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縁結び
まどい②
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「そのようなこと、重々に存じ上げております」
ところが、そんな杞憂(きゆう)など一笑に付すかのように、すっと伸びやかな声が陰鬱(いんうつ)とした雰囲気を断ち切った。
声の主は強固な姿勢を崩さず、意気軒昂(いきけんこう)な眼差しで御毛沼を見据えている。
「しかしながら、任務を全うできないような者に、あの主上(しゅじょう)が果たして軍勢を任せるでしょうか」
八瀬は弛(たゆ)まなくそう言ったあと、少しばかり間を空けて「それに」と、如何にも不愉快そうに続ける。
「幾度となく逆賊を討ち果たしてきた私と、戦場に出たこともない小碓の君とを、同列のように論じられるのはお止め頂きたい」
それを聞くや否や、御毛沼はおもむろに眉を持ち上げたかと思えば、自らの太腿(ふともも)を手のひらでぽんっと打つ。
「問題はそこじゃ。何故、戦の経験も乏しい小碓を遣わしたのか」
そのように独りごちりながら、取り止めもなく宙を漂わせていた視線は、すぐに険しい面持ちをした八瀬へと向けられた。
「お主なら、どう考える?」
「主上の真意を量(はか)ろうなど、私には畏れ多うございます」
八瀬は畏まるように淡々と答えて、まともに質問と向き合わずに明言を避けた。
すると、御毛沼の視線の先は隣に座っていた小碓に向けられて、
「それならば、お主はどうじゃ?」と、同様の質問が投げかける。
小碓は暫(しばら)く思案に暮れたあと、真っ直ぐに御毛沼を見据えたまま微笑んでみせる。
その眼差しは特段話題にするほどでもないといったような、妙な余裕さえ感じさせる。
「その答えは明白です。何も難しく考える必要はありません」
「明白じゃと?」
御毛沼が眉を押し上げて驚く様子を見て、小碓は如何にも可笑しげにけたけたと笑う。
「おそらく、父上は八瀬を九州に遣わすだけで、事は容易く収まるとお考えなのでしょう。そうでなければ、俺を大将になんて任じたりしませんよ」
小碓が苦笑して続けると、一拍ほどおいて、
「とどのつまり、私は分かりやすい旗頭(はたがしら)であって、優秀な八瀬が熊襲兄弟に譲歩するなり説き伏せるなりすれば、この戦はさほど手間もかからず終わるはずです」と、彼なりの見識を示してみせた。
それが余りにも予測できない応答であった為に、御毛沼には返す言葉が見当たらない。
端で聞いていた八瀬も、自らを飾りだと蔑む小碓にどのような顔を向ければいいのかも分からず、ただただ唖然として佇むことしかできなかった。
「何故、そのように考える?」
程なくして、御毛沼が我に返ったように慌てて訊けば、小碓は不思議そうに鳶色(とびいろ)の眼を丸くして、何度か瞬(まばた)きを繰り返す。
「父上と固い絆(きずな)で結ばれた二人が、まさか本気で叛(そむ)こうなんて考えていないでしょう」
まるで、過去を見てきたかのように言ってのける小碓に、それを聞いた八瀬は馬鹿馬鹿しいとばかりに「何を青臭いことを」と、嫌悪感を露にして舌を打つ。
だが、隣の御毛沼はといえば、あんぐりと開けた口を塞ぐことも忘れて、純朴な眼差しをじっと眺めていた。
呆気にとられたような顔を前にすると、小碓もさすがに焦ったようで、
「何か、変なことでも言いましたか?」と、慌てふためいて訊ねたが、すぐに御毛沼からの返答は得られなかった。
何とも言えない沈黙が続くうちに、沸々と込み上げてくる可笑しさに堪えきれず、御毛沼は遂に破願(はがん)すると、吹き出したように笑い声を上げてしまう。
あっけらかんというか。考えが浅はかというか。
そうであるにも関らず、その見立てがどこか正鵠(せいこく)を射たような感覚を抱かせる。
少なくとも、双方の関係性を知る御毛沼は、それが全くの見当違いであるようには思えなかった。
重い課税で抑えつけようとする朝廷に対しては、熊襲兄弟も少なからず反感を抱いたとしても分からなくもない。
しかしながら、お互いに気心が知れているだけに、その憤懣(ふんまん)が大王(おおきみ)に向けられるかといえば、そうとも言い切れないところがある。
