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第5章 もう一つの卒業
66 断捨離
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次の定例会に、またしても大輝の姿はなかった。一人が「大輝は?」と尋ねると、何人かが顔を見合わせて頷き合う。
「あいつ、今忙しいんだよな」
「何? 何かあったの?」
「断捨離決行中……らしいよ」
「断捨離? 模様替えでもすんのか?」
「違うよ。セフレの方。連日一人ずつ呼び出して、バッサバッサ切り捨ててんだってよ」
「マジで? それって……」
「数を減らすだけなら適当にフェードアウトでいいはずだから、まあいよいよ本命に絞るってことだろな」
「ちょっと、本命って誰よ? もしかして、あれか? 東条ユキ」
「ああ、ウェブデザイナーか何かの? ま、確かに長いよなあ、あの子は」
「もう、かれこれ二年だろ? 付き合ってるみたいなもんじゃん」
「ようやく実るわけか。大輝の長年の女遊びにピリオドを打たせるとは、大したもんだ」
(断捨離、か……)
大輝がついに光を見出し、幸せをつかもうとしているのだとすれば、もちろん応援したい。しかし、自分が呼び出され、切り捨てられる番がいつ回ってくるかと考えると、悦子は憂鬱この上なかった。
あのドライブの後の一夜を思い出す。二人で大輝の部屋にいながら体を交えなかったせいか、いつもにも増して恋人同士の心地がする夜だった。大輝との最後の時間にはふさわしかったかもしれない。あるいは、悦子にわざわざあんな思い出話をしたのも、別れ話の序章のつもりだったのだろうか。
その後の皆の会話は、ほとんど悦子の頭に入ってこなかった。店員用ロッカーに預けさせてもらっていたダッフルコートを羽織りながら、ふと思い出す。このコートを着て初めてこの店を訪れた日のことを。いつの間にか次の冬がもう来ていたんだな、としばし感傷に浸る。
この幸せがもう少し続いてくれたらという思いは拭えないが、後悔は微塵もなかった。遊びとして飛び込んだ世界だったけれど、私にとっては恋だったと、もしかしたら最初で最後になるかもしれない、大切な恋だったと、悦子はようやく認めることができた。
しかし、いざその日が来たら果たして、ありがとうと言えるだろうか。笑顔でさよならを言えるだろうか。そして、大輝の幸せを心から祈ってやれるだろうか。
悦子の気持ちはそれから毎日揺れに揺れた。定例会で耳にした東条ユキという名が頭から離れなかった。大輝が本命に選んだのはどんな女だろうと想像し、嫉妬の炎を燃やした。一方で、全ては噂にすぎない、本当は疲れて休んでいるだけかもしれない、と気休めを呟いてもみた。しかし、その可能性が低いこともわかっている。
ある晩、一人酒を一杯余計に飲んだ勢いで、悦子は大輝に電話をかけた。呼び出し音を聞きながらも、期待はしていなかった。大輝だって関係を断ち切る予定の女からの電話に出る義理はない。だから、
「もしもし」
と愛しい声が聞こえた時、悦子は思わず、
「え?」
と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「何? 間違い電話?」
「あ、うん。間違えたかも」
「何だそれ」
と大輝が笑う。心を満たす、心地よい響き。それだけに切なかった。
「最近来ないね、定例会」
「ああ、まあ、なんだかんだで行きそびれてて」
「しばらく見かけないから、みんな心配してたよ」
「よろしく言っといてくれてありがと。今、家?」
「うん。ちょっと飲んできちゃった」
「酔っ払いか。俺もちょっと前に帰ってきたとこ」
「飲んでて?」
答えの代わりに、カラカラと音がした。
「あ、今飲んでるとこね」
「当ったりー」
「ウイスキー?」
「今日は梅酒」
「ふーん。なんだ、呼んでくれればよかったのに」
電話に出ているということは、今は一人のはずだ。大輝のグラスの中で再び氷が回った。
「……大丈夫?」
「何が?」
「なんか、忙しいみたいだって聞いたけど」
「いや、まあ……ぼちぼちね」
「体調崩したりしてない?」
「うん、大丈夫」
「何か……私にできること、ない?」
あるわけがないと思いながら、つい尋ねていた。しかし、答えは悦子の予想を裏切った。
「あるよ。いくらでも」
「……例えば?」
「今は……今日がどんな日だったか、聞きたい」
「今日、が?」
「そう。君の一日」
「聞いて楽しいような一日でもないけど……」
悦子は朝起きたところから順を追って、ごく平凡な派遣社員の平日の暮らしを語った。
「……って感じで今日も無事に仕事終わって……ねえ、聞いてる?」
「うん。聞いてるよ」
「でも、特にオチがあるわけじゃ……」
「あったら逆にびっくりだな」
「あ、そういえば、さっき飲んだ後コンビニでいろいろ買ったら、合計が九九九円で」
「やった、スリーナインだ」
「そ。で、お釣りの一円、寄付した」
「よくできました」
えへへ、と照れ笑いすると、大輝の低い笑い声がそこに重なり、そして静寂が訪れた。
「ねえ……」
「うん」
「会えるよね、また」
「何、どしたの、急に?」
まるで恋人みたいな声でそう言われると、みぞおちがきゅっと縮み上がった。この優しさを諦めて、断ち切って生きていくことなんて、本当にできるんだろうか。
「会いたい……」
つい言ってしまってから、その言葉を初めて口にしたことに気付いた。そして、言わなかった間もずっと、その気持ちははち切れそうなほどそこにあり続けたという事実に。
大輝はしばしの沈黙の末に言った。
「もう少しだけ……時間が欲しい」
嫌だ、今会いたい、と駄々をこねられるほどには、悦子は酔えていなかった。
会えるよね。大輝が誰か一人と結ばれてしまっても。これからも、ずっと、友達として。
