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第二章 焦土
猪苗代
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剛介と豊三郎は、それから山中をさまよった。季節はとうに秋になっている。出来ることならば、日が落ちてくる前に猪苗代に着いてしまいたかった。
あの滝のところからさらに一刻ほどもさまよっただろうか。落ちていく日を追いかけるように西へ進み、ようやく街道が見えたときにはほっとした。
「誰だ!」
突然、誰何の声がして二人はびくりと身を震わせた。だが、声の抑揚は明らかに地元の人間である。
「二本松の者です」
剛介は相手を安心させるために、街道に姿を見せた。
「何と。子供ではないか」
まさか、二本松の残兵の中に子供が混じっているとは思わなかったのだろう。だが、腰の物と肩章を見ると状況を把握したらしく、猪苗代に連れて行ってくれるという。
「某は石川と申す」
相手が名乗りを上げた。昨日も今日も戦ってきて、もはや足腰に力が入らなくなっている。だが、急がねばならなかった。
猪苗代の町までの道中、石川は簡単に説明をしてくれた。何でも、石川の主の丸山様は、会津藩の中でも保科正之公以来の名家なのだという。元々石川は猪苗代の郷士であり、当時の猪苗代城代であった丸山五太夫に見出された。今はその縁戚の四郎右衛門に仕えているとのことだった。
酸川野の集落まで下ってくると、豊三郎が「あっ」と声を上げた。前方の猪苗代城下に火の手が上がっているのが見える。
「まさか……」
西軍は、もうここまでやってきたのだろうか。だが、石川は首を横に振った。
「大丈夫。燃えているのは猪苗代城と土津神社だけのようです」
このときの猪苗代城代はずっと各地を転戦している田中源之進の代わりに、高橋権太夫が守っていた。だが、母成峠の敗報を聞くと、西軍の拠点にされるのを避けて自ら放火したのである。
「何と言う真似をするのだ」
石川は憤慨しているが、剛介や豊三郎にとっては、所詮、他人事であった。
間もなく、大きな庄屋の家に連れて行かれた。丹羽丹波から既に伝達があり、今晩はそこに宿陣するという。
三人が到着すると、既に先に到着していた二本松兵の姿もあった。その中には、猿岩にはいなかった顔もある。もしかしたら、丹波らと一緒に、萩岡方面で戦っていたのかもしれない。
そういえば、釥太や水野はどうなっただろう。朝にちらりと見かけたきりで、まだここには来ていなかった。
「石川。ご苦労だった」
背後から、人の良さそうな老人がひょいと顔を覗かせた。そして、その場に剛介と豊三郎の姿を認めると、目を見開いた。
「何と、二本松の……」
そして手招きすると、二人を厨へ案内し、握り飯を一つずつ与えてくれた。そういえば、腹が減っていたのを思い出し、二人は貪るようにそれを平らげた。
「よく、無事に来られた」
孫でも見るような目で、愛おし気に呟く。
「まことにのう」
勝手に、先程広間にいた二本松藩士が入ってきた。
「そなた、武谷先生のご子息であろう。年端の行かぬところを見ると、下のご子息か」
相手が遠慮なく訊ねた。どうも、この人も父を知っているらしい。そんなに自分は父に似ているのだろうか。
聞けば相手は三浦義制といい、剛介たちが砲術を習い始めた時期には、西洋火薬の取調べや雷管製造に従事していた。だが、七月からは藩命で会津にプロイセン砲について学びに来ていたのだという。そのため、帰藩が間に合わず、会津陣営にあったとのことだった。今日も、萩岡で二人斬って斃してきたが、戦局を見てやむを得ず猪苗代まで下ってきた。
「先の城下戦に間に合わなかったのは、誠に遺憾であった」
三浦が、悔しげに顔を歪めた。
そのとき、門の方が騒がしくなった。
「丹羽丹波様ら、ご到着」
剛介と豊三郎は顔を見合わせた。
「やっとご到着されたか」
その声は、幾分棘が含まれていた。どうやら、この三浦も丹波が苦手なようである。子供である自分たちも軍議に参加して良いものやら迷っていると、近くの武士に「湯漬けをお持ちせよ」と命じられてしまった。
