1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.10 東京タワー 3

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 だが矢野は、その犯人は自分だという。英紀の頭の中で、青野の哄笑が反響する。俺は草加じゃあない、新たな草加次郎が生まれたのさ。そして矢野と青野は協力関係にあった――。
「金を用意しなければオリンピックを台無しにしてやると、脅迫状を送った。そうして置かれたのがこの金だ。この金があれば、白百合の家を守ることが出来る。だというのに、なぜお前はアイツらの味方をする?オリンピックなんてクソ喰らえだ、こんなくだらない祭り騒ぎの為に、あの家は無くなったというのに」
「違う矢野、聞いてくれ。僕はお前を捕まえに来たわけじゃない」
 睨みつける矢野にそう返しながらも、英紀の中でさまざまな要因が積み重なっていく。金が欲しい矢野と、同じく金の欲しい青野。青野はオリンピックを相手取る矢野に協力した。だがその一方で、遠野家を相手取り、金を寄越せと脅している。これはいったいどう言う事なんだ?
 ――新たな草加次郎が生まれるのさ。
 そういうことか。英紀は大きく息を吸った。日本の警察だって馬鹿じゃない。警察署など脅して、まして爆破などしてのうのうと逃げ切れるものなのだろうか。
 おそらく青野は、矢野をスケープゴートに仕立てたのだ。すべての爆破騒ぎの矛先を、矢野に向けようとしたのだ。そして自分はのうのうと、草加次郎の罪をすべて矢野に押し付けて、遠野家から奪った金で高跳びでもするつもりだったのだろう。
 だが青野の計算は狂った。矢野が騒ぎを起こさず、警察も動かなかった。さらに、まさか真理亜が用意した金を矢野に持ち去られるだなんて思っても見なかっただろう。
 けれど自分が利用されかけたことなどまったく気が付かない矢野は、さらに憎しみの炎を燃え上がらせ、英紀の方を睨んでくる。
「今にして思えばあれもおかしい、俺がモノレールを爆破した時だ。爆弾はちゃんと爆発したはずなのに、柱には傷一つなかった。あれもお前が俺の邪魔をしようとして、力を使ったんだろう?」
「モノレールを爆破させたのはあなただったの?」
 そこで真理亜が叫んだ。「大変だったのよ、あなたのせいで、多くの人が危険な目に遭ったわ。じゃあ隅田川に爆弾を放り投げたのもあなただったのね!」
「うるさい!」
 騒ぐ真理亜の顔先に、ライターの炎をちらつかせて矢野がすごんだ。「隅田川?知らないな。それより、そのきれいな青い目を傷つけたくなかったら、黙ってろ」
 炎が真理亜の前髪を焦がして、辺りには嫌な臭いが漂った。ひっ、と悲鳴を飲み込んで、真理亜が顔を真っ青にしながら口を閉じる。
「矢野、とにかく彼女を放してくれ。真理亜さんは関係ない。青野がお前を利用して、彼女を脅していたんだ。だから彼女が金を持っていた。この金は、お前が脅した警察だか国のお偉いさんだかが用意したものじゃないんだ」
「そんなはずがない、これは俺が用意させたものだ。それに、俺がアイツに利用されただって?ふざけるな、そんなはずがないだろう」
「青野はお前に協力するふりをして、草加の罪をすべてお前に着せようとしたんだ。青野こそが、草加次郎の正体だったんだ」
「青野が、草加次郎だと?」
 まるで信じない、といった風で矢野が聞き返す。「あんな大学生みたいな若者が、そんな大それたことなんて出来るもんか」
「アイツは若くは見えるが、大学生なんかじゃないんだ。遠野電機の開発部の研究員だ」
「遠野電機だと?それならむしろ、お前の仲間じゃないか。アイツもお前も、俺の邪魔をするつもりなのか」
「だからそうじゃない。それに青野は捕まったんだ。もうアイツの肩を持つのはやめろ」
「青野が捕まった?なぜアイツが捕まるんだ。アイツは関係ないだろう」
 しきりに英紀が訴えるも、矢野は聞く耳を持たない。それどころか、真理亜の手を掴んだまま、割れたガラスの先に身を乗り出した。
「きゃあ!」真理亜が悲鳴を上げる。思わず声が出た。
「おい、何してるんだ!」
 まさか追いつめられた矢野が、真理亜を道連れに飛び降りでも図るのだろうか。不吉な考えが頭に浮かび、英紀は叫んだ。それと同時に残った力を振り絞り、意識を集中する。
「動くんじゃない。その気味の悪い力を使うのをやめるんだ」
 矢野に睨み返され、英紀は広げた手のひらを握った。気味の悪い力。確かに矢野はそう言った。
「まだ俺にはやらなきゃいけないことがある。金は手に入れたが、お祭り気分の日本人に警鐘を鳴らしてやらなきゃいけないんだ」
「……警鐘だと?」
「ああ。あの地獄をなかったかのように、呑気に平和を貪るやつらにだ。何もしていないくせに、自分たちの力でオリンピックが開催できたと思ってやがる。世界同時放送だってアメリカの協力がなければ出来なかったくせに、さも自分たちの技術力が高いと誇らしげだそうじゃないか」
 矢野が胸ポケットから、きれいに折りたたまれた紙を取り出した。広げるとそこには、東京タワーの図面が描かれていた。
「青野が俺に託した資料の中にこれが入っていた。なんでもアイツはお見通しだ。俺が人を殺せるような人間じゃないと思ったんだろう。俺はオリンピックを、開会式を火の海に沈めてやりたかった。けれど、出来なかった」
 図面を握りしめて、矢野が悔しそうに口を開いた。
「だがその代わりに、違う方法で台無しにしてやる。例えば、世界同時放送を中止させる。国の威信がかかった放送だ。失敗すれば、世界中に恥を晒すだけだ」
「やっぱり、そのつもりだったのか」
 なぜ矢野が東京タワーを選んだのか。それは英紀が想像した通りだった。
「ふん、お前もなんでもお見通しか?昔から、そういうところが嫌いだった」
 俯いた顔を上げ、矢野が英紀を睨む。暗い瞳に睨まれて、英紀は後ずさる。ずっと友達だと思っていた。自分の力も受け入れてくれたと思っていた。だがそれは、自分だけだった。
 矢野は、僕のことなど友と思ってなんかいなかった。
「わかってるならば話は早い。くれぐれも俺の邪魔をするな。さもなくば、俺はこの女をここから突き落とす。こいつを助けたければ、俺を捕まえようだなんて馬鹿な気は起こさないことだ。いや、あるいはこの金を奪って、自分の手柄にするつもりだろう?お前も大月も昔からそうだった。そうやって、俺の手柄を横取りしてきたんだ」
 英紀を見据える矢野の瞳は、かつて彼らが出会った上野公園の、重い冬の空のようだった。地獄を見、何も信用できなかった子供の頃の目となにも変わってなどいなかった。
 彼の時は、あのときからずっと止まっていたのだ。英紀は息をのみ込んだ。
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