神を辞めさせられた男は魔物にでも八つ当たりすることに決めました

佐島 紡

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プロローグ

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「まずい……これはまずいぞ……」

 男は頭を抱えて、顔に焦りを浮かべて蹲うずくまる。二十代後半を思わせる若い顔には苦悩の表情が浮かんでいた。額からは汗が伝う。
 男の服装は良い意味でも悪い意味でも変わっていた。白く、逆立てた硬そうな髪。ククルスを思わせるフード付きの小さなマント。そして、首にかける歪な大きさの無駄に小奇麗な鏡。
 黄泉国 原祖よみぐに げんし。何日も寝ていないのか目尻に深い隈が刻まれている。
 ここは神の世界。ゲンシは転移の神様として、創造神が作った唯一の失敗作である魔物を倒すべく、今まで数多の勇者をある世界に送りこんできた。
 もう何百人、何千人送っていったかもう見当もつかない。
 時にはゲンシの自腹で転移する人にチート能力を持った武器を授けたり、転生させる際ゲンシが探して探して見つけた優良家族に子供として生命の灯を与えたこともあった。
 しかし、しかしだ。

「なんで誰一人として魔物を倒すことが出来ないんだ……」

 そう、誰一人として魔物を殲滅することが出来ないのである。最近送り届けた転移者は、最初から魔物を倒す気がないかのようにのんびりと異世界生活を満喫しているし、一生懸命魔物を倒すことに命を燃やしていたものも今やそのほとんどが年老いて引退している。
 基本的に突然の死でまだ自分が死んだことを自覚していない物から選出しているが、最近は技術の発達でなかなか死ぬ人間がいなくなり、死んだとしてもそれは老人で転生させるしか方法がなかったりする。

「ど、どうするべきか……」

 このままではいずれゲンシの財は底をつき、貧しさにあえぐことになるだろう。それだけではない。このまま実績を上げられなかったら、神の証すらも取り上げられてしまうかもしれない。
 元人間で、死んでから神に昇格されたゲンシにはあり得るのだ。それだけは阻止しなければならない。

「む、むむむ……」

 ゲンシは体を振るわせる。

「こ、このままでは……」

 木造で作られた質素な家の中で一人頭を掻きむしる。

「ああもうどうしよどうしよ!なんで最近の勇者はこんなにも戦意がないんだよ!簡単にチート能力がゲットできるのに私腹ばっか肥やしやがって!神はスローライフなんて望んでないんだよ!現代の技術どんだけ持っていってんだよ!そういう方面はなんで完璧なのに戦闘には全く力入れないんだよ!女ばっか作りやがって畜生が!この前、能力何が欲しいかって聞いたらママって言われたぞ!上目づかいでな!二十代の孤独死した野郎がな!泣きそうな目で言ってくるから同情して仕方なく通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のママンをプレゼントしてやったぞ!ああもう畜生!」

 思わず長々と叫んでしまった。ごっそり体力を持っていかれたゲンシは、部屋に一つしかない椅子にどっかりと座りこむ。それ以外はテーブルと、少々の酒、あとは昔愛用していた鉄の剣ぐらいしかなかった。何もない家のはずなのに、それでいて、動けるスペースは人一人しかしかない。それほどまでにこじんまりとした小さな小さな家だった。

「はあ……くそ」

 と、その時ゲンシの家のドアが開かれた。あまりに久しぶりのことで驚いたゲンシは、慌ててドアを開けた張本人に顔を向ける。そしてあまりの眩しさに目がくらんだ。

「おおこれはこれは、流石元人間。神に繰り上げられても同等になることは叶わない運命なのですね。ああ、可哀想」

 気持ち悪い声が聞こえた、とゲンシは思う。 気づけば吐き捨てるようにつぶやいていた。

「……くそったれ」
「まあ、野蛮な言葉。まさか私たちが同じ立場とでも思っているのでしょうか?流石愚かな人間。理解力も乏しいですね」

 ドアを開けたのは大地の神マーカーだった。神として作られた者は上位の存在であるゆえに、大抵地上では類稀な美貌と体をもって生まれる。それはマーカーも当てはまっていた。
 一本一本が金色で、輝いて見える長い髪。整った左右対称な顔。長い睫毛。魅力を感じざるを得ない豊満な胸と尻。ゲンシだって男だ。その色香に惑わされそうになったことだってあった。
 まあ、出合って間もない頃だったが。
 今はむしろその美貌をなぜこんなゲンシにとって害悪な存在が持っているのだろうかというわけのわからない怒りさえ湧いてくる仲である。