妥協点(だきょうてん)さえ見出しさえすれば、小碓が深く考えないで言ったとおりに、さほど労せず事が運ぶのではないか。
「なるほど。確かに、一理あるかもしれぬ」
御毛沼は相好(そうごう)を崩したまま相槌(あいづち)を打ち、
「そうであるならば、奴らは駄々を捏(こ)ねているだけじゃな」と、如何にも愉快といったように、からからと朗らかな笑声を響かせる。
それが収まったあと、御毛沼は朱塗りの杯に漫然と目を落としつつ、器の中で波立つ美酒をぼんやりと眺めながら、ふっと小さなため息を漏らした。
「あの二人には少し奔放なところがあってな、昔から不満があれば軍律を乱すことも度々(たびたび)あった。此度(こたび)もその悪癖が禍(わざわい)したかのう」
揺らめく水面(みなも)に何を映しているのか。御毛沼は誰かに語りかけるかのような口調で独りごちると、どこか懐かしげな微笑を浮べて杯を呷(あお)った。
「それにしても、豪族たちは何が目的で叛乱を起こすのでしょう」
ややあって、今度は思案を巡らせていた小碓の方から問うた。
そもそも、大王は動乱の大倭(おおやまと)を平定するべく立ち上がり、それに賛同する者たちが結集したはずなのに、今ではその手を携(たずさ)えた者同士が相争(あいあらそ)い、また新たな火種を生み出している。
これまで別々だった大倭を一つに纏(まと)めようというのだから、どこかで歪(ひず)みのようなものが生じてしまい、一つひとつの国ごとに問題を抱えることもあり得るのかもしれない。
けれど、それらの問題を解決する為に、白檮原(かしはら)の京(みやこ)には政務に腐心する大王が鎮座し、彼を中心とした朝廷が存在し得るのである。
それならば、どうしてこれほどまでに叛乱が相次(あいつ)ぐというのか。
大王が失政を重ねているようにも思えなければ、東国の軋轢(あつれき)によって引き起こされているものばかりでもない。
小碓は彼らの動機をずっと推し量れずにいた。
すると、そのように問われた御毛沼は俄(にわ)かに眉をひそめて、幾(いく)ばくか気落ちしたようにため息を漏らす。
「ひとは思いや望みを同じくしようとも、それぞれの欲望が尽きることはない」
そう言ったあと、少しばかり間を空けて、
「この高島の市中をよく見てみるとよい」と、憂(うれ)いを帯びたような面持ちで穿(うが)った笑みを覗かせる。
「とても平和のように見受けられますが……」
小碓は不思議そうに感じたままを口にしたところ、御毛沼は伏せ目がちになって小さく首を振ってみせた。
「そなたの申すとおり、この国では安穏とした時が流れておる。しかし、国外で起きている争乱や虐殺などは、お伽噺(とぎばなし)の出来事のようにしか捉えておらぬであろう」
そのように鬱々と続けてから、先ほどよりも深い嘆息を漏らした。
「何(いづ)れは我が身に降りかかる火の粉だと知らずにな」
「そんなことは……」
小碓は咄嗟に打ち消すようなことを言いかけて、それを否定できるだけの確証も得ていないことに気づき、どうしようもなく口を噤(つぐ)んでしまう。
仮に、ヤマト王権の威勢に陰りでもあれば、出雲(いずも)と吉備(きび)という大国に囲まれた高島は、どちらか強大な方に容易(たやす)く飲み込まれることだろう。
「平穏とは実に得難いものなれど、それに一度でも浸ってしまえば、いつまでも続くものと錯覚を起こす。何とも厄介(やっかい)な存在よな」
御毛沼は呆れたようにそう言うと、くつくつと笑いながら酒宴を満喫する重臣たちや官吏、商人たちを一往に見渡した。
「だが、そんな中でも諍(いさか)いは尽きぬ。ひとより豊かになることに固執(こしつ)し、必死に足掻(あが)いている者を平然と踏みしだく。そのように醜悪な姿もまた、ひとの本質なのかもしれぬ」
一見すると、とても和(なご)やかな饗宴(きょうえん)の席であっても、表装の薄皮を剥(は)ぎ取ってしまえば、嫉妬や僻(ひが)みといった人間臭い感情が至るところに渦巻いていることだろう。
