1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.8.15 銀座 1

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「なんだか申し訳ありません、父のわがままに付き合ってもらってしまって」
 外堀通りに出ると、父と別れてタクシーを拾った。少なくとも助けてもらったお礼はしなければなるまい。けれど真理亜はこのあたりの地理には詳しくない。さて、どこに行ったものかしら。
「いえ、こちらこそすみません。まさか、あんなことが起こるなんて……なんというか、すみません」
「菅野さんが謝ることじゃありませんわ。きっと、突貫工事のつけが回ってきたのよ。それにしてもお父様ったら。きっと最初から、私を菅野さんに押しつけるつもりだったんだわ」
 真理亜は今朝、回転レストランにつられて父にうまく誘い出されてしまった自分に腹が立っていた。せっかくの楽しい気分も台無しだ。別に一緒にいるこの人が悪いわけではないけれど、なんでまた父親に結婚相手を決められなくてはならないのか。
    優れた研究員の確保だか何だか知らないけれど、そんなことに私をダシに使おうだなんて。しかもいくら優しいったって、同い年の若い男の子とかならともかく、見た感じだとだいぶ年上の人じゃない!
「押しつけるだなんてとんでもない、こちらこそ、僕なんかで申し訳ない。君みたいな若い子が、こんなおじさんと一緒にいたって楽しくなんかないだろうに」
 まさか真理亜の思惑がバレたわけでもなかろうが、菅野がボサボサの頭をかきながら言った。
「いえ、そんなことは。……失礼ですが、菅野さんはおいくつなんですか?」
 まさか三十どころか四十代だったらどうしよう、年齢不詳の菅野にそんな不安を覚えつつ、真理亜が恐る恐る聞けば、
「ああ、二十八です。真理亜さんは十八でしたっけ?十も違うんじゃあ、君たちから見たら充分おじさんでしょう?」
「いえ、そんなことは……」
 そう答えながらも、真理亜は予想より若かった菅野の実年齢に驚いていた。もしかしなくても、身なりをきれいに整えてあげれば年相応に見えるのかしら。せっかくもとは良さそうなのにもったいない。そうだ、ならばうってつけの場所があるじゃない!
    真理亜はひらめいた。「運転手さん、銀座に向かって下さらない?」
「銀座?」
「ええ。デートに行くんですもの。この格好じゃあんまりじゃありません?」
 うまくいけばこの男の人は見違えるかもしれないわ。真理亜は胸が躍るのを感じていた。
    銀座通りがホコテンで入れないとのことで、歌舞伎座のあたりでタクシーを降りる。歩行者天国はたくさんの人でごった返していた。
「ずいぶんたくさん人がいるんですね」
 都内で働いている割に、都会に慣れていないのだろうか。菅野が目を丸くして驚いていた。「みんな、仕事や学校はどうしたんですかね?」
「今日は土曜日じゃない、きっと半ドンして仕事や学校帰りに遊んで帰っているんだわ」
 そう言う真理亜は半ドンどころか、パーティーの為に授業をサボっている。
「ああ、今日は土曜日でしたね。急にお休みをいただいたものだから、曜日の感覚がおかしくて」
 銀座通りから脇道を覗くと、サングラスをかけ、頭にはスカーフを巻いた人たちがたむろしているのが見えた。今はやりのファッションだ。私もあんな格好をしてみたい。けれど、きっとお父様は不良みたいな格好してって怒るに決まっている。
 次の脇道を覗けば、さっき見たみゆき族とは違う、みすぼらしい格好をした老人が道のわきに座り込んでいた。歩道の縁側に腰を掛けて、歩く人々に縋るような声を掛けている。この暑いのに、コートと呼ぶにはボロボロの布きれに身を包んでいて、白髪交じりの髪も顔も煤けたようになっていた。その姿は、きれいな銀座の街並みにはひどく不釣り合いに見えた。
 真理亜が呆然としていると、怪訝そうに菅野が声を掛けた。
「どうかしたんですか?」
「いえ、なんでもないわ」
    まるで見てはいけないものを見てしまったような気がして、真理亜は目線を逸らした。
「ああ、浮浪者ですね。オリンピックに向けて、皆どこかに追い出されたとは聞いていましたが……」
 そう返す菅野の表情は、なんだか沈んでいるようだった。きっと、せっかくの銀座デートなのに変なものを見てしまって、気分を害してしまったのかもしれない。真理亜はそう感じて慌てて言い繕った。
「かわいそうなおじいさんだけど、なにもこんなピカピカに光り輝いているところで物乞いなんてしなくてもいいのに。そんなの、よけい惨めで哀れなだけだわ」
「そうかもしれませんね」
 菅野の声は、暑さのせいか妙に乾いていた。
「それより菅野さん、はやく松屋に行きましょ。お店の中ならクーラーが効いてて涼しいわ」
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