59 / 80
学び舎の祟り
学び舎の祟り-19
しおりを挟む
屋上からの階段を、手を引かれたまま僕は降りる。
「あの幽霊の仕業なんじゃ」
なんだか、あまりいい印象を受けなかった。可哀そうだとは、思う。
けれど、やっぱり彼女は何か恨みを持っている。
夜になって悪な本性をさらけ出した。
そんな感じがする。
ツバキは、なんであんな幽霊の言い分を信じたんだろう。
「だって、小俣さんがどうやって屋上に行ったのかもわからないし」
僕の言葉を受け、ゆっくりと階段を降りながら探偵は言う。
「小俣が、職員室から鍵を以前から盗んでいた可能性は?」
「だって、鍵が無くなったのは僕らが入学する前だって聞いたよ」
それじゃあその線は薄いな、そう探偵は息を吐いた。
「だから、やっぱりあの幽霊が」
「人間を、障害物をすり抜けさせて連れて来たっていうのか?」
そう言う声は、少し笑うような響きを持っていた。
「あの子にそんなこと出来るもんか」
僕の言葉を一笑して、彼はようやく手を離した。
「でも、いかにもな幽霊だったじゃない」
大人しいふりをして、人間を誘い出す。
術中に嵌まった人間は、操り人形みたいにあの子の意のまま。
「まあ、一連の騒ぎが本当に霊のしわざなら、夜の方が力が強まるのは当然だ」
「なんで?」
「夜は、死に近いから」
三階に降りて、僕らはもう一つの現場――いまだ何も起こっていない七不思議の最後の一つ、開かずの資料室に向かうことにした。
資料室は三階の一番北にある。暗い廊下に、僕らの足音だけが響いている。
ただ暗いだけなのに、やっぱり夜の学校は怖い。
「ヒトは夜寝なければならない。寝ている間は意識も手放して、無防備だ。人はそれを恐れ、また意識を失うことから、眠りは死に近づくことだと考えた」
わずかに月明かりが窓から入るだけで、見慣れたはずの学校がまるで違って見えた。
今僕は、どこにいるのだろう。
「これは世界各国普遍的な考えのようで、その人間が死んだ後になる存在、霊だな、それもまた、夜現れるべきだと考える」
この暗い世界の中で、聞き慣れた丸藤さんの声だけが頼りだった。
「幽霊は、死後の世界の存在だ。だから、夜に現れるし夜の方が生き生きとしてる」
もう死んでるけどな、そう薄く笑って黒い影は続ける。
「そして、死に近いものほど、そういったものが視える。見えない人間は、死に近づくしかない。生き物が死に近づく時間に、視るしかない」
まあどっちにしろ、昼間の学校に堂々と入るのも難しいから夜来る羽目になっただけだけどな、と探偵は毒づいた。
「だから、紫乃は今の時間の方が元気なんだ。それでも、だいぶ存在が薄くなってはいるようだが」
そう呟いて、彼は振り返る。
真っ黒に塗りつぶされた闇の先に、彼女はまだいるのだろう。
楽しそうに、笑いを立てて。
「紫乃は屋上に捕らわれているようだが、そろそろ解放されるのかもしれない」
「……それって、成仏するってこと?」
「どうだろうな」
少し間を置いて、探偵が静かに言った。
「成仏っていうのは本来仏教の死生観で、魂が解放されて、そして神仏の仲間入りすることを言うんだが」
それじゃあ、なんだか丸藤さんみたいだ。
けれど続く彼の声は渋い。
「しかしこの国で一般的に成仏と言えば、魂が輪廻転生の輪に入り、生まれ変わることを指す」
じゃなきゃ、この世界は神様だらけだ。そう薄く笑って彼は続けた。
「けれど、一度その輪から外れた魂が、同じ道を歩めるだろうか」
「じゃあ、解放されても……」
「どうにもならない。待っているのは、無だ」
「……それって、ツバキとかもそうなるの?」
幽霊がそういう存在なのなら、彼女だっていつかは無に帰してしまうのだろうか。
あんな俗っぽくて、ちっとも死んでるようになんて見えない彼女も、いつか何もわからなくなって、存在が消えていって。
「前に、石はそいつの記憶だって言ったの覚えているか?」
ゆっくりと歩を進めながら、探偵が僕に言った。
「その生き物が、生きていた間の記憶の結晶なんだ」
そう言えば、そんなことを言っていた気もする。
「記憶は、何かが存在するのに必要なものだ」
言い換えれば記憶を失ってしまったら、今ある存在とつなぐものは何も無くなる、そう彼は言った。
「別に記憶がなくても生きていけるけど」
僕は口を挟んだ。記憶喪失になる人はごくまれに存在する。事故だったり、精神的ショックだったり。
