で動きます。明日からお願いいたします」
「う、うん」
 明日からかぁ。性格は悪そうじゃないしなんとかなるかな。たぶん。
「あ、そういえば、ルクロンさんから伝言があったであります」
「ルクロンさん?」
 聞き覚えのない名前だけど、魔物死体処理係のメンバーかな。
「奥の部屋で待っているとのことです。では伝えましたので! さようなら!」
 一方的に元気を見せつけてラングルちゃんは去っていった。でも明日って、どんな任務あったかな? まだ何もなかった気がするけど。ルクロンさんっていうのはまだ会ったことないけど、良い人だといいな。
 言われた通りに奥の部屋の前まで進む。こういうときノックしたほうがいいよね。
 ノックを三回してみる。「いいぞ」ドアの向こうから返事が来た。いいぞっていうのは、入っていいぞって意味でいいよね。
「失礼します」
 ドアを開けて部屋に入る。大きなテーブルの前に腰かける人が一人だけいた。年齢は、四十は越えているかな? ガタイが良くてちょっと威圧感あって怖い雰囲気だけど、大丈夫かなぁ。「お前は、シャウルスだったな」
「は、はい」
「俺はルクロン。魔物駆除係だ。明日は俺とラングルと一緒に遠方の魔物を処理しに行く。いいよな?」
「は、はい」
 魔物駆除係か。私たちは処理をするのが任務だけど、駆除係は殺すのが任務。こういうのは殺すだけじゃなくて、魔物から身を守るボディガードにもなる。
「なぁ、俺って怖いか?」
「は、はい! あ、いやそんなことは」
「いいんだよ正直で。俺は怖いからな」
 自覚、あるのかな。そう思うとちょっと怖くないかも。
「……なぁ、必要か?」
「必要って、なにがですか?」
「飴ちゃんだ」
 ルクロンさんの懐から袋に包まれた飴玉が出てきた。幼い頃によく食べた記憶がある。
「いただきますね」
「それは俺の特性だ。美味いぞ。飴作りは趣味でな」
 確かに美味しい。特性と言うだけある。意外と可愛い趣味あるんだなぁ。
「ところでシャウルス、あの集団を知っているか?」
「あの集団?」
「魔物殺傷組織のグロスターだ」
 グロスター……ちょっと聞いたことないけど。
「聞いたことないだろう。あいつらの存在は混乱防止のためにあまり公にはしてないからな」
「魔物殺傷組織って、なにかマズいことしてるんですか? 仲間じゃないですよね」
「通常、魔物は殺すと体液や体内の毒で環境に被害が出る。あとは抜けた毛や死体を食べにきた野生動物にもな」
「もちろん分かってますよ」
「それ故に、魔物は殺す場所も考えないといけない。だから俺たちの仲間には魔物の駆除担当もいる」
「じゃあ、そのグロスターっていうのは、私たちの仲間でもないのに勝手に魔物を殺して、殺す場所も考えず放置してるってことですよね」
「そういうことだ。って言っても、まだグロスターの仕業かは分からないけどな」
 魔物の数が減るのは、人間にとっては良いことかもしれない。けどそれによって環境に被害が出てしまうのは良くない。
 ちゃんと処理してくれるなら良いけど、それすら放置するなら迷惑でしかないよね。
「じゃあじゃあ、そのグロスターと正面衝突するってことですか?」
「そんなことはしない。俺たちは兵隊じゃないんだ」
「じゃあやっぱり、魔物の処理ですか?」
「俺たちがするのは、グロスターが勝手に殺した魔物の処理だ。あいつらのせいで環境に被害が出ている。しかもご丁寧に、山の上でな」
「山の上ですか、それはマズいですね」
 山の上で魔物が死んだら、その下の川にも影響が出る。雨が降って川になっても、雨が死体に接触したら結局汚染されちゃう。
「それって、けっこうな数ですか?」
「いや、一匹らしい。調査班からの報告だからまだ詳しく知らんけどな」
「でもグロスターは他にも魔物をたくさん殺してますよね?」
「細かいのは別の仲間に任せる。俺たちは一匹に集中すればいいんだよ」
「けっこう長旅になりそうですね」
