1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.10 開会式 選手入場 3

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 観客らは一斉に湧き上がった。ちょうどそのタイミングで、日本の選手団が入場したのだ。その賑わいの中、つなぎ姿の男だけが狼狽した様子でキョロキョロとあたりを伺っている。
「最悪だな。まさか、正義のヒーロー気取りでノコノコと現れたんじゃないだろうな。ええ、魔法使い?」
 あたりを不審そうに見回す男の目が、腰をかがめる英紀を捉えてしまった。それに気づいたのか舌打ちをして、バッグを抱えたメグごと掴んで立ち上がると、そのまま退場口へと向って行く。
「ちょっと、何するのよ!」
 メグが必死に抵抗するが男は取り合わない。警察の人間が近づいてくるのが分かった。先ほど目が合った刑事だ。英紀はその男に、大丈夫だという風にゆっくりとうなずく。
 下手にあいつを刺激したら面倒だ。逆上した青野が、辺り一面に爆弾を巻き散らかしかねない。理知的で冷静さを装っているものの、その実とても感情的で始末に負えない。あいつは、そう言う男だ。
 だからといってこのまま、女性が連れ去られていくのをただ見ているわけにはいかない。英紀は隠れることを諦め彼らを追いかけた。
「おい、彼女から手を離せ」
「……これはこれは。また懲りもせずに、力の無駄遣いをしに来たのかい、魔法使い」
 退場口の近くで、男が歩みを止めて振り返る。追いすがる声に、爆弾魔がにたりと笑った。「やっぱり来たな。友達はどうした?痛い痛いってお家で泣いてるのか」
「目の前で女性が危険な目に遭っているんだ、見過ごすわけにいかないだろ」
「その優しさが身を滅ぼすってこと、よく学んだと思っていたんだがね」
 そう言って、再び懐から何かを空に向かって放り投げた。英紀は身構える。
「まさか用意したのが一つだけだなんて思っちゃいないだろう?」
 そう男が呟いた時、突然会場上空に、大きな花火が打ちあがった。
「ふん、しゃれたことをしてくれる」
日本の選手団の入場も終わり、さすがに予定にはない花火が上がったことで、警備の人間たちもざわつき始めた。それを察したのか、男はメグの抱きしめるリュックを乱暴に奪った。
「遊んでる暇はないんだ。騒ぎを起こすのは俺の役目じゃない。俺が用があるのは、この荷物だけでね」
 軽々とそれを持ち上げて男が言ったが、次第にその顔が歪んでいく。
「ずいぶんと軽いじゃないか」
 慌てた様子で、男がバッグのファスナーを勢いよく開いた。だがその中から現れたのは、ポーチだの鏡だの、まるで関係のないものばかりだった。
「お前……、なぜ本物を持って来なかった?」
「持ってくるはずないじゃない、誰がアンタにお金なんて」
「俺は確かに言ったぞ?オリンピックを守りたければ金を用意しろと」
 そう言いながら、男は黒いリュックサックの口を開けてひっくり返した。
「なのになぜ何も入っていない?……そうか、お前もオリンピックを台無しにしたいんだな?」
 なぜだか哀れなものを見るような目つきで、男が呟いた。
「おい、何を言っている」
「ならお望みどおりに台無しにしてやろう。なに、もとから草加次郎はそのつもりだったんだ。やつは本気だぞ、正義の為なら、平和のための式典を、戦場に変えちまう」
「何を――」
 男が、作業着のポケットから懲りもせず何かを取り出した。また爆弾か。英紀はイメージする。ニトロトルエン【C7H7NO2】、ジニトロトルエン【C7H6N2O4】、トリニトロトルエン【C7H5N3O6】などの油状物質と、主成分であるトリメチレントリニトロアミン【C3H6N6O6】を混合した、いわゆるプラスチック爆弾というやつだ。真理亜の家の礼拝堂を爆破したのはその爆弾だった。さて、この構造式をどうしてやればいい?
 けれど取り出したのは、細長い筒に、紐が一本生えたもの。日常生活で目にするようなものではないが、あの形を英紀は知っていた。
「ダイナマイトだと?まさか、あれも作ったって言うのか?」
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