渋々湯漬けの乗った盆を持って、広間へ向かう。そこには、疲れ切った顔をした与兵衛や鳴海、そしてこれ以上ないだろうというくらい不機嫌な顔つきの丹波が据わっていた。
意を決して「湯漬けをお持ちいたしました」と丹波の前に湯漬けを置き、そそくさと立ち去ろうとした。
「待て」
鋭く丹波が呼び止めた。
「そなた等も、二本松の武士の子ならばそこに控えておれ」
まさか、丹波には逆らえない。剛介と豊三郎は小さくなって、座敷の片隅に正座した。
丹波はあっという間に湯漬けを平らげ、丼を置いた。与兵衛や鳴海も、それに倣う。
そこへ、広間には会津藩の重役らしき者も数名入ってきた。その中に、先程の老人が混じっているのに、剛介は気がついた。
「さて、よろしいですかな」
老人が切り出す。どうやら、軍議の進行役として呼ばれたらしい。
「その前に、話がある」
丹波が遮って、じろりと剛介と豊三郎を見据えた。
「我々より早く到着しているとは、どういうことだ」
その声に、剛介は身が凍りついた。隣で豊三郎も固まっている。
「会津の方に、助けて頂きました」
剛介は小声で弁解した。
「ほう。最後まで死力を尽くそうとは思わなんだか」
そう言われると、返す言葉がない。丹波は、自分たちが「生命を惜しんで逃げ出した」と考えているのか。
悔しさと情けなさで、涙がこぼれそうになる。
先生を始め、多くの仲間を失った。自分たちも、そのようにするべきだったのだろうか。
「答えよ!」
丹波の怒声に、身が震えたその瞬間。
「お止めなさいませ」
丹波に負けないくらい、怒気を孕んだ声が響いた。驚いて、俯いていた顔を上げる。
声の主は、あの三浦だった。
「年少の者に当たるとは、それこそ二本松武士の恥でございます」
丹波の怒りの矛先は、今度は三浦に向けられた。
「そなた、儂に意見するのか」
丹波は、今や顔を真赤にしていた。だが、誰も二人を止めようとはしない。
異様な空気に構わず、丹波は続けた。
「そういえば、そなたも我らより先に到着していたな」
じとりと、嫌な笑みを浮かべる。
「脱走して一人何処にいた」
丹波の皮肉に、ついに三浦の堪忍袋の緒が切れた。
「何を申されるか!」
三浦の怒号が響く。今や、丹波に負けないくらいに真っ赤な顔をしていた。
「国家老の重職にありながら、藩論を定めることができなかったのはどなたでございますか」
与兵衛や鳴海の顔色も変わった。長年の三浦との付き合いから、逆上した三浦は誰にも止められないことを、二人はよく知っていた。
「最も重責を負わねばならぬ立場でありながら、城の危急を救うことができなかったではございませぬか。
多くの者の義を辱め、名を汚し、それでもなお死ぬことができなかったのは、どなたでございます?
生を頼みてこの地に逃れ、貴方様だけが、人を責めて止まない。違いますかな?」
三浦の目には、水っぽいものが浮かんでいた。
しん、と座が静まり返る。
丹波の顔色は、今や真っ青だった。
(その通りだ)
口には出さないが、鳴海も同じ思いだった。今まで、白河や本宮、そして城下の戦いで先頭に立って来たのは、丹波ではない。鳴海らを始めとする、多くの兵士だった。どれだけの者たちが、丹波の無策の犠牲になってきただろう。
死んだ渡邊新助らの提言を握りつぶし、大切な時期に和議派と強硬派の不毛な争いを放置したまま、白河に出陣したのは、他ならぬ丹波だった。そして軍事総裁の名を使って慣習を破り、年少者の出陣を決めたのは、眼の前にいる男ではなかったか。
平時ならば、三浦を宥める役に回る与兵衛も、何も言わない。昨晩、二人でこっそり交わした会話を、鳴海は思い出していた。
これ以上無駄死にする者が出れば、本当の意味で二本松は亡びる。
多くの兵の怨嗟の声を、三浦が代弁していた。
尚も、三浦は言葉を重ねる。
「私は多くの戦いを重ねて強敵に当たり、悪戦苦闘してきた。それでもなお、二本松の回復を望んでいる。
貴方様は、恐らくは吾が後塵を仰ぐことすらできますまい。私の草鞋の底でも崇めているべきではないですかな?」
強烈な毒舌だった。だが、正論であった。
