96 / 118
第4章 命賭す者
92 浴衣
しおりを挟む
まるで何か重大な一線を越えてしまったような気がして、翌朝は顔を合わせる自信がなく、一希は意図的に寝坊した。突き動かされるまま、あの場で目の前の新藤にいっそすがりついてしまえば、今頃は笑い話で済んでいたのだろうか。
新藤が出かけたのを見計らって起き出すと、クラス六の爆破処理は新聞やテレビでも大きく取り上げられていた。事故でも起きない限り、処理士の名前が表に出ることはそうそうない。作業開始を控えた現場の録画映像に、準備を進めるオレンジ色の後ろ姿が二つ、小さく映っていた。
同居しながら、しかも同じ仕事に関わりながら、相手をそうそう避け続けられるものではない。その日の夕方には寝室のドアがノックされた。一希は黙っておずおずとドアを開ける。
「埜岩から電話」
「あ、はい。ありがとうございます」
出てみると、デトンの安全化補助の依頼だった。もちろん引き受ける。
電話を切って戻ってくると、座卓にはノートや書類が広げられたままになっており、新藤は立ったついでとばかりに台所でスイカを貪っていた。一希が昨日半分に切っておいたものを流しの台に置いて、そこから直に。
受注を報告するつもりだった一希はつい笑みをこぼす。新藤がそれに気付き、引き出しからもう一つ先割れスプーンを出して「お前も食うか?」の目配せ。途端に昨晩からのモヤモヤが晴れ渡り、一希は満ち足りた気持ちになった。
流しの前に並んで立ち、甘そうなところを奪い合いながらあっという間に食べ尽くす。新藤は自分のスプーンを一希に手渡すと、座敷の書類に戻った。
一希はそのまま夕食の支度を始めた。何事もなかったようでありながら、確実に昨日までとは違う何かが一希の胸の奥を温めていた。
* * * * * *
去年の夏に一希が物欲しそうに眺めていた野々石公園の夏祭り。新藤はいつから計画していたのか、この祭りに檜垣家を巻き込んだ上で一希を誘った。しかも、着ていくものがないという一希に浴衣を貸してくれるよう、あらかじめ芳恵に頼んでおいてくれたらしい。
紺の地に白の牡丹柄。地味でごめんね、と芳恵は恐縮していたが、赤みがかったピンクの帯は、一希にはむしろ華やかすぎるぐらいに思われた。
一希に化粧をさせたがるミレイを丁重に制し、頬紅だけを芳恵に借りて薄く入れさせてもらう。
髪もあまり凝ったスタイルには慣れていないため、無理はするまいと低い位置で丸くまとめるだけにしたのだが、ミレイの手で耳周りに後れ毛を垂らされてしまった。確かにおしゃれ度は増した気がするが、何だか落ち着かない。張り切りすぎているようで痛々しく見えないだろうかと不安になってしまう。
二歳になったリアンまでもが浴衣を着せてもらっている中、新藤だけが藍色の半袖シャツにグレーのズボン、足元はスニーカーという出で立ちだった。檜垣が言うには、「貸してやると言ったのに、浴衣は好きじゃないと断られた」のだそうだ。きっと似合うだろうにと、一希は少々残念に思った。
かくして、五人家族プラス師弟の七人が揃った。綿菓子を手に出店を回り、地元有志の踊りを眺め、花火を見上げる。
「ケンケン、さっきから一希ちゃんに見とれっぱなしじゃない?」と騒ぐミレイに、赤面したのはどうやら一希だけ。黙ってろ、とばかりに人差し指を立てた新藤の余裕の身振りを、どう解釈したものか。
国内最長の樹齢を誇る香神杉をバックに皆で記念撮影をしようという時、新藤の腕が一希の肩に回った。
一希は思わず息を呑み、写真向けの笑顔をかろうじて作りながらも、温かなその重みに意識を集中させていた。この手に何もかも委ねてしまいたい。
そして、しみじみ思った。あの灯台で花火を見てから、一年が経ったのだと。
