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4-5 人間嫌いな大精霊
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移動中、アネモスは肩を竦めながら言った。
「まぁさっきは色々あったけれど、正直な話、ボクとセスの契約は難しかったろうね」
「そうなんですか?」
「精霊との相性ってのは大きな障害でね。無理なやつとは絶対に契約することができない。妙な嫌悪感が湧いて出てしまうものなんだよ」
「あぁ、さっきのあれはそういう……」
「そうそう。だから、ボクが変態とかそういうわけじゃないんだよ?」
「……はい」
「その、そういうことにしておこう、みたいな顔をやめてくれ!」
リックも補足してくれたが、ここまでひどい拒絶反応はあまり見ないが、近いものはあるらしい。
特に、すでに契約している者が、別の精霊と契約をしようとするときは、より顕著だとか。
「契約ってのは恋人探しみたいなものだからね。二人目と契約しようとすれば、そりゃ色々問題があるのさ」
「実際のところ、複数体と契約することは可能なんですか?」
「そりゃあり得るよ。精霊王の伝説、って知らないかな? 彼の者は、精霊に愛されまくっていたこともあり、精霊のほうから契約を頼み込んで来たらしいぜ」
「無敵じゃないですか……」
アネモスはさすが大精霊というか、長く生きているのだろう。俺たちは知りもしない話をよく知っていた。特に精霊王の下りは中々に面白く、本にして売り出してほしいくらいだった。
ただの変態じゃないんだなぁと感心して話を聞いているうちに、川の近くへ辿り着く。アネモスは、パンパンッと手を二度叩いた。
「さー、出ておいで小精霊よ。精霊との契約を望む者がここにあるぞ」
水の中から、手の平サイズな水の塊と、もう少し大きな小人のようなものが複数浮かび上がる。
大地からは、同じく小さな火の玉、赤いトカゲのようなもの。土や石ころに葉、後は枝や亀や虫のようなものが現れていた。
「こんな感じで様々な属性の精霊がいるよ。形を成せていないのが五等級。形を成している手の平サイズが四等級。……おや? 三等級が顔を出すとは珍しいな」
アネモスの見ている先には、他とは明らかに違う赤いトカゲの姿があった。
大きさは尻尾まで入れれば大人の腕より長いだろう。頭から尻尾の先までにオレンジ色の鬣があり、炎のように揺らめいていた。
めちゃくちゃカッコいい……!
目を離せずにいると、そのトカゲは足を止めずこちらへ向かって来るではないか。ドギマギしていると、トカゲは体をするりと登った。……スカーレットの体を。
「え? あたし?」
「三等級のほうから契約を望むとは、かなり相性がいいようだね。お嬢さん、契約をするのなら、触れて願えばいい。それだけで、君たちの間に契約は結ばれる」
「分かったわ」
スカーレットはトカゲに触れようとし……止まった。
そして目を閉じ、なにかを考え込んだ後、エルペルトを見た。
「契約するわ。セスを守るためにも、強くなりたいの」
「……セス殿下の話を出すのは卑怯だと思いませんか?」
「思うわ。でも、本心よ。あたしは絶対に強くなる。父上よりも、ずっと」
先代剣聖を越えるとの宣言に思わずギョッとしてしまう。
だが、エルペルトは静かに微笑み、ただ小さく頷いた。
「さぁ、これで後は一緒に強くなるだけね。いい? 覚えておきなさい? あたしが足を引っ張ると思ったら、すぐに契約を解除しなさい。代わりに、あたしの足を引っ張るんじゃないわよ」
なんとも傲慢な言葉にトカゲは目を細めたが、拒否することはなく契約は成された。
その光景を見て、アネモスは口笛を吹く。ただし音がうまく鳴らず、ヒュ~ッと情けない音がした。
「精霊相手に、そういった大言を吐いたやつを何人か知っているけれど、誰もが大物になるか、早逝をしたよ。君はどっちになるか楽しみだね」
アネモスの言葉を、スカーレットは鼻で笑った。
「ふんっ。なら、あたしは前者よ」
降参、とアネモスが両手を上げる。どうやら、スカーレットのことを認めたようだ。
肩に赤いトカゲを乗せるスカーレットに見惚れていたのだが、よく考えたら人のことを気にしている場合では無い。
俺も契約をと、周囲の精霊に……あれ? 俺とエルペルトの周りにだけ、精霊が全くいない?
