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貪食
反撃からはじまる
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うなり声が、広がっていく。
虎の頭が、ラトスを見下ろしていた。大きな口をかすかに開けていて、笑っているかのようだった。
短剣をかまえる。
身体を低くして、じっと夢魔をにらみつけた。
貪食の夢魔が、足を大きく上げる。間を置いて、足を進めながらふり下ろした。これまでにないほど、大きく石畳がゆれる。全身を殴るような衝撃も駆けぬけていった。背後の枝葉の壁が、悲鳴をあげるように軋む。
明らかな挑発だった。虎の頭が、笑うようにうなっている。
ラトスは伸びる短剣の剣先を、夢魔の足に向けた。数歩歩き、駆けだす。同時に、背後から鋭い音が鳴った。セウラザの刃がはなたれた音だ。ゆるやかに、風が後方に流れていくのも感じる。
短剣の剣身を一気に伸ばした。
大きくふり下ろされた足に、剣先が当たる。つらぬく感触が手のひらに伝わって、ラトスは思いきり剣をひねった。剣身を縮めて、前方に飛ぶ。
頭上で、セウラザの刃が夢魔に突き刺さっていく音が聞こえた。
このまま行けるかと思った瞬間、夢魔は、伸びた剣身が刺さった足を大きくふりあげた。釣りあげられるように、ラトスの身体も浮きあがる。だがこの動きは、予想していたことだった。ラトスは短剣のひねりをもどし、剣身を縮めていく。身体の支えを失って、ラトスの身体はいきおいよく上に飛ばされていた。夢魔の胴の高さを越えると、今度は夢魔の背に向けて剣身を伸ばした。空気を切り裂くような鋭い音がひびいて、剣が夢魔の背をつらぬく。巨躯がびくりとふるえ、叫び声があがった。
剣身を縮めて夢魔の背に飛びだす直前、再度セウラザの刃の音が、すぐ隣にひびいた。目端に、夢魔の両腕が見える。その太い腕に、無数の刃が突き立てられていた。セウラザが夢魔の頭を狙いながら、ラトスの補助をしたのだ。ラトスは左手の黒い短剣をかかげて、後ろに見えるように小さくふった。
剣身が縮み、ラトスの身体が飛ぶ。夢魔の背に到達すると、ラトスは黒い短剣をふりあげて、何度も突き立てた。そのたびに黒い塵が噴きだし、夢魔が叫び声をあげた。
貪食の夢魔が巨躯をひねり、暴れだす。
ラトスは、ほうりだされないように、夢魔の背をつらぬいた短剣の柄を強くにぎった。せっかく背をとらえたのだ。この機会は逃せない。片腕と両足で踏ん張りながら、一心に黒い短剣を突き立てつづける。
直後、上空から光がはなたれた。見あげなくても分かる、メリーの光だ。
何度か空気のはじけるような音と共に、光がまたたく。最後に大きく光ったかと思うと、夢魔の身体が大きく跳ねあがった。夢魔の頭に、メリーの攻撃が当たったのだ。
光に消えたのは、ワニの頭だった。
遠くから、ペルゥの明るい声が聞こえる。もう後がないからか、メリーの攻撃は思った以上に速かった。ラトスも歓声をあげたくなったが、耐えた。貪食の夢魔は、思いのほか賢く、したたかだとわかっている。追い詰められたとわかれば、大きな反撃にでるはずなのだ。
ラトスがいる夢魔の背が、大きく脈打った。
何度も脈打つうちに、それは大きなゆれになった。
「毒が来るぞ!」
ラトスが叫んだ。
残った虎の頭が、大きな口を開けて上を向いていた。メリーはラトスの声を受け、風をまとって上空へ飛びあがった。ラトスも急いで夢魔の背の上を走る。
どこに大口を向け、毒を吐くのか。考える暇はなかった。とにかく距離を取ろうとして、ラトスは夢魔の尻尾に向け、飛ぶように逃げた。
さらに大きく、夢魔の身体がゆれた。虎の大きな口から、毒液が吐きだされる。ほとんど真上に向かって吐きだした後、夢魔は身体を大きく旋回させながら、四方に毒液をまき散らしはじめた。
思いもしない広範囲に向けての反撃に、ラトスは危機に陥った。一滴でも当たれば、怪我では済まないのだ。
上空に飛んで逃げたメリーは、かろうじて毒の範囲外へ逃れていた。対してラトスは、走って逃げねばならない。広範囲に降りそそいでくる赤紫色の液体は、当然、ラトスの足よりも速かった。
ラトスは、全力で駆けた。
夢魔の身体から飛び降りて、前傾姿勢で走る。すぐ後ろで、ぼたりと液体の落ちる音がした。
このままでは、間に合わない。
ラトスは、伸びる短剣をにぎりなおした。柄頭側を、後方斜め下に向ける。
駆けながら、短剣の柄を伸ばした。
伸びた先が黒い石畳に当たり、強い衝撃と振動が腕に伝わる。おさえきれない振動に、腕と肩をえぐるような痛みが走った。その間にも、背後からぼたりぼたりと、液体の落ちる音がつづく。