大人たちの口論を、剛介は涙を浮かべながら、黙って聞いていた。もう、何が正解なのか分からなかった。
政治的な事情は、よく分からない。ただ、眼の前の光景が無性に悲しかった。
もう二本松に帰れるかどうかも定かでないのに、なぜこんな事になっているのだろう。
いがみ合っている場合ではないのに。
剛介の目から、一粒の涙がこぼれた。
「少しよろしいですかな」
不意に、その場にそぐわない、のどかな声が聞こえた。声を発したのは、握り飯を与えてくれた老人だった。
「何ですかな、丸山殿」
今や口も利けぬ丹波に代わって、与兵衛が答えた。すると、この方が石川の言っていた丸山四郎右衛門様か。その奇縁に驚き、剛介は丸山翁に顔を向けた。
「僭越ながら、拙者がこの者たちをお預かり致そう」
思いがけない申し出だった。会津で、剛介と豊三郎を保護してくれるというのである。
「いや、それは申し訳が立たぬ」
ようやく、茫然自失の状態を脱したらしい丹波が慌てた。さすがに、他藩に子供の保護を求めるのは、丹波の矜持が許さないのかもしれない。
「気にされることはございませぬ。私の知行地が坂下にありますれば、そちらへお連れ致す所存でございます」
母成峠が破れたからには、若松城下にも西軍が押し寄せるだろう。そこを避けて、少しでも安全なところへ匿ってくれるというのだ。
丸山は、にこにこと笑っている。だが、その目は笑っていなかった。
「もう、この者たちはよく戦いました。二本松で立派に戦い、多くの友を失いながらも業火の中を脱し、山入や母成峠でも戦ったというではありませぬか。これ以上何を望むことがあるでしょう」
丹波は再び黙り込んだ。まさかの会津からの申し出である。
鳴海も、目を見開いた。
(だが……)
会津も間もなく戦火に焼かれるだろう。それで、この少年たちの無事が守れるだろうか。
「この子らは」
丸山が、剛介と豊三郎をじっと見つめた。
「二本松の大切な種子でございましょう。その種子は、潰されぬよう守り抜かねばなりませぬ」
それに、と丸山は続けた。
「|こたびの戦は、大本は会津に責任がござる。だが、会津は白河を守ることができず、そればかりか二本松の領土を焼き、皆様が大切にされてきた民をも巻き込んだ。その罪は到底償いきれるものではございませぬが、せめてこれくらいことは、させて下され」
剛介は、丸山の言葉に心が揺らいだ。出来ることならば、二本松の人とどこまでも行きたい。だが、その一行は明日をもしれない運命である。
「剛介さん……」
豊三郎が囁く。やはり、迷っているのだろう。
この先、自分たちがついていっても、結局は足手まといになってしまうのではないか。それこそ皆を無駄死にさせてしまいやしないか。
そして、何よりも。
もう、疲れた。結局、どの道を選んでも、命の保証はしかねるのだろう。
ならば、いっそ会津に身を委ねてみようか。
ふと顔を巡らすと、二本松の大人たちは一様に目に涙を浮かべていた。あの、鬼鳴海と称された鳴海ですら泣いている。ただ一人、丹波を除いては。
丹波の表情を見た途端、剛介の心は決まった。
もう一度顔を巡らせて、鳴海と視線が合った。
「鳴海様」
鳴海は、黙って頷いた。
何も言わないが、視線ははっきりと物語っていた。
(生き延びよ)
今度は豊三郎に顔を向けた。豊三郎も頷く。恐らく、剛介と同じ思いなのだろう。
剛介は丸山に体を向けて、しっかと視線を合わせせた。
「丸山様。どうぞ、我らを宜しくお導き下さいませ」
きっぱりと言うと、豊三郎と二人、深々と畳に額をつけた。
「相分かった。任せておくが良い。会津武士の矜持にかけて、この丸山四郎右衛門がお二方をお守りしようぞ」
丸山が、憂眉を開いた。申し出てみたものの、剛介たちがどう出るか心配していたのだろう。
いつの間にか、とうに外には白白とした月が上っている。
「石川。この者たちを、坂下の長のところまでお連れせよ」
きびきびと、丸山が命じる。どうやら、二人をすぐにでも出立させるつもりのようだった。確かに、移動できそうなのは今しかない。
「馬を借りて参ります」