新藤が出かけたのを見計らって起き出すと、クラス六の爆破処理は新聞やテレビでも大きく取り上げられていた。事故でも起きない限り、処理士の名前が表に出ることはそうそうない。作業開始を控えた現場の録画映像に、準備を進めるオレンジ色の後ろ姿が二つ、小さく映っていた。
同居しながら、しかも同じ仕事に関わりながら、相手をそうそう避け続けられるものではない。その日の夕方には寝室のドアがノックされた。一希は黙っておずおずとドアを開ける。
「埜岩から電話」
「あ、はい。ありがとうございます」
出てみると、デトンの安全化補助の依頼だった。もちろん引き受ける。
電話を切って戻ってくると、座卓にはノートや書類が広げられたままになっており、新藤は立ったついでとばかりに台所でスイカを貪っていた。一希が昨日半分に切っておいたものを流しの台に置いて、そこから直に。
受注を報告するつもりだった一希はつい笑みをこぼす。新藤がそれに気付き、引き出しからもう一つ先割れスプーンを出して「お前も食うか?」の目配せ。途端に昨晩からのモヤモヤが晴れ渡り、一希は満ち足りた気持ちになった。
流しの前に並んで立ち、甘そうなところを奪い合いながらあっという間に食べ尽くす。新藤は自分のスプーンを一希に手渡すと、座敷の書類に戻った。
一希はそのまま夕食の支度を始めた。何事もなかったようでありながら、確実に昨日までとは違う何かが一希の胸の奥を温めていた。
* * * * * *
去年の夏に一希が物欲しそうに眺めていた野々石公園の夏祭り。新藤はいつから計画していたのか、この祭りに檜垣家を巻き込んだ上で一希を誘った。しかも、着ていくものがないという一希に浴衣を貸してくれるよう、あらかじめ芳恵に頼んでおいてくれたらしい。
紺の地に白の牡丹柄。地味でごめんね、と芳恵は恐縮していたが、赤みがかったピンクの帯は、一希にはむしろ華やかすぎるぐらいに思われた。
一希に化粧をさせたがるミレイを丁重に制し、頬紅だけを芳恵に借りて薄く入れさせてもらう。
髪もあまり凝ったスタイルには慣れていないため、無理はするまいと低い位置で丸くまとめるだけにしたのだが、ミレイの手で耳周りに後れ毛を垂らされてしまった。確かにおしゃれ度は増した気がするが、何だか落ち着かない。張り切りすぎているようで痛々しく見えないだろうかと不安になってしまう。
二歳になったリアンまでもが浴衣を着せてもらっている中、新藤だけが藍色の半袖シャツにグレーのズボン、足元はスニーカーという出で立ちだった。檜垣が言うには、「貸してやると言ったのに、浴衣は好きじゃないと断られた」のだそうだ。きっと似合うだろうにと、一希は少々残念に思った。
かくして、五人家族プラス師弟の七人が揃った。綿菓子を手に出店を回り、地元有志の踊りを眺め、花火を見上げる。
「ケンケン、さっきから一希ちゃんに見とれっぱなしじゃない?」と騒ぐミレイに、赤面したのはどうやら一希だけ。黙ってろ、とばかりに人差し指を立てた新藤の余裕の身振りを、どう解釈したものか。
国内最長の樹齢を誇る香神杉をバックに皆で記念撮影をしようという時、新藤の腕が一希の肩に回った。
一希は思わず息を呑み、写真向けの笑顔をかろうじて作りながらも、温かなその重みに意識を集中させていた。この手に何もかも委ねてしまいたい。
そして、しみじみ思った。あの灯台で花火を見てから、一年が経ったのだと。
0
あなたにおすすめの小説
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
愛のかたち
凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。
ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は……
情けない男の不器用な愛。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる