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第六章 大海の王者と魔導白書(グリモワール)

第十八話「道化対嘘つき」

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 均衡は突然破られた。


 停滞したゲームは一人の提案によりその進行を止めた。その間のプレイヤー同士のやり取りは観客には聞こえていなかっただけに、その突然の出来事には観客も驚かされ会場は一気に混乱した。


 とは言え会場が阿鼻叫喚の混乱に陥るまでには多少の時間を要した。初めに動いたライアーが手にした長い針状ものがクラウンの喉を貫こうとし、それをかろうじて蹴りで弾いた際に、獲物はあらぬ方向へと飛び不運だった観客の額を貫いた。状況の飲み込めない被害者の額から血飛沫が舞い上がった瞬間、恐らくその連れであろう女性の悲鳴が号令となり惨劇は始まった。


 状況の変化にいち早く円卓から距離をとったドールは次々と無差別に飛んでくる針を他のテーブルで防ぎながら様子を伺う。ライアーはクラウンとの攻防を繰り広げながらもチラチラとドールに視線を送りその度に弾かれた針がドールの足を止める。まるで中央の二人が邪屋をするなと釘を刺すかの様だった。


「このままでは……」


 アリスは同じく会場を支えているのであろう柱に隠れきれていない体を確認する。ヴィランはやっとの思いで突如生まれた戦場から距離を取り自分の前に躍り出た少女に多少申し訳なさそうに身を潜めている。ツェッペリンはその卓越した鑑定眼と交渉術で大富豪へ登りつけたが戦闘力は一般の人間とそう変わりはない。恐らくその役割はあの無駄肉のカタコト女が担っていたのだろう。ひょっとするとあの日、初めてヴィラン……ツェッペリンに招かれた時に部屋にいた女性は全員がそうだったのかも知れない。アリスは後方にいる男の無事を確認しつつ、この戦局を出し抜く方法を探っていた。


 ゲームが行われていた円卓が設置されていた空間では、先程からライアーの針攻撃をクラウンが巧みな体術で防いでいた。もはや人間とは思えぬほど身軽なライアーはテーブルや柱を使いジャンプを繰り返し、死角から針を飛ばしてくる。一方今までのフラフラとした雰囲気から一転、驚くべき条件反射でクラウンも針が体に届く寸前でかわしたり弾いたりで致命傷を与えない。


 この二人の攻防が繰り広げられれば繰り広げられるほど、目標を失った針が混乱の中逃げ惑う観客へと標的を変える。


 突如、始まった戦いで惨劇の舞台となった会場から逃げ惑う人々。

 血と悲鳴の地獄絵図が繰り広げられている中、発端の二人はいつ終わるとも知れない攻防を繰り広げている。クラウンに召喚されたサーカス団は4体。何か意思を持っているように見えないが、召喚主を狙う敵の動きを止めようとするが宙を舞う相手に苦戦している。


「クソが!もうこうなっちゃ他人のフリするのもバカバカしい。おい嬢ちゃんあの気味悪い頭って確か“未来が視える“って代物じゃなかったか?何かあのヒョロヒョロが更にヒョロヒョロを呼び出しやがったぞ⁉︎」


「分かりません。何らかのマジックアイテムなのは間違い様ですので、そういう芸当も出来なくはないのでしょうが他にも秘密があるのでしょう……あと、元々他人です」


 アリスは「そこかよ!」と後ろからのツッコミもよそに戦闘を繰り広げる二人を見つめる。人間離れした身の軽さで上手く死角から遠距離攻撃を仕掛けるライアーと、これも恐るべき体術でそれをかわすクラウン。防戦一方に見えこの争いも召喚されたサーカス団がそれぞれライアーの着地場所に先手を打ち行動の範囲が限られていった。


 ここに割って入るほどの力は今の自分にはない。主人さえいれば、魔力さえあればこの程度の鉄火場など悠々と乗り越えることができるが、アリスは悪い予感通りの原因が自分にあることに歯痒さを感じた。



ガシッ



 ついにクラウンの召喚した従者がライアーの足を捕らえ動きを止めた。

 体制を崩し床に叩きつけられたその体に次々と覆い被さる団員達にライアーは苦悶の表情を浮かべる。


「ぶ……ざま……だな」


 クラウンは先ほどまで自分を標的としていた巨大な針を拾い、床に横たわる女の喉元に突きつける。


「こた……えろ、な……ぜ……ぼくた……ちのこ……とを……しって」



ザクッ


 怨みと焦りが混じった声で問い詰めきる前、先程まで会場を舞っていた針がクラウンの肩を貫く。衝撃もあったが何より肩の痛みを感じるまで気付けなかった事に声が出なかった。


 確かに目の前の女は四肢を押さえられ何の挙動も確認出来なかった。


「な……に……を」


 次の瞬間、ライアーの額から針が放たれ体を押さえていたサーカス団員を貫く。頭や心臓に穴が空きそこから煙が勢いよく吐き出され体が激しく痙攣しながらやがて全身が煙となり小人の頭に吸い込まれていった。


