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思惑
暗れてからはじまる
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≪思惑≫
四人の言葉数は、少なかった。
ラトスの夢の世界に入るまでしゃべっていたのは、ペルゥだけだった。そのペルゥも気を遣ってしゃべっているというのは、誰もが分かっていた。
「いつも通り、ボクはここから行けないけど。行く場所が決まったら、教えてよ」
ペルゥはそう言って、小さな前足をふった。
メリーは少し笑って、ペルゥの前足に合わせて手をふり返した。
途方に暮れるとは、このことだろう。多くの場合、自暴自棄になって泣いたり叫んだりするのは、現状をある程度把握しているからだ。今は皆、どうすればいいのか分かっていない。どうなるのかも、分からない。
夢の世界に留まって、目的を達成することを望んでいたフィノアも、静かにしていた。あわよくばなど、今は考えてもいないだろう。
「たぶん、また、悪夢の回廊に行くぞ」
腕を組みながら、ラトスは言った。
ペルゥは、手をふり返したメリーの頭をぽんぽんと叩いている。その下で、メリーは困った顔をして笑っていた。
「そうだねー。そうなるよね」
「まあ、覚悟しておいてくれよ」
ラトスがそう言うと、ペルゥは黙ってうなずいた。
ペルゥに見送られて、四人は草原の転送塔に入っていった。
塔内の中央に、白い柱が建っている。もう二度と見ることはないと思っていたものだ。柱に一歩近づくと、背後で風が鳴った。ふり返ると、縦に細長い入り口が目に映った。入口から差しこむ緑色の光が、強くゆれている。強い風が、吹き下ろされたのだろうか。角笛のような音が、転送塔内に鳴りひびいた。
メリーとフィノアもふり返って、入り口を見ていた。
彼女たちの瞳にも、緑色の光がゆれている。無言が、つづいた。ラトスは声をかけようとしたが、やはり何も言えなかった。
メリーはまだ、脱力したままだった。だらりと垂れ下がった腕を、フィノアがつまんでいる。お互いに寄りかかりあって、何とか立っているようだった。やがてメリーは、唇を強くむすんだ。白い柱に向きなおる。
「先に、行きますね」
メリーが言うと、ラトスは短く返事してうなずいた。
二人の手が、白い柱に伸びる。光が、彼女たちの身体をつつみこんだ。俺たちも行こうと、ラトスはセウラザに声をかけた。彼は無言でうなずいて、柱の前から消えていくメリーとフィノアを見た。
光が消えるまで待ってから、ラトスとセウラザが柱の前に立つ。
「まさか、こんな事になるとはな」
「そうだな」
「……お前は、本当に俺の分身なんだな。まるで、自分と、話しているみたいだ」
「それは、そうだろう」
「そうだな」
苦笑いをして、セウラザの甲冑を拳で小突く。がちんと金属音がひびき、吹きこんでくる風の音と混ざりあった。
柱に、手を伸ばす。
指先に、振動が走る。風のようなささやき声が聞こえだした。頭の中に、森の景色が映しだされる。色褪せた森だ。ここではない森に行くはずだったと、頭の中に映しだされた景色を見て、ラトスはもう一度苦笑した。
光につつまれていく。
なにかをやりなおしに行くかのようだ。身体の感覚が消えて、意識だけになりながら、
そう思った。
白い空間をぬける。
足の裏に、地面の感覚を感じる。身体に力がもどっていく。この奇妙な感覚にも慣れてきたなと、手足を動かした。そのうちに、聴力ももどってきて、人の話し声が聞こえてきた。
「何です……? ここ……」
色褪せた森を見て、フィノアは不快感を示した。
ラトスは視力を取りもどして、辺りを見回した。
草原から転送された先は、以前来た場所と同じだった。深い、森の中だ。
色鮮やかな草原とはやはり違う。森も地も、すべて色褪せていた。枝葉の隙間から見える空は、雨で増水した川のように濁っていた。濁った空は、渦巻き、汚れているようにも見える。
ラトスから見れば、空以外はいつもどおりの景色だった。そして、いつもどおりの色だ。だがフィノアとメリーは違う。メリーは一度来たことがあるので、慣れていますといった顔だった。
「これが、クロニスさんの世界……ですか」
辺りを見回しながら、フィノアは言葉をつづけた。まるで、夢の世界をとおしてラトスを非難しているようにも聞こえた。
確かに王女の夢の世界に比べればひどいものだ。見惚れるような景色はどこにもない。この先の城下街に行っても、景観が良いところはない。驚けるところがあるとすれば、本来の三倍以上は高い、城壁だけだろうか。
「とにかく、城下街まで行きませんか」
顔をしかめているフィノアをさえぎって、メリーが言った。ラトスに気を遣ったのだろうか。メリーは微妙な笑顔をラトスに向けてから、少女のほそい腕を引っ張った。
「街が、あるのですか?」
「そうですよ。エイスの街があります」
「エイスの? 本当に?」
「本当に! ちょっと、汚いですけどね」
「おい。最後の一言は、余計だろう」
メリーの軽口に、ラトスは口をはさんだ。でも本当のことじゃないですかと、メリーは笑いながら言った。
ラトスはうなる。否定はできなかった。貴族の女性を連れて行くような場所ではないことは、確かなのだ。しかし、こんなことで笑えるなら良かったと、ラトスは思った。時間が経つほどに、不安が大きくなっていたのだ。今は自虐的でもなんでも、笑えたほうがいい。メリーの笑顔に、フィノアも釣られて笑っていた。
「じゃあ、仕方ないな。汚いが、我慢してくれよ」
苦笑いしながら、ラトスは言った。
仕方ありませんねと、フィノアが言う。
同時に、風が流れこんできた。少女の白い髪が、ふわりと舞いあがる。