「ひとは多少なりとも何かに惹(ひ)かれ、その何かを得る為に努力をする。それでも得られなければ天を呪い、他人を妬(ねた)み、遂には奪うことすらも躊躇(ためら)わず、生命の尽き果てるときまで延々と追い求めてしまうのだろう。満足することなどないと、心のうちでは知りつつもな」
御毛沼は呆れたように笑いながらそう言うと、一拍ほど置いて「何と愚かなものよ」という言葉で締め括(くく)った。
それから程なくして、小碓はおもむろに手に携えていた杯を置くと、
「きっと、それだけではないはずです」と、少しも憚(はばか)らずに真っ向から異を唱えた。
「確かに、そういった一面もあるでしょうが、父上や叔父上が為し遂げてきたように、新しい世界を創り出すことだってできます。ひとりだけでは適わないことでも、他の誰かとなら違った景色を見つけることもできるでしょう」
そう信じて疑わないといったような鳶色(とびいろ)の瞳は、どこまでもひたすらに真っ直ぐで、歳を重ねてきた御毛沼の胸中をも熱くさせるほどだった。
御毛沼はすぐに言葉にして応じることをせず、ぼんやりと物思いに耽(ふけ)るような面持ちで、ひとまず杯を手にして酒を嗜(たしな)んだ。
白檮原(かしはら)の京より伝え聞く小碓命(おうすのみこと)といえば、身勝手で無遠慮な言動が目立ち、朝廷の官吏たちもほとほと持て余すほどに、手のつけようがない鬼子(おにご)だといわれていた。
ところが、こうして実際に相見(あいまみ)えてみると、人伝(ひとづて)の噂とは全くもって当てにならないものである。
何不自由なく暮らしていける宮中を抜け出して、市井(いちい)に揉(も)まれて生きてきた割には、純真無垢だった眼差しは少しも色褪(いろあ)せてなどいない。
その瞳を透(とお)して見える現世(うつしよ)は、無闇やたらに飾り気がなくて、ありのままの情景が広がっているのだろう。
だからこそ、自分自身のことを事もなげに飾りものだと言い、真実かどうかは別にしても、御毛沼や八瀬でさえ嗅ぎ取れなかった、朝廷と熊襲兄弟の腹づもりまで推し量れたのかもしれない。
「まさしく、炯眼(けいがん)とでも言うべきか」
御毛沼はふっと息を吐き出すと、不意にそのように呟いて漫然と微笑んでみせた。その脳裏では小碓とよく似た人物を思い浮べていた。
どこまでも真っ直ぐな目をして、何があろうと脇目も振らず一心不乱に突き進む。
記憶の中で鮮明に色づいた雄姿は、いつまでも溌剌(はつらつ)とした輝きを放っている。
御毛沼は唐突に真摯(しんし)な顔つきをして、正面から小碓を見据えた。
それから一拍ほど置いて、
「国を統(す)べる者ならば、まず己を知り、他人をよく心得て、現世(うつしよ)のあり方を正しく理解しなくてはならない」と、それまでにない切実な言い方をする。
「これは嘗(かつ)て、五瀬(いつせ)の兄上が伊波礼比古(いはれひこ)に遺(のこ)された言葉じゃ」
そのように続けたあと、あまり経たないうちに厳めしかった面持ちは、もとの穏やかさを取り戻している。
また、目もとにゆったりとした温情を湛えて、
「まだ若いそなたにしか見られない景色もある。それは御子として生きていく上で、きっと助けとなることもあろう」と、緩やかに首を頷かせながらそう言った。
すると、それを聞いた小碓は恥じ入るような苦笑を滲ませて、襟足の辺りを掻(か)き毟(むし)る。
「御子として生きるには、私はあまりにも相応(ふさわ)しくありません」
小碓が間髪入れずにそう言うと、御毛沼は漫然と微笑んで、
「誰が大王に相応しいかどうかなど、当然ながら儂にも分からぬし、おそらくそなたの父親も知りはしないだろう」と、如何にも可笑しげにからからと笑う。
「今は余計なことを考えず、目の前のことに専念しておればよい。あとは、真宰(しんさい)が須(すべか)らく定めてくれよう」
何も案ずることはないと、まるで諭(さと)すかのように告げた御毛沼に、小碓は煙(けむ)に巻かれたような心地になって、何とも言えない面持ちで「そういうものですか?」と訊き返した。
御毛沼は敢えてそれに答えようともしないで、にこにこと微笑んだまま美酒に舌鼓(したつづみ)を打つ。
「父上、難しい話はそれぐらいにしませんか」
そのとき、不意に背後から鈴を鳴らせたような嬌声が聞こえてくる。
