1964年の魔法使い

鷲野ユキ

文字の大きさ
78 / 101

1964.10.9 上野 5

しおりを挟む
「それこそあんまりだわ!」
「いいえ。これは私が志願したことでもあるのです。その、少し気になる点があって……」
 そう続けるメグの瞳は、翳りの色を帯びていた。
「気になる……何が?」
「気のせいだとは思うんです。けれど、本当のことはこの目で見て確認しなければ」
 迷いを立ち入るかのように言い切ったメグの顔は、ひどく凛々しくて眩しかった。姉のように慕う彼女が顔をあげているというのに、自分は彼女に全てを押し付けて、何も見なかったことにしていていいのだろうか。
それじゃいけない、そう思う自分がいる一方、けれど何もかも手遅れだ、と諦める自分もいた。そもそも明日、無事開会式が行われるかどうかだってかなり怪しい。
「でも、開会式は中止よ」
 真理亜は絶望的な窓の外を見て言った。それに対し、一体その自信はどこから湧いてくるのか。メグが力強い声で言い切った。
「中止になんてなりません。必ず晴れます」
「まさか」
「明日からのオリンピックの為に、この国と日本人は頑張ってきたんです。神様だって、明日くらい晴れにしてくれますよ」
「でも、明日晴れて開会式が行われたとしたら、会場は危険にさらされることになるわ。お客さんたちを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。だって、菅野さんたちは爆弾がどうこうって話していたんだもの。草加次郎の名を騙って、なにかしでかそうとしているのかもしれない。ならいっそ、中止になったほうが」
「開会式は、身代金の受け渡しの為なんかに開かれるわけじゃありません。新しい日本に様々な国の人たちが集まって、争いや憎しみを越えて、ともに平和に競い合うことを誓うための聖なる儀式なんです。中止になんてさせません」
「けれどどうするっていうの?無事開催したとして、まさか、犯人を捕まえにでも行くつもり?」
 投げやりな気持ちで真理亜が言った。会場に乗り込んで、大月さんと菅野さんを捕まえる?そんなの、出来っこないわ。
「ええ」
けれどメグは、あっけらかんとうなずいた。
「犯人が誰だかわからないけれど、そんなことをするやつ、この私が捕まえて見せます」
「そんなの危ないわ」
「真理亜お嬢様だって、最初は菅野さんの為に犯人を捕まえてやるんだって意気込んでたじゃあありませんか」
「そうだけれど、でも……」
 その犯人が、あの人だったのだ。けれど、本当にそうなのだろうか。
「でも、草加が送ってきたチケットは、私、失くしてしまったの」
 迷いが真理亜の口を動かした。そうよ、入れなきゃどうにもならないじゃない。
「順次郎様が、ご自分とお嬢様の為に確保していた分を一枚分けてくださいました。申し訳ないがこれを使って、犯人の要求に従ってくれと」
「お父様が?お父様も、メグさんと一緒に会場に向かうの?」
「いえ、娘に持って来させるよう犯人が指定してきた以上、おとなしく従ったほうがいいだろうと刑事が言ったそうです、だから、私一人で行ってきます」
「ダメよ、一人でだなんて!」
「大丈夫ですよ、当日は警察も周りを張っていてくれるそうです。ただでさえ要人が多くいらっしゃる開会式です、警備が厳重になるのは当たり前。犯人に何かされるはずなんてありませんもの。逆に、私がボコボコにしてやるんだから」
 そう言って気丈にメグは笑いながら軽くこぶしを握ったが、その手が震えているのを真理亜は見逃さなかった。
「ダメよ、メグさん一人に、そんな危険なことはさせないわ」
 健気なメグの姿を見て、沈んでいた真理亜の瞳に光が戻ってきた。こんなの駄目だわ、メグさんの言う通りよ、逃げてばかりじゃダメ、本当のことを確認しないと。
「私も一緒に行くわ」
「そっちのほうがダメですよ!順次郎様がどれだけお怒りになるか」
「そんなの知らないわ。メグさんを危険な目に遭わせるお父様のことなんて」
 それに真理亜は順次郎にも腹を立てていた。いくら自分の娘の身が危ないからって、いくら申し出てくれたって言ったって、こんな女性を危険な目に遭わせて、自分はのうのうと安全な場所にいるだなんて。なんて男らしくないのかしら!
「そうよ、一人で行くより、二人で行った方が犯人を捕まえられる可能性は倍になるんだもの。メグさんを一人でなんて行かせやしないわ」
「お気持ちはありがたいですが、でもどうやって会場に入るって言うんです」
「あら、私のチケットが一枚余っているじゃない」
「もしかして、順次郎様が用意してくださった分ですか?」
「そうよ。それに輝かしい日本の第一歩を象徴する開会式よ。テレビで見るのもいいけれど、誰だって見に行きたいのは同じだわ。例え草加に脅されていたとしてもね」
 そう言って、真理亜は軽くウインクした。青い瞳は晴れた空のように澄んでいた。
「真理亜お嬢様……」
「それに、まだ菅野さんが本当に草加次郎なのか、直接聞いたわけじゃないもの。今度こそ私、本当のことを教えてもらうわ」
「ええ、きっと菅野さんにも会えますよ。その時菅野さんが犯人としてなのか、それとも人質としてなのか、あるいは助けに来てくれるヒーローとして現れるのかどうかは分かりません。けれどきっと、明日の開会式ですべてが明らかになる」
 メグが笑顔を浮かべてうなずいた。
「それに、最悪なことに、もし菅野さんたちが怪しい動きを見せるようなら止めさせないと。ほんとうの犯罪者になってしまいますもの」
「そうね、そうだわ」
 まだ手遅れではないのかもしれない。真理亜はそう思い始めていた。本当に後戻りできなくなる前に、何とかしなければ。話を聞いてくれるかどうかはわからない。けれどあの人を、平和のためのオリンピックで爆弾に火を点けるような人間にはしたくはなかった。
「わかったわ、メグさん。私、行くわ」
 メグの黒い目を見据えて、真理亜は言った。「二人で行けば、なんとかなるわ」
「きっと何とかなります。お金だか爆弾だか不思議な力だかしりませんけど、愛の力の前では何もかも無力だってことを、男どもに見せつけてやりましょう!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