口を開き唖然としていたら、アネモスが頭を掻きながら言った。
「あちゃー、やっぱりこうなったか」
「やっぱり?」
「もしかしたらと思ったんだけど、そううまくはいかないよね。爺さんのほうは、本人が全力で拒否しているからだけど、セスは違うぜ? その強力な呪いが怖くて、契約どころか近づきたくないのさ。ボクはまぁ、相性の問題で無理だけど、大精霊じゃないと厳しいかもね」
「……アネモス様以外に大精霊は?」
「残念ながら、この辺りにいる大精霊は2体のみ。契約ができそうなのは0だ」
一体は相性の悪いアネモス。もう一体は人間嫌いの大精霊。
どうやら、今回は契約することは難しそうだなと、小さく息を吐いた。
「……ニン、ゲン」
突如聞こえた声に、背筋がゾクリとする。
他の者にも聞こえていたのだろう。俺の前にはエルペルトが、後ろにはスカーレットが立っていた。
どこからか聞こえた謎の声。地の底から響くその声から感じられたのは……そう、憎悪だ。深い憎しみが声色に混ざっていた。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ! 今すぐ全員逃げるんだ! 特にそこの三人!」
アネモスが指を指した三人は、俺とエルペルトとスカーレット。この中で唯一の人間だ。
それがなにを意味しているのかは分かり切っており、すぐに声を出した。
「エルペルト! スカーレット! すぐに砦へ撤退する! リックはミスティを頼む、こちらには近づくな! それと……アネモス様! この場をお任せしてもよろしいでしょうか!」
「嫌だけど引き受けるしかないだろ!? どうにかするから、速く逃げ――」
地面から現れたなにかに囲われ、アネモスの姿が消える。ゴロリと地面に転がった歪な球体は、木の根で作られているように見えた。
大精霊しっかりしてくれよおおおおおおお! と思いながら、いまだ姿の見えない脅威を警戒しながら少しずつ移動する。
あのエルペルトの顔に笑みがないところから、かなりヤバい状況なのだろう。
リックは、ミスティと一緒に周囲を警戒したまま逃げていない。こちらを見ていることから、いざというときは助けに入る算段なのだろう。
いいから逃げろ、と顎を動かす。リックは首を小さく振った。頑固者め。
「来ます!」
猛烈な勢いで向かって来たのは、槍のように先端を尖らせた木の根っ子だった。エルペルトはそれを、剣で切り払う。
しかし、キリが無いのだろう。エルペルトは切り払いながら下がり始めた。
「このまま撤退いたします!」
異論などあるはずもなく指示に従っていたのだが、なにかに足をとられて転んだ。
目を向けるとそこには木の根があり、ガッチリと俺の足首へ絡みついていた。
「今、私が、それを……」
「あたしがやるわ!」
エルペルトに余裕が無いことを察したのか、スカーレットが木の根へ強烈な斬撃を放つ。
しかし、木の根には傷一つ付かず、ただスカーレットの剣だけが弾かれていた。
だがこの結果は想定の範囲内だ。相手が例の人嫌いな大精霊だとすれば、エフォートウェポン以外で魔法には対処できるはずがない。
……そう、魔法には、だ。
俺は取り出した紐で足をキツく縛り、スカーレットに言った。
「このままでは全滅する。それだけは絶対に避けなければならない。分かったら、俺の足を斬り落とせ」
「そんなこと――」
「これは命令だ、スカーレット」
まさか、こんなことで命令を使うことになるとは思わなかった。
しかし、命さえあればいい。生活は不便になるかもしれないが、引き篭もるのが早くなるだけのことだ。
全員が助かる最善を選んだ。俺はそう思っていたのだが、スカーレットは薄く笑った。
「断るわ」
言葉を失っていると、彼女は肩に乗せていたトカゲを撫で、強く言った。
「力を貸しなさい、トマト。この腹立たしい根っこを燃やし斬ってやるわ」
スカーレットの声に呼応し、トカゲの鬣が立ち上がる。
次の瞬間、彼女の剣には炎が灯っていた。
「ぶった切る!」
一撃の元に根は切り払われ、俺は火の粉であちゃちゃとなりながらも立ち上がった。
剣を振り、炎を舞わせるスカーレットを見て、ほうっと息を吐く。いつの間にかつけられていた、トマトという可愛い名前にツッコむ余裕は無かった。
……程なくして、エルペルトが叫ぶ。
「スカーレット! セス殿下を連れて先に逃げなさい!」
「なんでよ! 二人がかりでなら勝機だって――」
「精霊殺しは禁忌です! 冒してはならない!」
この世界で唯一、誰もが遵守しなければならない規則。それが精霊殺し。冒した者には、神の裁きが下されるという話だ。
スカーレットもそれは知っているはずなのだが……?
