1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.10 開会式 白い鳩 1

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 晴れ渡る青空に向かって、栄二はぷかぷかと煙を吐いた。会場に菅野を送り出して、栄二はただ待つことしかできなかった。スリで入手したお宝チケットは一枚しかない。
 果たしてお嬢様は本当に金を持って現れるのだろうか。栄二は、自分と菅野の運に賭けるしかできなかった。
 自分たちが逃げ出した段階で、あの爆弾魔は計画を変更するだろう。
 それは想定内だった。最悪失敗したと、計画を諦める可能性もある。それはそれでお嬢様の身は守られるので遠野家としては万々歳だろうが、彼らにはそれはそれで困ったこととなる。
 なにしろ、菅野が犯人を捕まえてくれれば、犯人にやるはずだった金をくれてやると社長が言っているのだ。これを利用しない手はない。恐らく爆弾魔なぞより切実に金に困っている二人は、なんとしてでもうまく青野を捕まえて、それを土産に身代金をまんまと回収したかったのだ。
 当初、栄二はお嬢様を誘拐して、それこそ菅野を誘拐した爆弾魔のように身代金を請求するつもりだった。彼女を狙って、木に火を点けたこともある。だが、彼女を守る存在が邪魔だった。それが菅野だった。
 だが偶然浅草でお嬢様と菅野に会って、お嬢様が草加次郎に狙われている話を聞いた。
 ――あれこそ、俺のツキのなせる技だったな。
 空へと消えていく煙を見送りながら、栄二は口の端を上げて笑った。あの時から栄二は計画を変更したのだ。
こうなったらなりふり構っている余裕はない。すでに家を奪われた栄二は、自分こそが白百合の家を守るのだという意地を捨てることにした。
 なに、金は金だ。誰が用意しようと金には違いがない。栄二はそう考えた。しかも合法的にそれが手に入れられるなら、それが一番いい。汚れた金など、小百合にはふさわしくない。
 それから、栄二は秘かに菅野のフォローにまわることに決めた。
 菅野はお嬢様の身を守るのにいっぱいいっぱいで、とても犯人を捜し出せるような状態ではない。それに、そういった仕事は栄二の方が得意だった。遠野家周辺を嗅ぎまわり、刑事よろしく調べ上げた。
 すると、遠野家の礼拝堂が爆破された夜、怪しい二人組の男を見たと近所の人間から聞き出した。だが手がかりを見つけたと思った矢先、菅野の姿が消えてしまった。
 あの時は、栄二も肝を冷やしたものだ。吸い終えた煙草を携帯灰皿に押し込んで、新たな煙草を取り出した。紺色の箱には、平和の象徴のハトが描かれていた。
奇しくもこの時、開会式で放たれたのだろう、白いハトが空を切って飛んでいくのが見えた。
 そうだ、アイツがそんなことをするはずがない。飛び去っていくハトを見送りながら、栄二は菅野を疑った自分を恥じていた。
 犯人は二人組だった。もしかしたら、そのうちの一人が菅野なのかもしれない、と考えたのだ。
 必死になって菅野の足取りを追った。そして、北千住の自宅の近くで、メガネの若い男と歩いていたという情報を得た。
 メガネの若い男。果たしてこいつは何者か。そして、菅野はなにも疑わずにその男に付いて行ってしまった。その正体について考えた時、栄二が思い当たるのは、八丁堀の研究所で木に火を放った時見かけた、作業着姿の男だった。
 例の公園でちらっと見かけただけだったが、煙草を吸う彼は妙に若く見えて、アルバイトか何かかと思ったのを覚えている。
 同じ職場の顔見知りの人間なら、話しかけられて付いて行く可能性はあるのではないか。まさか、そいつが爆弾魔などと思わないだろう――。
 そう考えた栄二の推理は見事に当たった。その男は、青野淳という名の青年だった。そいつの自宅に向かってみれば、腹を空かせた菅野が転がっているのを見つけた。
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