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ユニーク:魔物死体処理係の娘
第二章ー2
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「あの、私こういうときにこう思うんです、もしかしてリヴァロさんとお知り合いですか?」
「なんでリヴァロの名前が出てくるの?」
「私、最近までリヴァロさんと一緒に仕事してたんです。ちょっとだけですけど」
「へーリヴァロと一緒にねぇ、こんな小娘ちゃんと一緒なんて、あいつもヒマなんだねぇ」
リヴァロさんに対してあまりにもキツい言い方に軽くイラっとするけど、グっと堪えて質問で主導権を握る。
「話を戻しますけど、リヴァロさんと知り合いなんですか?」
「知り合いっていうか、あいつはあたしの弟。ついでにそこにいる真っ直ぐ小娘のラングルもあたしの妹。ってリヴァロに聞いてるか」
「あ、お姉さんなんですね、私はニーザさんについて聞いてますよ、ちょっとだけ」
主に注意喚起くらいだけど、あながちウソではない。
「ったく、リヴァロたちはまだ魔物の死体処理がどうとか言ってるのね。ホント、バカみたい」
「ば、バカじゃないです。立派なことですよ」
「立派? この世に存在する命を人間の勝手で殺害しても許される定義ってなに? 経験の浅い小娘ちゃんに答えられないでしょ」
魔物とはいえ、人間や動物と同じく命には変わりない。ニーザさんの主張をもっともとする人間も少なからずいるんだろう。
だから今、適切っぽい答えをひねり出す。
「それは……私にも分かりません。魔物を殺すのは気分も悪いです。でも魔物は生きていても死んでいても驚異になるのでやむを得ないと思います」
「やむを得なければ殺してもいいと、へぇーそれが浅い経験の答えかぁ」
「じゃあニーザさんは、魔物の死体を見てもお肉を食べられますか?」
「動物? あたしが好きなものその二、鳥肉と牛肉と豚肉と魚肉」
「野菜も食べたほうがいいと思いますよ」
「野菜? あんな草食べるとか言ってると成長できないよ小娘ちゃん」
成長の話を引き合いに出されたら、口をムっとさせて反論する。
「私も肉は食べますが、肉を食べるのはどうして傲慢じゃないんですか?」
「あんたたちは魔物を邪魔で驚異だから殺している。動物は邪魔だから殺すんじゃなくて食べたいから殺すんでしょうが」
「じゃあ、殺す理由次第では傲慢じゃないってことですか」
「もちろんさ。命の価値は平等じゃない。だから人間も平行線に生きちゃいないのさ」
「えーと、意味が……」
「要するに小娘ちゃん、魔物は高貴な存在だから殺しちゃダメなの、分かったら帰って牛乳でも飲んでなさいな」
「なんで牛乳なんですか……私は魔物の死体処理係として任務で来ているんです、帰りません」
いくらシャウルスが強気な姿勢で立ちはだかってもニーザさんは一歩も退かない。それどころか、反撃の姿勢が威圧感ありすぎてこっちが退いてしまう。
「おっと、ビビったね小娘ちゃん」
「ビビってません」
「私だって山賊や海賊じゃあないんだ、力づくで帰らせたりはしない。潔く帰りなさいな」
「その前に、一つ質問させてください」
「なんだい、好きな部位はカルビだけど」
「もしもニーザさんの大切な人が魔物に殺されたり、故郷が魔物の死体の汚染で滅んだらどうしますか?」
死体処理係の私だからこそできる質問。でもニーザさんは躊躇することなく即答する。
「それは仕方のないことさ」
「し、仕方のないこと?」
「あたしが好きなものその三、自然な死。生命は自然の一部だ、生命に殺されれば自然な死さ」
「なにを言っているんですか……」
「じゃああんたは牛に人が殺されたら牛を絶滅させるのかい?」
「それは……」
「あんたが言っていることは薄っぺらい正義感の上に成り立っている話なのさ。クモの巣に引っかかったチョウチョみたいなもんだよ」
「なんですかその話」
「例えばあんた、クモの巣にチョウチョが引っかかっているのを目撃したとする。もちろんチョウチョがクモに捕まったままなら、可愛そうに食べられてしまう」
「なんの話ですか」
「あんたはそのチョウチョを助けるかい?」
「それは、もちろん助けると思いますけど」
「やっぱりいい子ちゃんはそう言うよね。でもそれ、ムダな正義感だよ」
「ムダじゃないですよ」
「ムダだよ。あんたはチョウチョを助けたことで正義感と優越感に浸れて満足だろうさ。でも一方、クモはどうなるの? せっかくのエサが来たのにワケの分からない小娘ちゃんのせいでエサを逃して餓死するんだよ」
「た、確かにそうですけど……」
素早い言い返しに、私は押し黙る。黙ったのをチャンスと思われたのか畳み掛けられる。
「あんたの正義感はその程度なのさ。結局は可愛そうな方を助けてもう一方は無視するムダなことだよ」
「で、でも、もしチョウチョが人間だったら答えは変わります」
「へぇー、じゃあ命の種類によって差別するってことかい?」
「そ、そういうわけでは……」
「あんた、人間が死ぬと悲しむみたいだけど、自分が虫を踏み殺したり、クモがエサを逃して餓死しても同じように悲しむのかい? 違うだろう」
いえ、私は同じように悲しみます。
とは即座に言えなかった。私の沈黙は、あながち間違いではないと認めたようなもので、それ以上は反撃できなかった。
「小娘ちゃん、今にも泣きそうだね」
「泣いたりしません」
強がりでもなんでもない。この程度で涙を流すような私ではない。
「強い小娘ちゃんだね。じゃああたしが好きなものその四を知っているかい?」
「逆にどうして私が知っているんですか……」
「あたしが好きなものその四、それは役に立つ人間。役に立たない人間なら空気のほうがまだ役に立つよ」
「そ、その言い方はちょっと良くないですけど、でも私は別にあなたの味方でも仲間でもないので、役に立たないかどうかはどちらでも良くないですか?」
「そうかな。こっちに仲間入りしてくれても、いいんだけどねぇ?」
そのつもりなんて毛頭ないけど、下手に否定して逆上されても困ると予測し、否定も肯定もせず黙っておく。
「いえ、結構です。私には任務があるので」
「アハハハハ! 面白いね、あたしが好きなものその五、それはあんただよ小娘ちゃん。気に入った」
「気に入られても困りますけど……嫌われるよりはマシですかね」
「小娘ちゃん、名前なんて言ったっけ?」
「シャウルスです」
「シャウルス、シャウルスね、へぇ、面白い」
別にこっちは面白くないけど……私の気持ちなどなんのその、ニーザさんは不敵な笑みを崩すことはない。
「任務とやらを遂行したければすればいいよ。でも、こちらにも任務はある。だから宜しくね」
「よろしくって、何がよろしくなんですか」
「簡単だよ。任務と任務がぶつかって対立したときさ」
「対立……」
すなわちそれは、争いが起きるとき。
すなわちそれは、互いの意見が反するとき。
最も避けたいことだけど、どうやらニーザさんは対立に対して堂々としているつもりらしい。
「じゃあね、面白い小娘ちゃん」
最後まで喧嘩腰の姿勢は崩さないままニーザさんは立ち去った。後に残るのは、妙な人間に絡まれてうんざりした余韻と、変な人間の相手をして疲弊した空気のみ。
「あぁ……疲れた」
内心では話の途中で背を向けて全力疾走で逃亡してやりたいところだったけど、最後まで耐えた自分を褒めてやりたかった。
「ねぇラングルちゃん、お姉さんはいつもあんな感じなの?」
「ハイ、基本的にはそうであります」
「そういえば、どうして何も言わなかったの? 相手がお姉さんなら少しくらい喋っても良かったのに」
「それは、シャウルス先輩が話していたので口を挟んではマズいと思いましたが、それだけではありません」
「それだけでは、ない?」
「僕は単純に、ニーザ姉さんが弱点なのであります」
「じゃ、弱点」
一点の曇りもなく真っ直ぐな目で見据えられながら弱点をさらけ出された。そこまでストレートに表現されると返答に困る。
「やっぱり、怖いの?」
「そうですね。リヴァロは真面目で誠実なので厳しさの中にも優しさがほんのり溶けていますが、ニーザ姉さんは厳しさの中に厳しさがあるので苦手です」
「その気持ち、なんかもう分かる気がする」
たかが数分のやりとりだけで、ラングルちゃんが何を言わんとしているのか察することができた。嫌な部分で共感できるのが嬉しいかはさておき。
「さっき対立って言ってたけど、あれってただの厳しさじゃないよね?」
「恐らくですが、ニーザ姉さんは容赦しないと思います。人間が人間を攻撃するのも自然の摂理だと考えているので」
「えー……嫌だな、人間同士の争いは」
人間が存在する以上、魔物の死体に関する諍いは避けられない。言葉で争うだけなら可愛いものだけど、生憎と生物には本能的に攻撃が備わっている。
「もしニーザさんと争いになったら、ラングルちゃんが話つけられる?」
「どうでしょう、あまり話の通じる相手ではないので」
「その気持ちは、分かるかも」
実の姉でも、いや姉だからこそ通じない話もあるのだろうか。きょうだいのいない私にとってはきょうだい間の問題はうまく共感できない。
「まぁ、もしそうなったらそうなったで、少しは任せるかも」
「できる限り助力いたします」
果たして交渉役として機能するのかは未知数だけど、相手を知る仲間は助けになること間違いない。
「じゃあ、行こうか」
「はい、余計な足止めを食らってしまいましたね」
むしろ足止め程度で済んだのは幸いだった。もしラングルちゃんが不在なら即攻撃……の可能性もあったかも。
現在ニーザさんは周辺に見えない。背後から不意打ちもないはず。
人間同士の争いだけは避けたい。人間の本能や歴史で繰り返されてきた暴力による解決なんて望んでいない。
「ねぇ、ラングルちゃん。もしもの話なんだけど」
「はい?」
「もしも、ニーザさんと争うことになったら、やっぱり魔物用の武器で対抗するのかな」
「それ以外にないと思います」
「だよねぇ……」
魔物用の武器は、厳密には殺傷というより処理という名目が正しい。結果的に命を奪うのだから表現次第だけど、あくまで私はそう考える。言い換えれば採掘用の道具や畑を耕す道具で人を傷つけるようなものだし。
「もし、ニーザ姉さんと争いになったら躊躇しないでください」
「いや、私は人を傷つけたくないよ。だから躊躇する」
「そういうことじゃないであります」
「……じゃあ、どういうことなの?」
「安易に躊躇できるような相手ではないであります。ニーザ姉さんは、元々猟師として名を馳せていた歴戦の戦士であります」
「歴戦の、戦士?」
歴戦などと言われても想像がつかない。でも猟師の表現にはなんとなくイメージがつく。
これから一線交える――のは避けたいけど、可能性のある相手について情報は得ておいて損はない。妹ほど詳しい人材もいないし。
「僕たち三きょうだいのうち、リヴァロと僕は一緒に育ってきました。でも、一番上のニーザ姉さんは違った」
「一緒に暮らしていたんじゃないの?」
「詳しい事情は知らないでありますが、ニーザ姉さんは魔物のことを良く思っていたであります。尊敬とも言いかえられます」
「尊敬? でも、リヴァロさんは知り合いを魔物に殺されたって言ってたけど、むしろ恨んでいるんじゃないの?」
リヴァロさんは傷ついた体のまま過去を話してくれた。極限状態でも話すほどなら家族や親戚も魔物を恨んでいると自然に予測していたけど、例外もいたみたい。
「僕もリヴァロの後を追ってこの任務に着きましたが、ニーザ姉さんはすぐに家を出ていって、それきり会うことはなかったです」
「じゃあ、もしかしてさっきって凄い久々だったんじゃ?」
「そうですね。でも素っ気ない対応でしたけど」
姉妹なのにそんな素っ気ない対応なんて、きょうだいのいない私にとっては嫌なことだな。もっと仲良くできるのが一番いいはずなのに。
「私もほしいな、きょうだい」
「シャウルス先輩は一人っ子ですか?」
「そうそう。こういうとき、私はこう思うんだ。仲のいい世話したくなる弟か妹、それか頼りになるお兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しかったなぁ。って」
「アハハ、あんまり良いもんじゃないですよ」
「リヴァロさんは?」
「あの人はああ見えて任務以外に関してはけっこう雑ですからねぇ。普段は頼りにならないんですよ」
「へーそうなんだ」
私だってまだリヴァロさんのことはそこまで知らないけど、妹からすればそういう評価になるもんなのかな。
「僕はいっそのこと、一人っ子のほうがいいかなと思うときもあるんですよね、だって周りから比べられちゃうし、普段は雑なのに任務には真面目で、だからこっちがまるで劣ってるみたいな扱いされちゃって」
「なるほど、比べられちゃうんだ」
「なので、僕の目標はあくまでシャウルス先輩なんです。目標にさせてください!」
「目標って言ってもね、私のほうが微妙に早いだけだけど」
「でも先輩なんで、目標にしますよ」
頼られるのは嬉しいけども、それはそれでちょっとプレッシャーになっちゃうけどね。でも油断できないほど頑張れるかも。
「私で参考になるのなら、目標にしてもいいけど、でもどこに尊敬する要素があるの? 私はまだ色々と始めたばっかりなんだけど」
「あ、それはリヴァロから聞いたんですけど、そもそもこの魔物死体処理係って、あんまり人が来ないじゃないですか。なのにシャウルス先輩は私と同じ歳でここに志願したのが、メチャ凄いなぁと思ったんです」
「あれ、ラングルちゃんは元々志願してなかったの?」
「そ、それは」
不自然な質問なんてしてないのに、なんかラングルちゃんは視線を落とした。叱られた子犬ってこういう表情するけど、なるほど似てる。
「じ、じつは僕はですね、苦手なんです、ああいうの」
「ああいうのって?」
「その、グロいのが苦手なんですよ。内蔵とか、ホントもう、無理なんです」
「え、それで魔物死体処理係を?」
「ハイ……あんまり役に立てないかもしれないですけどね。でもリヴァロ曰く、やる気があるんならとりあえずやってみろと言われたもんで」
誰にだって弱点はある。虫が嫌い犬が嫌い――そんなの理由なく苦手な人は苦手だけど、それでも自分の弱さを自覚したうえで任務を果たそうとしてるなんて、逆に尊敬しちゃう。
「私、こういうときにこう思うの。好きこそ物の上手なれって言うけど、嫌いなものを精一杯やって慣れるのも才能なんだって」
「ハイ! さすが良いこといいますね先輩は!」
「て、照れる。照れまくる」
「言っても、僕が慣れるかどうかはこれから先なんですけどねぇ」
「少しづつやっていけばいいと思うよ」
「うおっ、良い名言ですね今の」
「え、そう? 普通に言っただけだけど」
「なんでも名言に聞こえてしまうんですよ、僕は」
私も、心から尊敬できる人がいたらそういう風に思う時あるのかな。そういう意味ではちょっと羨ましいかもしれない。
私はどうしても、過去ばかり見てしまう。もしも未来に対する目標があったら、今以上に努力ができるのかな。
「悪い、ちょっと休憩だ」
まだ歩いて一時間も経過してないけど、ルクロンさんは一時休憩を提案してきた。
「私たち、まだ歩けますよ」
「油断はするな。まだ天気も荒れることはなさそうだから、少し休憩だ。それにお前らは若いから丈夫だろうよ」
きっと私たちを気遣ってのことなんだろうけど、まだ大丈夫。でもこれからのことを考えると、軽い休憩はしておくのが得策かも。
三人で平坦な石の上に腰掛けると、ここまであまり感じなかった疲労がどっと足全体を襲った。足から上へ疲れは伝染し肩や首までも少し重い。心地よい天気も相まって、このままお昼寝に興じたくなる。
「あぁ寝たい」
でも寝るわけにはいかない。今寝たら、きっと夕方くらいまで起きられる気がしない。これに温かいお茶まであったら、ぜったい起きられない。
「なぁ、必要か?」
「え、なんですかルクロンさん?」
「飴ちゃんだ」
またルクロンさんは飴を出してくれた。私たちがそれを口に放り込むと、甘い香りが口の中から鼻へ通り抜ける。
「はぁ……癒される」
「あの、シャウルス先輩、あそこにニーザ姉さんがいますけど」
「え? ニーザさん?」
せっかく癒やされていたのに、少し離れたところにニーザさんが立っていて、こっちへ視線を向けている。あの人、苦手なんだよなぁ。でもなんか用あるみたいだし。
「どうする? ラングルちゃんが行く?」
「い、いや、ちょいと苦手なんです、ハイ」
だよね、ただの顔見知りより、何年もあってなかった姉なんて、きっと複雑なんだろうし。仕方ない、ここは私が、文字通りに重い腰を上げよう
また疲労が蓄積するけど、大事な用なのかな。油断はできないから、一応武器は手放さないけど。
私は、魔物に対する武器である銃を渡されていた。片手で撃てるし特に訓練しなくても扱えるから初心者向けらしい。
人間に対して使いたくないけど……でも警戒は怠らないし、威嚇にはなるかな。
「あら小娘ちゃん、来てくれたね」
「えーと……何かご用ですか?」
「ちょっとついてきて」
「え?」
なんの用事だろう。でも今はラングルちゃんやルクロンさんには少しでも休憩していてほしい。別に戦いに行くわけじゃないんだし、私一人で行こう。
特に理由も説明されないまま、私はニーザさんへついていった。森を避けて突き進み、今度は草のない岩場にまで来た。さっきのところから離れていないけど、ここになにがあるんだろう。
「小娘ちゃん、あれを見な」
「え?」
岩場の数メートル向こうに魔物が立っている。こっちには気づいていないのか、反対側を向いて動かない。
大きさは二メートルほど。ツノの先が青く美しいシカに似た魔物。私は資料で目にしたことはあったものの実物は初めてだ。それもそのはず、この魔物はシュロップシャーブルー、あまり個体が確認されていない珍しい魔物だった。
珍しくても、これは魔物。いつかは殺して処理をしないといけない。持っている銃の引き金に小石を弾くほどの力を込めれば、あの魔物は散る。
腰の銃に手をかける。と、すぐ横のニーザさんは止めに入った。
「おっと小娘ちゃん、そうはさせないよ」
後頭部にヒヤりと感じる殺意。背後に立つニーザさんが殺傷能力を持つ何かしらの武器を手にしているのは安易に想像できる。
「この魔物を殺させはしないよ。銃を降ろしな」
「……でも、そうやって脅して私を殺そうとはするんですね」
「殺そうなんて思ってないよ。ただお願いしているだけさ」
「武器を突きつけながらするのがお願いですか?」
「そうだよ。これを脅しに変えてほしくなければ、早く銃を降ろしな」
背後を取られた今は従う他ない。大人しく銃の照準を外し引き金から指を放す。
「よし、それでいいよ。あたしも武器を降ろすから」
「この魔物は、どうするつもりなんですか?」
「この魔物はシュロップシャーブルーって魔物でね、宝石に似た青いツノを採取することができるのさ」
「それなら知ってます、珍しい魔物だということも。でも私の使命は魔物の処理ですので、珍しくても処理しなくちゃいけないんです」
「あのキレイなツノを採取できるとしてもかい?」
長いツノの先は青く、僅かな光でも反射する。魔物自体の珍しさもありツノの先でも採取すればたちまち金の延べ棒に変わる。
「確かにツノはキレイです。でも硬くて加工には向かないと聞いたことありますし、それに毒性があるらしいので市販は出来ないですよ」
シュロップシャーブルーはツノの先に毒を有する。好んで人を襲う生態ではない――あくまで調査によるもの――けど、青いものは毒の塊で触れるのは危険だ。
「その通り、裏ルート以外ではね」
「……それが目的ですか?」
「ツノはついでだよ。あたしの目的はあくまで魔物の保護。殺させないよ」
「あくまで、私たちの邪魔をするんですね」
「そうだね、できれば邪魔だけで済ませてあげたいけどね。それと、こんな話を知っているかな?」
「こんな、話?」
「東の国では漢字という独特な文字があるの、その国でも昔はシカのツノを採取するために乱獲したらしいんだよ」
「カンジというのは知りませんけど、ツノのことなら知ってます」
「そこでは漢字を使って、金の上に鹿と書いて、鏖(みなごろし)と読むんだ」
「き、金の上にシカですか……」
「そんな表現すらされるほど、シカのツノはお金になるんだ。それが魔物なら、なおさら見逃せないよね」
穏便に済ませられるのなら互いにそれでいいと思っている。でも互いに目的を譲るつもりなんて毛頭ない。
「そういえば、ラングルちゃんから聞きました。ニーザさんは魔物を尊敬しているとか」
「あぁやっぱり聞いたんだ。でも尊敬っていうのはちょっと違うよ」
「違う?」
