傀儡といしの蜃気楼 ~消えた王女を捜す旅から始まる、夢の世界のものがたり~

遠野月

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フィノア

再会からはじまる

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 誰かの声で、フィノアは目を覚ました。

 それは男性の声だったが、知っている声ではなかった。声色は粗野で、およそ城に勤める者の声とは思えなかった。

 フィノアは柔らかいベッドの上で横たわっていた。
 薄暗い部屋だったが、目の前にぼんやりと広がっている天井は、よく知っている。エイスガラフ城内の部屋だ。だが、ここが自分の寝室の天井ではないことも分かった。
 どうしてここにいるのだろう?
 しばらく考えたが、頭の中は真っ白で、思考はまとまらなかった。今まで自分がなにをしていて、どうして自分の寝室で寝ていないのかも、なにひとつ分からない。

 男性の声は、ふたつあった。
 なにかを話し合っているようだったが、まったく聞き取れない。頭の中に靄がかかったようで、不思議と彼らの言葉を理解することができなかった。
 やがて、一人の声が、もう一人の声を制して、辺りは静かになった。
 天井を照らしている淡い光が、かすかにゆれている。

 まだ、夜中なのだろうか。
 もう少し寝ておこうか。
 フィノアはぼんやりと考えて、目を瞑ろうとした。すると、天井に広がった淡い光をかき消すように、大きな影がひとつ浮かびあがった。

 誰がいるのだろう。
 城内を警備する騎士だろうか?
 それにしては、声が粗野に聞こえる。

 考えているうちに、天井に浮かびあがった影が濃くなった。
 その影を見て、フィノアは少し怖くなった。胸の奥をにぎりつぶされるような感覚がおそいかかってくる。次第に恐怖は大きくなって、逃げだしたい気持ちが心を満たしたが、身体が全く動いてくれなかった。目は開いているのに、声も出ない。どうしてと叫びたくなったが、その声もやはり出なかった。

「起き……のか」

 粗野な男性の声が、すぐ近くで聞こえた。
 フィノアは返事しようと思ったが、やはり声は出せなかった。頭を動かして声の主を見ることもできない。

「……聞こえ……か?」

 再び、男性の声がすぐ近くで聞こえた。
 フィノアは聞こえていることを伝えたかったが、声も出せず、身体も動かせないので、なんとか目だけを声が聞こえる方向に向けた。すると声の主は小さく息を吐いて、はなれていった。

 伝わったのだろうか?
 それとも、無視をしているように思われたのだろうか?

 悩んだが、これ以上どうすることもできない。そのうちにどうでもよくなって、考えるのをやめた。

 しばらくすると、もうひとつの男性の声が聞こえてきた。
 その声は、粗野な声ではなく、静かで綺麗な声だった。

 天井を照らしている淡い光が、またかすかにゆれた。
 大きな影が立ちあがって、天井の光をおおい尽くしていく。また誰か近付いてくるのだろうかとフィノアは思った。目だけを声が聞こえてくるほうに向ける。すると今度は、人の顔がしっかりと見えた。
 近くに来ていた男は、青みがかった黒い髪の長髪で、無表情な顔をフィノアに向けていた。その顔はフィノアの記憶の中には無かった。近くにいるもう一人も見知らぬ誰かなのだろうと思った。
 ということは、私は誰かに捕らえられているのだろうか。
 不審者? 盗人?
 従者や騎士たちは、なにをしているのだろう?

