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第二章
5-10 届かなかった、だが届いた
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蒼い炎の壁が消える。シルドはこの城壁から動く気はないらしく、鋭い眼光で先を見すえたまま傲然と立っていた。
一切の油断が感じられない。だが、一瞬の隙を突き、彼を打倒する必要がある。
そして、そのために必要な状況は……十二分に揃っていた。
チカッチカッ、と先でなにかが光る。目を細めて確認しようとしたが、確認するよりも早く、それはシルドが新たに出した炎の壁へ激突した。
薄っすらと青い光を放つ氷の剣と、淡い緑色の光を伴った風の槍。
壁に激突したそれは、周囲にとてつもない音を響かせたが、程なくして消えた。
それを見て、エルが眉根を寄せ、歯ぎしりをする。
「吾の力を使いこなしておるようだな。あの蒼い炎には、シルドと吾の魔力が混在した力を感じる」
この壁を破ることは容易ではない。俺にも分かるのだから、十三の剣も分かっているだろう。
恐らくだが、戦線は膠着する。破る手立てがないのだから、当たり前のことだ。
……予想は当たっていたのだろう。遠目にだが、生き残っている人の兵士たちが下がり始めていた。
「このまま引き下がるとは思えないわ。なんらかの対策を講じて、再度攻めるはずよ。それまでにわたしたちも作戦を立てましょう」
また戦いが始まれば、互いに余裕は無くなる。その隙を狙い、シルドを打ち倒そう、というのが勇者様の提案だった。すでに元の計画は達成が厳しい。立て直しが必要だろう。
エルも納得し、俺も当然頷く。十日後か、はたまた明日か。予想できない短い時間で、その方法を――。
「全軍気を抜くな!」
シルドの声で、周囲の兵が背筋を正す。俺もその緊張をはらんだ声に、思わず顔を上げた。
兵たちは引いた、だが数人が悠々と歩を進めている。一人……二人……。
「――十二人」
先に数え終わったらしく、エルが口にする。
白い外套に包まれた十二人。金の刺繍であしらった紋章は王族の証であり、彼らが誰なのかは考えるまでもなかった。
「まさか、このまま戦闘を続行するつもりか!」
予想だにしなかった展開だ。俺たちにはまだ、なんの策も無い。
一度退くべきか? だが、これは好機でもあるのでは?
頭を悩ませ、二人を見る。エルは難しい顔をしていたが、勇者様は俺の鎧に触れた。
「鎧を炎に強くしておくわ。……これはチャンスよ。なんたってこっちは、別にシルドを倒さなくてもいいんだからね!」
「……え?」
意味が分からず、目を瞬かせる。エルもハッとした表情を見せた。
「そうか、確かにその通りだ。シルドの右腕に触れることさえできれば、我が右腕は取り戻せる。後は逃げおおすことさえできれば、なんの問題も無い」
「だが、どうやって逃げるんだ?」
「ベーヴェがなにかしら考えているはずだ」
なるほど、それならばいけるかもしれない。
本来ならば、勇者様の望み通りにヘクトル様と連絡をとれていれば良かったのだが、出陣していない以上は仕方ない。このまま隙を突き、右手を取り返し、逃げるのがベストだろう。
他の条件は揃っている。触れた後のことは、ベーヴェを信じればいい。……たぶん、信じていいはずだ。
勇者様たち二人はこの場から援護。俺は一人、周囲に紛れ込みながらシルドへ近づき始める。
彼はこちらに気付く様子もないまま、数歩前に出て、城壁から問いかけた。
「我が《煉獄》を恐れ、射程外からの攻撃しかできぬニンゲンたちよ! なぜ愚かにも歩を進める!」
その点については同意だが、シルドの目が前に向いているのはありがたい。少しずつ、疑われぬよう、自然に距離を詰める。
狙うは、戦闘が始まった瞬間。後ろから襲われるとは思っていないだろう。それまでに、数歩の距離まで詰めねばならない。
「……そんなの、勝つ自信があるからに決まってんだろうが!」
勝つ? 思わぬことを言った王族の一人に目を向ける。金色の髪を逆立てている男は、なんとも楽しそうに笑っていた。
あれを破る自信があり、勝つ方法がある。……とてもそんなことをできるとは思えないが、つまらない嘘を吐く必要も無い。本気で破れると思っているのだろう。
