傀儡といしの蜃気楼 ~消えた王女を捜す旅から始まる、夢の世界のものがたり~

遠野月

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貪食

壁からはじまる

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 フィノアの顔色が良くなったころ、ペルゥがもどってきた。
 偵察に行かせてから、どれくらいの時間が経っただろうか。夢の世界にいる影響からか、時の流れが妙に分からなくなることがある。一日経ったような気もするし、一時間程度のような気もするのだ。

 ペルゥは大きな声をあげながら、小さな前足をふって、飛んできた。
 その声にメリーが気付き、嬉しそうに立ちあがる。釣られて、フィノアも立ちあがった。自身を迎える準備を整えた彼女たちを見て、ペルゥはまんざらでもない表情をした。満面の笑みでメリーの胸の中に飛びこみ、フィノアに身体をなでられる。

「お帰りなさい、ペルゥ」
「ただいまー!」

 明るい声が交わされる。
 もうすぐ戦いがはじまるかもしれない。無意識に高揚しているのだろう。

「それで。どうだったんだ」

 じゃれあう三人の間に切りこむようにして、ラトスが声をかけた。

「えっとね。とりあえず、夢魔はこっちに向かってるね」
「そうか。どれくらいかかりそうなんだ」
「んー。まあ、一休み出来るくらい……かな。たぶん」

 ペルゥは曖昧に応える。
 時間の概念が曖昧なのだから、これは仕方がないことだ。

 夢魔が向かってきている。ペルゥの言葉に、メリーとフィノアの表情は硬くなった。メリーは悲嘆の夢魔と戦った経験もある分、緊張は大きいだろう。
 だが、一休みできるのなら、やりようがある。ラトスは、フィノアに声をかけた。少女はびくりと身体をゆらす。指名を受けるとは思っていなかったようだ。不安が入り混じった瞳をラトスに向けている。

「ここに、城壁を作ろう」

 フィノアの足元を指差して、ラトスは少し明るい声で言った。
 メリーはともかく、フィノアの士気が下がるのは避けたい。連動するように、メリーの士気が下がってしまうからだ。自信があるように話せば、少しは気を楽にさせられるだろう。

「城壁、ですか」
「そうだ。出来るだけ、こちらが戦いやすくなるようにする」

 そう言ってラトスは、黒い石畳の道の先を指差した。
 何もこちらから先手をかける必要はない。向かってくるというのなら、十分に手を打って待ち構えてもいいのだ。

 石畳の道を指差しながら、ラトスは壁を作る場所を指示した。作るなら、夢魔より高い壁で、分厚いのが望ましい。ラトスは、今までより太い枝を生やせるかどうかフィノアにたずねた。しばらく考えていたが、やってみましょうとフィノアはうなずく。

「でも、かなり、大きな夢魔だったよ? 前の夢魔の倍はある」
「倍か……。背が高いのか?」
「ううん。長いんだ。足の付いた蛇みたいだった」

 ペルゥは、身ぶり手ぶりで説明する。しばらく真面目に聞いていたが、いまいち夢魔の姿を思い浮かべることはできなかった。だが背の高い夢魔ではないのは、間違いないようだった。それならば、壁を高くする必要はない。魔法で壁を作るフィノアの負担も、ずいぶん減らせるだろう。

 ペルゥから得た情報をもとに、フィノアは、三重の壁を作った。
 壁の高さは、実際に夢魔を見たペルゥの指示で、高さを調整していく。最終的に、壁の高さは人の高さの五倍以上になった。以前に戦った悲嘆の夢魔の高さは、人の十倍以上だった。今回はそれほど背が高くないのだなと、ラトスは少し安堵した。

 枝葉の壁の枝は、ラトスが希望したとおり、太い枝になっていた。
 これならば、簡単に壊れないだろう。太い枝なので、ラトスたちが乗ることもできる。壁の反対側には、ゆるやかな斜面を設けさせた。ラトスたちの方向からは、壁の上へ登りやすくするためだ。
 壁を作り終えたフィノアは、疲労困憊の様子だった。
 
「すまない、王女さん。助かったよ」
「いいえ。でも、少し休みます」

 そう言うとフィノアは、膝を突いた。
 あわててラトスは、自身のマントを石畳の上に広げる。硬い石畳に敷かれたマントを見て、フィノアはわずかに顔をあげた。ラトスの目を見て、かすかに笑う。