「……意識……るよ……だ」

 青みがかった黒い長髪の男が、静かで綺麗な声をこぼした。
 その声に、フィノアは不快感を覚えなかった。もしかしたら悪い人たちではないのかもしれないと思い、少しほっとした。

「……も……し、休むと……いい」

 静かで綺麗な声が、優しく私にささやいた。
 安心できる声だと、フィノアは思った。どこかで聞いたことがある声だとも思ったが、どこで聞いたかは思い出せなかった。フィノアは声の主に向かってまたたきだけして見せると、男はわずかにうなずいて、はなれていった。

 今はきっと、大丈夫だ。
 妙な安心感につつまれて、フィノアは目を閉じた。

 はなれたところで、また二人の男がなにかを話していた。
 その声は最初より小さかった。眠気でぼんやりとしはじめたフィノアを刺激しないようにしているかのようだった。





 心地よい、冷たい風が、頬をなでた。

 目を開けると、柔らかい光が天井に広がっていた。
 この天井は、よく知っている。エイスガラフ城の部屋だ。だが、ここが自分の寝室の天井ではないことにも気付いて、フィノアは首をかしげた。

 背中と、手足の下には、柔らかいベッドの感触があった。手のひらに、なめらかで心地よい、布の温かさが伝わってくる。ずいぶん長く寝ていたのだろうか。身体全体が硬くなっていて、ベッドの温かさをより感じようと少し身をよじっただけで、背中に痛みが走った。

 フィノアはゆっくりと頭を横に動かした。
 部屋の中には誰もいないようで、とても静かだった。大きな窓がひとつ開いていて、柔らかい光と涼しい風が入りこんできている。

「……ああ。そう、でした」

 ここは、夢の中だ。
 風にゆれるカーテンを見ながら、フィノアは今までのことを思い出した。

 ここは、自身の夢の世界の中だ。
 エイスガラフ城内によく似た、夢の中の部屋だ。

 この妙な城に来るまで、フィノアはずいぶんと苦労した。
 深い森の奥にある沼のほとりから、ただ一人、大きな石室にたどり着いた。そして不思議な草原をさまよって、次にたどり着いた場所は広大な雪原だった。
 どうすればいいのか何も分からないこの世界で、フィノアはただ一人で必死に歩き回り、やっとこの城に行き着いたのだ。
 エイスガラフ城内によく似たこの場所に招き入れてくれたのは、銀色の髪の少女だった。

「……セウ、ラザ!」

 銀髪の少女の姿まで思い出して、フィノアはハッとした。
 あわてて自身の手足を見る。木の蔓に拘束されている様子はなかった。ふるえるほそい腕をゆっくりと上げ、自身の頭に手を置いてみる。そこにも木の蔓は無くなっていた。

「助かった……の?」

 ふるえる手を下ろし、フィノアはベッドから上体を起こそうとした。硬くなっていた首と背中に、強い痛みが走る。フィノアは、何度も深く息を吐いた。ほそい腕で身体を支え、何とか上半身だけを立たせる。

 銀髪の少女、セウラザの姿は見えない。
 この城に行き着いてからは、ずっと傍にいてくれたのに。
 歯ぎしりの音が自分の口元から聞こえて、フィノアは自身の顔が強くゆがんでいるいることに気が付いた。悔しさや悲しさ、怒りや虚しさが胸の中で混ざり合って、苦しくなっていく。息が途切れ途切れになって、視界がかすかにゆがんだ。

 ぽたりと、胸元でなにかがはじけた。
 はじけたところを見下ろそうとすると、ぽたりぽたりと立てつづけに、胸元になにかが落ちて、はじけた。

「……セウラザ。ごめん、ごめんな……さい。ごめ……セウ……ラザ……」

 気付かないうちに両目からあふれでた涙の跡を見下ろすと、鼻の先がつんと痛んだ。痛みは、目と頭の奥へ広がり、ふるえた。

 フィノアは泣いた。
 銀髪の少女の身体が大きな木に変わっていった様を、はっきりと思い出したからだ。セウラザが木の姿になったのは、フィノアの身体を少しでも長く保たせるためだった。痛みに顔をゆがめながらも守ってくれた姿を思い出すと、胸の奥が重く痛む。
 また、一人になった。
 自分のせいで、また一人犠牲にして、この世界に取り残された。

 フィノアは大きな声を出して、泣いた。
 まるで子供のような声だと、泣きながらフィノアは思った。思ったが、止まらなかった。心の奥が壊れたようになって、全身から涙が絞られているようだった。
 流れでた涙は、両手を濡らし、衣服の胸元と腿を濡らす。
 フィノアは泣きながら顔をあげた。大きな窓から流れてきた風が、少女の涙を冷やしていく。冷たくなったところを、フィノアは両手でぬぐった。ぬぐってもぬぐっても、冷たさは消えなかった。風と共に入りこんでいた光が、冷たく濡れた衣服を銀色に染めた。

 慟哭が部屋に満ち、あふれでそうになった時、遠くで人の足音が聞こえた。
 フィノアは突然の足音に驚いたが、涙はすぐに止められない。顔を伏せながら、足音がする扉のほうに目だけを向けた。部屋の扉は、開いていた。外の廊下がぼんやりと見える。

「フィノア!」

 女性の声が、あわただしい足音とともに廊下から聞こえてきた。
 自分の名を呼ばれて、フィノアは涙でゆがんだ顔をあげた。この声はどこかで聞いたことがある。懐かしい気持ちが湧きあがって、胸の奥がかすかに鳴った。

「フィノア! フィノ……! あ! ああ!」

 女性が扉の前までやってくる。彼女はフィノアの顔を見ると、大きな声をあげた。何度もまたたきをして、起きあがっている少女の姿をじっと見る。そのうちに、どうすればいいのか分からなくなったのか、しばらくその場で身体と腕をふり回した。

 メリーだった。
 深い森の奥にあった沼で別れた、メリーだ。

「……メリー?」

 あわただしいメリーの姿を見て、フィノアは小さな声で言った。その声はあまりに小さく、聞き取りづらいものだった。しかし、メリーにはとどいたらしい。彼女は唇をふるわせると、フィノアのもとに走り寄ってきた。

「フィノア! 良かった……! 本当に、本当に……!」
「メリー……? これは、本物なの?」
「本物です。フィノア。私です。ほら!」

 そう言ってメリーはフィノアの手を取り、強くにぎってみせた。
 メリーは、手に取った少女の手が濡れて冷たくなっていることにすぐ気が付いた。改めてフィノアの顔をのぞくように見る。

「ごめんなさい。フィノア。寂しい思いをさせて……」

 涙を流しているフィノアの顔を見て、メリーは自身の服の裾で少女の顔をぬぐった。フィノアはされるがままに頬の涙をぬぐわれたが、あふれる涙は止まらなかった。

「メリー? どうして、どうしてここにいるの?」
「探したのです。大変だったのですよ」
「私も……私も大変だったわ。一人にされたのよ?」
「私も森の中で、一人にされましたよ……?」

 メリーはそう言ってフィノアを胸元に抱き寄せて、少女の白い髪を優しくなでた。
 ふわりとした胸の中で、フィノアは頭の中が静かになっていくのが分かった。涙はでていたが、壊れてしまうような気持ちは収まっていて、安らかになっていく。

 こんなに落ち着いたのは、いつぶりだろう。
 ずいぶん長いこと、濃い霧の中をさまよっていた気がする。
 泣いている時も、泣く前も。化け物にとらわれる前も。
 もしかすると夢の世界に来るもっと前から、頭の中は濁っていて、なにも見えなくなっていたかもしれない。どこを歩いているのかも分からなかったのに、なにかに盲信して、進んでいた。

 今は、はっきりと見える。
 メリーの温もりが、はっきりと分かる。

「メリー? あなた、ここまで一人で来たの?」

 メリーの胸の中から顔をだして、フィノアは彼女を見上げながらたずねた。

「いいえ。一緒に来てくれた方がいます」
「一緒に……? カルデナかしら。それともティフアリー……?」

 フィノアは思いつく侍女の名をいくつか挙げたが、どの名を挙げてもメリーは頭を横にふった。もしかして、兵士や騎士を連れてきたのだろうか?

「彼らは、一階にいます。ここは時々真っ暗になってしまうので」

 フィノアの白い髪をなでながら、メリーは優しい顔をして笑いかけた。
 メリーの優しい顔を見るのは久しぶりだと、フィノアは思った。彼女のふわりとした表情が好きだった。自身の傍にずっと仕えさせているのは、彼女だけだ。
 何年か前に、メリーの一族の屋敷が全焼する事件があった。それからというもの、彼女は困った顔で笑うのが癖になっていた。フィノアは以前のような優しい笑顔のメリーにもどってほしかったが、どうしてもそれはかなわなかった。
 いつの間に、彼女のいびつな笑顔に慣れたのだろうと、フィノアは心の中で首をかしげた。

「そうなのですね。でしたら、お礼に行かないと」
「動けるのですか。フィノア? まだ無理をしてはいけません」
「大丈夫よ。どうしてか、今、身体が軽いの」

 フィノアはそう言うと、手を屈伸してみせた。
 首や背中の痛みもあまり無い。あんなに痛かったのに、メリーの顔を見て、抱きしめられてから、嘘のように身体が軽くなったのだ。暗い気持ちに押しつぶされていただけなのだろうかと、フィノアは自身の手のひらをながめながら小さく苦笑した。

 メリーの腕に支えられながら、フィノアはベッドから足を下ろした。
 身体は思いのほか、重たかった。動きもぎこちなかったが、歩くだけならなんとかできそうだった。メリーは心配そうにフィノアの顔をのぞきこむ。少女は、大丈夫よと短く声をかけて、笑ってみせた。

 部屋を出ると、長い廊下が延びていた。
 衛兵も下女も見当たらない。
 あわただしく仕事をしている者もいない。
 静寂がたたずんでいる廊下を見て、フィノアは長い眠りから覚めたのに、まだ夢の中にいるのだなと妙な気分になった。辺りを見回すフィノアの手を、メリーがわずかに強くにぎった。その手の温かさだけが、フィノアを真っ直ぐと立たせ、歩かせた。

「メリー」

 フィノアはメリーの手をにぎりながら、小さく言った。

「どうしました?」

 手を強くにぎり返してくるフィノアに顔を向けて、メリーは首をかしげた。

「今、言っておきたいことがあるの」
「なんです?」
「……私、報いを受けたのだと思ったわ。あなたの言葉も、他のみんなの言葉も、何も聞き入れず、ここまで来てしまったのだもの」
「……フィノア。そんなこと……」

 そんなことないとメリーは言おうとしたが、言葉はつづかなかった。
 実際ここ数か月、フィノアの様子は誰が見ても妙だったのだ。なにかに憑かれたかのように何事も短絡的に行動し、そのことで誰がなにを言っても会話にならないほどだった。
 ところが久しぶりに会ったフィノアは、以前の顔にもどっているようだった。
 目の色も輝いていて、一目見た瞬間、戸惑ってしまったほどだ。

「メリー。ありがとう。本当に、本当に嬉しかったわ」

 フィノアは、にこりと笑う。両手で、メリーの温かい手をつつんだ。
 突然の感謝の言葉に、メリーは驚いた。本当に、数か月前のフィノアにもどっているのだと、ふるえるほど嬉しくなった。それに、王女から感謝の言葉を賜れることなど、なかなかない。メリーとフィノアは友人ではあったが、やはり強い主従関係が根付いているのだ。
 メリーはあわててひざまずこうとしたが、フィノアがしっかりと彼女の手をにぎっていたので、上手く膝を突けず、よろめいてしまった。

「いいのよ、メリー。この世界では、私たちはただの友達だわ」

 メリーの手を引っ張りあげて、ひざまずかせるのを阻止すると、フィノアはさらに強く彼女の手をにぎりしめた。膝を突けなかったメリーは、引きあげられるがままに立ちあがる。フィノアの目線の高さまで、自身の顔をあげた。
 フィノアの目は泣きすぎて真っ赤になっていたが、涙はもう流れていなかった。
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