爆弾拾いがついた嘘

生津直

文字の大きさ
33 / 118
第2章 修練の時

31 菊乃

しおりを挟む
「んでも、まーさか女の子とはねえ。あいつも隅に置けんわいな」

「あ、えっと、何というか、そういう個人的なあれは……全然ないですから、本当に」

 慌てて言い添えたが、

「そりゃあどうだか」

と、取り合わない。

「あ、そうだ、菊乃さん、腰の調子はどうですかって先生が」

 菊乃は手の甲でポンポンと叩きながら、

「こーれはもう、しょうがないのねえ、時々しくしくね」

「痛むんですか?」

「もう何年も。でーも、まだまだ歩けっからよ。逃げ切れると思いなさんな」

 菊乃はそう言って勢いよく杖を振り上げてみせ、一希は思わず噴き出した。

「新藤先生、よくここにいらっしゃるんですか?」

「いんや、ここんとこ、ちーとも。あたしほったらかし」

とすねる菊乃を、

「仲良しなんですね」

と冷やかしてやる。その瞬間、唐突に菊乃がのけぞり、喉を鳴らして激しく息を吸い込んだ。何かの発作だろうかと一希は慌てたが、どうやら彼女流の笑い方らしい。馬のいななきのような笑い声をヒンヒヒンヒとひとしきり響かせてようやく落ち着くと、勝ち誇ったように告げる。

「仲良しさあ、そりゃああんた、おっぱいしゃぶらした仲だもの」

(えっ!?)

 あやうくその光景を想像しそうになり、寸前で振り払う。まさかまさか。お婆さんが面白がって冗談を言っているだけに違いない。新藤の母親は早くに亡くなっているはずなのだから。

 菊乃は一希を座敷に座らせると、壁を伝うともなしに軽く叩きながら裏の小部屋に引っ込み、慣れた手つきでお茶とお菓子を出した。

 いざ腰を下ろすと、弟子入りの経緯や日々の居候生活に始まり、一希の出身地や年齢、学歴、家族構成まで深々と掘り下げる。遠慮のない物言いは人によっては抵抗を感じるかもしれないが、一希にとってはひとたび慣れてしまえばむしろさっぱりとして心地よいものだった。その点は新藤とも共通している。

 気付けば一時間以上も長居してしまい、あやうく肝心のお菓子を忘れそうになってケラケラ笑われた。菊乃が匂いを頼りに自分で焼いているという自慢の柚子煎餅を一袋おまけしてくれた。



「先生、戻りました」

「おお」

「すみません、遅くなっちゃって。これ、買ってきました。お煎餅一袋はおまけですって」

「ということはお前の分だ」

 新藤は煎餅一袋を一希に渡し、残りの一袋を早速開けながら座敷の時計を見やる。

「随分と引き止められたな。まあ気に入られるだろうとは思ったが」

「楽しかったです。時間が経つのも忘れちゃいました」

「そりゃよかった」

 煎餅を一枚くわえて何やら分厚い本に目を落とした新藤に、

「菊乃さん、素敵な方ですね」

 探りを入れてみるも、

「素敵か。ものは言いようだな」

と素っ気ない。

「電球は玄関に出しといてくれ」

といつもの調子で言い、新藤は読んでいたものの続きに再び没頭した。


  * * * * * *


 その晩、一希は夢を見た。赤い、三日月の夢。帰宅後に、座敷に扇風機が出ていたのを見たせいかもしれない。

 幼い頃、たまにしか抱っこしてくれなかったその胸にしがみつき、くたびれた丸首のシャツを引っ張って素肌を覗き込んでは、無邪気に指先で触れた赤い三日月の形。周りの皮膚とは違うつるんとした感触が面白くて何度も輪郭をなぞりたがり、その度に顔をしかめられてたたみに下ろされてしまったものだ。

 扇風機がゆっくりと首を振るのを見る度に、今でも思い出す夏の風物詩。

 その三日月が見て見ぬふりをすべきものであることを一希が漠然と悟ったのは、小学校に上がる少し前のことだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

処理中です...