小碓はおもむろに声のした方に振り向いてみると、そこには珠のように可愛らしい姫君があどけなく微笑んで佇んでいた。
ところが、そんな杞憂(きゆう)など一笑に付すかのように、すっと伸びやかな声が陰鬱(いんうつ)とした雰囲気を断ち切った。
声の主は強固な姿勢を崩さず、意気軒昂(いきけんこう)な眼差しで御毛沼を見据えている。
「しかしながら、任務を全うできないような者に、あの主上(しゅじょう)が果たして軍勢を任せるでしょうか」
八瀬は弛(たゆ)まなくそう言ったあと、少しばかり間を空けて「それに」と、如何にも不愉快そうに続ける。
「幾度となく逆賊を討ち果たしてきた私と、戦場に出たこともない小碓の君とを、同列のように論じられるのはお止め頂きたい」
それを聞くや否や、御毛沼はおもむろに眉を持ち上げたかと思えば、自らの太腿(ふともも)を手のひらでぽんっと打つ。
「問題はそこじゃ。何故、戦の経験も乏しい小碓を遣わしたのか」
そのように独りごちりながら、取り止めもなく宙を漂わせていた視線は、すぐに険しい面持ちをした八瀬へと向けられた。
「お主なら、どう考える?」
「主上の真意を量(はか)ろうなど、私には畏れ多うございます」
八瀬は畏まるように淡々と答えて、まともに質問と向き合わずに明言を避けた。
すると、御毛沼の視線の先は隣に座っていた小碓に向けられて、
「それならば、お主はどうじゃ?」と、同様の質問が投げかける。
小碓は暫(しばら)く思案に暮れたあと、真っ直ぐに御毛沼を見据えたまま微笑んでみせる。
その眼差しは特段話題にするほどでもないといったような、妙な余裕さえ感じさせる。
「その答えは明白です。何も難しく考える必要はありません」
「明白じゃと?」
御毛沼が眉を押し上げて驚く様子を見て、小碓は如何にも可笑しげにけたけたと笑う。
「おそらく、父上は八瀬を九州に遣わすだけで、事は容易く収まるとお考えなのでしょう。そうでなければ、俺を大将になんて任じたりしませんよ」
小碓が苦笑して続けると、一拍ほどおいて、
「とどのつまり、私は分かりやすい旗頭(はたがしら)であって、優秀な八瀬が熊襲兄弟に譲歩するなり説き伏せるなりすれば、この戦はさほど手間もかからず終わるはずです」と、彼なりの見識を示してみせた。
それが余りにも予測できない応答であった為に、御毛沼には返す言葉が見当たらない。
端で聞いていた八瀬も、自らを飾りだと蔑む小碓にどのような顔を向ければいいのかも分からず、ただただ唖然として佇むことしかできなかった。
「何故、そのように考える?」
程なくして、御毛沼が我に返ったように慌てて訊けば、小碓は不思議そうに鳶色(とびいろ)の眼を丸くして、何度か瞬(まばた)きを繰り返す。
「父上と固い絆(きずな)で結ばれた二人が、まさか本気で叛(そむ)こうなんて考えていないでしょう」
まるで、過去を見てきたかのように言ってのける小碓に、それを聞いた八瀬は馬鹿馬鹿しいとばかりに「何を青臭いことを」と、嫌悪感を露にして舌を打つ。
だが、隣の御毛沼はといえば、あんぐりと開けた口を塞ぐことも忘れて、純朴な眼差しをじっと眺めていた。
呆気にとられたような顔を前にすると、小碓もさすがに焦ったようで、
「何か、変なことでも言いましたか?」と、慌てふためいて訊ねたが、すぐに御毛沼からの返答は得られなかった。
何とも言えない沈黙が続くうちに、沸々と込み上げてくる可笑しさに堪えきれず、御毛沼は遂に破願(はがん)すると、吹き出したように笑い声を上げてしまう。
あっけらかんというか。考えが浅はかというか。
そうであるにも関らず、その見立てがどこか正鵠(せいこく)を射たような感覚を抱かせる。
少なくとも、双方の関係性を知る御毛沼は、それが全くの見当違いであるようには思えなかった。
重い課税で抑えつけようとする朝廷に対しては、熊襲兄弟も少なからず反感を抱いたとしても分からなくもない。
しかしながら、お互いに気心が知れているだけに、その憤懣(ふんまん)が大王(おおきみ)に向けられるかといえば、そうとも言い切れないところがある。
妥協点(だきょうてん)さえ見出しさえすれば、小碓が深く考えないで言ったとおりに、さほど労せず事が運ぶのではないか。
