丸藤さんは推理したい

鷲野ユキ

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学び舎の祟り

学び舎の祟りー20

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扉が多少古ぼけているくらいで、校舎内によくある倉庫や準備室などと同じ造りの部屋。
開かず、と言われているだけあって、中に入ったものはいない、らしいけれど。

「資料室、とだけ書いてあるが」
神様は人間と違って夜目が効くのか、難なく扉のプレートを読み上げた。
「ほとんど使わないようなものをしまっておく、ゴミ貯めみたいなとこだって、先生は言ってたけど。捨てるに捨てられない個人情報とか、そういうのが詰まってるって」

だから、そんなところに生徒に入られると困るので、先生たちはこの倉庫をそう呼び始めた、のだという。
「入られると困るから、怪談話を盛った。それだけの話か」
つまらなさそうに探偵は言い切る。
「そもそも話がおかしいじゃないか、開かず、ならどうやって中に入るんだ?」

怪談だと、ここに閉じ込められて二度と出られなくなる、という。
けれど確かに、そもそも開かないのだから入りようもないのだけれど。
何の気なしに、丸藤さんがドアノブを回した。
てっきり鍵がかかってて開かないと思いきや、キイ、と軽く音を立てただけで、扉はあっけなく開いてしまった。

「開かないんじゃなかったのか?」
「さあ……」
けれど、怪談話云々はさておいて、先生たちが倉庫のかぎを開けっ放しというのも不用心だ。
要らないものしかないから、鍵をかけ忘れたってこと?

扉を手前に引いて、倉庫の中があらわとなる。
けれど差すのは月の光くらいで、何があるのか僕には良く見えない。
スマホを取り出し、丸藤さんの後ろから、恐る恐るライトを室内に向ける。
「ごちゃごちゃしてて、埃っぽいな」

神様の感想はそんなものだった。先生たちが説明した通り、室内にはいくつか棚が置かれ、その中にコピー用紙の箱が無造作に積まれている。
きっとあの中に、処分に困る個人情報とやらが詰まっているのだろう。
「別に、何もなさそうだが――」
丸藤さんが言いかけた時だった。ふいに、背中に何か気配を感じた。
「誰?」
思わず声を上げて、僕の声に探偵が振り返る。
しかし、彼がその正体を確認する間もなく。

「うわ、あああ!?」
素っ頓狂な声が僕の口から飛び出た。確かに、何者かが僕の背を押したのだ。
そして、かすかな笑い声が聞こえて、すぐにバタン、という非情な音が響く。
急に誰かに背を押された僕が、その勢いで前にいた探偵に勢いよくぶつかる。
驚いたのか探偵は少しよろけたものの、倒れることなく僕を抱きとめた。

「いったい、なんだっていうんだ」
うん、さすが本体が石なだけある。
なんて感心してる場合じゃなくて。
「おい、大丈夫か?」
「は、はい、大丈夫です」
うっかり抱き着く形になった腕を慌てて離し、僕は後ろに後ずさる。
すぐに背が扉にあたり、慌てて鍵をつまむ。
外からは鍵を差さなければ開かず、内側からならつまみを回すだけで簡単に開くはずの扉。
案の定鍵は素直にカチリと音を立て、それに安心してノブを回してみるものの。

「あれ、開かない?」
慌ててノブを再度回したり、鍵をうっかり自分で掛けちゃったのかとカチカチ動かしたりしてみても。
「と、とじこめられた?」
「俺も試してみる。離れろ」
慌てる僕を制し、神様がゆっくりと扉に向かっていく。
そうだ、こっちには頼もしい味方がいる。誰のしわざか知らないけれど、神様に敵う奴なんているものか。
きっと、神通力とかそんなもので、簡単にこの扉を開けるんだ。

これほど頼もしく思ったことのない黒い背中に、期待の眼差しを向ける。
丸藤さんは静かにドアノブを掴んで数回回し、鍵を動かしてみたり、扉に体重をかけてみたりした後。
「……確かに開かないな」
と呟いた

「え、でも、神様なんだし、これくらい……」
「別に俺は怪力の神でも、鍵開けの神でもないからな」
そう言い放ち、少し疲れたように彼は棚を背に座り込んでしまった。
「え、ダメですよ、早くここを出なきゃ」
「仕方ないだろ、扉が開かないんだから」
「でも、このままじゃずっとここに閉じ込められて、死んじゃうって」
「大丈夫だろ、ミサキたちだっているんだし、明日になればいくら何でも誰か気づく。そもそも携帯だって持ってるんだ、べつに」