「ありがとうございます」

 フィノアは笑顔で言うと、倒れるようにしてマントに横たわった。その姿を見て、ラトスは感心した。出会ったころは、人前で寝転がるなどあり得ないといった態度だったのだ。メリーも柔軟な思考力があって、常識に囚われないところがある。女というものは、男が思うよりずっと強かで、賢しいようだ。

 疲れ切っているフィノアを心配して、メリーが駆け寄ってきた。
 彼女は、横たわっている少女のそばに膝を突く。小さく声をかけると、少女は静かにうなずいて笑顔を返した。

「夢魔が来るまで、休ませよう」

 ラトスは、メリーに声をかける。
 枝葉の壁を見て回るペルゥの様子から、夢魔は今しばらく来ないと見ていいだろう。備えは十分にした。フィノアだけでなく、全員が休んでおくべきだ。ラトスの言葉に、メリーはうなずく。そうですねと言って、フィノアのそばに腰を下ろした。

 二人が休む様子を横目にして、ラトスは枝葉の壁まで歩いていく。
 枝葉には、いくつか花が咲いていた。近付くと、かすかに温かい。ふれればすぐに落ちてしまいそうだが、この花の力がラトスたちの生命線になる。万が一長期戦になれば、花の微々たる回復効果でも貴重となるだろう。

「これで防げそうか?」

 枝葉の壁を楽しそうに見ているペルゥに、ラトスは声をかけた。

「うーん。どうかな。でも、足止めにはなるよ」
「そうか」
「上手くいくことを、期待するしかないよね」

 ペルゥは、小さな前足を組んで言う。
 表情に、不安が見えた。大丈夫だとか、いけるだとか、気軽なことを言ってこない。計りかねているのだ。だが、無理とも言ってこない。

「上手くいかせるさ」

 枝葉の壁の天辺を見あげて、ラトスは静かに言った。
 ここで上手くできなければ、悪夢の回廊の最奥へ行くなどとは言えない。少なくとも、テラズの宝石を奪った夢魔が倒せなければ、現の世界にはもどれないのだ。あの夢魔には、一撃も与えられなかった。悲嘆の夢魔の何倍も強いはずだ。

 今のままでは、駄目だ。
 もっと鋭く、戦えるようにならなくては。
 ラトスは、腰の短剣に手の甲を当てた。カチと、音が鳴る。手のひらが、かすかに熱くなった。

 空気が、痛くなっていく。
 断続的なゆれは次第に激しさを増し、はじくような衝撃が全身をつらぬく。

 ペルゥと話した後、ラトスとペルゥは枝葉の壁の上へ登った。
 壁の上に、セウラザが立っていた。黒い石畳の、道の先を見ている。釣られるように、ラトスも道の先へ目を向けた。薄暗い空間に延びる黒い道は、大きくゆがんでいる。夢魔は、まだ見えない。

「これでは休まらないな」

 空気のふるえに、ラトスはにがい顔をした。

「まー。フィノアとメリーは休めるよ?」
「何故だ?」
「結界張っといた」
「……なに?」
「結界張っといた」
「……ああ、そう」

 ペルゥが説明を惜しむので、ラトスはそれ以上聞かなかった。
 エイスから遠い国で、清浄と不浄を区切る結界とやらがあると聞いたことがある。物理的なものか、精神的なものなのかは知らない。だが結界の概念が、夢の世界にもあるのだろう。魔法などで形にできても不思議ではない。

「その結界とやら。俺達には使ってくれないのか」
「うん」
「ああ、そう」

 ペルゥの即答に、ラトスは眉根を寄せた。この猫みたいな獣は、とにかくフィノアとメリーに甘い。可愛がられた分は、きっちり返すというところだろうか。ラトスもペルゥを可愛がれば、なにかしてもらえるのだろうか。少し考えてみたが、やめた。気持ち悪いこと、この上ない。

 それからしばらく、他愛もない会話をペルゥとつづけた。
 隣でセウラザは、じっと道の先を見ていた。時々声をかけたが、彼は無表情のまま動かなかった。不必要にペルゥと会話をしたくないのかもしれない。少しは仲良くなったかと思ったが、ペルゥに対してまったく警戒を解いていないようだ。

 面倒なものだと、ラトスは困った顔をした。
 瞬間、これまでにないほど空気がふるえた。

「来た」

 短く、セウラザが言う。
 ラトスは黒い道の先に、顔を向けた。遠くはなれたところは、相変わらず陽炎のように景色がゆがんでいた。黒い道が、ゆらゆらとゆれている。しかしよく見ると、別のゆらぎがあった。不規則に、なにかが動いている。