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「あいつ、今忙しいんだよな」
「何? 何かあったの?」
「断捨離決行中……らしいよ」
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「違うよ。セフレの方。連日一人ずつ呼び出して、バッサバッサ切り捨ててんだってよ」
「マジで? それって……」
「数を減らすだけなら適当にフェードアウトでいいはずだから、まあいよいよ本命に絞るってことだろな」
「ちょっと、本命って誰よ? もしかして、あれか? 東条ユキ」
「ああ、ウェブデザイナーか何かの? ま、確かに長いよなあ、あの子は」
「もう、かれこれ二年だろ? 付き合ってるみたいなもんじゃん」
「ようやく実るわけか。大輝の長年の女遊びにピリオドを打たせるとは、大したもんだ」
(断捨離、か……)
大輝がついに光を見出し、幸せをつかもうとしているのだとすれば、もちろん応援したい。しかし、自分が呼び出され、切り捨てられる番がいつ回ってくるかと考えると、悦子は憂鬱この上なかった。
あのドライブの後の一夜を思い出す。二人で大輝の部屋にいながら体を交えなかったせいか、いつもにも増して恋人同士の心地がする夜だった。大輝との最後の時間にはふさわしかったかもしれない。あるいは、悦子にわざわざあんな思い出話をしたのも、別れ話の序章のつもりだったのだろうか。
その後の皆の会話は、ほとんど悦子の頭に入ってこなかった。店員用ロッカーに預けさせてもらっていたダッフルコートを羽織りながら、ふと思い出す。このコートを着て初めてこの店を訪れた日のことを。いつの間にか次の冬がもう来ていたんだな、としばし感傷に浸る。
この幸せがもう少し続いてくれたらという思いは拭えないが、後悔は微塵もなかった。遊びとして飛び込んだ世界だったけれど、私にとっては恋だったと、もしかしたら最初で最後になるかもしれない、大切な恋だったと、悦子はようやく認めることができた。
しかし、いざその日が来たら果たして、ありがとうと言えるだろうか。笑顔でさよならを言えるだろうか。そして、大輝の幸せを心から祈ってやれるだろうか。
悦子の気持ちはそれから毎日揺れに揺れた。定例会で耳にした東条ユキという名が頭から離れなかった。大輝が本命に選んだのはどんな女だろうと想像し、嫉妬の炎を燃やした。一方で、全ては噂にすぎない、本当は疲れて休んでいるだけかもしれない、と気休めを呟いてもみた。しかし、その可能性が低いこともわかっている。
ある晩、一人酒を一杯余計に飲んだ勢いで、悦子は大輝に電話をかけた。呼び出し音を聞きながらも、期待はしていなかった。大輝だって関係を断ち切る予定の女からの電話に出る義理はない。だから、
「もしもし」
と愛しい声が聞こえた時、悦子は思わず、
「え?」
と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「何? 間違い電話?」
「あ、うん。間違えたかも」
「何だそれ」
と大輝が笑う。心を満たす、心地よい響き。それだけに切なかった。
「最近来ないね、定例会」
「ああ、まあ、なんだかんだで行きそびれてて」
「しばらく見かけないから、みんな心配してたよ」
「よろしく言っといてくれてありがと。今、家?」
「うん。ちょっと飲んできちゃった」
「酔っ払いか。俺もちょっと前に帰ってきたとこ」
「飲んでて?」
答えの代わりに、カラカラと音がした。
「あ、今飲んでるとこね」
「当ったりー」
「ウイスキー?」
「今日は梅酒」
「ふーん。なんだ、呼んでくれればよかったのに」
電話に出ているということは、今は一人のはずだ。大輝のグラスの中で再び氷が回った。
「……大丈夫?」
「何が?」
「なんか、忙しいみたいだって聞いたけど」
「いや、まあ……ぼちぼちね」
「体調崩したりしてない?」
「うん、大丈夫」
「何か……私にできること、ない?」
あるわけがないと思いながら、つい尋ねていた。しかし、答えは悦子の予想を裏切った。
「あるよ。いくらでも」
「……例えば?」
「今は……今日がどんな日だったか、聞きたい」
「今日、が?」
「そう。君の一日」
「聞いて楽しいような一日でもないけど……」
悦子は朝起きたところから順を追って、ごく平凡な派遣社員の平日の暮らしを語った。
「……って感じで今日も無事に仕事終わって……ねえ、聞いてる?」
「うん。聞いてるよ」
「でも、特にオチがあるわけじゃ……」
「あったら逆にびっくりだな」
「あ、そういえば、さっき飲んだ後コンビニでいろいろ買ったら、合計が九九九円で」
「やった、スリーナインだ」
「そ。で、お釣りの一円、寄付した」
「よくできました」
えへへ、と照れ笑いすると、大輝の低い笑い声がそこに重なり、そして静寂が訪れた。
「ねえ……」
「うん」
「会えるよね、また」
「何、どしたの、急に?」
まるで恋人みたいな声でそう言われると、みぞおちがきゅっと縮み上がった。この優しさを諦めて、断ち切って生きていくことなんて、本当にできるんだろうか。
「会いたい……」
つい言ってしまってから、その言葉を初めて口にしたことに気付いた。そして、言わなかった間もずっと、その気持ちははち切れそうなほどそこにあり続けたという事実に。
大輝はしばしの沈黙の末に言った。
「もう少しだけ……時間が欲しい」
嫌だ、今会いたい、と駄々をこねられるほどには、悦子は酔えていなかった。
会えるよね。大輝が誰か一人と結ばれてしまっても。これからも、ずっと、友達として。
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