「ふふふ、ごめんなさいねぇ。さっきから針を投げてると思ったでしょう?残念、これは正確には〝角”なの」


 ライアーはそう言うと乱れたドレスを直し、前髪を掻き上げる。


「それ……が……な……ぜ……そこ……に」


 ライアーの額からは螺旋状の角が伸びている。ゲームが始まる前に賭けとして出したユニコーンの角と同じ物が額から生えていた。


「ちくしょうあの女、贋作をお披露目に出しやがったな!」


 柱に隠れながらも悪態をつくツェッペリンを視線の端にやり、ライアーは肩を押さえ痛みに耐えるクラウンに近づく。


「く……る……な、ぐぁ!」


 ライアーの額から伸びたユニコーンの角から我が身の分身の様な角が放たれクラウンのふとももを辛いた。


「そうそう、そう言えば何故私があなた方の事情に詳しいか……だったわね。私は……そう、あるギルドに属しているのよ。詳しくは言えないけれどね」


「ギルドだぁ?」


 ツェッペリンは身を屈み、アリスにだけ聞こえる様に話しかける。


「俺やあのひょろ長小僧の事は調べりゃ分かるが、その様子だと嬢ちゃんの事も図星なんだろ?そこまで調べ上げるとはその辺のギルドの出来ることじゃねぇ」


 アリスは耳だけを傾け、目線は対峙する二人から離さない。


「フーリン君?だったっけ?あなたも友達も、そんなボロボロになるまでこき使われて可哀想だわ」


「な……ん……だ……と」


 フーリンは痛みに耐え前へ出るが、既に先程までライアーの攻撃を避け切った体術のキレはない。渾身の蹴りもあっさりとかわされてしまい、逆に床へ倒れ込んだ。


「あなたの団長……あの醜い男ね。裏で中央教会と繋がっていたの。男は金目当て、教会は実験を兼ねて」


「じっ……け……ん」


 ライアーは同じく床に転がり先程から禍々しい光を放つ小人の頭を掴む。よく見るとフーリンが団長より預かった時より顔を苦痛に歪み、紐で縫われた口からは何か呪いの様な言葉が微かに漏れている。


「これは、あるエルフの頭。禁忌である死体蘇生を生涯の探究としたはぐれエルフの成れの果て……」


 そう言うとライアーは手に持った頭をまるで汚らしい物を投げ捨てるように放り投げた。そして告げられた言葉に混乱するフーリンを見下ろした。


「あなた達サーカスの団員は実験の道具だったの。たまに闇の仕事をさせられていたでしょう。……盗みに誘拐、そして殺し」


 団長から時折依頼される「残業」は目の前の女が言う通り、あらゆる犯罪に手を染める行為だった。それは日の明かりに晒されれば罰を受ける行為である事は明白だったが、影に生きるフーリン達にとっては生きる術だった。明らかにそうあの男、団長に仕向けられていたとはいえ、家族を兄弟達を無くしてしまわない様、必死だった。


「団長があんたに渡したスクロールは、とても単純な魔法が書かれていた。それはね、痛みと思考を消し去る魔法」


 フーリンには傷つき倒れても尚、立ち上がり死者の様に彷徨う仲間が脳裏に浮かんだ。


「元々は戦場で傷ついた、恐れで動けなくなった兵士用の術を転用したもの。どこかの馬鹿が考えた愚行。いつだってどこかの馬鹿が自然の摂理を犯す……」


 突如ライアーの表情は怒りに乱れ、殺意に溢れた目を呆然と床に横たわる道化に向けた。


「だから壊す!禁忌を犯す哀れなお前たちを!そして母なる海を汚すこの街を!」


 今まさにとどめを刺そうとする刹那、物影から二人の隙を付き飛び出した。


「ちょっ!嬢ちゃん!」


 ツェッペリンの叫び声に気付いたライアーは会場の上段に位置する祭壇に目をやる。そこにはE'sのゲームに賭けらた秘宝「グリモワール」が飾らせていた。恐らく何重もの封印がかけられた厚く物々しいその本は、混乱に乗じて奪い取ったアリスの細腕に抱えられていた。


「ガキが!いつの間に!」


 アリスに細かい考えがあったわけではない。純粋な戦闘では不利になり、とはいえマジックアイテムを駆使して戦う両名を出し抜く知恵も思い浮かばなかった。


 二人を打ち倒すでもなく

 誰がを助けるでもなく

 その場を去るでもなく


 少女は単純に「強奪」という方法で本来の目的を達した。


 主人もなく魔法も無いアリスはただひたすらチャンスを待った。勝負の勝負けさえもチャンスを作り出す手段と考えた。主人との旅で覚えた獲物の狩り方。最大の隙は攻撃の瞬間だと知っていた。身に染みていた。


「森ごと焼き払えば楽ですのに……」


 そう愚痴をこぼす度に主人の黒猫に説教されるのだった。


「その本を置いて去れ!ならば命までは取ら無いよ!お前にそれは使えない!」


 ライアーは更なる怒りで身を震わせアリスに向かう。


「そうですね……ではこれを使うのはいかがでしょう」



 アリスの手の平に乗ったそれを見た3人は驚愕の表情を浮かべた。フーリンが賭けたそれはライアーによって穢れたものとして投げ捨てられた。目と鼻と耳、そして口を荒々しく紐で縫われているがありとあらゆる隙間から煙と呪言が漏れていた。そして今はその全ての封印は開かれていた。


「ガキが何をしたぁ!」


 ライアーの角が流星のようにアリスへ放たれる。しかし小人の頭が呪文を唱え防御壁を作り出す。


〈傀儡の乙女よ……その本に我を重ねよ……〉


 小人の頭から呪文のような言葉が詠唱される。アリスはその言葉に操られる様に自らの目を閉じた。


「ダメだ嬢ちゃん!上手く言えねぇがそいつはやべぇ!」


 当然、ツェッペリンにはアリスが持つふたつの奇品について知るわけでは無い。本能だろうか、これまで数々の修羅場をくぐって来た経験が彼を叫ばせる。同じくライアー、フーリンも叫ぶが声は届かない。


 そして悪夢は始まった。
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