「あたしはね、魔物のことを神だと思っている。いい? ただの動物じゃない、神だよ」
「どうしてそう思うんですか」
「見てごらんよ、あのシュロップシャーブルーのツノを」
視線の先には青く輝くツノ。何度見てもあのツノだけが異様な雰囲気を放ち目を引く。
「美しいでしょ、どの生物だってあんなツノを持ったりしない。他にも魔物は火を吹いたり人間よりも何倍も大きな巨体を持っていたりするんだ、神でなくてなんなの」
「確かに、魔物は凄い力を持っています。でもだからこそ危険があるんです」
「凄い力を持つから危険? へぇー小娘ちゃん、その言葉を待っていたよ」
「……え?」
ニーザさんは武器を構えた姿勢を崩さぬまま私の正面に回る。眉間にピタリと合っている銃口を前にしても私はあくまで毅然とした態度を崩さず、内心ヒヤリとしつつも強気な姿勢は保つ。
「知っているよね? 世の中で道具を使う生き物は人間だけなんだ」
「知っていますけど」
「もちろん、武器を作り使うのも人間だ」
「それも、分かりますけど」
「武器を使えば、人間は魔物を殺せる。昔と較べてそんなに苦労せずにね」
「……なにが言いたいんです?」
「魔物には凄い力がある、だから危険っていうのがあなたの考え。じゃあ人間は? 道具を作って使うなんてどんな生き物より危険極まりないよね」
実際に、人間は最も他の生き物を殺害している生物かもしれない。魔物からすれば人間こそ危険と判断できてしまう。
「だったら、本当に駆除すべきは人間なんじゃないの? どう思う、小娘ちゃん」
「そ、それは……」
そんなことないです。
とは言い返せなかった。
「ほら言い返せない。なのにあなたは魔物を殺そうとしている。大きく食い違っているよ」
「じゃ、じゃああなたは人間を殺すんですか?」
「駆除すべきとは言ったけど、私はそんなことしたくない。無益だし面倒だから」
ニーザさんは決して、人間の味方だからとは言わない。
「さて小娘ちゃん、なぜあなたは他生物を殺しまくって蹂躙する野蛮な生物である人間のために殺すの?」
ニーザさんの意見も間違いではない。完全に否定する材料もない。
でも返す言葉は既にある。やっぱり黙っていられない。
「私は、人間だからです」
「というと?」
「私は人間だから人間の味方をするんです。いくらクモが空腹でも、クモの巣に引っかかっているのが人間ならば問答無用で助けます」
「へぇ……やっぱり面白いね小娘ちゃん」
「面白くてもつまらなくてもいいですけど、私は意見を曲げるつもりはありませんよ」
「そう。じゃあ、とりあえず話はこれでお終いにしてあげる」
ニーザさんが銃を腰のホルスターに納めたことで話し合いは終わった。いや、ほぼニーザさんの脅し紛いのものだったけど、暴力沙汰には発展せず避けられた。
「……そうですか、分かりました」
「でも覚えておいて小娘ちゃん、あたしは人間より魔物を優先する。下等な人間なんかより神を優先するのは当然のことだからね」
「下等ですか」
「せいぜいリヴァロの代わりに頑張ればいいよ、下等生物代表ちゃん」
ひらひらと手を振り、小バカにする態度は崩さぬままニーザさんが横切る。
ようやく変な人から開放された。内心で大きなため息と深呼吸を同時に行い、妙な来訪者の退場に歓喜する。
でも、これで終わりではない。
「あ、そうだ小娘ちゃん」
「え、なんですか」
また変な話か、嫌だな。またうんざりしながらも振り返る。
「あたしはこう見えてもけっこう腕っぷしには自信があってね。知ってる? 鉄則ってやつを」
「鉄則って、なんの鉄則ですか?」
「獲物は決して狩人を信じてはいけない」
その言葉ののち、銃声もなく弾丸が向かってきて、直後に痛みに変換される。
「あ、ああああ!!!」
私の脚に風穴が一つ。
「あ、やっぱり知らなかったんだ? あたしが好きなものその六、それはすぐ狩れる獲物。苦労しても簡単でも、獲った獲物の味は変わらないものさ。だからすぐ狩れる魔物が好き」
「な……なんで、なんでここまでするんですか……」
「ここまで? あたし言ったでしょ、邪魔だけで済めばいいのにねって。邪魔だけで済んでよかったよ」
「これは……人としてやってはいけないことですよ。人を撃つなんて……」
「ごめんね。でも安心して、威力は一番低いやつだから、止血しなくても死にはしないよ」
「私は、私は……ただ人間の味方でいたいだけなのに……誰かの役に立ちたいだけなのに……どうしてこんなことを」
「どうして? 私にとっては魔物が一番なの。だからシュロップシャーブルーが欲しい。それだけのこと」
「でも……魔物は……魔物は私が……」
「状況を考えなよ。今あたしに歯向かったら、今度こそ――」
親指を立て、下方へひっくり返す。
殺す――意味はきっとそれだ。
「じゃあ、せいぜい仲間に助けてもらいな。それとも、私に向かって撃ってみる?」
「そんなことはしません。私は、人は殺しません」
「殺さなくてもいいんだよ。あたしみたいに、殺さずに動きを止めることだってできるんだし」
「でも、私は……」
ニーザさんが咳払いを一つ。そしてついでに見下した前提の助言も一つ。
「いい小娘ちゃん。その甘い考え方じゃいつか死ぬのは自分になっちゃうよ。魔物を殺したいならまず自分が死なないことだね」
話は終わったようで、ニーザさんは倒れる私から離れシュロップシャーブルーの元へ行く。ニーザさんは手にした銃に捕獲用の弾丸を装填した。
「さて、神に風穴空けようかな。冗談だけど」
風穴を空けるつもりはない。殺すつもりはなく捕らえるのみに留めるつもりなんだと思う。
シュロップシャーブルーはツノの先が有毒性になっているものの、性格自体は大人しく、人が近づいてもすぐには逃げない。それをいいことに、ニーザさんは銃口を向ける。
銃のシリンダーを回転させ、引き金に指をかける。ピーナッツを弾くほどの力さえ込めれば、おそらく捕獲用の神経マヒ弾だと思うけど、あれがシュロップシャーブルーの動きを封じることができるはず。
あとは仲間を呼び、ロープなりなんなりで連れていけばいいだけ。それでも私が邪魔をするならば、高威力の弾丸に切り替え風穴を空ければいいと思っているはず。
「シュロップシャーブルー、いただくよ」
神経マヒ弾はシュロップシャーブルーの首元に命中。細い足はバランスを崩し、ゆっくり眠るように倒れ伏す。
銃の発射音は抑えられている。例え山中であろうと周囲に感づかれることはない。
「よーしこれでいい。完璧だねあたしの仕事っぷりは」
遠方から様子を見ていたニーザさんの仲間が駆け寄ってくる。捕獲用の長く丈夫なロープを手にした状態で。
仲間は全身を分厚いローブとフードで覆った体格の良い男。かろうじて顔は出ているけど、私からは距離もあり確認できない。
「はいはい、これでシュロップシャーブルーは捕まえた」
「あの少女はどうする?」
仲間の一人が質問する。
「放っておきな。あたしは邪魔だけで済ませるつもりだったし、それに、こうやって見せつけたほうがあたしたちのことがよく分かるだろう?」
「そうか」
「さて、シュロップシャーブルーをロープで縛ったら連れて行くよ。適当に飼いならしてツノを無限に採取できれば最高だね」
「そうだな、シカのような見た目をしつつも、そのツノは金の成る木。せいぜい金を生み出してくれればいいものだ」
シュロップシャーブルーは複雑に縛られたまま引きずられていく。満足そうな顔をしながらニーザさんたちは倒れる私の横を通り抜ける。
「ま、待ってください……」
「おや、なんだい小娘ちゃん」
「ニーザさんは、魔物を神と言っていましたよね? もう少し、優しく扱えないんですか」
「うん、尊敬しているし神だと思う。でも有効活用もできる、だから有効に活用する。それだけ」
「そう、ですか……」
「そもそも、殺そうとしている小娘ちゃんたちに優しく扱えって言われても、ねぇ」
「処理することと、雑に扱って痛めつけるのは違います」
「あっそ、じゃあやっぱりあんたも処理されたい?」
再びニーザさんは銃を向ける。やや脅しを含めた口調に私は押し黙る。
「痛めつけられるよりいっそ死んだほうがマシってこと?」
「そ、それは……」
「ウソウソ、殺さないよ。じゃあせいぜい頑張ってね」
腰に銃を仕舞い、私を冷たく見捨て横を通り過ぎていった。叫ぶ力も、もうない。望みは仲間の助けくらいだけど……。
動くほかない。出血多量で死ぬことはないけど、歩くのは楽じゃないレベルの傷だ。
「……こんなことなら、もう少し体を鍛えておくんだった」
嘆いても助けは来ない。でも早く立ち上がりすぎたらニーザさんたちにまた見つかり撃たれる。
現状、出来ることは一つ。
「そうだ、止血。止血しないと……」
止血するには足の付根あたりを何かで縛るしかない。都合よく縛る紐やら布がないわけで、それすら叶わない。
「ダメかぁ……もうこのまま行くしかない」
片足に少しでも力を入れれば痛みが走る。土を踏む度に力が抜け、また力を入れれば痛むの悪循環。
逆にそれが私の心に火をつける。厳密には何度も鎮火されかけているけど、ニーザさんに負けたくない悔しさと、シュロップシャーブルーを痛みつけてほしくない思いが再度火をつけた。
「私は、こんなところで立ち止まっていられない……私は、リコッタの想いを背負って魔物を処理しなくちゃいけないんだ」
かつて失った親友、リコッタ。
これ以上リコッタのような死者を出さぬためにも、人間のためにも、シュロップシャーブルーは処理せねばならない。
「……よし、ちょっと痛いけど、痛い方を引きずって歩けばなんとかなりそう」
死ななければ歩ける。歩ければ進める。進めればたどり着ける。たどり着ければまだ勝機がある。勝機があれば、まだチャンスはある。
戻るための道は少々長いけど、少なくとも志半ばで死ぬほどの道ではないしばらく歩いてみるけどニーザさんの姿はない。シュロップシャーブルーを引っ張りながらの移動は難航しそうだけど、どうやらもう去ったみたい。
「あー……良かった。私、あの人苦手なんだよなぁ」
すぐに考えを正す。ぜんぜん良くない。シュロップシャーブルーは相手に連れ去られてしまったんだし、手負いの状態で追えるわけはないけど少々残念だった。
「とにかく今はみんなと合流しよう……どっちみち私一人じゃどうにもできないし」
後の作戦は、ラングルちゃんたちと合流してから考える。
歩き続けるうちにだんだんと痛みにも慣れて普通に歩けるようになった。仮に鉢合わせても牽制くらいならできる。
それから数分、普段より少々遅い速度でラングルちゃんたちのキャンプへ戻った。歩き方からケガを察したラングルちゃんはすぐに駆けつけた。
次の瞬間、視界ゼロ距離には地面があった。土の臭いと若干口に混ざる土の味。硬く乾いた感触。どうやら倒れたらしいと直感で理解する。
「だ、大丈夫ですか!?」
「う、うん、大丈ばない」
「ど、どうしたんですか!? 寝てるんですか!?」
「ん……死にそう」
「あ、あああ、それは申し訳ないであります!」
「いや、別に怒ってるわけじゃないけど……あの、申し訳ないけど、助けてくれるかな?」
「は、ははは、ハイであります!」
ニーザさんの言った通り、銃自体の威力はかなり低かった。多少の出血は見られたものの止血するほどではなく、弾も傷口手間で留まっていて取り出すのは容易だった。
でも、まさか人間に撃たれるなんて想像すらしていない想定外のことだった。傷の痛みはもちろんのこと、心の痛みのほうが勝っている。
「しかしその……どうしてそんな傷を?」
「撃たれたの、銃で。バーンと」
「じゅ、銃でありますか? まさか、まさか、あの……」
相手の名を沈黙すべきと考えていたけど、悟られちゃったら黙るのも無意味かな。
「ニーザさんだよ。ニーザさんに撃たれたの」
「あ、やっぱりですか……もぉぉぉうしわけないです!」
ラングルちゃん、渾身の土下座。
最大の屈辱は最大の誠意と誰かから聞いた覚えがあった。土下座の具体的な意味なんて知らないけど、とりあえず出せる手軽で究極の謝罪がこれなのかもしれない。
「あ、あの、いや、そこまでしなくても」
「だって! だって僕の姉なんですよ! 本当に申し訳ないです! 死んで侘びます」
「えぇ……やめて、むしろ、やめて」
「じゃあ、どうしたらいいですか!? どうしたら僕の変な姉を許してくれますか……」
「それはその、あの人はちょっと怖いけど、ラングルちゃんが謝ることじゃ……」
「あ……そうですね、すいません」
土下座から立ち直り、それでも低い姿勢でラングルちゃんは立つ。今すべきは誠意ある謝罪ではなく有効な作戦だと気づいたのか、私に肩を貸した。
「ありがとう」
「いえ、肩くらいなら二つでも三つでも貸しますので」
どこに第三の肩があるのか、そこを追求すると面倒そうなのであえて黙っておく。
「とにかく手当しましょう」
「ありがとう」
肩を借りながらさっきのところへ戻ると、ラングルちゃんは手際よく医療道具を揃える。と言っても大げさなものではなく軽傷のための簡易的なものだけど。
「あの、ニーザ姉さんは何か言ってました?」
「うん、シュロップシャーブルーのツノを採取したいって。だから捕まえていった」
「シュロップシャーブルー……? 確か、けっこう珍しい魔物のはずでは?」
「偶然見つけてね、処理しようとしたら、後ろから銃を突きつけられてさ」
「あぁやっぱり……ニーザ姉さんは、ホント厄介だなぁ……」
姉の嫌なところがこれでもかと順番に出てこられると、さすがに妹として頭を抱えざるを得ないのかもしれない。
「私は、シュロップシャーブルーを処理したい。おとなしい魔物だけど、綺麗なツノには毒があるから、人間にとって有害だし」
シュロップシャーブルーのツノは宝石並の美しさがある。半無限に採取できる宝石なんて、ニーザさんには宝の成る木そのものだ。
「きっと、シュロップシャーブルーを捕まえてツノを取るつもりでしょうね……あぁホントに厄介な姉です」
「よほど仲が悪いんだね……」
「僕もリヴァロも、ずっと困ってましたよ」
「ずっと……あ、そうか」
考えてみれば、一番の敵に近い存在が目の前にいる。仲が良くないとはいえ、きょうだい以上に詳しい人物なんて他にいない。情報提供を求めるなら最高の手だよね。
「え、なんですか」
「ラングルちゃんは、ニーザさんのいそうな場所とか、分かる?」
「えぇと……しばらく会ってなかったのですが、なんとなく分かります」
読み通り。最高の情報提供者かも。
「どこ?」
「え、でもその前に聞きたいんですけど、まさか攻め込むつもりですか?」
「攻め込むというか、場所をちゃんと知りたいの。シュロップシャーブルーがどこにいるのか」
「場所を知ってからは、どうするんですか?」
「そ、それは……」
軍隊ではないうえまともな戦力などない現状で勝てる見込みなんてない。そもそも私たちは戦闘要員ではないのが大前提だし、戦闘のつもりで攻めこんでも死んで終わるだけ。
「まさか、魔物を助けに行くなんて言わないですよね?」
「言いそうだった……」
「正直言って、ムリですよ。ニーザ姉さんは性格サイアクでヘソは曲がり、口も悪いですが、もっと厄介な部分があるんですよ」
「なにが厄介なの?」
「カリスマ性があるんです」
「かりすま? ってなに?」
「要するに人望です。悪い人ほど人望があるんですよ」
「あー、なるほど」
ニーザさんは人を動かす力と人の心を操る能力に長けている。魔物の命を尊重したり、有効活用して稼ぎに使う人間も多いなか、架け橋でもありまとめ役にもなるのがニーザさんだ。
「シャウルス先輩、ニーザ姉さんの仲間は何人いました?」
「一人だけだったけど」
シュロップシャーブルーを引っ張る係として現れた一人の男だけ。
「それがニーザ姉さんの作戦なんですよ。仲間は最小限だけ出して油断させるんです」
「なるほど……私もちょっと油断しちゃった」
「きっと凄い数の仲間がいますよ。僕なら戦いは挑みませんね」
「どのみち私も、争いは避けたいよ」
要するに手詰まり。いくら作戦を立てようとも、動けなければ無意味。
「駆け出しド素人で青二才の僕が言うのもアレですが、正直言ってシュロップシャーブルーは諦めるしかないと思います。魔物を処理するために僕らが死んだら意味ないですよ」
「そ、そうだね……」
でもこうして足踏みすらできない間にも、シュロップシャーブルーはニーザさんたちに良いように扱われるんだろう。そして有害な毒を有するツノを持ち続け、誰かを傷つける。
「やっぱり、諦めるしかないんだね……」
「そうですよ、魔物はまだまだ他にもいるんですよ。シュロップシャーブルーだけに拘るわけにはいかないんです」
一つの魔物に固執すれば他を見失う。仲間も失いかねない。諦める他に道はない。
「……仕方ないね」
「納得いかないって顔ですね」
「納得は、いかないよ……でも切り捨てる覚悟もしないとね」
切り替えるのは容易ではないけど、気持ちを切り替えるしかない。まだリヴァロさんに託された使命は果たしていないから。
「よし、じゃあ調査に行こう」
「そうですね」
足は最低限の治療だけで済ませる。一度戻るほどではなく、むしろ日が暮れれば後に悪影響だ。すっかり寝ていたルクロンさんも起き、改めて現在地を確認する。
今は狙いの魔物の生息域からまだ遠い。今日中にたどり着くつもりだとおそらく夜中になる。だからまずは休めるところを探すしかない。
「でも……大丈夫ですか? ホントに歩けます?」
「うん、無理なら無理って言うから」
「ハイ、ならそうしてください」
荷物を手に取り行動再開。ケガで立ち止まるのも大事な休息だけど、早めに行動せねば夜が迫る。
魔物死体処理係専用の中継地点は至る所に設置されている。
中継地点と言えば聞こえは良いけど、最低限の雨風を凌げる建物であり、寝れればマシな程度しかない。それでも夜を跨ぐ長旅なら壁も天井も神の恵みのようなものだけど。
幸い、今は嵐もなければ大雨もなく、雷も顔を出さなければ魔物もいない。中継地点へ安全に進むなら絶好のタイミングかも。
「シャウルス先輩、足は痛みますか?」
「うん、大丈夫」
「もし! 痛むなら僕が背中におぶります! 遠慮なく!」
「えっと、大丈夫」
気遣う気持ちはともかく、このラングルちゃんの勢いにはどうにもついていけないところがある。とってもいい子なんだけど、ちょっとそそっかしい。
「……それにしても、ここは暑いし乾きますね」
ここはさっき休んだところよりも少し進んでいる。あんまり変化ないはずなのに、妙に気温が高く湿度が低い気がする。ラングルちゃんは額の汗を拭いながら項垂れ、それにはルクロンさんが答える。
「そりゃ魔物の死体の影響だ」
「え、そうなんすか?」
「スキールって魔物は、死ぬことによって特殊な毒が上空に舞い上がる。毒自体は無害だが、一定数死んで毒が空に溜まると、それによって気温が上がる」
「そ! そんな魔物が空にまで影響を!?」
「そうだ、一定数ってのはかなりの数が必要だが、それが今だったってことだな」
「でも、毒が溜まった雲って、地上は大丈夫なんですか?」
「毒は気温を上げるくらいしか害がない。それに、大丈夫じゃなければとっくに大きな被害が出てる」
「そういやそうですね」
「暑いなら水でも飲んでおけ。川に補給でも行くか」
幸い、ここは自然環境には恵まれている。ちょっとそれっぽいところを見れば、川くらいなら見つかる。
少々急な斜面を降り、川のそばまでたどり着く。水は澄んでいて、魚らしき影もいくらか見えた。少なくとも清潔らしい。
「お前ら、川の水を飲むときはちゃんと解毒しておけよ」
川には様々な微生物や微量な毒が混ざることは基本である。ひし形で緑色の解毒石を水に混ぜることで、一つあたり一リットルほどの水を浄化できる。
川に生息する微生物や微量な毒程度では人間は死なない。酷くても腹痛が襲うほどだ。でももし川の上流に魔物の死体があり毒を持つ個体ならば、接種しては危険。
「分かってますよ、ちゃんと持ってきてます」
遠方への調査なら必需品で基本中の基本。これをなくしては成り立たない。大きめの水筒に水を汲み解毒石を投入して浄化する。効果は一リットル分、一度水につけたら消耗が始まるから、水筒に保管するしかない。
解毒石は魔物の血の塊から抽出した成分を元に作った石。だから煮沸や濾過を簡単にできない状況なら重宝する必需品。
「よーし、これでバッチリですね」
「水は確保した、行くぞ。ラングルも大丈夫か?」
「ハイ! しっかり浄化しておきました!」
「そんな元気な必要はないが、まぁ分かったよ」
長旅での水は必需品。冒険になくてはならない存在である。特に浄化を怠れば何かしらに蝕まれる可能性は高い。
長旅の最中で毒でも食らえば、引き返すハメになりかねない。そんなみっともない理由を引っ提げて帰れば笑いものになること間違いない。
「よしシャウルス、ラングル、今日は中継地点で休もうか」
時間はまだ夕方。寝るにはまだ早いけど、ここから先はしばらく中継地点がない。いま休みに入るのがベストなのだ。
「ふぅ……落ち着きますね」
この小屋は、予め設置された中継地点である。木でできた小屋には最低限の生活ができる設備がそれなりに揃っていて、魔物死体処理係や駆除係のチェックポイントになっている。とりあえずは安泰。雨風を凌ぐのならここで十分。
小屋の大きさは中程度。個別の部屋は四つあり、お世辞にも広いとは言えないけどベッドは綺麗に整っている。小屋は死体処理係の中に管理している人間がたまに来ているらしく、掃除は行き届いていた。砂一つない掃除には定評がある。
小屋の中は、大の男三人ほどが両手を横に広げても十分なほど広く、家具もいくらか設置してあった。
木製の長テーブルが一つとイスが四つ。中央に設置されているから仲間が集っても不便はない。多少粗悪な作りに目を瞑れば満足できる。
「よく落ち着けるなシャウルス。俺はむしろ外のほうがいい」
「えぇ? 外ですか」
「狭い部屋は嫌いなんだ。外で寝たい」
「で、でも危ないですよ。私たちも落ち着かないですし」
「そうか? なら中でいい」
野性味溢れる話になんとか決着をつけて、今日は休むことにした。というより、今は休む以外の選択肢がないと言っても過言ではない。
「うーーん、じゃあ失礼ながら、僕はもう寝ますね」
大あくびをかましながらラングルちゃんは部屋を選ぶ。まだ寝るには早すぎる時間だと思うけど、ラングルちゃんはもう布団に潜りたい気分らしかった。
「え、もう寝るの?」
「なぁんか、すっごい眠いんですよね」
「まだ夕方だけど、昼夜逆転しない?」
「大丈夫ですよ、バリバリ元気に動きますんで」
妙にまぶたを重そうにしながらラングルちゃんは部屋へ消えていく。元気が破裂しそうな性格だとは思っていたけど。
「んー……ルクロンさん、なんかラングルちゃんの元気がなくないですか?」
「そうか? ちょうどよく黙ってくれたほうがやりやすいがな」
「それはそうですけど、それ酷くないですか」
「そうか?」
普段から元気な人が静かだとそれはそれで心配になる。今はそっとしておくしかないから特に触れないでおく。
「シャウルス、明日の朝まですることはない。寝たければ寝ておけ」
「いやぁ私はまだ眠くないですね」
「でもすることないだろ。本とか持ってきてるのか?」
「な、ないですね」
暇つぶしグッズは一つもない。かといって寝るのは早すぎる。安らげる場所は安泰だけど、できることがなさすぎるのも辛いものがある。
「あ、そうだ。ロンカルさんの昔の話とか聞きたいです」
「楽しい昔話なんて一つもないぞ」
「楽しくなくてもいいですよ。言いたくないなら別にいいですけど」
「そうだな、じゃあ昼飯でも食べながら聞かせてやるよ」
カバンから昼食であるサンドイッチを取り出す。油を吸い取る薄い紙に挟まれたそれは、疲れた体が最も欲している物だった。
「あれ、そういえば、ラングルちゃんはお昼ごはん食べないんですかね」
「あいつの性格から考えたら昼飯を食べずに寝るって妙だよな」
「そうですね」
妙とは思いつつも、寝ているのに起こすわけにはいかない。不自然だけど放っておくしかない。
「まぁいいだろ、腹が減るのはあいつの勝手だ」
「そ、そうですね」
「で、俺の昔話を聞きたいんだろ」
「ぜひぜひ」
「ところでシャウルス、お前は雨は好きか?」
「雨? どっちかって言うと嫌いですね。特に任務中に降られたりしたら、最悪だと思いますよ」
「これから俺が話す昔話は、雨が好きになる話だ」
「そんな話あるんですか?」
「俺が昔、乾燥地帯の任務についていたときは、むしろ雨が恋しかった。喉が砕けそうなほど乾いて、空気を吸うだけで鼻も乾いていった」
「いわゆる、砂漠ですか? 私はまだ見たことないですけど」
「いや砂漠じゃない。荒野と言ったほうがいいか。砂漠は砂ばかりだが、荒野は乾いた岩ばかりの大地なんだ」
「そこには、魔物を狩りに行ったんですか?」
「あぁそうだ。誰もいない荒野で、仲間を連れて、誰もいない場所にいる魔物を殺すためにひたすら歩いたんだ。魔物を狩ること自体は難しくない、魔物は基本的に弱いからな。でも問題になったのは環境のほうさ」
「過酷そうですね。そんな環境で魔物を狩るのは」
「過酷だ。だから俺は仲間を一人だけを連れて行った」
「仲間というのは?」
「お前は知らないやつだ。良いやつだったが、その任務中に死んだのさ」
――聞いちゃいけないことに触れたと感じ、自分の口をふさぐ。
「気にするな。昔のことだ」
「う、ハイ」
「荒野は過酷な環境だ。でも過酷な環境に生きる魔物は、やはりそれなりに危険でな。整った環境にいる魔物よりも手強かった」
「手強いというと、どういったことがですか」
「乾燥した環境だと魔物の肌はそれなりに硬くなるんだ。日差しや乾燥に耐えられるようにするため、丈夫になっていって物理的にも強くなる」
「なるほど。でもそれって、人が亡くなるほど強いんですか?」
「死んだ相棒は普段から弓矢を使っていた。だが、荒野の魔物は手強そうだからとその日は珍しく銃を使ったんだ。これが仇になった」
「銃でも倒せないって、そんな強力な魔物がいるんですか……?」
「あぁ。異常なまでに硬質な皮膚でな。魔物は銃の弾丸を弾いて、で、相棒に跳ね返った」
「そ、そんなこと、あるんですか」
「笑っちまうよな? 弾丸が跳ね返って自分に命中して死ぬなんて、バカバカしいにもほどがある」
「笑いは、しないですけど」
「そうか、優しいなお前は」
人が死んだ話なんて、笑えるわけもない。
他人をなんとも思わない人物なら、お酒を飲みながら笑い話にもしたのかな。
「だから俺は、もうそんな失敗はしない。お前らに同行する以上は誰も死なせないし、俺も死なない」
「大丈夫ですよ、今回はそんなに危ない魔物はいないと思います」
「魔物を殺すこと自体は難しくない。だがあんまり油断はするな」
「そ、そうですね。油断はしません」
「ところで、足は大丈夫なのか?」
「えぇ、なんとか無事です。寝れば治ると思います」
「そうかい、撃ったやつはニーザって言ったっけな?」
「そうですけど?」
「相手を殺したいか?」
「――え?」
突然の質問に、軽く戦慄する。
「思い、ませんけど。なんでそんなこと聞くんですか?」
「俺は昔、犯罪者の処刑人をやっていたことがある。目の前にいるやつを撃って殺すんだ」
「それって、死刑判決ってことですか?」
「まぁそうだな。最初のうちは心が痛んでいたが、何度もやっていくうちに感覚がマヒしていくんだ」
「罪悪感が、なくなるってことですか?」
「仕事と割り切れれば罪悪感はない。感覚がマヒってのはそこじゃなくて、処刑される人の悲鳴や命乞いの言葉や表情が、なんとも思えなくなる。それが嫌なんだ」
「だから、処刑の仕事をやめてこっちの仕事についたんですか」
「そうだな。でも処刑の仕事をやめた今となっても、俺は人を殺す感覚がマヒしたままなんだ。だからもし、お前がニーザってやつを殺したいと思うなら、俺も手伝う」
「こ、殺したいなんて思ってないです。だから、そういう話は……」
「そうか、お前にその意志がなくて安心した。魔物がいる世の中で人間同士の争いなんて下らないからな」
「私は実際に撃たれました。相手のことを憎いとか悔しいとか思いました。でもそれこそ殺しちゃったら、相手の思うツボだと思います」
「それでいい。子供は物騒なことを考えなくていいんだからな」
「もしも、そういうのがやむを得ない場合は分かりませんけど」
「分からなくていい。今はな」
「……」
人間同士の争いが来る日だって、あり得ないとは言い切れない。
魔物がいようがいなかろうが、人間同士の考えの相違なんていくらでもある。
「さて、今日はもう寝ろ」
「ロンカルさんは、寝なくていいんですか?」
「寝るさ、コーヒーを一杯だけ飲んだらな」
「コーヒーって美味しいんですか?」
「いや不味い。俺は苦いのが嫌いでね」
「じゃあ、どうして飲むんですか」
「不味いから飲むんだ。飲んでみるか?」
恐る恐る、頷く。前提として不味いと言われてしまうと心底飲む気が失せるけど、チャレンジ精神が背中を押す。
新たにコップを出し、ルクロンさんの持つ水筒からコーヒーを注ぐと、湯気に乗って香ばしい香りが漂う。
「いただきます。残しませんからね」
「頑張って飲め。飲めるもんならな」
砂糖もミルクもナシの純粋のコーヒー。……どうだろう。
「う……これは」
「不味いだろ。俺の作るコーヒーは不味い」
「でも一度飲んだからには最後まで飲みますよ」
若干の無理を交えながら最後まで飲みきり、渋い顔でコップを下げる。
「あーこれは……もう二度と飲まないと思います」
「子供は砂糖とミルクでも入れておけ。それなら飲めるだろうな」
「おそらくそうですね」
「さて、満足したら寝ろ。早く寝ないと寝れなくなるぞ。コーヒーにはそういう効果があるからな」
「へぇーそうなんですね」
「大人は、逆にこれがないと寝れないんだ」
飲むと寝れなくなるのに、飲まないと寝れない? 真逆の情報を与えられて混乱しちゃうけど、それが大人の世界かと頷き納得しておく。
「じゃあ私、寝ますね」
「あぁ、そうしてくれ……いや、待て」
「え?」
ルクロンさんは銃を持ち外へ視線を動かす。何かの気配を感じ取ったらしい。
「どうしたんです?」
「静かに。外に誰かいる」
「……動物や魔物、でしょうか?」
「いや、動物や魔物にしては動きが少なすぎる。おそらく人間だ」
「に、人間?」
こんな時間に、わざわざ目の前に来る人間。一人だけ心当たりがある。先制攻撃もなければ威嚇もない以上は、確認するしかない。
「……おそらくですが、ニーザさんです」
「あぁ、お前を撃った女か」
「ど、どうしましょうか?」
「おそらくお前に用がある。無視するか対応するか決めてくれ」
「そう、ですね」
「俺はどちらでも構わないが、もし相手に攻撃の意志があればこっちも攻撃する。そう伝えてくれ」
「はい」
銃は腰の後ろに忍ばせておき、いつでも抜けるようにしておく。銃は弾が空でも見せるだけで威嚇の役割を果たせる。
ドアを開け外の様子を探る。予想通りにニーザさんが立っていた。武器は、正面から見た限りでは所持していないようだった。隠し持っている可能性まで考慮すれば、背後にならいくらでも隠せる。
「どうも小娘ちゃん。いや、シャウルス」
「どうして、ここが分かったんですか?」
「ここはあんたらの中継地点でしょ、分かるさ」
「なんの用ですか」
あくまで警戒は怠らない。気を許せば相手は調子に乗る。調子に乗れば主導権を握られる。そうなれば強引に押し切られる。
「ちょっと忠告しておこうと思ってね」
「忠告?」
「あんたは、強い。なぜって、あたしを前にしても堂々としていられるからね。でも強いだけじゃこの先はやっていけない。きっと苦労するときが来るかもしれない」
「……なにが言いたいんですか」
「だから、その後ろに隠し持っている銃を使うときが来るかもしれないってことさ」
ニーザさんのハッタリを食らい、無意識に後ろに手が動く。当てずっぽうが的中して武器を隠し持っていることがバレた。
「やっぱ持ってるんだ」
「……でも私は、あまり使うつもりはないです」
「あたしの嫌いなことその一、宝の持ち腐れ。刃物は斬ってこそ価値があり、矢は的を射てこそ価値がある」
「銃は宝じゃないですし、本当に必要以上の価値なんてなくてもいいです」
「必要以上の価値ねぇ」
「もしかしたら、ニーザさんの言うことは間違いじゃないのかもしれません」
「お、認めるつもりになったのかな?」
「そうじゃありません。魔物は危険とはいえ、私たちと同じ命なのは違いないです。だから保護する人の気持ちも分かります」
「なにが言いたいんだい?」
「でも私は、それでも人を撃ったりはしません。あなたみたいに、目的のために人を傷つけるような行為は間違っています」
「へぇー」
ニーザさんは銃を抜き、私の額にピタリと向ける。
でも動じない。動じればすなわち負けを認めたことになるから。例え威嚇射撃をされてもまばたき一つするつもりもない。
「ねぇ小娘ちゃん。その強さは本当に面白いと思う。でもね、世の中は綺麗事だけで成り立つ世界じゃないんだよ」
「綺麗事でいいですし、それだけで成り立たないのも分かってます。人間同士でケンカしたりするのも分かってます。でも私は、綺麗事を信じていたいんです」
「へぇー」
なおも銃口を降ろさずニーザさんの態度は変わらない。
「綺麗事じゃ世界は変わらないし、そんなことを考え続けててもけっきょく人の本質は変わらない」
「世界のことなんて分かりません。そこまで大きな話は、私にはどうにもできないです」
「じゃあ覚悟じゃあたしのほうが上だね。あたしは先の先まで考えているから」
「先の先って、自分の利益のことがほとんどですよね」
「そうかもね」
銃は降ろされた。引き金からも手は離れすでに撃たれる驚異はない。
「じゃ、あたしは帰る。襲ったりしないからゆっくり寝てな」
「そうですか」
「あんた、シュロップシャーブルーについては聞かないのかい?」
「聞いたら教えてくれます?」
「教えないよ。じゃあさよなら」
言いたいことだけ言ってニーザさんは帰っていった。余裕があるからか甘く見られているからか、背中はガラ空きのまま。追いかける気など毛頭ないけど。
話は終わり部屋へ戻る。警戒を怠らなかったルクロンさんは銃を片手に立っていたけど、戦いに発展せず安心した。
「どうだ、大丈夫か」
「はい、問題はないです」
「あいつに攻められる心配はないだろうな」
「絶対はないですけど……その気はなさそうです」
「ならいい、寝ておけ」
今ニーザさんのことを危惧しても仕方がない。やられる前にやり返す心情はないから大人しく寝ることにした。
個室に戻ってベッドに潜ると、心地よい眠気が迎えてくれる。今日は色々とあった。主にニーザさん関連だけど、後のことを考えれば今回のストレスはまだ序の口なのかも。
「人間同士の戦いだけは、したくない」
自分に言い聞かせるように呟き、ゆっくり目を閉じると、すぐに眠りに入った。例え止むを得なくても、人間同士の争いだけは避けたいところ。
あくまで目的は魔物の処理であり、あくまで銃口や矛先を向けるのは魔物だということは揺るがない。その目的を間違えてしまえば、それはもう戦争になる。
翌朝。
けっきょくニーザさんは攻めてこなかった。
あの人は横暴だし、口も悪いし荒っぽい。けど簡単に人を殺せる人じゃないし、殺しに喜びも感じてないのかも。とりあえず一晩を凌げたことに不思議な喜びを感じる。
「シャウルス、寝れたか」
ルクロンさんが外に出てきて、外で優雅に伸びをしていた私の背中へ向かって言う。
「あ、おはようございます。寝れましたよ、ちょっぴり不安でしたけど」
「そうか、あいつが攻めてこなかったなら良かったな」
「ですけど、向こうで鉢合わせの可能性もあります」
「そうならないよう願うか、そうなれば俺が対処する」
場合によっては殺害も……遠回しにそう言っている。
「私は、なるべく人は殺したくないんです」
「あくまで可能性だ。最悪のな」
最悪の、可能性……それだけは避けたい。
「ところで、ラングルはどうした」
「まだ寝てるんじゃないですか?」
「起こしてきてくれ。起きなきゃ三人で罰ゲームだ」
「なんで連帯責任なんですか」
小屋へ戻った私は、ラングルちゃんが寝ている部屋をノックしてみる。が、返事がない。
「おーいラングルちゃん。起きてる?」
寝坊をするようなタイプかなぁ。と勝手に決めつけていたけど……それにしても、あまりにも返事が無さすぎる。
――まるで、死んでいるかのように。
「まさか」
嫌な予感が過る。予感程度で留まってほしいと願うけど、真相はドアの向こうにある。
「入るよ、ラングルちゃん」
焦る気持ちを抑えつつドアを開く。
昨日なら無駄に元気な挨拶が飛んでくるはずだけど今日は無言一筋。ベッドには人が入っているようで、布団が盛り上がっている。ドアを開けても気づかないなどあるわけがなく、寝ているにしては寝ぼけすぎだ。
「ラングルちゃん、大丈夫?」
「……」
返事は、ない。
「ラングルちゃん!」
布団を引っ剥がし様子を確認する。蹲っているラングルちゃんは両肩を抱き小さく震えていいたけど、なにかに怯えているようにも寒がっているようにも見えた。
「ちょっと確認するよ」
片手を取ってみるけど氷のように冷たい。肌の色も青白くなり、血液の流れも良くはなさそうだった。
普通に寝ているわけがない。これはおそらく何かの病気。
いや、でも昨日は普通に元気だった。一晩でここまで具合が悪くなるなんてことはないはずだけど。
「ラングルちゃん、ラングルちゃん、大丈夫?」
返事はない。呼吸はしているみたいだけど、非常に弱い。
どうしよう。私には医療知識なんてないから下手なこともできないし、でもこのままじゃ死んじゃうかもしれない。
そ、そうだ。ルクロンさんなら分かるかも。
急いで呼びに行き、状況説明。
必死の説明でラングルちゃんがマズい事態になっているのは伝わったと思うけど、焦った私の説明で大丈夫かな。
「危険な状態だ」
「え?」
ルクロンさんは、至極冷静に言い放つ。
「シャウルス、お前はこいつの体に触ったか?」
「えーと……さっき片手を触って体温の確認をしましたけど」
「……そうか、ならお前も警戒しておけ」
「警戒って、どうしてですか」
「こいつの症状は水性毒だ」
「水性毒って、確か魔物の毒単体では大した効果がなくても、水に長時間混ざっていると毒性が強くなるアレですよね」
「あぁそうだ。こいつは昨日、それを飲んだんだろう」
「あれ? でも、解毒石で浄化してましたけど」
「おそらく、解毒石が欠けていたんだろう。多少ならいいが、あまり欠けすぎていると毒を食らう。ちゃんと確認しないからこうなるんだ」
私も解毒石の欠け具合なんて確認していなかった。もしも自分のも欠けていたらと思うと……ラングルちゃん同様になっていたのは間違いない。
「しかし、妙だな」
なにが妙なんですか? そう質問してハッキリとした解を得てもよかったけど、それでは芸がない。だから自分なりに推理してみた。
解毒石は一つ使えば一リットルを浄化できる。でも欠けていればそれなりに毒を食らう。それは正しいんだけど、妙なのはおそらくこの後だ。
石が欠けていたとはいえ、毒はそれほどストレートに食らわないはず。いくら魔物の毒でも、あのラングルちゃんの具合の悪さは尋常ではない。せいぜい軽い腹痛や、軽い内蔵の痛みくらいだと思う。
「確かに、妙ですね」
「分かるのか」
「毒が強すぎるって話ですよね?」
「あぁそうだ。こいつはいくらなんでも重症すぎる。毒以外のなにかを食らったか、それとも俺たちが想像している以上の毒性だったか」
「そんな魔物、いますかね?」
魔物の中には毒性が強い血液を持つ者がいる。でもそんな魔物はどこにでもいるわけではない。ましてやそれが都合よく川の上で死ぬなんてかなり低い確率だし。
「考えられるのは、環境の変化だな」
「環境が変化したことで、普段出ない魔物が出たとか?」
「それもあるだろうが、これほど毒性の強い魔物はこの辺りの地域にはいない」
「じゃあ、かなり遠くから来たとか?」
「そこまで急激な変化はない。おそらくこれは、環境変化の連鎖だろう」
「環境変化の、連鎖?」
「まず、自然環境というのは常に変わり続けている。気温に湿度に、もっと細かく言えば生物全体の数に至るまでな」
「それは分かります」
「だから、その小さな変化が連鎖して魔物の体の構造に変化したのだとすれば、身を守るために毒が強くなるのは頷ける」
「なるほど……」
自然に殺されないため、身を守るために肉体が変化することはある。急激な変化は珍しいことだけど、あり得ないことじゃない。
「じゃあこれは、新種の毒って可能性もありますか?」
「この症状には見覚えがある。たぶん新種じゃない。だから今までよりも強い毒になったんだろう」
「ならどうしたらいいですか? いったん戻ります?」
「こいつ次第だな。邪魔になるなら帰ってもらう」
少々雑な言い方だけど、間違ってはいない。足手まといになるくらいなら、いないほうがマイナスにならずに済むだけの話……ってことなのかな。
「聞いてみますか」
結論を答えられるのはラングルちゃんだけ。本人が決めるのが一番早い。
「ラングルちゃん、具合が悪いならいったん帰る?」
「うぐ……帰りま、せん……」
「ルクロンさん、私こういうときこう思うんですけど、やっぱりダメそうですね」
「あぁ、こいつには帰ってもらおう」
もう答えなんて聞かなくても分かる。あからさまに具合が悪いし、途中で死んじゃったりしたら申し訳ないし。