やがて、柄を伸ばしつづけている短剣が、なにかに引っかかった。振動が消え、がちりと強い衝撃が腕と肩にひびく。同時に、ラトスの身体が前方に飛んだ。
低く飛びすぎて、ラトスの身体は黒い石畳に擦れつづけた。全身を摩擦熱がおそう。熱さと痛みに耐えながら、ラトスは短剣の柄を伸ばしつづけた。
必死に飛ぶうちに、液体の落ちる音が聞こえなくなる。思わずラトスは、わずかに気をゆるませた。それがあだになって、彼の身体は石畳に強く擦れて、体勢を崩した。転び、何度も石畳の上を跳ねて、吹き飛んでいく。受け身を取る間もなく、ラトスは全身を強く打った。
意識が飛びそうになったが、耐えた。気を失ったら、みな死ぬと分かっている。
倒れながらも、ラトスはなんとか顔をあげた。毒液をまき散らしつづける夢魔の姿が見えた。メリーの姿は見えない。しかし夢魔の向こうに、枝葉の壁だけは見えた。損害は無さそうだったので、ラトスは小さく息を吐きだした。
ふらつき、立ちあがる。短剣の柄だけを伸ばして、杖代わりにした。柄をにぎる手が、大きくふるえていた。ラトスはぼろぼろになった全身をゆっくりと見て、毒液がかかっていないことだけ確認した。なんとか、全身を強打しただけで済んだようだった。
貪食の夢魔の頭は、残り一つ。
毒液をまき散らし終えて、虎の頭は周囲の小さな夢魔を食べはじめていた。できれば、回復する前に攻撃を加えたい。だが、ラトスの身体は、すぐに動きそうになかった。
壁のほうにいるメリーとセウラザからは、ラトスの状態は分からないだろう。安否がわからなければ、彼らから攻撃をはじめられない。機会を逃したことに、ラトスはにがい顔をした。
貪食の夢魔が回復をつづけている間に、壁の方から小さな影が飛んできた。
「ラトスー。……おっと、無事だね。ぎりぎり」
ペルゥの声が聞こえて、ラトスは顔をあげた。
「来てくれて助かった。向こうからは、俺が見えなかったろう」
「うん。全然見えなかった。死んだかと思ったけど、セウラザが消えてないからね。一応、探しに来たんだ」
「一応か」
「まあ、一応ねー」
無事でなによりと言い加えて、ペルゥは笑う。
夢魔に回復の暇を与えてしまったが、これで戦えると、ラトスも笑った。崩れ落ちそうな両足を叱咤し、杖代わりの短剣にしがみつく。
もう一度、走れるだろうか。ふるえる手足に、ラトスは顔をゆがませた。身体を強く打っただけではない。祓いの力も尽きようとしているようだった
「ペルゥ」
「なにー?」
「もう一度やると、あっちに伝えてくれ」
「行けるの? その身体で?」
「……さあな。知らん。行けるとだけ、伝えてくれ」
ラトスが言うと、ペルゥは黙って飛んでいった。
長く息を吐き、吸いこむ。
ふるえる足に、何度か力を入れた。革靴の底から、石畳の感触が伝わる。手のひらにも短剣の感触がある。黒い短剣から熱が伝わってきて、じりじりと焦がすような痛みを感じた。いつもなら鬱陶しい熱さが、今は心強い。これで、一度くらいは無理が効くだろう。
貪食の夢魔は、壁の方を向いている。
だが、背後のラトスに無警戒というわけではない。長い尻尾が、左右に大きくふれていた。ラトスの動く気配がすれば、さらに大きく強くふり回してくるに違いない。
ふるえる足で、夢魔の尻尾をかいくぐれるだろうか。
黒い短剣をかまえて、一歩前に進む。
「いくぞ」
手足に言い聞かせて、ラトスは歯を食いしばった。
ふらつきながら、駆けだす。倒れそうになると、柄を伸ばした短剣で身体を支えた。遅れて、枝葉の壁側からも鋭い音が鳴る。セウラザの刃の音だろう。わざと大きな音を立てて、合図代わりにしたのかもしれない。
左右にふれていた尻尾が、大きくふれだした。
左斜め上に持ちあがったかと思うと、ラトスに向かって一気に落ちてくる。
避けられるだろうか。目端で尻尾をとらえながら、ラトスは前方に飛んだ。直後に、後方で石畳を打つ大きな音が鳴った。遮二無二飛んだラトスは、石畳を転がった。尻尾を叩きつけた衝撃で、石畳が脈打っている。ラトスは急いで立ちあがり、また駆けだした。
夢魔の尻尾は、大きく右上に持ちあがっていた。
虎の頭はこちらを向いていないのに、ラトスの居場所が分かるようだ。尻尾はラトスに向かって、再度ふり下ろされる。今度は避けられない。ラトスは伸びる短剣の柄を下に向け、いきおいよく伸ばした。
柄が石畳を打ち、身体が浮きあがる。十分高く飛んでから、ラトスは柄の長さを短くした。直後、彼の身体の真下を、夢魔の尻尾が通過した。すぐに、空振りさせた尻尾に向けて、剣身を伸ばした。