「何の用だ」

 怒りを隠そうともせずに、ゲンシが問う。

「あらあら、随分とお疲れの様ですね。いつもなら、殺気でも飛ばしてくるのに。……ああ、もしかしてようやく勝てないことを悟ったんでしょうか。まさか、愚かな人間上がりでもそんな知能があったなんて初耳ですわ」

 端正な顔を醜く歪めながら、マーカーが狭い家の中で言い立てる。
 体中が熱くなった。今すぐに暴力の限りを尽くしてぐちゃぐちゃになるまで叩きのめしたかった。
 だが、出来ない。転移の神、つまりは同業の神でもある上級神マーカーに対して力を振るってしまったらそれこそ神の証を取り上げられる要因になる。しかも、マーカーの言っていることはあながち間違っていない。
 元人間は神に対して触れることすら難しいのだ。何の準備なしで向かっていったら、聖なる光で男の体は燃やされてしまうだろう。神の中でも元人間と生まれた時からの神では大きな差があるのだ。また、下級の神は上級の神に剣を向けること事体が難しい。精神が拒否してしまうのだ。例えどんなに憎くても神によって創られた者は神が決めたおきてに逆らうことはできないのだ。
 だから、男は言われることに対して耐えることしか対処はできない。どんなに人権を侵す言葉を吐かれても、硬く拳を握り、耐えることしかできないのだ。神に人権はない。あるのは醜いまでの上下関係と、それに伴う自由度の違い。
 それだけだ。
 神々しいと言いたくはないものの本当の神様だから仕方がない。こいつ以外だったら尊敬に当たる後光も今の男にとっては嫌に眩しいだけの光にしか見えなかった。

「そういえば。ある自分が管理を任されている一つの世界すら満足に制御できない人間上がりの神がいましたねえ。ご存知ですか?」

 どう見ても自分のことなのにわざわざ本人の目の前でそれを噂のように話す行為にゲンシは思わず殴りかかろうとしたが、足に力を込めてなんとか耐える。それに今回のことは私情を抜きにしてもゲンシが悪いのだ。
 神になったものには世界が振り分けらせる。最初は一つ。そしてその世界をうまく制御し、魔物も撃滅とまではいかなくてもある程度力を弱まらせ、ほぼ無害化にすることが出来れば他の世界が分け与えられる。
 そうやって神はより上の存在へ昇格されていくのだ。
 しかし、ゲンシはそうやって分け与えられた一つの世界すらもうまく管理することが出来ていないのだ。
 対してマーカーが管理している世界は優に五十を超えている。差は歴然なのだ。
 そんな差に対して言い返せない自分が腹立たしい。ゲンシは唇をかみしめる。

「ああ、すいません。そういえば貴方がそうでしたか。当たり前に、誰よりも一番に理解しているはずでしたね」
「……」

 何も反論しないゲンシに飽きでもしたのだろうか。話を切り上げて一枚の紙をゲンシに突きつける。

「見なさい」

 下を向いていたゲンシはゆっくりと顔を上げる。もちろんマーカーに対して睨み付きである。そしてゆっくりとマーカーが提示した書類に目を向ける。

「なっ……」

 言葉を失った。その内容はあるゲンシに関する辞令書だったのだ。一気に青ざめるゲンシに満足したらしいマーカーがケラケラと抑えきれない笑いをこらえながら――まあ、それもゲンシにとっては演技のようにしか見えないのだが、声を高くして言う。

「残念でしたね。全く、神失格の辞令とは……くすくす。やはり凡才は凡才でしかなかったのですね。ああ、残念」

 そう、目の前に見せられた書類とは、ゲンシが、神が最も恐れていた物。
 神を解職する書類だった。
 ゲンシの顔が引きつり、絶望に染まる。なまじ神のシステムを理解してしまったゲンシにとって、地上に生きる生物に戻るということは死ぬようなどんな拷問よりも――例えばファラリスの雄牛やガローテのような辛く、苦しい拷問よりも無慈悲で非情で誰にも救いがたいものなのだ。
 慰むかのように声を低くして、それでも口元に浮かべている笑みは絶やさずゲンシの耳元でつぶやく。

「本当に残念でしたね。お悔み申し上げます。心中お察しします。ですが、お力落とされません様に。創造神様は愚かな人間までもちゃんとちゃーんと慈悲を授けるのでーす」

 よく言うぜとゲンシは思う。ほとんどの神は自分のことしか考えようとしていない。自分、管理している世界、信仰心。
 そういうもの以外何も見ていないのだ。そして目的に至るまでどんなことでも行う。狡猾な手でも暴力的な手でもいくらでも使う。
 すべての面で平等な存在なんてどんな存在にもいないのだ。
 当然自分もである。

「知りたいですか?知りたいでしょうねえ」

 ゲンシは何も言わない。それを先に進めろと判断したマーカーは続ける。

「もしも貴方が貴方の管理している世界を救うことが出来たらもう一度神として認めてくださるらしいのです!」

 ゲンシは信用ならなかった。自分が神の座を剥奪されるのはいつあってもおかしくない。が、なぜ一度地に落ちたものを再度天に召そうとするのだろうか。

「ああ、なんと慈悲深い!個人のことしか考えない愚かな人間たちとはそれこそ天と地の差がありますわ!」

 マーカーは手を組み、創造神に対して尊敬の祝詞のりとを流れるかごとく紡ぐ。
 やはり、信用ならなかった。それにマーカーの虚言という可能性も否めない。

「……本当のことだろうな」

 思わずつぶやいていた。マーカーはやっと乗り気になったのかと憎たらしいほどに嫌な笑みを浮かべる。

「というのも創造神様も非常に申し訳なく思っているのです。自分の失敗で他の者に迷惑をかけておいて勝手に権利を取り上げるというのは道理じゃないとお考えなのです」

 マーカーのいうことは最もだった。創造神は世界を、自分が作ったこの世の中を愛している。それは現象一つ一つとってもはっきりとわかることだ。
 才能にしても、人として個性を持ってほしいという願いがあるためである。

「ですから貴方には今すぐ、グリムに飛んでもらいましょう」

 急にマーカーの口調が厳しくなった。創造神様からのご命令。嫌ってこそ言えども自分にしっかりと伝えなければという信念もあるのだろう。ゲンシはそう考える。
 グリムというのはゲンシが管理している世界だった。人が作るにもかかわらず、人の枠を超えて神に近づく人工遺物アーティファクトというものを製造することが出来る人間がいる。他の世界に比べて、卓越した製造技術を持っている世界であるのだ。

「あなたなら簡単なことですよね。初めて違う世界へ転生し、今までいくつもの世界を魔物の侵略から守り抜いた大英雄、ゲンシ。創造神様がこれ以上魔物のことで気を揉ませることがないように徹底的にお願いします。お互い魔物撃滅のために作られた転移という役職。あなたがグリムを救ったら私からも褒美としていくつかの他の国を管理する権限を与えましょう」

 まったく、さっきまでの態度はどこに行ったんだ。嫌っているはずのゲンシにここまで態度を変えるとは、本当に創造神の事をに慕っているのだろう。
 それほどまでの忠誠心は認めたくはないが尊敬をしていた。
 その言葉にきっと嘘はないだろう。そう信じたかった。

「……わかったよ。やってやるさ。さすがにこうまでお膳立てさせられちゃあな」

 ゲンシは壁に立てかけてある鉄の剣を手に取った。素振りは欠かさないようにしているつもりだったが、ここのところ仕事に追われていて握れていなかったため、その分ずっしりと重く感じた。

「貴方には守護者もいることですし、きっと神の加護が貴方と世界に祝福を与えるでしょう」
「……アイシャだ」
「はい?」
「守護者なんかじゃない。アイシャだ」
「……あ、ああ。そうでしたね」

 マーカーが一気に黙る。これに対しては素直にしておかないと後が怖いとでも思ったのだろう。当然だ。神ならだれでも知っている。ゲンシの異常性と、神が送った守護者の悲惨すぎる末路を。

「まあ、さっさとこなしてくる。その間、グリムの管理も頼む。……っとそろそろ時間か」

 突如として地面に転移の陣が現れた。中心にゲンシ。覚悟を決める男の顔を、陣から浮き出る緑色の光が照らす。
 神の権利がなくなったのだ。当然神の世界にいることも不可となる。
 転移の陣は神界内にある神以外の異物を排除するものなのだ。神をやめて生物と化したゲンシは当然異物認定され、人間界に戻される。

「では、行きなさい。大英雄ゲンシ。貴方が世界を救うのです」

 ゲンシは首にかけてある鏡に触れる。無意識にだった。

「よし、やるか」

 自分を見送る者が一番の敵とはとんだ災難だ。そんなことを考えながら元神は地上に降りていった。
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