5 / 51
第一章
閑話 巷で人気の異世界転移に遭遇した
しおりを挟む
わたし、二宮 美咲は十五歳の高校一年生。
あまり人付き合いは得意じゃないし、一応ながら友人と呼べる人たちも、本当はどう思っているのだろう? と疑ってかかるような性格をしている。……うん、我ながら性質が悪い。
そう気付いてはいるのだが、そういう性格なのだから仕方がないだろう。
今日も昼休みに面白くもない話に笑っている友人たちに対し、ただ頷き返していたときだ。
ふと気付けば体が軽くなっており、そのまま固いなにかの上へ座っていた。
「くぎゅぅっ!?」
どうやら某声優の信者の上へ落ちたらしい。だが、どうやったのかは分からないが、椅子に座っていたわたしの下にいるわけなので、悪いのは確実に相手だ。
ここは先手を取るべきだと思い、先に怒ってみせる。目の前にいる鎧を着た青年は、不服そうにしながらも謝罪を口にしていた。
しかし、これは想定外のことになっている。怒るフリをしてマウントをとりながらも、周囲を見回す。……うん、明らかにおかしい。
町を囲う壁。大きな城。そして魔○村の主人公みたいな鎧を着た青年。これでは海外どころではなく、まるで別世界へ来てしまったようではないか。
……いや、過去の可能性もあるわね。異世界転移か、過去へのタイムスリップ。こう見えてもわたしは、ラノベを愛読し、アニメを視聴、漫画を愛し、ゲームを嗜んでいる。友人にこそ隠しているが、立派な隠れオタクだ。
なので、こういったよくある展開にも慌てたりしない。冷静に対処をして、現代知識で無双をする。バシッとやるだけだわ。
今まではそう思っていたのだが、現実となれば話が違った。わたしはただただあたふたしている。頭の中は真っ白で、どうすればいいかが分からない。なにこれ怖い。
困っているうちに、他にも兵士たちが集まり出す。別に逃げようと思ったわけではないのだが、一歩動いた瞬間、彼らは逃げ道を塞ぐように動いていた。
遊びでもなんでもない。日々弛まぬ訓練を行っているからこそできることだろう。剣呑な空気を感じる。
たぶん、わたしは捕まる。そして牢にぶち込まれる。想像するだけで体が震え、身動きがとれない。
――だがそんなわたしの前に、気付けば彼が立っていた。
必死に、互いに落ち着こうと話してくれている。相手も少し冷静になってくれたのか、すぐにどうこうしようとはしていなさそうだ。
彼が槍を置いて、こちらへ振り向く。……あれ? もしかしてチャンス?
わたしは手を伸ばし、彼の腰元にある剣を引き抜こうと……抜けなかった。漫画ではスラッと抜いていたのに、そんなに簡単な物では無いようだ。
しかし、彼が体を動かした拍子に、スルッと剣が抜ける。わたしは転びそうになったが体勢を立て直し、彼の喉元に剣を突き付けた。
助けてくれようとしてくれた。きっと彼はいい人だろう。
だが、それだけで全面的に信じることができるだろうか? できるはずがない。
国のためと言いながら、裏で金をせしめている政治家がいる。
人のためになりたいと正義から警察となったものが、不祥事を起こしてニュースになる。
わたしは、わたしたちは知っていた。
良い人のほうが多くとも、悪い人は確実に存在するということを。
どうすればいい? 混乱の渦中にあったのだが、一人の兵士が走って来た。
「た、大変だああああああああ!」
「よし、まずは落ち着こう。一呼吸おいてから――」
「ゆ、勇者様の召喚に失敗したあああああああああ! って、誰だその娘?」
なるほど、わたしは勇者として召喚されたのか。
それならば大丈夫だろうと、ようやく一息吐けた。
とりあえず、比較的安全そうに感じたラックスさんを利用げふんげふん。ラックスさんとは離れないようにして、王様に謁見をする前段階となった。今は部屋で待機中だ。
しかし、異世界物にしてはほとんどの人が優しい。正直、うさん臭さすら感じる。
そんな中で現れたのが、ヘクトル殿下と、右腕のディラーネ様だ。
ヘクトル殿下は優しい人だったが、ディラーネ様は違う。謝罪で済みそうな話でブチギレ、ラックスさんの首を跳ねようとしていた。そうそう、これでこそ異世界転移だ。理不尽なキャラのほうが多くて当然よね。
まぁよくある展開で、ヘクトル殿下が止めたことで話は終わったのだが、わたしはふと気付いてしまった。……今、もしヘクトル殿下が止めなかったら、どうなっていたのだろうか?