「でもどうやって帰します?」
「川に流していいならそうするけどな、仕方ないから照明弾で応援を呼ぶ」
照明弾は空に向かって撃てば、仲間に報せることができる。ここは中継地点だから場所も分かりやすいはず。すぐに誰かが来ればラングルちゃんも病院に行けるかも。
「じゃあ、俺は照明弾を撃ってくる」
「待っ……て」
ラングルちゃんは弱々しい声を出しながら半身を起こした。どう考えても遠くまで歩けそうにないけど……無理しないほうがいいと思う。
「どうしたのラングルちゃん?」
「僕は大丈夫です……何もできずに帰るなんてできません」
「そう言われても、ね……」
「足手まといにはなりません。もし死にそうなら自分で帰ります」
「死にそうならって、ホントに大丈夫?」
「だ、大丈夫ですよ。解毒はそれなりに効いてますし、時間が立ったら少し良くなりましたし」
「……って言ってますけど、どうしますルクロンさん?」
意見を求めると、渋々といった表情で迷っている様子だった。きっと連れていくメリットも考えてのことなんだと思う。
「仕方ない。ラングルは邪魔になりそうだが、役にも立ちそうだ。これから先は二人だけで行くのは避けたいし、かといって応援を呼ぶために戻るのも辛いし」
「じゃあ連れていくんですか? ……なんか、重症、重病、危篤が三拍子揃っている感じですけど」
「死んでないならまだギリ大丈夫だろ」
途中で倒れたりしたら、そのときは照明弾の出番かな。
「じゃあラングル、さっさと起きろ。志半ばで倒れたら捨てていく」
「それで構いません、僕は死んでも進みますから安心してください」
死んでも進むって、それ逆に怖い気がするけど、元気ならそっとしておこう。
毒は自然に排出されにくいものだけど、されないわけじゃない。解毒石を二つ溶かした水を飲んでいればそのうち良くなる。と、思う。
解毒石二つ入りの水を作ってあげると、ラングルちゃんは立ち上がった。フラフラしている様子はない。でも無理してるのかな。
しっかり水さえ飲んでくれれば死にはしない、といいけど。
「とにかく! 僕は元気! むしろ元気!」
「逆に不安になるんだけど」
「ピンチはチャンスですよ。不安なときこそ安心するんです」
「なんかもっと不安になってきた」
もう何を言ってもポジティブに受け取るんだろうなぁ。羨ましいその飛び抜けた元気。戻るつもりがないんなら、とことん頑張ってもらうしかない。とにかく、今日の動きは決まった。大きなトラブルは抱えているけども、なんとかなるかな。
ちょっと、いやかなり、いやとっても心配だけども、ここで置いていったってけっきょく聞いてくれないだろうし、もうこのまま一緒に来てもらおう。
今日中にはこの任務も終わらせて、そしてスッキリした気持ちで帰る。ちゃんと帰ってラングルちゃんのことも治す。それが今日やるべきことなんだ。
それからというもの、仕方ないけど少しペースは落ちた。もちろんそれはラングルちゃんの体調の悪さにもよるところはあるけど、ルクロンさんは責めたりしないし、私も別にラングルちゃんを悪く思ったりはしない。
でも、もしも機敏に動かないといけないときは守らなくちゃいけないけど、そこは心配。
「ねぇラングルちゃん、ホントに大丈夫?」
「大丈夫です! ホントに、大丈夫ですから!」
「でも辛そうだし……やっぱり一人でも帰ったほうが」
「……アハハ、すいません、僕、どうしても焦ってしまって」
「どうして?」
「だって僕、新人のうえにグロいの苦手で、毒まで食らっちゃって……足手まといで……はぁ、先輩たちに迷惑ばっかりかけて……そもそも、どうして僕なんかがこんなに遠い場所の任務を任されるんですかね、僕いらない気がするんですけど」
「そう、かな?」
私が言えたことじゃないけど、たしかにラングルちゃんはまだ力不足。死体が苦手となるとこの組織にすら不向きかもしれないし、ルクロンさんだって内心では思うところがあるのかもしれない。
けど、リヴァロさんは私にこう言っていた。
「ラングルちゃん、私ね、リヴァロさんに一つ言われたことがあるの」
「えぇ? なんですか」
「筆記試験は見事に合格。でも特別に優秀なわけじゃないし、多少は点数が低くても雇うつもりだったってさ」
「点数が低くても、雇うつもりだった?」
「人手不足だから、だってさ」
「え、そんな理由なんですか?」
「うん、この任務はね、死体とかが苦手な人もいっぱいいるから、やりたがる人が極端に少ないんだって」
「あ、それならリヴァロから聞きました。だから僕、役立たずなのにここにいるんですね……」
「そんなことないよ、誰かがいてくれるだけでもこの組織は嬉しいんだから。それに、私だってまだまだなんだし」
「誰かがいてくれるだけでも、嬉しいんですか」
「そうそう」
正直、私たちだって必ず二人だけでやっていけるか分からない。三人だからこそできることもあるはずだし、三人寄れば文殊の知恵とも言うし。
「だからラングルちゃんは、ここにいていいんだよ」
「は、はい! その、今は絶賛足を引っ張り中ですけど……何かの役には立ちますので!」
畏まってそう言われるとちょっと照れちゃう。けど、これでちゃんと立ち直れるんなら、照れちゃうくらいなんてことないね。
先頭を歩くルクロンさんは今の話を聞いてか聞かずか、急に立ち止まった。ここは斜面の緩い山道。植物も少ないから比較的歩きやすいけど、何か見つけたのかな。
「どうしたんですかルクロンさん」
「気をつけろ、生きている魔物だ」
「生きている魔物?」
「あぁ、俺が駆除する」
魔物は額に緑色の宝石のようなものをつけている、体全体が太くて鼻のないゾウに近く色は全身黒の毛むくじゃら。けど大きさは人並みだから比較的中型の部類に入る。
動きも遅く危険はない種類だったはず。でも警戒心が強いからあまり人間が近づきすぎたりすると威嚇行動に出るらしい。肝心の名前は忘れちゃったけど。
ルクロンさんは銃を構えて魔物を睨みつける。私は急所までは知らないけど、分かるのかな。
「ルクロンさん、倒せそうですか?」
「いや……ダメだ。あいつは殺せない」
「え、でもたしかあれ、弱い魔物ですよ」
「ここは、駆除禁止区域だ」
「そ、そんな……」
魔物はどこでも殺して良いわけではない。自然に死んだ魔物ならともかく、殺す場所によっては環境に大きな影響が出たりもする。でもここはただの山のはず。環境への影響はそこまで大きくない。
「このへん一帯は、富豪の所有地だ。もしここで殺したのがバレれば大問題になる。下手すりゃ魔物死体処理係も危うい。近道だからしらんふりして通り過ぎようと思ったが、魔物はどうしても無視できない」
この山を登らず迂回してしまうと、丸三日はかかるルートを覚悟しないといけない。さすがに私たちが持たないからこの所有地である山をさり気なく登ってはいたけど……バレなきゃセーフの理論は私にはちょっと怖かったけど、でもルクロンさんがそう提案したし、実際にルートは簡単で短い。
「で、でも自然死ってことにしておけばバレないんじゃないですか?」
「俺は銃で殺すんだ。弾の痕迹で確実にバレるからな」
「じゃ、じゃあどうします? ナイフですか?」
「あいつは警戒心が強い。下手に触らず、ゆっくり通り過ぎるのが一番だ」
「そうですね、そうしましょう」
ここから少し走れば、この山の敷地内から抜けられる。今は慌てず騒がず、とにかく刺激しないようにしなくちゃ。
ゆっくり、ゆっくり歩けばきっとバレない。きっと大丈夫。距離はまだ五メートルほどあるから、少なくともニメートルくらいまで近づかなければセーフかも。
よし、順調に……順調に魔物の横を通り過ぎている。これなら、きっと何も起きずに通り抜けることが……。
バキッ、と私の足元から小気味の良い音が鳴る。太い木の枝を踏んだ音は魔物の耳にも届いたようで、緊張が走る。ようやく真横を通り過ぎている最中なのに、魔物は音に気づいたようでこちらへ正面を向けた。
「マズいですよルクロンさん……あれ、威嚇してますよね?」
「あぁ、怒らせたら怖いからなあいつは」
「いっそ、走って逃げますか」
「俺ならともかく、お前とラングルの足じゃ厳しいだろう。でも俺も腰が痛いからちょっと難しいかもしれん、それはすまん」
「じゃあ、もうどうすれば……」
逃げるのも立ち向かうのも不可能。銃で一発撃てれば解決する問題なのに、場所が場所だけに最適な解決法が使えない。
突如、魔物は口から無数の触手を出し、私たちへと向けた。そのヌメりとした紐状の物体は、嫌悪感と驚異を同時に見せつけ威嚇するのに十分な要素だった。
無駄なことと分かりつつも、ルクロンさんは銃口を魔物へ向ける。でも一つ引き金を引き絞れば、きっとそれは苦情に変わり組織に伝わる。
「ルクロンさん、ダメですよ……」
「分かってる。けどこれしかっ」
成すすべのないまま、魔物の触手が私たちへ迫る。触手自体に毒とかはなかったはずだけど、でも刺されたらそれなりに痛いことくらいは知っている。
なにか……なにか手は?
難解な答えを見つけるため模索していると、私達の目の前にラングルちゃんが立った。両手を広げ、私たちを守るため身を呈している。
「ラングルちゃん! 危ない!」
「だ、大丈夫です! 老い先短い僕が、死んでもお守りしますです!」
「ダメ!」
ラングルちゃん、そうじゃないんだよ。死んでもいいことなんてない。誰も死んでいいわけないし、死んだら私は許さない。
無数の触手がラングルちゃんの鼻先へ集中する。毒とかはなかったはずだけど勢いはあるから威力は高そう。あんなものを食らえば蜂の巣になってきっと全身から血を吹いて死ぬ。
でも私の力じゃ、もうどうにもならない。もう、あれ以上はどうにも……。
「やめてっ!」
魔物が私の呼びかけに答えたのか――そんなことはまずありえないけど、そう疑いたくなるほどピタリと触手の動きが止まった。
触手は驚異を失い、魔物の体へ引っ込む。そして魔物は何かを恐れるように踵を返して私たちの前から離れていった。
「しゃ、シャウルス先輩、あれどうなってるんですか」
「分からない。けど、なんか助かったみたい」
「あ、アハハ、きっとあいつ、僕の凄さに恐れおののいたんですかねぇ! あは、あはは……なんちゃって」
あの魔物は普段は大人しいけど、でも怒らせたら襲ってくる種類のはず。人が立ちふさがった程度であんな風に退くなんて、おかしい。
「あれシャウルス先輩、なんか考え事ですか?」
「え、ううん、大丈夫」
きっと私の知識じゃ、考えても仕方ない。
でも今は、それよりも言っておかなくちゃならないことがある。
「それよりもラングルちゃん……さっきなんて言った?」
「へ? さっきって、いつのことです?」
「死んでもお守りしますって言ったよね」
「はい! 僕は、優秀な先輩たちをお守りするために死んでもいい覚悟でっ――」
「ふざけないで」
「え……」
「もう一度言うよ、ふざけないで。人を守るために何かをするのはいい。けど、死んでもいいなんて二度と言わないで」
「ご、ごめんなさい……」
「もしあなたが私たちを守るために死んだりでもしたら、許さないから」
「は、はい……」
私の言葉に、ラングルちゃんは思ったよりもしょんぼりしてしまった。そこまでへこませるつもりはなかったけど、でもまたあんなことされちゃ困る。
でも気持ちは分かる。私だってきっと、同じ状況なら同じことをしちゃうかもしれない。どうしても脳裏にリコッタのことが浮かんじゃうし、それに何より、仲間を失いたくない。
「で、でもねラングルちゃん、私こういうときにこう思うんだけど、仲間のことを大切に思う姿勢は良いと思うよ」
「え、あ……はい、ありがとうございます」
落ち込んだラングルちゃんへのフォローにはなった、のかな。私も別に本気で叱るつもりなんてなかったけど、こんなに落ち込んじゃうとは。
「そ、それじゃとりあえず助かったみたいだし、先に進もうか」
ラングルちゃんは本気で反省しているみたいだから、私もこれ以上は言わない。だから今は目的を最優先して進む。もちろん警戒も怠らずに。
歩きながら、ルクロンさんはラングルちゃんの隣に立った。きっと慰めようとしているのかもしれない。
「おいラングル、こっち見ろ」
「は、はい」
「ほら、飴ちゃん食うか」
「は、はい」
ルクロンさんの励まし方って、あれが基本なのかな。じゃあ私も用意したほうがいいのかな、ああいうお菓子とか。
ああ、ちょっと言い過ぎちゃったかな……ダメダメ、私は間違ったことなんて言ってないんだし、私が謝ることなんてないよ。
今は、とにかく魔物の処理をするために動かないと。
「お前もだ、シャウルス」
「はい?」
「お前も飴ちゃん、食うか?」
「はぁ、いただきます」
もしかして私、気を使われてる? よね。気を使うのは好きだけど気を使われるのはなんか恥ずかしい。でも飴ちゃんはしっかり貰う。
それ以上は、あまり深く言わないでおいた。あんまり言うと任務に支障が出ちゃうし、きっとラングルちゃんもまた深く考えてしまう。
しばらく無言のまま歩き続けた。そろそろ富豪の敷地内は出られるけど、でもまた魔物に遭遇なんかしたらマズいから、なるべく物音は立てないようにする。
ややあって、ようやく山を降りた。明確な境界線があるわけじゃないけども、でも斜面じゃないからたぶん大丈夫。
目的の場所はここからさらに向こう。ルクロンさん曰くこっちから先は誰の私有地でもないらしい。私もそれは把握済みだけど、でもさっきの手前、気になっちゃう。
低い丘をいくらか登り続けていると、だんだんと空気が淀んできた。原因は不明だけど、環境の変化によるものだと思う。
「この空気、汚いな」
ルクロンさんも同じ気持ちだったみたいで、なんか共感してくれて嬉しい。
「さっきの富豪の敷地よりも明らかに違いますね」
「だな。ここを皮切りに極端に変化があるな。飴ちゃん食うか?」
「なんで今なんです?」
「すまん今じゃなかった」
タイミングが謎すぎるけど、でもこれはこれで緊張が解れる。タイミングが謎だけど。
淀んだ空気はこれ以上濃くなることはなかったけど、てっぺんらしき部分に到着した。そろそろこの辺りに、魔物の死体があるかも。
私の勘がムズムズ動いたとき、見つけた。
「これが、例の魔物の死体ですか」
「あぁそうだ。ったくグロスターめ、派手な殺し方しやがって」
魔物の大きさは、人間三人分くらいの中型サイズ。
形は狼に似ていて、四本脚で全身に毛が生えていた。顔は恐ろしい形相で死んでいても噛みついてきそうな迫力がある。牙は鋭く長く、私なんて一発でも噛まれたら死んじゃいそうなくらい。
「よく調べよう」
「はい」
魔物は横向きに倒れているけど、外傷は見てすぐに分かった。無数の穴が空いている。これはきっと銃で撃たれたことによるものだと思う。
「この銃による傷、間違いなくグロスターによるものだな」
「やっぱりそうなんですね」
「チッ……こんな適当な殺し方しやがって、後始末する身にもなれってんだよな」
「うーん、まったくですね」
グロスターのやり方はものすごく気に食わない。処理をしないことで自然環境とかにも影響が出るのに、殺してお終いなんかじゃないのに。
「傷口を調べる。一気に腐敗臭が出るぞ」
「準備できてますよ」
ルクロンさんは刃渡りの長いナイフを取り出し、魔物の傷口に差し込み開く。ほとんど出血はなかったけど、やっぱり腐敗臭は酷い。
でも調べているうちに私には一つ気になることがあった。私の気のせいかもしれないけど、念のために報告しておく。
「あの、なんか変な臭いしませんか?」
「あぁ、でも相手が死体ならそんなものだろう」
「まさかこれも、環境の変化によるものでしょうか?」
「そこまでは分からんけど、可能性はある」
もしそうなら、やっぱり警戒しておかないと。したところで何をしてくるか予測不能だけど。
死んだ魔物は、当たり前だけど臭い。腐敗臭は避けられないものだけど、でも今回の腐敗臭は今までと妙な違いがある。
なんというか、ちょっと酸っぱい? 柑橘系の果物を足したような臭いだった。
「でもなにか、死体の臭いに混じって変な臭いがします」
「シャウルス、お前もしかして鼻がいいのか?」
「かもしれないですね。私って細かいところが気になっちゃってしょうがないんですよ」
「なるほど、ならお前の鼻を信じよう」
信じると言われたら応えるしかない。
どこかで嗅いだことのあるこの臭い。果物? 野菜? いや違う。森の中にいるときに、草木の香りに混じっているこの臭いは、もしかして。
「……この臭いは、きっと樹液ですね」
「樹液って、木から出てくる汁だよな」
「その通りです。傷口の中にそれっぽいものも混ざってます」
傷口の中に薄黄色くドロっとしたものがある。きっとこれが臭いの正体である樹液だ。
「だがなぜそんなものが傷口にあるんだ」
「明らかに人為的なものです。誰かが仕掛けたんですよ」
となると、このタイミングで考えられるのはニーザさんしかいない。目的はぜんぜん分からないけど。
「あの女だな」
ルクロンさんも同じ予測をしていたみたい。
「あの女、なんか企んでやがるだろうな」
「私も、そう思います」
「シャウルスを撃つだけでなくこんな罠まで仕掛けるとは、姑息な連中だ」
あのときあそこで出会ったのなら、私たちがここに来ることだってお見通しのはず。予め仕掛けておいて、自分の手を汚さずに私達を始末することもできてしまう。
証拠なんてないけど、それしか可能性が考えられない。
だとすると、これは何かの攻撃の前触れ?
「シャウルス、俺は引き続き傷口を調べる。お前は自分の勘を信じて探ってくれ」
「は、はい」
あれ、これ褒めてくれてるのかな。そうだよね。
だったら私は、今は目じゃなくて勘に頼ってみることにしよう。
あえて視覚に頼らず、目を瞑ってみる。
周囲の気配を探るんだ。そうすれば、目を使わないからこそ見えるものがあるはず。
何かを、感じる。
ルクロンさんは何も感じていなさそうだった。もしかして、私だけ気づいているの?
でも具体的なことは分からない。もっと僅かな気配で、それでいて生物なのかどうかも分からないけど。
「何か、近づいてきます」
「なんだ、なにかって」
何かとしか言えないけど、とにかく危険が迫っていることは訴えておく。私にできるのはそれくらいだし。
「分かりません。でも何か……嫌な気配を感じるんです」
「確かに、言われてみれば周囲から何かの音がするな」
近づいてきている。でも魔物らしい姿は見えない。このあたりはほとんど草が生えていない地帯だから隠れることもできないし、大きな岩もない。
「でもいったいどこから……」
「シャウルス、上だ」
「上?」
咄嗟に見上げてみる。
太陽が消えた薄暗い曇り空に、無数の生物らしきものが見える。これは魔物じゃない。もしかしてこれって、
「虫だ。虫が寄ってきている」
「ま、まさかこれって樹液によるものですか」
「植物の中には、草食性の虫に食われたことで天敵の虫を呼ぶ寄せる種類もいるらしい。だがこの魔物がそういう種類じゃないとすると、樹液のせいだろうな」
傷口の樹液はこのハチを呼ぶための布石。なにかの罠なのは予測してたけど、別の生物を武器にするなんて」
樹液は虫がエサにしているもので、匂いが強いから虫は遠くからでもやってくる。だから魔物の傷口に樹液を隠しておけば、傷口を開いたときにハチがやってくるっていう寸法なんだ。
「あいつらめ……やるなら自分たちで直々に来いってんだよ。卑怯者どもめ」
でも周囲を見ても誰の姿もない。高みの見物すらしないつもりなんだ。それよりもいま解決すべきは頭上の虫たちだ。
「どうするんですか、この状況。逃げますか?」
「いやダメだろう。臭いは俺らにこびりついている。逃げたところで追いつかれるし、虫から走って逃げるのは難しい」
「じゃ、じゃあいっそのこと放っておくっていうのは?」
「それもダメだ。あの虫はハチだぞ。種類は分からんが、刺されたらかなりマズいだろう」
この死んでいる魔物の毛皮は分厚そうだった。だから周辺にハチが生息してようとも傷一つつくことはないだろうから、魔物にとっては天敵でもなんでもないんだろう。
なら人間に対策法なんてない。全身を水に潜らせることができればいいけど、周辺に水なんてどこにもないし、虫に対抗できるベストな武器なんて持ち合わせてない。
「成すすべなしじゃないですか!」
「参ったことに、ない」
銃は魔物には有効なのに、小さくて数の多い虫には歯が立たない。一匹や二匹倒せても、あの集団にはかすり傷程度でしかないはず。
ハチの群れはどんどん近づいてくる。けど、なぜか普段よりも動きが悪い気がする。
「シャウルス、気づいたか」
「えっと、私の勘が正確か知らないですけど、虫の動きが悪い気がします」
「不思議だな……あのハチども、俺らに近づけないようだ」
「やっぱり、そうですよね」
でもなぜ?
