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1 アレンとアストレア
1 王太子の婚約破棄
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「そなたとの婚約を破棄する」
王太子レイブンは薬指の指輪を魔界の皇女アストレアの足元に投げ捨てた。
どよめきが消えた。
静寂が大広間の空気を押しつぶした。
アストレアは静かに、爪先を叩いた指輪へ視線を落とす。美しく冷徹な横顔に笑みを浮かべると、指輪を踏みつけた。
王太子の言葉を聞いて、アレンは訪れたこの瞬間を静かに受け止めた。
宴に参加していた両種族は、アストレアとレイブンとを先頭にして対峙した。
懇親会は、王太子宮殿で行われた。
王太子の振る舞いは、長らく続いていた両者の友好関係を打ち砕いたと言える。
突発的に見える関係の瓦解であったが、水面下では互いへの不満が募っていたことをアレンは知っている。
魔族は、策を弄して暗躍する人間族の狡猾さに対してだ。
人間族は魔族の粗野なふるまいに対してだ。
王太子はこの瞬間を待ち望んでいたのだろう。父が病に伏せ、実権を手中にしてからというもの、彼は魔族との関係清算に動いている様子だった。
アストレアもその事実を把握していたが、王太子の動きを傍観し続け、むしろ自らの望みであるかのようにほくそ笑んでいた。
それにしても。
魔界を統べる魔人である皇女に対して、何たる振る舞いだ。
魔族は飛びかかるほどの勢いで奥歯を噛みしめる。歯の擦り合う音が広間の空気を鈍く振動させる。
人間族は、そんな魔人たちを嘲るように、小さい笑い声を漏らす。
アレンは首を巡らせ、そんな人間たちを睨みつける。アストレアと視線がぶつかる。彼女は振り上げた足で、指輪を踏み潰した。
「構わんぞ、私は。懇親会などと、下らん茶番に飽き飽きしていたところだ。何ならこの場で始めるか?」
皇女の勝気な性格はアレンが良く知っている。彼女が、このような屈辱的な扱いを受けて黙っているはずがない。
「答えろ、人間、この場で死ぬ覚悟があるか!」
アストレアの怒気が、空気を凍てつかせた。
人間たちの嘲笑が、消えた。
アストレアから滲み出る圧力が、人間族の余裕を奪い去ってしまった。
当たり前だ。アレンですら身をすくめるほどの、波動だ。
魔族でも最強格の皇女にどのようにして、抗おうというのか。
アレンは王太子の浅はかな知略をあえて探ろうとした。
「ほれ」
アストレアが人差し指を立てた。彼女を中心として、空気が渦を描く。人間、魔人を問わず、力のないものなら、吹き飛ばされるほどの風力だった。
指を、折り曲げた。
空気が凝縮する。アストレアを核として、魔力が波となって放射された。
爆風でテーブルが弾け飛んだ。宴を彩っていた料理が壁に衝突する。宙を舞ったグラスが床に叩きつけられ、破片となり散乱する。ワインがカーペットを染め上げた。
感嘆の声と悲鳴が上がる中、アストレアは眉根を寄せた。
アストレアの正面に位置するレイブンが微動だにせず腕組みをしている。アストレアにとっては遊び程度、人間にとっては死の宣告だ。
アレンの頬を汗が伝った。彼女の魔力は生命を弄ぶほどのものだった。同時に驚嘆すべきは、それを無効化した人間側の技術。
これが、神の手か……
アレンは、天井を覆うほどに聳え、輝く手を見上げた。
人間側が作り上げた防御結界、それが神の手と呼ばれるものだ。アレンも噂で聞いたことがある程度だった。
アストレアは単なるデマだと笑いながら一蹴していた。
朧気な光がアストレアとレイブンの間でゆらめく。
婚約破棄に至った理由の一つが、この神の手なのだろう。
アレンはアストレアの仕草に目を止めた。親指を整った唇に当て、揉み込むように蠢かす。思案するときの彼女の癖だ。
かつて、二人で森の動物を追いかけまわしたとき、仕留めきれなかった彼女は、同じような仕草をして生け捕りにする罠を考案した。
防御結界は、皇女を思案させる水準に到達していることになる。
「どうした魔女よ。もう終わりか」
レイブンの嘲るような問いかけに鼻を鳴らし、アストレアは右の薬指に嵌めていた指輪を弾いて魔力を照射した。
指輪を貫き、直線に射出された魔力が無機質な音を立て、空間を引き裂いた。
反射された光がアストレアの頬をかすめる寸前、防御障壁に触れて軌道がずれる。魔族側の後方で壁を突き破る音が轟いた。想定外の方向から爆風により、近くの魔族が数名よろめき、転倒する。
これは危険だ……
アレンは左手の親指を剣の鍔に当てた。
アストレアの視線がアレンの剣に注がれる。レイブンはアレンを見て、深い笑みを刻んだ。