恐くなった。震えが止まらない。少し浮かれていた気持ちが消え失せ、ここが別の倫理観を持つ世界だと、再認識してしまった。
そんなわたしが出した答えは、さっさと元の世界に帰る。これだった。
だが、なんやかんやあって残ることになった。
陛下にほだされたのもあるが、ラックスさんに多少の恩義を感じていたこともある。数日の間だけ滞在して、ミューステルム王国を見て回ることになった。
そしてよく分かったのだが、この国はいい人だらけだ。偽っているのではなく、本当にお人好しばかりに見える。そう信じてしまいそうなほどに、この国の人は優しかった。
しかし、わたしに世界を救うような、そんな義理は無い。この国がどうなろうと知ったことではない。もっと相応しい人材がいる。
……ずっとそう考えていたのだが、そんな考えは少しずつ変わってきており、自分なんかでは無理だと、無力さと申し訳なさを覚えるようになっていた。
もしかしたら勇者は一人、といった縛りがあるかもしれない。ゲームなどではよくある話だ。……ならば尚更のこと早く立ち去るべきだろう。
決めてしまえば早く、わたしは陛下の元へ向かおうと歩き出し、それに合わせてラックスさんも歩き出した。
なにも聞いてこないことからも分かるが、不思議なことに、彼にはわたしの気持ちが分かっている気がする。
ラックスさんはどうやら、人の感情を見抜くのが得意なようだ。すごい人だなと、素直に感心していた。彼と出会えたことが、この異世界に来て一番運の良かったことだろう。
その後、陛下に謝罪をして、元の世界に帰ることを告げる。一波乱あるかと思ったが、特に何事もなく受け入れてもらい、部屋へと戻った。
この世界での最後の夜だ。なにも起きないはずがなかった。
まるで物語のように問題が起き、わたしはラックスさんに連れられて宝物庫内へ避難する。
これが物語だとすれば、次は宝物庫へ敵が攻め込んで来るだろう。そして、わたしは戦うことになり、力が覚醒したりとかするのだ。
敵を撃退すれば褒められて、成り行きで世界を救う旅へ出ることになる。想像は容易かった。
しかし、まず本当に生き残れるのだろうか? という疑問が湧く。
腕を抱いて震えを止めようとしていると、わたしの前に立っているラックスさんが、同じく膝を震わせながらも固い笑顔で言った。
「自分が、あなたを守ります」
臭いセリフだ。こんなことで女の子がときめくと思っているのかしら? 漫画や小説で似たようなセリフを何度も見て、その度に呆れていた。使い古されているぞ、と。
しかし、実際は違った。
吊り橋効果かもしれないが、わたしは間違いなくときめいてしまっていた。
栗色の巻き毛で、少し垂れ目。いつも鉄の鎧を着込んでいる青年が。これ以上ないほどに、素敵に見えてしまったのだ。
一応言っておこう。決して恋ではない。
だが、ラックス=スタンダードという青年は信じられる。そう思うのには十分だった。
その後、予想通りに下級魔族のベーヴェという男が現れる。ラックスさんは勇者のフリをして、わたしの存在を隠してくれた。
ベーヴェへ抱き着き、殺されそうなほどに殴られているラックスさんを見て、思わず後退りしてしまう。
さらに剣が飛んで来たことで、大きく動いてしまい、物音が立って存在に気付かれてしまった。
しかし、ラックスさんはそんなわたしを責めることもせず、逃げろと言ってくれた。
逃げたい。……でも逃げられない。
わたしは勇者として召喚された。ならば、恩義に報いるために、一度くらいは勇気を振り絞るべきではないだろうか?
震える手で、涙を流しながら、ラックスさんの剣を拾い上げる。胸に熱いものを感じながら、強く踏み込んだ。
――驚いた。
まるで自分の体ではないように力強く、弾丸のように体が飛び出した。しかも、感覚はそれについていけている。半信半疑だったのだが、勇者として召喚されたというのは本当だったみたい。
ベーヴェの腕を難なく斬り落とす。
人の腕を斬り落としたことなどは当然無い。未知の体験、手に残り続ける嫌な感触。わたしはそれを振り払おうと剣を手放し、ラックスさんへ近づいた。
確認すると、ベーヴェは錯乱している。逃げるならば今だろう。肩を貸して、二人で逃げ出した。
もう少しで宝物庫から出られる。それからどこへ向かおう? ……そうだ、ヘクトル殿下のところへ行けばいい。彼は強いと聞いている。きっと守ってくれるはずだわ。
思考が纏まったところで、ドンッと強く突き飛ばされる。なにが起きたのか分からないまま、突き飛ばした相手を見た。
……ラックスさんは、成し遂げたような表情で微笑んでいた。
待ってほしい。まだ、終わらせたくない。まだ、なにも返せていない!
