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第1章 天下の遊び人
13 ドン・ファンの守備範囲
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「あの、こんなこと聞くのは……あれなんですけど」
「ぜひ聞きたいねえ、あれなこと」
「私のこと……何ていうか、見たいとか触りたいとか、思う……んですか?」
「ちょっと、やめてよ。今、一生懸命考えないようにしてんだからさ」
大輝は苦笑いのまま両手で目を覆うと、たっぷり九十度下を向いた。
「つまり……誰でもいいんですね」
「はあ?」
と、大輝はオクターブ幅の声を上げる。
「いわゆる、あれですか? 守備範囲広いとか、ハードル低いとかってやつですか?」
「守備範囲は広いだろうね。まあ女性に限らずだけど、いろんな種類の人に興味が湧いちゃうから。でも、断じてハードルは低くない。だって、なんで下げなきゃいけないの?」
大輝はそんなことをさらっと言い、大根おろしをたっぷり載せた卵焼きを口に入れた。悦子は、驕りだの嫌味だのと咎める気すら起きない。大輝が妥協せずとも素敵な女性たちと仲良くできるというのは紛れもない事実だ。しかし悦子には、そんな大輝がなぜ自分などを気にかけるのかがわからなかった。大輝は不意に悦子の方に向き直り、首をかしげる。
「じゃあさ、君はどう思ってんの? 俺のこと」
「えっ? あの、どうって……」
「見たいとか触りたいとか、思ってるわけですか?」
なんてはしたない話を自分から始めてしまったのだろうと、悦子は今さら悔やんだ。イエスでもノーでも誤答だという気がした。その時、大輝がくすりと笑って言った。
「ごめんごめん、セクハラオヤジだな、これじゃ」
と、ざる豆腐の端を崩しにかかる。
「あの……とても優しい人だなって……」
大輝の手が止まった。
「それに……私の暗い話もちゃんと聞いてくれるし。私みたいなダメな人間に、どうしてこんなに良くしてくれるんだろうって……」
「だからさ、なんでそう自分のこと……」
「私、どこにいてもなんか浮いちゃって、友達もいないし、きっとこのまま……」
「作ればいいじゃん、友達なんか、今からいくらでも」
「……なってくれますか? 大輝さん」
「友達に?」
「初めてなんです。誰かと一緒にいて、こんなに楽しくて、安心できるの」
大輝は真顔で悦子を見つめ、しばらく考え込んでから言った。
「つまり、男として見てはいない、と」
「えっ? あの……何ていうか、そういう風にはちょっと、考えてもみなくて」
「じゃあ、考えてみてくれない? 今度会う時までに」
(今度会う……?)
「ほら、これ、食べないと持ってかれちゃうよ」
と大輝が指差したのは、焼き鳥の串に一つだけ残ったレバーだ。二人の遠慮の結晶だと思うと、悦子はそれを懐に入れて大事に持って帰りたいような衝動に駆られた。
「あの……よかったら一つだけでもどうぞ。もう冷めちゃってるとは思いますけど……」
「え? いいよ。まあ、君がどうしても食べさせるって言うなら別だけど」
「はい。どうしても、どうぞ」
酔った勢いもあって悦子が強情を張ると、大輝は先を促すように肩をすくめた。
(えっ? どうしても……食べさせる?)
何をリクエストされているのかを奇跡的に理解した悦子は、意を決して串を手に取った。中央付近に残った最後のレバーを見下ろし、これをどうやって食べさせればよいのかとしばし思案していると、大輝が囁いた。
「いいよ、そのままで」
悦子は困惑しながら串を横にし、大輝の目の前へと遠慮がちに差し出す。大輝は串の反対側の先端をつまんで軽く持ち上げると、悦子の目の前でおもむろに首を傾け、レバーの塊の半分をかじった。ほんの一瞬後、その口が残りの半分をけだるそうに斜め上からむしり取り、最後に唇からわずかに覗いた舌の先が、串の中央をチロッと舐めた。
「んー。ああ、こりゃ確かにうまいわ。ごちそうさま」
悦子は、至近距離で繰り広げられたわずか数秒の官能的な視覚サービスに絶句していた。こちらこそ、ごちそうさまだ。すっかり裸になった串を皿の上に戻すことすら忘れていた。
テキパキと会計を済ませた大輝に千円札数枚を差し出すと、大輝はそこから一枚だけをつまんだ。帰りの電車の中で思い切ってメッセージアプリのIDを聞いてみると、あっさりその場で「ふるふる」してくれた。電車を降りるのは大輝の方が先だった。
「今日はどうもありがとね。じゃ、また近いうち」
大輝がさっと上げた手の平を、悦子は指差して声を上げた。
「それ……」
あっ、と慌てて握った右手を、大輝は時すでに遅しと観念して再び開く。中央に、幼稚園児も顔負けの特大フォントの金釘文字が踊っていた。「キウイサワー」と。悦子は思わず噴き出して言った。
「二択って言ったくせに……インチキだったんですね」
「どんなインチキでもするよ。君の気を引くためならね」
と笑い、大輝は扉の向こう側の人となった。
帰宅後、悦子は今度こそ放置しないようにと、早速メッセージを送った。今日のお礼を丁重に述べた後、こう締めくくった。
〈来週の定例会には、またお邪魔しようと思っています。柿村悦子〉