「戦力は拮抗した。貴様ら魔族の傲慢さ、今こそ思い知らせてやるぞ」
王太子レイブンは薬指の指輪を魔界の皇女アストレアの足元に投げ捨てた。
どよめきが消えた。
静寂が大広間の空気を押しつぶした。
アストレアは静かに、爪先を叩いた指輪へ視線を落とす。美しく冷徹な横顔に笑みを浮かべると、指輪を踏みつけた。
王太子の言葉を聞いて、アレンは訪れたこの瞬間を静かに受け止めた。
宴に参加していた両種族は、アストレアとレイブンとを先頭にして対峙した。
懇親会は、王太子宮殿で行われた。
王太子の振る舞いは、長らく続いていた両者の友好関係を打ち砕いたと言える。
突発的に見える関係の瓦解であったが、水面下では互いへの不満が募っていたことをアレンは知っている。
魔族は、策を弄して暗躍する人間族の狡猾さに対してだ。
人間族は魔族の粗野なふるまいに対してだ。
王太子はこの瞬間を待ち望んでいたのだろう。父が病に伏せ、実権を手中にしてからというもの、彼は魔族との関係清算に動いている様子だった。
アストレアもその事実を把握していたが、王太子の動きを傍観し続け、むしろ自らの望みであるかのようにほくそ笑んでいた。
それにしても。
魔界を統べる魔人である皇女に対して、何たる振る舞いだ。
魔族は飛びかかるほどの勢いで奥歯を噛みしめる。歯の擦り合う音が広間の空気を鈍く振動させる。
人間族は、そんな魔人たちを嘲るように、小さい笑い声を漏らす。
アレンは首を巡らせ、そんな人間たちを睨みつける。アストレアと視線がぶつかる。彼女は振り上げた足で、指輪を踏み潰した。
「構わんぞ、私は。懇親会などと、下らん茶番に飽き飽きしていたところだ。何ならこの場で始めるか?」
皇女の勝気な性格はアレンが良く知っている。彼女が、このような屈辱的な扱いを受けて黙っているはずがない。
「答えろ、人間、この場で死ぬ覚悟があるか!」
アストレアの怒気が、空気を凍てつかせた。
人間たちの嘲笑が、消えた。
アストレアから滲み出る圧力が、人間族の余裕を奪い去ってしまった。
当たり前だ。アレンですら身をすくめるほどの、波動だ。
魔族でも最強格の皇女にどのようにして、抗おうというのか。
アレンは王太子の浅はかな知略をあえて探ろうとした。
「ほれ」
アストレアが人差し指を立てた。彼女を中心として、空気が渦を描く。人間、魔人を問わず、力のないものなら、吹き飛ばされるほどの風力だった。
指を、折り曲げた。
空気が凝縮する。アストレアを核として、魔力が波となって放射された。
爆風でテーブルが弾け飛んだ。宴を彩っていた料理が壁に衝突する。宙を舞ったグラスが床に叩きつけられ、破片となり散乱する。ワインがカーペットを染め上げた。
感嘆の声と悲鳴が上がる中、アストレアは眉根を寄せた。
アストレアの正面に位置するレイブンが微動だにせず腕組みをしている。アストレアにとっては遊び程度、人間にとっては死の宣告だ。
アレンの頬を汗が伝った。彼女の魔力は生命を弄ぶほどのものだった。同時に驚嘆すべきは、それを無効化した人間側の技術。
これが、神の手か……
アレンは、天井を覆うほどに聳え、輝く手を見上げた。
人間側が作り上げた防御結界、それが神の手と呼ばれるものだ。アレンも噂で聞いたことがある程度だった。
アストレアは単なるデマだと笑いながら一蹴していた。
朧気な光がアストレアとレイブンの間でゆらめく。
婚約破棄に至った理由の一つが、この神の手なのだろう。
アレンはアストレアの仕草に目を止めた。親指を整った唇に当て、揉み込むように蠢かす。思案するときの彼女の癖だ。
かつて、二人で森の動物を追いかけまわしたとき、仕留めきれなかった彼女は、同じような仕草をして生け捕りにする罠を考案した。
防御結界は、皇女を思案させる水準に到達していることになる。
「どうした魔女よ。もう終わりか」
レイブンの嘲るような問いかけに鼻を鳴らし、アストレアは右の薬指に嵌めていた指輪を弾いて魔力を照射した。
指輪を貫き、直線に射出された魔力が無機質な音を立て、空間を引き裂いた。
反射された光がアストレアの頬をかすめる寸前、防御障壁に触れて軌道がずれる。魔族側の後方で壁を突き破る音が轟いた。想定外の方向から爆風により、近くの魔族が数名よろめき、転倒する。
これは危険だ……
アレンは左手の親指を剣の鍔に当てた。
アストレアの視線がアレンの剣に注がれる。レイブンはアレンを見て、深い笑みを刻んだ。
「戦力は拮抗した。貴様ら魔族の傲慢さ、今こそ思い知らせてやるぞ」
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