王族は皆、これほど端正な顔立ちなのだろうか? ゆれる髪を、ほそい指先でおさえる少女を見て、ラトスは小さく息をついた。フィノアは眉根を寄せていたが、その苦い顔もまた、人形のような美しさがあった。ふと目が合うと、フィノアは首をかしげてラトスの顔をのぞいた。どうやら、不快感は多少和らいでいるようだった。
「フィノア。ラトスさん。早く!」
遠くから、メリーの声が聞こえた。
声が聞こえたほうへ顔を向ける。ずいぶん先の方まで歩き進んでいる、メリーとセウラザの姿が見えた。
「何で、もう、あんなところまで進んでるんだ……」
先ほどまで傍にいて、話をしていたはずだ。
「いつものことよ」
「城でも、そうだったのか……?」
「そうですよ。いつも前を進んでいて、良いと思うわ」
「……ああ、そう」
礼節に厳しい王侯貴族の中では、メリーの性格は特殊だろう。良い意味で型破りとして受け入れられているのなら、フィノアのように彼女を慕う者は、城中に多いのかもしれない。
メリーを追って、フィノアが走りだす。その先に、エイスの城壁が枝葉の隙間から見えた。やはり、尋常ではない高さだった。最初に訪れた時は、あの城壁を見ても現の世界に帰ってきたのだと思いこんでいた。今にして思えば、あり得ない思考だ。
「……クロニスさん?」
立ち止まっているラトスにふり返って、フィノアが声をかけてきた。
「ああ。行くよ。すまない」
返事をすると、フィノアは小さく首をかしげたが、すぐにまた走っていった。その姿を追って、ラトスも歩きだした。
おそろしく高い城壁に近付くと、フィノアは目を見開いて固まった。
分からなくもないとラトスは思ったが、メリーは違った。
「どうしたのです? フィノア」
「……え。……あの、あれって? 城壁? ですか……?」
至極まともな反応だ。
夢の世界だと分かった上で見る城壁は、以前よりも大きく、高く見えた。メリーはフィノアの様子を見て、大きいですよねと笑っている。
ラトスはメリーを見て、初めてここへ訪れた時の彼女の反応を思い出した。割と雑に、こんなものじゃないですか? と言っていたはずだった。あの時は、適当に答える彼女に、自分が驚きすぎなのだろうかと不安にもなった。今のメリーを見て、ラトスは苦笑いする。同時に、高い城壁を見あげているフィノアに対し、ほっとした。これが普通の反応のはずなのだ。
「ラトスさんの家に、戻ります?」
森をぬけて大きな道に出たところで、メリーが言った。
「そこまで行かなくてもいいだろう。街のどこか、落ち着けるところでいいんじゃないか?」
メリーの提案をラトスは一蹴した。
夢の世界だというのに、城下街は無駄に広いのだ。現の世界の、本物の城下街と同じくらいはあるかもしれない。ラトスの家まで行くとなると、かなり歩くことになる。
「いいじゃないですか! 行きましょうよ!」
「何でだ。意味はないだろう」
「だって……! ……んに、……いし……」
「……なに?」
「……シャ……シャーニさんに、会いたいし!」
恥ずかしがるように、メリーは言った。
何で、シャーニに? と言おうとしたが、やめた。すぐに分かったからだ。
「そんなに可愛いか……?」
「可愛いんですよ!」
両腕をふって、メリーは叫ぶ。
彼女の表情は、ペルゥに対するものと一緒だった。犬猫と一緒にしてほしくはない。そう思ったが、言ったところで、そうではないと言い返してくるだろう。
「行ってきますって、言いましたしね」
そう言ってメリーは、笑ってみせた。確かに言ったなと、セウラザもうなずく。ですよねと返事して、メリーは城門に向かって歩きだした。
メリーの後ろ姿を見て、ラトスは自分の表情が曇っていくのが分かった。シャーニの顔をもう一度見たいとは思えなかったのだ。どうしても、死に顔を思い出して重ねてしまう。夢の中とはいえ、会えて嬉しくないわけではない。だからこそ胸がつぶれるような気持ちになった。
メリーは、亡くなった妹に会わせる機会を増やしてあげたいと思っているのかもしれない。ただ自分が会いたいからという理由で、わがままを言う性格ではないだろう。
「シャーニさん、というのは、誰なのですか?」
ラトスの顔をのぞきこむようにして、フィノアが言った。
「……妹だ」
「クロニスさんの?」
「……ああ」
短く返事して、ラトスはうなずいた。
城門のほうに目を向けると、メリーの後を追ってセウラザも歩きだしていた。
「あまり……嬉しそうでは、ないですね」
察したかのように、フィノアは小さな声で言う。
「どう、だろうな」
先を行く二人を追って、ラトスは歩き出した。フィノアも後につづく。
しばらく、二人は黙って歩いた。フィノアは、歩くのが妙に遅かった。王女だから品よく歩いているのだろうか。置いていくわけにもいかず、ラトスは少女に合わせてゆっくりと歩いた。
時々、メリーがこちらに向かって手をふっていた。ラトスは、手をふり返す。歩調を速め、追いかけようか。そう思って、隣を歩くフィノアを見た。しかし少女はメリーの姿を見たまま、静かにゆっくり歩くだけだった。
城門をくぐりぬけても、沈黙はつづいた。
メリーとセウラザは、何か話しながら歩いている。ラトスたちとはだいぶはなれていたが、一定の距離を保って、はなれすぎないようにしているようだった。はなれていないのを確認すると、メリーは必要以上にこちらをふり返ることはなくなった。
長くつづく沈黙が、妙に痛い。
会話をすることが好きなわけではない。だが、意図を汲み取れない沈黙に、ラトスはうんざりしはじめた。時々隣を歩くフィノアを見下ろしてみる。少女は静かに、前を見て歩いているだけだった。
楽しくないなら、先に行ってメリーと歩けばいいだろう。そう言おうとした矢先、フィノアが口を開いた。
