久遠の鼓動

神楽冬呼

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第6章 久遠

心の在り処


血には、随分と慣れたつもりでいた。

だけれど、切り落とされた手首から流れ出る鮮血の量はおびただしくて、葵は驚愕した。
結界は防御に使うものだと、そんな意識が強かったから、こんな形で人を傷つけるだなんて思ってもいなかったのだ。
「参ったな……」
詠一がそう呟いたのを聞いて、葵は我に帰る。
床に膝をつき、外したベルトで腕の止血を始めた詠一の背後にリビングが見えた。
今なら、すり抜けて部屋を出られるかもしれない。
詠一の息は乱れ、青ざめてきている。
この状態の詠一を放置して逃げ出す事は躊躇われたけれど、きっとこんな状態でもなければ逃げ出せない。
葵は覚束無い足を踏み出す。
それに気づいた詠一と視線がぶつかり、詠一が立ち上がろうとした。
「日向っ」
名前を呼ばれ、すり抜け様に詠一に腕を掴まれる。
ぬるりと掴まれた肌を詠一の指が滑った。
「……今は出ちゃダメだ」
大怪我をしているとは思えない指の力に、葵の恐怖が激しく高まる。
「いやっ!放して!!」
葵が叫んだ瞬間に詠一が即座に手を引いた。
見えない壁が詠一と自分の間に現れ、消える。
戦慄が体の奥を突き抜けた。

能力ちからが全く制御できていない。
感情の起伏で容易に出現してしまう。

切断された手首が目に入り、葵は目を背け走り出していた。
玄関を出て、外へと闇雲に走る。
外は日が暮れ始め、迫り来る闇が暗がりを深めていた。
人影のない住宅街、そんな暗がりでさえ恐怖を増長させる。



路地の隙間にフェンスが見えて、葵はそこを目指した。
線路か、川か、どちらでもいい。
線路があれば駅を目指せる。
川なら、水がそこにある。 
要が近くにいるような気がした。
フェンスの下はかなり大きな川、下に降りられる場所を探すと、すぐ先に橋がある。

「葵さん!」

橋まで走ろうとした時に、背中に声を聞いた。
懐かしくも愛しいその声に胸が高鳴る。
振り返るとすぐ近くの民家の屋根に着地する要が見えた。
「……要くん」
会いたくて会いたくて、焦がれたその姿に苦しいほどに胸が震え、すぐにでも腕の中に飛び込みたい衝動に駆られる。
要が屋根から跳び降りようとした時だった。
薄暗がりの空の中、セーラー服が落ちてきたように見えた。
要の真上から、進路を阻むかのように。
風を切る音が低く響いて、スカートから伸びた白い脚が要にぶつかる。
それを腕で防いだ体勢で、要の体が後方へと飛んだ。
飛びつく様に小柄な体が要を追う。
中学生くらいの女の子、あの声の少女だとすぐに分かった。
屋根の上で繰り広げられる攻防戦に、葵はハラハラと気を揉んだ。
要は強いし、少女も力の差を分かっている口振りだったから、要が負ける事はないと感じてはいる。
だけれど、それでも執拗に挑みかかる少女の意図がわからない。
詠一には遠くへ行けときつく言われている様に聞こえたが…
要は受けたり避けたりと少女の攻撃を交わしているが、反撃には出ない。
ふと、ズルズルと地面をするような音が聞こえ真横で止まった。
見ると要の水蛇が鎌首をもたげ葵に擦り寄ってきていた。
要の分身にも似たその水蛇に、葵は酷く安堵する。
水蛇は緩々と地面を這い、要へと向かっていく。
刹那、突如として要と少女の間に大きな肢体が割り込んだ。
どこからどう現れたのかわからない、一瞬の出来事だった。
水蛇が速度を速め要の腕に絡みつくのと、稲妻のような閃光が要に放たれたのが同時に見えた。
要は水蛇で壁を作り防いだ様に見えている。
「……っ!」
葵は思わず口元に手を当て悲鳴を飲み込んだ。
矢のように水蛇を貫通した閃光が、要の右胸を貫く。
よろめきながら隣の屋根へと飛び移った要を大きな肢体が太い腕を振りかざし追いかけた。
太い腕に雷光が纏われ閃く。
(電流は水を通すから…防げないんだ)
葵は咄嗟に要に手のひらを向けた。
一つ間違えれば要を傷つけるかもしれない。
だけれど、少女も要を追った。