ハチに対してなにも対策なんて立ててないのに。自然と私たちを避けるように動いている。寄ってきたのにすぐさま避けるなんて、ここに打開策があるのかも。
「もしかしたら、僕のことですかね?」
「え、どういうこと」
少々静かにしていたラングルちゃんが小さく挙手してくれた。
「さっき、魔物の触手が僕のこと避けたじゃないですか。あれってもしかして、僕がいま毒を持っているから、ですかね?」
そうか――川の水を飲んだときの毒。さっきの魔物もこのハチも、おそらく毒を感じ取って避けているんだ。
だとすれば、ラングルちゃんのそばにさえいれば逃げられるかもしれない。いったん魔物の処理から離れることになっちゃうけど、でも仕方ない。
「かもしれない。ラングルちゃん、今だけお願い」
「分かりました! 死ぬ気で――あ、いや、みんな一緒に生き残るために僕が先頭になります!」
ラングルちゃんを前に私たちが並んで歩く。狙い通り、ハチは見事に私たちを避けてくれている。
ハチが寄ってくる死体から離れ、ようやく一息ついた。でも到着地点からは、誰かの気配を感じる。
なんとなく、分かってはいた。罠を仕掛けた張本人が側にいることくらい。
「あらあら小娘ちゃんたち、死んでないの?」
「この声は」
死体とは逆方向から、こっちに近づく何人かの姿がある。やっぱりニーザさんが筆頭で、その横には数人の取り巻きがいる。
ニーザさんを含めて、数はおそらく十人。これで全員なのか分からないけど、数ではこっちが完全に負けている。
しかもそれぞれが腰に銃を持っていた。私たちも銃はあるけど、一斉に撃ち合ったら必ず負ける。
「なんでリヴァロの名前が出てくるの?」
「私、最近までリヴァロさんと一緒に仕事してたんです。ちょっとだけですけど」
「へーリヴァロと一緒にねぇ、こんな小娘ちゃんと一緒なんて、あいつもヒマなんだねぇ」
リヴァロさんに対してあまりにもキツい言い方に軽くイラっとするけど、グっと堪えて質問で主導権を握る。
「話を戻しますけど、リヴァロさんと知り合いなんですか?」
「知り合いっていうか、あいつはあたしの弟。ついでにそこにいる真っ直ぐ小娘のラングルもあたしの妹。ってリヴァロに聞いてるか」
「あ、お姉さんなんですね、私はニーザさんについて聞いてますよ、ちょっとだけ」
主に注意喚起くらいだけど、あながちウソではない。
「ったく、リヴァロたちはまだ魔物の死体処理がどうとか言ってるのね。ホント、バカみたい」
「ば、バカじゃないです。立派なことですよ」
「立派? この世に存在する命を人間の勝手で殺害しても許される定義ってなに? 経験の浅い小娘ちゃんに答えられないでしょ」
魔物とはいえ、人間や動物と同じく命には変わりない。ニーザさんの主張をもっともとする人間も少なからずいるんだろう。
だから今、適切っぽい答えをひねり出す。
「それは……私にも分かりません。魔物を殺すのは気分も悪いです。でも魔物は生きていても死んでいても驚異になるのでやむを得ないと思います」
「やむを得なければ殺してもいいと、へぇーそれが浅い経験の答えかぁ」
「じゃあニーザさんは、魔物の死体を見てもお肉を食べられますか?」
「動物? あたしが好きなものその二、鳥肉と牛肉と豚肉と魚肉」
「野菜も食べたほうがいいと思いますよ」
「野菜? あんな草食べるとか言ってると成長できないよ小娘ちゃん」
成長の話を引き合いに出されたら、口をムっとさせて反論する。
「私も肉は食べますが、肉を食べるのはどうして傲慢じゃないんですか?」
「あんたたちは魔物を邪魔で驚異だから殺している。動物は邪魔だから殺すんじゃなくて食べたいから殺すんでしょうが」
「じゃあ、殺す理由次第では傲慢じゃないってことですか」
「もちろんさ。命の価値は平等じゃない。だから人間も平行線に生きちゃいないのさ」
「えーと、意味が……」
「要するに小娘ちゃん、魔物は高貴な存在だから殺しちゃダメなの、分かったら帰って牛乳でも飲んでなさいな」
「なんで牛乳なんですか……私は魔物の死体処理係として任務で来ているんです、帰りません」
いくらシャウルスが強気な姿勢で立ちはだかってもニーザさんは一歩も退かない。それどころか、反撃の姿勢が威圧感ありすぎてこっちが退いてしまう。
「おっと、ビビったね小娘ちゃん」
「ビビってません」
「私だって山賊や海賊じゃあないんだ、力づくで帰らせたりはしない。潔く帰りなさいな」
「その前に、一つ質問させてください」
「なんだい、好きな部位はカルビだけど」
「もしもニーザさんの大切な人が魔物に殺されたり、故郷が魔物の死体の汚染で滅んだらどうしますか?」
死体処理係の私だからこそできる質問。でもニーザさんは躊躇することなく即答する。
「それは仕方のないことさ」
「し、仕方のないこと?」
「あたしが好きなものその三、自然な死。生命は自然の一部だ、生命に殺されれば自然な死さ」
「なにを言っているんですか……」
「じゃああんたは牛に人が殺されたら牛を絶滅させるのかい?」
「それは……」
「あんたが言っていることは薄っぺらい正義感の上に成り立っている話なのさ。クモの巣に引っかかったチョウチョみたいなもんだよ」
「なんですかその話」
「例えばあんた、クモの巣にチョウチョが引っかかっているのを目撃したとする。もちろんチョウチョがクモに捕まったままなら、可愛そうに食べられてしまう」
「なんの話ですか」
「あんたはそのチョウチョを助けるかい?」
「それは、もちろん助けると思いますけど」
「やっぱりいい子ちゃんはそう言うよね。でもそれ、ムダな正義感だよ」
「ムダじゃないですよ」
「ムダだよ。あんたはチョウチョを助けたことで正義感と優越感に浸れて満足だろうさ。でも一方、クモはどうなるの? せっかくのエサが来たのにワケの分からない小娘ちゃんのせいでエサを逃して餓死するんだよ」
「た、確かにそうですけど……」
素早い言い返しに、私は押し黙る。黙ったのをチャンスと思われたのか畳み掛けられる。
「あんたの正義感はその程度なのさ。結局は可愛そうな方を助けてもう一方は無視するムダなことだよ」
「で、でも、もしチョウチョが人間だったら答えは変わります」
「へぇー、じゃあ命の種類によって差別するってことかい?」
「そ、そういうわけでは……」
「あんた、人間が死ぬと悲しむみたいだけど、自分が虫を踏み殺したり、クモがエサを逃して餓死しても同じように悲しむのかい? 違うだろう」
いえ、私は同じように悲しみます。
とは即座に言えなかった。私の沈黙は、あながち間違いではないと認めたようなもので、それ以上は反撃できなかった。
「小娘ちゃん、今にも泣きそうだね」
「泣いたりしません」
強がりでもなんでもない。この程度で涙を流すような私ではない。
「強い小娘ちゃんだね。じゃああたしが好きなものその四を知っているかい?」
「逆にどうして私が知っているんですか……」
「あたしが好きなものその四、それは役に立つ人間。役に立たない人間なら空気のほうがまだ役に立つよ」
「そ、その言い方はちょっと良くないですけど、でも私は別にあなたの味方でも仲間でもないので、役に立たないかどうかはどちらでも良くないですか?」
「そうかな。こっちに仲間入りしてくれても、いいんだけどねぇ?」
そのつもりなんて毛頭ないけど、下手に否定して逆上されても困ると予測し、否定も肯定もせず黙っておく。
「いえ、結構です。私には任務があるので」
「アハハハハ! 面白いね、あたしが好きなものその五、それはあんただよ小娘ちゃん。気に入った」
「気に入られても困りますけど……嫌われるよりはマシですかね」
「小娘ちゃん、名前なんて言ったっけ?」
「シャウルスです」
「シャウルス、シャウルスね、へぇ、面白い」
別にこっちは面白くないけど……私の気持ちなどなんのその、ニーザさんは不敵な笑みを崩すことはない。
「任務とやらを遂行したければすればいいよ。でも、こちらにも任務はある。だから宜しくね」
「よろしくって、何がよろしくなんですか」
「簡単だよ。任務と任務がぶつかって対立したときさ」
「対立……」
すなわちそれは、争いが起きるとき。
すなわちそれは、互いの意見が反するとき。
最も避けたいことだけど、どうやらニーザさんは対立に対して堂々としているつもりらしい。
「じゃあね、面白い小娘ちゃん」
最後まで喧嘩腰の姿勢は崩さないままニーザさんは立ち去った。後に残るのは、妙な人間に絡まれてうんざりした余韻と、変な人間の相手をして疲弊した空気のみ。
「あぁ……疲れた」
内心では話の途中で背を向けて全力疾走で逃亡してやりたいところだったけど、最後まで耐えた自分を褒めてやりたかった。
「ねぇラングルちゃん、お姉さんはいつもあんな感じなの?」
「ハイ、基本的にはそうであります」
「そういえば、どうして何も言わなかったの? 相手がお姉さんなら少しくらい喋っても良かったのに」
「それは、シャウルス先輩が話していたので口を挟んではマズいと思いましたが、それだけではありません」
「それだけでは、ない?」
「僕は単純に、ニーザ姉さんが弱点なのであります」
「じゃ、弱点」
一点の曇りもなく真っ直ぐな目で見据えられながら弱点をさらけ出された。そこまでストレートに表現されると返答に困る。
「やっぱり、怖いの?」
「そうですね。リヴァロは真面目で誠実なので厳しさの中にも優しさがほんのり溶けていますが、ニーザ姉さんは厳しさの中に厳しさがあるので苦手です」
「その気持ち、なんかもう分かる気がする」
たかが数分のやりとりだけで、ラングルちゃんが何を言わんとしているのか察することができた。嫌な部分で共感できるのが嬉しいかはさておき。
「さっき対立って言ってたけど、あれってただの厳しさじゃないよね?」
「恐らくですが、ニーザ姉さんは容赦しないと思います。人間が人間を攻撃するのも自然の摂理だと考えているので」
「えー……嫌だな、人間同士の争いは」
人間が存在する以上、魔物の死体に関する諍いは避けられない。言葉で争うだけなら可愛いものだけど、生憎と生物には本能的に攻撃が備わっている。
「もしニーザさんと争いになったら、ラングルちゃんが話つけられる?」
「どうでしょう、あまり話の通じる相手ではないので」
「その気持ちは、分かるかも」
実の姉でも、いや姉だからこそ通じない話もあるのだろうか。きょうだいのいない私にとってはきょうだい間の問題はうまく共感できない。
「まぁ、もしそうなったらそうなったで、少しは任せるかも」
「できる限り助力いたします」
果たして交渉役として機能するのかは未知数だけど、相手を知る仲間は助けになること間違いない。
「じゃあ、行こうか」
「はい、余計な足止めを食らってしまいましたね」
むしろ足止め程度で済んだのは幸いだった。もしラングルちゃんが不在なら即攻撃……の可能性もあったかも。
現在ニーザさんは周辺に見えない。背後から不意打ちもないはず。
人間同士の争いだけは避けたい。人間の本能や歴史で繰り返されてきた暴力による解決なんて望んでいない。
「ねぇ、ラングルちゃん。もしもの話なんだけど」
「はい?」
「もしも、ニーザさんと争うことになったら、やっぱり魔物用の武器で対抗するのかな」
「それ以外にないと思います」
「だよねぇ……」
魔物用の武器は、厳密には殺傷というより処理という名目が正しい。結果的に命を奪うのだから表現次第だけど、あくまで私はそう考える。言い換えれば採掘用の道具や畑を耕す道具で人を傷つけるようなものだし。
「もし、ニーザ姉さんと争いになったら躊躇しないでください」
「いや、私は人を傷つけたくないよ。だから躊躇する」
「そういうことじゃないであります」
「……じゃあ、どういうことなの?」
「安易に躊躇できるような相手ではないであります。ニーザ姉さんは、元々猟師として名を馳せていた歴戦の戦士であります」
「歴戦の、戦士?」
歴戦などと言われても想像がつかない。でも猟師の表現にはなんとなくイメージがつく。
これから一線交える――のは避けたいけど、可能性のある相手について情報は得ておいて損はない。妹ほど詳しい人材もいないし。
「僕たち三きょうだいのうち、リヴァロと僕は一緒に育ってきました。でも、一番上のニーザ姉さんは違った」
「一緒に暮らしていたんじゃないの?」
「詳しい事情は知らないでありますが、ニーザ姉さんは魔物のことを良く思っていたであります。尊敬とも言いかえられます」
「尊敬? でも、リヴァロさんは知り合いを魔物に殺されたって言ってたけど、むしろ恨んでいるんじゃないの?」
リヴァロさんは傷ついた体のまま過去を話してくれた。極限状態でも話すほどなら家族や親戚も魔物を恨んでいると自然に予測していたけど、例外もいたみたい。
「僕もリヴァロの後を追ってこの任務に着きましたが、ニーザ姉さんはすぐに家を出ていって、それきり会うことはなかったです」
「じゃあ、もしかしてさっきって凄い久々だったんじゃ?」
「そうですね。でも素っ気ない対応でしたけど」
姉妹なのにそんな素っ気ない対応なんて、きょうだいのいない私にとっては嫌なことだな。もっと仲良くできるのが一番いいはずなのに。
「私もほしいな、きょうだい」
「シャウルス先輩は一人っ子ですか?」
「そうそう。こういうとき、私はこう思うんだ。仲のいい世話したくなる弟か妹、それか頼りになるお兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しかったなぁ。って」
「アハハ、あんまり良いもんじゃないですよ」
「リヴァロさんは?」
「あの人はああ見えて任務以外に関してはけっこう雑ですからねぇ。普段は頼りにならないんですよ」
「へーそうなんだ」
私だってまだリヴァロさんのことはそこまで知らないけど、妹からすればそういう評価になるもんなのかな。
「僕はいっそのこと、一人っ子のほうがいいかなと思うときもあるんですよね、だって周りから比べられちゃうし、普段は雑なのに任務には真面目で、だからこっちがまるで劣ってるみたいな扱いされちゃって」
「なるほど、比べられちゃうんだ」
「なので、僕の目標はあくまでシャウルス先輩なんです。目標にさせてください!」
「目標って言ってもね、私のほうが微妙に早いだけだけど」
「でも先輩なんで、目標にしますよ」
頼られるのは嬉しいけども、それはそれでちょっとプレッシャーになっちゃうけどね。でも油断できないほど頑張れるかも。
「私で参考になるのなら、目標にしてもいいけど、でもどこに尊敬する要素があるの? 私はまだ色々と始めたばっかりなんだけど」
「あ、それはリヴァロから聞いたんですけど、そもそもこの魔物死体処理係って、あんまり人が来ないじゃないですか。なのにシャウルス先輩は私と同じ歳でここに志願したのが、メチャ凄いなぁと思ったんです」
「あれ、ラングルちゃんは元々志願してなかったの?」
「そ、それは」
不自然な質問なんてしてないのに、なんかラングルちゃんは視線を落とした。叱られた子犬ってこういう表情するけど、なるほど似てる。
「じ、じつは僕はですね、苦手なんです、ああいうの」
「ああいうのって?」
「その、グロいのが苦手なんですよ。内蔵とか、ホントもう、無理なんです」
「え、それで魔物死体処理係を?」
「ハイ……あんまり役に立てないかもしれないですけどね。でもリヴァロ曰く、やる気があるんならとりあえずやってみろと言われたもんで」
誰にだって弱点はある。虫が嫌い犬が嫌い――そんなの理由なく苦手な人は苦手だけど、それでも自分の弱さを自覚したうえで任務を果たそうとしてるなんて、逆に尊敬しちゃう。
「私、こういうときにこう思うの。好きこそ物の上手なれって言うけど、嫌いなものを精一杯やって慣れるのも才能なんだって」
「ハイ! さすが良いこといいますね先輩は!」
「て、照れる。照れまくる」
「言っても、僕が慣れるかどうかはこれから先なんですけどねぇ」
「少しづつやっていけばいいと思うよ」
「うおっ、良い名言ですね今の」
「え、そう? 普通に言っただけだけど」
「なんでも名言に聞こえてしまうんですよ、僕は」
私も、心から尊敬できる人がいたらそういう風に思う時あるのかな。そういう意味ではちょっと羨ましいかもしれない。
私はどうしても、過去ばかり見てしまう。もしも未来に対する目標があったら、今以上に努力ができるのかな。
「悪い、ちょっと休憩だ」
まだ歩いて一時間も経過してないけど、ルクロンさんは一時休憩を提案してきた。
「私たち、まだ歩けますよ」
「油断はするな。まだ天気も荒れることはなさそうだから、少し休憩だ。それにお前らは若いから丈夫だろうよ」
きっと私たちを気遣ってのことなんだろうけど、まだ大丈夫。でもこれからのことを考えると、軽い休憩はしておくのが得策かも。
三人で平坦な石の上に腰掛けると、ここまであまり感じなかった疲労がどっと足全体を襲った。足から上へ疲れは伝染し肩や首までも少し重い。心地よい天気も相まって、このままお昼寝に興じたくなる。
「あぁ寝たい」
でも寝るわけにはいかない。今寝たら、きっと夕方くらいまで起きられる気がしない。これに温かいお茶まであったら、ぜったい起きられない。
「なぁ、必要か?」
「え、なんですかルクロンさん?」
「飴ちゃんだ」
またルクロンさんは飴を出してくれた。私たちがそれを口に放り込むと、甘い香りが口の中から鼻へ通り抜ける。
「はぁ……癒される」
「あの、シャウルス先輩、あそこにニーザ姉さんがいますけど」
「え? ニーザさん?」
せっかく癒やされていたのに、少し離れたところにニーザさんが立っていて、こっちへ視線を向けている。あの人、苦手なんだよなぁ。でもなんか用あるみたいだし。
「どうする? ラングルちゃんが行く?」
「い、いや、ちょいと苦手なんです、ハイ」
だよね、ただの顔見知りより、何年もあってなかった姉なんて、きっと複雑なんだろうし。仕方ない、ここは私が、文字通りに重い腰を上げよう
また疲労が蓄積するけど、大事な用なのかな。油断はできないから、一応武器は手放さないけど。
私は、魔物に対する武器である銃を渡されていた。片手で撃てるし特に訓練しなくても扱えるから初心者向けらしい。
人間に対して使いたくないけど……でも警戒は怠らないし、威嚇にはなるかな。
「あら小娘ちゃん、来てくれたね」
「えーと……何かご用ですか?」
「ちょっとついてきて」
「え?」
なんの用事だろう。でも今はラングルちゃんやルクロンさんには少しでも休憩していてほしい。別に戦いに行くわけじゃないんだし、私一人で行こう。
特に理由も説明されないまま、私はニーザさんへついていった。森を避けて突き進み、今度は草のない岩場にまで来た。さっきのところから離れていないけど、ここになにがあるんだろう。
「小娘ちゃん、あれを見な」
「え?」
岩場の数メートル向こうに魔物が立っている。こっちには気づいていないのか、反対側を向いて動かない。
大きさは二メートルほど。ツノの先が青く美しいシカに似た魔物。私は資料で目にしたことはあったものの実物は初めてだ。それもそのはず、この魔物はシュロップシャーブルー、あまり個体が確認されていない珍しい魔物だった。
珍しくても、これは魔物。いつかは殺して処理をしないといけない。持っている銃の引き金に小石を弾くほどの力を込めれば、あの魔物は散る。
腰の銃に手をかける。と、すぐ横のニーザさんは止めに入った。
「おっと小娘ちゃん、そうはさせないよ」
後頭部にヒヤりと感じる殺意。背後に立つニーザさんが殺傷能力を持つ何かしらの武器を手にしているのは安易に想像できる。
「この魔物を殺させはしないよ。銃を降ろしな」
「……でも、そうやって脅して私を殺そうとはするんですね」
「殺そうなんて思ってないよ。ただお願いしているだけさ」
「武器を突きつけながらするのがお願いですか?」
「そうだよ。これを脅しに変えてほしくなければ、早く銃を降ろしな」
背後を取られた今は従う他ない。大人しく銃の照準を外し引き金から指を放す。
「よし、それでいいよ。あたしも武器を降ろすから」
「この魔物は、どうするつもりなんですか?」
「この魔物はシュロップシャーブルーって魔物でね、宝石に似た青いツノを採取することができるのさ」
「それなら知ってます、珍しい魔物だということも。でも私の使命は魔物の処理ですので、珍しくても処理しなくちゃいけないんです」
「あのキレイなツノを採取できるとしてもかい?」
長いツノの先は青く、僅かな光でも反射する。魔物自体の珍しさもありツノの先でも採取すればたちまち金の延べ棒に変わる。
「確かにツノはキレイです。でも硬くて加工には向かないと聞いたことありますし、それに毒性があるらしいので市販は出来ないですよ」
シュロップシャーブルーはツノの先に毒を有する。好んで人を襲う生態ではない――あくまで調査によるもの――けど、青いものは毒の塊で触れるのは危険だ。
「その通り、裏ルート以外ではね」
「……それが目的ですか?」
「ツノはついでだよ。あたしの目的はあくまで魔物の保護。殺させないよ」
「あくまで、私たちの邪魔をするんですね」
「そうだね、できれば邪魔だけで済ませてあげたいけどね。それと、こんな話を知っているかな?」
「こんな、話?」
「東の国では漢字という独特な文字があるの、その国でも昔はシカのツノを採取するために乱獲したらしいんだよ」
「カンジというのは知りませんけど、ツノのことなら知ってます」
「そこでは漢字を使って、金の上に鹿と書いて、鏖(みなごろし)と読むんだ」