まるでスローモーションのように遅くなった世界で、必死に手を伸ばす。
そんなわたしたちの間を、一つの影が高速で通り過ぎた。
「死ねぇっ!」
一太刀でベーヴェの首を斬り飛ばしたのは、ヘクトル殿下だった。強いなんてものじゃない。勇者の代わりに旅立ち、世界を救ってもらいたい。
だがまぁ、そんなこんなでわたしは助かり、ラックスさんは倒れて入院した。
入院しているラックスさんのお見舞いへ行く傍ら、わたしは剣や魔法を習うことにした。
理由はまぁ単純だとしか言えないが、この世界に情が移ったからだ。
無理なら諦めて戻ってくる。そして自分の世界へ帰る。わたしは、そんな逃げ道を用意してから旅立つことにした。
陛下にヘクトル殿下。ディラーネさん、兵士の人たち、国民の方々。
大勢に見送られ、わたしはミューステルム王国から旅立つ。無理なら諦めるという情けなさを持ちながらも、勇者として。
……ちなみに、ラックスさんは見送りに来ていない。来ないでくれるよう、事前にわたしが頼んだからだ。
もし姿を見たら、一緒に来てほしいと口に出してしまうと思う。そうなれば、きっと彼は喜んで首を縦に振ってくれるだろう。そして、ただの人間である彼は、簡単に死んでしまう可能性が高い。
だから、それが分かっているからこそ、来ないでくれるように伝えた。
怪しい予言者の話では、わたしは必要な物を旅の中で手に入れると言われている。仲間もそのうちの一つだ。
きっとこれから大変なこともたくさんあるが、素晴らしい出会いもたくさんある。その一つ一つを糧として、わたしは真の勇者へと成長するというわけね。
先を想像して、身体がぶるりと震える。
……考えないようにしていた。誤魔化そうとしていた。
だがそれは簡単なことではなかったらしい。わたしは恐怖で泣きそうだった。
必死に足を前に出し、どうにか一歩ずつ進む。先を見ることすら怖い。なにが待ち受けているのかを知りたくない。まるで泥沼に沈み、もがきながら進んでいるかのように、体が重かった。
キラリ、となにかが陽の光を反射する。なにかと思い顔を上げると、そこには見覚えのある鉄の鎧を着た青年がおり、岩の上に腰かけていた。
足を出す速度が少しずつ速くなり、軽くもなる。気付けば走っており、あっという間にその場へ辿り着いていた。
わたしは困惑したまま彼に言った。
「ラックスさん!? 見送りはいらないと言ったじゃない!」
……本当は嬉しい。
大きな荷物があることからも、彼がどうしてここにいたのかは想像できていた。
でも、それでも、口では真逆のことを告げていた。素直になれないにも程がある。
そんなわたしに対し、ラックスさんは片膝をつき、槍を地面に置き、片手を胸に当てた。
「……え?」
「勇者様」
「は、はい」
真剣な表情、緊迫した空気。自然と緊張してしまい、あたふたとする。
ラックスさんは空いた手を、静かにわたしへ伸ばした。
「――勇者様、旅のお供に平兵士などはいかがでしょうか?」
その手を握るべきか、何度も躊躇った。自分と一緒に来たら、またひどい目に合うことは間違いない。そんな姿を見たくないと、本当に思っていた。
しかし、身動き一つとらない彼を見て、説得することを諦めた。その覚悟を蔑ろにしたくはないと……いや、違う。わたしが、彼と一緒に行きたいのだ。
そしてわたしは彼の手をとり、最初のパーティーメンバーとして迎え入れる。
彼の名前はラックス=スタンダード。
職業は王国の兵士。
特別な能力や出自は無い。
……ただし、誰よりもカッコいい平兵士だと付け加えさせてもらおう。
わたしは、軽くなった足取りで進み始める。
魔王を倒せるなんて思っていない。何一つ成し遂げられないかもしれない。
……だが、行けるところまでいってみよう。そんな軽い決意のまま。
青空の下、踊るように足を進ませるのだった。
あまり人付き合いは得意じゃないし、一応ながら友人と呼べる人たちも、本当はどう思っているのだろう? と疑ってかかるような性格をしている。……うん、我ながら性質が悪い。
