キスが出来る距離に居て

ハートリオ

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その時々の体調にもよるのだが、アウレアには様々な毒の影響が出ており、視力にも‥‥これまでは視力自慢であったのに、細かい字が読めなくなってしまった。

なのでアネモネが遺したアウレア宛の手紙はシラン伯爵が読み聞かせる事となったのだが‥‥


小さな子供のような字でびっしりと書かれた手紙は『謝罪の手紙』と題されていたにも拘らず自己弁護とカトレア伯爵家への未練で埋め尽くされており、謝意は全く感じられず、さらに―――


『81才まで長生きしたのだから、それ以上望むのは強欲であり、恥ずかしい事』


とアウレアを諫めようとする内容まで目にした伯爵は、読み上げるのをやめ、


『もういいだろう。
これ以上君の耳を汚す事はない』


と言って手紙を畳んだ。


『‥‥そうなのね』


と言ってアウレアは力無く微笑んだ。





可哀想にね、アネモネは死ぬ気なんて全然無かったのにね‥‥

アウレアはそう小さく呟く。



クローゼットに隠されていたアネモネの旅行バッグには、買ってもらった貴金属の他に、屋敷内に飾られていた金目の物が―――ラバンジュラの為に用意された客室に飾られていた物までギュウギュウに詰められており、カトレア伯爵邸を出る際に持ち出そうとしていたのが分かる。

しかも、それらが詰められたのは騒動の日にコッソリ応接室から部屋に戻った後である事からも、自殺は、何とかしてカトレア伯爵邸に残る為の狂言で、それでも出て行かなければならなかった場合の為に持ち出せるだけ持ち出そうとしたのは間違いない。


それに何と言っても死に顔が‥‥

自死を選んだ人のそれではなかった。


怒り、悔しさ、憎しみで醜く歪むと同時に、必死に助けを求める様な生に対する執着を感じさせる顔で絶命していたのだ。






シィ‥‥ン‥‥




なるほど、伯爵夫人アウレア様は、だから‥‥とセロシアは思う。

だから、お茶会の開催者であるにもかかわらず会場である庭には出ずにここに。

だから、死人の様に顔色が悪く、疲れた、辛そうなご様子を。

年配女性だから、それが普通の状態なのかと思い込んでいたが、毒の影響で‥‥


応接室で自分と共に話を聞いていたクレオメ、それにポーチュラカ嬢もそれに気付いて言葉を失っ‥‥



「あのッ、それで、その人殺しは‥‥
お兄様を殺したイベリスとかいう人殺しは、今どうなっているんですか!?」



アネモネの話なんてどうでもいいと言わんばかりにポーチュラカ嬢が必死の声を上げた。



‥‥『お兄様』?

ポーチュラカ嬢は刺殺されたラバンジュラという男の妹だったのか。

彼にとっての『崇高な愛の対象』だったのか‥‥


ラバンジュラという男はこのオレンジ色の髪の可憐な少女の為に体を売るしかなかったのだな‥‥

彼女を救うための大金を短期間で得る為にはソレしかなかったのだろう‥‥


俺は会った事も無い、話で聞いたばかりのラバンジュラという男に思わず同情する。

ポーチュラカ嬢も、きっと大変に仲の良かった愛する兄を殺されて、どれほど苦しいだろう‥‥

しかも彼女の為の行動が元々の原因なのだから、その苦しさはいかばかりか‥‥



「その人か、その人の家族に、お金を‥‥
お兄様に払うはずだったお金を払ってもらえるんですよね!?
私、今すぐそのお金が必要なんですッ!
そのお金があれば、金持ちの商人の後妻にならなくて済むんです!
私はまだ21才で、みんなに綺麗だって言われていて、何より、今は落ちぶれてしまっているけど、由緒正しい名門貴族の末裔‥‥レディなんですッ!
そんな、平民の商人の後妻に入る様な、底辺の女じゃないんですッ!」



うん、そうだよな、やっぱり悔し‥‥えッ!? お金!?‥‥今、『金』って言った!?

俺は何かの聞き間違いかと思って俯いていた顔を上げ、正面に座るポーチュラカ嬢を不躾ともいえる勢いで凝視してしまう。

ポーチュラカ嬢は伯爵夫人に真っ直ぐで真剣な視線を向けており、その必死過ぎる表情からも、彼女はそれが訊きたくてここにいるのだと分かる。



いや‥‥まず金?

そこまで切羽詰まっているんだろうけど、でも‥‥

君の兄君は、バッサリ言ってしまえば君の為に命を落とす事に‥‥


いや、そんな事を言ってはいけないよな‥‥

結果的にそうなってしまっただけで‥‥


でも、愛情深く尽くしてくれた揚げ句に死に至った兄に対する情愛を一切見せず、自分の事ばかり気に掛ける彼女を見るとついそう言ってしまいたく‥‥


いかんいかん、そうだ、俺はきれい事を言っている偽善者なのかもしれない‥‥

彼女の身になれば、目前に迫った納得できない婚姻を回避する事が重要で‥‥

それにしても少女の様に見えていたが、実際には成人してから5年も経っている大人だったんだな‥‥


21才か‥‥

隣に座るニセ恋人のクレオメと同じ年齢‥‥

クレオメも心臓に毛が生えていてクールだし、女ってそんなもの‥‥


ハッ‥‥!?


チラリと横に座るクレオメを見ると、心臓に毛が生えている為感情に起伏が無いと思っていた彼女が目を真ん丸に見開いてポカンと口を開けて『信じられない』といった表情でポーチュラカ嬢を見ている。





‥‥‥‥だよなあッ!!
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