「き、金の上にシカですか……」
「そんな表現すらされるほど、シカのツノはお金になるんだ。それが魔物なら、なおさら見逃せないよね」
穏便に済ませられるのなら互いにそれでいいと思っている。でも互いに目的を譲るつもりなんて毛頭ない。
「そういえば、ラングルちゃんから聞きました。ニーザさんは魔物を尊敬しているとか」
「あぁやっぱり聞いたんだ。でも尊敬っていうのはちょっと違うよ」
「違う?」
「あたしはね、魔物のことを神だと思っている。いい? ただの動物じゃない、神だよ」
「どうしてそう思うんですか」
「見てごらんよ、あのシュロップシャーブルーのツノを」
視線の先には青く輝くツノ。何度見てもあのツノだけが異様な雰囲気を放ち目を引く。
「美しいでしょ、どの生物だってあんなツノを持ったりしない。他にも魔物は火を吹いたり人間よりも何倍も大きな巨体を持っていたりするんだ、神でなくてなんなの」
「確かに、魔物は凄い力を持っています。でもだからこそ危険があるんです」
「凄い力を持つから危険? へぇー小娘ちゃん、その言葉を待っていたよ」
「……え?」
ニーザさんは武器を構えた姿勢を崩さぬまま私の正面に回る。眉間にピタリと合っている銃口を前にしても私はあくまで毅然とした態度を崩さず、内心ヒヤリとしつつも強気な姿勢は保つ。
「知っているよね? 世の中で道具を使う生き物は人間だけなんだ」
「知っていますけど」
「もちろん、武器を作り使うのも人間だ」
「それも、分かりますけど」
「武器を使えば、人間は魔物を殺せる。昔と較べてそんなに苦労せずにね」
「……なにが言いたいんです?」
「魔物には凄い力がある、だから危険っていうのがあなたの考え。じゃあ人間は? 道具を作って使うなんてどんな生き物より危険極まりないよね」
実際に、人間は最も他の生き物を殺害している生物かもしれない。魔物からすれば人間こそ危険と判断できてしまう。
「だったら、本当に駆除すべきは人間なんじゃないの? どう思う、小娘ちゃん」
「そ、それは……」
そんなことないです。
とは言い返せなかった。
「ほら言い返せない。なのにあなたは魔物を殺そうとしている。大きく食い違っているよ」
「じゃ、じゃああなたは人間を殺すんですか?」
「駆除すべきとは言ったけど、私はそんなことしたくない。無益だし面倒だから」
ニーザさんは決して、人間の味方だからとは言わない。
「さて小娘ちゃん、なぜあなたは他生物を殺しまくって蹂躙する野蛮な生物である人間のために殺すの?」
ニーザさんの意見も間違いではない。完全に否定する材料もない。
でも返す言葉は既にある。やっぱり黙っていられない。
「私は、人間だからです」
「というと?」
「私は人間だから人間の味方をするんです。いくらクモが空腹でも、クモの巣に引っかかっているのが人間ならば問答無用で助けます」
「へぇ……やっぱり面白いね小娘ちゃん」
「面白くてもつまらなくてもいいですけど、私は意見を曲げるつもりはありませんよ」
「そう。じゃあ、とりあえず話はこれでお終いにしてあげる」
ニーザさんが銃を腰のホルスターに納めたことで話し合いは終わった。いや、ほぼニーザさんの脅し紛いのものだったけど、暴力沙汰には発展せず避けられた。
「……そうですか、分かりました」
「でも覚えておいて小娘ちゃん、あたしは人間より魔物を優先する。下等な人間なんかより神を優先するのは当然のことだからね」
「下等ですか」
「せいぜいリヴァロの代わりに頑張ればいいよ、下等生物代表ちゃん」
ひらひらと手を振り、小バカにする態度は崩さぬままニーザさんが横切る。
ようやく変な人から開放された。内心で大きなため息と深呼吸を同時に行い、妙な来訪者の退場に歓喜する。
でも、これで終わりではない。
「あ、そうだ小娘ちゃん」
「え、なんですか」
また変な話か、嫌だな。またうんざりしながらも振り返る。
「あたしはこう見えてもけっこう腕っぷしには自信があってね。知ってる? 鉄則ってやつを」
「鉄則って、なんの鉄則ですか?」
「獲物は決して狩人を信じてはいけない」
その言葉ののち、銃声もなく弾丸が向かってきて、直後に痛みに変換される。
「あ、ああああ!!!」
私の脚に風穴が一つ。
「あ、やっぱり知らなかったんだ? あたしが好きなものその六、それはすぐ狩れる獲物。苦労しても簡単でも、獲った獲物の味は変わらないものさ。だからすぐ狩れる魔物が好き」
「な……なんで、なんでここまでするんですか……」
「ここまで? あたし言ったでしょ、邪魔だけで済めばいいのにねって。邪魔だけで済んでよかったよ」
「これは……人としてやってはいけないことですよ。人を撃つなんて……」
「ごめんね。でも安心して、威力は一番低いやつだから、止血しなくても死にはしないよ」
「私は、私は……ただ人間の味方でいたいだけなのに……誰かの役に立ちたいだけなのに……どうしてこんなことを」
「どうして? 私にとっては魔物が一番なの。だからシュロップシャーブルーが欲しい。それだけのこと」
「でも……魔物は……魔物は私が……」
「状況を考えなよ。今あたしに歯向かったら、今度こそ――」
親指を立て、下方へひっくり返す。
殺す――意味はきっとそれだ。
「じゃあ、せいぜい仲間に助けてもらいな。それとも、私に向かって撃ってみる?」
「そんなことはしません。私は、人は殺しません」
「殺さなくてもいいんだよ。あたしみたいに、殺さずに動きを止めることだってできるんだし」
「でも、私は……」
ニーザさんが咳払いを一つ。そしてついでに見下した前提の助言も一つ。
「いい小娘ちゃん。その甘い考え方じゃいつか死ぬのは自分になっちゃうよ。魔物を殺したいならまず自分が死なないことだね」
話は終わったようで、ニーザさんは倒れる私から離れシュロップシャーブルーの元へ行く。ニーザさんは手にした銃に捕獲用の弾丸を装填した。
「さて、神に風穴空けようかな。冗談だけど」
風穴を空けるつもりはない。殺すつもりはなく捕らえるのみに留めるつもりなんだと思う。
シュロップシャーブルーはツノの先が有毒性になっているものの、性格自体は大人しく、人が近づいてもすぐには逃げない。それをいいことに、ニーザさんは銃口を向ける。
銃のシリンダーを回転させ、引き金に指をかける。ピーナッツを弾くほどの力さえ込めれば、おそらく捕獲用の神経マヒ弾だと思うけど、あれがシュロップシャーブルーの動きを封じることができるはず。
あとは仲間を呼び、ロープなりなんなりで連れていけばいいだけ。それでも私が邪魔をするならば、高威力の弾丸に切り替え風穴を空ければいいと思っているはず。
「シュロップシャーブルー、いただくよ」
神経マヒ弾はシュロップシャーブルーの首元に命中。細い足はバランスを崩し、ゆっくり眠るように倒れ伏す。
銃の発射音は抑えられている。例え山中であろうと周囲に感づかれることはない。
「よーしこれでいい。完璧だねあたしの仕事っぷりは」
遠方から様子を見ていたニーザさんの仲間が駆け寄ってくる。捕獲用の長く丈夫なロープを手にした状態で。
仲間は全身を分厚いローブとフードで覆った体格の良い男。かろうじて顔は出ているけど、私からは距離もあり確認できない。
「はいはい、これでシュロップシャーブルーは捕まえた」
「あの少女はどうする?」
仲間の一人が質問する。
「放っておきな。あたしは邪魔だけで済ませるつもりだったし、それに、こうやって見せつけたほうがあたしたちのことがよく分かるだろう?」
「そうか」
「さて、シュロップシャーブルーをロープで縛ったら連れて行くよ。適当に飼いならしてツノを無限に採取できれば最高だね」
「そうだな、シカのような見た目をしつつも、そのツノは金の成る木。せいぜい金を生み出してくれればいいものだ」
シュロップシャーブルーは複雑に縛られたまま引きずられていく。満足そうな顔をしながらニーザさんたちは倒れる私の横を通り抜ける。
「ま、待ってください……」
「おや、なんだい小娘ちゃん」
「ニーザさんは、魔物を神と言っていましたよね? もう少し、優しく扱えないんですか」
「うん、尊敬しているし神だと思う。でも有効活用もできる、だから有効に活用する。それだけ」
「そう、ですか……」
「そもそも、殺そうとしている小娘ちゃんたちに優しく扱えって言われても、ねぇ」
「処理することと、雑に扱って痛めつけるのは違います」
「あっそ、じゃあやっぱりあんたも処理されたい?」
再びニーザさんは銃を向ける。やや脅しを含めた口調に私は押し黙る。
「痛めつけられるよりいっそ死んだほうがマシってこと?」
「そ、それは……」
「ウソウソ、殺さないよ。じゃあせいぜい頑張ってね」
腰に銃を仕舞い、私を冷たく見捨て横を通り過ぎていった。叫ぶ力も、もうない。望みは仲間の助けくらいだけど……。
動くほかない。出血多量で死ぬことはないけど、歩くのは楽じゃないレベルの傷だ。
「……こんなことなら、もう少し体を鍛えておくんだった」
嘆いても助けは来ない。でも早く立ち上がりすぎたらニーザさんたちにまた見つかり撃たれる。
現状、出来ることは一つ。
「そうだ、止血。止血しないと……」
止血するには足の付根あたりを何かで縛るしかない。都合よく縛る紐やら布がないわけで、それすら叶わない。
「ダメかぁ……もうこのまま行くしかない」
片足に少しでも力を入れれば痛みが走る。土を踏む度に力が抜け、また力を入れれば痛むの悪循環。
逆にそれが私の心に火をつける。厳密には何度も鎮火されかけているけど、ニーザさんに負けたくない悔しさと、シュロップシャーブルーを痛みつけてほしくない思いが再度火をつけた。
「私は、こんなところで立ち止まっていられない……私は、リコッタの想いを背負って魔物を処理しなくちゃいけないんだ」
かつて失った親友、リコッタ。
これ以上リコッタのような死者を出さぬためにも、人間のためにも、シュロップシャーブルーは処理せねばならない。
「……よし、ちょっと痛いけど、痛い方を引きずって歩けばなんとかなりそう」
死ななければ歩ける。歩ければ進める。進めればたどり着ける。たどり着ければまだ勝機がある。勝機があれば、まだチャンスはある。
戻るための道は少々長いけど、少なくとも志半ばで死ぬほどの道ではないしばらく歩いてみるけどニーザさんの姿はない。シュロップシャーブルーを引っ張りながらの移動は難航しそうだけど、どうやらもう去ったみたい。
「あー……良かった。私、あの人苦手なんだよなぁ」
すぐに考えを正す。ぜんぜん良くない。シュロップシャーブルーは相手に連れ去られてしまったんだし、手負いの状態で追えるわけはないけど少々残念だった。
「とにかく今はみんなと合流しよう……どっちみち私一人じゃどうにもできないし」
後の作戦は、ラングルちゃんたちと合流してから考える。
歩き続けるうちにだんだんと痛みにも慣れて普通に歩けるようになった。仮に鉢合わせても牽制くらいならできる。
それから数分、普段より少々遅い速度でラングルちゃんたちのキャンプへ戻った。歩き方からケガを察したラングルちゃんはすぐに駆けつけた。
次の瞬間、視界ゼロ距離には地面があった。土の臭いと若干口に混ざる土の味。硬く乾いた感触。どうやら倒れたらしいと直感で理解する。
「だ、大丈夫ですか!?」
「う、うん、大丈ばない」
「ど、どうしたんですか!? 寝てるんですか!?」
「ん……死にそう」
「あ、あああ、それは申し訳ないであります!」
「いや、別に怒ってるわけじゃないけど……あの、申し訳ないけど、助けてくれるかな?」
「は、ははは、ハイであります!」
ニーザさんの言った通り、銃自体の威力はかなり低かった。多少の出血は見られたものの止血するほどではなく、弾も傷口手間で留まっていて取り出すのは容易だった。
でも、まさか人間に撃たれるなんて想像すらしていない想定外のことだった。傷の痛みはもちろんのこと、心の痛みのほうが勝っている。
「しかしその……どうしてそんな傷を?」
「撃たれたの、銃で。バーンと」
「じゅ、銃でありますか? まさか、まさか、あの……」
相手の名を沈黙すべきと考えていたけど、悟られちゃったら黙るのも無意味かな。
「ニーザさんだよ。ニーザさんに撃たれたの」
「あ、やっぱりですか……もぉぉぉうしわけないです!」
ラングルちゃん、渾身の土下座。
最大の屈辱は最大の誠意と誰かから聞いた覚えがあった。土下座の具体的な意味なんて知らないけど、とりあえず出せる手軽で究極の謝罪がこれなのかもしれない。
「あ、あの、いや、そこまでしなくても」
「だって! だって僕の姉なんですよ! 本当に申し訳ないです! 死んで侘びます」
「えぇ……やめて、むしろ、やめて」
「じゃあ、どうしたらいいですか!? どうしたら僕の変な姉を許してくれますか……」
「それはその、あの人はちょっと怖いけど、ラングルちゃんが謝ることじゃ……」
「あ……そうですね、すいません」
土下座から立ち直り、それでも低い姿勢でラングルちゃんは立つ。今すべきは誠意ある謝罪ではなく有効な作戦だと気づいたのか、私に肩を貸した。
「ありがとう」
「いえ、肩くらいなら二つでも三つでも貸しますので」
どこに第三の肩があるのか、そこを追求すると面倒そうなのであえて黙っておく。
「とにかく手当しましょう」
「ありがとう」
肩を借りながらさっきのところへ戻ると、ラングルちゃんは手際よく医療道具を揃える。と言っても大げさなものではなく軽傷のための簡易的なものだけど。
「あの、ニーザ姉さんは何か言ってました?」
「うん、シュロップシャーブルーのツノを採取したいって。だから捕まえていった」
「シュロップシャーブルー……? 確か、けっこう珍しい魔物のはずでは?」
「偶然見つけてね、処理しようとしたら、後ろから銃を突きつけられてさ」
「あぁやっぱり……ニーザ姉さんは、ホント厄介だなぁ……」
姉の嫌なところがこれでもかと順番に出てこられると、さすがに妹として頭を抱えざるを得ないのかもしれない。
「私は、シュロップシャーブルーを処理したい。おとなしい魔物だけど、綺麗なツノには毒があるから、人間にとって有害だし」
シュロップシャーブルーのツノは宝石並の美しさがある。半無限に採取できる宝石なんて、ニーザさんには宝の成る木そのものだ。
「きっと、シュロップシャーブルーを捕まえてツノを取るつもりでしょうね……あぁホントに厄介な姉です」
「よほど仲が悪いんだね……」
「僕もリヴァロも、ずっと困ってましたよ」
「ずっと……あ、そうか」
考えてみれば、一番の敵に近い存在が目の前にいる。仲が良くないとはいえ、きょうだい以上に詳しい人物なんて他にいない。情報提供を求めるなら最高の手だよね。
「え、なんですか」
「ラングルちゃんは、ニーザさんのいそうな場所とか、分かる?」
「えぇと……しばらく会ってなかったのですが、なんとなく分かります」
読み通り。最高の情報提供者かも。
「どこ?」
「え、でもその前に聞きたいんですけど、まさか攻め込むつもりですか?」
「攻め込むというか、場所をちゃんと知りたいの。シュロップシャーブルーがどこにいるのか」
「場所を知ってからは、どうするんですか?」
「そ、それは……」
軍隊ではないうえまともな戦力などない現状で勝てる見込みなんてない。そもそも私たちは戦闘要員ではないのが大前提だし、戦闘のつもりで攻めこんでも死んで終わるだけ。
「まさか、魔物を助けに行くなんて言わないですよね?」
「言いそうだった……」
「正直言って、ムリですよ。ニーザ姉さんは性格サイアクでヘソは曲がり、口も悪いですが、もっと厄介な部分があるんですよ」
「なにが厄介なの?」
「カリスマ性があるんです」
「かりすま? ってなに?」
「要するに人望です。悪い人ほど人望があるんですよ」
「あー、なるほど」
ニーザさんは人を動かす力と人の心を操る能力に長けている。魔物の命を尊重したり、有効活用して稼ぎに使う人間も多いなか、架け橋でもありまとめ役にもなるのがニーザさんだ。
「シャウルス先輩、ニーザ姉さんの仲間は何人いました?」
「一人だけだったけど」
シュロップシャーブルーを引っ張る係として現れた一人の男だけ。
「それがニーザ姉さんの作戦なんですよ。仲間は最小限だけ出して油断させるんです」
「なるほど……私もちょっと油断しちゃった」
「きっと凄い数の仲間がいますよ。僕なら戦いは挑みませんね」
「どのみち私も、争いは避けたいよ」
要するに手詰まり。いくら作戦を立てようとも、動けなければ無意味。
「駆け出しド素人で青二才の僕が言うのもアレですが、正直言ってシュロップシャーブルーは諦めるしかないと思います。魔物を処理するために僕らが死んだら意味ないですよ」
「そ、そうだね……」
でもこうして足踏みすらできない間にも、シュロップシャーブルーはニーザさんたちに良いように扱われるんだろう。そして有害な毒を有するツノを持ち続け、誰かを傷つける。
「やっぱり、諦めるしかないんだね……」
「そうですよ、魔物はまだまだ他にもいるんですよ。シュロップシャーブルーだけに拘るわけにはいかないんです」
一つの魔物に固執すれば他を見失う。仲間も失いかねない。諦める他に道はない。
「……仕方ないね」
「納得いかないって顔ですね」
「納得は、いかないよ……でも切り捨てる覚悟もしないとね」
切り替えるのは容易ではないけど、気持ちを切り替えるしかない。まだリヴァロさんに託された使命は果たしていないから。
「よし、じゃあ調査に行こう」
「そうですね」
足は最低限の治療だけで済ませる。一度戻るほどではなく、むしろ日が暮れれば後に悪影響だ。すっかり寝ていたルクロンさんも起き、改めて現在地を確認する。
今は狙いの魔物の生息域からまだ遠い。今日中にたどり着くつもりだとおそらく夜中になる。だからまずは休めるところを探すしかない。
「でも……大丈夫ですか? ホントに歩けます?」
「うん、無理なら無理って言うから」
「ハイ、ならそうしてください」
荷物を手に取り行動再開。ケガで立ち止まるのも大事な休息だけど、早めに行動せねば夜が迫る。
魔物死体処理係専用の中継地点は至る所に設置されている。
中継地点と言えば聞こえは良いけど、最低限の雨風を凌げる建物であり、寝れればマシな程度しかない。それでも夜を跨ぐ長旅なら壁も天井も神の恵みのようなものだけど。
幸い、今は嵐もなければ大雨もなく、雷も顔を出さなければ魔物もいない。中継地点へ安全に進むなら絶好のタイミングかも。
「シャウルス先輩、足は痛みますか?」
「うん、大丈夫」
「もし! 痛むなら僕が背中におぶります! 遠慮なく!」
「えっと、大丈夫」
気遣う気持ちはともかく、このラングルちゃんの勢いにはどうにもついていけないところがある。とってもいい子なんだけど、ちょっとそそっかしい。
「……それにしても、ここは暑いし乾きますね」
ここはさっき休んだところよりも少し進んでいる。あんまり変化ないはずなのに、妙に気温が高く湿度が低い気がする。ラングルちゃんは額の汗を拭いながら項垂れ、それにはルクロンさんが答える。
「そりゃ魔物の死体の影響だ」
「え、そうなんすか?」
「スキールって魔物は、死ぬことによって特殊な毒が上空に舞い上がる。毒自体は無害だが、一定数死んで毒が空に溜まると、それによって気温が上がる」
「そ! そんな魔物が空にまで影響を!?」
「そうだ、一定数ってのはかなりの数が必要だが、それが今だったってことだな」
「でも、毒が溜まった雲って、地上は大丈夫なんですか?」
「毒は気温を上げるくらいしか害がない。それに、大丈夫じゃなければとっくに大きな被害が出てる」
「そういやそうですね」
「暑いなら水でも飲んでおけ。川に補給でも行くか」
幸い、ここは自然環境には恵まれている。ちょっとそれっぽいところを見れば、川くらいなら見つかる。
少々急な斜面を降り、川のそばまでたどり着く。水は澄んでいて、魚らしき影もいくらか見えた。少なくとも清潔らしい。
「お前ら、川の水を飲むときはちゃんと解毒しておけよ」
川には様々な微生物や微量な毒が混ざることは基本である。ひし形で緑色の解毒石を水に混ぜることで、一つあたり一リットルほどの水を浄化できる。
川に生息する微生物や微量な毒程度では人間は死なない。酷くても腹痛が襲うほどだ。でももし川の上流に魔物の死体があり毒を持つ個体ならば、接種しては危険。
「分かってますよ、ちゃんと持ってきてます」
遠方への調査なら必需品で基本中の基本。これをなくしては成り立たない。大きめの水筒に水を汲み解毒石を投入して浄化する。効果は一リットル分、一度水につけたら消耗が始まるから、水筒に保管するしかない。
解毒石は魔物の血の塊から抽出した成分を元に作った石。だから煮沸や濾過を簡単にできない状況なら重宝する必需品。
「よーし、これでバッチリですね」
「水は確保した、行くぞ。ラングルも大丈夫か?」
「ハイ! しっかり浄化しておきました!」
「そんな元気な必要はないが、まぁ分かったよ」
長旅での水は必需品。冒険になくてはならない存在である。特に浄化を怠れば何かしらに蝕まれる可能性は高い。
長旅の最中で毒でも食らえば、引き返すハメになりかねない。そんなみっともない理由を引っ提げて帰れば笑いものになること間違いない。
「よしシャウルス、ラングル、今日は中継地点で休もうか」
時間はまだ夕方。寝るにはまだ早いけど、ここから先はしばらく中継地点がない。いま休みに入るのがベストなのだ。
「ふぅ……落ち着きますね」