伸びた剣身の先が、尻尾をつらぬく。ふるえる手で、ラトスは短剣をひねった。同時に、剣身の長さをもどしていく。身体が、尻尾に向かって飛びだした。大きくふれる尻尾と、縮む剣身のいきおいで、ラトスの身体は悲鳴をあげた。だが、ここで手ははなせない。奥歯を噛み締め、尻尾にまでたどり着くと、ラトスは黒い短剣を突き立てた。
黒い塵。噴きだす。
目の前が真っ黒になった。意識が飛んだのかと思ったが、左手に短剣の熱さが伝わってくる。
もう少しだ。
そう思った瞬間、噴きだしている黒い塵のいきおいが消えた。
どうしたのだ。苛立つラトスをあざ笑うように、手足の感覚が徐々に無くなっていく。意識もわずかに薄れているようだった。
力尽きたのか。ここで。
ラトスは目を閉じようとした。だが、目を閉じることはできなかった。時間が止まっているのだ。以前もこんなことがあったなと思っているうちに、真っ黒な視界が大きくうごめいた。ラトスは、じっとうごめく暗闇を見つめた。それはどうやら、いつもラトスをおそっていた黒い靄のようだった。
黒い靄は、今までとは違っていた。まるで生きているかのように、暗闇を這いまわっていた。やがて靄は、周囲の黒い塵を貪りはじめた。
いきおいよく黒い塵を食べていくので、ラトスの視界は明るくなっていった。やがて、夢魔の尻尾に突き立てている黒い短剣も見えるようになる。短剣の周囲から噴きだす黒い塵も、黒い靄は食べ尽くした。
この靄は、生きているのか。
時間が止まった空間で、ラトスは内心顔をゆがめた。こんな姿で生きているとすれば、思い当たるものはひとつだ。
塵を食べ尽くした黒い靄が、大きくうごめいている。
目はないが、じっとラトスを見ているのだと分かった。ラトスも、靄をにらんだ。そのうちに、黒い靄は、黒い短剣をにぎる左腕にまとわりついた。感覚は無かったが、それはおぞましく、気持ちが悪いものだった。
次の瞬間、手足に衝撃が走った。
黒い短剣の周囲から、新たな黒い塵が噴きだしはじめている。
時間が、動きだしていた。理屈は分からないが、考えている暇はなかった。ラトスは黒い短剣を引きぬいて、もう一度突き立てる。すると、貪食の夢魔がこれまでにないほどの叫び声をあげた。
黒い短剣を突き立てた夢魔の尻尾が、大きく吹き飛んだ。爆発するように、周囲に黒い塵が広がった。何が起きたのだと思って、ラトスは左手の黒い短剣を見た。
「なんだ、これは」
ラトスは、傷のある頬を大きく引きつらせた。左手が、黒く変色していたのだ。五本の指すべてが焦げたように黒くなっている。指の先はわずかに尖っていて、人の手とは思えない形だった。
これが、自分の手なのか。左手を見ながら、ラトスは唾を飲んだ。瞬間、夢魔の尻尾が大きく振りあげられた。悩んでいる暇などないと、ラトスは手足に力をこめる。気を抜けば、簡単に振り落とされてしまいそうだった。
なぜか、身体のふるえは止まっていた。全身に疲労感と痛みは残っているが、力は入る。ラトスは右手と両足で身体を支えると、二振りの短剣を交互に突き立てながら、尻尾の上を這うように移動しはじめた。
虎の頭のほうに目を向けると、無数の刃が乱れ飛んでいるのが見えた。
風をまとったメリーが高く飛びあがり、隙を狙っている。しかし、夢魔は尻尾だけでなく、全身をゆらして暴れ回っていた。旋回したり、両腕を振り回して、前方の二人を寄せ付けないようにしている。
尻尾から背中に移動したラトスは、振り落とされないように、伸びる短剣を深く突き立てた。再び、夢魔が叫び声をあげる。吹き飛んで千切れかかった尻尾が、大きく振れた。じりじりと這いあがるたびに、ラトスは何度も短剣を突き立てた。夢魔は危険を感じたのか、身体を大きく跳ねあげて、ラトスを振り落とそうとしはじめた。
「大人しくしろ!」
ラトスは叫び、黒い短剣を突き立てる。
はじけるような音がひびいて、夢魔の胴は大きな穴を開けた。その穴に潜りこんで、ラトスは穴の底に向け再度黒い短剣を突き立てる。
爆発するように、黒い塵が噴きだした。
夢魔の胴を貫通したのか、背だけでなく、腹からからも黒い塵が噴きだしはじめた。ラトスは穴から這いあがると、夢魔の背にもどった。
貪食の夢魔は、動きを止めていた。
倒れてはいない。ただ、呆然としているのか、気を失っているようだった。その隙を、枝葉の壁の上にいるセウラザは逃さなかった。無数の刃をはなち、いきおいよく飛ばす。つんざくような音がひびいて、すべての刃が夢魔の両腕に突き立った。突きささると同時に、刃が回転してえぐっていく。ついには、夢魔の両腕は爆ぜて、消し飛んだ。
痛みを感じたのか、貪食の夢魔は高い声で叫んだ。狂ったように、枝葉の壁に突進していく。破れかぶれの体に見えたが、その巨躯が繰りだす一撃は絶大だった。
枝葉の壁が、大きく軋む。太い枝の折れる音が、周囲にひびきわたった。壁の上にいたセウラザとフィノアは、夢魔の直撃を免れたものの、崩れはじめる壁からは逃げ切れなかった。後方へ吹き飛ばされるように落下していく様子が見える。
