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第六章 大海の王者と魔導白書(グリモワール)

第十六話「夜襲」

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歓楽街の船団都市と呼ばれるエゴイストは大きく3つのエリアに分かれる。


色と欲が乱れる風俗街。

女王の塔の周りに広がる住宅街。

そして街の運用に関わる倉庫街。


男女問わず、様々な欲望を満たす風俗街があまりに有名な都市だが、当然“街”としての機能を維持する為の機関が存在する。


巨大になりすぎた街を維持するためには、それだけ巨大な資源が必要となる。

海上に位置するこの街では時給自足が必須、そしてその資源確保の要となるのがこの倉庫街となる。


エゴイストは他国との交易も多少はあるが、あくまで中央教会とは距離を置いている立ち位置にいるため、公に国交は開かれていない。


海上での資源確保は供給が不安定なことに合わせて、交易での資源確保も乏しいこの街にとって備蓄は女王の統治下、厳しい管理が行われている。


街の中心でE’sのゲームが今始まろうとしている時。

街の端にある倉庫街には、大勢の人間が集っていた。


E’sのゲームの会場とは異なり、この場に集まった人間逹には気品や高貴さはなく、野蛮で粗野という表現がよく似合う連中だった。


それぞれが己の武器を携え、今まさに行われようとしている戦いに備えている。

そこにはチャイナドレスの美女と、何故かその胸元に押し込まれた黒猫の姿があった。


『何でだ……』


E'sがツェッペリンのゲーム出場に突きつけた条件はクーリンの討伐隊参加だった。

世界のアンダーグラウンドを交易するツェッペリンにとって、鉄火場は当然の舞台でありその場をくぐり抜けられている理由は大きくクーリンにあった。


今回の討伐に参加する傭兵は数こそ多いが決定打に欠ける。

そう考えたE’sの策略に、大富豪はある意味はまった感は否めない。


もちろんクーリンは大反対した。

彼女の優先任務はツェッペリンの身辺警護。

諜報活動もするが、それはあくまで主人が危険な環境に置かれていない事が条件として行われる。

ゲームとはいえ、どの様な危険があるかわからない場所に自分が不在なのは許されないことだった。


「アリスがいる」


ツェッペリンのフォローがとどめとなり、クーリンは憤慨しその場を後にした。


去り際に見えたクーリンの表情を見たアリスは深いため息をつきながら聞こえない程度に呟いた。


「どこも主人は鈍感ですね……」



今回、E’sのゲームにグリモワールが景品として出される事を情報として流出させたのは、誰であろうE’s本人だった。


思惑通り、このエゴイストには世界中の名だたる冒険家、商人、国家の要人などが集り、ある者は金を、ある者は要人に召し抱えられたいが為、名を売るためのクエストに臨んだ。


“襲撃者討伐クエスト”


女王から発されたこの言葉に、この街に集った冒険者たちはこぞって討伐隊に参加したのだった。



アリスが女王との取引で発見した痕跡から、この街を襲っているのは“クジラ”だと分かった。


クジラは海の生物であるが、その大元は哺乳類である。

体内で子を育て、産み、乳で育てる。

全長は数メートルから数十メートル。


世界で見た時に、クジラを食料として捕獲しているところはそう多くない。

何故なら、殆どのクジラは沖に住み、いまだ人類が到達らしていない未知の深さで生活する生物だからだ。


そんな生物が何故この船団都市を狙うのか?


アリスはその理由までは追及しなかった。

女王も当然ながらその理由までは話そうとしなかった。


正体がわかった。

生き物であれば殺せる。


その事実で十分であったからだ。


アリスが予測した場所と時間。

それは陽が落ちた夜の倉庫街だった。


名をあげようと意気揚々とする討伐隊の最前列にクーリンは立っていた。

その顔は険しく、猫を撫でる手にも力がこもっている。


『なぜこんなことになった……』


アリスと別れ、様々なことがあったとはいえ、早く従者の元に戻らねば大変なことになる。

それは彼女の性格もさながら、お互いの性質にも原因があった。


今はもう全知全能の存在ではない、脆弱で愚かな獣に過ぎない。

魔力はあれど使うことは出来ない。


どんなに足掻いても、この状況からは抜け出すことは出来ないのだ。


『しかし……』


黒猫は自らの体を預けている美女をチラリと見る。


東西の無法者や傭兵、魔術師が今かと決戦の時を待つ中で、恐ろしく冷静にずっと一点を見つめている。決しておもむろに殺気を放たず、それでいて緊張感を解くことなく他者を寄せ付けない。


