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第1章 天下の遊び人
4 再訪
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居酒屋やファーストフード、カラオケ、漫画喫茶などが並ぶ駅前通りは悦子にとってもお馴染みのエリアで、安く長居できる店もすぐに思い浮かぶ。今しがた後にしたのもその一つだ。
片側二車線の大通りを渡って五分ほど歩くと、先日デモランジュに行った時初めて足を踏み入れたゾーンだ。「知る人ぞ知る」といったムードの焼き鳥屋やバーの間を抜けると、アルファベットの看板が目立つ路地。楽器がデザインされたロゴや入口の貼り紙から察するに、ライブハウスや貸しスタジオといった業者だろうか。
その突き当たりを一見何もなさそうな通りへ折れると、まず駐車場のPが目に入り、向かいに愛想のない灰色のビル。その片隅にドア一つ分の入口が開き、紺色の地に山吹色の文字がDemo-l‘angeの名を描き出している。たまたま通りかかった、などという言い訳はおよそ通用しない立地だ。
入口には十人ほどの列。前の方はすでに入店を果たした後らしい。悦子は順番を待ち、特に不審がられることもなく正規の入店料を支払い、ドリンクチケットを受け取って階段を下りた。
ダンスフロアとトイレ横の通路には大輝の姿はない。二階のVIP席には誰もいないようだ。
(ちょっと待ってみるか……)
幸い座席には余裕がある。バーでスクリュードライバーを頼み、前回と同じ席に座ると、ちょうど隣のテーブルにフライドポテトを運び終えた若いウェイトレス風の女性と目が合った。
「あら? あなた、こないだの……」
悦子の方は全く見覚えがない。
「大丈夫だった? 青白くなっちゃって、心配したよ」
「ああ、あの……すみません、その節は、お手を煩わせまして」
妙な薬を飲まされた後、意識が朦朧としている間にきっと彼女にも世話になったのだろう。
「こちらこそ、ごめんなさいね。うちの店であんな目に……。気を付けて見てはいるつもりなんだけど、ちょっと目が届かなかったみたいで」
「いえ、そんな……。私が気を付けてればよかったんです。すみません、本当に」
「あ、申し遅れまして。私、関口アンナ」
「あ、どうも。柿村悦子です」
「ありがとね、懲りずにまた来てくれて。ね、あの人やっぱり知り合いじゃなかったの?」
「あの人? って、峰岸大輝……さん?」
「違うよ。あなたのこと、抱き抱えてトイレに連れてった人。大輝がね、絶対あいつが薬入れたんだって言い張って……」
「えっ?」
「大輝から聞いてない? あれヤバくねーかって、最初に気付いたのが大輝だったの」
「そう……だったんだ……」
「やだあ、あの人ほんとに怪しかったんだ。一緒に男子トイレの個室に入ろうとしてたからね、お連れ様でもそれは困りますって、私が悦子ちゃんだけ女子トイレに連れてったの」
(一緒に個室に入ろうと……?)
記憶がないとは恐ろしい。
「大輝ったらそりゃもうブチ切れてね、私が悦子ちゃん吐かせようとしてる間に、危うくつかみ合いになりそうでハラハラしちゃった」
(危うくつかみ合いに……? 峰岸大輝が、その男と?)
「でも、タクローが止めに入ってね。あ、タクローってここの店長なんだけど。証拠もないのに警察突き出すとかは一応まずいだろうってことになって。でも、もしこれから被害届とか出すんだったら、もちろん協力するから。私たち三人、そいつの顔見てるし」
「あ、いえ、そこまでは……。お陰様で無事だったわけだし」
しかし、気付いてもらえていなかったら、今頃どうなっていたのだろう。薬を飲ませて、個室に連れ込んで、何をする気だったのかは考えるまでもない。恐怖で今さら鳥肌が立った。
「悦子ちゃん、結局あんまり吐けなかったんだよね」
「あの、本当にすみません、そんなことのお世話まで……」
その後を引き継いだ大輝が、自宅できっちり吐かせてくれたというわけだ。
「いいの、悦子ちゃんのせいじゃないし、帰りは大輝が面倒見るって言ってくれたし」
しかし、名高いプレイボーイに前後不覚の女性を預けるなんて……。薬を飲まされてトイレに連れ込まれるのと同じ結果になるとは考えなかったのだろうか。
(それとも、私みたいな奴なら食われないとでも? まあ、実際食われなかったけど……)
ついひがみっぽくなるのは悪い癖だと自覚している。悦子は慌ててマイナスの発想を打ち消した。アンナはくりっとした邪気のない目を悦子に向け、気を遣った口調で言った。
「今日は……大輝、来ないよ」
「あ、あの、別に……」
「大体月一か二ぐらいで顔出してはくれるんだけどね。月火が多いかな。比較的空いてるから。あ、再来週の火曜日には来るはずだけど」
「そう……なんだ」
がっかりしたのを悟られまいと、悦子は精一杯何でもないような顔を作った。
「さて、と。私、そろそろ戻るね」
「あ、ごめん……ね。お仕事中に」
アンナが年下であることは間違いなさそうだが、初対面の相手と「タメ口」をきくタイミングというのは、悦子の日頃からの疑問だ。アンナは悦子のことを幾つだと思っているのかわからないが、そのためらいのない人懐こさに、悦子もいつになく自然な親しみを覚えた。
「あの、今度来たら、よろしく言っといて……くれる?」
「そんなこと言わないで、また来て直接言ってあげてよ。ね。じゃ、ごゆっくり」
ごゆっくりと言われても、今日ここに来た唯一の目的が果たせないとわかった以上、長居は無用だった。しかし、大輝がいないと言われた途端にそそくさと立ち去るのも気が引ける。悦子は、思い思いに時間を過ごす人々を眺めながらグラスを傾けた。
