1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.10 開会式 選手入場 4

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 しかし、材料だけで言うならば、遠野電機が保管する化学物質で作れないこともない。
 医療用に開発を進めている危険な薬剤の研究も、遠野電機は行っている。簡単なものなら、ニトロを染み込ませてさえおけばいいのだ。
 だがさすがにあれは、今の英紀には手が余る。まさかあんなものまで持ってきているだなんて、アイツは一体何者なんだ!
 男がそれに火を点ける。じりじりと導火線が短くなっていく。さすがに刑事たちが駆けてきた。周りの観客らもどよめき始める。ついにランナーが聖火台にたどり着こうという時だった。男が、ダイナマイトをあろうことかメグの方に放り投げた!
「そうだな、お前は草加の女なんて役回りはどうだ?計画が失敗して、自爆テロに走るんだ。面白いだろう?」
「あの野郎!」
 足を引きずり、英紀の身体が自然と動いていた。話を聞いていた限りでは、二人は恋人同士だったのではなかったのか。だというのに、なぜこんなためらいもなく、火を放てるのか。笑う男の姿は、英紀には悪魔にしか見えなかった。容赦なく、女子供にさえ鉛の雨を降らせる敵兵のように。
 なんとしてでも止めなければ。そう思うもののうまく力が動いてくれない。ニトログリセリン【C3H5N3O9】、ニトロセルロース【C6H7(NO2)3O5]n】。これをどうやって分解しろって言うんだ。それとも凍らせてしまうか?いや、余計爆破のリスクが高まるだけだ。
 恐ろしい殺人兵器を放り出すわけにもいかず、メグはそれを抱えて青ざめている。その隙に青野は出口の方へと向って行く。怪しい姿を追いかける刑事らと、ダイナマイトを抱えるメグを遠巻きに見守る警備員たち。
 ここまでか――。思わず英紀が諦めて目を瞑った時だった。導火線が燃え尽きて、あとは周りのものを粉々に破壊しつくそうと、無慈悲な悪魔が舌なめずりをした時だった。
 爽やかな風が吹いた。その風が、まるで透明人間かのように、おっかなびっくりメグの抱えるダイナマイトをひょいと持ち上げた。
「え。ちょっと、何?」
 メグがあっけにとられた様子でこちらを見てくるが、恐らく自分も似たような顔をしていたはずだ。まるで魔法のようだった。似たような力を使う英紀ですらそう思った。そしてひとりでに動き出したダイナマイトはするすると空を昇ると、そこで大きくはじけた。
 パァァァン!
 一際大きな花火が開いて、会場は大きな歓声に包まれた。曼珠沙華のように真っ赤な花が、青空に咲いた。
英紀は慌てて辺りを見回した。今のは一体、誰どうやったんだ?自分と似た力を持つ人間がいるとしか思えなかった。せわしなく左右に動かす眼球が、上品な和服に身を包んだ夫人の姿を捉えた気がして慌てて視線を戻すなぜ小百合さんが?そう思った目線の先には、着物の人物は一人もいない。
 気のせいだ、英紀は自分に言い聞かせる。彼女がここにいるはずがない。小百合さんが、不思議な力を持っているだなんて尚更。だって子供の頃はずっと彼女の傍にいたのだ、そんな力を持っていれば気が付くはずだ、そうだろう?
 鋭い目つきで火花を睨んだ男がこちらを振り向いた。その顔はどす黒く歪んでいた。
「クソッ!どいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがって!お前、どこにそんな力が残してやがったんだ」
 違う、今のは僕じゃない、そう返すこともままならないほどに英紀は疲れ果ててしまっていた。「ふん、だがその様子じゃ、もう動けないだろう。せっかくの計画がパアだ。俺はもう帰らせてもらうぜ」
 捨て台詞を吐いて去っていく男を追いかけることも出来ない。警備の人間らがあいつの後を追う。だが、会場内では警察も動きづらいのだろう、それに彼が誰かを傷つけたわけでもない。遠巻きに見ていれば、ただ痴話げんかをして去って行っただけだ。悪態をつきながら、誰も彼を捕らえることなく、男が去っていく。
 ああ、逃がしてなるものか。英紀は焦ったが身体が思うように動かない。結局天から与えられたこの力もうまく使いこなせず、むやみにエネルギーを消費してしまうばかりだ。
 英紀は自分を呪った。この力をせめて白百合の家の為に、と思ったのに。このままでは、金を手に入れることが出来ない。
「おい、お前なんでその格好でここにいるんだ、青野」
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