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第六章 大海の王者と魔導白書(グリモワール)

第十七話 「ライアーの提案」

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 エゴイストに鯨の大群が押し寄せ、哀れ黒猫が大海に身を投げだされるより数刻前。惨劇の現場より離れた場所で、別の熱を帯びた空間は最高潮を迎えようとしていた。


 歓楽街の隅、薄暗く忘れられた路地の裏。小さな小屋の更に奥、人の欲望にも似た遥か底。富や名声、収集や承認そして正義と希望。それらは全部「欲」だ。

E’sのゲームはその場所に似つかわしく、誰もが抱くであろう欲望の底が作り出すまさに人生のゲームであった。


 執事服に身を包んだ初老の男性がベストのポケットから取り出した懐中時計が刻を告げた。全てを手に入れる者と全てを無くす者を決める。配られた絵柄のついたカードを競うこのルールは一見シンプルで運が勝敗を左右するカードゲームに見られがちだが、正確には駆け引きが勝敗を決する。


 そんなことは当然のこと


 そう思っただろう。


 ただ考えて欲しい。始めて挑むゲームに、駆け引き以外の一切の要素が引き抜かれそれ以外に勝負の要素が無い状況で何を剣とし何を盾とするのか。


「最後は欲である」


 これはE’sがよく使う言葉であった。身ぐるみを剥がれ、心を折られ、命の灯火が消えようとするとき、そこから這い上がる最後の力となるのは「欲」であると。恐らく経験談であろうこの言葉の重さは、この快楽船団と呼ばれるエゴイストを表す言葉そのものであるだろう。では、この場に集った勝負師達はどんな“欲”を持つのか。答えを知るには、勝利が必要だった。


「ふぅむ」


 ライアーは自らの手札を確認すると、艶かしいため息にも似た頷きを見せる。


「流石に各々手練れと見えて中々勝負が動かないねぇ。どうだ、この際少し話でも?」


 円卓上の4人はそれぞれの様子を伺いつつも、自らの意思を示そうとはしなかった。真剣勝負の最中、水を差された形にはなったがこれはライアーが仕掛ける罠ではないかと計りかねていた。それほどこのゲームは互いの腹を探りある心理戦、そしてこの時間は正に緊張の糸が張り詰めすぎて硬直状態となっていた。


「いいじゃねーか。このままじゃ埒があかねえからな」


 手持ちのカードを雑に投げ捨て、ヴィランは葉巻に火をつけた。特に表情を変えなかったドールも手持ちのエールを煽りおかわりを要求した。動かないゲームを一時中断する案に内心賛成ではなかったクラウンも1対3では反対するわけにもいかずキャンディの包み紙を乱暴に開けては中身を頬張った。


「さて、中断を提案した身としては何か話題を提供せねばなるまいな」


 中断という言葉に、初老の執事は一瞬目尻が強張ったが、それでも彼はこの状況もゲームの展開であり、主人であるE’sの意向を違えることは出来ないという思いの元見過ごすことにした。彼と主人の主従関係はこの物語で語られることはないが、このゲームを取りまとめるだけの雇い執事というわけではないことは、この場を一人任されている状況が物語っている。この主従もそういう風に出来ているのだろう。


「べ……つに……いい……よ、はや……くす……ませ……たい」


 バリバリと飴を噛み砕きながらクラウンはその場の興を削ぐ。


「何だよモヤシ、みんなでおしゃべりするのは苦手か?それとも目の前に慣れねぇ景色でも見えてるかぁ?」


 クラウンの正面に座るライアーは男物のシャツを開け、その隙間からは白い“たわわ”な果実がその実を覗かせる。


「ちっ!」


 下衆な笑声をあげるヴィランを目の前に、クラウンの菓子とドールのエールはすごい勢いで減っていく。その様子は先程までの張り詰めた空気が嘘のように見え、その中でライアーの一言に全員が動きを止めた。