あの大富豪の所でどれほどの修羅場をくぐってきたのか。


黒猫はヒョロヒョロの弟の意識に触れた時に見た光景を思い出していた。

決して恵まれているとはいえない幼少期とこの異端な強さが壮絶な人生を送ってきたことを容易に想像させる。


黒猫は端麗な顔立ちに隠れた修羅の顔に想いを馳せ、従者とはまた異なる美しさを彼女に見た。



「ナゼマリョクヲモッテイル?」



突然の問いかけに、黒猫は最初自分へ投げかけられたものとは気がつかなかった。

クーリンは相変わらず海を見つめたまま手をそっと胸元に添える。


『?』


「カクシテモワカルゾ、オマエノナカニマリョクヲカンジル」


優しく触れる手と裏腹に、言葉は黒猫を捉えて放さない。


「シャベレナイノカ、シャベラナイノカワカラナイガ」


それまで優しく撫でていた手が急に力強く黒猫の体を掴む。

もがこうとしても、たわわな胸と手の力で体が動けない。


「イクサ二ナレバツカエルトオモッテツレテキタ」


『こやつ……まさか魔力を?』


黒猫はじっとクーリンを見つめる。

獣に堕ちた体とはいえ、僅かでも邪なものがあれば魔力が反応する。


「アト、カワイイカラ」


『⁉️』


黒猫の額に美女の唇が触れる。

呪いの魔法でさえ無効化する光の《元》神は一瞬でフリーズした。




「皆の者‼️」



突如として放たれた声に、その場の戦士逹は一斉に船の帆上へ視線を集めた。

その細い身に似合わぬ力強さとよくとおる声の主はこの街の女王、“E’s”であった。


額に金の装飾をあしらった兜、肩と胸当てに膝を守る軽装備。

赤いマントだけが何故かボロボロになっており、ドクロの紋章が風になびいている。

元海賊という話はただの噂と思っていたが、紋章と誰もが圧倒される存在感でその認識をこの場にいる全員が改めることになった。


「我らが富と快楽の象徴と言えるこの街を、食い破らんとする海の蛮族共に鉄槌を下す時がきた」


E’sはその細見な体からは想像できない、力強さとよく通る声で呼びかける。


「調べによると蛮族の正体は“クジラ”と呼ばれる海洋生物だ。知ってる者もいようが、我らの食料であり油などの燃料となるものだ」


屈強な戦士逹に動揺が走る。

公表さえされていないが、この船の重要な資源として巨大な“魚”が使われていた事は衆知の事実だった。誰もがたかが魚と、それが何かとすら考えるものはいなかった。正確には魚類では無いのだが彼らにはどうでもいい事だった。


そして驚きと同時に異様な屈辱感を覚える者もいた。


街を襲う魔物が実はただの魚だった?そんなものを退治するために我々は?



その感情の流れを女王は見逃さなかった。



「そうだ、多少体がデカいだけのただの魚だ!多少知能は高かろうと我々人類の敵ではない!どちらが食物連鎖の頂点であるか魚紛いの者に思い知らせてやれ!一番デカい物を仕留めた者に望むだけの富と快楽を与えよう‼️」


瞬間、船を揺らすほどの歓声が起こる。

未知の襲撃者に備える緊張感から、正体を知り存在を軽んじられたかの様な事実を告げられた。

間髪を入れずその感情の矛先を襲撃者に向ける事ができたのは見返りという餌の効果が高かった。


それだけ女王の言葉に含まれた富と快楽には大きな意味があり、ここに集まった者たちには魅力的だった。


たった一人と一匹を除いては。


『連鎖の頂点か……確かに人間は力を増した。やがてそれは天をつく程の勢いを持つだろう……そして、友よ確か君はこれを憂いたのだったな……今もその光る羽で地上を照らす君よ……』