焦りと不安と恐怖が、心の中で邪魔をする。
様々な感情がそれぞれにせめぎ合い悲鳴をあげるかのように。
研ぎ澄ましたいのに、感覚が混濁した。
要が死なないのはわかってる。
だけれど、傷つけて欲しくない。
(お願いっ、防ぐ…弾き返す結界かべをっ!)
「お願い……っ!」

痛切な叫びと共に、要の目前で雷光が弾き飛ばされる。
弾け飛んだ雷光が少女の頬を掠めて消えた。
驚目を瞠らせた要と目が合った直後、軽い脱力感と眩暈に葵の膝が落ちる。
「何すんのよ!」
甲高い怒鳴り声が響き葵が顔を上げると、少女が指を差し向けていた、まるで銃を構えるかのように…
「………葵っ!」
気づいた要が立ち上がる。
「余所見してんじゃねえ!優男が!」
野太い罵声を発し、大きな肢体のその男が雷光を纏った腕を振りかぶった。
結界を男の腕がすり抜ける。
雷撃しか弾かない不完全な壁、要は男の腕を両腕で防ぎ後方へと押された。
葵は左手は要に向けたまま、右手を自分の前へとかざす。
少女が指から何かを放つのがわかる。
できるかどうかわからない。
だけれど、一瞬でも作り出せれば…
緊張と焦りと恐怖の中、研ぎ澄まされた感覚だけがやけに鮮明で、今回は結界が生じる瞬間が良くわかった。
直後、先程よりも重苦しい脱力感がのしかかる。
更に小さな衝撃が数箇所、結界に…そして
「…いっ、た………」
右側の太腿に突き刺さるような鋭い痛みが走った。
結界が最初の着弾で消えてしまったらしい。
太腿から流れ出る血が足を伝うのを感じる。
どくどくと脈打つ痛みに気を取られそうになる。
葵は慌てて左手に意識を集中させた。
結界を消す訳にはいかないのに、視界がぐらぐらと揺れ、意識がブレ始めた。
要が葵との距離を縮めようとするが、男と少女に阻まれ、川を囲むフェンスからフェンスへと飛び移る。
要に合わせ動かす左手が震え出していた。
左手に少しずつ鉛をぶら下げられていくような、そんな負担が重なっていく。
結界の維持には距離が関係するのかもしれない。
離れると維持が難しいなら、近づかないと。
(橋を渡ろう…)
フェンスに寄りかかるように立ち上がるが、右脚の傷が痛んで思うように歩けない。
要は交戦しながら徐々に遠ざかっているように見えた。

「日向!」

橋のたもとに差し掛かったあたりで、詠一の声を聞いた。
荒い呼吸を繰り返しながら、葵は声がした方向を見やる。
疲弊した表情で詠一が歩み寄ってきた。
右手にはぐるぐると布が巻かれ、赤黒く染まっている。
「来ないで!」
叫ぶと思っていたより声が出ないばかりか、眩暈がした。
頭の芯がぼやけ、意識が遠退く感覚に、葵は思わず橋の欄干にしがみつく。
「待てって…」
詠一は立ち止まろうとせず、苦しげに言い放った。
左手が異様に軽くなっているから、きっと結界は消失している。
要が気になるが、遠目でフェンスが邪魔をし良く見えない。
ただ日が暮れた空に時折雷鳴が見えている。
欄干を伝う様に葵は対岸を目指した。
必死で呼吸を繰り返しているのに、酸素を取り込めていないような息苦しさ。
視界がぐらついて足が重い。
「日向、無茶するな」
詠一は確実に間合いを詰めてくる。
手を失いながらも余裕が見えて、急に腹立たしく思えた。
「無茶するな、だなんて…ふざけないでよ。させてるのは誰よ!普通に暮らしたいだけなのに、邪魔をしてるのは誰っ?!放っておいてよ!!」
口を開くと苛立ちが堰を切ったように溢れてくる。
声を張り上げると頭を鈍器で殴られたような痛みが貫き、目の前が真っ暗になった。
欄干にしがみつくと、眼下に川の水面が見える。
眩暈で暗く見えるのか、すでに日暮れでそう見えるのか、黒く滔々と流れる川の水は、月の柔らかい光を映し煌めきが小さく揺れていた。
黒曜石に似た要の瞳のように…

「だから言ったんだ」

息も絶え絶えの葵に詠一が声をかけ、右手の布を解き出した。
「鍛練なしでは反動がデカいって。今の君には使いこなせないよ」
詠一が何を始めたのかわからないし、もう歩けそうにない。
葵は橋の欄干に追い詰められる形になっていた。
真下には川面、水の中は要の領域。
「能力は元々人の体には収まりきれないんだ」
ハラハラと地面に落ちる布が目に入り、葵はそちらを見やる。
有るはずがないと思っていた詠一の手首の先に右手が……あった。
葵は自分の目を疑い、凝視する。
「まだ神経が繋がってないから動かせないが、ついて・・・はいる」
確かに切断面と思わしき箇所が赤く線を残していた。
「これが、墓守の身体なんだ」
数歩、葵の目を見つめ歩み寄る詠一が葵に手を差し出す。

「君はそれでも、彼を愛せるのか?」

そんな事をなぜ問われるのか…
甚だしく的外れな状況下であることに葵は困惑し、腹立たしくも感じた。
だけれど、真摯な詠一の眼差しが決して安易な問いではないことを示してくる。

「傷が早く癒えるならいいことじゃない。死なない身体だからって何だって言うの」

詠一が目を瞠る。
望んだ答えだったのか、意外なものだったのか。
愛していると、答えが返ってくるのは分かりきっているんだろう。
言わせて、どうしたいのだろう。
心の在り処ありかがわからない。
「永遠に生きると言うことは、終わりのない先があり、計り知れない過去があると言う事だろ。君は一体、彼の何を知ってるんだ」
咎めるような詠一の口調が語尾を強めた。
「知らないよ……」
葵は呟くように応える。
「そんなの知らない」
真っ直ぐに詠一を見つめ返すと、詠一は眉根を寄せた。
「蒼麻さんも、矢館さんも、私は知らない。今の西園寺 要しか知らない。だけど、それで充分だって分かったの。

私は今の彼が好きだから…

過去も全部分かった上じゃないと、それは愛じゃないって言われたらそうなのかも。
でも、彼じゃなきゃイヤ。彼がいいの」
詠一が求めるものが何なのか、それを考えるのはやめた。
葵はただ素直に胸の内を伝える。
「……なるほど」
深く息を吐いた後に詠一が呟いた。
その時の表情が清々しくて、葵は意表を突かれる。
そして一瞬、完全に油断した。
頬に詠一の手のひらが滑り込み、唇が寄せられる。
唇が触れるか触れないかの際どい距離、葵は咄嗟に詠一の頬に手のひらを打ちつけていた。
「触らないでよ!」
「……いて、減るもんじゃないし、いいだろ」
ぶたれた頬を撫ぜながら詠一がぼやく。
減るとか減らないとか、そう言う概念で善し悪しを決めるのはどうなのだろう。
(やっぱり油断ならない)
稲光が空に瞬く、先程よりも近くに感じる。
そして、詠一が急に身を翻し後方へと下がり、詠一がいた場所に入れ代わるかのように痩身の人影が落ちてきた。
「気安く触れないで頂きたい」
怒りを冷涼と言葉に乗せる声、華奢な背中が広く見える。
「要くん……」
葵は堪らずその背中にしがみついた。
汗の匂いに混じり血の匂いもする。
いつもより体温が少し高く、鼓動は少し早い。
「葵さん、大丈夫ですか?」
いつもの柔らかく優しい声に、涙が溢れた。

愛してる、なんて言葉は酷く軽く感じられるほど、なくてはならない人。
(私の心の在り処…)
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