「でも父上が、主を守るためならば、禁忌だって冒してみせようって言っていたじゃない!」
「エルペルトオオオオオオオオオオ!?」
「心構えの話です! ……ということにしておきます」
「小声だけど聞こえてるからな!?」
父親がそんなことを言えば、娘だって似た考えを持つだろう。なるほど、だから先ほど止めたのか。
納得はしてしまったが、そんなことはさせられない。
今の状況を打破する方法は一つ。とても簡単なことだ。
……足手まといとなっている俺が、一人で離脱すればいい。
そうすれば、二人は協力して逃げられるはずだ。
「よぉし! 俺は逃げる! その後にエルペルトとスカーレットは協力して逃げろ! 以上だ! 意見は聞かない! あばよー!」
「ちょ、まっ」
「セス殿下!?」
後方から聞こえる声を無視して走り出す。こう見えても毎日鍛えている。体力だって、足の速さだって自信があった。
いまだ相手は姿すらも見せていない。簡単に逃げ切れ――視界が真っ暗になった。
何が起きたのか分からずいると、スカーレットの声が聞こえる。
「秒で捕まってるんじゃないわよおおおおおおおおおおおお!」
「今、助けに向かいます!」
「ミスティ! 魔法で援護や!」
「分かったで!」
まさか、一番の足手まといになるとは思わなかった……。
最善だと思ったが、最悪の手を打ってしまったらしい。正直へこむ。生き残れたとしても怒られそうだ。出たくなくなってきた。
膝を抱えていると、パッと視界が開ける。助けが来たのかと思ったが……眼前には、木の根に囚われ、身動きがとれなくなっているみんなの姿があった。
「エルペルトまで……」
「……申し訳ありません、セス殿下」
「違うの! あたしを庇ったりするから!」
どうやら、スカーレットを守ろうとして隙を作り、武器を持った腕が封じられてしまったのだろう。当然、スカーレットはそれを助けようとしたはずなので、そこを狙われたということになる。
しかし、こうなれば仕方ない。俺は両膝を着き、どこにいるかも分からない大精霊に頭を下げた。
「すぐ出て行くんで許してください! 話せば分かります! 悪い人間じゃないんです!」
声に応じてくれたのか、ゆっくりと目の前が盛り上がっていく。人間嫌いらしいが、俺たちの命を奪っていないことから、チャンスはあると思っていた。
後は、誠心誠意謝り続け、相手の要求を全て呑み、見逃してもらうだけだ。
頭を下げ続けながら目線だけ上に向けていると、体を起こされる。……目の前にいたのは、髪に緑や紫の実をつけており、肘と膝から先は木の根になっている美少女だった。
人間嫌いのドリアードは、虚ろな目で手を伸ばす。
「お待ちください! せめてこの老いぼれの命で見逃していただけないでしょうか!」
「あたしでもいいわ! そいつより、若い女のほうが価値が高いと思わない!?」
ドリアードは動きを止め、二人へ目を向ける。
「ニンゲン……キライ……」
「だから、あたしを殺していいって言ってるでしょ!?」
「スカーレット!」
静かに、と手で示す。
無駄に煽ってはならない。この状況になればいつでも殺せたのに殺していない。なにか理由があるはずだ。
「ニンゲン、キライ。ニンゲン、コロス」
ある……よね……?