「あれか」
「おそらく」

 ラトスの問いに、セウラザは即答した。
 別のゆらぎは、黒い道に沿って動いていた。明らかに、生物らしき動きをしている。実際に見に行ったペルゥにも確認すると、セウラザ同様にうなずいてきた。

 ペルゥは、壁の下にいるフィノアたちのところへ飛んでいく。
 十分に休めたかは分からないが、温存できるほどの余裕はない。何とかフィノアにも戦ってもらう必要がある。ペルゥは彼女たちのそばまで行くと、前足を何度か左右にふった。すると、彼女たちの周りで、何かが瞬きするようにはじけた。結界と言っていたものを解いたのだろうか。同時に彼女たちは、跳ねるようにして身体を起こした。

「ラトス」

 壁の下を見ているラトスに、セウラザが声をかけてきた。

「なんだ」
「あまり無理をして戦わないように、頼む」
「そのつもりだ」
「そうか」

 無表情な顔で奇妙な心配をするセウラザに、ラトスは違和感を感じた。
 言われるまでもなく、無理をするつもりはない。だが強力な夢魔なら、手をぬく余裕はないだろう。限界まで詰めていく覚悟が必要だ。それは、セウラザも分かっているはずだった。わざわざ言葉にしなくてもいいことだ。

「やれることをやる」
「そうだな」

 ラトスの言葉に、セウラザは短く返す。
 腰の短剣に、手をかけた。黒い短剣の柄を左手でにぎる。じりじりとした熱さが、手のひらに伝わる。指先に、刺すような痛みが走った。

 緊張しているのか。
 黒い道の先にうごめく、巨大な夢魔をにらむ。心なしか、夢魔の周囲の暗闇が濃くなっているように見えた。

「来ましたか?」

 後ろからメリーの声が聞こえた。ふり返ると、ペルゥに連れられるようにしてフィノアとメリーが壁の上に登ってきていた。メリーは緊張した面持ちだったが、身体は軽いようだ。軽快に太い枝を踏んでいる。彼女の後ろにいるフィノアの顔は、まだ少し疲労の色が残っていた。

「ああ。来た。あそこだ」
「……どこです?」

 ラトスが指差す先に、メリーは視線を送る。しばらく眺めた後、びくりと身体をふるわせた。
 つづいてフィノアが、メリーの後ろから顔をだす。少女もまた、しばらく薄暗闇に目を向けた。その間も、道の揺れと空気の衝撃はつづく。

「トカゲ、でしょうか?」

 道の先を見ながら、フィノアがこぼすように言った。

「トカゲだと」
「這って、進んでいるように見えますが」

 そう言いながらフィノアは指を差す。
 確かに、巨大な夢魔の動きは小さかった。ゆらめきが強すぎて分かりづらいが、道の上に大きな影は見えない。上体を低くして進んでいるのだろう。
 ペルゥも蛇に足が付いたような姿だと言っていた。とすれば、トカゲも似たようなものなのだろう。

「王女さんは、ぎりぎりまで休んでいてもいい」
「気遣いは無用です」
「そうじゃない。作戦の一環だ」

 フィノアには、攻撃手段がない。だが、近距離で戦う三人よりは、全体を把握しやすいだろう。序盤の様子見で無理に魔法をねじこむよりは、夢魔の動きをじっと観察してもらう方が良い。
 全員に作戦を説明し終えると、フィノアは黙ってうなずいた。すべて納得したわけではないようだが、不満を払拭する時間はない。ラトスは困った顔をしたが、すぐに道の先へ目を向けた。

 すると、ゆれと空気のふるえが、止まった。
 どうしたのだと、道の先にいる夢魔を見る。まだ遠すぎて、夢魔の姿は陽炎のようにゆれて見えるだけだった。何をしているかは、分からない。夢魔の周囲は、暗闇がさらに濃くなっているようだった。目を凝らすと、その暗闇はうごめいていた。悲嘆の夢魔同様に、小さな夢魔が集まってきているのかもしれない。

「……止まったのか?」

 ずっとつづいていたゆれは、収まったままだ。
 夢魔の影も、じっと動かない。進んでいる気配も感じられない。もしや警戒されたのだろうか。ラトスはふり返って、三重に築いた枝葉の壁を見た。もしあのまま動かなくなれば、これまでの準備が徒労に終わってしまう。