けれどそれでも僕らは存在がなくなることはない。身体があるからだ。
「けれど、身体を持たない存在は?」
そう言われて、初めて気が付いた。
あんまりに生きてる人間みたいに見えるから、忘れてしまいがちだけれど。
「ツバキも、俺も。記憶が存在を形作ってる」
丸藤さんは静かに自分の手を見つめている。
でも、確かに彼は存在していて、触れることだってできるのに。
「一応、俺は神だからな。実体が伴っているように見せることぐらいは出来る」
少し寂しそうに彼は笑った。
「死んでからどうして幽霊になるのかだとか、そのメカニズムは俺も知らないが」
何度も言うが、霊能力者とかじゃないからな、そう念押しして彼は言う。
「けれどなぜかたいていの死者は、死ぬと同時に宝石みたいにきれいな石を持っている。俺は死後の世界……天国だとか地獄には行ったことがないからわからないが、あるいはそこで使う通貨の代わりをしているのかもしれない」
そしてそれは記憶を代償としていて、使い切ると同時に魂が他のものへと変わる。そういう感じなんじゃないか、と彼は呟いた。
「でも、それをここで使っちゃったら」
「ああ。対価として使う。あるいは風化する。そうして記憶を失って、存在が無くなる。けれど、ここはあの世ではないから、魂は転生できない」
「それじゃあ、ツバキは」
それで、丸藤さんとミサキはあんなに渋ったのか。
「駄目だよ、それ、返してあげなきゃ」
僕は丸藤さんの胸のあたりに目をやった。何となく、赤く光っているようにも見える。
まるで彼の心臓かのように。
「別にタダでやってあげたっていいじゃない、丸藤さんのケチ」
「俺を守銭奴みたいに言うなよ」
暗くて良く見えないけれど、たぶん眉をしかめたのだろう。不本意そうな声が響いた。
「まあ実際、家賃やらバイトの給料やらで金が必要なのは確かだけれど」
ちら、と僕に視線を向けてから彼は続ける。
「けれど、タダより怖いものはないんだ」
あまり真面目な声で言うので、僕は脱力してしまった。
「でも、神様なんでしょ。無償の愛とか何かで、人間を守ってくれるんじゃ」
「それは違う神だ、俺じゃない」
突き放すように言って、そして彼は足を止めた。
「あと何も起こっていないのはここだけか?」
「あの幽霊の仕業なんじゃ」
なんだか、あまりいい印象を受けなかった。可哀そうだとは、思う。
けれど、やっぱり彼女は何か恨みを持っている。
夜になって悪な本性をさらけ出した。
そんな感じがする。
ツバキは、なんであんな幽霊の言い分を信じたんだろう。
「だって、小俣さんがどうやって屋上に行ったのかもわからないし」
僕の言葉を受け、ゆっくりと階段を降りながら探偵は言う。
「小俣が、職員室から鍵を以前から盗んでいた可能性は?」
「だって、鍵が無くなったのは僕らが入学する前だって聞いたよ」
それじゃあその線は薄いな、そう探偵は息を吐いた。
「だから、やっぱりあの幽霊が」
「人間を、障害物をすり抜けさせて連れて来たっていうのか?」
そう言う声は、少し笑うような響きを持っていた。
「あの子にそんなこと出来るもんか」
僕の言葉を一笑して、彼はようやく手を離した。
「でも、いかにもな幽霊だったじゃない」
大人しいふりをして、人間を誘い出す。
術中に嵌まった人間は、操り人形みたいにあの子の意のまま。
「まあ、一連の騒ぎが本当に霊のしわざなら、夜の方が力が強まるのは当然だ」
「なんで?」
「夜は、死に近いから」
三階に降りて、僕らはもう一つの現場――いまだ何も起こっていない七不思議の最後の一つ、開かずの資料室に向かうことにした。
資料室は三階の一番北にある。暗い廊下に、僕らの足音だけが響いている。
ただ暗いだけなのに、やっぱり夜の学校は怖い。
「ヒトは夜寝なければならない。寝ている間は意識も手放して、無防備だ。人はそれを恐れ、また意識を失うことから、眠りは死に近づくことだと考えた」
わずかに月明かりが窓から入るだけで、見慣れたはずの学校がまるで違って見えた。
今僕は、どこにいるのだろう。
「これは世界各国普遍的な考えのようで、その人間が死んだ後になる存在、霊だな、それもまた、夜現れるべきだと考える」
この暗い世界の中で、聞き慣れた丸藤さんの声だけが頼りだった。
「幽霊は、死後の世界の存在だ。だから、夜に現れるし夜の方が生き生きとしてる」
もう死んでるけどな、そう薄く笑って黒い影は続ける。