黒猫は夜空に月を眺めながら、同じ様に光を放っていたかつての友に想いを馳せていた。



もう一人、同じく女王の言葉に踊らされる事なくずっと海を眺めている者がいた。

潮風がその長い髪を揺らし、月明かりがその美しさを引き立たせている。


クーリンは緊張の糸を緩める事なく、ただ襲撃に備えている。

やがて髪を揺らしていた風が止み、雲が月を隠し周囲を闇が包む。


「ツキガカクレタ……クル」


そして彼女の一言で惨劇は幕を開けた。



突如高い波が船を揺らし、即席ながら冒険者達の組んでいた隊列が崩れる。

先程と違い風は無く穏やかだった波が様相を変え大きく唸りだす。


「くるぞ!」


誰かが叫んだ瞬間。

夜目が効く者は信じられない物を見た。


海面から突如姿を現したソレは、瞬く間に山と見間違える程の高さまでのび、勢いそのままに水面へその体軀を叩きつける。


まるで突如として現れた巨人が、巨大な棍棒を振り下ろすかの様だった。


衝撃と同時に高く登った波しぶきは、呆気に取られる冒険者に降りかかり我に返した。

身構える誰一人として先ほどまでの高揚感を持つ者はいない。

相手はただの大きい魚だ。

そのはずだった。


だが現実は違っていた。

山の様な大きさの体が何も見えないこの闇の中こちらへ向かって落ちて来る。

深い海の底に隠れたかと思えば、気がつけばもう頭上。


誰もが恐怖した。


「あんなのがこの船に降ってきやがったらひとたまりもねーぞ……」

「あいつら船に登ってこれないんじゃねえ……登る必要がねえんだ」


言葉にしたが最後、恐怖は伝染し周囲一帯を支配した。

そんな中、冒険者の一人が呟く。


「じゃあ何で今まで外堀を砕くような事しかしなかったんだ?」


その時ひとつ、またひとつ……海面から静かに何かが顔を見せる。

見渡す限り海面に集まってきたそれらは全て一点を見ている様だった。


松明に照らされたその巨大な目が向けられた方向は……。



「マサカE’sヲ……サガシテイタ……?」



クーリンは初めて背筋が凍る感覚に襲われた。

この生き物は遥かに高い知性と破壊力を持っている。

これは女王の言う様な、たかが魚では無い。


緊張がクーリンの全身を包み。

それはダイレクトに黒猫へ伝わった。


『闇雲に襲撃を行うのではなく、あえて襲撃ポイントを晒す事で、あの女王をおびき寄せたと言うのか?それほどの知能がある生き物……クジラとは……』


船の上で驚愕する傭兵とそれを睨む海面のクジラ


拮抗状態の中、再び女王の声が船上へ響き渡る。


「何を 恐れる事があるか!相手は血を流す獣ぞ!血が出るなら殺せる!この人数で叶わぬことなどないのだ!海獣を駆逐し富と名声を手に入れよ!」


その叫びと同時に女王は冒険者の前に何かを投げ入れた。


「これは……目か?」


冒険者の一人が赤子ほどの大きさをした肉塊を見てそう言った。


「これが奴らの目なら……刃が届く……金に……女に……栄光に手が届く」


先程とは異なる異様な空気が周りに広がっていく。


誰ともなく叫び声が歓声へと変化し、その空気が正体を表した。


“殺意”という空気が。



黒猫はその様子を美女の胸元から、半ば諦めた様子で眺めていた。


『ふむ、欲が恐怖を凌駕したか。それも人間だ。さてとりあえず私は邪魔だろうからこの場所から離れるとして……』


討伐隊の歓声のなか、覚悟を決めたクーリンは胸元に収めた黒猫の位置を直し簡単には動けないように固定した。


『そうですか……』


黒猫もある意味の覚悟を決めた。




クーリンは貯蔵庫の中でも一番高く見晴らしの良い場所を確保した。手には自分の倍はあるかという長槍を持っている。


重さも相当あるであろうその槍を軽々と掲げ、クーリンはさらに高さを出すたびに飛び上がり槍を放つ。


淡く光を放つその槍は閃光になって一頭のクジラの頭上に突き刺さる。


『あの光……やはりこやつ……』


投げた勢いで回転し突き刺したクジラの頭上にたったクーリンは、無慈悲に突き立てられた槍を抜き、同時に噴水の様な血飛沫が夜空に上がる。


地鳴りにも似た低い唸り声を上げクジラが闇の海に飲み込まれ周囲を赤く染める。


「やった!仕留めたぞ!」


冒険者から歓喜の声が上がる。

それを号令に次々と弓矢や槍が巨頭に埋め尽くされた海面へ投げ込まれた。


海面に頭を突き出していたクジラ達は一斉に海へ潜る。


まるで大軍勢を押し返したかの様な光景に、自ずと冒険者達の士気も高揚する。

勝利を確信する者、次の弓を備える者、決戦に備え剣を抜く者。

その誰もが盲信的に勝利を信じた。


その根底にあるものが恐怖だとも知らずに。


恐らくはそれを理解していたのは美女と黒猫、そして女王だけであっただろう。


「備えよ!」


女王の声に歓喜に沸いていた冒険者達も再び身構える。


水面は静まり返ったまま。

緊張感と静寂が支配する中、それは唐突に始まった。


《ドン!》


船底から突き上がるような轟音が轟き、海上にいながら地震が起こる。

立っていられなくなる者や、建物や武器にしがみつき耐えるものがいるなか、黒猫を抱えたクーリンは帆にしがみ付いたまま全体を見渡していた。


二度、三度。


まるで地獄の蓋を食い破る悪魔がこちらを飲み込もうとする音が船を揺らす。


「まさか……船底へ体当たりを……?」


冒険者の予感は的中する、木製の建造物にヒビが入り甲板が裂けた。

体勢を崩され数人は船底へ落ちる。


「つかまれ!」


ある者は手を取り合い、またある者は建物へしがみつき闇の海への入り口に吸い込まれるのを防いだ。深い底からの轟音が再び聞けだしたと同時に、1人の冒険者が震えた声でつぶやく。


「聞いてないぞ、こんなの…」


瞬間、月明かりが消え再び周囲が闇に包まれる。それは月が雲に隠れたのではなく先ほどの悪夢が再来した事を告げていた。更にそれは複数となって。


海中から伸びた体躯が山脈の様に空を埋め尽くす。

船に穴を開けられ落ちない様にしがみつく冒険者に逃げる場所などなかった。


次々と冒険者達へ振り下ろされる巨人の混。

数えきれないほどのクジラが海中から飛び出しそのまま全身を使って甲板へ体当たりを行う。

もちろんクジラの体も傷ついていくが、彼らにはそんなこともお構いなしの様だった。


仲間達を狩り、惨たらしく傷つけ、我が欲のために亡骸を汚した人間達。

その首領がそこにいることが、クジラ達の闘争に火をつけていた。


「うわぁぁぁぁぁ!」

「ぎゃぁぁぁぁぁ!」


ある者は船の亀裂から海底へ落ち、ある者はクジラの下敷きに。

その惨たらしい光景に恐れをなした者は逃亡した。


「女王を守れ」


何人かの側近は女王を逃すために逃走路を確保しようとするが、パニックになってしまった戦いの場ではうまくいかず我先に逃げようとする者で争う者すら出てくる有様だった。


『いかん!このままでは』


黒猫を抱えたクーリンは帆から帆に。建物の屋根から屋根に逃れながら群衆のパニックを避けていた。しかし底からの突き上げと頭上からの振り下ろしの波状攻撃に反撃の隙さえ見せることができず、防戦一方の時間は続いた。


「セメテネコチャンダケデモ」


その一瞬。

黒猫だけでも逃がそうと気を取られた刹那。


美女と一匹の眼前が闇に覆われる。

それはクジラの落下が迫っている証であり、その大きさと勢いからクーリンの能力を持ってしても逃れられないことは明白だった。



『やむをえんか……使いこなせよ?」



巨大なクジラの体はすでに崩壊寸前の船に追い討ちをかける様に叩きつけられる。

しかしそこには惨たらしい姿になっているはずのクーリンの姿はなかった。


「コレハ?」


クーリンは迫るクジラから離れ、まだ無傷の船の帆に自分がいることに気づく。

あの状況から命が助かっている事実にも驚いたが、自らの体が青白い光に包まれている事にも驚いた。


「マリョク……ヤハリネコ……?」


魔力の力を使い、目にも止まらぬ速さでクジラの突進を交わしたクーリンは、抱えていたはずの黒猫の姿がないことに気付き驚愕する。


「ネコチャン!」


黒猫は宙に舞い、今まさに大海原に放り出され様としていた。


『守ってくれたからな……お礼だよ』


クーリンには黒猫の声が届いていた。

魔力供給を受け一時的に共有した力がもたらした結果だった。


「オレイッテ……」


クーリンは必死に声をかけ、胸に手を置いた。 


『いや、そこに居た礼じゃ……』 


荒れ狂う海は無慈悲に小さな黒猫を飲み込んだ。
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