「メリーは、優しい人です」
前を見ながら、ぽつりと言った。先を歩くメリーを見て、言っているのだろう。
「そうだな」
「……気遣い方が、時々、変ですが」
「……そう、だな」
シャーニに会わせたいと気遣う心は、ありがたい。だが正直に言えば、迷惑なことだった。今、妹の顔を見れば、また黒い靄におそわれるかもしれない。わざわざ、苦しい思いをするために行くようなものだ。
「もし、思うところがおありでしたら、私が付き添いますよ」
フィノアはそう言うと、顔を上げず視線だけラトスの顔に向けた。
思いもしなかった言葉に、ラトスは目を見開いた。
フィノアはラトスの心配をして、あえて隣を歩いていたのだ。わざとメリーに追いつかないよう、歩調もゆるめていたのだろう。
フィノアは王女で、メリーの主人なのだ。メリーの妙な気遣いなど、王女の一言で簡単に方向性を変えられるだろう。ラトスがシャーニに会いたくないというなら、会わずに済むよう道筋をつけることは、フィノアならごく自然にできる。
まさか気遣って隣を歩いていたとは思わず、ラトスは言葉に詰まった。
「出過ぎたことを、言ってしまったでしょうか?」
目を見開いたまま固まっていたので、フィノアは心配そうに顔をあげた。
「……あ、ああ。いや。すまない。大丈夫だ。気を遣わせたな」
「いいえ。メリーほどは、気を遣っていませんよ」
ようやく返事をしたラトスを見て、フィノアはすぐに前を向いた。
城下街の大通りの一角で、メリーとセウラザが足を止めていた。こちらを向いているわけではない。どこかの店に、目を向けているようだった。
「そうだな。メリーさんには、気を遣わせているな」
「そうです。私にも、ですよ」
「……ははっ。そうだな。すまない。もう、大丈夫だ」
ラトスは苦笑いすると、両手をあげながらうなずいてみせた。
王侯貴族とこのように話す機会など、普通はない。生きる世界が違うと、そう思っていた。
メリーも貴族だが、人柄のせいか、あまり身分差は感じなかった。だが、フィノアは王女だ。雰囲気も一般人とはまるで違う。同じ人間とは思えない、なにかがあった。
同じ人間でないのなら、分かり合えることはない。
心の奥底で、そう割り切っていた。
しかも現の世界にもどれば、もう会うことはないのだ。
「悪かったな。王女さん」
小さな声で、ラトスは言った。
フィノアも同じ人間なのだ。メリーに甘える、小さな子供でもある。フィノアが身分差を感じて、壁を作っていることは分かっていた。だがそれ以上に、ラトスも壁を作っていたかもしれない。そう思うと、ラトスは少し恥ずかしくなった。
「……何がです?」
「いや、何でもない」
苦笑いをしながら、ラトスは片眉をあげた。
やがて二人は、メリーとセウラザに追いついた。
そこは、大通りにある武具店だった。悪夢の回廊に行く前に、武具をそろえた店だ。
「ここで、何をしてたんだ?」
ラトスが声をかけると、セウラザは彼に向きなおった。そして自らの甲冑を手のひらでたたいてみせる。
「だいぶ壊れたからな。ここで、直しておく」
「そうだったな……ずっと、ボロボロだったな」
「ああ。また、悪夢の回廊に行くなら必要だ」
そう言って、セウラザは武具店に入っていった。
残されたメリーは、追いついてきたフィノアの手を取った。突然手をつかまれて、フィノアは戸惑ったようだった。しかしメリーは目を輝かせて、少女を武具店に引きずりこんでいった。
なにをしたいのか、想像はつく。
引っ張られていくフィノアを追って、ラトスも武具店に入っていった。店内に入ってすぐのところに、店主の男がいた。店主はセウラザの甲冑をじっと見て、なにか考えているようだった。
「直るのか?」
ラトスが声をかけると、セウラザの代わりに店主がうなずいてきた
「もちろんです。完全に消えて、無くならない限りは」
自信に満ちた声で、店主の男が言った。
夢の世界では、どれだけ壊れても多少残っていれば復元できるということだろうか。不思議に思ったが、詳しく聞きはしない。特殊な力があって、特殊な方法で直すのだろう。疲れ切っている頭に、それ以上の知識を入れようという気分にはならなかった。
奥から、フィノアとメリーの声が聞こえる。
棚にならんでいるこまかな装飾がほどこされた武具を見ているようだった。
メリーは得意げな顔をして、フィノアになにか説明をしていた。調子に乗って店を吹き飛ばしたりしないだろうか。彼女の様子を見て、ラトスはわずかに顔を引きつらせた。
だが、心配はいらないようだった。メリーが調子に乗りそうになると、彼女の手からフィノアが武具を取りあげてしまうのだ。無理やりに、取りあげているわけではない。慣れた手つきでメリーの目を盗み、取りあげていた。時間を置いて、メリーは自分が手ぶらであることに気付く。あわてて辺りを見回すと、武具は棚にもどされていた。その様子は、端から見ていればなかなか面白いものがあった。
ラトスが二人の様子を見ているうちに、店の入り口から店主の声が聞こえた。
ふり返ると、セウラザが歩いてきていた。壊れた甲冑を店主に預け終えたのだろう。店の奥がにぎやかなのを見て、近付いてきたようだった。
いつもの甲冑の音がしないので、メリーたちはセウラザが近くまで来たことに気付かなかったらしい。メリーは背後に立つセウラザに驚いて、変な声をあげた。
「メリー。言葉遣いが悪いわ」
フィノアは、メリーの雑な言葉遣いが気に入らないらしい。注意されたメリーは、首をすくめて謝った。確かに最近、メリーの言葉は砕けてきている。自分と一緒にいるからだろうかとラトスは考えた。もしそうだったとしても、咎められる理由は無いはずだ。しかしフィノアの声を聞くと、自分も怒られているようにラトスは感じるのだった。
「王女も、武器を選んだのか」
フィノアが手に持つ杖を見て、セウラザが言った。
フィノアの手にある杖は、腕の半分ほどの長さのものだった。形は王錫のようで、大樹と鷲の装飾がほどこされていた。色は金を下地に、赤と黒で大樹と鷲を彩っている。大樹の中には、いくつもの宝石がはめられていた。
「戦いに行くと……言うので」
大樹の杖をにぎりしめながら、フィノアはうつむいて言った。
うつむいた少女の唇は、わずかにふるえているようだった。武器を持って戦うことなど、今まで無かっただろう。隣にいるメリーは、何本か剣をかかえていた。フィノアに見せていたのだろうか。彼女が見せる剣を取らずに杖を選んだということは、刃に抵抗感があるのかもしれない。
「こういう、綺麗なのは、魔法用なのか?」
「そうだな」
「魔法、ですか……。メリーのようなことが、出来るのですか?」
「出来る、かもしれない」
セウラザはそう言って、フィノアの前に立った。大樹の杖をにぎっているフィノアの手に、そっとふれる。手のひらに何か感じるかと、セウラザが問いかけた。フィノアはしばらく考えたあと、小さくうなずいた。
「肌に、吸い付くような感じがします」
「……なるほど」
フィノアの言葉に、セウラザはうなずいた。
武具にふれた感触で、なにかが分かるのだろうか。ラトスは腰の短剣にふれてみたが、特に大きな違和感は無かった。強いて言えば、じりじりと熱くなるような感覚があるだけだろうか。
「この杖で、良いのですか?」
言葉が少ないセウラザに、不安を感じたのだろう。フィノアは、セウラザの腕をつかみながら、杖を小さくふってみせた。すると、大樹の杖にはめられている宝石が、かすかに光った。
杖の光を見て、セウラザは少女の腕を強くつかんだ。
「ここで、それを振るのは良くない」
セウラザは強い口調で言いながら、フィノアの手にある杖をにらんだ。
つかんだ手の力が強かったのか、フィノアは顔をゆがめた。それでも、セウラザは少女の手をはなさなかった。しばらくすると、大樹の杖の宝石から光が消えていった。
「……今の、結構危なかったんじゃないか」
「そうだな」
光が消えたのを確認して、セウラザはフィノアの手をはなした。
フィノアは声こそあげなかったが、相当痛かったようだ。セウラザにつかまれたところを自らの手でつつむと、彼から距離を取った。無礼者と叫びだしそうないきおいで、セウラザをにらみつけている。
「いや。王女さん……。今、この店を壊しそうだったからな。あんたが」
たしなめるように、ラトスが言った。
「何のことです?」
「あー……。うん。つまりだな。……悪い。メリーさん。あと、頼んでもいいか?」
「え? ……あ。はい」
突然の指名にメリーはあわてたが、すぐに役割を理解したようだ。
怒りをあらわにするフィノアの前に立って、メリーは少女の背中をなでた。まるで暴れ馬をなだめるようなやり方だ。だが、即効性があったらしい。フィノアの表情は和らぎ、セウラザをにらんでいた視線も、とろんと下に落ちた。
「……私も、人のこと言えないのですけどねー」
武具をあつかう際の危険性を説明しながら、メリーは消沈した表情で言う。
悪夢の回廊の道を吹き飛ばしたことを思い出したのだろうか。フィノアに説明しながら、彼女は居心地悪そうにラトスへ視線を向けた。そうだろうとラトスも思ったが、仕方がない。ラトスとセウラザがフィノアに武具の危険性の説明しても、反発してきそうだったのだ。
「むやみに力を込めて、振り回してはならないということですね」
「そうなんです……。本当に、私が言えたことじゃないのですけど、気を付けてください」
「メリーが言うのなら、そうしましょう」
フィノアはそう言うと、大樹の杖を左手に持ち替えた。
「失礼しました。迷惑をかけるところでしたね」
素直に頭を下げるフィノアを見て、セウラザは少女に手を差しだした。
フィノアは一瞬、びくりと身体をゆらした。先ほど強くにらんだ相手なのだ。警戒したのだろう。
「こちらも、失礼した」
フィノアに手を差し伸べながら、セウラザは短く言った。
思いもしない言葉だったのか。フィノアはもう一度身体を小さくゆらす。差しだされた手を見て、じっと考えるような表情をした。やがてフィノアも小さな手を差しだし、セウラザの手のひらに添えた。
二人の様子を見て、メリーとラトスは肩の力をぬいた。
まさか突然、険悪な空気になるとは思わなかったのだ。ラトスは両手を小さくあげてみせると、メリーも合わせるように困った顔をした。
用事を済ませた四人は、武具店を出た。
愛想のいい店主が、手をふってくれている。メリーが、また来ますと大きな声で言いながら、手をふり返していた。彼女の様子に、フィノアはかすかに嫌そうな顔をした。はしたないとでも思っているのだろう。だが何度も言いつづけるのに疲れたのか、少女は小さく息を吐きだすだけだった。
「メリーさん、あんた、愛されてるな……」
フィノアの様子を見て、ラトスは小声でメリーに話しかけた。
「何のことですか?」
店主からラトスに顔を向けなおして、メリーは首をかしげた。
こういう人間のことを、天然というのだろうか。ラトスは、生きるか死ぬかの生活を長く送ってきていた。ラングシーブの仕事をするようになってからは、人の汚いところも多く見てきた。そのためか、ラトスの周りにはお人好しの人間はあまりいなかった。
お人好しは、利用されるか、死ぬ。
実際、ラトス自身も彼女を利用しようとしたのだから、間違いない。
だが普通に生きていれば、これが愛される生き方なのだなとも思った。
フィノアの愛情は行きすぎている気もするが、この少女と生きているかぎり、メリーの人生は安泰だろう