「そして、死に近いものほど、そういったものが視える。見えない人間は、死に近づくしかない。生き物が死に近づく時間に、視るしかない」
まあどっちにしろ、昼間の学校に堂々と入るのも難しいから夜来る羽目になっただけだけどな、と探偵は毒づいた。
「だから、紫乃は今の時間の方が元気なんだ。それでも、だいぶ存在が薄くなってはいるようだが」
そう呟いて、彼は振り返る。
真っ黒に塗りつぶされた闇の先に、彼女はまだいるのだろう。
楽しそうに、笑いを立てて。
「紫乃は屋上に捕らわれているようだが、そろそろ解放されるのかもしれない」
「……それって、成仏するってこと?」
「どうだろうな」
少し間を置いて、探偵が静かに言った。
「成仏っていうのは本来仏教の死生観で、魂が解放されて、そして神仏の仲間入りすることを言うんだが」
それじゃあ、なんだか丸藤さんみたいだ。
けれど続く彼の声は渋い。
「しかしこの国で一般的に成仏と言えば、魂が輪廻転生の輪に入り、生まれ変わることを指す」
じゃなきゃ、この世界は神様だらけだ。そう薄く笑って彼は続けた。
「けれど、一度その輪から外れた魂が、同じ道を歩めるだろうか」
「じゃあ、解放されても……」
「どうにもならない。待っているのは、無だ」
「……それって、ツバキとかもそうなるの?」
幽霊がそういう存在なのなら、彼女だっていつかは無に帰してしまうのだろうか。
あんな俗っぽくて、ちっとも死んでるようになんて見えない彼女も、いつか何もわからなくなって、存在が消えていって。
「前に、石はそいつの記憶だって言ったの覚えているか?」
ゆっくりと歩を進めながら、探偵が僕に言った。
「その生き物が、生きていた間の記憶の結晶なんだ」
そう言えば、そんなことを言っていた気もする。
「記憶は、何かが存在するのに必要なものだ」
言い換えれば記憶を失ってしまったら、今ある存在とつなぐものは何も無くなる、そう彼は言った。
「別に記憶がなくても生きていけるけど」
僕は口を挟んだ。記憶喪失になる人はごくまれに存在する。事故だったり、精神的ショックだったり。
けれどそれでも僕らは存在がなくなることはない。身体があるからだ。
「けれど、身体を持たない存在は?」
そう言われて、初めて気が付いた。
あんまりに生きてる人間みたいに見えるから、忘れてしまいがちだけれど。
「ツバキも、俺も。記憶が存在を形作ってる」
丸藤さんは静かに自分の手を見つめている。
でも、確かに彼は存在していて、触れることだってできるのに。
「一応、俺は神だからな。実体が伴っているように見せることぐらいは出来る」
少し寂しそうに彼は笑った。
「死んでからどうして幽霊になるのかだとか、そのメカニズムは俺も知らないが」
何度も言うが、霊能力者とかじゃないからな、そう念押しして彼は言う。
「けれどなぜかたいていの死者は、死ぬと同時に宝石みたいにきれいな石を持っている。俺は死後の世界……天国だとか地獄には行ったことがないからわからないが、あるいはそこで使う通貨の代わりをしているのかもしれない」
そしてそれは記憶を代償としていて、使い切ると同時に魂が他のものへと変わる。そういう感じなんじゃないか、と彼は呟いた。
「でも、それをここで使っちゃったら」
「ああ。対価として使う。あるいは風化する。そうして記憶を失って、存在が無くなる。けれど、ここはあの世ではないから、魂は転生できない」
「それじゃあ、ツバキは」
それで、丸藤さんとミサキはあんなに渋ったのか。
「駄目だよ、それ、返してあげなきゃ」
僕は丸藤さんの胸のあたりに目をやった。何となく、赤く光っているようにも見える。
まるで彼の心臓かのように。
「別にタダでやってあげたっていいじゃない、丸藤さんのケチ」
「俺を守銭奴みたいに言うなよ」
暗くて良く見えないけれど、たぶん眉をしかめたのだろう。不本意そうな声が響いた。
「まあ実際、家賃やらバイトの給料やらで金が必要なのは確かだけれど」
ちら、と僕に視線を向けてから彼は続ける。
「けれど、タダより怖いものはないんだ」
あまり真面目な声で言うので、僕は脱力してしまった。
「でも、神様なんでしょ。無償の愛とか何かで、人間を守ってくれるんじゃ」
「それは違う神だ、俺じゃない」
突き放すように言って、そして彼は足を止めた。
「あと何も起こっていないのはここだけか?」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる