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思う様に、私は野を駆ける。ここでは息切れなんてものはしない。どこまでも遠く行ける。
途中、すれ違い様に、暴れる怪物に剣を一閃。軽く触れただけで、敵は霧散する。
大ぶりの剣を持った女が私に話しかける。『こんなにこの世界のことを気に入ってくれるとは思っても見なかった。もしかして、ハマった?』
これが現実世界ならばさぞ疲れて地面に腰を掛けていただろう。事実、現実世界の私は自宅の畳に寝転んでいるだけなのに、やれ首やら腰やらが痛くてたまらない。だが、画面の中の私の化身は顔色一つ変えずに答えた。
『そういうわけじゃ。レベルが上がらないと行けない場所があるんでしょう?そこにメリッサがいるかもしれない』
『〈アテネのエーオース〉ならこんな苦労をしなくて済んだのですが。だけどアリスタイオスと一緒に姿を消したそっちのアカウントでここに現れたら、面倒なことになりそうで』
同名だがアカウント違いの剣士エーオースが、ぐるぐると首をまわして愚痴る。
『プレイしてるのは同じ人間なんですけどね』
『いっそのこと、前のアカウントでログインすればどうですか?もしかしたらメリッサもすっ飛んでくるかもしれない』
『そうですね』
落ち着きのないエーオースが続けた。『でも、メリッサとアリスタイオスは、一体どういう関係だったんでしょうね』
『あなたも知り合いなんでしょう?メリッサと』
どういうことなのだろう。もともと共通の知人なのではないのか。そう思って聞き返せば、
『いえ。もともとアリスタイオスと知り合いだったのを、ゲーム内で紹介されただけなんです』と返された。
『じゃあ、あなたはメリッサについてはあまり知らない?』
『そうです。一体、二人は何をしていたのか』
ゲーム内とは言え、恋人でも知らない二人の関係。むしろメリッサの方こそ、アリスタイオスの行方を把握しているとでも?
『彼女なら何か知っていそうですけど』
『本当に、あなたは行方を知らないんですか?』
画面越しに私は聞いた。
『知りません、だからこうして、あなたのところに行ったんです』
果たしてこのセリフは本当か。画面の中のエーオースの表情からは、もちろん何もうかがい知ることは出来ない。
『蜂蜜男――いえ、アリスタイオスとあなたは普段、ゲーム内で何をしていたんですか?』
二人の不可解な関係が気になって、私は思わず聞いた。
『蜂蜜男、ですか』
聞いてからしまった、と思ったがもう遅い。『すみません、まだ身元が分からないものですから、そう呼んでいました』
仕方がないので私は素直に謝る。自分の恋人かもしれない男のことを、そう呼ばれていい気はしないだろう。
『確かに、言い得て妙ですね』
しかし彼女は不快感を表すどころか、納得したかのようにうなずいた。
『いつも健康の為だとか言って、蜂蜜を食べてましたから。すごいんですよ、パンやらヨーグルトやらに、それはもうべったりと』
『それはすごいですね』
『でしょう、つけすぎてこぼして、いつも寝間着がベタベタで』
私の頭の中を黄熊が闊歩しかけたところで、ふと気が付いた。
『現実で恋人に会ったことがあるんですか?』
『え?』
『なんだかまるで、本当にその様子を見てたように言うものですから』
『まさか。彼がそう話していたのを聞いただけよ』
急にそっぽを向いて、エーオースは呟いた。『私は本当の彼のことは何も知らないの。だから、なんであんなことになってしまったのかって思って』
その言葉に違和感を覚え、私は聞き返した。
『まるで、あの遺体はアリスタイオスで間違いない、とでも思っているみたいですね』
『そんなわけないじゃない、そうじゃなかったらいいってもちろん思っているわ。けれど、どうしても最悪のことばかり考えてしまうの』
私の言葉に、エーオースはキッと振り向くと口早に続けた。
『これも全部、あの遺体の身元がわかれば安心するわ。それか、ゲームの中ででもいいから、アリスタイオスの存在を確認できれば』
その存在を信じたいならば、なぜ遺体の捜査などを依頼するのか。彼女の言うとおり、この世界での存在を探し続けたほうがまだ希望があるではないか。
一体、あの遺体がもし本当にアリスタイオスの物だったとしたら、彼女はどうするつもりなのだろう。いや、彼女はすでにそうだと知っているのではないのか。
一人きりの部屋の温度が、さらに下がったような気がした。
彼を殺したのは、本当にゲームの中だけのことだったのだろうか。横になっていた身体を起こし、私は考える。頭に昇っていた血が身体に巡っていくのを感じる。
けれどそれならば、わざわざあの遺体の正体を私に暴かせるようなことはしないだろう。なら、なぜ?
