第六王子は働きたくない

黒井 へいほ

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3-4 偉大なる弱者へ

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 ティグリス殿下たちが滞在して四日目となる。

「だぁーっ! 今日も負けた!」
「そう簡単に負けてやれるかよ」

 二人が試合を行うのは日課となっていた。……俺が見ているのも日課だ。
 遠巻きに見ながら報告を聞いていると、ティグリス殿下の副官であるオーレルが言った。

「まぁ、こんなもんですかね。後はティグリス殿下と話してください」
「……え? 終わりですか?」
「いえ、終わりじゃないです。後のことはティグリス殿下に聞いてください」

 引っかかる言い方に眉根を寄せる。報告は受けているだろうが、ほとんど視察をせずに、スカーレットと試合をしているか、スカーレットと散歩をしていた人に、なにが分かっているのだろうか?
 思い出して少しムカムカしていると、噂の人物がスカーレットの肩に腕を回し、手で払われながらやってきた。

「ティグリス殿下、終わりました」
「おう、そうか。なら後は話をするだけってわけだ。司令室に行こうぜ、能無し」
「……」

 無言で頷き、司令室へ向かうこととなった。


 最初のときと同じ面々だ。俺とエルペルト、スカーレット。ティグリス殿下、オーレル、もう一人。この六人で話が始まった。

「面倒なのはごめんでな。単刀直入に聞かせてもらうぜ。――ファンダルはどこに行った?」
「……あ、の」
「ご報告した通り、ファンダル副司令は休暇中であります」

 代弁してくれたエルペルトに対し、ティグリス殿下は鼻で笑った。

「ジェイクを副司令にしたのは、ファンダルが雲隠れしたからだろう。オレの本来の任務は、ファンダルの拿捕だ。引き渡すのなら、他のことは忘れてやってもいい」
「……他のこととは?」
「惚けるな。ファンダルに金は持ち逃げされ、兵も減って、妙なやつらを代わりに使ってやがる。別にいいんだぜ? 砦の周囲を巡回してるやつらを呼び出して、面を拝んでもよぉ」

 何もしていない、何も見ていない。……なぜ、そんな風に考えてしまったのだろうか。
 ティグリス=カルトフェルンが戦闘狂だからといって、それは賢くないという理由にはならないのだ。
 勝手な思い込みで、どうにか誤魔化せると信じていた。
 自分の愚かさを反省している間も、俺の代弁としてエルペルトが言い訳をしてくれているが、そのような状況ではなくなっている。

 なのに、だ。全てを失うかもしれない状況で、俺はまだ震えていた。
 この場に及んで恐怖が勝っているのだ。なにか言えば状況が悪くなるかもしれない。機嫌を損ねて殺されるかもしれない、と。
 そんな俺に気付いてか、ティグリス殿下が言った。

「おい、能無し」
「……?」
「エルペルトを寄越せ。それで見逃してやる」

 信じられない提案に、目を見開く。

「後、スカーレット。お前もオレと来い。その腕も、負けん気の強さも気に入った」
「なにをいきなり訳の分からないことを言ってんの?」
「訳の分からないこと? そっちこそ何を言ってんだ? 断言するが、こんなやつの下に居たって強くはなれないぜ? なんせこの能無しには、強者の気持ちが分からないからな」

 それは、的を射た意見に思えた。
 こんな情けない男よりも、ティグリス殿下のほうがエルペルトを厚遇してくれる。
 強くなりたいであろうスカーレットも、彼と行ったほうが高みを目指せるだろう。
 そんな考えは、スカーレットの一言で打ち砕かれた。

「――でもあんただって、弱者の気持ちが分からないじゃない」

 弱者の気持ちが分からないとまでは思っていなかったが、スカーレットは強者で、なによりも強くなりたいのだと決めつけていた。そんな彼女から出た言葉は予想外で唖然としてしまう。
 それは、ティグリス殿下も同じだったのだろう。どこか困惑した様子で言った。

「……オレたち強者が、そんなものを理解してなんの意味があるって言うんだ」
「意味なんて知らないわよ。でもあたしは弱者だったことがあるから弱者の気持ちが分かるし、そんな弱者を救おうとした弱者に救われたことがある。だから、そんな弱者に心底惚れこんでるわ」

 チラリ、とスカーレットに見られる。俺はただ目を瞬かせた。スカーレットが弱者だったという事実に、驚きを隠せなかったからだ。
 もしそれが事実なら、彼女は死ぬほど努力し、今の実力を手に入れたということになる。

 エルペルトを見ると、どこか自慢げに笑っていた。完全に親バカな顔である。
 なにか考えていたティグリス殿下が薄く笑う。彼はなるほどなるほどと頷き、両手を開いた。

「弱者に救われた、か。だがその救った相手が強者だったなら、例えばオレだったならどうだ? より良い方法でスカーレットを救えたはずだ。お前は今、たまたま弱者に救われたので、強者より良いと勘違いしているだけじゃないのか?」

 確かに、その可能性は高い。たった一度の救いで、思い込んでいるのかもしれない。
 しかし、スカーレットは首を横に振る。

「いいえ、それはあり得ないわ」
「……どうして言い切れる」
「頭を下げ続ける父の訴えを、強者は誰一人、話すら聞いてくれなかったからよ」

 あのエルペルトが、剣聖が頭を下げ続けたのに、誰一人助けてくれなかった? マジかよ、そんなことあり得るのか……。
 俺はただただ驚いていたのだが、ティグリス殿下は不機嫌そうに頭をガシガシと掻き……息を吐いた。