フローライト

藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。 ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。 結婚するのか、それとも独身で過ごすのか? 「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」 そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。 写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。 「趣味はこうぶつ?」 釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった… ※他サイトにも掲載

あの素晴らしい愛をもう一度

仏白目
恋愛
伯爵夫人セレス・クリスティアーノは 33歳、愛する夫ジャレッド・クリスティアーノ伯爵との間には、可愛い子供が2人いる。 家同士のつながりで婚約した2人だが 婚約期間にはお互いに惹かれあい 好きだ!  私も大好き〜! 僕はもっと大好きだ! 私だって〜! と人前でいちゃつく姿は有名であった そんな情熱をもち結婚した2人は子宝にもめぐまれ爵位も継承し順風満帆であった はず・・・ このお話は、作者の自分勝手な世界観でのフィクションです。 あしからず!

立花家へようこそ!

由奈(YUNA)
ライト文芸
私が出会ったのは立花家の7人家族でした・・・―――― これは、内気な私が成長していく物語。 親の仕事の都合でお世話になる事になった立花家は、楽しくて、暖かくて、とっても優しい人達が暮らす家でした。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫(299)
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

【完結】旦那様、離縁後は侍女として雇って下さい!

ひかり芽衣
恋愛
男爵令嬢のマリーは、バツイチで気難しいと有名のタングール伯爵と結婚させられた。 数年後、マリーは結婚生活に不満を募らせていた。 子供達と離れたくないために我慢して結婚生活を続けていたマリーは、更に、男児が誕生せずに義母に嫌味を言われる日々。 そんなある日、ある出来事がきっかけでマリーは離縁することとなる。 離婚を迫られるマリーは、子供達と離れたくないと侍女として雇って貰うことを伯爵に頼むのだった…… 侍女として働く中で見えてくる伯爵の本来の姿。そしてマリーの心は変化していく…… そんな矢先、伯爵の新たな婚約者が屋敷へやって来た。 そして、伯爵はマリーへ意外な提案をして……!? ※毎日投稿&完結を目指します ※毎朝6時投稿 ※2023.6.22完結

処理中です...