「いや。なんでもない」
ラトスはメリーの顔を見ながら、目をほそめるのだった。
四人の言葉数は、少なかった。
ラトスの夢の世界に入るまでしゃべっていたのは、ペルゥだけだった。そのペルゥも気を遣ってしゃべっているというのは、誰もが分かっていた。
「いつも通り、ボクはここから行けないけど。行く場所が決まったら、教えてよ」
ペルゥはそう言って、小さな前足をふった。
メリーは少し笑って、ペルゥの前足に合わせて手をふり返した。
途方に暮れるとは、このことだろう。多くの場合、自暴自棄になって泣いたり叫んだりするのは、現状をある程度把握しているからだ。今は皆、どうすればいいのか分かっていない。どうなるのかも、分からない。
夢の世界に留まって、目的を達成することを望んでいたフィノアも、静かにしていた。あわよくばなど、今は考えてもいないだろう。
「たぶん、また、悪夢の回廊に行くぞ」
腕を組みながら、ラトスは言った。
ペルゥは、手をふり返したメリーの頭をぽんぽんと叩いている。その下で、メリーは困った顔をして笑っていた。
「そうだねー。そうなるよね」
「まあ、覚悟しておいてくれよ」
ラトスがそう言うと、ペルゥは黙ってうなずいた。
ペルゥに見送られて、四人は草原の転送塔に入っていった。
塔内の中央に、白い柱が建っている。もう二度と見ることはないと思っていたものだ。柱に一歩近づくと、背後で風が鳴った。ふり返ると、縦に細長い入り口が目に映った。入口から差しこむ緑色の光が、強くゆれている。強い風が、吹き下ろされたのだろうか。角笛のような音が、転送塔内に鳴りひびいた。
メリーとフィノアもふり返って、入り口を見ていた。
彼女たちの瞳にも、緑色の光がゆれている。無言が、つづいた。ラトスは声をかけようとしたが、やはり何も言えなかった。
メリーはまだ、脱力したままだった。だらりと垂れ下がった腕を、フィノアがつまんでいる。お互いに寄りかかりあって、何とか立っているようだった。やがてメリーは、唇を強くむすんだ。白い柱に向きなおる。
「先に、行きますね」
メリーが言うと、ラトスは短く返事してうなずいた。
二人の手が、白い柱に伸びる。光が、彼女たちの身体をつつみこんだ。俺たちも行こうと、ラトスはセウラザに声をかけた。彼は無言でうなずいて、柱の前から消えていくメリーとフィノアを見た。
光が消えるまで待ってから、ラトスとセウラザが柱の前に立つ。
「まさか、こんな事になるとはな」
「そうだな」
「……お前は、本当に俺の分身なんだな。まるで、自分と、話しているみたいだ」
「それは、そうだろう」
「そうだな」
苦笑いをして、セウラザの甲冑を拳で小突く。がちんと金属音がひびき、吹きこんでくる風の音と混ざりあった。
柱に、手を伸ばす。
指先に、振動が走る。風のようなささやき声が聞こえだした。頭の中に、森の景色が映しだされる。色褪せた森だ。ここではない森に行くはずだったと、頭の中に映しだされた景色を見て、ラトスはもう一度苦笑した。
光につつまれていく。
なにかをやりなおしに行くかのようだ。身体の感覚が消えて、意識だけになりながら、
そう思った。
白い空間をぬける。
足の裏に、地面の感覚を感じる。身体に力がもどっていく。この奇妙な感覚にも慣れてきたなと、手足を動かした。そのうちに、聴力ももどってきて、人の話し声が聞こえてきた。
「何です……? ここ……」
色褪せた森を見て、フィノアは不快感を示した。
ラトスは視力を取りもどして、辺りを見回した。
草原から転送された先は、以前来た場所と同じだった。深い、森の中だ。
色鮮やかな草原とはやはり違う。森も地も、すべて色褪せていた。枝葉の隙間から見える空は、雨で増水した川のように濁っていた。濁った空は、渦巻き、汚れているようにも見える。
ラトスから見れば、空以外はいつもどおりの景色だった。そして、いつもどおりの色だ。だがフィノアとメリーは違う。メリーは一度来たことがあるので、慣れていますといった顔だった。
「これが、クロニスさんの世界……ですか」
辺りを見回しながら、フィノアは言葉をつづけた。まるで、夢の世界をとおしてラトスを非難しているようにも聞こえた。
確かに王女の夢の世界に比べればひどいものだ。見惚れるような景色はどこにもない。この先の城下街に行っても、景観が良いところはない。驚けるところがあるとすれば、本来の三倍以上は高い、城壁だけだろうか。
「とにかく、城下街まで行きませんか」
顔をしかめているフィノアをさえぎって、メリーが言った。ラトスに気を遣ったのだろうか。メリーは微妙な笑顔をラトスに向けてから、少女のほそい腕を引っ張った。
「街が、あるのですか?」
「そうですよ。エイスの街があります」
「エイスの? 本当に?」
「本当に! ちょっと、汚いですけどね」
「おい。最後の一言は、余計だろう」
メリーの軽口に、ラトスは口をはさんだ。でも本当のことじゃないですかと、メリーは笑いながら言った。
ラトスはうなる。否定はできなかった。貴族の女性を連れて行くような場所ではないことは、確かなのだ。しかし、こんなことで笑えるなら良かったと、ラトスは思った。時間が経つほどに、不安が大きくなっていたのだ。今は自虐的でもなんでも、笑えたほうがいい。メリーの笑顔に、フィノアも釣られて笑っていた。
「じゃあ、仕方ないな。汚いが、我慢してくれよ」
苦笑いしながら、ラトスは言った。
仕方ありませんねと、フィノアが言う。
同時に、風が流れこんできた。少女の白い髪が、ふわりと舞いあがる。
王族は皆、これほど端正な顔立ちなのだろうか? ゆれる髪を、ほそい指先でおさえる少女を見て、ラトスは小さく息をついた。フィノアは眉根を寄せていたが、その苦い顔もまた、人形のような美しさがあった。ふと目が合うと、フィノアは首をかしげてラトスの顔をのぞいた。どうやら、不快感は多少和らいでいるようだった。
