久遠の鼓動

神楽冬呼

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第6章 久遠

水面に映る記憶

矢館 悠斗を捨て、しばし蒼麻に戻っていた頃がある。
戸籍から戸籍へ移る間のクールタイム。
次の戸籍に移る為に10年以上完全に表社会から姿を消す。
髪を染め、風貌を変える。
蒼麻・・はネクタイを緩め、噴水の縁に座った。
今日は外回りの営業マンを装っていた。
そして、噴き上がる水の柱を挟んで反対側には日向 葵の背中がある。
葵が勤務する図書館の中庭には、噴水があった。
昼休み、葵は決まってそこに座る。
蒼麻は時折、様子を伺いに行っていた。
見守るのは、相良の依頼があるから、そして架南の生まれ変わりである可能性が高いから、ただそれだけの事。
その時までは…
葵が水の中に手を入れていることに気づき、肩越しに振り返る。
水面に落とす葵の眼差しに、瞠目した。
秘めた恋心を映すような、温かく切なげなものだった。
水面に何を思うのか、そこに何を見るのか。
葵が片手のひらにすくった水が、滴り落ちる。
その仕草を息を潜め眺めていた。



彼女の中に、架南の記憶があるのだろうか。

それから昼時に図書館に足を運ぶ回数が増えた。
彼女は持参した弁当を食べ、読書をし、時折水面を見つめる。
そして、水の中に手を差し入れる。
記憶の奥底にいる何かを掴みとろうとするように…
一体、何を…何を見て、何を求めてる?
止せばいいのに、それに触れたい衝動に突き動かされ、蒼麻は水の中に指先を沈めていた。
水を通して伝わる、鼓動と温もり、そして…
『あなたは、誰?』
僅かな、思念。
鼓膜の直ぐ近くで囁かれるような、その小さな声に蒼麻は思わず水から手を引いた。
痛切な声を聞いてしまった。
ザワザワと胸の奥が騒めき、気もそぞろにその場を後にした。

あの時、あの瞬間がなければ、何か変わっていたのだろうか。

砂塵を巻き上げ、風が舞い上がる。
要は舞い上がる風に逆らうように、ビルの合間にあるコインパーキングを見下ろした。
満琉の証言から色も車種も一致、葵を攫った車輌で間違いないのだが…
要は着信を報せて小刻みに震えている携帯電話を手にする。
鳴らしているのは満琉であろう。
『やっと出たわね』
案の定、恨めしそうな満琉の声が飛び込んできた。
『スマートウォッチもワイヤレスイヤホンも持たせたのに、使ってないわね』
「色々と邪魔なんです」
スマートウォッチは兎も角、イヤホンは聴覚を妨げるから探索には向かない。
「それより、防犯カメラの映像は見れましたか?」
コインパーキングには大概防犯カメラが設置されている。
『ええ、覗けた・・・わよ。だけど、橘 詠一も葵ちゃんも映っていないわ。知らない男が車を降りてる』
「やはりフェイクですか……その男の写真送ってください。あと出来る限り素性を」
『そう言うと思ったから篠宮に頼んでるけど、簡単にはヒットしそうにないわ』
「あと、半径100M範囲にあるカメラに潜って、足取りを拾ってください」
『わかったわ……』
「お願いします」
満琉が何か言っていたが構わずに要は通話を終わらせる。
一度スローネに戻るように、満琉からそう言われることは目に見えていた。
闇雲に追跡しても、恐らく足取りはつかめない。
陽だまりのカウンターに置いていたGPSが一つなくなっていた。
恐らく事態を察知した葵が持って行ったのだろうが、スタンガンの衝撃で壊されているようだ。
気絶するほどの電圧と言うことは日本国内で販売されている虚仮威しのスタンガンではない。
そんなものを使うからには、葵を傷つけることは厭わないと言う事だ。
ジリジリと身体の内部から灼かれていくような焦りに蝕まれる。
だが、一体どこで葵は車から降ろされたのか…
気絶した葵を抱え、目立つことは避けたはずだ。
スローネからコインパーキングまでの道のりで、どこかに消えている。
そして、コインパーキングに車を停めた男の存在がある以上、橘 詠一の単独犯ではない。

『証』があることを知り拉致したのか、知らずに拉致したのか…

祥吾が西園寺を担い、和希が負傷、察知の能力がある楓はいない、動けるのは篠宮と自分だけだ。
防御を手薄にして的確に急所をついている。
橘 詠一はただの駒ではない。
恐らく、彼は黒幕ワイアプラ
黒幕自らが拉致に動いているのだから、容易には見つからない。