『無理だ。あれを簡単に破れるのなら、当に魔族は滅ぼされている』
エルの言葉に、しかし、と思ったが言葉を続けることはやめた。
彼女が言うのだからそうなのだろう。間違いないと、そう思ったからだ。
俺はあの王族の男性を知らない。だが、エルのことならば知っている。どちらへの信頼が厚いかなど、考えるまでもないことだった。
『しかし、あれだけ自信があるんだ。シルドも警戒しているだろうし、隙はできるんじゃないか?』
『それについては同意しよう。最初の一撃に合わせ、突っ込め』
心の中で頷き、さらに距離を詰めた。
シルドの周囲には彼の近衛らしき者がおり、全員が前を睨みつけている。気付かれていないのならば、一度だけならば通り抜けられるかもしれない。
足を止め、機を伺う。
胸が早鐘を打つ。呼吸は浅く、荒い。周囲を包む緊迫感に押しつぶされそうだった。
早く戦闘よ始まれ。そうすれば、今の状態からは解き放たれる。
矛盾した感情を抑え、早く、早く、と急かす。
そして、そのときは……訪れた。
「いくぞ! くたばれや、煉獄!」
「掛かって来い、身の程を知らぬニンゲンたちよ」
シルドが腕を伸ばし、蒼い炎の壁が現出する。それに向け無数の魔法が放たれ、鮮やかに闇が彩られた。
駆けながらも、もしかしたら破るのでは? とほんの僅かに考える。……だが、そんなことはあり得ない。全ての魔法は、想像通りに炎の壁へ遮られていた。
「もっとだ! もっと撃て!」
そうだ、もっと撃て。注意を惹いてくれれば、それだけ接近は容易いものとなる。
後数歩。いけると確信を持ったところで、シルドの近衛数人がこちらへ目を向けた。
「なにを――」
「《マッド・ジャマー》!」
「なっ!?」
絶妙なタイミングで放たれた勇者様の魔法で、近衛たちの動きが一瞬だけ遅れる。その腕を掻い潜り、シルドの元へ走った。
こちらへ顔を向けたシルドと目が合う。ギリギリ間に合うか? シルドの右腕へ触れようとした瞬間……腕が掴まれた。
舌打ちし、止めた相手を睨みつける。俺の右腕を掴んでいたのは、どこからか現れたベーヴェだった。
「残念でしたねぇ」
「……」
「ふっ、よくやったぞ、ベーヴェ」
「いえいえ。同じ魔族として、潜入したニンゲンの情報を伝えるのは当然のことですよ」
俺とベーヴェ、どちらが強いかなど言うまでもない。腕を振り払うこともできず、身動き一つとれ
なかった。
後一歩。ほんの少しで届いた。悔しさに呻き声を上げると、シルドが笑みを浮かべた。
「では、このニンゲンは私が処理を――」
「その必要はない」
「は?」
ベーヴェのマヌケな声と同時に、シルドは俺の首根っこを掴み、城壁の向こうへ放り投げた。
「っ!?」
予定が狂った。こうなるとは思わなかったと、ベーヴェが一瞬だけ顔を引き攣らせる。
これは計画の一つであり、元々は違う展開を予想していた。
俺が右腕を狙う。勇者様が補佐をする。だが、近衛に防がれる、もしくはシルドに対処される可能性が高い。もしそうなったときは、最後のひと押しをエルがして、ベーヴェが補佐をする、ということになっていた。
連絡も無かったため、手伝わないつもりなのでは? と考えもしたが、ベーヴェはちゃんと動いてくれた。止めたことからも分かるが、間に合わないと判断したのだろう。
だが、シルドはそこまで甘くなかったようだ。ベーヴェに受け渡したりせず、俺を落下死させるつもりか。
……しかし、落下していく俺に対し、彼はさらに無慈悲な言葉を投げかけた。
「――死ね」
腕を振るい、放たれたは蒼き炎。《パーガトリー》に比べれば、遥かに威力は低いであろう魔法。
だが、俺を殺すのには十分だった。
「あああああああああああああああああああああああ!」
蒼い炎に包まれ、落下を続ける。一瞬だけ目が合った勇者様の無事を祈り、計画通り備えていたエルがシルドの右腕へ手を伸ばしたのを見て、ほんの僅かに熱さを忘れた。
……この高さはマズい。前なら諦めていたが、死ぬわけにはいかない。最後まで足掻くと、約束したのだから。
どうにかせねばと考えたが、その時間すら無い。なにかできるはずもなく、当たり前のように地面へ叩きつけられ――――無かった。
目を瞬かせ、兜のバイザーを上げる。俺をお姫様抱っこしている男は言った。