薄暗くなり始めた空に一瞬目を向けて、凝固したピントを緩めてやる。しばらく目を休ませたのち、私は小さな画面をタップする。画面の中のイーグルが口を開いた。
『あなたの恋人を見つけるためには、やはりもう一度メリッサに会う必要があると思います』
『メリッサに?』
『ええ。なにせ彼女は、あなたでさえ会った事のない相手に実際に会っている人物です。そうでしょう?』
『え、ええ』
一瞬、エーオースがたじろいだように私には見えた。
『今のところ、手がかりは彼女くらいしか持っていません』
だが、彼女はあれ以来雲隠れ状態だ。よく現れていたという三女神の間(ゲーム内の情報交換をするチャットルームのような所らしい)や、占いの場(伝説の武器を占うNPCがいるらしい)にも姿を現さないという。
『確かに、彼女は何かを知っていそうでした』
エーオースがうなずく。『アリスタイオスとは商談で会ったと言っていたけれど……』
『何か、仕事でつながりがあったんですかね。アリスタイオスさんが現実で何をしていたとかは』
『それは……知らないんです。話すのはゲーム内の話ばかりで』
メリッサは商談と言っていた。彼女がこの仮想世界を、現実の仕事に生かそうとしていたならば、他にも商談相手はいるのではないか。あるいは、何か商売に関する宣伝をしてまわっていたのではないか。
そこから、現実のメリッサ本体に行きつくことは可能かもしれない。
『メリッサとアリスタイオスが何の商談をしていたのかが気になります。こちらでも調べてみます。アカウントと見た目から、彼女を特定出来るかもしれない。そうしたら連絡しますね』
およそファンタジーとは遠くかけ離れた会話を最後に、私はゲーム世界を後にした。気づけば外は暗くなっている。
蜂蜜男の身元。だが残念ながら加賀見大先生が見つけてくれたのは、誰かに刺された形跡があることだけだ。そのことを、彼女は知っているのだろうか。
途中、すれ違い様に、暴れる怪物に剣を一閃。軽く触れただけで、敵は霧散する。
大ぶりの剣を持った女が私に話しかける。『こんなにこの世界のことを気に入ってくれるとは思っても見なかった。もしかして、ハマった?』
これが現実世界ならばさぞ疲れて地面に腰を掛けていただろう。事実、現実世界の私は自宅の畳に寝転んでいるだけなのに、やれ首やら腰やらが痛くてたまらない。だが、画面の中の私の化身は顔色一つ変えずに答えた。
『そういうわけじゃ。レベルが上がらないと行けない場所があるんでしょう?そこにメリッサがいるかもしれない』
『〈アテネのエーオース〉ならこんな苦労をしなくて済んだのですが。だけどアリスタイオスと一緒に姿を消したそっちのアカウントでここに現れたら、面倒なことになりそうで』
同名だがアカウント違いの剣士エーオースが、ぐるぐると首をまわして愚痴る。
『プレイしてるのは同じ人間なんですけどね』
『いっそのこと、前のアカウントでログインすればどうですか?もしかしたらメリッサもすっ飛んでくるかもしれない』
『そうですね』
落ち着きのないエーオースが続けた。『でも、メリッサとアリスタイオスは、一体どういう関係だったんでしょうね』
『あなたも知り合いなんでしょう?メリッサと』
どういうことなのだろう。もともと共通の知人なのではないのか。そう思って聞き返せば、
『いえ。もともとアリスタイオスと知り合いだったのを、ゲーム内で紹介されただけなんです』と返された。
『じゃあ、あなたはメリッサについてはあまり知らない?』
『そうです。一体、二人は何をしていたのか』
ゲーム内とは言え、恋人でも知らない二人の関係。むしろメリッサの方こそ、アリスタイオスの行方を把握しているとでも?
