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シャーニ
夢の底からはじまる
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フィノアがペルゥを堪能しきるのを待って、四人と一匹は草原を歩きはじめた。
目指す先は、とりあえずラトスの夢の世界となった。
他の場所でもいいのではないかとラトスが提案したが、却下された。却下を後押ししたのは、セウラザだった。
「少し休むのだろう? ラトスの夢の世界は無属性だ。属性の反発も無いから、フィノアとメリーの負担を軽くすることが出来る」
「俺の負担はどうなるんだ」
「一人の負担で、三人休めるのだ。合理的だろう」
セウラザが無表情に言うので、ラトスはうなずかざるを得なかった。
仕方ないと、ラトスは肩を落として歩く。するとメリーとペルゥが寄ってきて、彼の肩を小さく叩いた。メリーが、申し訳なさそうな顔でラトスの顔をのぞいている。その隣で、ペルゥが愉快そうに笑っていた。ラトスはペルゥの小さな頭を弾くと、さらに大きな声でペルゥが笑い、宙で転げまわった。
向かう先は、まず現を覗く間だ。
セウラザが言うには、まだ白い転送石が残っているはずだという。
「現を覗く間への転送石は、岩山が消えると、無くなってしまうのか?」
ラトスが尋ねると、セウラザはうなずいた。岩山が消えるという言葉に、フィノアはわずかに反応する。肩がゆれて、唇を強く結んでいた。気付いたメリーが、少女のそばに寄り、肩を抱く。
「大丈夫よ。メリー」
「……フィノア」
フィノアが小さくつぶやくと、メリーは目をほそめた。まるで、少女の代わりに悲しんでいるかのようだった。
ラトスは視線だけ上げて、空を見た。
浮きあがったいびつな岩山は、まだ見えていた。溶け消えるのに時間がかかるものなのだろうか。それとも、命があらがっているのだろうか。フィノアが現の世界にもどるまで、消えずに済むだろうか。
いびつな岩山を見ながら、ラトスは小さく息を吐いた。視線を前にもどし、歩く。
草原の只中に、ぽかりと穴が開いていた。転送石がある洞窟の入り口だ。以前も思ったが、やはり洞窟の入り口から転送石までの洞内は、似た造りだった。冷やりとしていて、壁面は水気をふくんでいる。足元も濡れているので、何度もメリーが足をすべらせた。
「こういうところは、夢の中だと痛感するな」
ラトスが言うと、ペルゥは、そうかい? と首をかしげた。
常識が麻痺してきているが、そういえばこのしゃべる猫も十分に奇妙だった。ラトスはペルゥを見ながら、苦笑した。いつの間にか多くの奇妙なことに慣れてしまっているのは、変な気分だった。
洞窟の奥の白い転送石を見つけると、メリーが駆けだしていった。
走りながら、一度こける。あわててフィノアが、彼女を助けに駆け寄った。メリーが恥ずかしそうに笑っている。釣られて、フィノアも表情をゆるませた。
「元気になったかな」
ペルゥはそう言って、ラトスの肩の上に乗った。
鬱陶しい気持ちが湧きあがったが、こらえる。ラトスの眉がかすかにゆれると、ペルゥは察したのか、愉快そうに笑った。
「まあ、どこかの猫が散々に撫で回されたおかげで、な」
「ホントだよー。可愛すぎるのも困りものだよね」
「そうだな。前向きで良いことだ」
「でしょー?」
ラトスの皮肉に、ペルゥは笑いながらうなずく。
先に行った二人に目を向けると、転んだメリーが、ふらふらと立ちあがりはじめていた。隣で彼女の身体を支えるフィノアが、困った顔をしながら笑っている。二人の様子を見て、ラトスは小さく口の端を持ちあげた。
「笑ってるの? ラトス」
「いや。少し、浸っただけだ」
「そう? まあ、浸るついでにボクへの感謝と労いもお願いしたいよ」
「そうだな。お前にも助けられた」
ラトスが言うと、ペルゥはぴくりと身体をふるわせた。
「え? なに? ラトス、頭打ったの?」
「打ったのは、メリーさんだろう」
「まあねー。って。いや、そうじゃなくてねー?」
「感謝はしている。一応な」
短く言うと、ラトスは肩の上にいるペルゥに拳を向けた。
ペルゥは目を丸くさせて、ラトスの顔をのぞく。
「現の世界に帰るまで、まだ世話になるってことさ」
「あっははー。まあ、そうだね!」
ペルゥは笑うと、小さな前足をラトスの拳に合わせた。
拳に感じたペルゥの足の感触は、柔らかかった。ラトスに動物を愛でる趣味はない。いつもなら、ペルゥの感触にくすぐったい気持ちが湧きあがるところだ。不思議と今は、ペルゥの小さな足が心地よかった。
ペルゥが、よろしくねと言ってくる。
ラトスは短く、ああと応えた。
「クロニスさん、先に行きますよ」
フィノアが白い柱に触れながら、静かに言う。
隣にいるメリーも、自らの腰をなでながら柱に触れていた。どうやら腰を打ったらしい。彼女もラトスの方を向いて、小さく手を振っていた。
転送がはじまり、二人の身体が消えていく。追うようにして、セウラザも白い柱に触れた。転送されていくたび、洞窟内に風の音が流れる。空気がふるえ、ラトスの肌をくすぐった。
ラトスも柱に寄って手をかざす。
風のささやき声が聞こえだし、全身をつつんでいく。この感触にも慣れてきたなと思った瞬間、目の前が白くなった。同時に、全身の感覚が消えていく。拳に残る柔らかい記憶も消えていったことに、ラトスはぼんやりと寂しさを感じた。そう感じる自身に、苦笑した。
現を覗く間を経由して、再び草原にもどってくる。
同じような景色だが、ラトスの夢の世界を内包している岩山は、ずいぶん大きく見えた。
先に洞窟から飛びだしていったメリーとペルゥが、あざやかな緑の中でじゃれはじめる。その様子をうらやんだのか、フィノアも彼女の後を追っていった。ラトスとセウラザはゆっくりと洞窟から出て、一呼吸置く。
「外殻の草原には、天気の変化がないんだな」
いくつもの岩山が浮きあがる空を見上げて、ラトスが言った。
晴れも雨もなく、気温も変わらない。暗くなっていることもなかったので、昼と夜もないのだろう。風は流れ、雲のようなものも流れているが、果たして本物の雲なのか怪しいところだ。今更ながら、太陽もないことにラトスは気付いた。光はあるが、一定の方向から注がれているわけではないらしい。
今まで必死に走ってきたからか。ずいぶん大きなことも気付いていなかったことに、ラトスは驚いていた。
「天候は必要ないのだ。すべて、現の世界との関係によって育まれている」
「なるほどな。ずいぶん、見逃してきたものだ」
「まだ、夢の世界に来たばかりなのだ。そんなものだろう」
「来たばかり、か」
セウラザの言葉に、ラトスは再び驚く。
来たばかりと言えるだろうか。色々と面倒なことがつづき、ずいぶん走ってきたつもりだった。だが、思い返してみると、いずれも一瞬の出来事のようにも思えた。
「そうだな」
ラトスはうなずく。
夢ならば、長い時間も一瞬なのだろう。その逆もある。現の世界に帰るまでの旅路も、一瞬で終わったと、後で思えるのだろうか。空に浮かぶ巨大な岩山を見上げて、ラトスは長く息を吐いた。
草原に、メリーの声がひびく。見ると、ラトスとセウラザに向かって手を振っていた。遅いと言いたいのだろうか。空に浮いている巨大な岩山を指差して、手招きしている。彼女の後ろで、フィノアがペルゥを捕まえていた。はなれて見えなかったが、ペルゥの藻掻いている様が目に浮かぶ。
「今行く」
ラトスはメリーに向かって手をあげた。声は届かなかっただろうが、うなずくメリーが見える。
メリーはもう一度ラトスに向けて手をふると、岩山の下にある丘に向かって歩いていった。ペルゥを抱えたフィノアも後につづく。先を行く二人をつつむようにして、風が草原をなでた。赤黒い髪と白い髪が、ふわりとなびく。
ラトスとセウラザは、ゆっくりと二人の後を追った。
会話はない。二人分ほど距離を取って歩いていたが、口の代わりに足音が会話しているようだった。
友人ではなく、戦場の仲間のようだなと、ラトスは思った。戦友とまではいかなくても、互いに思っていることが分かる関係もある。目を見れば言葉を交わす以上に伝心し、足音を聞けば、次になにをするのか予想できる。こういう妙な感覚は、久しぶりだった。心地よくもある。
ふと、セウラザの足音が止まった。
振り返ると、彼は頭上に浮いている岩山を見上げていた。無表情なので、なにかが気になっているようではない。どうしたとたずねると、セウラザの視線はラトスの左手に向けられた。
「ずいぶん黒くなったな」
「まあ、そうだな」
ラトスは左手をあげる。
何度見ても、奇怪な手だ。指先から手の甲まで真っ黒で、光にかざすと金属のように照る。自らの意思でしっかりと動かせるが、指を曲げると、小さく軋むような音がする。
「俺の岩山はまだ草原から離れていない。心配するな」
ラトスは言うと、間を置いてセウラザがうなずいた。
左手を岩山にかざす。切り落としても、夢魔の寄生からは逃れられないだろう。なにか方法があるなら、セウラザかペルゥが言っているはずだ。夢魔の成長を遅らせるしか方法がないなら、旅が終わるまで持てば良い。それも叶いそうになければ、その時考えればいいだけだ。
手を下ろして、前を向く。
メリーたちは、小さな丘を登りはじめていた。ペルゥはフィノアの手から逃げられたらしく、二人の上を旋回している。
ラトスは、行こうとセウラザに声をかけた。彼はうなずく。カチャカチャと甲冑を鳴らし、足を進めていった。今回は甲冑にほとんど損傷がなかったらしい。光に照り、まばゆかった。ラトスの左手と対比すると、妙に絵面が良かった。夢魔だということを除けば、これも悪くないとラトスは口の端を持ちあげた。
丘の上にたどり着くと、メリーとフィノアが待ちくたびれたような表情で出迎えた。
なにか言われる前に、ラトスは左手を上げる。すると、メリーとフィノアは目をほそめて、唇を結んだ。心配でもしているのだろうか。こんなことで小言を言われずに済むのなら、時々左手を利用してみようかとラトスは苦笑いした。
「ここでまた、ペルゥとお別れだな」
メリーたちの頭の上を飛び回っているペルゥに向かって、ラトスが言う。彼の言葉にペルゥは飛ぶのをやめると、メリーの肩の上に降りてきた。
「次に行く場所が決まったら教えてよ」
「教えなくても、腕輪で盗み聞きしているだろう?」
「あ、バレてた?」
ペルゥは小さな可愛い舌をだし、片目を閉じてみせた。
あざといなとラトスは思ったが、メリーとフィノアは違うらしい。フィノアは、ペルゥの表情に瞳をかがやかせ、今にもなでまわしはじめそうだった。
「じゃあ、な。後で会おう」
「うん。また後でねー!」
ラトスが軽く手を上げると、ペルゥは満面の笑みで小さな前足を振った。
メリーの肩から飛びあがり、丘の上の転送塔を前足で指す。ラトスたちがうなずくと、ペルゥは少し後ろに下がって、転送塔への道をゆずる仕草をした。
「ラトスさん、ペルゥと仲良くなったのですか?」
メリーがラトスの顔をのぞきこみ、不思議そうに言う。
「俺がペルゥと?」
「ええ」
「まさか。今まで通り、面倒な奴さ」
「ちょっとラトス。ボク、まだ目の前にいるんだけど。悪口は離れてから言ってくれるかなー?」
「ああ、そうだな。後でまた言うよ」
「それもちょっとー!?」
ペルゥが言うと、メリーは大きな声で笑った。釣られるようにして、フィノアも笑う。
ラトスは後ろ手でペルゥに手を振り、転送塔に入っていった。せまい入り口をラトスがとおり抜けている間、メリーとフィノアはペルゥに挨拶をする。
転送塔内の中心にある白い柱が、風にふるえていた。
ささやき声が耳元をかすめ、頭の奥にひびくように鳴いている。
ささやき声が聞き取れそうだと、ラトスは思った。
今までは、鼻歌のような声で、聞き取ろうとも思えないものだった。ところが今は、なぜか理解できそうな気がした。頭の奥にひびくささやき声は、少年のようだった。
「どうしたのだ」
ふと、ラトスの背後からセウラザの声がひびく。振り返ると、三人はすでに転送塔内に入っていた。少しぼうっとしていたのだろうか。急に時間が早く流れたような気がして、ラトスは戸惑った。
少年のささやき声は、聞こえなくなっていた。今までと変わらず、風に似たささやき声が白い柱をつつんでいた。
「いや、大丈夫だ」
「疲れているのですよ」
ラトスの言葉をつつむように、フィノアが言った。少女の目は、ラトスの顔をじっとのぞいていた。なにか気になることでもあるかのようだったが、フィノアはそれ以上なにも言わなかった。
転送塔の出口の隙間から、ペルゥが見える。
手を振ることもなく、じっとこちらを見ていた。ラトスが見ていることに気付くと、ペルゥはかすかにうなずいた。ラトスはうなずく代わりに片眉を上げ、ひるがえる。白い柱の前に進みでて、右手をかざした。
右手の先に、風のささやき声が流れはじめる。
やはり、少年の声は聞こえてこなかった。
目指す先は、とりあえずラトスの夢の世界となった。
他の場所でもいいのではないかとラトスが提案したが、却下された。却下を後押ししたのは、セウラザだった。
「少し休むのだろう? ラトスの夢の世界は無属性だ。属性の反発も無いから、フィノアとメリーの負担を軽くすることが出来る」
「俺の負担はどうなるんだ」
「一人の負担で、三人休めるのだ。合理的だろう」
セウラザが無表情に言うので、ラトスはうなずかざるを得なかった。
仕方ないと、ラトスは肩を落として歩く。するとメリーとペルゥが寄ってきて、彼の肩を小さく叩いた。メリーが、申し訳なさそうな顔でラトスの顔をのぞいている。その隣で、ペルゥが愉快そうに笑っていた。ラトスはペルゥの小さな頭を弾くと、さらに大きな声でペルゥが笑い、宙で転げまわった。
向かう先は、まず現を覗く間だ。
セウラザが言うには、まだ白い転送石が残っているはずだという。
「現を覗く間への転送石は、岩山が消えると、無くなってしまうのか?」
ラトスが尋ねると、セウラザはうなずいた。岩山が消えるという言葉に、フィノアはわずかに反応する。肩がゆれて、唇を強く結んでいた。気付いたメリーが、少女のそばに寄り、肩を抱く。
「大丈夫よ。メリー」
「……フィノア」
フィノアが小さくつぶやくと、メリーは目をほそめた。まるで、少女の代わりに悲しんでいるかのようだった。
ラトスは視線だけ上げて、空を見た。
浮きあがったいびつな岩山は、まだ見えていた。溶け消えるのに時間がかかるものなのだろうか。それとも、命があらがっているのだろうか。フィノアが現の世界にもどるまで、消えずに済むだろうか。
いびつな岩山を見ながら、ラトスは小さく息を吐いた。視線を前にもどし、歩く。
草原の只中に、ぽかりと穴が開いていた。転送石がある洞窟の入り口だ。以前も思ったが、やはり洞窟の入り口から転送石までの洞内は、似た造りだった。冷やりとしていて、壁面は水気をふくんでいる。足元も濡れているので、何度もメリーが足をすべらせた。
「こういうところは、夢の中だと痛感するな」
ラトスが言うと、ペルゥは、そうかい? と首をかしげた。
常識が麻痺してきているが、そういえばこのしゃべる猫も十分に奇妙だった。ラトスはペルゥを見ながら、苦笑した。いつの間にか多くの奇妙なことに慣れてしまっているのは、変な気分だった。
洞窟の奥の白い転送石を見つけると、メリーが駆けだしていった。
走りながら、一度こける。あわててフィノアが、彼女を助けに駆け寄った。メリーが恥ずかしそうに笑っている。釣られて、フィノアも表情をゆるませた。
「元気になったかな」
ペルゥはそう言って、ラトスの肩の上に乗った。
鬱陶しい気持ちが湧きあがったが、こらえる。ラトスの眉がかすかにゆれると、ペルゥは察したのか、愉快そうに笑った。
「まあ、どこかの猫が散々に撫で回されたおかげで、な」
「ホントだよー。可愛すぎるのも困りものだよね」
「そうだな。前向きで良いことだ」
「でしょー?」
ラトスの皮肉に、ペルゥは笑いながらうなずく。
先に行った二人に目を向けると、転んだメリーが、ふらふらと立ちあがりはじめていた。隣で彼女の身体を支えるフィノアが、困った顔をしながら笑っている。二人の様子を見て、ラトスは小さく口の端を持ちあげた。
「笑ってるの? ラトス」
「いや。少し、浸っただけだ」
「そう? まあ、浸るついでにボクへの感謝と労いもお願いしたいよ」
「そうだな。お前にも助けられた」
ラトスが言うと、ペルゥはぴくりと身体をふるわせた。
「え? なに? ラトス、頭打ったの?」
「打ったのは、メリーさんだろう」
「まあねー。って。いや、そうじゃなくてねー?」
「感謝はしている。一応な」
短く言うと、ラトスは肩の上にいるペルゥに拳を向けた。
ペルゥは目を丸くさせて、ラトスの顔をのぞく。
「現の世界に帰るまで、まだ世話になるってことさ」
「あっははー。まあ、そうだね!」
ペルゥは笑うと、小さな前足をラトスの拳に合わせた。
拳に感じたペルゥの足の感触は、柔らかかった。ラトスに動物を愛でる趣味はない。いつもなら、ペルゥの感触にくすぐったい気持ちが湧きあがるところだ。不思議と今は、ペルゥの小さな足が心地よかった。
ペルゥが、よろしくねと言ってくる。
ラトスは短く、ああと応えた。
「クロニスさん、先に行きますよ」
フィノアが白い柱に触れながら、静かに言う。
隣にいるメリーも、自らの腰をなでながら柱に触れていた。どうやら腰を打ったらしい。彼女もラトスの方を向いて、小さく手を振っていた。
転送がはじまり、二人の身体が消えていく。追うようにして、セウラザも白い柱に触れた。転送されていくたび、洞窟内に風の音が流れる。空気がふるえ、ラトスの肌をくすぐった。
ラトスも柱に寄って手をかざす。
風のささやき声が聞こえだし、全身をつつんでいく。この感触にも慣れてきたなと思った瞬間、目の前が白くなった。同時に、全身の感覚が消えていく。拳に残る柔らかい記憶も消えていったことに、ラトスはぼんやりと寂しさを感じた。そう感じる自身に、苦笑した。
現を覗く間を経由して、再び草原にもどってくる。
同じような景色だが、ラトスの夢の世界を内包している岩山は、ずいぶん大きく見えた。
先に洞窟から飛びだしていったメリーとペルゥが、あざやかな緑の中でじゃれはじめる。その様子をうらやんだのか、フィノアも彼女の後を追っていった。ラトスとセウラザはゆっくりと洞窟から出て、一呼吸置く。
「外殻の草原には、天気の変化がないんだな」
いくつもの岩山が浮きあがる空を見上げて、ラトスが言った。
晴れも雨もなく、気温も変わらない。暗くなっていることもなかったので、昼と夜もないのだろう。風は流れ、雲のようなものも流れているが、果たして本物の雲なのか怪しいところだ。今更ながら、太陽もないことにラトスは気付いた。光はあるが、一定の方向から注がれているわけではないらしい。
今まで必死に走ってきたからか。ずいぶん大きなことも気付いていなかったことに、ラトスは驚いていた。
「天候は必要ないのだ。すべて、現の世界との関係によって育まれている」
「なるほどな。ずいぶん、見逃してきたものだ」
「まだ、夢の世界に来たばかりなのだ。そんなものだろう」
「来たばかり、か」
セウラザの言葉に、ラトスは再び驚く。
来たばかりと言えるだろうか。色々と面倒なことがつづき、ずいぶん走ってきたつもりだった。だが、思い返してみると、いずれも一瞬の出来事のようにも思えた。
「そうだな」
ラトスはうなずく。
夢ならば、長い時間も一瞬なのだろう。その逆もある。現の世界に帰るまでの旅路も、一瞬で終わったと、後で思えるのだろうか。空に浮かぶ巨大な岩山を見上げて、ラトスは長く息を吐いた。
草原に、メリーの声がひびく。見ると、ラトスとセウラザに向かって手を振っていた。遅いと言いたいのだろうか。空に浮いている巨大な岩山を指差して、手招きしている。彼女の後ろで、フィノアがペルゥを捕まえていた。はなれて見えなかったが、ペルゥの藻掻いている様が目に浮かぶ。
「今行く」
ラトスはメリーに向かって手をあげた。声は届かなかっただろうが、うなずくメリーが見える。
メリーはもう一度ラトスに向けて手をふると、岩山の下にある丘に向かって歩いていった。ペルゥを抱えたフィノアも後につづく。先を行く二人をつつむようにして、風が草原をなでた。赤黒い髪と白い髪が、ふわりとなびく。
ラトスとセウラザは、ゆっくりと二人の後を追った。
会話はない。二人分ほど距離を取って歩いていたが、口の代わりに足音が会話しているようだった。
友人ではなく、戦場の仲間のようだなと、ラトスは思った。戦友とまではいかなくても、互いに思っていることが分かる関係もある。目を見れば言葉を交わす以上に伝心し、足音を聞けば、次になにをするのか予想できる。こういう妙な感覚は、久しぶりだった。心地よくもある。
ふと、セウラザの足音が止まった。
振り返ると、彼は頭上に浮いている岩山を見上げていた。無表情なので、なにかが気になっているようではない。どうしたとたずねると、セウラザの視線はラトスの左手に向けられた。
「ずいぶん黒くなったな」
「まあ、そうだな」
ラトスは左手をあげる。
何度見ても、奇怪な手だ。指先から手の甲まで真っ黒で、光にかざすと金属のように照る。自らの意思でしっかりと動かせるが、指を曲げると、小さく軋むような音がする。
「俺の岩山はまだ草原から離れていない。心配するな」
ラトスは言うと、間を置いてセウラザがうなずいた。
左手を岩山にかざす。切り落としても、夢魔の寄生からは逃れられないだろう。なにか方法があるなら、セウラザかペルゥが言っているはずだ。夢魔の成長を遅らせるしか方法がないなら、旅が終わるまで持てば良い。それも叶いそうになければ、その時考えればいいだけだ。
手を下ろして、前を向く。
メリーたちは、小さな丘を登りはじめていた。ペルゥはフィノアの手から逃げられたらしく、二人の上を旋回している。
ラトスは、行こうとセウラザに声をかけた。彼はうなずく。カチャカチャと甲冑を鳴らし、足を進めていった。今回は甲冑にほとんど損傷がなかったらしい。光に照り、まばゆかった。ラトスの左手と対比すると、妙に絵面が良かった。夢魔だということを除けば、これも悪くないとラトスは口の端を持ちあげた。
丘の上にたどり着くと、メリーとフィノアが待ちくたびれたような表情で出迎えた。
なにか言われる前に、ラトスは左手を上げる。すると、メリーとフィノアは目をほそめて、唇を結んだ。心配でもしているのだろうか。こんなことで小言を言われずに済むのなら、時々左手を利用してみようかとラトスは苦笑いした。
「ここでまた、ペルゥとお別れだな」
メリーたちの頭の上を飛び回っているペルゥに向かって、ラトスが言う。彼の言葉にペルゥは飛ぶのをやめると、メリーの肩の上に降りてきた。
「次に行く場所が決まったら教えてよ」
「教えなくても、腕輪で盗み聞きしているだろう?」
「あ、バレてた?」
ペルゥは小さな可愛い舌をだし、片目を閉じてみせた。
あざといなとラトスは思ったが、メリーとフィノアは違うらしい。フィノアは、ペルゥの表情に瞳をかがやかせ、今にもなでまわしはじめそうだった。
「じゃあ、な。後で会おう」
「うん。また後でねー!」
ラトスが軽く手を上げると、ペルゥは満面の笑みで小さな前足を振った。
メリーの肩から飛びあがり、丘の上の転送塔を前足で指す。ラトスたちがうなずくと、ペルゥは少し後ろに下がって、転送塔への道をゆずる仕草をした。
「ラトスさん、ペルゥと仲良くなったのですか?」
メリーがラトスの顔をのぞきこみ、不思議そうに言う。
「俺がペルゥと?」
「ええ」
「まさか。今まで通り、面倒な奴さ」
「ちょっとラトス。ボク、まだ目の前にいるんだけど。悪口は離れてから言ってくれるかなー?」
「ああ、そうだな。後でまた言うよ」
「それもちょっとー!?」
ペルゥが言うと、メリーは大きな声で笑った。釣られるようにして、フィノアも笑う。
ラトスは後ろ手でペルゥに手を振り、転送塔に入っていった。せまい入り口をラトスがとおり抜けている間、メリーとフィノアはペルゥに挨拶をする。
転送塔内の中心にある白い柱が、風にふるえていた。
ささやき声が耳元をかすめ、頭の奥にひびくように鳴いている。
ささやき声が聞き取れそうだと、ラトスは思った。
今までは、鼻歌のような声で、聞き取ろうとも思えないものだった。ところが今は、なぜか理解できそうな気がした。頭の奥にひびくささやき声は、少年のようだった。
「どうしたのだ」
ふと、ラトスの背後からセウラザの声がひびく。振り返ると、三人はすでに転送塔内に入っていた。少しぼうっとしていたのだろうか。急に時間が早く流れたような気がして、ラトスは戸惑った。
少年のささやき声は、聞こえなくなっていた。今までと変わらず、風に似たささやき声が白い柱をつつんでいた。
「いや、大丈夫だ」
「疲れているのですよ」
ラトスの言葉をつつむように、フィノアが言った。少女の目は、ラトスの顔をじっとのぞいていた。なにか気になることでもあるかのようだったが、フィノアはそれ以上なにも言わなかった。
転送塔の出口の隙間から、ペルゥが見える。
手を振ることもなく、じっとこちらを見ていた。ラトスが見ていることに気付くと、ペルゥはかすかにうなずいた。ラトスはうなずく代わりに片眉を上げ、ひるがえる。白い柱の前に進みでて、右手をかざした。
右手の先に、風のささやき声が流れはじめる。
やはり、少年の声は聞こえてこなかった。
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