「この勝負……いや、このグリモワールを私に譲ってはくれまいか?」


 すかさず反応する周囲を静止する手が卓上に翳される。全てをゼロに戻す提案に当然の如く反論が、もしくは攻撃がされることを予測していたかのようにライアーは口上を述べる。


「まあ、待て。私は話をしようと言ったのだ。当然、突拍子もない事を言っている自覚はあるのだ。それでも……」


「聞く価値が、あると?」


 思いかけず口数の少なかったドールが食いついた事に、一瞬ヴィランは驚きを見せたが他には悟られない様にハットを直し誤魔化す。それでもドールの目には勝負を諦めた様子が見られなかった事と、この硬直した状況を変えるきっかけにならばと賭けに出た。その言葉に呼応する様に一瞬力の入った拳を解きウイスキーを煽る。


「じ……かん……のむ……だ」


 クラウンの空な目は鋭さを増し、提案者を射抜く。このゲームの展開に対し明らかに苛立っていた上に、それを台無しにする様な事を言い出した目の前の麗人に殺意さえ芽生えていた。奪い合う相手から、強奪い合う相手へ変わっていた。


「せっかちな坊やだこと、でもこの話はあなた方にも悪い話ではない。私の提案は要するに誰も何も失わず誰もが得られるという話なのだよ」


 ライアーの話はこうだった。


 自分は、詳しくは話せないがあるギルドに所属しており、れっきとした中央教会の認可の元で活動を行なっている。活動の目的は「貴重生物の保護」。今回、調査を行なったところ、ある貴重な生物が一方的に虐げられ保護を必要としている、だが保護すべき対象も駆逐されるべき相手も巨大すぎて通常では手に負えないというのだ。


「貴重な生物?」


 ドールはそれまで真っ直ぐだった目線を変え、突如身の上話を振り出した相手へ向けた。ライアーはこの話に真っ先に興味を示した相手に「御しやすし」と察したか、身を乗り出して講説を垂れる。


「ああ、そうだよ。貴重で希少で奇妙な生き物さ。体躯だけでもガレオン船ほどもあるだけじゃない、知能も人間と変わらないという、そんな生き物がただの肉や油となり欲望の餌食になっているのは何とも哀れと思わないか?」


「して、その生き物とは?」


 ドールが口にエールを流し込み、瞬きもせすに相手の唇を追う。


「クジラ……さ」


 その言葉にヴィランは一瞬ドールに目線を送ったが、それは悪手であると気がつきすぐにライアーへ視線を戻した。この女が語ったその生き物の名こそ、銀髪の占い師が辿り着いた、E’sの悩みの種であり、この街の厄災であった。そうであれば、もしこの女がその名に似つかわしくない人物であれば。このグリモワールの魔力を使いクジラを守るというなら、それはこの街の問題が解決しないことを指すのではないか。


 ヴィランはドール、……アリスの反応を待った。


「では、あなたの言う誰もが得られるというのは、そのクジラを保護した後で私たちの願いも叶えてくれるということでしょうか」


 アリスはこのゲームが始まってから一切姿勢を崩していない、椅子に浅くかけ背筋は伸びており顔は円卓の中央を覗いていた。それがこの話がはじまるとライアーの方へ顔を向け、今は体ごと目の前の美女の方を向いている。それを自分の話に食いついた様に見えたのを機にこの話の本筋を急いだ。


「そうだよ。失わないのはあなた達の賭けたその珍品貴品さ。私は汚らしいの富も、イカサマ道具も、ましてや年端もいかない子供などもってのほかだ。守るべきものが守れればそれで十分。あとは君たちの願いを叶えてやろうじゃないか」


