恋の駆け出し記念日 ~23歳の地味処女にやたら優しいイケメンは、誰よりも真面目なワケありプレイボーイでした~

生津直

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第5章 もう一つの卒業

66 断捨離

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 次の定例会に、またしても大輝の姿はなかった。一人が「大輝は?」と尋ねると、何人かが顔を見合わせてうなずき合う。

「あいつ、今忙しいんだよな」

「何? 何かあったの?」

「断捨離決行中……らしいよ」

「断捨離? 模様替えでもすんのか?」

「違うよ。セフレの方。連日一人ずつ呼び出して、バッサバッサ切り捨ててんだってよ」

「マジで? それって……」

「数を減らすだけなら適当にフェードアウトでいいはずだから、まあいよいよ本命に絞るってことだろな」

「ちょっと、本命って誰よ? もしかして、あれか? 東条とうじょうユキ」

「ああ、ウェブデザイナーか何かの? ま、確かに長いよなあ、あの子は」

「もう、かれこれ二年だろ? 付き合ってるみたいなもんじゃん」

「ようやく実るわけか。大輝の長年の女遊びにピリオドを打たせるとは、大したもんだ」

(断捨離、か……)

 大輝がついに光を見出し、幸せをつかもうとしているのだとすれば、もちろん応援したい。しかし、自分が呼び出され、切り捨てられる番がいつ回ってくるかと考えると、悦子は憂鬱ゆううつこの上なかった。

 あのドライブの後の一夜を思い出す。二人で大輝の部屋にいながら体を交えなかったせいか、いつもにも増して恋人同士の心地がする夜だった。大輝との最後の時間にはふさわしかったかもしれない。あるいは、悦子にわざわざあんな思い出話をしたのも、別れ話の序章のつもりだったのだろうか。

 その後の皆の会話は、ほとんど悦子の頭に入ってこなかった。店員用ロッカーに預けさせてもらっていたダッフルコートを羽織りながら、ふと思い出す。このコートを着て初めてこの店を訪れた日のことを。いつの間にか次の冬がもう来ていたんだな、としばし感傷にひたる。

 この幸せがもう少し続いてくれたらという思いはぬぐえないが、後悔は微塵みじんもなかった。遊びとして飛び込んだ世界だったけれど、私にとっては恋だったと、もしかしたら最初で最後になるかもしれない、大切な恋だったと、悦子はようやく認めることができた。

 しかし、いざその日が来たら果たして、ありがとうと言えるだろうか。笑顔でさよならを言えるだろうか。そして、大輝の幸せを心から祈ってやれるだろうか。



 悦子の気持ちはそれから毎日揺れに揺れた。定例会で耳にした東条ユキという名が頭から離れなかった。大輝が本命に選んだのはどんな女だろうと想像し、嫉妬の炎を燃やした。一方で、全ては噂にすぎない、本当は疲れて休んでいるだけかもしれない、と気休めを呟いてもみた。しかし、その可能性が低いこともわかっている。



 ある晩、一人酒を一杯余計に飲んだ勢いで、悦子は大輝に電話をかけた。呼び出し音を聞きながらも、期待はしていなかった。大輝だって関係を断ち切る予定の女からの電話に出る義理はない。だから、

「もしもし」

と愛しい声が聞こえた時、悦子は思わず、

「え?」

頓狂とんきょうな声を上げてしまった。

「何? 間違い電話?」

「あ、うん。間違えたかも」

「何だそれ」

と大輝が笑う。心を満たす、心地よい響き。それだけに切なかった。

「最近来ないね、定例会」

「ああ、まあ、なんだかんだで行きそびれてて」

「しばらく見かけないから、みんな心配してたよ」

「よろしく言っといてくれてありがと。今、家?」

「うん。ちょっと飲んできちゃった」

「酔っ払いか。俺もちょっと前に帰ってきたとこ」

「飲んでて?」

 答えの代わりに、カラカラと音がした。

「あ、今飲んでるとこね」

「当ったりー」

「ウイスキー?」

「今日は梅酒」

「ふーん。なんだ、呼んでくれればよかったのに」

 電話に出ているということは、今は一人のはずだ。大輝のグラスの中で再び氷が回った。

「……大丈夫?」

「何が?」

「なんか、忙しいみたいだって聞いたけど」

「いや、まあ……ぼちぼちね」

「体調崩したりしてない?」

「うん、大丈夫」

「何か……私にできること、ない?」

 あるわけがないと思いながら、つい尋ねていた。しかし、答えは悦子の予想を裏切った。

「あるよ。いくらでも」

「……例えば?」

「今は……今日がどんな日だったか、聞きたい」

「今日、が?」

「そう。君の一日」

「聞いて楽しいような一日でもないけど……」

 悦子は朝起きたところから順を追って、ごく平凡な派遣社員の平日の暮らしを語った。

「……って感じで今日も無事に仕事終わって……ねえ、聞いてる?」

「うん。聞いてるよ」

「でも、特にオチがあるわけじゃ……」

「あったら逆にびっくりだな」

「あ、そういえば、さっき飲んだ後コンビニでいろいろ買ったら、合計が九九九円で」

「やった、スリーナインだ」

「そ。で、お釣りの一円、寄付した」

「よくできました」

 えへへ、と照れ笑いすると、大輝の低い笑い声がそこに重なり、そして静寂が訪れた。

「ねえ……」

「うん」

「会えるよね、また」

「何、どしたの、急に?」

 まるで恋人みたいな声でそう言われると、みぞおちがきゅっと縮み上がった。この優しさを諦めて、断ち切って生きていくことなんて、本当にできるんだろうか。

「会いたい……」

 つい言ってしまってから、その言葉を初めて口にしたことに気付いた。そして、言わなかった間もずっと、その気持ちははち切れそうなほどそこにあり続けたという事実に。

 大輝はしばしの沈黙の末に言った。

「もう少しだけ……時間が欲しい」

 嫌だ、今会いたい、と駄々だだをこねられるほどには、悦子は酔えていなかった。

 会えるよね。大輝が誰か一人と結ばれてしまっても。これからも、ずっと、友達として。


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