丸山に命じられた石川が、表へ駆け出した。会津の地理に疎い剛介には、坂下がどこにあるのかよく分からない。だが、馬を使うということは、猪苗代から大分離れたところにあるのだろう。
駅亭はすぐ近くなのか、四半刻も待たずして石川は二頭の馬を引いてきた。これしか見つからなかったと言うが、十分である。
二人は石川に急き立てられ、玄関へ回った。
「鳴海様。皆様方」
胸が詰まり、剛介は思わず呼びかけた。
「このご厚誼、生涯忘れませぬ」
地面に片膝をついて、身を屈めた。豊三郎も、それに倣う。
思えばあの日、竜泉寺で鳴海に導かれてここまで来たようなものだった。それが良かったかどうかは、この先生き延びてみないと分からないのだろう。
「武谷剛介。久保豊三郎」
鳴海が重々しく呼びかけた。
「そなた等は、二本松の大切な御子だ。それを決して忘れるな」
「はい!」
石川がぴしりと馬の尻を叩くと、剛介の乗った馬は、勢いよく駆け出した。
それと同時に、鳴海とは別のくぐもった声が遠く聞こえた気がした。
「済まぬ」
だが、剛介が声の主を確かめる間もなく、馬は夜道を駈けていった。
「行ってしまったな」
与兵衛が、寂しげに鳴海に笑いかけた。短期間ではあったが、母成峠で共に戦った少年たちは何人もいた。きっと、一人ひとりが与兵衛にとって忘れがたいのだろう。
「間違ってはおるまい」
先程、丹波を怒鳴りつけていた三浦が明るく言った。
「これ以上、二本松の大切な種子を潰すわけには参らぬ」
「そうだな」
鳴海も頷く。
「さて、我々も急ごう。明日には、若松の麗性院様らをお訪ねしようではないか」
藩公の家族は一旦米沢に向かったものの、その後分散してあちこちを転々としていたのである。
「御家老。冷えますぞ」
鳴海が、まだ闇を睨んで肩を震わせている丹波に声をかけた。
あの滝のところからさらに一刻ほどもさまよっただろうか。落ちていく日を追いかけるように西へ進み、ようやく街道が見えたときにはほっとした。
「誰だ!」
突然、誰何の声がして二人はびくりと身を震わせた。だが、声の抑揚は明らかに地元の人間である。
「二本松の者です」
剛介は相手を安心させるために、街道に姿を見せた。
「何と。子供ではないか」
まさか、二本松の残兵の中に子供が混じっているとは思わなかったのだろう。だが、腰の物と肩章を見ると状況を把握したらしく、猪苗代に連れて行ってくれるという。
「某は石川と申す」
相手が名乗りを上げた。昨日も今日も戦ってきて、もはや足腰に力が入らなくなっている。だが、急がねばならなかった。
猪苗代の町までの道中、石川は簡単に説明をしてくれた。何でも、石川の主の丸山様は、会津藩の中でも保科正之公以来の名家なのだという。元々石川は猪苗代の郷士であり、当時の猪苗代城代であった丸山五太夫に見出された。今はその縁戚の四郎右衛門に仕えているとのことだった。
酸川野の集落まで下ってくると、豊三郎が「あっ」と声を上げた。前方の猪苗代城下に火の手が上がっているのが見える。
「まさか……」
西軍は、もうここまでやってきたのだろうか。だが、石川は首を横に振った。
「大丈夫。燃えているのは猪苗代城と土津神社だけのようです」
このときの猪苗代城代はずっと各地を転戦している田中源之進の代わりに、高橋権太夫が守っていた。だが、母成峠の敗報を聞くと、西軍の拠点にされるのを避けて自ら放火したのである。
「何と言う真似をするのだ」
石川は憤慨しているが、剛介や豊三郎にとっては、所詮、他人事であった。
間もなく、大きな庄屋の家に連れて行かれた。丹羽丹波から既に伝達があり、今晩はそこに宿陣するという。
三人が到着すると、既に先に到着していた二本松兵の姿もあった。その中には、猿岩にはいなかった顔もある。もしかしたら、丹波らと一緒に、萩岡方面で戦っていたのかもしれない。
そういえば、釥太や水野はどうなっただろう。朝にちらりと見かけたきりで、まだここには来ていなかった。
「石川。ご苦労だった」
背後から、人の良さそうな老人がひょいと顔を覗かせた。そして、その場に剛介と豊三郎の姿を認めると、目を見開いた。
「何と、二本松の……」