宙にほうりだされても、フィノアは冷静だった。大樹の杖を振って、二人が吹き飛ばされる方向に、新たな枝葉の壁を作りだす。それは、今まであった巨大な壁よりは小さかったが、投げだされた二人を受け止めるには十分だった。
壁の上に着地する直前、セウラザはフィノアの身体をかかえる。受け身も取らず懸命に杖を振っていた少女は、なんとか落下の衝撃を受けずに済んだ。
壁にいた二人を倒しきれなかった夢魔は、再度突撃のかまえを取ろうとした。
すると、上空から強い光が飛びこんできた。
「はあああああ!!」
甲高い気迫のこもった声とともに、メリーが落ちてくる。
銀色の細剣が強く輝き、虎の頭を捉える。倒せたかとラトスが思った直後、貪食の夢魔は身体を大きく旋回させた。反射で動いたわけではない。明らかに予測していた動きだった。
メリーの攻撃は、すんでのところで避けられた。光る剣先は、夢魔の肩に当たる。肩と胴が大きくはじけ、えぐれた。
夢魔は叫び声をあげながらも、追撃を避けるため旋回しつづけた。同時に、大きな口を開ける。吸いこむように、周囲の小さな夢魔の群れを食べはじめた。
夢魔の身体が、何度か脈打つ。ラトスが背中に開けた穴が、どくりどくりと再生しはじめた。千切れかかった尻尾も、失った腕も治っていく。ぐるぐると旋回しつづけながら、夢魔の身体が元通りになろうとしていた。
夢魔の肩に剣を突き立てたメリーは、再度攻撃するために宙へ飛んだ。大暴れする夢魔の攻撃が当たらないところまで、距離を取る。
ラトスは、暴れる夢魔の背から振り落とされないよう、何とか取り付いていた。
二振りの短柄を交互に突き立て、じわじわと頭に向かって這い進んでいく。やがて、首の付け根までたどり着くと、黒い短剣を思いきり振りあげた。
全力で、深く突き立てる。黒い塵が噴きだし、首の付け根に大きな穴が開いた。
貪食の夢魔が叫ぶ。旋回する身体を止め、夢魔は頭をあげた。首の付け根に大きな穴は開いたが、首が落ちるほどえぐれてはいなかった。だが、あと二回ほど突き立てれば、首を落とせそうだった。ラトスは力をふりしぼり、再度左腕を振りあげる。
瞬間、上空から光が差しこんだ。
見あげなくても分かる、メリーの攻撃だ。夢魔が身体を止めたことで、機会を得たと感じたのだろう。
ラトスは、焦った。
自身の攻撃で夢魔の首を落とすより、メリーの攻撃のほうが速いに違いないからだ。
彼の目から見て、彼女の攻撃は悪手だった。貪食の夢魔はメリーの攻撃を覚えて、一度攻撃を避けている。しかも反撃するための両腕まで、再生していた。賢しいこの夢魔のことだ。次は確実に、メリーを殴り倒すことができるだろう。実際、ラトスの目端に、夢魔の太い腕が振りあげられていくのが見えていた。
「くそ!」
ラトスは、伸びる短剣の柄を一気に伸ばした。
夢魔の首元から、頭の上まではじき飛ばされるように移動する。見あげると、メリーが光る剣をかまえて落ちてきていた。彼女の攻撃に合わせるようにして、夢魔の太い腕が斜め下から飛んでくる。
黒い短剣をかまえなおす。
左腕に、限界まで力を入れた。
「メリーさん! そのまま、行け!!」
振りあがってくる夢魔の腕に逡巡しているメリーに、ラトスが叫ぶ。
「ラトスさんは!?」
「何とかする! 行け!」
急落下してくるメリーが、ラトスの背後を通過する。同時に、夢魔の大きな拳がラトス目掛けて飛んできた。
大きな拳に、黒い短剣を正面から突き立てる。ラトスの全身に、衝撃が走った。身体のどこかがいくつか壊れ、意識を失うかと思ったが、歯を食いしばって耐えた。
これも悪手だ。正面から受けるなど、あってはならない。だがメリーをかばうのに焦るあまり、ラトスには、夢魔の腕を迎え撃つ態勢を考える暇がなかった。
夢魔の拳からも、黒い塵が噴きだしていた。だが、腕全体のいきおいは殺せていない。ラトスは両足を夢魔の拳に乗せて、短剣の柄を伸ばしつづけた。すると突然、がくりとラトスの身体がゆれた。
伸びる短剣をにぎっていた右手が、軽くなっている。何故だと考える間もなく、ラトスは眼前に両腕を交差させた。伸びる短剣の剣身が、夢魔の身体から抜けてしまったのだろう。身体を支える力を失っては、夢魔の腕を抑えることなどできない。
生身の腕で、夢魔の腕の直撃を耐えられるのか。
逡巡する間もなく、夢魔の腕がせまる。ラトスの両腕をつらぬいて、全身を砕くような衝撃が走った。
吹き飛ばされ、宙を舞う。ラトスは意識を失いつつも、下を見た。
夢魔の巨体が、大きくゆれている。雷のような光が、虎の頭をつらぬいているのが見えた。
貪食の夢魔の叫び声は、聞こえなかった。
祓われたからか、自身の意識が遠のいているからかは、分からなかった。
虎の頭が、ラトスを見下ろしていた。大きな口をかすかに開けていて、笑っているかのようだった。
短剣をかまえる。
身体を低くして、じっと夢魔をにらみつけた。
貪食の夢魔が、足を大きく上げる。間を置いて、足を進めながらふり下ろした。これまでにないほど、大きく石畳がゆれる。全身を殴るような衝撃も駆けぬけていった。背後の枝葉の壁が、悲鳴をあげるように軋む。
明らかな挑発だった。虎の頭が、笑うようにうなっている。
ラトスは伸びる短剣の剣先を、夢魔の足に向けた。数歩歩き、駆けだす。同時に、背後から鋭い音が鳴った。セウラザの刃がはなたれた音だ。ゆるやかに、風が後方に流れていくのも感じる。
短剣の剣身を一気に伸ばした。
大きくふり下ろされた足に、剣先が当たる。つらぬく感触が手のひらに伝わって、ラトスは思いきり剣をひねった。剣身を縮めて、前方に飛ぶ。
頭上で、セウラザの刃が夢魔に突き刺さっていく音が聞こえた。
このまま行けるかと思った瞬間、夢魔は、伸びた剣身が刺さった足を大きくふりあげた。釣りあげられるように、ラトスの身体も浮きあがる。だがこの動きは、予想していたことだった。ラトスは短剣のひねりをもどし、剣身を縮めていく。身体の支えを失って、ラトスの身体はいきおいよく上に飛ばされていた。夢魔の胴の高さを越えると、今度は夢魔の背に向けて剣身を伸ばした。空気を切り裂くような鋭い音がひびいて、剣が夢魔の背をつらぬく。巨躯がびくりとふるえ、叫び声があがった。
剣身を縮めて夢魔の背に飛びだす直前、再度セウラザの刃の音が、すぐ隣にひびいた。目端に、夢魔の両腕が見える。その太い腕に、無数の刃が突き立てられていた。セウラザが夢魔の頭を狙いながら、ラトスの補助をしたのだ。ラトスは左手の黒い短剣をかかげて、後ろに見えるように小さくふった。
剣身が縮み、ラトスの身体が飛ぶ。夢魔の背に到達すると、ラトスは黒い短剣をふりあげて、何度も突き立てた。そのたびに黒い塵が噴きだし、夢魔が叫び声をあげた。
貪食の夢魔が巨躯をひねり、暴れだす。
ラトスは、ほうりだされないように、夢魔の背をつらぬいた短剣の柄を強くにぎった。せっかく背をとらえたのだ。この機会は逃せない。片腕と両足で踏ん張りながら、一心に黒い短剣を突き立てつづける。
直後、上空から光がはなたれた。見あげなくても分かる、メリーの光だ。
何度か空気のはじけるような音と共に、光がまたたく。最後に大きく光ったかと思うと、夢魔の身体が大きく跳ねあがった。夢魔の頭に、メリーの攻撃が当たったのだ。
光に消えたのは、ワニの頭だった。
遠くから、ペルゥの明るい声が聞こえる。もう後がないからか、メリーの攻撃は思った以上に速かった。ラトスも歓声をあげたくなったが、耐えた。貪食の夢魔は、思いのほか賢く、したたかだとわかっている。追い詰められたとわかれば、大きな反撃にでるはずなのだ。
ラトスがいる夢魔の背が、大きく脈打った。
何度も脈打つうちに、それは大きなゆれになった。
「毒が来るぞ!」
ラトスが叫んだ。
残った虎の頭が、大きな口を開けて上を向いていた。メリーはラトスの声を受け、風をまとって上空へ飛びあがった。ラトスも急いで夢魔の背の上を走る。
どこに大口を向け、毒を吐くのか。考える暇はなかった。とにかく距離を取ろうとして、ラトスは夢魔の尻尾に向け、飛ぶように逃げた。
さらに大きく、夢魔の身体がゆれた。虎の大きな口から、毒液が吐きだされる。ほとんど真上に向かって吐きだした後、夢魔は身体を大きく旋回させながら、四方に毒液をまき散らしはじめた。
思いもしない広範囲に向けての反撃に、ラトスは危機に陥った。一滴でも当たれば、怪我では済まないのだ。
上空に飛んで逃げたメリーは、かろうじて毒の範囲外へ逃れていた。対してラトスは、走って逃げねばならない。広範囲に降りそそいでくる赤紫色の液体は、当然、ラトスの足よりも速かった。
ラトスは、全力で駆けた。
夢魔の身体から飛び降りて、前傾姿勢で走る。すぐ後ろで、ぼたりと液体の落ちる音がした。
このままでは、間に合わない。
ラトスは、伸びる短剣をにぎりなおした。柄頭側を、後方斜め下に向ける。
駆けながら、短剣の柄を伸ばした。
伸びた先が黒い石畳に当たり、強い衝撃と振動が腕に伝わる。おさえきれない振動に、腕と肩をえぐるような痛みが走った。その間にも、背後からぼたりぼたりと、液体の落ちる音がつづく。
やがて、柄を伸ばしつづけている短剣が、なにかに引っかかった。振動が消え、がちりと強い衝撃が腕と肩にひびく。同時に、ラトスの身体が前方に飛んだ。
低く飛びすぎて、ラトスの身体は黒い石畳に擦れつづけた。全身を摩擦熱がおそう。熱さと痛みに耐えながら、ラトスは短剣の柄を伸ばしつづけた。
必死に飛ぶうちに、液体の落ちる音が聞こえなくなる。思わずラトスは、わずかに気をゆるませた。それがあだになって、彼の身体は石畳に強く擦れて、体勢を崩した。転び、何度も石畳の上を跳ねて、吹き飛んでいく。受け身を取る間もなく、ラトスは全身を強く打った。
意識が飛びそうになったが、耐えた。気を失ったら、みな死ぬと分かっている。
倒れながらも、ラトスはなんとか顔をあげた。毒液をまき散らしつづける夢魔の姿が見えた。メリーの姿は見えない。しかし夢魔の向こうに、枝葉の壁だけは見えた。損害は無さそうだったので、ラトスは小さく息を吐きだした。
ふらつき、立ちあがる。短剣の柄だけを伸ばして、杖代わりにした。柄をにぎる手が、大きくふるえていた。ラトスはぼろぼろになった全身をゆっくりと見て、毒液がかかっていないことだけ確認した。なんとか、全身を強打しただけで済んだようだった。
貪食の夢魔の頭は、残り一つ。
毒液をまき散らし終えて、虎の頭は周囲の小さな夢魔を食べはじめていた。できれば、回復する前に攻撃を加えたい。だが、ラトスの身体は、すぐに動きそうになかった。
壁のほうにいるメリーとセウラザからは、ラトスの状態は分からないだろう。安否がわからなければ、彼らから攻撃をはじめられない。機会を逃したことに、ラトスはにがい顔をした。
貪食の夢魔が回復をつづけている間に、壁の方から小さな影が飛んできた。
「ラトスー。……おっと、無事だね。ぎりぎり」
ペルゥの声が聞こえて、ラトスは顔をあげた。
「来てくれて助かった。向こうからは、俺が見えなかったろう」
「うん。全然見えなかった。死んだかと思ったけど、セウラザが消えてないからね。一応、探しに来たんだ」
「一応か」
「まあ、一応ねー」
無事でなによりと言い加えて、ペルゥは笑う。
夢魔に回復の暇を与えてしまったが、これで戦えると、ラトスも笑った。崩れ落ちそうな両足を叱咤し、杖代わりの短剣にしがみつく。
もう一度、走れるだろうか。ふるえる手足に、ラトスは顔をゆがませた。身体を強く打っただけではない。祓いの力も尽きようとしているようだった
「ペルゥ」
「なにー?」
「もう一度やると、あっちに伝えてくれ」
「行けるの? その身体で?」
「……さあな。知らん。行けるとだけ、伝えてくれ」
ラトスが言うと、ペルゥは黙って飛んでいった。
長く息を吐き、吸いこむ。
ふるえる足に、何度か力を入れた。革靴の底から、石畳の感触が伝わる。手のひらにも短剣の感触がある。黒い短剣から熱が伝わってきて、じりじりと焦がすような痛みを感じた。いつもなら鬱陶しい熱さが、今は心強い。これで、一度くらいは無理が効くだろう。
貪食の夢魔は、壁の方を向いている。
だが、背後のラトスに無警戒というわけではない。長い尻尾が、左右に大きくふれていた。ラトスの動く気配がすれば、さらに大きく強くふり回してくるに違いない。
ふるえる足で、夢魔の尻尾をかいくぐれるだろうか。
黒い短剣をかまえて、一歩前に進む。
「いくぞ」
手足に言い聞かせて、ラトスは歯を食いしばった。
ふらつきながら、駆けだす。倒れそうになると、柄を伸ばした短剣で身体を支えた。遅れて、枝葉の壁側からも鋭い音が鳴る。セウラザの刃の音だろう。わざと大きな音を立てて、合図代わりにしたのかもしれない。
左右にふれていた尻尾が、大きくふれだした。
左斜め上に持ちあがったかと思うと、ラトスに向かって一気に落ちてくる。
避けられるだろうか。目端で尻尾をとらえながら、ラトスは前方に飛んだ。直後に、後方で石畳を打つ大きな音が鳴った。遮二無二飛んだラトスは、石畳を転がった。尻尾を叩きつけた衝撃で、石畳が脈打っている。ラトスは急いで立ちあがり、また駆けだした。
夢魔の尻尾は、大きく右上に持ちあがっていた。
虎の頭はこちらを向いていないのに、ラトスの居場所が分かるようだ。尻尾はラトスに向かって、再度ふり下ろされる。今度は避けられない。ラトスは伸びる短剣の柄を下に向け、いきおいよく伸ばした。
柄が石畳を打ち、身体が浮きあがる。十分高く飛んでから、ラトスは柄の長さを短くした。直後、彼の身体の真下を、夢魔の尻尾が通過した。すぐに、空振りさせた尻尾に向けて、剣身を伸ばした。
伸びた剣身の先が、尻尾をつらぬく。ふるえる手で、ラトスは短剣をひねった。同時に、剣身の長さをもどしていく。身体が、尻尾に向かって飛びだした。大きくふれる尻尾と、縮む剣身のいきおいで、ラトスの身体は悲鳴をあげた。だが、ここで手ははなせない。奥歯を噛み締め、尻尾にまでたどり着くと、ラトスは黒い短剣を突き立てた。
黒い塵。噴きだす。
目の前が真っ黒になった。意識が飛んだのかと思ったが、左手に短剣の熱さが伝わってくる。
もう少しだ。
そう思った瞬間、噴きだしている黒い塵のいきおいが消えた。
どうしたのだ。苛立つラトスをあざ笑うように、手足の感覚が徐々に無くなっていく。意識もわずかに薄れているようだった。
力尽きたのか。ここで。
ラトスは目を閉じようとした。だが、目を閉じることはできなかった。時間が止まっているのだ。以前もこんなことがあったなと思っているうちに、真っ黒な視界が大きくうごめいた。ラトスは、じっとうごめく暗闇を見つめた。それはどうやら、いつもラトスをおそっていた黒い靄のようだった。
黒い靄は、今までとは違っていた。まるで生きているかのように、暗闇を這いまわっていた。やがて靄は、周囲の黒い塵を貪りはじめた。
いきおいよく黒い塵を食べていくので、ラトスの視界は明るくなっていった。やがて、夢魔の尻尾に突き立てている黒い短剣も見えるようになる。短剣の周囲から噴きだす黒い塵も、黒い靄は食べ尽くした。
この靄は、生きているのか。
時間が止まった空間で、ラトスは内心顔をゆがめた。こんな姿で生きているとすれば、思い当たるものはひとつだ。
塵を食べ尽くした黒い靄が、大きくうごめいている。
目はないが、じっとラトスを見ているのだと分かった。ラトスも、靄をにらんだ。そのうちに、黒い靄は、黒い短剣をにぎる左腕にまとわりついた。感覚は無かったが、それはおぞましく、気持ちが悪いものだった。
次の瞬間、手足に衝撃が走った。
黒い短剣の周囲から、新たな黒い塵が噴きだしはじめている。
時間が、動きだしていた。理屈は分からないが、考えている暇はなかった。ラトスは黒い短剣を引きぬいて、もう一度突き立てる。すると、貪食の夢魔がこれまでにないほどの叫び声をあげた。
黒い短剣を突き立てた夢魔の尻尾が、大きく吹き飛んだ。爆発するように、周囲に黒い塵が広がった。何が起きたのだと思って、ラトスは左手の黒い短剣を見た。
「なんだ、これは」
ラトスは、傷のある頬を大きく引きつらせた。左手が、黒く変色していたのだ。五本の指すべてが焦げたように黒くなっている。指の先はわずかに尖っていて、人の手とは思えない形だった。
これが、自分の手なのか。左手を見ながら、ラトスは唾を飲んだ。瞬間、夢魔の尻尾が大きく振りあげられた。悩んでいる暇などないと、ラトスは手足に力をこめる。気を抜けば、簡単に振り落とされてしまいそうだった。
なぜか、身体のふるえは止まっていた。全身に疲労感と痛みは残っているが、力は入る。ラトスは右手と両足で身体を支えると、二振りの短剣を交互に突き立てながら、尻尾の上を這うように移動しはじめた。
虎の頭のほうに目を向けると、無数の刃が乱れ飛んでいるのが見えた。
風をまとったメリーが高く飛びあがり、隙を狙っている。しかし、夢魔は尻尾だけでなく、全身をゆらして暴れ回っていた。旋回したり、両腕を振り回して、前方の二人を寄せ付けないようにしている。
尻尾から背中に移動したラトスは、振り落とされないように、伸びる短剣を深く突き立てた。再び、夢魔が叫び声をあげる。吹き飛んで千切れかかった尻尾が、大きく振れた。じりじりと這いあがるたびに、ラトスは何度も短剣を突き立てた。夢魔は危険を感じたのか、身体を大きく跳ねあげて、ラトスを振り落とそうとしはじめた。
「大人しくしろ!」
ラトスは叫び、黒い短剣を突き立てる。
はじけるような音がひびいて、夢魔の胴は大きな穴を開けた。その穴に潜りこんで、ラトスは穴の底に向け再度黒い短剣を突き立てる。
爆発するように、黒い塵が噴きだした。
夢魔の胴を貫通したのか、背だけでなく、腹からからも黒い塵が噴きだしはじめた。ラトスは穴から這いあがると、夢魔の背にもどった。
貪食の夢魔は、動きを止めていた。
倒れてはいない。ただ、呆然としているのか、気を失っているようだった。その隙を、枝葉の壁の上にいるセウラザは逃さなかった。無数の刃をはなち、いきおいよく飛ばす。つんざくような音がひびいて、すべての刃が夢魔の両腕に突き立った。突きささると同時に、刃が回転してえぐっていく。ついには、夢魔の両腕は爆ぜて、消し飛んだ。
痛みを感じたのか、貪食の夢魔は高い声で叫んだ。狂ったように、枝葉の壁に突進していく。破れかぶれの体に見えたが、その巨躯が繰りだす一撃は絶大だった。
枝葉の壁が、大きく軋む。太い枝の折れる音が、周囲にひびきわたった。壁の上にいたセウラザとフィノアは、夢魔の直撃を免れたものの、崩れはじめる壁からは逃げ切れなかった。後方へ吹き飛ばされるように落下していく様子が見える。
宙にほうりだされても、フィノアは冷静だった。大樹の杖を振って、二人が吹き飛ばされる方向に、新たな枝葉の壁を作りだす。それは、今まであった巨大な壁よりは小さかったが、投げだされた二人を受け止めるには十分だった。
壁の上に着地する直前、セウラザはフィノアの身体をかかえる。受け身も取らず懸命に杖を振っていた少女は、なんとか落下の衝撃を受けずに済んだ。
壁にいた二人を倒しきれなかった夢魔は、再度突撃のかまえを取ろうとした。
すると、上空から強い光が飛びこんできた。
「はあああああ!!」
甲高い気迫のこもった声とともに、メリーが落ちてくる。
銀色の細剣が強く輝き、虎の頭を捉える。倒せたかとラトスが思った直後、貪食の夢魔は身体を大きく旋回させた。反射で動いたわけではない。明らかに予測していた動きだった。
メリーの攻撃は、すんでのところで避けられた。光る剣先は、夢魔の肩に当たる。肩と胴が大きくはじけ、えぐれた。
夢魔は叫び声をあげながらも、追撃を避けるため旋回しつづけた。同時に、大きな口を開ける。吸いこむように、周囲の小さな夢魔の群れを食べはじめた。
夢魔の身体が、何度か脈打つ。ラトスが背中に開けた穴が、どくりどくりと再生しはじめた。千切れかかった尻尾も、失った腕も治っていく。ぐるぐると旋回しつづけながら、夢魔の身体が元通りになろうとしていた。
夢魔の肩に剣を突き立てたメリーは、再度攻撃するために宙へ飛んだ。大暴れする夢魔の攻撃が当たらないところまで、距離を取る。
ラトスは、暴れる夢魔の背から振り落とされないよう、何とか取り付いていた。
二振りの短柄を交互に突き立て、じわじわと頭に向かって這い進んでいく。やがて、首の付け根までたどり着くと、黒い短剣を思いきり振りあげた。
全力で、深く突き立てる。黒い塵が噴きだし、首の付け根に大きな穴が開いた。
貪食の夢魔が叫ぶ。旋回する身体を止め、夢魔は頭をあげた。首の付け根に大きな穴は開いたが、首が落ちるほどえぐれてはいなかった。だが、あと二回ほど突き立てれば、首を落とせそうだった。ラトスは力をふりしぼり、再度左腕を振りあげる。
瞬間、上空から光が差しこんだ。
見あげなくても分かる、メリーの攻撃だ。夢魔が身体を止めたことで、機会を得たと感じたのだろう。
ラトスは、焦った。
自身の攻撃で夢魔の首を落とすより、メリーの攻撃のほうが速いに違いないからだ。
彼の目から見て、彼女の攻撃は悪手だった。貪食の夢魔はメリーの攻撃を覚えて、一度攻撃を避けている。しかも反撃するための両腕まで、再生していた。賢しいこの夢魔のことだ。次は確実に、メリーを殴り倒すことができるだろう。実際、ラトスの目端に、夢魔の太い腕が振りあげられていくのが見えていた。
「くそ!」
ラトスは、伸びる短剣の柄を一気に伸ばした。
夢魔の首元から、頭の上まではじき飛ばされるように移動する。見あげると、メリーが光る剣をかまえて落ちてきていた。彼女の攻撃に合わせるようにして、夢魔の太い腕が斜め下から飛んでくる。
黒い短剣をかまえなおす。
左腕に、限界まで力を入れた。
「メリーさん! そのまま、行け!!」
振りあがってくる夢魔の腕に逡巡しているメリーに、ラトスが叫ぶ。
「ラトスさんは!?」
「何とかする! 行け!」
急落下してくるメリーが、ラトスの背後を通過する。同時に、夢魔の大きな拳がラトス目掛けて飛んできた。
大きな拳に、黒い短剣を正面から突き立てる。ラトスの全身に、衝撃が走った。身体のどこかがいくつか壊れ、意識を失うかと思ったが、歯を食いしばって耐えた。
これも悪手だ。正面から受けるなど、あってはならない。だがメリーをかばうのに焦るあまり、ラトスには、夢魔の腕を迎え撃つ態勢を考える暇がなかった。
夢魔の拳からも、黒い塵が噴きだしていた。だが、腕全体のいきおいは殺せていない。ラトスは両足を夢魔の拳に乗せて、短剣の柄を伸ばしつづけた。すると突然、がくりとラトスの身体がゆれた。
伸びる短剣をにぎっていた右手が、軽くなっている。何故だと考える間もなく、ラトスは眼前に両腕を交差させた。伸びる短剣の剣身が、夢魔の身体から抜けてしまったのだろう。身体を支える力を失っては、夢魔の腕を抑えることなどできない。
生身の腕で、夢魔の腕の直撃を耐えられるのか。
逡巡する間もなく、夢魔の腕がせまる。ラトスの両腕をつらぬいて、全身を砕くような衝撃が走った。
吹き飛ばされ、宙を舞う。ラトスは意識を失いつつも、下を見た。
夢魔の巨体が、大きくゆれている。雷のような光が、虎の頭をつらぬいているのが見えた。
貪食の夢魔の叫び声は、聞こえなかった。
祓われたからか、自身の意識が遠のいているからかは、分からなかった。
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