「なるほど。確かに、一理あるかもしれぬ」
御毛沼は相好(そうごう)を崩したまま相槌(あいづち)を打ち、
「そうであるならば、奴らは駄々を捏(こ)ねているだけじゃな」と、如何にも愉快といったように、からからと朗らかな笑声を響かせる。
それが収まったあと、御毛沼は朱塗りの杯に漫然と目を落としつつ、器の中で波立つ美酒をぼんやりと眺めながら、ふっと小さなため息を漏らした。
「あの二人には少し奔放なところがあってな、昔から不満があれば軍律を乱すことも度々(たびたび)あった。此度(こたび)もその悪癖が禍(わざわい)したかのう」
揺らめく水面(みなも)に何を映しているのか。御毛沼は誰かに語りかけるかのような口調で独りごちると、どこか懐かしげな微笑を浮べて杯を呷(あお)った。
「それにしても、豪族たちは何が目的で叛乱を起こすのでしょう」
ややあって、今度は思案を巡らせていた小碓の方から問うた。
そもそも、大王は動乱の大倭(おおやまと)を平定するべく立ち上がり、それに賛同する者たちが結集したはずなのに、今ではその手を携(たずさ)えた者同士が相争(あいあらそ)い、また新たな火種を生み出している。
これまで別々だった大倭を一つに纏(まと)めようというのだから、どこかで歪(ひず)みのようなものが生じてしまい、一つひとつの国ごとに問題を抱えることもあり得るのかもしれない。
けれど、それらの問題を解決する為に、白檮原(かしはら)の京(みやこ)には政務に腐心する大王が鎮座し、彼を中心とした朝廷が存在し得るのである。
それならば、どうしてこれほどまでに叛乱が相次(あいつ)ぐというのか。
大王が失政を重ねているようにも思えなければ、東国の軋轢(あつれき)によって引き起こされているものばかりでもない。
小碓は彼らの動機をずっと推し量れずにいた。
すると、そのように問われた御毛沼は俄(にわ)かに眉をひそめて、幾(いく)ばくか気落ちしたようにため息を漏らす。
「ひとは思いや望みを同じくしようとも、それぞれの欲望が尽きることはない」
そう言ったあと、少しばかり間を空けて、
「この高島の市中をよく見てみるとよい」と、憂(うれ)いを帯びたような面持ちで穿(うが)った笑みを覗かせる。
「とても平和のように見受けられますが……」
小碓は不思議そうに感じたままを口にしたところ、御毛沼は伏せ目がちになって小さく首を振ってみせた。
「そなたの申すとおり、この国では安穏とした時が流れておる。しかし、国外で起きている争乱や虐殺などは、お伽噺(とぎばなし)の出来事のようにしか捉えておらぬであろう」
そのように鬱々と続けてから、先ほどよりも深い嘆息を漏らした。
「何(いづ)れは我が身に降りかかる火の粉だと知らずにな」
「そんなことは……」
小碓は咄嗟に打ち消すようなことを言いかけて、それを否定できるだけの確証も得ていないことに気づき、どうしようもなく口を噤(つぐ)んでしまう。
仮に、ヤマト王権の威勢に陰りでもあれば、出雲(いずも)と吉備(きび)という大国に囲まれた高島は、どちらか強大な方に容易(たやす)く飲み込まれることだろう。
「平穏とは実に得難いものなれど、それに一度でも浸ってしまえば、いつまでも続くものと錯覚を起こす。何とも厄介(やっかい)な存在よな」
御毛沼は呆れたようにそう言うと、くつくつと笑いながら酒宴を満喫する重臣たちや官吏、商人たちを一往に見渡した。
「だが、そんな中でも諍(いさか)いは尽きぬ。ひとより豊かになることに固執(こしつ)し、必死に足掻(あが)いている者を平然と踏みしだく。そのように醜悪な姿もまた、ひとの本質なのかもしれぬ」
一見すると、とても和(なご)やかな饗宴(きょうえん)の席であっても、表装の薄皮を剥(は)ぎ取ってしまえば、嫉妬や僻(ひが)みといった人間臭い感情が至るところに渦巻いていることだろう。
「ひとは多少なりとも何かに惹(ひ)かれ、その何かを得る為に努力をする。それでも得られなければ天を呪い、他人を妬(ねた)み、遂には奪うことすらも躊躇(ためら)わず、生命の尽き果てるときまで延々と追い求めてしまうのだろう。満足することなどないと、心のうちでは知りつつもな」