そして手招きすると、二人を厨へ案内し、握り飯を一つずつ与えてくれた。そういえば、腹が減っていたのを思い出し、二人は貪るようにそれを平らげた。
「よく、無事に来られた」
孫でも見るような目で、愛おし気に呟く。
「まことにのう」
勝手に、先程広間にいた二本松藩士が入ってきた。
「そなた、武谷先生のご子息であろう。年端の行かぬところを見ると、下のご子息か」
相手が遠慮なく訊ねた。どうも、この人も父を知っているらしい。そんなに自分は父に似ているのだろうか。
聞けば相手は三浦義制といい、剛介たちが砲術を習い始めた時期には、西洋火薬の取調べや雷管製造に従事していた。だが、七月からは藩命で会津にプロイセン砲について学びに来ていたのだという。そのため、帰藩が間に合わず、会津陣営にあったとのことだった。今日も、萩岡で二人斬って斃してきたが、戦局を見てやむを得ず猪苗代まで下ってきた。
「先の城下戦に間に合わなかったのは、誠に遺憾であった」
三浦が、悔しげに顔を歪めた。
そのとき、門の方が騒がしくなった。
「丹羽丹波様ら、ご到着」
剛介と豊三郎は顔を見合わせた。
「やっとご到着されたか」
その声は、幾分棘が含まれていた。どうやら、この三浦も丹波が苦手なようである。子供である自分たちも軍議に参加して良いものやら迷っていると、近くの武士に「湯漬けをお持ちせよ」と命じられてしまった。
渋々湯漬けの乗った盆を持って、広間へ向かう。そこには、疲れ切った顔をした与兵衛や鳴海、そしてこれ以上ないだろうというくらい不機嫌な顔つきの丹波が据わっていた。
意を決して「湯漬けをお持ちいたしました」と丹波の前に湯漬けを置き、そそくさと立ち去ろうとした。
「待て」
鋭く丹波が呼び止めた。
「そなた等も、二本松の武士の子ならばそこに控えておれ」
まさか、丹波には逆らえない。剛介と豊三郎は小さくなって、座敷の片隅に正座した。
丹波はあっという間に湯漬けを平らげ、丼を置いた。与兵衛や鳴海も、それに倣う。
そこへ、広間には会津藩の重役らしき者も数名入ってきた。その中に、先程の老人が混じっているのに、剛介は気がついた。
「さて、よろしいですかな」
老人が切り出す。どうやら、軍議の進行役として呼ばれたらしい。
「その前に、話がある」
丹波が遮って、じろりと剛介と豊三郎を見据えた。
「我々より早く到着しているとは、どういうことだ」
その声に、剛介は身が凍りついた。隣で豊三郎も固まっている。
「会津の方に、助けて頂きました」
剛介は小声で弁解した。
「ほう。最後まで死力を尽くそうとは思わなんだか」
そう言われると、返す言葉がない。丹波は、自分たちが「生命を惜しんで逃げ出した」と考えているのか。
悔しさと情けなさで、涙がこぼれそうになる。
先生を始め、多くの仲間を失った。自分たちも、そのようにするべきだったのだろうか。
「答えよ!」
丹波の怒声に、身が震えたその瞬間。
「お止めなさいませ」
丹波に負けないくらい、怒気を孕んだ声が響いた。驚いて、俯いていた顔を上げる。
声の主は、あの三浦だった。
「年少の者に当たるとは、それこそ二本松武士の恥でございます」
丹波の怒りの矛先は、今度は三浦に向けられた。
「そなた、儂に意見するのか」
丹波は、今や顔を真赤にしていた。だが、誰も二人を止めようとはしない。
異様な空気に構わず、丹波は続けた。
「そういえば、そなたも我らより先に到着していたな」
じとりと、嫌な笑みを浮かべる。
「脱走して一人何処にいた」
丹波の皮肉に、ついに三浦の堪忍袋の緒が切れた。
「何を申されるか!」
三浦の怒号が響く。今や、丹波に負けないくらいに真っ赤な顔をしていた。
「国家老の重職にありながら、藩論を定めることができなかったのはどなたでございますか」
与兵衛や鳴海の顔色も変わった。長年の三浦との付き合いから、逆上した三浦は誰にも止められないことを、二人はよく知っていた。
「最も重責を負わねばならぬ立場でありながら、城の危急を救うことができなかったではございませぬか。
多くの者の義を辱め、名を汚し、それでもなお死ぬことができなかったのは、どなたでございます?