そう気付いてはいるのだが、そういう性格なのだから仕方がないだろう。
今日も昼休みに面白くもない話に笑っている友人たちに対し、ただ頷き返していたときだ。
ふと気付けば体が軽くなっており、そのまま固いなにかの上へ座っていた。
「くぎゅぅっ!?」
どうやら某声優の信者の上へ落ちたらしい。だが、どうやったのかは分からないが、椅子に座っていたわたしの下にいるわけなので、悪いのは確実に相手だ。
ここは先手を取るべきだと思い、先に怒ってみせる。目の前にいる鎧を着た青年は、不服そうにしながらも謝罪を口にしていた。
しかし、これは想定外のことになっている。怒るフリをしてマウントをとりながらも、周囲を見回す。……うん、明らかにおかしい。
町を囲う壁。大きな城。そして魔○村の主人公みたいな鎧を着た青年。これでは海外どころではなく、まるで別世界へ来てしまったようではないか。
……いや、過去の可能性もあるわね。異世界転移か、過去へのタイムスリップ。こう見えてもわたしは、ラノベを愛読し、アニメを視聴、漫画を愛し、ゲームを嗜んでいる。友人にこそ隠しているが、立派な隠れオタクだ。
なので、こういったよくある展開にも慌てたりしない。冷静に対処をして、現代知識で無双をする。バシッとやるだけだわ。
今まではそう思っていたのだが、現実となれば話が違った。わたしはただただあたふたしている。頭の中は真っ白で、どうすればいいかが分からない。なにこれ怖い。
困っているうちに、他にも兵士たちが集まり出す。別に逃げようと思ったわけではないのだが、一歩動いた瞬間、彼らは逃げ道を塞ぐように動いていた。
遊びでもなんでもない。日々弛まぬ訓練を行っているからこそできることだろう。剣呑な空気を感じる。
たぶん、わたしは捕まる。そして牢にぶち込まれる。想像するだけで体が震え、身動きがとれない。
――だがそんなわたしの前に、気付けば彼が立っていた。
必死に、互いに落ち着こうと話してくれている。相手も少し冷静になってくれたのか、すぐにどうこうしようとはしていなさそうだ。
彼が槍を置いて、こちらへ振り向く。……あれ? もしかしてチャンス?
わたしは手を伸ばし、彼の腰元にある剣を引き抜こうと……抜けなかった。漫画ではスラッと抜いていたのに、そんなに簡単な物では無いようだ。
しかし、彼が体を動かした拍子に、スルッと剣が抜ける。わたしは転びそうになったが体勢を立て直し、彼の喉元に剣を突き付けた。
助けてくれようとしてくれた。きっと彼はいい人だろう。
だが、それだけで全面的に信じることができるだろうか? できるはずがない。
国のためと言いながら、裏で金をせしめている政治家がいる。
人のためになりたいと正義から警察となったものが、不祥事を起こしてニュースになる。
わたしは、わたしたちは知っていた。
良い人のほうが多くとも、悪い人は確実に存在するということを。
どうすればいい? 混乱の渦中にあったのだが、一人の兵士が走って来た。
「た、大変だああああああああ!」
「よし、まずは落ち着こう。一呼吸おいてから――」
「ゆ、勇者様の召喚に失敗したあああああああああ! って、誰だその娘?」
なるほど、わたしは勇者として召喚されたのか。
それならば大丈夫だろうと、ようやく一息吐けた。
とりあえず、比較的安全そうに感じたラックスさんを利用げふんげふん。ラックスさんとは離れないようにして、王様に謁見をする前段階となった。今は部屋で待機中だ。
しかし、異世界物にしてはほとんどの人が優しい。正直、うさん臭さすら感じる。
そんな中で現れたのが、ヘクトル殿下と、右腕のディラーネ様だ。
ヘクトル殿下は優しい人だったが、ディラーネ様は違う。謝罪で済みそうな話でブチギレ、ラックスさんの首を跳ねようとしていた。そうそう、これでこそ異世界転移だ。理不尽なキャラのほうが多くて当然よね。
まぁよくある展開で、ヘクトル殿下が止めたことで話は終わったのだが、わたしはふと気付いてしまった。……今、もしヘクトル殿下が止めなかったら、どうなっていたのだろうか?