「やぁ、どうにか間に合って良かったよ、ラックスくん」
ヘクトル殿下は、戦場には似つかわしくない、緊張感のない笑みを浮かべていた。
一切の油断が感じられない。だが、一瞬の隙を突き、彼を打倒する必要がある。
そして、そのために必要な状況は……十二分に揃っていた。
チカッチカッ、と先でなにかが光る。目を細めて確認しようとしたが、確認するよりも早く、それはシルドが新たに出した炎の壁へ激突した。
薄っすらと青い光を放つ氷の剣と、淡い緑色の光を伴った風の槍。
壁に激突したそれは、周囲にとてつもない音を響かせたが、程なくして消えた。
それを見て、エルが眉根を寄せ、歯ぎしりをする。
「吾の力を使いこなしておるようだな。あの蒼い炎には、シルドと吾の魔力が混在した力を感じる」
この壁を破ることは容易ではない。俺にも分かるのだから、十三の剣も分かっているだろう。
恐らくだが、戦線は膠着する。破る手立てがないのだから、当たり前のことだ。
……予想は当たっていたのだろう。遠目にだが、生き残っている人の兵士たちが下がり始めていた。
「このまま引き下がるとは思えないわ。なんらかの対策を講じて、再度攻めるはずよ。それまでにわたしたちも作戦を立てましょう」
また戦いが始まれば、互いに余裕は無くなる。その隙を狙い、シルドを打ち倒そう、というのが勇者様の提案だった。すでに元の計画は達成が厳しい。立て直しが必要だろう。
エルも納得し、俺も当然頷く。十日後か、はたまた明日か。予想できない短い時間で、その方法を――。
「全軍気を抜くな!」
シルドの声で、周囲の兵が背筋を正す。俺もその緊張をはらんだ声に、思わず顔を上げた。
兵たちは引いた、だが数人が悠々と歩を進めている。一人……二人……。
「――十二人」
先に数え終わったらしく、エルが口にする。
白い外套に包まれた十二人。金の刺繍であしらった紋章は王族の証であり、彼らが誰なのかは考えるまでもなかった。
「まさか、このまま戦闘を続行するつもりか!」
予想だにしなかった展開だ。俺たちにはまだ、なんの策も無い。
一度退くべきか? だが、これは好機でもあるのでは?
頭を悩ませ、二人を見る。エルは難しい顔をしていたが、勇者様は俺の鎧に触れた。
「鎧を炎に強くしておくわ。……これはチャンスよ。なんたってこっちは、別にシルドを倒さなくてもいいんだからね!」
「……え?」
意味が分からず、目を瞬かせる。エルもハッとした表情を見せた。
「そうか、確かにその通りだ。シルドの右腕に触れることさえできれば、我が右腕は取り戻せる。後は逃げおおすことさえできれば、なんの問題も無い」
「だが、どうやって逃げるんだ?」
「ベーヴェがなにかしら考えているはずだ」
なるほど、それならばいけるかもしれない。
本来ならば、勇者様の望み通りにヘクトル様と連絡をとれていれば良かったのだが、出陣していない以上は仕方ない。このまま隙を突き、右手を取り返し、逃げるのがベストだろう。
他の条件は揃っている。触れた後のことは、ベーヴェを信じればいい。……たぶん、信じていいはずだ。
勇者様たち二人はこの場から援護。俺は一人、周囲に紛れ込みながらシルドへ近づき始める。
彼はこちらに気付く様子もないまま、数歩前に出て、城壁から問いかけた。
「我が《煉獄》を恐れ、射程外からの攻撃しかできぬニンゲンたちよ! なぜ愚かにも歩を進める!」
その点については同意だが、シルドの目が前に向いているのはありがたい。少しずつ、疑われぬよう、自然に距離を詰める。
狙うは、戦闘が始まった瞬間。後ろから襲われるとは思っていないだろう。それまでに、数歩の距離まで詰めねばならない。
「……そんなの、勝つ自信があるからに決まってんだろうが!」
勝つ? 思わぬことを言った王族の一人に目を向ける。金色の髪を逆立てている男は、なんとも楽しそうに笑っていた。
あれを破る自信があり、勝つ方法がある。……とてもそんなことをできるとは思えないが、つまらない嘘を吐く必要も無い。本気で破れると思っているのだろう。
『無理だ。あれを簡単に破れるのなら、当に魔族は滅ぼされている』
エルの言葉に、しかし、と思ったが言葉を続けることはやめた。
彼女が言うのだからそうなのだろう。間違いないと、そう思ったからだ。
俺はあの王族の男性を知らない。だが、エルのことならば知っている。どちらへの信頼が厚いかなど、考えるまでもないことだった。
『しかし、あれだけ自信があるんだ。シルドも警戒しているだろうし、隙はできるんじゃないか?』
『それについては同意しよう。最初の一撃に合わせ、突っ込め』
心の中で頷き、さらに距離を詰めた。
シルドの周囲には彼の近衛らしき者がおり、全員が前を睨みつけている。気付かれていないのならば、一度だけならば通り抜けられるかもしれない。
足を止め、機を伺う。
胸が早鐘を打つ。呼吸は浅く、荒い。周囲を包む緊迫感に押しつぶされそうだった。
早く戦闘よ始まれ。そうすれば、今の状態からは解き放たれる。
矛盾した感情を抑え、早く、早く、と急かす。
そして、そのときは……訪れた。
「いくぞ! くたばれや、煉獄!」
「掛かって来い、身の程を知らぬニンゲンたちよ」
シルドが腕を伸ばし、蒼い炎の壁が現出する。それに向け無数の魔法が放たれ、鮮やかに闇が彩られた。
駆けながらも、もしかしたら破るのでは? とほんの僅かに考える。……だが、そんなことはあり得ない。全ての魔法は、想像通りに炎の壁へ遮られていた。
「もっとだ! もっと撃て!」
そうだ、もっと撃て。注意を惹いてくれれば、それだけ接近は容易いものとなる。
後数歩。いけると確信を持ったところで、シルドの近衛数人がこちらへ目を向けた。
「なにを――」
「《マッド・ジャマー》!」
「なっ!?」
絶妙なタイミングで放たれた勇者様の魔法で、近衛たちの動きが一瞬だけ遅れる。その腕を掻い潜り、シルドの元へ走った。
こちらへ顔を向けたシルドと目が合う。ギリギリ間に合うか? シルドの右腕へ触れようとした瞬間……腕が掴まれた。
舌打ちし、止めた相手を睨みつける。俺の右腕を掴んでいたのは、どこからか現れたベーヴェだった。
「残念でしたねぇ」
「……」
「ふっ、よくやったぞ、ベーヴェ」
「いえいえ。同じ魔族として、潜入したニンゲンの情報を伝えるのは当然のことですよ」
俺とベーヴェ、どちらが強いかなど言うまでもない。腕を振り払うこともできず、身動き一つとれ
なかった。
後一歩。ほんの少しで届いた。悔しさに呻き声を上げると、シルドが笑みを浮かべた。
「では、このニンゲンは私が処理を――」
「その必要はない」
「は?」
ベーヴェのマヌケな声と同時に、シルドは俺の首根っこを掴み、城壁の向こうへ放り投げた。
「っ!?」
予定が狂った。こうなるとは思わなかったと、ベーヴェが一瞬だけ顔を引き攣らせる。
これは計画の一つであり、元々は違う展開を予想していた。
俺が右腕を狙う。勇者様が補佐をする。だが、近衛に防がれる、もしくはシルドに対処される可能性が高い。もしそうなったときは、最後のひと押しをエルがして、ベーヴェが補佐をする、ということになっていた。
連絡も無かったため、手伝わないつもりなのでは? と考えもしたが、ベーヴェはちゃんと動いてくれた。止めたことからも分かるが、間に合わないと判断したのだろう。
だが、シルドはそこまで甘くなかったようだ。ベーヴェに受け渡したりせず、俺を落下死させるつもりか。
……しかし、落下していく俺に対し、彼はさらに無慈悲な言葉を投げかけた。
「――死ね」
腕を振るい、放たれたは蒼き炎。《パーガトリー》に比べれば、遥かに威力は低いであろう魔法。
だが、俺を殺すのには十分だった。
「あああああああああああああああああああああああ!」
蒼い炎に包まれ、落下を続ける。一瞬だけ目が合った勇者様の無事を祈り、計画通り備えていたエルがシルドの右腕へ手を伸ばしたのを見て、ほんの僅かに熱さを忘れた。
……この高さはマズい。前なら諦めていたが、死ぬわけにはいかない。最後まで足掻くと、約束したのだから。
どうにかせねばと考えたが、その時間すら無い。なにかできるはずもなく、当たり前のように地面へ叩きつけられ――――無かった。
目を瞬かせ、兜のバイザーを上げる。俺をお姫様抱っこしている男は言った。
「やぁ、どうにか間に合って良かったよ、ラックスくん」
ヘクトル殿下は、戦場には似つかわしくない、緊張感のない笑みを浮かべていた。
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