「でも重要な任務だ。魔物の死体をうまく処理できれば、傷口や銃弾からグロスターがやったかどうか分かる。まだグロスターの仕業かは予測でしかないし証拠もないからな」
「なんか魔物処理の任務っていろいろ大変ですね」
「処理するだけでなく調べるのも大事な任務さ」
 はぁ……勝手に魔物を殺しちゃう人たちのせいで任務が増えるのは辛い。でも逆に言えばそのおかげで任務を貰えているのも事実だし、ちょっと不思議な気分。
「他に確認することは?」
「あの、誰か同行するんですか?」
「ん? 俺とラングルと一緒って言っただろう」
「えーとそれは分かるんですけど」
 正直言うと、ちょっとラングルちゃんは頼りない。他にももっといてほしいところだけど。
「あいつが頼りないって思ってるのか?」
「あ、はい。なので他にもいないのかなぁと」
 やっぱり見抜かれていたんだ。この人も同じことを思っているのかもしれないけど。
「他にも人が欲しいけどな、残念ながらこっちに割ける人員はないんだ」
「じゃあ、やっぱり三人だけでやるしかないんですね」
「そうだな。あいつが役に立つといいが」
 チラと私のほうにも視線を向けてくる。「お前も役に立つといいがな」って言いたげな顔だけど、私の考え過ぎなのかな。
「じゃあ伝えたからな、何か質問あるか?」
 質問、か。事前に聞いておかないとけないこと、なにかあるかな。
「あの、じゃあ一つだけ」
「なんだ」
「この任務って、もしかして危険な任務ですか?」
「どっちかと言えば危険だが……安全かどうかと聞かれたらそうじゃない」
「えぇ? どっちですか」
「危険だ。死ぬほどかどうか分からないけどな」
 死ぬほどかどうか分からないって、なんかそれはもう死ぬほど危険って言ってるようなものなんじゃ。
「お前のためにも武器は用意してある。時間はないから明日また教えるからな」
「武器ですか、扱えるか心配です」
「扱えないと、いざってときに危険だからな」
 それって、やっぱり明日は危険だって証明なんじゃ。
「武器って、どんなのですか?」
「一般的なのは銃だな。魔物も殺せるし、人も殺せる。扱えるか?」
「うーん、なんとかやってみます」
 あんまり使いたくない代物だけど、いつか使わないといけないときも来るよね。できればその銃口は魔物だけに向けて、人間には向けたくないけど。
「じゃあ明日またな」
「はい!」
「良い返事だな」
「良い返事したほうが明日も元気になるので」
「そうだな、どうせ元気なんて後で無くなるしな」
「え、それってどういう」
 私の質問への答えは特に無く、ルクロンさんは向こうへ去っていった。でも答えなんて聞く必要もないかも。
 だって遠方で死んでいる魔物の調査なんて、簡単じゃないことくらい分かるし。
 さて、私も明日に備えないと。でも急だなぁ、もう少し余裕があってくれたらいいのに、そういうものなのかなこの任務って。

 次の日。
 昨日はあんまりぐっすり眠れなかった。きっと遠方に出かけたら、状況によっては野宿なんてことも有り得そうだから、壁と屋根があるところで寝れるだけ幸せなのかもしれないけど。
 なんか、嫌な胸騒ぎがする。
 なんとなく、勘でしかないけど、嫌な予感がするんだよね。
 準備はもう済ませてある。拠点の門の前に行くと、既にルクロンさんは待機していた。
「おはようございます」
「あぁおはよう」
 でも一緒に行くはずのラングルちゃんがいない。どうしたんだろう。
「あの、ラングルちゃんは」
「まだ来てないな。別にいいけどよ」
 こんな大事な日なのに、どうしたんだろう。遅刻かな。
「呼んできますか?」
「いやいい。任務前には焦りたくないからな。気長に待とう」
 意外にもルクロンさんは怒らなかった。てっきりこういうときに激怒する人だと思ったけど、そんなことなかった。
 やがて、やや遅れてラングルちゃんはやってきた。大荷物の準備でもしてたのかと思ったけど、そんなことなかった。どうして遅れたんだろう。
「あー! すいません! すいません!」
「別にいいけど、何かあった?」
「いや実はその、ちょっと探しものしてまして! もう大丈夫です」
「あ、そうなの? じゃあもう行こうか」
「ハイ! 行きます!」
 そんなに気合入れなくてもいいけど……って言おうとしたけど、多分それは逆に余分な火を点けそうだからやめておいた。元気はないより有り余っている方が良いし。きっと雨風で鎮火されてもいくらでも再点火しそうだし。
 これからはけっこう過酷な旅になる。具体的に何日くらいの任務かも分からないけど、少なくとも一日はかかるはず。
 この嫌な胸騒ぎはどうにもならないけど、私なりに必死にやらなくちゃ。
 ここからはほぼ歩きになる。馬車を使いたいところだけど、あまり人が寄り付かない方向故に道が整備されてなくて砂利道が酷い。加えて山道になると馬車はあまり貢献できない。だからほぼ歩きの過酷な旅。天気が良いのは良いことだけど、会話もせず歩き通しはさすがに精神的に辛いかもしれない。
「ねぇラングルちゃん、聞いていいかな」
「ハイ! なんでしょうか」
「さっき探しものしてたって言ってたけど、なにを探してたの?」
「ハイ! 解毒石であります」
 解毒石。川の水とかに浸すとたちまち毒とか有害なものを消せる石だったっけ。
「容易に水を確保できない長旅には解毒石は必至でありますからね! 鳥にとっての羽、虫にとっての触覚、犬にとっての鼻であります!」
 そんな大げさに反応するほどのことでもないと思うけど、楽しそうだから別にいっか。
「準備できてるなら頼もしいね」
「ハイ! 頼もしい存在であります! いざというときは、死んでも頑張ります!」
 あまり死ぬ気で動いてほしくないんだけどな……私のために体を張られてもあんまり嬉しくないし。
「あ、死んでも頑張るで思い出したことがあります」
「え、なに?」
「シャウルス先輩は、ルクロンさんからグロスターの話は聞きました?」
 私とルクロンさん、両方同時に頷く。
「えっと、確か魔物駆除係とか関係なしに勝手に魔物を殺しちゃう人たちのことだよね」
「そうであります。ですが、それとは別に逆の団体もいるって聞いたことがあるんです」
「逆の、団体?」
 逆ってことは、つまり勝手に殺す人たちじゃなくて守る人たちってことかな?
「僕も詳しくはないんですが、魔物の保護を優先するらしく、そのためには人間にすら攻撃するらしいです」
 そんなことしちゃったら、もはや戦争になっちゃうけど。そんな団体の話なんて一つも聞いたことがない。
「私は聞いたことないなぁ。それどこで聞いたの?」
「あくまで街の噂ですよ。任務中にその人たちに襲われたとか言ってる人もいまして」
 本当に嫌だな、人間同士の争いなんて。
 人間が対峙すべき相手は魔物だけでいいのに。どうしてみんな仲良くって思えないんだろう。
「ちょっと待って、魔物の保護を優先するってどういうことなの?」
「文字通りだと思います。僕にはあんま分からないですけど、きっと魔物を大事な存在として扱う人もいるんでしょうね」
「大事な存在って、ペットか何かだと思ってるのかな」
「おそらく、そうなんじゃないですかね」
 そんなのありえない。魔物は人間の害になる存在だし、飼ったり共存なんてできるはずない。そう考えているってことは、きっと私たちの敵になる存在なんだと思う。
 じゃあきっと、その人たちの争いも避けられない。
「あの人たちは魔物の保護を目的とする連中らしいであります。つまり保護が目的なので、要するに僕らみたいな死体処理係の反対派ってことなるんじゃないですかね」
「やっぱりそうだよね」
「まぁでも、気にしてもしょうがないですよ。会うときは会うし、会わないときは会わないし、そのときはそのときですね」
「すっごい考え方だね」
「考えるのが苦手でありますからして」