この小屋は、予め設置された中継地点である。木でできた小屋には最低限の生活ができる設備がそれなりに揃っていて、魔物死体処理係や駆除係のチェックポイントになっている。とりあえずは安泰。雨風を凌ぐのならここで十分。
小屋の大きさは中程度。個別の部屋は四つあり、お世辞にも広いとは言えないけどベッドは綺麗に整っている。小屋は死体処理係の中に管理している人間がたまに来ているらしく、掃除は行き届いていた。砂一つない掃除には定評がある。
小屋の中は、大の男三人ほどが両手を横に広げても十分なほど広く、家具もいくらか設置してあった。
木製の長テーブルが一つとイスが四つ。中央に設置されているから仲間が集っても不便はない。多少粗悪な作りに目を瞑れば満足できる。
「よく落ち着けるなシャウルス。俺はむしろ外のほうがいい」
「えぇ? 外ですか」
「狭い部屋は嫌いなんだ。外で寝たい」
「で、でも危ないですよ。私たちも落ち着かないですし」
「そうか? なら中でいい」
野性味溢れる話になんとか決着をつけて、今日は休むことにした。というより、今は休む以外の選択肢がないと言っても過言ではない。
「うーーん、じゃあ失礼ながら、僕はもう寝ますね」
大あくびをかましながらラングルちゃんは部屋を選ぶ。まだ寝るには早すぎる時間だと思うけど、ラングルちゃんはもう布団に潜りたい気分らしかった。
「え、もう寝るの?」
「なぁんか、すっごい眠いんですよね」
「まだ夕方だけど、昼夜逆転しない?」
「大丈夫ですよ、バリバリ元気に動きますんで」
妙にまぶたを重そうにしながらラングルちゃんは部屋へ消えていく。元気が破裂しそうな性格だとは思っていたけど。
「んー……ルクロンさん、なんかラングルちゃんの元気がなくないですか?」
「そうか? ちょうどよく黙ってくれたほうがやりやすいがな」
「それはそうですけど、それ酷くないですか」
「そうか?」
普段から元気な人が静かだとそれはそれで心配になる。今はそっとしておくしかないから特に触れないでおく。
「シャウルス、明日の朝まですることはない。寝たければ寝ておけ」
「いやぁ私はまだ眠くないですね」
「でもすることないだろ。本とか持ってきてるのか?」
「な、ないですね」
暇つぶしグッズは一つもない。かといって寝るのは早すぎる。安らげる場所は安泰だけど、できることがなさすぎるのも辛いものがある。
「あ、そうだ。ロンカルさんの昔の話とか聞きたいです」
「楽しい昔話なんて一つもないぞ」
「楽しくなくてもいいですよ。言いたくないなら別にいいですけど」
「そうだな、じゃあ昼飯でも食べながら聞かせてやるよ」
カバンから昼食であるサンドイッチを取り出す。油を吸い取る薄い紙に挟まれたそれは、疲れた体が最も欲している物だった。
「あれ、そういえば、ラングルちゃんはお昼ごはん食べないんですかね」
「あいつの性格から考えたら昼飯を食べずに寝るって妙だよな」
「そうですね」
妙とは思いつつも、寝ているのに起こすわけにはいかない。不自然だけど放っておくしかない。
「まぁいいだろ、腹が減るのはあいつの勝手だ」
「そ、そうですね」
「で、俺の昔話を聞きたいんだろ」
「ぜひぜひ」
「ところでシャウルス、お前は雨は好きか?」
「雨? どっちかって言うと嫌いですね。特に任務中に降られたりしたら、最悪だと思いますよ」
「これから俺が話す昔話は、雨が好きになる話だ」
「そんな話あるんですか?」
「俺が昔、乾燥地帯の任務についていたときは、むしろ雨が恋しかった。喉が砕けそうなほど乾いて、空気を吸うだけで鼻も乾いていった」
「いわゆる、砂漠ですか? 私はまだ見たことないですけど」
「いや砂漠じゃない。荒野と言ったほうがいいか。砂漠は砂ばかりだが、荒野は乾いた岩ばかりの大地なんだ」
「そこには、魔物を狩りに行ったんですか?」
「あぁそうだ。誰もいない荒野で、仲間を連れて、誰もいない場所にいる魔物を殺すためにひたすら歩いたんだ。魔物を狩ること自体は難しくない、魔物は基本的に弱いからな。でも問題になったのは環境のほうさ」
「過酷そうですね。そんな環境で魔物を狩るのは」
「過酷だ。だから俺は仲間を一人だけを連れて行った」
「仲間というのは?」
「お前は知らないやつだ。良いやつだったが、その任務中に死んだのさ」
――聞いちゃいけないことに触れたと感じ、自分の口をふさぐ。
「気にするな。昔のことだ」
「う、ハイ」
「荒野は過酷な環境だ。でも過酷な環境に生きる魔物は、やはりそれなりに危険でな。整った環境にいる魔物よりも手強かった」
「手強いというと、どういったことがですか」
「乾燥した環境だと魔物の肌はそれなりに硬くなるんだ。日差しや乾燥に耐えられるようにするため、丈夫になっていって物理的にも強くなる」
「なるほど。でもそれって、人が亡くなるほど強いんですか?」
「死んだ相棒は普段から弓矢を使っていた。だが、荒野の魔物は手強そうだからとその日は珍しく銃を使ったんだ。これが仇になった」
「銃でも倒せないって、そんな強力な魔物がいるんですか……?」
「あぁ。異常なまでに硬質な皮膚でな。魔物は銃の弾丸を弾いて、で、相棒に跳ね返った」
「そ、そんなこと、あるんですか」
「笑っちまうよな? 弾丸が跳ね返って自分に命中して死ぬなんて、バカバカしいにもほどがある」
「笑いは、しないですけど」
「そうか、優しいなお前は」
人が死んだ話なんて、笑えるわけもない。
他人をなんとも思わない人物なら、お酒を飲みながら笑い話にもしたのかな。
「だから俺は、もうそんな失敗はしない。お前らに同行する以上は誰も死なせないし、俺も死なない」
「大丈夫ですよ、今回はそんなに危ない魔物はいないと思います」
「魔物を殺すこと自体は難しくない。だがあんまり油断はするな」
「そ、そうですね。油断はしません」
「ところで、足は大丈夫なのか?」
「えぇ、なんとか無事です。寝れば治ると思います」
「そうかい、撃ったやつはニーザって言ったっけな?」
「そうですけど?」
「相手を殺したいか?」
「――え?」
突然の質問に、軽く戦慄する。
「思い、ませんけど。なんでそんなこと聞くんですか?」
「俺は昔、犯罪者の処刑人をやっていたことがある。目の前にいるやつを撃って殺すんだ」
「それって、死刑判決ってことですか?」
「まぁそうだな。最初のうちは心が痛んでいたが、何度もやっていくうちに感覚がマヒしていくんだ」
「罪悪感が、なくなるってことですか?」
「仕事と割り切れれば罪悪感はない。感覚がマヒってのはそこじゃなくて、処刑される人の悲鳴や命乞いの言葉や表情が、なんとも思えなくなる。それが嫌なんだ」
「だから、処刑の仕事をやめてこっちの仕事についたんですか」
「そうだな。でも処刑の仕事をやめた今となっても、俺は人を殺す感覚がマヒしたままなんだ。だからもし、お前がニーザってやつを殺したいと思うなら、俺も手伝う」
「こ、殺したいなんて思ってないです。だから、そういう話は……」
「そうか、お前にその意志がなくて安心した。魔物がいる世の中で人間同士の争いなんて下らないからな」
「私は実際に撃たれました。相手のことを憎いとか悔しいとか思いました。でもそれこそ殺しちゃったら、相手の思うツボだと思います」
「それでいい。子供は物騒なことを考えなくていいんだからな」
「もしも、そういうのがやむを得ない場合は分かりませんけど」
「分からなくていい。今はな」
「……」
人間同士の争いが来る日だって、あり得ないとは言い切れない。
魔物がいようがいなかろうが、人間同士の考えの相違なんていくらでもある。
「さて、今日はもう寝ろ」
「ロンカルさんは、寝なくていいんですか?」
「寝るさ、コーヒーを一杯だけ飲んだらな」
「コーヒーって美味しいんですか?」
「いや不味い。俺は苦いのが嫌いでね」
「じゃあ、どうして飲むんですか」
「不味いから飲むんだ。飲んでみるか?」
恐る恐る、頷く。前提として不味いと言われてしまうと心底飲む気が失せるけど、チャレンジ精神が背中を押す。
新たにコップを出し、ルクロンさんの持つ水筒からコーヒーを注ぐと、湯気に乗って香ばしい香りが漂う。
「いただきます。残しませんからね」
「頑張って飲め。飲めるもんならな」
砂糖もミルクもナシの純粋のコーヒー。……どうだろう。
「う……これは」
「不味いだろ。俺の作るコーヒーは不味い」
「でも一度飲んだからには最後まで飲みますよ」
若干の無理を交えながら最後まで飲みきり、渋い顔でコップを下げる。
「あーこれは……もう二度と飲まないと思います」
「子供は砂糖とミルクでも入れておけ。それなら飲めるだろうな」
「おそらくそうですね」
「さて、満足したら寝ろ。早く寝ないと寝れなくなるぞ。コーヒーにはそういう効果があるからな」
「へぇーそうなんですね」
「大人は、逆にこれがないと寝れないんだ」
飲むと寝れなくなるのに、飲まないと寝れない? 真逆の情報を与えられて混乱しちゃうけど、それが大人の世界かと頷き納得しておく。
「じゃあ私、寝ますね」
「あぁ、そうしてくれ……いや、待て」
「え?」
ルクロンさんは銃を持ち外へ視線を動かす。何かの気配を感じ取ったらしい。
「どうしたんです?」
「静かに。外に誰かいる」
「……動物や魔物、でしょうか?」
「いや、動物や魔物にしては動きが少なすぎる。おそらく人間だ」
「に、人間?」
こんな時間に、わざわざ目の前に来る人間。一人だけ心当たりがある。先制攻撃もなければ威嚇もない以上は、確認するしかない。
「……おそらくですが、ニーザさんです」
「あぁ、お前を撃った女か」
「ど、どうしましょうか?」
「おそらくお前に用がある。無視するか対応するか決めてくれ」
「そう、ですね」
「俺はどちらでも構わないが、もし相手に攻撃の意志があればこっちも攻撃する。そう伝えてくれ」
「はい」
銃は腰の後ろに忍ばせておき、いつでも抜けるようにしておく。銃は弾が空でも見せるだけで威嚇の役割を果たせる。
ドアを開け外の様子を探る。予想通りにニーザさんが立っていた。武器は、正面から見た限りでは所持していないようだった。隠し持っている可能性まで考慮すれば、背後にならいくらでも隠せる。
「どうも小娘ちゃん。いや、シャウルス」
「どうして、ここが分かったんですか?」
「ここはあんたらの中継地点でしょ、分かるさ」
「なんの用ですか」
あくまで警戒は怠らない。気を許せば相手は調子に乗る。調子に乗れば主導権を握られる。そうなれば強引に押し切られる。
「ちょっと忠告しておこうと思ってね」
「忠告?」
「あんたは、強い。なぜって、あたしを前にしても堂々としていられるからね。でも強いだけじゃこの先はやっていけない。きっと苦労するときが来るかもしれない」
「……なにが言いたいんですか」
「だから、その後ろに隠し持っている銃を使うときが来るかもしれないってことさ」
ニーザさんのハッタリを食らい、無意識に後ろに手が動く。当てずっぽうが的中して武器を隠し持っていることがバレた。
「やっぱ持ってるんだ」
「……でも私は、あまり使うつもりはないです」
「あたしの嫌いなことその一、宝の持ち腐れ。刃物は斬ってこそ価値があり、矢は的を射てこそ価値がある」
「銃は宝じゃないですし、本当に必要以上の価値なんてなくてもいいです」
「必要以上の価値ねぇ」
「もしかしたら、ニーザさんの言うことは間違いじゃないのかもしれません」
「お、認めるつもりになったのかな?」
「そうじゃありません。魔物は危険とはいえ、私たちと同じ命なのは違いないです。だから保護する人の気持ちも分かります」
「なにが言いたいんだい?」
「でも私は、それでも人を撃ったりはしません。あなたみたいに、目的のために人を傷つけるような行為は間違っています」
「へぇー」
ニーザさんは銃を抜き、私の額にピタリと向ける。
でも動じない。動じればすなわち負けを認めたことになるから。例え威嚇射撃をされてもまばたき一つするつもりもない。
「ねぇ小娘ちゃん。その強さは本当に面白いと思う。でもね、世の中は綺麗事だけで成り立つ世界じゃないんだよ」
「綺麗事でいいですし、それだけで成り立たないのも分かってます。人間同士でケンカしたりするのも分かってます。でも私は、綺麗事を信じていたいんです」
「へぇー」
なおも銃口を降ろさずニーザさんの態度は変わらない。
「綺麗事じゃ世界は変わらないし、そんなことを考え続けててもけっきょく人の本質は変わらない」
「世界のことなんて分かりません。そこまで大きな話は、私にはどうにもできないです」
「じゃあ覚悟じゃあたしのほうが上だね。あたしは先の先まで考えているから」
「先の先って、自分の利益のことがほとんどですよね」
「そうかもね」
銃は降ろされた。引き金からも手は離れすでに撃たれる驚異はない。
「じゃ、あたしは帰る。襲ったりしないからゆっくり寝てな」
「そうですか」
「あんた、シュロップシャーブルーについては聞かないのかい?」
「聞いたら教えてくれます?」
「教えないよ。じゃあさよなら」
言いたいことだけ言ってニーザさんは帰っていった。余裕があるからか甘く見られているからか、背中はガラ空きのまま。追いかける気など毛頭ないけど。
話は終わり部屋へ戻る。警戒を怠らなかったルクロンさんは銃を片手に立っていたけど、戦いに発展せず安心した。
「どうだ、大丈夫か」
「はい、問題はないです」
「あいつに攻められる心配はないだろうな」
「絶対はないですけど……その気はなさそうです」
「ならいい、寝ておけ」
今ニーザさんのことを危惧しても仕方がない。やられる前にやり返す心情はないから大人しく寝ることにした。
個室に戻ってベッドに潜ると、心地よい眠気が迎えてくれる。今日は色々とあった。主にニーザさん関連だけど、後のことを考えれば今回のストレスはまだ序の口なのかも。
「人間同士の戦いだけは、したくない」
自分に言い聞かせるように呟き、ゆっくり目を閉じると、すぐに眠りに入った。例え止むを得なくても、人間同士の争いだけは避けたいところ。
あくまで目的は魔物の処理であり、あくまで銃口や矛先を向けるのは魔物だということは揺るがない。その目的を間違えてしまえば、それはもう戦争になる。
翌朝。
けっきょくニーザさんは攻めてこなかった。
あの人は横暴だし、口も悪いし荒っぽい。けど簡単に人を殺せる人じゃないし、殺しに喜びも感じてないのかも。とりあえず一晩を凌げたことに不思議な喜びを感じる。
「シャウルス、寝れたか」
ルクロンさんが外に出てきて、外で優雅に伸びをしていた私の背中へ向かって言う。
「あ、おはようございます。寝れましたよ、ちょっぴり不安でしたけど」
「そうか、あいつが攻めてこなかったなら良かったな」
「ですけど、向こうで鉢合わせの可能性もあります」
「そうならないよう願うか、そうなれば俺が対処する」
場合によっては殺害も……遠回しにそう言っている。
「私は、なるべく人は殺したくないんです」
「あくまで可能性だ。最悪のな」
最悪の、可能性……それだけは避けたい。
「ところで、ラングルはどうした」
「まだ寝てるんじゃないですか?」
「起こしてきてくれ。起きなきゃ三人で罰ゲームだ」
「なんで連帯責任なんですか」
小屋へ戻った私は、ラングルちゃんが寝ている部屋をノックしてみる。が、返事がない。
「おーいラングルちゃん。起きてる?」
寝坊をするようなタイプかなぁ。と勝手に決めつけていたけど……それにしても、あまりにも返事が無さすぎる。
――まるで、死んでいるかのように。
「まさか」
嫌な予感が過る。予感程度で留まってほしいと願うけど、真相はドアの向こうにある。
「入るよ、ラングルちゃん」
焦る気持ちを抑えつつドアを開く。
昨日なら無駄に元気な挨拶が飛んでくるはずだけど今日は無言一筋。ベッドには人が入っているようで、布団が盛り上がっている。ドアを開けても気づかないなどあるわけがなく、寝ているにしては寝ぼけすぎだ。
「ラングルちゃん、大丈夫?」
「……」
返事は、ない。
「ラングルちゃん!」
布団を引っ剥がし様子を確認する。蹲っているラングルちゃんは両肩を抱き小さく震えていいたけど、なにかに怯えているようにも寒がっているようにも見えた。
「ちょっと確認するよ」
片手を取ってみるけど氷のように冷たい。肌の色も青白くなり、血液の流れも良くはなさそうだった。
普通に寝ているわけがない。これはおそらく何かの病気。
いや、でも昨日は普通に元気だった。一晩でここまで具合が悪くなるなんてことはないはずだけど。
「ラングルちゃん、ラングルちゃん、大丈夫?」
返事はない。呼吸はしているみたいだけど、非常に弱い。
どうしよう。私には医療知識なんてないから下手なこともできないし、でもこのままじゃ死んじゃうかもしれない。
そ、そうだ。ルクロンさんなら分かるかも。
急いで呼びに行き、状況説明。
必死の説明でラングルちゃんがマズい事態になっているのは伝わったと思うけど、焦った私の説明で大丈夫かな。
「危険な状態だ」
「え?」
ルクロンさんは、至極冷静に言い放つ。
「シャウルス、お前はこいつの体に触ったか?」
「えーと……さっき片手を触って体温の確認をしましたけど」
「……そうか、ならお前も警戒しておけ」
「警戒って、どうしてですか」
「こいつの症状は水性毒だ」
「水性毒って、確か魔物の毒単体では大した効果がなくても、水に長時間混ざっていると毒性が強くなるアレですよね」
「あぁそうだ。こいつは昨日、それを飲んだんだろう」
「あれ? でも、解毒石で浄化してましたけど」
「おそらく、解毒石が欠けていたんだろう。多少ならいいが、あまり欠けすぎていると毒を食らう。ちゃんと確認しないからこうなるんだ」
私も解毒石の欠け具合なんて確認していなかった。もしも自分のも欠けていたらと思うと……ラングルちゃん同様になっていたのは間違いない。
「しかし、妙だな」
なにが妙なんですか? そう質問してハッキリとした解を得てもよかったけど、それでは芸がない。だから自分なりに推理してみた。
解毒石は一つ使えば一リットルを浄化できる。でも欠けていればそれなりに毒を食らう。それは正しいんだけど、妙なのはおそらくこの後だ。
石が欠けていたとはいえ、毒はそれほどストレートに食らわないはず。いくら魔物の毒でも、あのラングルちゃんの具合の悪さは尋常ではない。せいぜい軽い腹痛や、軽い内蔵の痛みくらいだと思う。
「確かに、妙ですね」
「分かるのか」
「毒が強すぎるって話ですよね?」
「あぁそうだ。こいつはいくらなんでも重症すぎる。毒以外のなにかを食らったか、それとも俺たちが想像している以上の毒性だったか」
「そんな魔物、いますかね?」
魔物の中には毒性が強い血液を持つ者がいる。でもそんな魔物はどこにでもいるわけではない。ましてやそれが都合よく川の上で死ぬなんてかなり低い確率だし。
「考えられるのは、環境の変化だな」
「環境が変化したことで、普段出ない魔物が出たとか?」
「それもあるだろうが、これほど毒性の強い魔物はこの辺りの地域にはいない」
「じゃあ、かなり遠くから来たとか?」
「そこまで急激な変化はない。おそらくこれは、環境変化の連鎖だろう」
「環境変化の、連鎖?」
「まず、自然環境というのは常に変わり続けている。気温に湿度に、もっと細かく言えば生物全体の数に至るまでな」
「それは分かります」
「だから、その小さな変化が連鎖して魔物の体の構造に変化したのだとすれば、身を守るために毒が強くなるのは頷ける」
「なるほど……」
自然に殺されないため、身を守るために肉体が変化することはある。急激な変化は珍しいことだけど、あり得ないことじゃない。
「じゃあこれは、新種の毒って可能性もありますか?」
「この症状には見覚えがある。たぶん新種じゃない。だから今までよりも強い毒になったんだろう」
「ならどうしたらいいですか? いったん戻ります?」
「こいつ次第だな。邪魔になるなら帰ってもらう」
少々雑な言い方だけど、間違ってはいない。足手まといになるくらいなら、いないほうがマイナスにならずに済むだけの話……ってことなのかな。
「聞いてみますか」
結論を答えられるのはラングルちゃんだけ。本人が決めるのが一番早い。
「ラングルちゃん、具合が悪いならいったん帰る?」
「うぐ……帰りま、せん……」
「ルクロンさん、私こういうときこう思うんですけど、やっぱりダメそうですね」
「あぁ、こいつには帰ってもらおう」
もう答えなんて聞かなくても分かる。あからさまに具合が悪いし、途中で死んじゃったりしたら申し訳ないし。
「でもどうやって帰します?」
「川に流していいならそうするけどな、仕方ないから照明弾で応援を呼ぶ」
照明弾は空に向かって撃てば、仲間に報せることができる。ここは中継地点だから場所も分かりやすいはず。すぐに誰かが来ればラングルちゃんも病院に行けるかも。
「じゃあ、俺は照明弾を撃ってくる」
「待っ……て」
ラングルちゃんは弱々しい声を出しながら半身を起こした。どう考えても遠くまで歩けそうにないけど……無理しないほうがいいと思う。
「どうしたのラングルちゃん?」
「僕は大丈夫です……何もできずに帰るなんてできません」
「そう言われても、ね……」
「足手まといにはなりません。もし死にそうなら自分で帰ります」
「死にそうならって、ホントに大丈夫?」
「だ、大丈夫ですよ。解毒はそれなりに効いてますし、時間が立ったら少し良くなりましたし」
「……って言ってますけど、どうしますルクロンさん?」
意見を求めると、渋々といった表情で迷っている様子だった。きっと連れていくメリットも考えてのことなんだと思う。