「俺たちの願いだと?」


「えぇ、そうよ。お嬢ちゃんはこの魔力が欲しいのでしょう?、それにあなたもそれに協力している……一匹狼の気まぐれな理由までは分からないけれど」


 ヴィランはそのトレードマークでもあるハットを被り直し、腹を探ろうとした相手に睨みを効かせる。


「おめぇには分からねぇさ。このツェッペリン様の事はなあ。ただこのゲームの勝者は“総取り”がルールだ。失わねえだけじゃ割りに合わねぇ」


〈ドスッ〉


 円卓にナイフが突き刺さる。


 ある程度、武術の心得があればこれが何の脅しにもならないことは明白だが、このツェッペリンが武力も後ろ盾もなくここまでの富を手にした事実が、この突き立てられたナイフの意味を物語る。それをこの麗人も深く理解している。そしてそれだけに図り兼ねていた。


「これほどの男が……ねぇ」


 少し信じられないものを見たその目を閉じ、ライアーは自重気味に笑う。


「で、そっちの君はどうなの?この話、乗るの?乗らないの?」


 先程まで3人のやりとりを見つめていたその目は、今も青白い表情の奥から一点を見つめていた。静かに、ただ静かにライアーの目を睨んでいた。紫色のその唇が開くことはなかったが、その指先は爪が割れるほど力強く椅子の端を掻きむしり血で赤く染まっていた。それは恐らく誰にも気付かれてはいなかったが、ライアーは察しているかのように言葉で囲い込む。


「お前にも願いがあるのだろう?そう例えば……兄弟達の命を……」


ダン!


 クラウンの腕が円卓を上から殴りつける。


「お……まえ……にな……にが……」


 何か核心を得たかの様に、ライアーの口角が鋭く吊り上がる。


「どうだ?私にあの本を譲ってくれれば、必ずお前の兄弟達を救おう。……そもそも気付いていないのか?兄弟達の“病気“について。あのスクロールの原料に件の生き物が利用されているのだ」


 か細く青白い腕が小刻みに震える。他の参加者には理解できない何かにライアーは間違いなく触れた。均衡状態だったゲームが一転、今度は一人の女性にペースを完全に握られていた。ゲームを仕切る執事も止めようとはしなかった。この場を任されているが故、この状況はE’sにとって不本意な状況であれば止めることもあるだろうが、もしかすると当の執事本人は楽しんでいるのかもしれない。ただ沈黙を持ってこの場を肯定していた。


「やけに、情報通でいらっしゃますね。それも“組織”に所属されているからなのでしょうか」


 それまで真っ直ぐクラウンを見ていた視線がゆっくりと、獲物を捉えた蛇のような目でドールを捕らえる。


「どうだろうねぇ。そう大したもんじゃないさ。例えばお嬢ちゃんは何かを取り戻したい……その程度だろうねぇ」


「あなたは……」


 ドールは底の知れない相手との対峙に内心では心細さを感じていた。悪い予感が当たった、これまでは実際の戦闘以外にも、こういった他者との関わりも主人がサポートしてくれていた。もういっその事この場が剣と魔法の鉄火場になればと、そう思ってしまていた。


 そしてそれは現実のものとなる。


「も…うい…い」


 それまで震えていた細く青白い腕があるものに触れる。それは手が触れた途端その紐で縛られた口を開け呪いにも似た唸り声をあげる。フーリンが団長から預かった小人の頭からは同じく縛られた目や鼻や耳から禍々しい煙状のオーラが溢れ出る。


「魔力!」


 形状や質は異なるが、明らかに主人アルトロスのものと似た力の色を感じた。だがこれは嫌な感じがする、アリスは全身が拒むこの魔力に明らかな嫌悪感を抱いた。そしてその答えはすぐに分かることになる。


 小人の頭から吐き出された魔力の煙は床に充満し、その中から人の形をした何かが這い出してくる。それは段々と姿が明確になってくるにつれて、それがサーカス劇団員の服を纏っているのが分かる。誰も目に正気がなく、フラフラと歩き他の3人を見ていた。


「ころ……せ」


 ツェッペリンは卓上に刺したナイフを手に後方へ下がり、アリスも同様に椅子から飛び上がり彼を守る様に前に出た。誰も意図せぬ形でゲームは再開されたが、ただ一人これを読んでいたかの様に笑う淑女は席を立たずに笑っていた。
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