もしかしたら読み間違えたのかもしれない。そもそも俺、ドリアードどころか精霊と会うのだって今日が初めてだし。というか、人間のことだってよく分かってないところある。引き篭もりだったもん。
自分がやらかしたという事実に思い至り、俺は慌てて命乞いを始めた。
「待って! お願い話し合いに応じて! 俺は嫌いじゃないよ!? だから殺さないで!」
しかし、そんな助命も空しく、ドリアードは俺の首に手を回し、全身へ纏わりついた。蛇のように全身を絞め殺すつもりだろう。
だから自分にできる最後のことだろうと、嘆願した。
「せめて、他の人たちは――」
「……スキ」
「――えっ」
その二文字の意味が分からず、俺の頭は真っ白にだった。
「まぁさっきは色々あったけれど、正直な話、ボクとセスの契約は難しかったろうね」
「そうなんですか?」
「精霊との相性ってのは大きな障害でね。無理なやつとは絶対に契約することができない。妙な嫌悪感が湧いて出てしまうものなんだよ」
「あぁ、さっきのあれはそういう……」
「そうそう。だから、ボクが変態とかそういうわけじゃないんだよ?」
「……はい」
「その、そういうことにしておこう、みたいな顔をやめてくれ!」
リックも補足してくれたが、ここまでひどい拒絶反応はあまり見ないが、近いものはあるらしい。
特に、すでに契約している者が、別の精霊と契約をしようとするときは、より顕著だとか。
「契約ってのは恋人探しみたいなものだからね。二人目と契約しようとすれば、そりゃ色々問題があるのさ」
「実際のところ、複数体と契約することは可能なんですか?」
「そりゃあり得るよ。精霊王の伝説、って知らないかな? 彼の者は、精霊に愛されまくっていたこともあり、精霊のほうから契約を頼み込んで来たらしいぜ」
「無敵じゃないですか……」
アネモスはさすが大精霊というか、長く生きているのだろう。俺たちは知りもしない話をよく知っていた。特に精霊王の下りは中々に面白く、本にして売り出してほしいくらいだった。
ただの変態じゃないんだなぁと感心して話を聞いているうちに、川の近くへ辿り着く。アネモスは、パンパンッと手を二度叩いた。
「さー、出ておいで小精霊よ。精霊との契約を望む者がここにあるぞ」
水の中から、手の平サイズな水の塊と、もう少し大きな小人のようなものが複数浮かび上がる。
大地からは、同じく小さな火の玉、赤いトカゲのようなもの。土や石ころに葉、後は枝や亀や虫のようなものが現れていた。
「こんな感じで様々な属性の精霊がいるよ。形を成せていないのが五等級。形を成している手の平サイズが四等級。……おや? 三等級が顔を出すとは珍しいな」
アネモスの見ている先には、他とは明らかに違う赤いトカゲの姿があった。
大きさは尻尾まで入れれば大人の腕より長いだろう。頭から尻尾の先までにオレンジ色の鬣があり、炎のように揺らめいていた。
めちゃくちゃカッコいい……!