そう言われて、僕は思い出す。そうだ、スマホ!
ミサキもツバキもそんなものは持っていないから(この時代にバイト先への連絡手段は、事務所にある固定電話だけだ)、ルリの番号を開く。
時間は二時を過ぎていて、こんな時間に電話するのも悪いと思ったけれど非常事態だ。
慌てて通話ボタンを押してみるものの。
つー、つー、つー。

「あれ、かからない?」
改めて画面を見てみると、いつもの三角のマークが消えて、圏外の文字が右隅に浮かんでいる。
「嘘でしょ、なんで」
もしかして、一連のさわぎは本当に。
「やっぱり、全部幽霊のしわざ、なの?」

そう呟くと同時に、目に慣れたはずの暗闇が急に怖くなってきた。
開かずの資料室に、何かに閉じ込められて。
きっと、アレだってここの幽霊か何かなんだ、そいつが僕たちを殺そうと、ここに閉じ込めて。
だって、おかしいじゃないか。なんで開かずの扉があっさり開くんだ、いくら何でも、先生たちが鍵をかけ忘れたりなんてするもんか。それに、玄関だって不用心に鍵がかかってなくて。

まるで、僕らが来るのがわかってたかのような。
これらすべては、わたしたちを誘い込む罠だったんじゃ?

指先が、ひどく冷たくなってきた。まだ残暑猛々しい九月の夜。
夜中とはいえ昼の名残はなかなか消えなくて、虫の声が聞こえる以外は夏休みとさして変わらなかったはずなのに。
わたしは無意識に、両腕で自分の身体を抱きしめる。わずかなぬくもりを求めて指先が彷徨う。
けれど触れる場所は、どこも凍ったように冷たくて。そのことに、息が苦しくなる。
吸っても吸っても、空気を吸えないみたいで。

ああ、こうやって、閉じ込められた人たちは、死んでしまったのか?
胸が苦しい。

「大丈夫だ、落ち着け」
冷えたわたしの指より、冷たいはずの手が触れた。
感覚がおかしくなって、却って温かく感じる気もする。
血の通わない存在の手。
それが、僕の手を握った。少し、息が楽になる。

「この世の大半の恐怖は、脳が作り出す。自分で恐怖を生み出すな。落ち着け、ゆっくり息を吸え」
言われるままに、僕は深呼吸する。握られた手を、強く握り返す。
酸素が肺に行って、血液に乗る。それが、心臓へ。
力強く、鼓動を打った。

「少し息を止めて。そして、吸ったときよりゆっくり吐け。脳のエラーを正してやれ」
冷静な声で言われて、わたしの頭もはっきりしてきた。そうだ、ここはただの資料室。不要な書類を置いておくだけの、ただそれだけの場所。
そんなところに、なんで幽霊なんて出るんだ?

「その調子だ、……落ち着いて」
冷たい手が、僕の頭に乗せられた。
あやすように髪を撫で、その手がためらうように頬に触れた。
ひんやりとした指先が、僕の目を覚まさせる。
「怯えるな、お前には俺がついている」
こんな、扉の一つも開けられない神様に?そう思ったら、落ち着くと同時になんだかおかしくなってきてしまった。
わたしの頬が、やわらかく上がる。

「俺のこと、信じてないだろ」
その笑みを咎められ、わたしは慌てて言葉を返す。
「いや、そうじゃなくて」
そんなことはない。いつだって結局この人は、わたしを守ってくれる。
「悪かったな、役立たずの神で」
そうは言いながらも彼の表情はひどく安堵した様子で、ああ、心配をかけてしまったと僕は申し訳ない気持ちになる。

「いや、死者の時間に生きてる君を連れてきたのが悪かったんだ」
僕の表情をくみ取ったのだろう、探偵がばつが悪そうにつぶやいた。
「ナオなら、大丈夫かとも思ったんだ」
僕なら大丈夫?お守りを渡したから?
でも。わたしだって、怖かったのは確かだ。
「そんな、わたしばっかり。ルリには優しいのに」
そんな言葉がつい口を出てしまった。

「……すまない、どうにも、君には」
僕には?けれど聞き返す間もなく、探偵が力強く口を開いた。
「役立たずの神だが、一つだけ得意なことがある」
わたしから手を放し、彼は背を向けて窓の外を睨む。
僕らを嘲笑するように、細い三日月が輝いている。
「今までの事件について、考えていた」
振り返らずに彼は言う。あの、僕の報告から今の現場確認の間で、一体この犯人捜しの神様は、何を得たと言うのだろう。

「そして、わかったことがある」
そう言って、彼は静かに振り向いた。黒い影が、月の光を受けて輝いて見える。 
「犯人は……」
彼の口から出る言葉は、なんだか疲れているようにも聞こえた。
「人間だ」
探偵は静かに言い放った。
「すべては怪異のせいに見せかけて起こした事件。ただそれだけだ」
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