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3-2 第三王子 対 先代剣聖の娘
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――視察当日。
俺は朝から門の近くでウロウロしていた。一番最初に出迎えないといけないと思っていることもあるが、どっしりと構えていられるほど肝が据わってもいないからだ。
何度も話す内容を、手順を確認しながら歩く。エルペルトはニコニコ笑っているが、スカーレットは欠伸をしながら言った。
「やれることはやったんでしょ? なら、後はなるようにしかならないって。あぁそれとも、案外小心者なのかしら?」
「見て分かる通り小心者なんだよ! その図太さを少し分けてほしいくらいだ……」
砦内の人間にも、エルフたちにも、俺はヘラヘラ笑っていることは伝えてある。すぐに話にならないと判断されるだろう。その後は副司令であるジェイが現れ、案内役にシヤが呼ばれる。よし、完璧だ。
昨日の夜から反芻し続けている。プレッシャーで吐きそうだが、きっと大丈夫だ。俺はやれる。城にいたときのことを思い――。
「見えました!」
「おぇっ」
もうちょっとで吐くところだった。
スカーレットに背を撫でられ、エルペルトに渡された水を飲んで立て直し。気付いたときには、もうティグリス殿下の一団は砦の目前に迫っていた。
――それは、噂通りの黒い軍勢だった。
全員が黒い鎧を装備し、一糸乱れぬ行軍で迫りくる。カルトフェルン王国内でも噂に名高い精鋭部隊だ。
その先頭を率いている男は、目立つ金と黒の髪、顔に文様。虎を想起させる見た目をしていた。
第三王子、ティグリス=カルトフェルン。この国で最強と言われる部隊を作り上げ、本人自身も人間と獣人とのハーフで戦闘力が高いという、誰もが知っている戦闘狂のお目見えだった
門の前まで出て待つと、少し離れたところで軍を止め、ティグリス殿下だけが馬で前に出る。
当たり障りの無い挨拶をしようとしたのだが……。
「――」
言葉が発せなかった。
ティグリス殿下が馬を降り、俺の前で止まる。恐ろしく、視線が斜め下に動いた。
城にいたとき、何度か見かけたことがある。だが話すどころか、目を合わせたことすらない。それはティグリス殿下にだけではなく、全ての王族にそうしていた。
声も出せずに小さくなっていると、ティグリス殿下が手を伸ばす。
その手はゆっくりと、俺の顔へ近づき……首を掴んだ。
「ビビって声も出せないとは情けねぇ。喉笛噛み千切られる覚悟はあるんだろうなぁ?」
この言葉は知っている。ティグリス殿下が良く使う言葉で、実際に喉笛を引き千切られた者もいることは有名だ。
怖い、逃げ出したい。……このままでは殺される。
死の恐怖に包まれ、逃げ出すよりも少しだけ早く、何者かが割り込み、ティグリス殿下の腕に蹴りを入れた。
解放され尻もちを着いた俺に、狼藉を働いた少女が手を差し出す。
「ちょっと大丈夫?」
「お、お、お、お、お」
「もしかして、お尻打った?」
「お前なにしてんだ! あほたれ! 尻より心配することがあるだろ!」
「はぁ!? あたしは助けてあげたんでしょ!? 護衛役として正しいことをしただけじゃない!」
「そうですね! ありがとうございます!」
エルペルトは慌ててスカーレットを羽交い絞めにしたが、すでに手遅れだ。俺は助かったが助かっていない。あのまま殺されるよりも悪い状況になってしまった。
目を向けられず、下のほうで泳がせながらティグリス殿下を見る。うん、顔を上げなくても分かるくらい怒ってるな。威圧感が半端ない。
「……おい」
「も、もうし、もう、も……」
ダメだ、言葉が出ない。ならば行動で現わすしかないと、震えながら両膝を着き、額を地面に擦りつけた。
真っ白な頭で、どうやったら助けてくれたスカーレットを救えるか考える。俺を殺すことは難しい。だが、彼女を殺すのは簡単だ。それだけは避けたい。
俺と、スカーレットの命を嘆願しなければならない。必死に言葉を紡ぐ。
「あ、ああ、あの、ああの」
「……チッ。うざってぇから口を開くな。さっさと案内しろ、能無し」
言葉の意味が分からず固まっていると、エルペルトが優しく俺を立ち上がらせる。彼は耳元で、小さく告げた。
「ティグリス殿下の後ろにいる兵がなにかを告げましたら、お怒りを静められました。後で礼を述べたほうがよろしいかと」
震えながら何度も頷く。エルペルトが教えてくれた人物は、兜で顔まで隠れており、誰かが分からない。だが、なんとか頭だけは下げておいた。
その後は段取り通りにジェイが現れ、シヤが案内を始める……はず、だった。
「てめぇらでやっとけ。おい、能無し。お前の部屋に案内しろ」
「……」
話さなくて良いと言われたため、ただ首肯する。ティグリス殿下は、とてもつまらない物を見る目で俺を見ていた。
つまり、予定通りの印象を与えられているってことだ。……などとは思えず、気分は沈んでいた。
司令室の中にいるのは、ティグリス殿下と部下二人、俺とエルペルトにスカーレットの六人だ。
怖い。機嫌を損ねてしまった。殺されるかもしれない。どうすればいいんだろう。
何も思いつかずにいると、ティグリス殿下が口を開いた。
「どうして、あなたがこいつの下にいる。先代剣聖エルペルト=アルマーニ」
先ほどよりも丁寧な口調から、敬意を持って接している。武人として、剣聖に対して敬意を抱くのは自然なことだろう。
エルペルトは一礼した後に告げた。
「我が主君に相応しい方を見つけたと思ったからであります、ティグリス殿下」
「オレや、他の兄弟姉妹だけじゃない。陛下の誘いすらも断っておきながら、剣聖の称号を捨てて、そいつなんかの下についたって言うんですか?」
少し考えれば分かることだ。剣聖であったとき、陣営に引き入れようという働きがあったことは当然のことでもある。
しかし、エルペルトが陛下の誘いまでも断り、俺の下についていたというのは意外だった。
……相応しくない。自分でもそう思いながら見ていると、エルペルトは逡巡なく答えた。
「はい、仰る通りです。他の誰でも無く、セス=カルトフェルン殿下を選び、その配下になることを望みました」
今日まで、少しは頑張って来たかもしれない。だが、先ほどまでの僅か一時間ほどで、俺の積み上げたものは全て失われた。……少なくとも、俺はそう思っていた。
だが、エルペルトはこれっぽちも気にしておらず、今までと変わらぬ忠誠を示していた。こんな、同じ王族相手に言葉も発せなくなる情けないやつにだ。
ティグリス殿下は一つ息を吐き、チラリとスカーレットを見た。
「その女は?」
「私の娘であります。先ほどの無礼について、父としてお詫び申し上げます。全ての責任は――」
「へぇ、あなたの娘か。なるほど道理で……」
王族相手に蹴りを入れる胆力でも気に入ったのか、ティグリス殿下は笑みを浮かべながらスカーレットへ、こちらに来いと人差し指を動かす。
とても厭そうな顔をしながら、スカーレットが近づく。
「おい、名前は」
「なんであんたに教えないといけないのよ」
「スカーレット」
「いい」
マズいと思ったのだろう。エルペルトが諫めようとしたが、ティグリス殿下はそれを、片手を上げて制した。
「ハッ、面白れぇな。よし、ならこうしよう。名前を教えたら、さっきのことは不問にしてやる。どうだ?」
スカーレットはとてつもなく深い皺を眉間に寄せた後、口を曲げながら自己紹介を始めた。
「……スカーレット=アルマーニよ。言っておくけど、さっきの件は――」
「あぁ、分かってる。自分の主君の喉元握られてたんだ、当然のことだろう」
「あら、話が分かるじゃない」
「どうせ離すつもりだったしな。……なんせ蹴りどころか、腕を斬り落としかねないやつもいたからよぉ」
ティグリス殿下の視線の先にいたのは、薄く目を開いているエルペルトだった。二人は笑っているが、俺は背筋が冷たくなっている。もしかしたら、もっと大ごとになっていたのかもしれない。
想像して震えていると、ティグリス殿下が言った。
「まぁ、クソつまんねぇ仕事だと思っていたが、少しは楽しめそうで良かったぜ。今日からよろしくな、能無しくん」
「…………ぃ」
どうにか絞り出した「はい」は、虫の足音よりも小さかった。
俺は朝から門の近くでウロウロしていた。一番最初に出迎えないといけないと思っていることもあるが、どっしりと構えていられるほど肝が据わってもいないからだ。
何度も話す内容を、手順を確認しながら歩く。エルペルトはニコニコ笑っているが、スカーレットは欠伸をしながら言った。
「やれることはやったんでしょ? なら、後はなるようにしかならないって。あぁそれとも、案外小心者なのかしら?」
「見て分かる通り小心者なんだよ! その図太さを少し分けてほしいくらいだ……」
砦内の人間にも、エルフたちにも、俺はヘラヘラ笑っていることは伝えてある。すぐに話にならないと判断されるだろう。その後は副司令であるジェイが現れ、案内役にシヤが呼ばれる。よし、完璧だ。
昨日の夜から反芻し続けている。プレッシャーで吐きそうだが、きっと大丈夫だ。俺はやれる。城にいたときのことを思い――。
「見えました!」
「おぇっ」
もうちょっとで吐くところだった。
スカーレットに背を撫でられ、エルペルトに渡された水を飲んで立て直し。気付いたときには、もうティグリス殿下の一団は砦の目前に迫っていた。
――それは、噂通りの黒い軍勢だった。
全員が黒い鎧を装備し、一糸乱れぬ行軍で迫りくる。カルトフェルン王国内でも噂に名高い精鋭部隊だ。
その先頭を率いている男は、目立つ金と黒の髪、顔に文様。虎を想起させる見た目をしていた。
第三王子、ティグリス=カルトフェルン。この国で最強と言われる部隊を作り上げ、本人自身も人間と獣人とのハーフで戦闘力が高いという、誰もが知っている戦闘狂のお目見えだった
門の前まで出て待つと、少し離れたところで軍を止め、ティグリス殿下だけが馬で前に出る。
当たり障りの無い挨拶をしようとしたのだが……。
「――」
言葉が発せなかった。
ティグリス殿下が馬を降り、俺の前で止まる。恐ろしく、視線が斜め下に動いた。
城にいたとき、何度か見かけたことがある。だが話すどころか、目を合わせたことすらない。それはティグリス殿下にだけではなく、全ての王族にそうしていた。
声も出せずに小さくなっていると、ティグリス殿下が手を伸ばす。
その手はゆっくりと、俺の顔へ近づき……首を掴んだ。
「ビビって声も出せないとは情けねぇ。喉笛噛み千切られる覚悟はあるんだろうなぁ?」
この言葉は知っている。ティグリス殿下が良く使う言葉で、実際に喉笛を引き千切られた者もいることは有名だ。
怖い、逃げ出したい。……このままでは殺される。
死の恐怖に包まれ、逃げ出すよりも少しだけ早く、何者かが割り込み、ティグリス殿下の腕に蹴りを入れた。
解放され尻もちを着いた俺に、狼藉を働いた少女が手を差し出す。
「ちょっと大丈夫?」
「お、お、お、お、お」
「もしかして、お尻打った?」
「お前なにしてんだ! あほたれ! 尻より心配することがあるだろ!」
「はぁ!? あたしは助けてあげたんでしょ!? 護衛役として正しいことをしただけじゃない!」
「そうですね! ありがとうございます!」
エルペルトは慌ててスカーレットを羽交い絞めにしたが、すでに手遅れだ。俺は助かったが助かっていない。あのまま殺されるよりも悪い状況になってしまった。
目を向けられず、下のほうで泳がせながらティグリス殿下を見る。うん、顔を上げなくても分かるくらい怒ってるな。威圧感が半端ない。
「……おい」
「も、もうし、もう、も……」
ダメだ、言葉が出ない。ならば行動で現わすしかないと、震えながら両膝を着き、額を地面に擦りつけた。
真っ白な頭で、どうやったら助けてくれたスカーレットを救えるか考える。俺を殺すことは難しい。だが、彼女を殺すのは簡単だ。それだけは避けたい。
俺と、スカーレットの命を嘆願しなければならない。必死に言葉を紡ぐ。
「あ、ああ、あの、ああの」
「……チッ。うざってぇから口を開くな。さっさと案内しろ、能無し」