目を離せずにいると、そのトカゲは足を止めずこちらへ向かって来るではないか。ドギマギしていると、トカゲは体をするりと登った。……スカーレットの体を。
「え? あたし?」
「三等級のほうから契約を望むとは、かなり相性がいいようだね。お嬢さん、契約をするのなら、触れて願えばいい。それだけで、君たちの間に契約は結ばれる」
「分かったわ」
スカーレットはトカゲに触れようとし……止まった。
そして目を閉じ、なにかを考え込んだ後、エルペルトを見た。
「契約するわ。セスを守るためにも、強くなりたいの」
「……セス殿下の話を出すのは卑怯だと思いませんか?」
「思うわ。でも、本心よ。あたしは絶対に強くなる。父上よりも、ずっと」
先代剣聖を越えるとの宣言に思わずギョッとしてしまう。
だが、エルペルトは静かに微笑み、ただ小さく頷いた。
「さぁ、これで後は一緒に強くなるだけね。いい? 覚えておきなさい? あたしが足を引っ張ると思ったら、すぐに契約を解除しなさい。代わりに、あたしの足を引っ張るんじゃないわよ」
なんとも傲慢な言葉にトカゲは目を細めたが、拒否することはなく契約は成された。
その光景を見て、アネモスは口笛を吹く。ただし音がうまく鳴らず、ヒュ~ッと情けない音がした。
「精霊相手に、そういった大言を吐いたやつを何人か知っているけれど、誰もが大物になるか、早逝をしたよ。君はどっちになるか楽しみだね」
アネモスの言葉を、スカーレットは鼻で笑った。
「ふんっ。なら、あたしは前者よ」
降参、とアネモスが両手を上げる。どうやら、スカーレットのことを認めたようだ。
肩に赤いトカゲを乗せるスカーレットに見惚れていたのだが、よく考えたら人のことを気にしている場合では無い。
俺も契約をと、周囲の精霊に……あれ? 俺とエルペルトの周りにだけ、精霊が全くいない?
口を開き唖然としていたら、アネモスが頭を掻きながら言った。
「あちゃー、やっぱりこうなったか」
「やっぱり?」
「もしかしたらと思ったんだけど、そううまくはいかないよね。爺さんのほうは、本人が全力で拒否しているからだけど、セスは違うぜ? その強力な呪いが怖くて、契約どころか近づきたくないのさ。ボクはまぁ、相性の問題で無理だけど、大精霊じゃないと厳しいかもね」
「……アネモス様以外に大精霊は?」
「残念ながら、この辺りにいる大精霊は2体のみ。契約ができそうなのは0だ」
一体は相性の悪いアネモス。もう一体は人間嫌いの大精霊。
どうやら、今回は契約することは難しそうだなと、小さく息を吐いた。
「……ニン、ゲン」
突如聞こえた声に、背筋がゾクリとする。
他の者にも聞こえていたのだろう。俺の前にはエルペルトが、後ろにはスカーレットが立っていた。
どこからか聞こえた謎の声。地の底から響くその声から感じられたのは……そう、憎悪だ。深い憎しみが声色に混ざっていた。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ! 今すぐ全員逃げるんだ! 特にそこの三人!」
アネモスが指を指した三人は、俺とエルペルトとスカーレット。この中で唯一の人間だ。
それがなにを意味しているのかは分かり切っており、すぐに声を出した。
「エルペルト! スカーレット! すぐに砦へ撤退する! リックはミスティを頼む、こちらには近づくな! それと……アネモス様! この場をお任せしてもよろしいでしょうか!」
「嫌だけど引き受けるしかないだろ!? どうにかするから、速く逃げ――」
地面から現れたなにかに囲われ、アネモスの姿が消える。ゴロリと地面に転がった歪な球体は、木の根で作られているように見えた。
大精霊しっかりしてくれよおおおおおおお! と思いながら、いまだ姿の見えない脅威を警戒しながら少しずつ移動する。
あのエルペルトの顔に笑みがないところから、かなりヤバい状況なのだろう。
リックは、ミスティと一緒に周囲を警戒したまま逃げていない。こちらを見ていることから、いざというときは助けに入る算段なのだろう。
いいから逃げろ、と顎を動かす。リックは首を小さく振った。頑固者め。
「来ます!」
猛烈な勢いで向かって来たのは、槍のように先端を尖らせた木の根っ子だった。エルペルトはそれを、剣で切り払う。