生を頼みてこの地に逃れ、貴方様だけが、人を責めて止まない。違いますかな?」
三浦の目には、水っぽいものが浮かんでいた。
しん、と座が静まり返る。
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(その通りだ)
口には出さないが、鳴海も同じ思いだった。今まで、白河や本宮、そして城下の戦いで先頭に立って来たのは、丹波ではない。鳴海らを始めとする、多くの兵士だった。どれだけの者たちが、丹波の無策の犠牲になってきただろう。
死んだ渡邊新助らの提言を握りつぶし、大切な時期に和議派と強硬派の不毛な争いを放置したまま、白河に出陣したのは、他ならぬ丹波だった。そして軍事総裁の名を使って慣習を破り、年少者の出陣を決めたのは、眼の前にいる男ではなかったか。
平時ならば、三浦を宥める役に回る与兵衛も、何も言わない。昨晩、二人でこっそり交わした会話を、鳴海は思い出していた。
これ以上無駄死にする者が出れば、本当の意味で二本松は亡びる。
多くの兵の怨嗟の声を、三浦が代弁していた。
尚も、三浦は言葉を重ねる。
「私は多くの戦いを重ねて強敵に当たり、悪戦苦闘してきた。それでもなお、二本松の回復を望んでいる。
貴方様は、恐らくは吾が後塵を仰ぐことすらできますまい。私の草鞋の底でも崇めているべきではないですかな?」
強烈な毒舌だった。だが、正論であった。
大人たちの口論を、剛介は涙を浮かべながら、黙って聞いていた。もう、何が正解なのか分からなかった。
政治的な事情は、よく分からない。ただ、眼の前の光景が無性に悲しかった。
もう二本松に帰れるかどうかも定かでないのに、なぜこんな事になっているのだろう。
いがみ合っている場合ではないのに。
剛介の目から、一粒の涙がこぼれた。
「少しよろしいですかな」
不意に、その場にそぐわない、のどかな声が聞こえた。声を発したのは、握り飯を与えてくれた老人だった。
「何ですかな、丸山殿」
今や口も利けぬ丹波に代わって、与兵衛が答えた。すると、この方が石川の言っていた丸山四郎右衛門様か。その奇縁に驚き、剛介は丸山翁に顔を向けた。
「僭越ながら、拙者がこの者たちをお預かり致そう」
思いがけない申し出だった。会津で、剛介と豊三郎を保護してくれるというのである。
「いや、それは申し訳が立たぬ」
ようやく、茫然自失の状態を脱したらしい丹波が慌てた。さすがに、他藩に子供の保護を求めるのは、丹波の矜持が許さないのかもしれない。
「気にされることはございませぬ。私の知行地が坂下にありますれば、そちらへお連れ致す所存でございます」
母成峠が破れたからには、若松城下にも西軍が押し寄せるだろう。そこを避けて、少しでも安全なところへ匿ってくれるというのだ。
丸山は、にこにこと笑っている。だが、その目は笑っていなかった。
「もう、この者たちはよく戦いました。二本松で立派に戦い、多くの友を失いながらも業火の中を脱し、山入や母成峠でも戦ったというではありませぬか。これ以上何を望むことがあるでしょう」
丹波は再び黙り込んだ。まさかの会津からの申し出である。
鳴海も、目を見開いた。
(だが……)
会津も間もなく戦火に焼かれるだろう。それで、この少年たちの無事が守れるだろうか。
「この子らは」
丸山が、剛介と豊三郎をじっと見つめた。
「二本松の大切な種子でございましょう。その種子は、潰されぬよう守り抜かねばなりませぬ」
それに、と丸山は続けた。
「|こたびの戦は、大本は会津に責任がござる。だが、会津は白河を守ることができず、そればかりか二本松の領土を焼き、皆様が大切にされてきた民をも巻き込んだ。その罪は到底償いきれるものではございませぬが、せめてこれくらいことは、させて下され」
剛介は、丸山の言葉に心が揺らいだ。出来ることならば、二本松の人とどこまでも行きたい。だが、その一行は明日をもしれない運命である。
「剛介さん……」
豊三郎が囁く。やはり、迷っているのだろう。
この先、自分たちがついていっても、結局は足手まといになってしまうのではないか。それこそ皆を無駄死にさせてしまいやしないか。
そして、何よりも。
もう、疲れた。結局、どの道を選んでも、命の保証はしかねるのだろう。
ならば、いっそ会津に身を委ねてみようか。
ふと顔を巡らすと、二本松の大人たちは一様に目に涙を浮かべていた。あの、鬼鳴海と称された鳴海ですら泣いている。ただ一人、丹波を除いては。
丹波の表情を見た途端、剛介の心は決まった。
もう一度顔を巡らせて、鳴海と視線が合った。
「鳴海様」
鳴海は、黙って頷いた。
何も言わないが、視線ははっきりと物語っていた。
(生き延びよ)
今度は豊三郎に顔を向けた。豊三郎も頷く。恐らく、剛介と同じ思いなのだろう。
剛介は丸山に体を向けて、しっかと視線を合わせせた。
「丸山様。どうぞ、我らを宜しくお導き下さいませ」
きっぱりと言うと、豊三郎と二人、深々と畳に額をつけた。
「相分かった。任せておくが良い。会津武士の矜持にかけて、この丸山四郎右衛門がお二方をお守りしようぞ」
丸山が、憂眉を開いた。申し出てみたものの、剛介たちがどう出るか心配していたのだろう。
いつの間にか、とうに外には白白とした月が上っている。
「石川。この者たちを、坂下の長のところまでお連れせよ」
きびきびと、丸山が命じる。どうやら、二人をすぐにでも出立させるつもりのようだった。確かに、移動できそうなのは今しかない。
「馬を借りて参ります」
丸山に命じられた石川が、表へ駆け出した。会津の地理に疎い剛介には、坂下がどこにあるのかよく分からない。だが、馬を使うということは、猪苗代から大分離れたところにあるのだろう。
駅亭はすぐ近くなのか、四半刻も待たずして石川は二頭の馬を引いてきた。これしか見つからなかったと言うが、十分である。
二人は石川に急き立てられ、玄関へ回った。
「鳴海様。皆様方」
胸が詰まり、剛介は思わず呼びかけた。
「このご厚誼、生涯忘れませぬ」
地面に片膝をついて、身を屈めた。豊三郎も、それに倣う。
思えばあの日、竜泉寺で鳴海に導かれてここまで来たようなものだった。それが良かったかどうかは、この先生き延びてみないと分からないのだろう。
「武谷剛介。久保豊三郎」
鳴海が重々しく呼びかけた。
「そなた等は、二本松の大切な御子だ。それを決して忘れるな」
「はい!」
石川がぴしりと馬の尻を叩くと、剛介の乗った馬は、勢いよく駆け出した。
それと同時に、鳴海とは別のくぐもった声が遠く聞こえた気がした。
「済まぬ」
だが、剛介が声の主を確かめる間もなく、馬は夜道を駈けていった。
「行ってしまったな」
与兵衛が、寂しげに鳴海に笑いかけた。短期間ではあったが、母成峠で共に戦った少年たちは何人もいた。きっと、一人ひとりが与兵衛にとって忘れがたいのだろう。
「間違ってはおるまい」
先程、丹波を怒鳴りつけていた三浦が明るく言った。
「これ以上、二本松の大切な種子を潰すわけには参らぬ」
「そうだな」
鳴海も頷く。
「さて、我々も急ごう。明日には、若松の麗性院様らをお訪ねしようではないか」
藩公の家族は一旦米沢に向かったものの、その後分散してあちこちを転々としていたのである。
「御家老。冷えますぞ」
鳴海が、まだ闇を睨んで肩を震わせている丹波に声をかけた。
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戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
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毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
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(2022.04.04)
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