1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.9 上野 3

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 雨が打ち付けるガラス窓からはおぼろげにしか外の世界は見えない。憂鬱な自分の顔が映るばかりだ。彼が褒めてくれた青い瞳も、まるで天気を映す鏡かのように曇っている。
 真理亜はため息をつくしかできなかった、本当に、明日のオリンピックが、開会式が中止になってしまえばいいのに。お金の受け渡しが出来なくなったら、菅野さんたちは次はどう出るのかしら。
「真理亜お嬢様」
 雨音でかき消されて真理亜は気が付かなかったが、どうやら先ほどからメグが扉をノックしていたらしい。「失礼しますよ」と言いながら、彼女が部屋へと入ってきた。
「その……一体なにがあったんですか?」
 部屋に入るなり、メグは窓際でたそがれる真理亜の元にやってきて、開口一番に聞いた。
「菅野さんが犯人だなんて、本当なんですか?」
「そうよ。メグさんだって言ってたじゃない。菅野さんが、大月さんとグルかもしれないって。そのとおりだっただけよ」
「そんな。そう、菅野さんがおっしゃったんですか?」
 しつこく聞き咎めるメグに気後れを感じて、真理亜は窓辺からベッドへと移動した。けれどもメグは付いてきてなおも聞いてくる。「ちゃんとお話し出来たんですか?」
「……していないわ。したところで、本当の話なんてしてくれるわけないじゃない。全部お父様やメグさんの言う通りなのよ。大月さんと菅野さんが一緒に歩いているところを見たの。二人が、爆弾の話をしているのが聞こえたわ。それで充分じゃない」
「何が充分ですか。ちゃんとお話しするって、あんなに張り切っていらしたのに。菅野さんがもし悪いことをしているようなら、ぶん殴ってやるっておっしゃっていたじゃないですか」
 メグが頬を膨らませて抗議した。
「私だってそのつもりだったわ。でも、まさか菅野さんがそんなことするはずないって思っていたから」
「それで、現実を認めたくなくて、逃げ帰ってきたって言うんですね」
「逃げ帰っただなんて」
「そうですよ。いつだってお嬢様はそうです。相手の話も聞かないで、ちらっと聞いた話だけで判断しちゃうんですもん。これじゃあ、菅野さんに嫌われたかもってうじうじしてた時となにも変わらないじゃないですか。あの時はちゃんとお話しして、そんなことはないってわかったじゃない。今回だって」
「だって、きっと菅野さんは、お金のために私に近づいたのよ。あのときだって、そのために」
「でも、真理亜お嬢様は、菅野さんはそんな人じゃないって思ったんでしょう?なんでそう思った自分を信じてあげられないんですか?」
「そんなの……そんなの無理よ。メグさんだって、菅野さんが犯人かもって思ったんでしょう?」
「確かに、状況から考えるとその可能性が高いと私も思いました。でも、それでもお嬢様はあの方のことを信じてらしたんでしょう?」
「信じて……いえ、きっとみんな、私の勘違いだったんだわ」
 いいように転がされていることにも気が付かないで、舞い上がって。
私だけが菅野さんのことをわかっているつもりでいた。彼の本当の顔も知らずに。私って、救いようのない馬鹿なんだわ。
「やっぱり、ちゃんとお話しされた方がいいと思うんです」
 うつむく真理亜に、メグがそっと声を掛けた。「本人の口から真実を聞くまで、諦めちゃダメですよ」
「真実を聞いて、本当に菅野さんが犯人だったって知って、どうすればいいの?」
「それは」
 そこでメグは真理亜から目線を逸らして、一度大きく息を吸ってから続けた。
「そうとは限りません。本当のことが分かるまで、お話ししなければ」
「でも、もうきっと、二度と会えないわ」
 あるいは開会式に乗り込めば、そこに犯人として菅野がいるのかもしれない。けれど父親には、金など持って行かなくて大丈夫だと言ってしまった。
 そもそも、脅迫状と一緒に送られてきたチケットを、こともあろうか真理亜は失くしてしまったのだ。下水を移動したときなのか、それとも上野?あるいは、小百合の家で着換えた時に、そのままポケットに入れっぱなしにして置いてきてしまったのかもしれない。
 けれどそんなことはもう、真理亜はどうでも良くなってしまっていた。
 それにこの天気じゃきっと明日も雨だ。開会式は中止、お金の引き渡しもうやむやになってしまうかもしれない。窓に映る暗い自分の瞳を見つめた真理亜に、メグが声を掛けた。
「昨日、真理亜お嬢様が大月さんを探しに家を出た後に、刑事が来たそうです」
「刑事?」
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