しかし、キリが無いのだろう。エルペルトは切り払いながら下がり始めた。
「このまま撤退いたします!」
異論などあるはずもなく指示に従っていたのだが、なにかに足をとられて転んだ。
目を向けるとそこには木の根があり、ガッチリと俺の足首へ絡みついていた。
「今、私が、それを……」
「あたしがやるわ!」
エルペルトに余裕が無いことを察したのか、スカーレットが木の根へ強烈な斬撃を放つ。
しかし、木の根には傷一つ付かず、ただスカーレットの剣だけが弾かれていた。
だがこの結果は想定の範囲内だ。相手が例の人嫌いな大精霊だとすれば、エフォートウェポン以外で魔法には対処できるはずがない。
……そう、魔法には、だ。
俺は取り出した紐で足をキツく縛り、スカーレットに言った。
「このままでは全滅する。それだけは絶対に避けなければならない。分かったら、俺の足を斬り落とせ」
「そんなこと――」
「これは命令だ、スカーレット」
まさか、こんなことで命令を使うことになるとは思わなかった。
しかし、命さえあればいい。生活は不便になるかもしれないが、引き篭もるのが早くなるだけのことだ。
全員が助かる最善を選んだ。俺はそう思っていたのだが、スカーレットは薄く笑った。
「断るわ」
言葉を失っていると、彼女は肩に乗せていたトカゲを撫で、強く言った。
「力を貸しなさい、トマト。この腹立たしい根っこを燃やし斬ってやるわ」
スカーレットの声に呼応し、トカゲの鬣が立ち上がる。
次の瞬間、彼女の剣には炎が灯っていた。
「ぶった切る!」
一撃の元に根は切り払われ、俺は火の粉であちゃちゃとなりながらも立ち上がった。
剣を振り、炎を舞わせるスカーレットを見て、ほうっと息を吐く。いつの間にかつけられていた、トマトという可愛い名前にツッコむ余裕は無かった。
……程なくして、エルペルトが叫ぶ。
「スカーレット! セス殿下を連れて先に逃げなさい!」
「なんでよ! 二人がかりでなら勝機だって――」
「精霊殺しは禁忌です! 冒してはならない!」
この世界で唯一、誰もが遵守しなければならない規則。それが精霊殺し。冒した者には、神の裁きが下されるという話だ。
スカーレットもそれは知っているはずなのだが……?
「でも父上が、主を守るためならば、禁忌だって冒してみせようって言っていたじゃない!」
「エルペルトオオオオオオオオオオ!?」
「心構えの話です! ……ということにしておきます」
「小声だけど聞こえてるからな!?」
父親がそんなことを言えば、娘だって似た考えを持つだろう。なるほど、だから先ほど止めたのか。
納得はしてしまったが、そんなことはさせられない。
今の状況を打破する方法は一つ。とても簡単なことだ。
……足手まといとなっている俺が、一人で離脱すればいい。
そうすれば、二人は協力して逃げられるはずだ。
「よぉし! 俺は逃げる! その後にエルペルトとスカーレットは協力して逃げろ! 以上だ! 意見は聞かない! あばよー!」
「ちょ、まっ」
「セス殿下!?」
後方から聞こえる声を無視して走り出す。こう見えても毎日鍛えている。体力だって、足の速さだって自信があった。
いまだ相手は姿すらも見せていない。簡単に逃げ切れ――視界が真っ暗になった。
何が起きたのか分からずいると、スカーレットの声が聞こえる。
「秒で捕まってるんじゃないわよおおおおおおおおおおおお!」
「今、助けに向かいます!」
「ミスティ! 魔法で援護や!」
「分かったで!」
まさか、一番の足手まといになるとは思わなかった……。
最善だと思ったが、最悪の手を打ってしまったらしい。正直へこむ。生き残れたとしても怒られそうだ。出たくなくなってきた。
膝を抱えていると、パッと視界が開ける。助けが来たのかと思ったが……眼前には、木の根に囚われ、身動きがとれなくなっているみんなの姿があった。
「エルペルトまで……」
「……申し訳ありません、セス殿下」
「違うの! あたしを庇ったりするから!」
どうやら、スカーレットを守ろうとして隙を作り、武器を持った腕が封じられてしまったのだろう。当然、スカーレットはそれを助けようとしたはずなので、そこを狙われたということになる。
