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36 謹賀新年【最終話】
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「リンダさん、すいません。もう大丈夫ですから、行ってください。私なんかに構ってる場合じゃ……」
「ほっといてほしかったら、なんで家にいないですか?」
……怒られた。
「ゔ、ゔぇぇぇ」
「人といたいだから、ここにいるでしょ。ね、由実さん」
「ゔぇぇぇぇぇん、ゔぇぇぇぇぇん」
その時、外からカウントダウンの声が聞こえ始めた。
「五十八、五十七……」
「あ、リンダさん行ってください外。年越さないと。ちゃんとジョニーさんとっ!」
「いいです。あの人、だいじょぶ」
「だいじょぶじゃない!」
「陽はまた、昇ります」
ぶふっ。何だそれ、ギャグか。
「四十五、四十四……」
「ちょっとリンダさんお願いだから。やだから私」
「やだじゃない。由実さんと、一緒に行く」
うーん、わからず屋め。
「三十六、三十五……」
あっ、あっ、どうしよ。明けちゃう明けちゃう。せめて鼻をかみたい。ペーパーを取り、ブーッと思い切り鼻をかんだ。それを便器に流し、何とか立ち上がる。うぅっ、気持ち悪い。
「二十二、二十一……」
「てってっ手を」
「洗う。はい」
リンダさんが手伝ってくれて、手を洗う。しかし。
「う、うぅぅぅぉええっっっ」
まだ余ゲロがあったらしい。さっき飲んだ水で促されてしまったか。ギリギリ便器に吐けたからいいようなものの。
「あーあ」
リンダさんの「あーあ」は、日本語ネイティブ並みの完璧なイントネーションだった。
ペッペッと全部吐き切り、もう一度鼻をかむ。……その時。
わぁっと歓声が上がった。それに続いてボォーという汽笛。一つや二つではなさそうだ。そして、パ・パーンと花火の音。パーン、パ・パ・パーン。
「……明けた?」
「明けた」
「あ……あはは、あはあはあは」
もう笑いが止まらない。
「明けまして、おめでと」
「おめでとう、リンダさん。あっははは、何やってんですか、ほんともう」
こんな酔っ払いと男子トイレで明けちゃったリンダさん、可笑しすぎる。
「花火、見る」
とリンダさんは宣言し、私をしっかりと支えた。
「うん、行こ」
よろつきながらデッキに上がると、まばゆい光が次々と空へ駆け上り、横浜の夜を照らしていた。デッキのど真ん中では、ジョニーさんが日本人女性っぽい集団とノリノリで乾杯している。なるほど、だいじょぶだ、この人は。娘たちは、そんな親父の写真を撮ってはキャハキャハ笑い転げていた。
私たちはこんなに浮かれて盛り上がってるけど、今この瞬間に死んだ人も多分世界のどこかにはいるよなあ、なんてことを考えてしまう。今年もどうやら、私のネガティブは絶好調。
汽笛が鳴り止み、周囲の祝賀ラッシュがご歓談モードにまで治まると、リンダさんが不意にこんなことを言った。
「由実さん、船乗っただけど、まだこれしか来てない」
と、すぐそこに見えている陸との距離を手で示す。
「もっと漕がないと、何もわからない」
「うん、そうだね……」
しんみりしかけていたのに、見上げるとそこには、うまいこと言った風なリンダさんのドヤ顔。
「リンダさん、もおー!」
気付けば私は、彼女に抱きついていた。その細い体から、あったかいハグが返ってくる。今日初めて会った人なのに、私は勝手にすっかり友達気分だった。
さんざん泣き、吐いた後だし、メイクも中途半端に落ちて、私はさぞかしひどい顔をしているだろう。でも、リンダさんたちと写真を撮りたい。ちゃんと出会えたことを、知らせてあげたい。きっと……ニコニコしてくれる。
「うっ……ゔぇぇぇ」
「また泣く」
「ゔぇぇぇぇぇん、ごべんださいぃぃ」
「あ、由実さん」
「ふぇ」
「アイス。アイス出てきた。食べよ」
「んえ?」
どこに出てきたのかと見回す間もなく、リンダさんに連行される。
先を争う人々に私がもみくちゃにされている間に、リンダさんが私の分も取ってきてくれた。バニラにチョコレート、ストロベリー、カフェオレ、あとは何だろう、マンゴーと青リンゴ、かな?
「すごい、リンダさん。グッジョブ」
「すごい。おいしい」
「うん、おいしい」
吐いた後だから余計にかもしれないが、どれも絶品だった。すぐ傍で、若い男の子たちが背中を丸めてアイスを食べながら「てゆーか寒くね?」を連発しているのがかわいい。
観覧車の時計は、〇時二十分を告げていた。今年が、もう始まっている。
船を、出さなければ。
沖へ……行けるところまで。
私の、涙腺と腹筋が闘っていた。アイスを投入して腹筋を応援する。
ふと見上げれば、地上の光を映した灰色の空。しかし、その向こうに、新年の抱負でも語り合うかのように懸命に瞬く星たちが見えるような気がした。
【了】
「ほっといてほしかったら、なんで家にいないですか?」
……怒られた。
「ゔ、ゔぇぇぇ」
「人といたいだから、ここにいるでしょ。ね、由実さん」
「ゔぇぇぇぇぇん、ゔぇぇぇぇぇん」
その時、外からカウントダウンの声が聞こえ始めた。
「五十八、五十七……」
「あ、リンダさん行ってください外。年越さないと。ちゃんとジョニーさんとっ!」
「いいです。あの人、だいじょぶ」
「だいじょぶじゃない!」
「陽はまた、昇ります」
ぶふっ。何だそれ、ギャグか。
「四十五、四十四……」
「ちょっとリンダさんお願いだから。やだから私」
「やだじゃない。由実さんと、一緒に行く」
うーん、わからず屋め。
「三十六、三十五……」
あっ、あっ、どうしよ。明けちゃう明けちゃう。せめて鼻をかみたい。ペーパーを取り、ブーッと思い切り鼻をかんだ。それを便器に流し、何とか立ち上がる。うぅっ、気持ち悪い。
「二十二、二十一……」
「てってっ手を」
「洗う。はい」
リンダさんが手伝ってくれて、手を洗う。しかし。
「う、うぅぅぅぉええっっっ」
まだ余ゲロがあったらしい。さっき飲んだ水で促されてしまったか。ギリギリ便器に吐けたからいいようなものの。
「あーあ」
リンダさんの「あーあ」は、日本語ネイティブ並みの完璧なイントネーションだった。
ペッペッと全部吐き切り、もう一度鼻をかむ。……その時。
わぁっと歓声が上がった。それに続いてボォーという汽笛。一つや二つではなさそうだ。そして、パ・パーンと花火の音。パーン、パ・パ・パーン。
「……明けた?」
「明けた」
「あ……あはは、あはあはあは」
もう笑いが止まらない。
「明けまして、おめでと」
「おめでとう、リンダさん。あっははは、何やってんですか、ほんともう」
こんな酔っ払いと男子トイレで明けちゃったリンダさん、可笑しすぎる。
「花火、見る」
とリンダさんは宣言し、私をしっかりと支えた。
「うん、行こ」
よろつきながらデッキに上がると、まばゆい光が次々と空へ駆け上り、横浜の夜を照らしていた。デッキのど真ん中では、ジョニーさんが日本人女性っぽい集団とノリノリで乾杯している。なるほど、だいじょぶだ、この人は。娘たちは、そんな親父の写真を撮ってはキャハキャハ笑い転げていた。
私たちはこんなに浮かれて盛り上がってるけど、今この瞬間に死んだ人も多分世界のどこかにはいるよなあ、なんてことを考えてしまう。今年もどうやら、私のネガティブは絶好調。
汽笛が鳴り止み、周囲の祝賀ラッシュがご歓談モードにまで治まると、リンダさんが不意にこんなことを言った。
「由実さん、船乗っただけど、まだこれしか来てない」
と、すぐそこに見えている陸との距離を手で示す。
「もっと漕がないと、何もわからない」
「うん、そうだね……」
しんみりしかけていたのに、見上げるとそこには、うまいこと言った風なリンダさんのドヤ顔。
「リンダさん、もおー!」
気付けば私は、彼女に抱きついていた。その細い体から、あったかいハグが返ってくる。今日初めて会った人なのに、私は勝手にすっかり友達気分だった。
さんざん泣き、吐いた後だし、メイクも中途半端に落ちて、私はさぞかしひどい顔をしているだろう。でも、リンダさんたちと写真を撮りたい。ちゃんと出会えたことを、知らせてあげたい。きっと……ニコニコしてくれる。
「うっ……ゔぇぇぇ」
「また泣く」
「ゔぇぇぇぇぇん、ごべんださいぃぃ」
「あ、由実さん」
「ふぇ」
「アイス。アイス出てきた。食べよ」
「んえ?」
どこに出てきたのかと見回す間もなく、リンダさんに連行される。
先を争う人々に私がもみくちゃにされている間に、リンダさんが私の分も取ってきてくれた。バニラにチョコレート、ストロベリー、カフェオレ、あとは何だろう、マンゴーと青リンゴ、かな?
「すごい、リンダさん。グッジョブ」
「すごい。おいしい」
「うん、おいしい」
吐いた後だから余計にかもしれないが、どれも絶品だった。すぐ傍で、若い男の子たちが背中を丸めてアイスを食べながら「てゆーか寒くね?」を連発しているのがかわいい。
観覧車の時計は、〇時二十分を告げていた。今年が、もう始まっている。
船を、出さなければ。
沖へ……行けるところまで。
私の、涙腺と腹筋が闘っていた。アイスを投入して腹筋を応援する。
ふと見上げれば、地上の光を映した灰色の空。しかし、その向こうに、新年の抱負でも語り合うかのように懸命に瞬く星たちが見えるような気がした。
【了】
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不倫というジャンルながら、どのようにこのタイトルと結びつくんだろう?と気になって、読み始めました。読み終えると、なるほどそれでこのタイトルなのか、と納得、さらにはタイトルのチョイスにもおもしろみを感じました^^
ヒデの考え方も、和気さんの考え方も、今まで私が出会ったことのないタイプでした。なので、ただの不倫のお話の枠に留まらず、未知の人生観に触れているようで、新鮮な気持ちで読ませていただきました!
降矢めぐみ様、
ご感想どうもありがとうございます!
タイトル回収、お楽しみいただけたようで嬉しいです☆ 主役の二人はそれぞれちょっと変わったところがあるだけに好みが分かれやすいと思いますが、新鮮味を感じていただけてよかったです。ありがとうございました!
最後まで読ませて頂きました。
ヒデちゃんの涙が素敵でした。
「出航、前夜」というタイトルに、なるほどと頷いてしまいました。
和気さんのお話も、どれも素敵でした。
ヒデちゃんの今後が良いものであるといいなと、応援したくなる作品でした。
春日千夜様、
読了そしてご感想、どうもありがとうございます! 世の中を斜めに見ているような、幸福をどこか諦めているようなヒデちゃんを泣かせることは、この作品にとって必須だったと思っております。それだけに、彼女の涙が印象に残ったのであれば、これほど嬉しいことはありません。
タイトルには普段苦戦することが多いのですが、今回はなぜかすんなり決まったんですよねぇ。お読みいただいた上で納得感があったようで良かったです。
和気さんはストーリー上の立ち位置が複雑で、この人の描き方を誤るとすべてが台無しになりそうな怖さがありましたが、最終的には彼というキャラクターがすべてを引っ張ってくれた感じです。
とてもじっくりとお読みいただけたようで、作者冥利に尽きます。うちのヒデちゃんをかわいがってくださって、ありがとうございました!
不可思議な、一般的とは思えない由美の恋愛観。その視点からの不倫をも厭わない恋心を描いた不思議な作品。中々趣があって面白いです。
どうやら由美はこれまで、のらりくらりと上手く波乱から逃れられていた様子。勿論運もあったんだろうけど、成就しても幸せにはなりにくい不倫でさえ、どこか達観したような心持ちで、受け入れている心情が、読者としてはハラハラするというか、どうなるんだろうと先が気になりました。
引き続き更新楽しみにしております。
やまたけ様、
ご感想どうもありがとうございます! この不可思議感、おわかりいただけて光栄です! 波乱から逃れる運の良さや達観という部分はあまり意識していませんでしたが、言われてみればそうだなぁと、彼女の新たな一面を見せていただいた思いです☆ ハラハラしてくださってありがとうございます。続きもぜひお楽しみください!!