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片側二車線の大通りを渡って五分ほど歩くと、先日デモランジュに行った時初めて足を踏み入れたゾーンだ。「知る人ぞ知る」といったムードの焼き鳥屋やバーの間を抜けると、アルファベットの看板が目立つ路地。楽器がデザインされたロゴや入口の貼り紙から察するに、ライブハウスや貸しスタジオといった業者だろうか。
その突き当たりを一見何もなさそうな通りへ折れると、まず駐車場のPが目に入り、向かいに愛想のない灰色のビル。その片隅にドア一つ分の入口が開き、紺色の地に山吹色の文字がDemo-l‘angeの名を描き出している。たまたま通りかかった、などという言い訳はおよそ通用しない立地だ。
入口には十人ほどの列。前の方はすでに入店を果たした後らしい。悦子は順番を待ち、特に不審がられることもなく正規の入店料を支払い、ドリンクチケットを受け取って階段を下りた。
ダンスフロアとトイレ横の通路には大輝の姿はない。二階のVIP席には誰もいないようだ。
(ちょっと待ってみるか……)
幸い座席には余裕がある。バーでスクリュードライバーを頼み、前回と同じ席に座ると、ちょうど隣のテーブルにフライドポテトを運び終えた若いウェイトレス風の女性と目が合った。
「あら? あなた、こないだの……」
悦子の方は全く見覚えがない。
「大丈夫だった? 青白くなっちゃって、心配したよ」
「ああ、あの……すみません、その節は、お手を煩わせまして」
妙な薬を飲まされた後、意識が朦朧としている間にきっと彼女にも世話になったのだろう。
「こちらこそ、ごめんなさいね。うちの店であんな目に……。気を付けて見てはいるつもりなんだけど、ちょっと目が届かなかったみたいで」
「いえ、そんな……。私が気を付けてればよかったんです。すみません、本当に」
「あ、申し遅れまして。私、関口アンナ」
「あ、どうも。柿村悦子です」
「ありがとね、懲りずにまた来てくれて。ね、あの人やっぱり知り合いじゃなかったの?」
「あの人? って、峰岸大輝……さん?」
「違うよ。あなたのこと、抱き抱えてトイレに連れてった人。大輝がね、絶対あいつが薬入れたんだって言い張って……」
「えっ?」
「大輝から聞いてない? あれヤバくねーかって、最初に気付いたのが大輝だったの」
「そう……だったんだ……」
「やだあ、あの人ほんとに怪しかったんだ。一緒に男子トイレの個室に入ろうとしてたからね、お連れ様でもそれは困りますって、私が悦子ちゃんだけ女子トイレに連れてったの」
(一緒に個室に入ろうと……?)
記憶がないとは恐ろしい。
「大輝ったらそりゃもうブチ切れてね、私が悦子ちゃん吐かせようとしてる間に、危うくつかみ合いになりそうでハラハラしちゃった」
(危うくつかみ合いに……? 峰岸大輝が、その男と?)
「でも、タクローが止めに入ってね。あ、タクローってここの店長なんだけど。証拠もないのに警察突き出すとかは一応まずいだろうってことになって。でも、もしこれから被害届とか出すんだったら、もちろん協力するから。私たち三人、そいつの顔見てるし」
「あ、いえ、そこまでは……。お陰様で無事だったわけだし」
しかし、気付いてもらえていなかったら、今頃どうなっていたのだろう。薬を飲ませて、個室に連れ込んで、何をする気だったのかは考えるまでもない。恐怖で今さら鳥肌が立った。
「悦子ちゃん、結局あんまり吐けなかったんだよね」
「あの、本当にすみません、そんなことのお世話まで……」
その後を引き継いだ大輝が、自宅できっちり吐かせてくれたというわけだ。
「いいの、悦子ちゃんのせいじゃないし、帰りは大輝が面倒見るって言ってくれたし」
しかし、名高いプレイボーイに前後不覚の女性を預けるなんて……。薬を飲まされてトイレに連れ込まれるのと同じ結果になるとは考えなかったのだろうか。
(それとも、私みたいな奴なら食われないとでも? まあ、実際食われなかったけど……)
ついひがみっぽくなるのは悪い癖だと自覚している。悦子は慌ててマイナスの発想を打ち消した。アンナはくりっとした邪気のない目を悦子に向け、気を遣った口調で言った。
「今日は……大輝、来ないよ」
「あ、あの、別に……」
「大体月一か二ぐらいで顔出してはくれるんだけどね。月火が多いかな。比較的空いてるから。あ、再来週の火曜日には来るはずだけど」
「そう……なんだ」
がっかりしたのを悟られまいと、悦子は精一杯何でもないような顔を作った。
「さて、と。私、そろそろ戻るね」
「あ、ごめん……ね。お仕事中に」
アンナが年下であることは間違いなさそうだが、初対面の相手と「タメ口」をきくタイミングというのは、悦子の日頃からの疑問だ。アンナは悦子のことを幾つだと思っているのかわからないが、そのためらいのない人懐こさに、悦子もいつになく自然な親しみを覚えた。
「あの、今度来たら、よろしく言っといて……くれる?」
「そんなこと言わないで、また来て直接言ってあげてよ。ね。じゃ、ごゆっくり」
ごゆっくりと言われても、今日ここに来た唯一の目的が果たせないとわかった以上、長居は無用だった。しかし、大輝がいないと言われた途端にそそくさと立ち去るのも気が引ける。悦子は、思い思いに時間を過ごす人々を眺めながらグラスを傾けた。
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