1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.10 開会式 白い鳩 3

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「矢野!?」
 栄二は思わず叫んだ。そして、人ごみをかき分けて、彼らを追った。だが、これだけの人手だ。足の痛みもあいまって、器用に波を分けていく二人を途中で見失ってしまった。
「畜生、なんで矢野が……」
わけがわからなかった。なぜアイツがここにいる?なぜ、お嬢様をさらっている?
栄二は足を引きずり、歓声に沸く国立競技場へ向かった。矢野と真理亜のことも気になるが、乗り込んだ菅野はどうしたのか。けれど彼には中に入る術がない。動くに動けず、会場外の人ごみの中でそわそわするしか出来ない栄二であったが、またしてもありえない人に出会った。着物に身を包んだ、いつもの小百合の姿だった。
「――母さん?」
 その呟きに気付いたのか、彼女が一瞬こちらに目線を向けた。一度柔らかく笑ってから、きりりと表情を引き締める。そして、栄二に向けてなにか言った。ぷっくりとした唇が言葉を紡ぐ。人々のざわめきで聞き取れなかったが、なぜか栄二にはこう言っているように見えた。
 ――東京タワー。
 だがそれも一瞬のことで、瞼を瞬いた次の瞬間、彼女の姿を見失ってしまった。着物姿の女性。そうそう見かけるわけでもないその姿を、栄二は見つけ出すことが出来なかった。
「おい、大月!」
 白昼夢を見たかのようだった。呆然とする栄二に掛けられた声があった。その声に反応し、栄二は夢から覚めたかのように、声の主に目をやった。菅野だった。
「なにぼんやりしてるんだ、大変だ、真理亜さんが消えた」
「お嬢様なら、矢野が引っ張っていくのを見たが」
「矢野が!?なんでだ!」
 菅野がわめくが、それを聞きたいのはこちらも同じだった。
「それより、青野は捕まえたのか?」
「ああ、それは大丈夫だ。けれどなぜ真理亜さんが矢野と一緒に?」
「俺が知るか。それと、小百合母さんが今いた気がしたんだ」
「小百合さんが?本当にか」
 まるで鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔で、菅野が聞き返す。
「着物姿だったか?」
「ああ。東京タワーって、言っていた気がする」
「どういうことだよ」
「だから、俺が知るか。それより青野を捕まえたんだ、早く社長のところに連れて行かないと。それで、青野はどうしたんだ?」
「僕の上司がちょうどいたから、彼にお願いした。青野は遠野電機から爆弾の材料を盗んでいたんだ。僕より、主任の方が話がスムーズに行くだろう」
「おい、手柄を横取りされたらどうするんだ」
「大丈夫さ、主任はそんな人じゃない。社長も、直接連れてきたのが僕じゃなくても、追いつめたのが僕だって主任から聞けばわかってくれるさ。それより、真理亜さんの行方が気になる。彼女が持っていたはずの金も無くなっているんだ」
「金も?」
 それこそが栄二の求めていたものだ。それがなければ、青野を捕まえたところで意味がない。そこで栄二は思い出した。矢野の片手にはお嬢様。その背には、なにやら重そうな黒いリュックを背負ってやしなかったか。
「矢野が、重そうなリュックを持っていた」
「それだ!しかしなぜ矢野が――」
 そこまで言って、菅野の表情が硬いものへと変わった。
「まさか、矢野が新たな草加次郎?」
「は?どういうことだ?」
「僕に聞かれたってわからないよ。それより矢野は、真理亜さんを連れていったいどこへ行ったって言うんだ」
「俺が知るかよ、そんなこと」
 これじゃあ押し問答だ。ケッ、とポケットから何本目かわからない煙草を取り出し、栄二は火を点ける。ふうと煙を吸ったところで、先ほどの小百合の儚げな笑顔が脳裏に浮かんだ。
「……東京タワー」
 ポツリ、と栄二が言った。
「え?」
「東京タワーだ。小百合母さんが言っていた。わざわざ俺に伝えたんだ、なにか意味があるに違いない」
「小百合さんが?なぜ?」
「知るか」
 だが、不思議と勘のいい人だ。栄二は常々思っていた。勘だけじゃない、本人は気づいていないだろうが、菅野と小百合は何かが似ている。二人とも、神に愛された存在だ。
「だが、今の手がかりはそれしかない。――どうする?」
 ゆっくりと煙を燻らしながら、栄二は菅野に問いかけた。矢野がどこへ向かったのかも定かではない。手がかりは、本当かどうかも分からない、小百合の言伝だ。
 しばらく悩んだのち、菅野は迷いを振りかぶるように頭を振って顔を上げた。
「小百合さんを信じよう。すべては、あの家が発端だ。それに、東京タワーは今、オリンピック中継の中継基地に使われているんだ」
「中継基地?」
「ああ、僕の部署とは違うところなんだけどな。NHKと協力して、オリンピックの様子を全世界のテレビで見られるよう、衛星を使って電波を送る技術を開発したんだ。それに東京タワーの設備が流用されていてね」
「もしかして、矢野はテレビ中継を台無しにするつもりか?」
「ああ、なんでそんなことをするのかはわからない。けど、僕は東京タワーに向かう」
「ああ、俺も……」
 菅野に続こうとした英紀だったが、「まだ会場にメグさんがいるはずだ。彼女に、僕が東京タワーに向かうことを告げておいてくれないか」と言われてしまい、舌打ちをして煙草を携帯灰皿に押し付けた。
「へいへい、足手まといは大人しくしてるさ」
「そんなつもりで言ったんじゃない、お前のおかげで僕は逃げ出すことが出来たんだ」
 気まずそうに菅野が言った。恐らくその通りなのだろう。こいつは悪意を押し出すことに慣れていない。
「わかってるさ。けれどくれぐれも気をつけろよ」
「もちろんさ」
 もうへとへとだろうに、気丈にうなずく友に栄二は声を掛けた。友は何も菅野だけじゃない。矢野だって、栄二の大切な友達だ。一人で抱え込んで何をしようとしているのか知らないが、あの馬鹿真面目を本当の馬鹿にしたくはなかった。
「それに、矢野が何をたくらんでるのか知らないが、アイツをよろしくな」
「わかった」
 そう返す菅野の背を見送って、栄二は国立競技場へと向って行った。
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