「フィノア。ラトスさん。早く!」
遠くから、メリーの声が聞こえた。
声が聞こえたほうへ顔を向ける。ずいぶん先の方まで歩き進んでいる、メリーとセウラザの姿が見えた。
「何で、もう、あんなところまで進んでるんだ……」
先ほどまで傍にいて、話をしていたはずだ。
「いつものことよ」
「城でも、そうだったのか……?」
「そうですよ。いつも前を進んでいて、良いと思うわ」
「……ああ、そう」
礼節に厳しい王侯貴族の中では、メリーの性格は特殊だろう。良い意味で型破りとして受け入れられているのなら、フィノアのように彼女を慕う者は、城中に多いのかもしれない。
メリーを追って、フィノアが走りだす。その先に、エイスの城壁が枝葉の隙間から見えた。やはり、尋常ではない高さだった。最初に訪れた時は、あの城壁を見ても現の世界に帰ってきたのだと思いこんでいた。今にして思えば、あり得ない思考だ。
「……クロニスさん?」
立ち止まっているラトスにふり返って、フィノアが声をかけてきた。
「ああ。行くよ。すまない」
返事をすると、フィノアは小さく首をかしげたが、すぐにまた走っていった。その姿を追って、ラトスも歩きだした。
おそろしく高い城壁に近付くと、フィノアは目を見開いて固まった。
分からなくもないとラトスは思ったが、メリーは違った。
「どうしたのです? フィノア」
「……え。……あの、あれって? 城壁? ですか……?」
至極まともな反応だ。
夢の世界だと分かった上で見る城壁は、以前よりも大きく、高く見えた。メリーはフィノアの様子を見て、大きいですよねと笑っている。
ラトスはメリーを見て、初めてここへ訪れた時の彼女の反応を思い出した。割と雑に、こんなものじゃないですか? と言っていたはずだった。あの時は、適当に答える彼女に、自分が驚きすぎなのだろうかと不安にもなった。今のメリーを見て、ラトスは苦笑いする。同時に、高い城壁を見あげているフィノアに対し、ほっとした。これが普通の反応のはずなのだ。
「ラトスさんの家に、戻ります?」
森をぬけて大きな道に出たところで、メリーが言った。
「そこまで行かなくてもいいだろう。街のどこか、落ち着けるところでいいんじゃないか?」
メリーの提案をラトスは一蹴した。
夢の世界だというのに、城下街は無駄に広いのだ。現の世界の、本物の城下街と同じくらいはあるかもしれない。ラトスの家まで行くとなると、かなり歩くことになる。
「いいじゃないですか! 行きましょうよ!」
「何でだ。意味はないだろう」
「だって……! ……んに、……いし……」
「……なに?」
「……シャ……シャーニさんに、会いたいし!」
恥ずかしがるように、メリーは言った。
何で、シャーニに? と言おうとしたが、やめた。すぐに分かったからだ。
「そんなに可愛いか……?」
「可愛いんですよ!」
両腕をふって、メリーは叫ぶ。
彼女の表情は、ペルゥに対するものと一緒だった。犬猫と一緒にしてほしくはない。そう思ったが、言ったところで、そうではないと言い返してくるだろう。
「行ってきますって、言いましたしね」
そう言ってメリーは、笑ってみせた。確かに言ったなと、セウラザもうなずく。ですよねと返事して、メリーは城門に向かって歩きだした。
メリーの後ろ姿を見て、ラトスは自分の表情が曇っていくのが分かった。シャーニの顔をもう一度見たいとは思えなかったのだ。どうしても、死に顔を思い出して重ねてしまう。夢の中とはいえ、会えて嬉しくないわけではない。だからこそ胸がつぶれるような気持ちになった。
メリーは、亡くなった妹に会わせる機会を増やしてあげたいと思っているのかもしれない。ただ自分が会いたいからという理由で、わがままを言う性格ではないだろう。
「シャーニさん、というのは、誰なのですか?」
ラトスの顔をのぞきこむようにして、フィノアが言った。
「……妹だ」
「クロニスさんの?」
「……ああ」
短く返事して、ラトスはうなずいた。
城門のほうに目を向けると、メリーの後を追ってセウラザも歩きだしていた。
「あまり……嬉しそうでは、ないですね」
察したかのように、フィノアは小さな声で言う。
「どう、だろうな」
先を行く二人を追って、ラトスは歩き出した。フィノアも後につづく。
しばらく、二人は黙って歩いた。フィノアは、歩くのが妙に遅かった。王女だから品よく歩いているのだろうか。置いていくわけにもいかず、ラトスは少女に合わせてゆっくりと歩いた。
時々、メリーがこちらに向かって手をふっていた。ラトスは、手をふり返す。歩調を速め、追いかけようか。そう思って、隣を歩くフィノアを見た。しかし少女はメリーの姿を見たまま、静かにゆっくり歩くだけだった。
城門をくぐりぬけても、沈黙はつづいた。
メリーとセウラザは、何か話しながら歩いている。ラトスたちとはだいぶはなれていたが、一定の距離を保って、はなれすぎないようにしているようだった。はなれていないのを確認すると、メリーは必要以上にこちらをふり返ることはなくなった。
長くつづく沈黙が、妙に痛い。
会話をすることが好きなわけではない。だが、意図を汲み取れない沈黙に、ラトスはうんざりしはじめた。時々隣を歩くフィノアを見下ろしてみる。少女は静かに、前を見て歩いているだけだった。
楽しくないなら、先に行ってメリーと歩けばいいだろう。そう言おうとした矢先、フィノアが口を開いた。
「メリーは、優しい人です」
前を見ながら、ぽつりと言った。先を歩くメリーを見て、言っているのだろう。
「そうだな」
「……気遣い方が、時々、変ですが」