御毛沼は呆れたように笑いながらそう言うと、一拍ほど置いて「何と愚かなものよ」という言葉で締め括(くく)った。
それから程なくして、小碓はおもむろに手に携えていた杯を置くと、
「きっと、それだけではないはずです」と、少しも憚(はばか)らずに真っ向から異を唱えた。
「確かに、そういった一面もあるでしょうが、父上や叔父上が為し遂げてきたように、新しい世界を創り出すことだってできます。ひとりだけでは適わないことでも、他の誰かとなら違った景色を見つけることもできるでしょう」
そう信じて疑わないといったような鳶色(とびいろ)の瞳は、どこまでもひたすらに真っ直ぐで、歳を重ねてきた御毛沼の胸中をも熱くさせるほどだった。
御毛沼はすぐに言葉にして応じることをせず、ぼんやりと物思いに耽(ふけ)るような面持ちで、ひとまず杯を手にして酒を嗜(たしな)んだ。
白檮原(かしはら)の京より伝え聞く小碓命(おうすのみこと)といえば、身勝手で無遠慮な言動が目立ち、朝廷の官吏たちもほとほと持て余すほどに、手のつけようがない鬼子(おにご)だといわれていた。
ところが、こうして実際に相見(あいまみ)えてみると、人伝(ひとづて)の噂とは全くもって当てにならないものである。
何不自由なく暮らしていける宮中を抜け出して、市井(いちい)に揉(も)まれて生きてきた割には、純真無垢だった眼差しは少しも色褪(いろあ)せてなどいない。
その瞳を透(とお)して見える現世(うつしよ)は、無闇やたらに飾り気がなくて、ありのままの情景が広がっているのだろう。
だからこそ、自分自身のことを事もなげに飾りものだと言い、真実かどうかは別にしても、御毛沼や八瀬でさえ嗅ぎ取れなかった、朝廷と熊襲兄弟の腹づもりまで推し量れたのかもしれない。
「まさしく、炯眼(けいがん)とでも言うべきか」
御毛沼はふっと息を吐き出すと、不意にそのように呟いて漫然と微笑んでみせた。その脳裏では小碓とよく似た人物を思い浮べていた。
どこまでも真っ直ぐな目をして、何があろうと脇目も振らず一心不乱に突き進む。
記憶の中で鮮明に色づいた雄姿は、いつまでも溌剌(はつらつ)とした輝きを放っている。
御毛沼は唐突に真摯(しんし)な顔つきをして、正面から小碓を見据えた。
それから一拍ほど置いて、
「国を統(す)べる者ならば、まず己を知り、他人をよく心得て、現世(うつしよ)のあり方を正しく理解しなくてはならない」と、それまでにない切実な言い方をする。
「これは嘗(かつ)て、五瀬(いつせ)の兄上が伊波礼比古(いはれひこ)に遺(のこ)された言葉じゃ」
そのように続けたあと、あまり経たないうちに厳めしかった面持ちは、もとの穏やかさを取り戻している。
また、目もとにゆったりとした温情を湛えて、
「まだ若いそなたにしか見られない景色もある。それは御子として生きていく上で、きっと助けとなることもあろう」と、緩やかに首を頷かせながらそう言った。
すると、それを聞いた小碓は恥じ入るような苦笑を滲ませて、襟足の辺りを掻(か)き毟(むし)る。
「御子として生きるには、私はあまりにも相応(ふさわ)しくありません」
小碓が間髪入れずにそう言うと、御毛沼は漫然と微笑んで、
「誰が大王に相応しいかどうかなど、当然ながら儂にも分からぬし、おそらくそなたの父親も知りはしないだろう」と、如何にも可笑しげにからからと笑う。
「今は余計なことを考えず、目の前のことに専念しておればよい。あとは、真宰(しんさい)が須(すべか)らく定めてくれよう」
何も案ずることはないと、まるで諭(さと)すかのように告げた御毛沼に、小碓は煙(けむ)に巻かれたような心地になって、何とも言えない面持ちで「そういうものですか?」と訊き返した。
御毛沼は敢えてそれに答えようともしないで、にこにこと微笑んだまま美酒に舌鼓(したつづみ)を打つ。
「父上、難しい話はそれぐらいにしませんか」
そのとき、不意に背後から鈴を鳴らせたような嬌声が聞こえてくる。
小碓はおもむろに声のした方に振り向いてみると、そこには珠のように可愛らしい姫君があどけなく微笑んで佇んでいた。
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