 でも、そっか。今の段階で気にしたってどうにもならないよね。
 会うときは、会う――今日かもしれないし、明日かもしれないし。平和的な解決方法はないのかな。争わず解決する方法は。
 いま考えても疲れるだけだから、とりあえず考えることは放棄して、歩くことに専念する。あんまり無駄話するとルクロンさんに怒られそうだし。
 それにしても、ここ最近は怒涛の出来事ばかりだった。
 この任務を初めて以来、ミセラちゃんとの出来事は良かったけど、その後すぐにリヴァロさんがあんなことになっちゃって、そして私は今もまた任務を続けている。
 私、精神が持つのかな。あんまり考えちゃうと悩むけど、考えすぎないと自分の存在意義を見失ってしまう。
 幸い、リヴァロさんは良い人だし、ラングルちゃんもルクロンさんも気が合いそうだし、周りの人が良い人なら、まだ私も任務を続けられそうだし。
「あ! シャウルス先輩、そういえばこの付近に厄介な人がいると思うんですが」
「や、厄介な人?」
「はい! 性格は曲がっててヘソも曲がってて、口も曲がってて、何一つ真っ直ぐなところがない人なんです」
「その人って、犯罪者とか?」
「うーん、まぁ似たようなものですね」
 そんな厄介な人なら、私はあんまり関わりたくない。もしその人と敵対することになったら……。
「その人の名前って?」
「はい! その人は――」
 ラングルちゃん視線が正面一点を見据え動きが止まった。ルクロンさんも同様みたいで、一斉に歩みが止まる。
「あれ、どうしたの?」
「いえ……その厄介なのが、あそこに。……間違いないです」
「え?」
 私も同じように正面を確認すると、そこには知らない人が立っていた。
 誰だろう。さっきラングルちゃんが言っていた通りの人だとするとかなり面倒な人だと思うけど。
「あ、あの、どちらさまですか?」
「どちらさま? それを聞くならそっちからでしょう」
「えっと、私たちは魔物死体処理係ですけど」
「へぇ、あの組織かぁ」
「え?」
「どうも、魔物死体処理係のみなさん。魔物処理反対派、通称で言えば魔反団体のリーダーと言うべきかなぁ」
 魔反団体という名には、私も少しだけ聞いたことがあった。でも直接的な接点が皆無と表現してもいいくらい接点がないため断片的な情報しか知らない。
「あたしの名はニーザ。人に厳しく自分に厳しくがモットーだけど、自分よりも他人に対するほうが厳しい。人間の勝手な権限で魔物をぶっ殺すあんたらみたいなクソ野郎どもに異議を唱える団体なの、よろしくね小娘ちゃん」
 ニーザさんは左目に眼帯をつけている年齢不詳の女性。肌の露出が多くへそ出しルック。
「えっと、小娘ちゃんってだれのことですか?」
「あんた以外にいないでしょ小娘ちゃん」
「あ、え、あー、はい。私はシャウルスって言います」
「ところで小娘ちゃん、私の異名って知ってる?」
 不意に知らない情報に対する答えを求められても、とうぜん分かるはずもない。
「ごめんなさい知らないです」
「なんでもいいから答えなさい、ほら」
「えっと、じゃあ、完璧美人とか?」
「惜しい! 私の異名は人間嫌いのニーザ、覚えて」
「ぜんぜん惜しくないですけど……」
「あたしが好きなものその一、それは面白い反応をしてくれる人。こっちが言ったことに対して面白い反応をしてくれる人じゃないとつまらない。ついでに小娘ちゃんはつまらない分類だから次回また頑張って」
「は、はぁ」
 そんなことはさておき、その名に聞き覚えがあった。ニーザさんの迫力に圧倒されつつ記憶を引っ張り出すと、一つの答えにたどり着く。
 リヴァロさんが眠る前に言っていた名前だ。
 ――ニーザには気をつけろ。
 ニーザが人名か地名か不明だったけどこれで合点がいった。言葉の通り注意が必要な人間だと会って五秒で分かる。
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