「……そう、だな」
シャーニに会わせたいと気遣う心は、ありがたい。だが正直に言えば、迷惑なことだった。今、妹の顔を見れば、また黒い靄におそわれるかもしれない。わざわざ、苦しい思いをするために行くようなものだ。
「もし、思うところがおありでしたら、私が付き添いますよ」
フィノアはそう言うと、顔を上げず視線だけラトスの顔に向けた。
思いもしなかった言葉に、ラトスは目を見開いた。
フィノアはラトスの心配をして、あえて隣を歩いていたのだ。わざとメリーに追いつかないよう、歩調もゆるめていたのだろう。
フィノアは王女で、メリーの主人なのだ。メリーの妙な気遣いなど、王女の一言で簡単に方向性を変えられるだろう。ラトスがシャーニに会いたくないというなら、会わずに済むよう道筋をつけることは、フィノアならごく自然にできる。
まさか気遣って隣を歩いていたとは思わず、ラトスは言葉に詰まった。
「出過ぎたことを、言ってしまったでしょうか?」
目を見開いたまま固まっていたので、フィノアは心配そうに顔をあげた。
「……あ、ああ。いや。すまない。大丈夫だ。気を遣わせたな」
「いいえ。メリーほどは、気を遣っていませんよ」
ようやく返事をしたラトスを見て、フィノアはすぐに前を向いた。
城下街の大通りの一角で、メリーとセウラザが足を止めていた。こちらを向いているわけではない。どこかの店に、目を向けているようだった。
「そうだな。メリーさんには、気を遣わせているな」
「そうです。私にも、ですよ」
「……ははっ。そうだな。すまない。もう、大丈夫だ」
ラトスは苦笑いすると、両手をあげながらうなずいてみせた。
王侯貴族とこのように話す機会など、普通はない。生きる世界が違うと、そう思っていた。
メリーも貴族だが、人柄のせいか、あまり身分差は感じなかった。だが、フィノアは王女だ。雰囲気も一般人とはまるで違う。同じ人間とは思えない、なにかがあった。
同じ人間でないのなら、分かり合えることはない。
心の奥底で、そう割り切っていた。
しかも現の世界にもどれば、もう会うことはないのだ。
「悪かったな。王女さん」
小さな声で、ラトスは言った。
フィノアも同じ人間なのだ。メリーに甘える、小さな子供でもある。フィノアが身分差を感じて、壁を作っていることは分かっていた。だがそれ以上に、ラトスも壁を作っていたかもしれない。そう思うと、ラトスは少し恥ずかしくなった。
「……何がです?」
「いや、何でもない」
苦笑いをしながら、ラトスは片眉をあげた。
やがて二人は、メリーとセウラザに追いついた。
そこは、大通りにある武具店だった。悪夢の回廊に行く前に、武具をそろえた店だ。
「ここで、何をしてたんだ?」
ラトスが声をかけると、セウラザは彼に向きなおった。そして自らの甲冑を手のひらでたたいてみせる。
「だいぶ壊れたからな。ここで、直しておく」
「そうだったな……ずっと、ボロボロだったな」
「ああ。また、悪夢の回廊に行くなら必要だ」
そう言って、セウラザは武具店に入っていった。
残されたメリーは、追いついてきたフィノアの手を取った。突然手をつかまれて、フィノアは戸惑ったようだった。しかしメリーは目を輝かせて、少女を武具店に引きずりこんでいった。
なにをしたいのか、想像はつく。
引っ張られていくフィノアを追って、ラトスも武具店に入っていった。店内に入ってすぐのところに、店主の男がいた。店主はセウラザの甲冑をじっと見て、なにか考えているようだった。
「直るのか?」
ラトスが声をかけると、セウラザの代わりに店主がうなずいてきた
「もちろんです。完全に消えて、無くならない限りは」
自信に満ちた声で、店主の男が言った。
夢の世界では、どれだけ壊れても多少残っていれば復元できるということだろうか。不思議に思ったが、詳しく聞きはしない。特殊な力があって、特殊な方法で直すのだろう。疲れ切っている頭に、それ以上の知識を入れようという気分にはならなかった。
奥から、フィノアとメリーの声が聞こえる。
棚にならんでいるこまかな装飾がほどこされた武具を見ているようだった。
メリーは得意げな顔をして、フィノアになにか説明をしていた。調子に乗って店を吹き飛ばしたりしないだろうか。彼女の様子を見て、ラトスはわずかに顔を引きつらせた。
だが、心配はいらないようだった。メリーが調子に乗りそうになると、彼女の手からフィノアが武具を取りあげてしまうのだ。無理やりに、取りあげているわけではない。慣れた手つきでメリーの目を盗み、取りあげていた。時間を置いて、メリーは自分が手ぶらであることに気付く。あわてて辺りを見回すと、武具は棚にもどされていた。その様子は、端から見ていればなかなか面白いものがあった。
ラトスが二人の様子を見ているうちに、店の入り口から店主の声が聞こえた。
ふり返ると、セウラザが歩いてきていた。壊れた甲冑を店主に預け終えたのだろう。店の奥がにぎやかなのを見て、近付いてきたようだった。
いつもの甲冑の音がしないので、メリーたちはセウラザが近くまで来たことに気付かなかったらしい。メリーは背後に立つセウラザに驚いて、変な声をあげた。
「メリー。言葉遣いが悪いわ」
フィノアは、メリーの雑な言葉遣いが気に入らないらしい。注意されたメリーは、首をすくめて謝った。確かに最近、メリーの言葉は砕けてきている。自分と一緒にいるからだろうかとラトスは考えた。もしそうだったとしても、咎められる理由は無いはずだ。しかしフィノアの声を聞くと、自分も怒られているようにラトスは感じるのだった。
「王女も、武器を選んだのか」
フィノアが手に持つ杖を見て、セウラザが言った。