「仕方ない。ラングルは邪魔になりそうだが、役にも立ちそうだ。これから先は二人だけで行くのは避けたいし、かといって応援を呼ぶために戻るのも辛いし」
「じゃあ連れていくんですか? ……なんか、重症、重病、危篤が三拍子揃っている感じですけど」
「死んでないならまだギリ大丈夫だろ」
途中で倒れたりしたら、そのときは照明弾の出番かな。
「じゃあラングル、さっさと起きろ。志半ばで倒れたら捨てていく」
「それで構いません、僕は死んでも進みますから安心してください」
死んでも進むって、それ逆に怖い気がするけど、元気ならそっとしておこう。
毒は自然に排出されにくいものだけど、されないわけじゃない。解毒石を二つ溶かした水を飲んでいればそのうち良くなる。と、思う。
解毒石二つ入りの水を作ってあげると、ラングルちゃんは立ち上がった。フラフラしている様子はない。でも無理してるのかな。
しっかり水さえ飲んでくれれば死にはしない、といいけど。
「とにかく! 僕は元気! むしろ元気!」
「逆に不安になるんだけど」
「ピンチはチャンスですよ。不安なときこそ安心するんです」
「なんかもっと不安になってきた」
もう何を言ってもポジティブに受け取るんだろうなぁ。羨ましいその飛び抜けた元気。戻るつもりがないんなら、とことん頑張ってもらうしかない。とにかく、今日の動きは決まった。大きなトラブルは抱えているけども、なんとかなるかな。
ちょっと、いやかなり、いやとっても心配だけども、ここで置いていったってけっきょく聞いてくれないだろうし、もうこのまま一緒に来てもらおう。
今日中にはこの任務も終わらせて、そしてスッキリした気持ちで帰る。ちゃんと帰ってラングルちゃんのことも治す。それが今日やるべきことなんだ。
それからというもの、仕方ないけど少しペースは落ちた。もちろんそれはラングルちゃんの体調の悪さにもよるところはあるけど、ルクロンさんは責めたりしないし、私も別にラングルちゃんを悪く思ったりはしない。
でも、もしも機敏に動かないといけないときは守らなくちゃいけないけど、そこは心配。
「ねぇラングルちゃん、ホントに大丈夫?」
「大丈夫です! ホントに、大丈夫ですから!」
「でも辛そうだし……やっぱり一人でも帰ったほうが」
「……アハハ、すいません、僕、どうしても焦ってしまって」
「どうして?」
「だって僕、新人のうえにグロいの苦手で、毒まで食らっちゃって……足手まといで……はぁ、先輩たちに迷惑ばっかりかけて……そもそも、どうして僕なんかがこんなに遠い場所の任務を任されるんですかね、僕いらない気がするんですけど」
「そう、かな?」
私が言えたことじゃないけど、たしかにラングルちゃんはまだ力不足。死体が苦手となるとこの組織にすら不向きかもしれないし、ルクロンさんだって内心では思うところがあるのかもしれない。
けど、リヴァロさんは私にこう言っていた。
「ラングルちゃん、私ね、リヴァロさんに一つ言われたことがあるの」
「えぇ? なんですか」
「筆記試験は見事に合格。でも特別に優秀なわけじゃないし、多少は点数が低くても雇うつもりだったってさ」
「点数が低くても、雇うつもりだった?」
「人手不足だから、だってさ」
「え、そんな理由なんですか?」
「うん、この任務はね、死体とかが苦手な人もいっぱいいるから、やりたがる人が極端に少ないんだって」
「あ、それならリヴァロから聞きました。だから僕、役立たずなのにここにいるんですね……」
「そんなことないよ、誰かがいてくれるだけでもこの組織は嬉しいんだから。それに、私だってまだまだなんだし」
「誰かがいてくれるだけでも、嬉しいんですか」
「そうそう」
正直、私たちだって必ず二人だけでやっていけるか分からない。三人だからこそできることもあるはずだし、三人寄れば文殊の知恵とも言うし。
「だからラングルちゃんは、ここにいていいんだよ」
「は、はい! その、今は絶賛足を引っ張り中ですけど……何かの役には立ちますので!」
畏まってそう言われるとちょっと照れちゃう。けど、これでちゃんと立ち直れるんなら、照れちゃうくらいなんてことないね。
先頭を歩くルクロンさんは今の話を聞いてか聞かずか、急に立ち止まった。ここは斜面の緩い山道。植物も少ないから比較的歩きやすいけど、何か見つけたのかな。
「どうしたんですかルクロンさん」
「気をつけろ、生きている魔物だ」
「生きている魔物?」
「あぁ、俺が駆除する」
魔物は額に緑色の宝石のようなものをつけている、体全体が太くて鼻のないゾウに近く色は全身黒の毛むくじゃら。けど大きさは人並みだから比較的中型の部類に入る。
動きも遅く危険はない種類だったはず。でも警戒心が強いからあまり人間が近づきすぎたりすると威嚇行動に出るらしい。肝心の名前は忘れちゃったけど。
ルクロンさんは銃を構えて魔物を睨みつける。私は急所までは知らないけど、分かるのかな。
「ルクロンさん、倒せそうですか?」
「いや……ダメだ。あいつは殺せない」
「え、でもたしかあれ、弱い魔物ですよ」
「ここは、駆除禁止区域だ」
「そ、そんな……」
魔物はどこでも殺して良いわけではない。自然に死んだ魔物ならともかく、殺す場所によっては環境に大きな影響が出たりもする。でもここはただの山のはず。環境への影響はそこまで大きくない。
「このへん一帯は、富豪の所有地だ。もしここで殺したのがバレれば大問題になる。下手すりゃ魔物死体処理係も危うい。近道だからしらんふりして通り過ぎようと思ったが、魔物はどうしても無視できない」
この山を登らず迂回してしまうと、丸三日はかかるルートを覚悟しないといけない。さすがに私たちが持たないからこの所有地である山をさり気なく登ってはいたけど……バレなきゃセーフの理論は私にはちょっと怖かったけど、でもルクロンさんがそう提案したし、実際にルートは簡単で短い。
「で、でも自然死ってことにしておけばバレないんじゃないですか?」
「俺は銃で殺すんだ。弾の痕迹で確実にバレるからな」
「じゃ、じゃあどうします? ナイフですか?」
「あいつは警戒心が強い。下手に触らず、ゆっくり通り過ぎるのが一番だ」
「そうですね、そうしましょう」
ここから少し走れば、この山の敷地内から抜けられる。今は慌てず騒がず、とにかく刺激しないようにしなくちゃ。
ゆっくり、ゆっくり歩けばきっとバレない。きっと大丈夫。距離はまだ五メートルほどあるから、少なくともニメートルくらいまで近づかなければセーフかも。
よし、順調に……順調に魔物の横を通り過ぎている。これなら、きっと何も起きずに通り抜けることが……。
バキッ、と私の足元から小気味の良い音が鳴る。太い木の枝を踏んだ音は魔物の耳にも届いたようで、緊張が走る。ようやく真横を通り過ぎている最中なのに、魔物は音に気づいたようでこちらへ正面を向けた。
「マズいですよルクロンさん……あれ、威嚇してますよね?」
「あぁ、怒らせたら怖いからなあいつは」
「いっそ、走って逃げますか」
「俺ならともかく、お前とラングルの足じゃ厳しいだろう。でも俺も腰が痛いからちょっと難しいかもしれん、それはすまん」
「じゃあ、もうどうすれば……」
逃げるのも立ち向かうのも不可能。銃で一発撃てれば解決する問題なのに、場所が場所だけに最適な解決法が使えない。
突如、魔物は口から無数の触手を出し、私たちへと向けた。そのヌメりとした紐状の物体は、嫌悪感と驚異を同時に見せつけ威嚇するのに十分な要素だった。
無駄なことと分かりつつも、ルクロンさんは銃口を魔物へ向ける。でも一つ引き金を引き絞れば、きっとそれは苦情に変わり組織に伝わる。
「ルクロンさん、ダメですよ……」
「分かってる。けどこれしかっ」
成すすべのないまま、魔物の触手が私たちへ迫る。触手自体に毒とかはなかったはずだけど、でも刺されたらそれなりに痛いことくらいは知っている。
なにか……なにか手は?
難解な答えを見つけるため模索していると、私達の目の前にラングルちゃんが立った。両手を広げ、私たちを守るため身を呈している。
「ラングルちゃん! 危ない!」
「だ、大丈夫です! 老い先短い僕が、死んでもお守りしますです!」
「ダメ!」
ラングルちゃん、そうじゃないんだよ。死んでもいいことなんてない。誰も死んでいいわけないし、死んだら私は許さない。
無数の触手がラングルちゃんの鼻先へ集中する。毒とかはなかったはずだけど勢いはあるから威力は高そう。あんなものを食らえば蜂の巣になってきっと全身から血を吹いて死ぬ。
でも私の力じゃ、もうどうにもならない。もう、あれ以上はどうにも……。
「やめてっ!」
魔物が私の呼びかけに答えたのか――そんなことはまずありえないけど、そう疑いたくなるほどピタリと触手の動きが止まった。
触手は驚異を失い、魔物の体へ引っ込む。そして魔物は何かを恐れるように踵を返して私たちの前から離れていった。
「しゃ、シャウルス先輩、あれどうなってるんですか」
「分からない。けど、なんか助かったみたい」
「あ、アハハ、きっとあいつ、僕の凄さに恐れおののいたんですかねぇ! あは、あはは……なんちゃって」
あの魔物は普段は大人しいけど、でも怒らせたら襲ってくる種類のはず。人が立ちふさがった程度であんな風に退くなんて、おかしい。
「あれシャウルス先輩、なんか考え事ですか?」
「え、ううん、大丈夫」
きっと私の知識じゃ、考えても仕方ない。
でも今は、それよりも言っておかなくちゃならないことがある。
「それよりもラングルちゃん……さっきなんて言った?」
「へ? さっきって、いつのことです?」
「死んでもお守りしますって言ったよね」
「はい! 僕は、優秀な先輩たちをお守りするために死んでもいい覚悟でっ――」
「ふざけないで」
「え……」
「もう一度言うよ、ふざけないで。人を守るために何かをするのはいい。けど、死んでもいいなんて二度と言わないで」
「ご、ごめんなさい……」
「もしあなたが私たちを守るために死んだりでもしたら、許さないから」
「は、はい……」
私の言葉に、ラングルちゃんは思ったよりもしょんぼりしてしまった。そこまでへこませるつもりはなかったけど、でもまたあんなことされちゃ困る。
でも気持ちは分かる。私だってきっと、同じ状況なら同じことをしちゃうかもしれない。どうしても脳裏にリコッタのことが浮かんじゃうし、それに何より、仲間を失いたくない。
「で、でもねラングルちゃん、私こういうときにこう思うんだけど、仲間のことを大切に思う姿勢は良いと思うよ」
「え、あ……はい、ありがとうございます」
落ち込んだラングルちゃんへのフォローにはなった、のかな。私も別に本気で叱るつもりなんてなかったけど、こんなに落ち込んじゃうとは。
「そ、それじゃとりあえず助かったみたいだし、先に進もうか」
ラングルちゃんは本気で反省しているみたいだから、私もこれ以上は言わない。だから今は目的を最優先して進む。もちろん警戒も怠らずに。
歩きながら、ルクロンさんはラングルちゃんの隣に立った。きっと慰めようとしているのかもしれない。
「おいラングル、こっち見ろ」
「は、はい」
「ほら、飴ちゃん食うか」
「は、はい」
ルクロンさんの励まし方って、あれが基本なのかな。じゃあ私も用意したほうがいいのかな、ああいうお菓子とか。
ああ、ちょっと言い過ぎちゃったかな……ダメダメ、私は間違ったことなんて言ってないんだし、私が謝ることなんてないよ。
今は、とにかく魔物の処理をするために動かないと。
「お前もだ、シャウルス」
「はい?」
「お前も飴ちゃん、食うか?」
「はぁ、いただきます」
もしかして私、気を使われてる? よね。気を使うのは好きだけど気を使われるのはなんか恥ずかしい。でも飴ちゃんはしっかり貰う。
それ以上は、あまり深く言わないでおいた。あんまり言うと任務に支障が出ちゃうし、きっとラングルちゃんもまた深く考えてしまう。
しばらく無言のまま歩き続けた。そろそろ富豪の敷地内は出られるけど、でもまた魔物に遭遇なんかしたらマズいから、なるべく物音は立てないようにする。
ややあって、ようやく山を降りた。明確な境界線があるわけじゃないけども、でも斜面じゃないからたぶん大丈夫。
目的の場所はここからさらに向こう。ルクロンさん曰くこっちから先は誰の私有地でもないらしい。私もそれは把握済みだけど、でもさっきの手前、気になっちゃう。
低い丘をいくらか登り続けていると、だんだんと空気が淀んできた。原因は不明だけど、環境の変化によるものだと思う。
「この空気、汚いな」
ルクロンさんも同じ気持ちだったみたいで、なんか共感してくれて嬉しい。
「さっきの富豪の敷地よりも明らかに違いますね」
「だな。ここを皮切りに極端に変化があるな。飴ちゃん食うか?」
「なんで今なんです?」
「すまん今じゃなかった」
タイミングが謎すぎるけど、でもこれはこれで緊張が解れる。タイミングが謎だけど。
淀んだ空気はこれ以上濃くなることはなかったけど、てっぺんらしき部分に到着した。そろそろこの辺りに、魔物の死体があるかも。
私の勘がムズムズ動いたとき、見つけた。
「これが、例の魔物の死体ですか」
「あぁそうだ。ったくグロスターめ、派手な殺し方しやがって」
魔物の大きさは、人間三人分くらいの中型サイズ。
形は狼に似ていて、四本脚で全身に毛が生えていた。顔は恐ろしい形相で死んでいても噛みついてきそうな迫力がある。牙は鋭く長く、私なんて一発でも噛まれたら死んじゃいそうなくらい。
「よく調べよう」
「はい」
魔物は横向きに倒れているけど、外傷は見てすぐに分かった。無数の穴が空いている。これはきっと銃で撃たれたことによるものだと思う。
「この銃による傷、間違いなくグロスターによるものだな」
「やっぱりそうなんですね」
「チッ……こんな適当な殺し方しやがって、後始末する身にもなれってんだよな」
「うーん、まったくですね」
グロスターのやり方はものすごく気に食わない。処理をしないことで自然環境とかにも影響が出るのに、殺してお終いなんかじゃないのに。
「傷口を調べる。一気に腐敗臭が出るぞ」
「準備できてますよ」
ルクロンさんは刃渡りの長いナイフを取り出し、魔物の傷口に差し込み開く。ほとんど出血はなかったけど、やっぱり腐敗臭は酷い。
でも調べているうちに私には一つ気になることがあった。私の気のせいかもしれないけど、念のために報告しておく。
「あの、なんか変な臭いしませんか?」
「あぁ、でも相手が死体ならそんなものだろう」
「まさかこれも、環境の変化によるものでしょうか?」
「そこまでは分からんけど、可能性はある」
もしそうなら、やっぱり警戒しておかないと。したところで何をしてくるか予測不能だけど。
死んだ魔物は、当たり前だけど臭い。腐敗臭は避けられないものだけど、でも今回の腐敗臭は今までと妙な違いがある。
なんというか、ちょっと酸っぱい? 柑橘系の果物を足したような臭いだった。
「でもなにか、死体の臭いに混じって変な臭いがします」
「シャウルス、お前もしかして鼻がいいのか?」
「かもしれないですね。私って細かいところが気になっちゃってしょうがないんですよ」
「なるほど、ならお前の鼻を信じよう」
信じると言われたら応えるしかない。
どこかで嗅いだことのあるこの臭い。果物? 野菜? いや違う。森の中にいるときに、草木の香りに混じっているこの臭いは、もしかして。
「……この臭いは、きっと樹液ですね」
「樹液って、木から出てくる汁だよな」
「その通りです。傷口の中にそれっぽいものも混ざってます」
傷口の中に薄黄色くドロっとしたものがある。きっとこれが臭いの正体である樹液だ。
「だがなぜそんなものが傷口にあるんだ」
「明らかに人為的なものです。誰かが仕掛けたんですよ」
となると、このタイミングで考えられるのはニーザさんしかいない。目的はぜんぜん分からないけど。
「あの女だな」
ルクロンさんも同じ予測をしていたみたい。
「あの女、なんか企んでやがるだろうな」
「私も、そう思います」
「シャウルスを撃つだけでなくこんな罠まで仕掛けるとは、姑息な連中だ」
あのときあそこで出会ったのなら、私たちがここに来ることだってお見通しのはず。予め仕掛けておいて、自分の手を汚さずに私達を始末することもできてしまう。
証拠なんてないけど、それしか可能性が考えられない。
だとすると、これは何かの攻撃の前触れ?
「シャウルス、俺は引き続き傷口を調べる。お前は自分の勘を信じて探ってくれ」
「は、はい」
あれ、これ褒めてくれてるのかな。そうだよね。
だったら私は、今は目じゃなくて勘に頼ってみることにしよう。
あえて視覚に頼らず、目を瞑ってみる。
周囲の気配を探るんだ。そうすれば、目を使わないからこそ見えるものがあるはず。
何かを、感じる。
ルクロンさんは何も感じていなさそうだった。もしかして、私だけ気づいているの?
でも具体的なことは分からない。もっと僅かな気配で、それでいて生物なのかどうかも分からないけど。
「何か、近づいてきます」
「なんだ、なにかって」
何かとしか言えないけど、とにかく危険が迫っていることは訴えておく。私にできるのはそれくらいだし。
「分かりません。でも何か……嫌な気配を感じるんです」
「確かに、言われてみれば周囲から何かの音がするな」
近づいてきている。でも魔物らしい姿は見えない。このあたりはほとんど草が生えていない地帯だから隠れることもできないし、大きな岩もない。
「でもいったいどこから……」
「シャウルス、上だ」
「上?」
咄嗟に見上げてみる。
太陽が消えた薄暗い曇り空に、無数の生物らしきものが見える。これは魔物じゃない。もしかしてこれって、
「虫だ。虫が寄ってきている」
「ま、まさかこれって樹液によるものですか」
「植物の中には、草食性の虫に食われたことで天敵の虫を呼ぶ寄せる種類もいるらしい。だがこの魔物がそういう種類じゃないとすると、樹液のせいだろうな」
傷口の樹液はこのハチを呼ぶための布石。なにかの罠なのは予測してたけど、別の生物を武器にするなんて」
樹液は虫がエサにしているもので、匂いが強いから虫は遠くからでもやってくる。だから魔物の傷口に樹液を隠しておけば、傷口を開いたときにハチがやってくるっていう寸法なんだ。
「あいつらめ……やるなら自分たちで直々に来いってんだよ。卑怯者どもめ」
でも周囲を見ても誰の姿もない。高みの見物すらしないつもりなんだ。それよりもいま解決すべきは頭上の虫たちだ。
「どうするんですか、この状況。逃げますか?」
「いやダメだろう。臭いは俺らにこびりついている。逃げたところで追いつかれるし、虫から走って逃げるのは難しい」
「じゃ、じゃあいっそのこと放っておくっていうのは?」
「それもダメだ。あの虫はハチだぞ。種類は分からんが、刺されたらかなりマズいだろう」
この死んでいる魔物の毛皮は分厚そうだった。だから周辺にハチが生息してようとも傷一つつくことはないだろうから、魔物にとっては天敵でもなんでもないんだろう。
なら人間に対策法なんてない。全身を水に潜らせることができればいいけど、周辺に水なんてどこにもないし、虫に対抗できるベストな武器なんて持ち合わせてない。
「成すすべなしじゃないですか!」
「参ったことに、ない」
銃は魔物には有効なのに、小さくて数の多い虫には歯が立たない。一匹や二匹倒せても、あの集団にはかすり傷程度でしかないはず。
ハチの群れはどんどん近づいてくる。けど、なぜか普段よりも動きが悪い気がする。
「シャウルス、気づいたか」
「えっと、私の勘が正確か知らないですけど、虫の動きが悪い気がします」
「不思議だな……あのハチども、俺らに近づけないようだ」
「やっぱり、そうですよね」
でもなぜ?
ハチに対してなにも対策なんて立ててないのに。自然と私たちを避けるように動いている。寄ってきたのにすぐさま避けるなんて、ここに打開策があるのかも。
「もしかしたら、僕のことですかね?」
「え、どういうこと」
少々静かにしていたラングルちゃんが小さく挙手してくれた。
「さっき、魔物の触手が僕のこと避けたじゃないですか。あれってもしかして、僕がいま毒を持っているから、ですかね?」
そうか――川の水を飲んだときの毒。さっきの魔物もこのハチも、おそらく毒を感じ取って避けているんだ。
だとすれば、ラングルちゃんのそばにさえいれば逃げられるかもしれない。いったん魔物の処理から離れることになっちゃうけど、でも仕方ない。
「かもしれない。ラングルちゃん、今だけお願い」
「分かりました! 死ぬ気で――あ、いや、みんな一緒に生き残るために僕が先頭になります!」
ラングルちゃんを前に私たちが並んで歩く。狙い通り、ハチは見事に私たちを避けてくれている。
ハチが寄ってくる死体から離れ、ようやく一息ついた。でも到着地点からは、誰かの気配を感じる。
なんとなく、分かってはいた。罠を仕掛けた張本人が側にいることくらい。
「あらあら小娘ちゃんたち、死んでないの?」
「この声は」
死体とは逆方向から、こっちに近づく何人かの姿がある。やっぱりニーザさんが筆頭で、その横には数人の取り巻きがいる。
ニーザさんを含めて、数はおそらく十人。これで全員なのか分からないけど、数ではこっちが完全に負けている。
しかもそれぞれが腰に銃を持っていた。私たちも銃はあるけど、一斉に撃ち合ったら必ず負ける。
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