ずっとこんな日がくることを恐れていた。
出会うべきではなかった。
触れ合うべきではなかった。
だけれど、もう遅い。
手放す事などできない。
一刻も早く見つけ出さなくては…
その場を移動しようと、視線を隣のビルへ移した時だった。
セーラー服が目に入る。
次の瞬間、何かが高速で飛んで来る気配を感じとり、要は身を翻し後退した。
小さくて速い、石飛礫いしつぶてか。
「あーあ…」
フワリ、と浮力を無くした風船が落ちるように、少女が目前へと着地する。
「やっぱ避けられちゃうんだね」
見たところ中学生、幼さの残る顔つきは好奇心に満ち溢れている。
「初めまして、蒼麻さん」
少女が腕を振りかぶり空を切ると、瞬時に風が巻き起こった。
風圧が鈍い刃のように飛んで来る。
要は顔の前で腕を交差し、それを受け止めた。
風圧に耐え切れずに、靴底がコンクリートを擦りながら後ろへと押しやられる。
ヒュー、と少女が口笛を吹いた。
「やるねー!瞬発力抜群、体も鍛えてるっ、そしてイケメン。写真より実物のほうが断然いいじゃん」
楽しそうに少女が瞳を輝かせる。
ボーイッシュな短い髪がその快活さを際立てている。
能力を立て続けに使っても息一つ上がらず、ブレがない。
年の頃は13才辺り、能力の覚醒が早かったとしても随分と制御がうまい。
心得のある者が導いたように、鍛えられている。
「クールでポーカーフェイス、そこは残念っ」
軽やかに少女がコンクリを蹴り跳躍した。
要の至近距離に着地し、間髪入れずに足を蹴り出してくる。
要はその華奢な脚を片腕で止めた。
少女の力とは思えない重たい威力に鈍い痛みが走る。
能力による増強、巧みに攻撃に纏う柔軟さ。
「風の能力者ですね」
その能力と直接対峙したことはない。
当時、一族にいた風の能力者は、まだ小さな物を浮かすことが精々の5才の幼子だった。
ニッと、少女が口元を歪ませ、要の顔に向けて指を差す。
まるで銃を撃つかのような手の形、能力ちからの流れが見えた。
とっさにその手を掴み、小さな体を投げ飛ばす。
重力がないかのように空に舞い上がった少女の体が、回転して降りてくる。
「察しいいね。さっすが!」
歌でも唄うような口調、心底楽しんでいるように見えた。
「ねえ、女の子相手だから手抜いてるの?本気じゃないよね?女の子とは戦えない?」
空中で膝を抱え、少女はあどけなく笑う。
「あの人のこと見つけたいんでしょう?僕の事、打ち負かして居場所を聞き出したくないの?」
挑発めいた少女の言葉に、要は違和感を覚える。
こんな街中のビルの屋上でどういうつもりなのか。
何が狙いなのか計りかねる。
「蒼麻さんにしても、お兄にしても、あの人の何がいいの?証があるからなのかな?」
人差し指をクルクルと回しながら少女はクスクスと笑っている。
最初から知ってか知らずか、どちらにせよ証の件は知られている。
そして、この少女は駒に過ぎないのだ。
「君は何故、こんなことを?」
「んー、よくわからないけど、大義ってヤツ?お兄に言われたから、かな」
黒幕ワイアプラにとっての単純な手駒。
能力の制御を教え、大義を植え付け、意のままに動かしている。
「橘 詠一を装うあの男の為ですか」
「蒼麻さんだって、装ってるじゃん?僕だってそうさ。みーんな、誰かのフリして生きてるもんだよ」
殺気も緊張感すらない、掴み所のない様は気ままな風そのものだが、橘 詠一の名を出した時だけ声のトーンが変わった。
「橘 詠一が装うのは名前だけではなさそうだな」
要の言葉に少女が眉根を寄せ、クルリと反転すると足を下ろした。
「蒼麻さん、内心すっごく焦ってるよね?彼女盗られてさ、居場所もわかんない。きっともう会えないよ。それでもそんな顔してられる?」
少女の顔には苛立ちが見える。
思い通りにならずに焦っているようだ。
目的は挑発、動揺なのか…
橘 詠一の差し金ではないのか。
「ほんっと無口な男って嫌いっ」
少女が腕を振り上げた刹那、要は屋上にある塔屋へと目配せる、少女に悟られずに忍ばせた水蛇へと。
塔屋の上には貯水タンクが設置されている。
狙いがいまいち見えないが、致し方ない。
せっかく出向いてくれた手掛かりだ。
首をもたげた巨大な水蛇に気づき、少女が攻撃対象を切り替えたが、腕を振り下ろすより速く、水蛇が少女の体に食らいついた。
悲鳴を呑み込むように少女の両腕を巻き込んで水蛇が絡みつく。
少女は上手く能力の制御コントロールはできているが、発動させる為に腕の動きに頼り過ぎている。
天性の勘は優れている、訓練も受けているだろう。
だが、まだ足りない。
「何これっ!」
動きを封じられ少女は青ざめ顔を歪めた。
「悪いが、見た目ほど冷静ではないので、容赦はできませんよ」
要はそんな少女に凍てつくような視線を向ける。
「彼女はどこですか?」

もしかすると、これは罠だ。

ここへの足止めか、他の狙いか…
今こうして少女に時間を費やすこと自体が、すでに策中に落ちているのかもしれない。
だけれど、情報を盗れる好機でもある。
冷静になどなっていられない。
スタンガンを葵に浴びせられた事だけでも怒りに耐え難い。
動揺や焦りと同じくらい、怒りは判断を鈍らせる。
一刻も早く助け出す為に、それらを抑え込むことが必須だとわかってはいても、勃然と憤怒が沸き上がる。
そして怒りと共に胸を占める不安と愛しさ。
水面に手を差し入れている葵の横顔ばかりが浮かぶ。
まるで、あの時の衝動を自分自身が責めるかのように…
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