「エルペルトも、スカーレットもオレの下へ来る気が無いってことだな。……で? お前はどうするんだ?」
「……ぇ」
「オレとやる・・のか、って聞いてるんだ」

 そう、決定権は俺にある。交換条件を飲むのか、突っぱねてティグリス殿下を敵に回すのか、と聞かれているのだ。
 いまだに心臓はバクバクしている。目からは涙が溢れそうで、すぐにでも逃げ出したい。

 だが、先ほどの話を聞いて、それではいけないと思っていた。
 スカーレットを救ったという弱者は、恐らく俺のように情けなくて弱い人間だろう。
 しかし、そんな人物が彼女を救ったのだ。
 拳を強く握る。その偉大なる弱者を見習いたいと、なけなしの勇気を振り絞ることを決め、口を開いた。

「……ティ、ティグリス、殿下」
「なんだ、能無し」

 震えが止まらない。だがそれでもと、震える手に痛いほどに爪を立て、言葉を紡いだ。

「――こ、こちらには……ファン、ファンダルを、引き渡す準備が、あります」

 ピクリと、ティグリス殿下の眉根が動く。
 唇はカラカラで、喉も乾ききっている。だが、ここしかないと話を続けた。

「此度の任務は、ファンダルの拿捕、だと、聞きました。我々は、ファンダルとその仲間、十数名を拿捕して、おります」
「……交渉のつもりか? なら、下手くそ過ぎるな」
「えぇ、海千山千のティグリス殿下に比べれば、とても下手な交渉でしょう。しかし、ファンダルを拿捕するために、場合によっては、ホライアス王国とも戦うつもりで、兵を連れて来たことを、鑑みれば、ファンダルの身柄はなによりも欲しいものなのでは?」

 今まで口にできなかったことが、徐々に滑らかに口から出始める。視察にしては多すぎる兵数も、常になにかを探していたことも気付いていた。
 ファンダルのなにが目的だったのかまでは分からないが、それだけの理由があるのだ。逃げられたと思っていた相手を得られる以上、折れないわけにはいかない。

「……いいだろう。交換条件に、この砦内であったことは、全てオレの権限で内々に処理しておく」
「それはありがとうございます。森で保護したエルフたちも、これで安心してくれることでしょう」
「待て。おい、ちょっと待ちやがれ。今、エルフって言ったな? ならず者かなにかだと思っていたが、エルフを囲っていたのか!?」
「全てティグリス殿下の権限で対応いただけるとのことで、ホッとしております。あぁ、代わりと言ってはなんですが、この砦内で引き篭もっていることをお約束しましょう。王位には、てんで興味がありませんので」

 よし、こちらの要求は全て伝えられた。
 後はどこまで妥協してくれるかだが……と思っていたら、ティグリス殿下は膝を叩き、大笑いを始めた。

「クッ、クハッハッハッハッハッハッ! なるほど、手柄は全部くれてやるから、全て隠せってことか。クソッ、怯えて喋れないと思っていたが、それも全部演技だったってわけだな。やるじゃねぇか!」
「……」

 実際は違うのだが、何も答えず笑顔を返しておいた。
 その後、ティグリス殿下は驚くことに全ての要求を呑んでくれたのだが、代わりに一つだけ条件を出された。
 今夜、司令室に一人で居ること。それが、条件だった。


 部屋の前にはエルペルトが護衛として立っており、室内には俺一人。
 日中の事を思い出し震えが止まらずにいると、扉が開かれ一人の人物が入って来た。全身を鎧で覆っている、ティグリス殿下のお付きの一人だ。
 しかし、その兜が外れ、顔が露わになった瞬間、目を見開いた。

「変わっていないと思ったが、中々に面白いものを見せてくれたな、セス」
「――陛下」

 唖然としている間に、陛下はソファへ腰かける。
 俺も遅れて、向かいに座った。

「……驚いているところ悪いが、あまり時間も無いのでな。端的に話させてもらおう」
「はい」

 本来ならあり得ぬ来訪だ。それ相応の理由があることは分かっており、ただ頷く。
 陛下は、静かに話を始めた。

「死を恐れているな? なによりも生きることを望み、他の望みが希薄ではないか?」
「なぜそれを……?」
「知っているからだ。いいか、セス。落ち着いて聞きなさい。それは呪い・・だ」

 理解が追い付かず、目を瞬かせる。
 しかし、陛下は続けた。

「六番目に産まれた子は、異常なまでに死を恐れる。……その理由は、六番目に産まれた子が、死を誘きよせ、必ず早逝しているからだ」

 偶然ですよ。呪いなんてありません。
 そう思うのが普通なのに、なぜかその言葉はストンと胸に落ち、自然と納得してしまっていた。
 たぶん、無意識化に呪いというものに気付いていたのだろう。

「ティグリスを恐れたな? それは正しい。カルトフェルン王国の王は、十二人の子を成し、そのうち一人を王とすることが決まっている。呪いを掛けられているお前は、自分を害するかもしれない王位継承者を、自然と忌避してしまうのだ」
「……」
「お前は呪いで早逝する。だからこそ、死から逃れようとする。それが死を異常なまでに恐れる理由だ」

 はぁ、と息を吐く。ひどい話だが、あまりショックは受けていなかった。
 早逝というくらいだ。長くても五年がいいところか? できることなら、この砦で静かに終えたい。
 すでに半ば覚悟を決めている俺に、陛下が言った。

「そして、これは王としてではなく、父としての言葉だ。――呪いに勝ってくれ」

 ……涙が零れた。
 自分を愛してなどいないと思っていた陛下が、生きてほしいと言ったのだ。俺のことを、愛してくれていた。
 陛下は一度だけ俺を抱きしめ、部屋を後にする。
 俺は見送ることもできず、一人で泣き続けた。この十五年分の涙を、全て吐き出すように。
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