言葉の意味が分からず固まっていると、エルペルトが優しく俺を立ち上がらせる。彼は耳元で、小さく告げた。
「ティグリス殿下の後ろにいる兵がなにかを告げましたら、お怒りを静められました。後で礼を述べたほうがよろしいかと」
震えながら何度も頷く。エルペルトが教えてくれた人物は、兜で顔まで隠れており、誰かが分からない。だが、なんとか頭だけは下げておいた。
その後は段取り通りにジェイが現れ、シヤが案内を始める……はず、だった。
「てめぇらでやっとけ。おい、能無し。お前の部屋に案内しろ」
「……」
話さなくて良いと言われたため、ただ首肯する。ティグリス殿下は、とてもつまらない物を見る目で俺を見ていた。
つまり、予定通りの印象を与えられているってことだ。……などとは思えず、気分は沈んでいた。
司令室の中にいるのは、ティグリス殿下と部下二人、俺とエルペルトにスカーレットの六人だ。
怖い。機嫌を損ねてしまった。殺されるかもしれない。どうすればいいんだろう。
何も思いつかずにいると、ティグリス殿下が口を開いた。
「どうして、あなたがこいつの下にいる。先代剣聖エルペルト=アルマーニ」
先ほどよりも丁寧な口調から、敬意を持って接している。武人として、剣聖に対して敬意を抱くのは自然なことだろう。
エルペルトは一礼した後に告げた。
「我が主君に相応しい方を見つけたと思ったからであります、ティグリス殿下」
「オレや、他の兄弟姉妹だけじゃない。陛下の誘いすらも断っておきながら、剣聖の称号を捨てて、そいつなんかの下についたって言うんですか?」
少し考えれば分かることだ。剣聖であったとき、陣営に引き入れようという働きがあったことは当然のことでもある。
しかし、エルペルトが陛下の誘いまでも断り、俺の下についていたというのは意外だった。
……相応しくない。自分でもそう思いながら見ていると、エルペルトは逡巡なく答えた。
「はい、仰る通りです。他の誰でも無く、セス=カルトフェルン殿下を選び、その配下になることを望みました」
今日まで、少しは頑張って来たかもしれない。だが、先ほどまでの僅か一時間ほどで、俺の積み上げたものは全て失われた。……少なくとも、俺はそう思っていた。
だが、エルペルトはこれっぽちも気にしておらず、今までと変わらぬ忠誠を示していた。こんな、同じ王族相手に言葉も発せなくなる情けないやつにだ。
ティグリス殿下は一つ息を吐き、チラリとスカーレットを見た。
「その女は?」
「私の娘であります。先ほどの無礼について、父としてお詫び申し上げます。全ての責任は――」
「へぇ、あなたの娘か。なるほど道理で……」
王族相手に蹴りを入れる胆力でも気に入ったのか、ティグリス殿下は笑みを浮かべながらスカーレットへ、こちらに来いと人差し指を動かす。
とても厭そうな顔をしながら、スカーレットが近づく。
「おい、名前は」
「なんであんたに教えないといけないのよ」
「スカーレット」
「いい」
マズいと思ったのだろう。エルペルトが諫めようとしたが、ティグリス殿下はそれを、片手を上げて制した。
「ハッ、面白れぇな。よし、ならこうしよう。名前を教えたら、さっきのことは不問にしてやる。どうだ?」
スカーレットはとてつもなく深い皺を眉間に寄せた後、口を曲げながら自己紹介を始めた。
「……スカーレット=アルマーニよ。言っておくけど、さっきの件は――」
「あぁ、分かってる。自分の主君の喉元握られてたんだ、当然のことだろう」
「あら、話が分かるじゃない」
「どうせ離すつもりだったしな。……なんせ蹴りどころか、腕を斬り落としかねないやつもいたからよぉ」
ティグリス殿下の視線の先にいたのは、薄く目を開いているエルペルトだった。二人は笑っているが、俺は背筋が冷たくなっている。もしかしたら、もっと大ごとになっていたのかもしれない。
想像して震えていると、ティグリス殿下が言った。
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