君の思い出

生津直

文字の大きさ
11 / 92
第1章 護衛

11 収束へ

しおりを挟む
 少し落ち着いてから部屋に戻ると、そういえば昼食を食べていなかったと気付く。しかしあまり食欲もない。千尋は、昨日長尾が持ってきたコンビニのおにぎりを一つ、半ば義務感で飲み下した。

 浅葉は床に落ちていたワイシャツをそのまま着たらしく、下がジーパンに替わったこと以外、デスクに向かう背中は昨日までと何ら変わりなく見えた。千尋は、海苔のりのかけらが残ったビニールをもてあそびながら、その後ろ姿をいつまでも飽きることなく見つめた。

「浅葉さん」

「ああ」

「あの……今日はベッド使ってください」

 何やら書類をにらんでいた浅葉が、顔を上げる。

「その怪我で床ってわけには……」

 ここへ来てからずっと満足に寝ていないし、明日は取引当日ということで忙しくなるだろう。睡眠を取るなら危険が去った今晩がチャンスのはずだった。

「別にかまわん。いつものことだ」

 千尋は食い下がる。

「私、不安です。自分の警護担当者が万全のコンディションじゃないなんて……」

 その時、浅葉の後ろ姿が一瞬微笑ほほえんだように見えてドキッとした。しかし返事はない。その背中に向かって千尋は続けた。

「しっかり休んでいただかないと安心できません。一応まだ明日まであるわけですし」

 浅葉は、肩越しに言った。

「じゃあ、こうしよう。半分だけ貸してくれ」

(えっ? 今、何て?)

 ベッドを見下ろす。千尋が大の字になれば両手がはみ出す程度の大きさだ。まあカップルなら二人並んで寝ても大して窮屈ではないのかもしれないが……。そこまで考えて、千尋は赤面した。

 浅葉はそんな千尋などおかまいなしの様子で続ける。

「お前にも万全の状態でいてもらわないと困る。いいか、半分だぞ。侵入してくるなよ」

 床の方がよく眠れそうです、と言いそうになるのを、もう一人の千尋が押しとどめた。



 九月九日。おもての工事の音で目が覚める。カーテンの隙間から光が差していた。千尋は、早々とベッドに入り、浅葉の分を残して壁側に寄って寝ていたことを思い出した。

 恐る恐る寝返りを打ってみるも、反対側は空っぽ。浅葉はとっくに起きて活動していたらしい。バスルームで電話をかけていたようで、携帯を手に出てきた。いつものように短く挨拶だけを交わす。昨日までの疲労の色は目に見えてやわらいでいた。

 すぐ隣で寝息を立てる浅葉を思い浮かべると、何か温かいものが心にともるような気がした。ただ、ついぐっすりと眠ってしまって自分にその記憶がないことが、千尋には残念だった。

 長尾が電話傍受に成功し、取引は今日の夜と判明していた。千尋は一旦署に戻り、取引の開始を待って自宅に送り届けられる。用心するに越したことはない、ということらしい。



 署に着くと、千尋は坂口に呼ばれ、最初に説明を受けたあの部屋にやってきた。

 坂口は「型通りの質問」と断った上で、いくつか千尋に尋ねる。この一週間、困ったことや不快に思うようなことはなかったか、という趣旨だ。後からセクハラだの何だの訴えられても困るからだろう。警察には細かい規定があるはずだ。まさかベッドを分け合ったなどとは口が裂けても言えない。千尋は優等生の受け答えで乗り切った。

 浅葉は到着するなり検挙準備に取りかかってしまい、千尋にかまっている暇などなさそうだ。いつの間にか、自宅に送ってくれる車の出る時間が迫っていた。

(あーあ、あっけない……)

 何を期待するわけでもないが、せめてきちんとお礼を言うぐらいの時間は欲しかった。



 取引現場への出発間際、浅葉は石山のデスクに向かった。

「課長」

「ん」

「田辺の自宅送還ですが」

「ああ」

「俺が行きます」

 石山は眉をひそめた。

「お前は今から検挙要員だと言ったろ」

「田辺の希望です」

「そんなもん断れ」

「実は、ちょっと気になることがありまして」

「何だ」

「田辺の自宅付近をうろついてた男です」

「この件とは関係ないかもしれん」

「あの後、何度か同じ場所で目撃されてますね?」

 石山は驚き、いぶかしむ。

「なぜお前がそれを?」

 地元の交番から、確かにその通りの報告が入っている。今回の取引の関係者である可能性が高いため、警戒させないよう職務質問は控えろと指示してあった。

「話せば長くなります。とにかく、事実ですよね?」

「だったらどうなんだ? 関係してても、今さら田辺に用はないはずだろ」

「確かに、口封じの必要はなくなりました」

「じゃあ何だ?」

「個人的な興味かもしれません」

 石山は唖然あぜんとした。

「随分と想像力豊かだな。まあ、あり得ない話じゃないが、残念ながら管轄外だ。お前の関心事でもないはずだが?」

 石山は探るような目を向け、浅葉はその目とにらみ合った。

「田辺が何か不安がっているなら、正規のルートで通報させろ。うちにはそんな暇はない」

 浅葉が黙ってその場を離れようとすると、石山の声がそれを追った。

「勝手な真似まねはするなよ」

 浅葉は肩越しに、

「担当者にはくれぐれも油断するなと伝えてください。では、現場に向かいます」

と答え、廊下へと出ていった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

先生、わがまま聞いて

香桐れん
恋愛
[11/6完結済。たくさんお読みいただきありがとうございます!] 高校三年生の瑛斗は、若い女性教師「しゅーちゃん」こと三田先生が、妻子持ちのベテラン教師とホテルに入るところを目撃する。 翌日、三田先生を訪ねた瑛斗は、先生が涙するところを目の当たりにしてしまい……。   「不倫が許されるのに、どうして俺は許されないんですか?」 ――教師×高校生の「禁断」と呼ばれる純愛の行く末。     ※※※ この作品は公序良俗に反する行為に同意・推奨するものではけっしてありません。 ご理解いただける方に楽しんでいただけると嬉しいです。     便宜上レーティング設定していますが、描写は控えめです。 (性描写を目的とした作品ではございません) 該当部分には各ページ上部の節タイトルに「※」をつけています。 苦手な方は避けてお読みください。 過去に非営利目的の同人誌で発表した作品を全面改訂・大幅加筆したものです。 エブリスタにて先行公開済み作品。 --- 写真素材:Joanna Kosinska

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

一夏の性体験

風のように
恋愛
性に興味を持ち始めた頃に訪れた憧れの年上の女性との一夜の経験

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...