「いや。来るよ」
「そうだな。武器は構えたほうがいい」

 ペルゥとセウラザが言う。共に、表情が険しい。セウラザはすでに抜剣していた。剣身はまだこまかく分けてはいなかったが、剣の柄をにぎる手には力が感じられた。

 ラトスも、道の先を見る。
 同時に、これまでにないほどのゆれと、空気のふるえがあった。そのゆれとふるえは、一度ではない。今までよりも小刻みにつづいた。
 ラトスは腰の短剣をぬいた。かまえながら、夢魔らしきゆらぎを見る。巨大な夢魔の動きは、速くなっていた。脚らしきものも、激しく動いているのが分かる。同時に、周囲の暗闇も夢魔につられて動きだした。あれら全てが小さな夢魔だとすれば、数百匹どころではないだろう。数千匹はいるかもしれない。

「俺とセウラザは、下に降りる。メリーさんは、そこで頼む」
「分かりました」
「無理はするな。駄目だと思ったら、二つ目の壁に行け」
「はい!」

 メリーが短く返事する。彼女の後ろで、フィノアも小さくうなずいていた。
 二人の様子を見てから、ラトスはセウラザと一緒に壁を下りた。枝葉の壁には、人一人がやっととおれる小さな出入口があった。出入口をくぐりぬければ、壁の外側だ。
 セウラザが先行して、壁の外側にぬけていく。追いかけるようにして、ラトスも小さな出入口をくぐりぬけた。ぬけたと同時に、空気のふるえが顔面を強くたたいた。

 黒い石畳の道が、目の前に広がっている。その先に、巨大な夢魔のうごめきが見える。その姿は、徐々にはっきりと見えるようになった。

 巨大な夢魔の身体は、大きなワニのようだった。
 脚は、六つ生えていた。ワニの足よりは長く、クモの足を連想させた。脚とは別に、人間のような腕も二本生えていた。腕も脚も、ワニのような皮におおわれていた。正面からなのでよく見えないが、尻尾もあるようだった。時折、長い尻尾が左右にふれている。
 頭は、三つあった。それぞれ別の動物の頭で、一つ目は、豚の頭。二つ目は、虎の頭。三つ目は、ワニの頭だった。いずれも別々に動いていて、絶えず辺りを警戒しながら走っていた。

 周囲の暗闇は、思っていたとおり小さな夢魔の群れだった。悲嘆の夢魔の時と同様に、小さな夢魔は、身体と翼は蝙蝠のようで、頭は蛇のような形をしていた。

「これも、悪徳の夢魔か……?」
「たぶんね」

 ペルゥはがっかりした表情で夢魔を見ている。
 悪徳の夢魔が、短期間に二度も現れたのだ。偶然では片づけられない問題になったのだろう。ペルゥは目の前の夢魔よりも、なぜこうなっているのかに執心しだした。戦闘に参加しない身分というのはなんとも気楽なものだと、ラトスはため息を吐く。

 夢魔が、せまっている。
 悲嘆の夢魔とは、まったく違う。三つの頭が、しっかりと枝葉の壁をとらえていた。六つの目が光り、力強さをたたえている。

 踏みだしてくる足が、ラトスたちの身体の奥底までふるわせた。
 枝葉の壁を壊す意思が、ゆれと共に伝わってくる。壁の前にいるラトスたちを認識しているかは分からない。気付いていたとしても、身体の大きさがまるで違う。障害とも思っていないだろう。

 セウラザが、剣身をこまかく分けはじめた。
 無数の刃が、彼の前で渦をえがく。ラトスも二振りの短剣をかまえなおした。伸びる短剣の剣先を、せまりくる夢魔に向ける。

「行くぞ」
「おう」

 セウラザの掛け声に、ラトスが応えた。
 同時に、無数の刃が夢魔に向かって走っていく。広範囲に飛んでいるので、石畳の道を走っている限り避けられはしない。合わせるようにして、ラトスも短剣の剣身を伸ばした。
 伸びていく剣身の狙いは、夢魔の胴だ。
 セウラザの無数の刃を避ける動きをすれば、避けた方向に向かって剣身を斬り返す。どちらかは、当たるだろう。

 先に、無数の刃が夢魔をおそう。
 夢魔は、両腕を大きくふった。いくつかの刃が、夢魔の両腕に突き立つ。しかし半数以上の刃は、両腕にはじかれた。難を逃れたいくらかの刃は、夢魔の胴に突き刺さっていく。
 追い撃つようにして、ラトスの短剣の刃が、夢魔の胴をつらぬいた。
 手のひらに、手ごたえを感じる。深く、つらぬいたはずだ。ラトスは右腕に力を入れた。刃が斬りあがる。胴から腕の付け根まで、大きく切り裂かれた。
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