鬼と天狗

篠川翠

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第一章 義士

改革派の言い分(4)

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「そもそも、守山の三浦平八郎を見知っていたのは丹波様。平八郎殿が文政七年、十三で守山陣屋の郡奉行を務めていた頃から、知っていたらしい」
 茶室という砕けた場だからか、新十郎の言い方も先程よりも打ち解けた言い方に変わっている。
「すると、丹波様と守山藩の三浦殿は、隣藩の者同士でありながら、互いに見知っているということか」
 新十郎は、鳴海の言葉に肯いた。
「しかもかの者、藩外に出て蘭学・砲術を学んできた経歴持ちだそうだ。丹波様も、在府中の折り、水戸藩の者から聞いたとの由」
「なるほど……」
 守山藩は、本家の水戸藩同様に、江戸在府を義務付けられている。守山藩の家老らは藩公である松平頼升に従って小石川藩邸に詰めているが、実際の守山の知行監督に当たっているのが、三浦平八郎である。だが、たとえ総責任者であろうと、三浦平八郎があの時積極的に二本松藩の脱藩者を庇ったというのは、今思い返しても不自然だった。通常であれば、二本松藩の役人と話をつけ、二本松藩に身柄を引き渡すのが自然である。おまけに、藤田の寄寓先の世話までしようとしていた。やはり、何かしら目的があって守山に出入りしていると見るべきだろう。
「さすがにまつりごとの表向きは我々の領分外だが、気になりますな」
 鳴海は政治論には興味がないが、妙な者を送り込まれて二本松藩の秩序を乱されるのは困る。
「三春にも水戸の間者が出入りしているらしいと聞いたが、三春藩と水戸藩は直接の縁故はない。むしろ、間に守山の者が入っていると考えたほうが自然でござろう」 
「その守山の三浦は、水戸の改革派に属していて、近隣からも同士を募ろうとしている。和左衛門様や三浦権太夫を通じて、というわけか」
 ようやく鳴海の理解が、新十郎の説明に追いついてきた。
「義父は丹波殿のやり方は気にいっておらぬし、学に明るい分だけ勤王の志も強い。藩公を蔑ろにしておるわけではあるまいが、民への情の深さの余り、現実が見えていないところがある。先代丹波様が洋学の軍制を取り入れようとしたのも、気に食わなかったご様子だしな。守山の三浦は、親類という名目をつけてまず権太夫に接近し、権太夫は義父に守山の三浦平八郎を紹介したかもしれぬ」
 新十郎は、りんが持ってきた最中もなかをさくさくと噛み砕きながら淡々と説明を続けた。先程「考えが古い」と鳴海と新十郎を評した和左衛門だが、確かに私情のあまり現実が見えていない部分もあると、鳴海も短い会談の中で感じた。
「学ぶのは悪いことばかりではあるまい」
 鳴海の言葉に、新十郎は首を振った。
「義父の言わんとするところは、新しい物を導入しようとすれば、金がかかる。その費用をまた民らに負担させるつもりか、ということだ。確かに岩井田昨非様の銘文は藩是の基礎だが、それにも程があろう」
 新十郎のいうところの岩井田昨非の銘文とは、城近くにある戒石銘のことである。
  
  爾俸爾禄(爾が俸 爾が禄は)
  民膏民膏(民の膏 民の脂なり)
  下人易虐(下民は虐げ易きも)
  上天難欺(上天は欺き難し)

 二本松の武士は子供の頃からこの言葉を徹底的に叩き込まれ、民を虐げるようなことがあってはならぬと教育される。和左衛門は、この言葉の信奉者の権化のようなものだというのだ。吝嗇癖は、その現れの一つに過ぎない。
「御義父上の心は、吝嗇の一点に端を発すると。……いや、失礼」
 遠慮のない鳴海の言葉に、新十郎は咎め立てをせず、静かに笑ってみせただけだった。 
 要は、民を愛しつつも吝嗇であり、妙に意固地なところのある和左衛門は、守山の三浦に巧みに弁舌を振るわれれば、その思想に傾倒しかねない危うさがあるのだ。弁舌爽やかな新十郎だが、先程茶を振る舞っただけで感激した様子といい、あの和左衛門とうまく折り合いをつけていくには、相当の気苦労があるに違いなかった。
「新十郎殿は、御義父上が藩論を二分する主格と見ておられるのか」
 回りくどい言い方をせずに、鳴海はずばりと尋ねてみた。
「……己の信を通そうとする余り、そうしかねない危うさを孕んでいる、ということだ」
 新十郎が苦しげに吐き捨てる。
 真っ向から賄賂を否定し、清廉潔白の印象がある和左衛門は、丹波からすれば目障りな存在に違いない。だが、和左衛門の論理にも一理あるのは、鳴海も認めざるを得なかった。和左衛門を始めとする二本松藩の勤王党に油を注ぎ続けているかもしれないのが、尊王攘夷思想の本拠地水戸中枢部に近い、守山藩の三浦平八郎。その目的は未だ伺いしれないが、水戸の過激派のことであるから、倒幕すら考えている可能性がある。万が一二本松の勤王派がそれに同調すれば、世子が嬰児である二本松藩の命運は、危うい。
「……どちらを向いても、綱渡りだな」
 鳴海がぼそりと呟くと、新十郎が微かに笑った。
「やはり、鳴海殿は御頭おつむりがよろしい。さすが彦十郎家の御方」
「煽てても、せいぜい茶をもう一杯差し上げることしか出来ませんぞ」
 照れ隠しに、鳴海は再度新十郎の為の茶を準備を整えた。武闘派の印象を持たれがちな鳴海だが、決してそればかりではない。だが、いかんせん日頃から言葉数が少ないからか、鳴海の頭の良さを知る者は少なかった。
「我が義父から学ぶことも多いだろうが、全てを受け入れる必要はござらぬ。それを申し上げたかった」
 鳴海が立てた茶を再度飲み干すと、新十郎はそのように締め括った。
 それにしても、なぜ新十郎は自分とこのような込み入った話をしたかったのだろう。
「新十郎殿。なぜ某に義父上の話を?」
 鳴海の言葉に、新十郎は口元を上げた。
「一つは、彦十郎家はかつては家老も務めてきた大身。さすがの我が義父も丹波殿も、その家名を疎かにはできぬ。また一つには、鳴海殿は余計なことを口になさらぬ性分の御方。その分、誰かに易易と使嗾されることはありますまい」
 すると、自分は中立派として新十郎から見込まれたということだろうか。だが、それはそれで、どうにも面白くない。
「結構なお点前でござった」
 一通り話して満足したのか、新十郎は帰り支度を始めた。だが、この訪問は鳴海の頭痛の種をさらに増やしただけのような気もした。
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