『彼女なら何か知っていそうですけど』
『本当に、あなたは行方を知らないんですか?』
画面越しに私は聞いた。
『知りません、だからこうして、あなたのところに行ったんです』
果たしてこのセリフは本当か。画面の中のエーオースの表情からは、もちろん何もうかがい知ることは出来ない。
『蜂蜜男――いえ、アリスタイオスとあなたは普段、ゲーム内で何をしていたんですか?』
二人の不可解な関係が気になって、私は思わず聞いた。
『蜂蜜男、ですか』
聞いてからしまった、と思ったがもう遅い。『すみません、まだ身元が分からないものですから、そう呼んでいました』
仕方がないので私は素直に謝る。自分の恋人かもしれない男のことを、そう呼ばれていい気はしないだろう。
『確かに、言い得て妙ですね』
しかし彼女は不快感を表すどころか、納得したかのようにうなずいた。
『いつも健康の為だとか言って、蜂蜜を食べてましたから。すごいんですよ、パンやらヨーグルトやらに、それはもうべったりと』
『それはすごいですね』
『でしょう、つけすぎてこぼして、いつも寝間着がベタベタで』
私の頭の中を黄熊が闊歩しかけたところで、ふと気が付いた。
『現実で恋人に会ったことがあるんですか?』
『え?』
『なんだかまるで、本当にその様子を見てたように言うものですから』
『まさか。彼がそう話していたのを聞いただけよ』
急にそっぽを向いて、エーオースは呟いた。『私は本当の彼のことは何も知らないの。だから、なんであんなことになってしまったのかって思って』
その言葉に違和感を覚え、私は聞き返した。
『まるで、あの遺体はアリスタイオスで間違いない、とでも思っているみたいですね』
『そんなわけないじゃない、そうじゃなかったらいいってもちろん思っているわ。けれど、どうしても最悪のことばかり考えてしまうの』
私の言葉に、エーオースはキッと振り向くと口早に続けた。
『これも全部、あの遺体の身元がわかれば安心するわ。それか、ゲームの中ででもいいから、アリスタイオスの存在を確認できれば』
その存在を信じたいならば、なぜ遺体の捜査などを依頼するのか。彼女の言うとおり、この世界での存在を探し続けたほうがまだ希望があるではないか。
一体、あの遺体がもし本当にアリスタイオスの物だったとしたら、彼女はどうするつもりなのだろう。いや、彼女はすでにそうだと知っているのではないのか。
一人きりの部屋の温度が、さらに下がったような気がした。
彼を殺したのは、本当にゲームの中だけのことだったのだろうか。横になっていた身体を起こし、私は考える。頭に昇っていた血が身体に巡っていくのを感じる。
けれどそれならば、わざわざあの遺体の正体を私に暴かせるようなことはしないだろう。なら、なぜ?
薄暗くなり始めた空に一瞬目を向けて、凝固したピントを緩めてやる。しばらく目を休ませたのち、私は小さな画面をタップする。画面の中のイーグルが口を開いた。
『あなたの恋人を見つけるためには、やはりもう一度メリッサに会う必要があると思います』
『メリッサに?』
『ええ。なにせ彼女は、あなたでさえ会った事のない相手に実際に会っている人物です。そうでしょう?』
『え、ええ』
一瞬、エーオースがたじろいだように私には見えた。
『今のところ、手がかりは彼女くらいしか持っていません』
だが、彼女はあれ以来雲隠れ状態だ。よく現れていたという三女神の間(ゲーム内の情報交換をするチャットルームのような所らしい)や、占いの場(伝説の武器を占うNPCがいるらしい)にも姿を現さないという。
『確かに、彼女は何かを知っていそうでした』
エーオースがうなずく。『アリスタイオスとは商談で会ったと言っていたけれど……』
『何か、仕事でつながりがあったんですかね。アリスタイオスさんが現実で何をしていたとかは』
『それは……知らないんです。話すのはゲーム内の話ばかりで』
メリッサは商談と言っていた。彼女がこの仮想世界を、現実の仕事に生かそうとしていたならば、他にも商談相手はいるのではないか。あるいは、何か商売に関する宣伝をしてまわっていたのではないか。
そこから、現実のメリッサ本体に行きつくことは可能かもしれない。
『メリッサとアリスタイオスが何の商談をしていたのかが気になります。こちらでも調べてみます。アカウントと見た目から、彼女を特定出来るかもしれない。そうしたら連絡しますね』
およそファンタジーとは遠くかけ離れた会話を最後に、私はゲーム世界を後にした。気づけば外は暗くなっている。
蜂蜜男の身元。だが残念ながら加賀見大先生が見つけてくれたのは、誰かに刺された形跡があることだけだ。そのことを、彼女は知っているのだろうか。
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