恐くなった。震えが止まらない。少し浮かれていた気持ちが消え失せ、ここが別の倫理観を持つ世界だと、再認識してしまった。
そんなわたしが出した答えは、さっさと元の世界に帰る。これだった。
だが、なんやかんやあって残ることになった。
陛下にほだされたのもあるが、ラックスさんに多少の恩義を感じていたこともある。数日の間だけ滞在して、ミューステルム王国を見て回ることになった。
そしてよく分かったのだが、この国はいい人だらけだ。偽っているのではなく、本当にお人好しばかりに見える。そう信じてしまいそうなほどに、この国の人は優しかった。
しかし、わたしに世界を救うような、そんな義理は無い。この国がどうなろうと知ったことではない。もっと相応しい人材がいる。
……ずっとそう考えていたのだが、そんな考えは少しずつ変わってきており、自分なんかでは無理だと、無力さと申し訳なさを覚えるようになっていた。
もしかしたら勇者は一人、といった縛りがあるかもしれない。ゲームなどではよくある話だ。……ならば尚更のこと早く立ち去るべきだろう。
決めてしまえば早く、わたしは陛下の元へ向かおうと歩き出し、それに合わせてラックスさんも歩き出した。
なにも聞いてこないことからも分かるが、不思議なことに、彼にはわたしの気持ちが分かっている気がする。
ラックスさんはどうやら、人の感情を見抜くのが得意なようだ。すごい人だなと、素直に感心していた。彼と出会えたことが、この異世界に来て一番運の良かったことだろう。
その後、陛下に謝罪をして、元の世界に帰ることを告げる。一波乱あるかと思ったが、特に何事もなく受け入れてもらい、部屋へと戻った。
この世界での最後の夜だ。なにも起きないはずがなかった。
まるで物語のように問題が起き、わたしはラックスさんに連れられて宝物庫内へ避難する。
これが物語だとすれば、次は宝物庫へ敵が攻め込んで来るだろう。そして、わたしは戦うことになり、力が覚醒したりとかするのだ。
敵を撃退すれば褒められて、成り行きで世界を救う旅へ出ることになる。想像は容易かった。
しかし、まず本当に生き残れるのだろうか? という疑問が湧く。
腕を抱いて震えを止めようとしていると、わたしの前に立っているラックスさんが、同じく膝を震わせながらも固い笑顔で言った。
「自分が、あなたを守ります」
臭いセリフだ。こんなことで女の子がときめくと思っているのかしら? 漫画や小説で似たようなセリフを何度も見て、その度に呆れていた。使い古されているぞ、と。
しかし、実際は違った。
吊り橋効果かもしれないが、わたしは間違いなくときめいてしまっていた。
栗色の巻き毛で、少し垂れ目。いつも鉄の鎧を着込んでいる青年が。これ以上ないほどに、素敵に見えてしまったのだ。
一応言っておこう。決して恋ではない。
だが、ラックス=スタンダードという青年は信じられる。そう思うのには十分だった。
その後、予想通りに下級魔族のベーヴェという男が現れる。ラックスさんは勇者のフリをして、わたしの存在を隠してくれた。
ベーヴェへ抱き着き、殺されそうなほどに殴られているラックスさんを見て、思わず後退りしてしまう。
さらに剣が飛んで来たことで、大きく動いてしまい、物音が立って存在に気付かれてしまった。
しかし、ラックスさんはそんなわたしを責めることもせず、逃げろと言ってくれた。
逃げたい。……でも逃げられない。
わたしは勇者として召喚された。ならば、恩義に報いるために、一度くらいは勇気を振り絞るべきではないだろうか?
震える手で、涙を流しながら、ラックスさんの剣を拾い上げる。胸に熱いものを感じながら、強く踏み込んだ。
――驚いた。
まるで自分の体ではないように力強く、弾丸のように体が飛び出した。しかも、感覚はそれについていけている。半信半疑だったのだが、勇者として召喚されたというのは本当だったみたい。
ベーヴェの腕を難なく斬り落とす。
人の腕を斬り落としたことなどは当然無い。未知の体験、手に残り続ける嫌な感触。わたしはそれを振り払おうと剣を手放し、ラックスさんへ近づいた。
確認すると、ベーヴェは錯乱している。逃げるならば今だろう。肩を貸して、二人で逃げ出した。
もう少しで宝物庫から出られる。それからどこへ向かおう? ……そうだ、ヘクトル殿下のところへ行けばいい。彼は強いと聞いている。きっと守ってくれるはずだわ。
思考が纏まったところで、ドンッと強く突き飛ばされる。なにが起きたのか分からないまま、突き飛ばした相手を見た。
……ラックスさんは、成し遂げたような表情で微笑んでいた。
待ってほしい。まだ、終わらせたくない。まだ、なにも返せていない!