フィノアの手にある杖は、腕の半分ほどの長さのものだった。形は王錫のようで、大樹と鷲の装飾がほどこされていた。色は金を下地に、赤と黒で大樹と鷲を彩っている。大樹の中には、いくつもの宝石がはめられていた。
「戦いに行くと……言うので」
大樹の杖をにぎりしめながら、フィノアはうつむいて言った。
うつむいた少女の唇は、わずかにふるえているようだった。武器を持って戦うことなど、今まで無かっただろう。隣にいるメリーは、何本か剣をかかえていた。フィノアに見せていたのだろうか。彼女が見せる剣を取らずに杖を選んだということは、刃に抵抗感があるのかもしれない。
「こういう、綺麗なのは、魔法用なのか?」
「そうだな」
「魔法、ですか……。メリーのようなことが、出来るのですか?」
「出来る、かもしれない」
セウラザはそう言って、フィノアの前に立った。大樹の杖をにぎっているフィノアの手に、そっとふれる。手のひらに何か感じるかと、セウラザが問いかけた。フィノアはしばらく考えたあと、小さくうなずいた。
「肌に、吸い付くような感じがします」
「……なるほど」
フィノアの言葉に、セウラザはうなずいた。
武具にふれた感触で、なにかが分かるのだろうか。ラトスは腰の短剣にふれてみたが、特に大きな違和感は無かった。強いて言えば、じりじりと熱くなるような感覚があるだけだろうか。
「この杖で、良いのですか?」
言葉が少ないセウラザに、不安を感じたのだろう。フィノアは、セウラザの腕をつかみながら、杖を小さくふってみせた。すると、大樹の杖にはめられている宝石が、かすかに光った。
杖の光を見て、セウラザは少女の腕を強くつかんだ。
「ここで、それを振るのは良くない」
セウラザは強い口調で言いながら、フィノアの手にある杖をにらんだ。
つかんだ手の力が強かったのか、フィノアは顔をゆがめた。それでも、セウラザは少女の手をはなさなかった。しばらくすると、大樹の杖の宝石から光が消えていった。
「……今の、結構危なかったんじゃないか」
「そうだな」
光が消えたのを確認して、セウラザはフィノアの手をはなした。
フィノアは声こそあげなかったが、相当痛かったようだ。セウラザにつかまれたところを自らの手でつつむと、彼から距離を取った。無礼者と叫びだしそうないきおいで、セウラザをにらみつけている。
「いや。王女さん……。今、この店を壊しそうだったからな。あんたが」
たしなめるように、ラトスが言った。
「何のことです?」
「あー……。うん。つまりだな。……悪い。メリーさん。あと、頼んでもいいか?」
「え? ……あ。はい」
突然の指名にメリーはあわてたが、すぐに役割を理解したようだ。
怒りをあらわにするフィノアの前に立って、メリーは少女の背中をなでた。まるで暴れ馬をなだめるようなやり方だ。だが、即効性があったらしい。フィノアの表情は和らぎ、セウラザをにらんでいた視線も、とろんと下に落ちた。
「……私も、人のこと言えないのですけどねー」
武具をあつかう際の危険性を説明しながら、メリーは消沈した表情で言う。
悪夢の回廊の道を吹き飛ばしたことを思い出したのだろうか。フィノアに説明しながら、彼女は居心地悪そうにラトスへ視線を向けた。そうだろうとラトスも思ったが、仕方がない。ラトスとセウラザがフィノアに武具の危険性の説明しても、反発してきそうだったのだ。
「むやみに力を込めて、振り回してはならないということですね」
「そうなんです……。本当に、私が言えたことじゃないのですけど、気を付けてください」
「メリーが言うのなら、そうしましょう」
フィノアはそう言うと、大樹の杖を左手に持ち替えた。
「失礼しました。迷惑をかけるところでしたね」
素直に頭を下げるフィノアを見て、セウラザは少女に手を差しだした。
フィノアは一瞬、びくりと身体をゆらした。先ほど強くにらんだ相手なのだ。警戒したのだろう。
「こちらも、失礼した」
フィノアに手を差し伸べながら、セウラザは短く言った。
思いもしない言葉だったのか。フィノアはもう一度身体を小さくゆらす。差しだされた手を見て、じっと考えるような表情をした。やがてフィノアも小さな手を差しだし、セウラザの手のひらに添えた。
二人の様子を見て、メリーとラトスは肩の力をぬいた。
まさか突然、険悪な空気になるとは思わなかったのだ。ラトスは両手を小さくあげてみせると、メリーも合わせるように困った顔をした。
用事を済ませた四人は、武具店を出た。
愛想のいい店主が、手をふってくれている。メリーが、また来ますと大きな声で言いながら、手をふり返していた。彼女の様子に、フィノアはかすかに嫌そうな顔をした。はしたないとでも思っているのだろう。だが何度も言いつづけるのに疲れたのか、少女は小さく息を吐きだすだけだった。
「メリーさん、あんた、愛されてるな……」
フィノアの様子を見て、ラトスは小声でメリーに話しかけた。
「何のことですか?」
店主からラトスに顔を向けなおして、メリーは首をかしげた。
こういう人間のことを、天然というのだろうか。ラトスは、生きるか死ぬかの生活を長く送ってきていた。ラングシーブの仕事をするようになってからは、人の汚いところも多く見てきた。そのためか、ラトスの周りにはお人好しの人間はあまりいなかった。
お人好しは、利用されるか、死ぬ。
実際、ラトス自身も彼女を利用しようとしたのだから、間違いない。
だが普通に生きていれば、これが愛される生き方なのだなとも思った。
フィノアの愛情は行きすぎている気もするが、この少女と生きているかぎり、メリーの人生は安泰だろう
「いや。なんでもない」
ラトスはメリーの顔を見ながら、目をほそめるのだった。
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