しかし、こうなれば仕方ない。俺は両膝を着き、どこにいるかも分からない大精霊に頭を下げた。
「すぐ出て行くんで許してください! 話せば分かります! 悪い人間じゃないんです!」
声に応じてくれたのか、ゆっくりと目の前が盛り上がっていく。人間嫌いらしいが、俺たちの命を奪っていないことから、チャンスはあると思っていた。
後は、誠心誠意謝り続け、相手の要求を全て呑み、見逃してもらうだけだ。
頭を下げ続けながら目線だけ上に向けていると、体を起こされる。……目の前にいたのは、髪に緑や紫の実をつけており、肘と膝から先は木の根になっている美少女だった。
人間嫌いのドリアードは、虚ろな目で手を伸ばす。
「お待ちください! せめてこの老いぼれの命で見逃していただけないでしょうか!」
「あたしでもいいわ! そいつより、若い女のほうが価値が高いと思わない!?」
ドリアードは動きを止め、二人へ目を向ける。
「ニンゲン……キライ……」
「だから、あたしを殺していいって言ってるでしょ!?」
「スカーレット!」
静かに、と手で示す。
無駄に煽ってはならない。この状況になればいつでも殺せたのに殺していない。なにか理由があるはずだ。
「ニンゲン、キライ。ニンゲン、コロス」
ある……よね……?
もしかしたら読み間違えたのかもしれない。そもそも俺、ドリアードどころか精霊と会うのだって今日が初めてだし。というか、人間のことだってよく分かってないところある。引き篭もりだったもん。
自分がやらかしたという事実に思い至り、俺は慌てて命乞いを始めた。
「待って! お願い話し合いに応じて! 俺は嫌いじゃないよ!? だから殺さないで!」
しかし、そんな助命も空しく、ドリアードは俺の首に手を回し、全身へ纏わりついた。蛇のように全身を絞め殺すつもりだろう。
だから自分にできる最後のことだろうと、嘆願した。
「せめて、他の人たちは――」
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「――えっ」
その二文字の意味が分からず、俺の頭は真っ白にだった。
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「貴様が、カリーナ嬢をいじめたからだ」
「そ、そんな……! 私が、姉様を、いじめた……?」
「カリーナ嬢からすべて聞いている。お前は陰湿な手段で彼女を苦しめ、王家の威信をも|貶めた《おとし》さらに、王家に対する謀反を企てているとか」
広間にざわめきが広がる。
──すべて、仕組まれていたのだ。
「私は、姉様にも王家にも……そんなこと……していません……!」
必死に訴えるエリーゼの声は、虚しく広間に消えた。
「黙れ!」
シャルルの一喝が、広間に響き渡る。
「貴様のような下劣な女を、王家に迎え入れるわけにはいかぬ」
広間は、再び深い静寂に沈んだ。
「よって、貴様との婚約は破棄。さらに──」
王子は、無慈悲に言葉を重ねた。
「国外追放を命じる」
その宣告に、エリーゼの膝が崩れた。
「そ、そんな……!」
桃色の髪が広間に広がる。
必死にすがろうとするも、誰も助けようとはしなかった。
「王の不在時に|謀反《むほん》を企てる不届き者など不要。王国のためにもな」
シャルルの隣で、カリーナがくすりと笑った。
まるで、エリーゼの絶望を甘美な蜜のように味わうかのように。
なぜ。
なぜ、こんなことに──。
エリーゼは、震える指で自らの胸を掴む。
彼女はただ、幼い頃から姉に憧れ、姉に尽くし、姉を支えようとしていただけだったのに。
それが裏切りで返され、今、すべてを失おうとしている。
兵士たちが進み出る。
無骨な手で、エリーゼの両手を後ろ手に縛り上げた。
「離して、ください……っ」
必死に抵抗するも、力は弱い。。
誰も助けない。エリーゼは、見た。
カリーナが、微笑みながらシャルルに腕を絡め、勝者の顔でこちらを見下ろしているのを。
──すべては、最初から、こうなるよう仕組まれていたのだ。
重い扉が開かれる。
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