まるでスローモーションのように遅くなった世界で、必死に手を伸ばす。
そんなわたしたちの間を、一つの影が高速で通り過ぎた。
「死ねぇっ!」
一太刀でベーヴェの首を斬り飛ばしたのは、ヘクトル殿下だった。強いなんてものじゃない。勇者の代わりに旅立ち、世界を救ってもらいたい。
だがまぁ、そんなこんなでわたしは助かり、ラックスさんは倒れて入院した。
入院しているラックスさんのお見舞いへ行く傍ら、わたしは剣や魔法を習うことにした。
理由はまぁ単純だとしか言えないが、この世界に情が移ったからだ。
無理なら諦めて戻ってくる。そして自分の世界へ帰る。わたしは、そんな逃げ道を用意してから旅立つことにした。
陛下にヘクトル殿下。ディラーネさん、兵士の人たち、国民の方々。
大勢に見送られ、わたしはミューステルム王国から旅立つ。無理なら諦めるという情けなさを持ちながらも、勇者として。
……ちなみに、ラックスさんは見送りに来ていない。来ないでくれるよう、事前にわたしが頼んだからだ。
もし姿を見たら、一緒に来てほしいと口に出してしまうと思う。そうなれば、きっと彼は喜んで首を縦に振ってくれるだろう。そして、ただの人間である彼は、簡単に死んでしまう可能性が高い。
だから、それが分かっているからこそ、来ないでくれるように伝えた。
怪しい予言者の話では、わたしは必要な物を旅の中で手に入れると言われている。仲間もそのうちの一つだ。
きっとこれから大変なこともたくさんあるが、素晴らしい出会いもたくさんある。その一つ一つを糧として、わたしは真の勇者へと成長するというわけね。
先を想像して、身体がぶるりと震える。
……考えないようにしていた。誤魔化そうとしていた。
だがそれは簡単なことではなかったらしい。わたしは恐怖で泣きそうだった。
必死に足を前に出し、どうにか一歩ずつ進む。先を見ることすら怖い。なにが待ち受けているのかを知りたくない。まるで泥沼に沈み、もがきながら進んでいるかのように、体が重かった。
キラリ、となにかが陽の光を反射する。なにかと思い顔を上げると、そこには見覚えのある鉄の鎧を着た青年がおり、岩の上に腰かけていた。
足を出す速度が少しずつ速くなり、軽くもなる。気付けば走っており、あっという間にその場へ辿り着いていた。
わたしは困惑したまま彼に言った。
「ラックスさん!? 見送りはいらないと言ったじゃない!」
……本当は嬉しい。
大きな荷物があることからも、彼がどうしてここにいたのかは想像できていた。
でも、それでも、口では真逆のことを告げていた。素直になれないにも程がある。
そんなわたしに対し、ラックスさんは片膝をつき、槍を地面に置き、片手を胸に当てた。
「……え?」
「勇者様」
「は、はい」
真剣な表情、緊迫した空気。自然と緊張してしまい、あたふたとする。
ラックスさんは空いた手を、静かにわたしへ伸ばした。
「――勇者様、旅のお供に平兵士などはいかがでしょうか?」
その手を握るべきか、何度も躊躇った。自分と一緒に来たら、またひどい目に合うことは間違いない。そんな姿を見たくないと、本当に思っていた。
しかし、身動き一つとらない彼を見て、説得することを諦めた。その覚悟を蔑ろにしたくはないと……いや、違う。わたしが、彼と一緒に行きたいのだ。
そしてわたしは彼の手をとり、最初のパーティーメンバーとして迎え入れる。
彼の名前はラックス=スタンダード。
職業は王国の兵士。
特別な能力や出自は無い。
……ただし、誰よりもカッコいい平兵士だと付け加えさせてもらおう。
わたしは、軽くなった足取りで進み始める。
魔王を倒せるなんて思っていない。何一つ成し遂げられないかもしれない。
……だが、行けるところまでいってみよう。そんな軽い決意のまま。
青空の下、踊るように足を進ませるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる
街風
ファンタジー
「お前を追放する!」
ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。
しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる