主婦、王になる?

鷲野ユキ

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飛んで火にいる夏の虫

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「王が逃げたそうです」
その男は静かにスマホを耳から下すと、その場にいた人々に聞こえるよう響く声で言った。
「陽子さんが?」
驚きの声で問い返すのは、細身の男。
「ええ。なんとしてでも捕まえろと滝沢からの連絡です。……捕まえたところで今更意味もないでしょうに」
鼻で笑いながら続けたのは、銀縁眼鏡にスーツ、そして派手な赤のネクタイの男。黒崎だった。
「碓井はそれを知ってるのか?」
聞くのは唐澤だった。黒崎に弱みを握られ、唯々諾々と従うしかできない自分を呪いながら入江の計画に加担している自分。でも、碓井だって望んでいたことだ、彼はそう思い込むことで自分を救おうとしていた。そうだ、捏造だって、彼の望みを叶えるためにやったこと。
けれど王はどうなのだろう。唐澤は手を止め考える。
この計画を滝沢から知らされて。知らされて、ただ我が身かわいさに逃げ出しただけなのだろうか。本当の意味で、この計画で自分に課せられた役割に気が付いて。
だがそうとは思えなかった。それは違うに決まってる。止めようとして逃げ出した。
いずれにせよ止めなければ彼女の未来はない。富士噴火を起こした存在として、世に疎まれる。いや、それだけならまだいい。それ以上の罪を彼女は背負う可能性があるのだから。
それに碓井は気づいているのだろうか。さらに、愛しいはずの王こと陽子が神殿を逃げたことを。ああ、彼は今何をしている?
「さあ、碓井先生の動向までは知りません。例え何が起ころうと、彼に被害が及ぶことはないでしょう。我々があなたの罪に口を噤んでいる限りは」
そう横目で返し、黒崎はこうも続けた。「噴火に巻き込まれる可能性もないでしょう。彼はそこまで愚かではない。さあ、時間がありません。予言は今日の午前10時。なに、そんなに思いつめた顔をしないでください。これはこの国の為なのですから」
そう高らかに上げる声は、この地下室にひどく響いた。まるでホールのようなそこには、無数の機械と、素人目にはなんだかよくわからないアンテナのようなものが乱立していた。
けれど唐澤はその正体を知っていた。とても個人で設置できるような機材ではない。いったいこの計画にいくら予算が割かれたのだろう。思わず試算してみるほどには。
「けれど厄介なのは滝沢です。どうやらこちらに向かってきているらしい。さてここで簡単な問題だ。王を追う滝沢がここを目指している。これはいったい何を意味するか」
「……陽子さんが、ここに向かってきているというのか?」
「大正解」
小ばかにした顔で黒崎が笑う。
「先生にはいささか簡単すぎましたね。ええ、おそらくこちらに向かっているのでしょう。少なくとも滝沢はそう考えた。いかに小物とは言えそこまで馬鹿じゃあないでしょう、自分の落としたボロに気がつきでもしたのか。滝沢には私の兵隊も付けている。それでも浜松で押さえられなかったということは、公共交通機関で来ているわけではない」
唐澤は地元での滝沢と黒崎の影響力を思い返す。地方の名士に、その名士とは名ばかりの悪徳政治家と結託した、ヤクザまがいの黒崎工業。そいつらが一致団結して、一人の女も捕まえられないというのはおかしな話だった。
「協力者がいる」
唐澤がその可能性を指摘する。
「ええ」
「……碓井か?」
あるいはそうであってほしいという願望から、唐澤はその名を口にした。自身の野望の恐ろしさに気が付いて、計画を止めようとしているのではないか。そうだ、あいつがこんなこと望むわけないじゃないか。
「どうでしょう。可能性としては否定できない。彼なら交通手段も持っている」
「やっぱり」彼は考え直してくれたのだ。唐澤はそう思いたかった。
「しかし、止めるメリットが碓井先生にあるとも思えませんがね。けれど王自ら飛んで火に入ってもらえるとはありがたいことですな。わざわざ迎えに行く手間も省けたのですから」
勝利を確信した表情で黒崎は口を開いた。そうだ、今さら何ができる。大昔の記憶しか持ち得ぬ、ただの女が。
彼の将来は約束されたようなものだった。この計画に加担したことで、彼の地位は滝沢の腰巾着なぞよりはるかに向上するはずだった。なにせ、今の彼の主は。
この国そのものなのだから。
「さあ、とにかく作業に戻ってください。計画を遂行するためにも時間は守らなければならない」
 黒崎がそう促したその時。
「お仕事中申し訳ありません、黒崎様」
そう声を投げ掛ける影があった。
「……シニフィ、いや、篠田か。役立たずがどうした。お前が王を逃したせいで、滝沢がうるさくて敵わん」
途端、黒崎の纏う雰囲気が一変した。対外に向ける仮面を脱ぎ捨て、素顔を晒したかのように。
「誠に申し訳ございません。しかし、その王らからの襲撃にあっておりまして」
「襲撃?あの女がそんなことできるはずないだろう、何をふざけたことを言っている」
イラついた様子で黒崎は舌打ちした。予想より到着がだいぶ早い。八時半。しかし仮にも訓練を受けた人間が易々と襲われるようなことがあってなるものか。
「しかしやつら、まるで我々の動きがわかるようで……」
そう言う声の主も、不服そうな色を滲ませていた。まさか一度ならず二度までも、あんな女に手こずらされるとは。そういった悔しさが溢れていた。
「やつら、か。相手は何人だ?」
ならば協力な助っ人でもどこかで調達してきたのだろうか。だが今さらあの女に協力する酔狂な人間がいるとでも?今や彼女はぺてん師扱いだ。そう黒崎が問えば、
「王の女と若い女が二人、中学生くらいの男の子と年齢不詳の派手な女が一人。計五人です」
とありえない面子を、つらつらとこの眼前の男は言うではないか。
「女子供だと?お前たちは何をやっているんだ」
苛立ちを隠そうともせずに、黒崎は思わず手元にあった金属片を篠田めがけて放り投げる。それは彼の肩に当たったようだったが、多少苦痛に顔を歪ませたものの彼は身じろぎもしなかった。
「ふん」
その態度にも興ざめし、黒崎は息を吐くと気分を変えるべく柔和な表情を取り繕って、
「とりあえず、ならば滝沢氏の願いは受けられなかったことにしよう。善良な国民である我々が、暴れる不審者の対応などできるはずがない」と続ける。
さらに黒崎は一度ニヤリと笑い、こうも続けた。
「そう、私たちはここを守っているのだから、富士噴火を目論むテロリストどもからな」
意を決し、自身の正義を疑わぬ眼差し。この表情でそう言い切られてしまったら、大半の人間がそうだと信じただろう。けれどその表情も一転。
「警察に連絡するのを忘れるな。テロリストに襲われていると。だがあくまでも噴火予告の10分前だ。それまではなんとしてでも耐えろ。けれど殺すなよ」
そう言い放つその顔は、まるで氷の彫像のようだった。
「思わぬ襲撃に遭い、テロリストどもに研究施設を悪用されてしまった。それが筋書きだ、あくまでも噴火はさせなければならない」
唐澤はこの展開を黙って見ていることしか出来なかった。碓井がそこにいなかったことにも絶望を受けた。
陽子さん、無茶なことを。碓井はいったい何をやっているんだ。どうしても手に入れたい存在なのではなかったのか、陽子さんは。俺なんかより、はるかに大切な存在だったんだろう?
虚しさが唐澤を包み込む。ああ、俺は何をしているのだろう。もはや今彼を動かしているのは虚無だった。何もないはずなのに、強い力を持つブラックホールのような引力で。ただその力で動かされている自分。そのせいで、多くの人を傷つけて。
俺はいったいどうすればこの罪から逃げられる?
唐澤は、うつろな目つきで兵器の調整に取り掛かった。

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