予告したからといって何が変わるわけでもないだろうが、大輝に会えるようにと縁起を担ぐような、おまじないでもかけるような心境で、悦子はそう書いた。
「ぜひ聞きたいねえ、あれなこと」
「私のこと……何ていうか、見たいとか触りたいとか、思う……んですか?」
「ちょっと、やめてよ。今、一生懸命考えないようにしてんだからさ」
大輝は苦笑いのまま両手で目を覆うと、たっぷり九十度下を向いた。
「つまり……誰でもいいんですね」
「はあ?」
と、大輝はオクターブ幅の声を上げる。
「いわゆる、あれですか? 守備範囲広いとか、ハードル低いとかってやつですか?」
「守備範囲は広いだろうね。まあ女性に限らずだけど、いろんな種類の人に興味が湧いちゃうから。でも、断じてハードルは低くない。だって、なんで下げなきゃいけないの?」
大輝はそんなことをさらっと言い、大根おろしをたっぷり載せた卵焼きを口に入れた。悦子は、驕りだの嫌味だのと咎める気すら起きない。大輝が妥協せずとも素敵な女性たちと仲良くできるというのは紛れもない事実だ。しかし悦子には、そんな大輝がなぜ自分などを気にかけるのかがわからなかった。大輝は不意に悦子の方に向き直り、首をかしげる。
「じゃあさ、君はどう思ってんの? 俺のこと」
「えっ? あの、どうって……」
「見たいとか触りたいとか、思ってるわけですか?」
なんてはしたない話を自分から始めてしまったのだろうと、悦子は今さら悔やんだ。イエスでもノーでも誤答だという気がした。その時、大輝がくすりと笑って言った。
「ごめんごめん、セクハラオヤジだな、これじゃ」
と、ざる豆腐の端を崩しにかかる。
「あの……とても優しい人だなって……」
大輝の手が止まった。
「それに……私の暗い話もちゃんと聞いてくれるし。私みたいなダメな人間に、どうしてこんなに良くしてくれるんだろうって……」
「だからさ、なんでそう自分のこと……」
「私、どこにいてもなんか浮いちゃって、友達もいないし、きっとこのまま……」
「作ればいいじゃん、友達なんか、今からいくらでも」
「……なってくれますか? 大輝さん」
「友達に?」
「初めてなんです。誰かと一緒にいて、こんなに楽しくて、安心できるの」
大輝は真顔で悦子を見つめ、しばらく考え込んでから言った。
「つまり、男として見てはいない、と」
「えっ? あの……何ていうか、そういう風にはちょっと、考えてもみなくて」
「じゃあ、考えてみてくれない? 今度会う時までに」
(今度会う……?)
「ほら、これ、食べないと持ってかれちゃうよ」
と大輝が指差したのは、焼き鳥の串に一つだけ残ったレバーだ。二人の遠慮の結晶だと思うと、悦子はそれを懐に入れて大事に持って帰りたいような衝動に駆られた。
「あの……よかったら一つだけでもどうぞ。もう冷めちゃってるとは思いますけど……」
「え? いいよ。まあ、君がどうしても食べさせるって言うなら別だけど」
「はい。どうしても、どうぞ」
酔った勢いもあって悦子が強情を張ると、大輝は先を促すように肩をすくめた。
(えっ? どうしても……食べさせる?)
何をリクエストされているのかを奇跡的に理解した悦子は、意を決して串を手に取った。中央付近に残った最後のレバーを見下ろし、これをどうやって食べさせればよいのかとしばし思案していると、大輝が囁いた。
「いいよ、そのままで」
悦子は困惑しながら串を横にし、大輝の目の前へと遠慮がちに差し出す。大輝は串の反対側の先端をつまんで軽く持ち上げると、悦子の目の前でおもむろに首を傾け、レバーの塊の半分をかじった。ほんの一瞬後、その口が残りの半分をけだるそうに斜め上からむしり取り、最後に唇からわずかに覗いた舌の先が、串の中央をチロッと舐めた。
「んー。ああ、こりゃ確かにうまいわ。ごちそうさま」
悦子は、至近距離で繰り広げられたわずか数秒の官能的な視覚サービスに絶句していた。こちらこそ、ごちそうさまだ。すっかり裸になった串を皿の上に戻すことすら忘れていた。
テキパキと会計を済ませた大輝に千円札数枚を差し出すと、大輝はそこから一枚だけをつまんだ。帰りの電車の中で思い切ってメッセージアプリのIDを聞いてみると、あっさりその場で「ふるふる」してくれた。電車を降りるのは大輝の方が先だった。
「今日はどうもありがとね。じゃ、また近いうち」
大輝がさっと上げた手の平を、悦子は指差して声を上げた。
「それ……」
あっ、と慌てて握った右手を、大輝は時すでに遅しと観念して再び開く。中央に、幼稚園児も顔負けの特大フォントの金釘文字が踊っていた。「キウイサワー」と。悦子は思わず噴き出して言った。
「二択って言ったくせに……インチキだったんですね」
「どんなインチキでもするよ。君の気を引くためならね」
と笑い、大輝は扉の向こう側の人となった。
帰宅後、悦子は今度こそ放置しないようにと、早速メッセージを送った。今日のお礼を丁重に述べた後、こう締めくくった。
〈来週の定例会には、またお邪魔しようと思っています。柿村悦子〉
予告したからといって何が変わるわけでもないだろうが、大輝に会えるようにと縁起を担ぐような、おまじないでもかけるような心境で、悦子はそう書いた。
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